死の森
イリア達は森へ逃げ込むとすぐに異変に気付いた。
森に入りまだ少ししか進んでないのに腐卵臭がする
多分これは硫黄の匂いだ。
どこからか硫黄のガスが噴き出しているのだろう。
(硫黄…ということは火山?でもこのへんに火山があったかしら?)
硫黄独特の腐ったようなむせ返る匂いに思わず顔を顰め、口元を手で覆った。
これをまともに吸っていたら確かに死亡するだろう。
だからこその死の森なのだ。
たぶんこの世界の人はこの硫黄ガスの正体が明からず、森に入ると死ぬという事実から呪いで死ぬと言われているのかもしれない。
「はぁ…はぁ…なんだ、この匂いは。吐きそうだ」
「ちょっと待って。このガスを嗅いでたら死んじゃう。いま、浄化するから」
イリアは手をゆったりと広げて集中する。
そして大地にと森の上空に温度差を作ると、上空の空気を一気に自分たちに降らせた。
びゅうという音がして一瞬、服がばさりと揺れるが、すぐにその風は緩やかなものになってイリア達を包んだ。
「で、この魔道具で術式を固定して…はい、簡易酸素ボンベの完成」
上空の新鮮な空気と森の中のガスを含んだ空気を常に循環させ、それを身に纏わせたのだ。
これで死の森の中でも硫黄ガスを吸うことなく歩くことができる。
死の森はその名の通り生命というものが感じられない。
酸性雨の雨が降るためか木々は枯れ黒く変色している。
そろそろ日の出であるはずなのに、朝日が射さず薄暗いのは黒くくすんだ空気があたりに立ち込めているせいだろうか。
いつか見たシュバルツバルトの風景に似ていると、イリアは思った。
「う…」
「ウィル、大丈夫か?少し休もう」
カインに肩を抱えられて歩いていたウィルが小さく呻いた。
逃げる時に無理して走ったせいだろう。額に玉のような汗をかいている。
それを少しだけ拭いながら、ウィルは崩れるように地面に膝を着いた。
カインに介添えされて腰を下ろしたウィルはもう一度顔を顰める。
「傷が開いたかもしれない。少し休むとしようぜ」
「そうね。ちょっと頭の整理もしたいし…軽く何か食べましょ」
ミレーヌが集めてくれた小枝に火をつける。
燃え上がった赤い炎が周囲を明るく照らした。
沸かしたお湯で紅茶を淹れる。
琥珀色のお茶にグラニュー糖の四角い粒子がサラリと溶ける様をイリアはぼんやりと見つめて先ほどのことを思い出していた。
(カテリナ…別人みたいだった)
凍てつくほどの冷たい眼差しの中に殺意があった。
それはイリアの知っているカテリナと同じものとは思えないほどであり、彼女から逃げた今でも夢を見ていたのではないかと思うほどだ。
シュモンを優しく撫でている光景が思い出される。
一緒に街を回った時、パンを半分こにした時、転びそうなところを助けてくれた時。
どの表情を思い出しても根底には穏やかな感情が現れていた。
何よりもシュモンを見つめる表情は慈愛に満ち、とても人殺しをするような人間には思えなかった。
(…どうして、カテリナは私を殺そうとしたのかしら)
ショックではあるが無駄に考えても答えは見つからないだろう。
イリアは気持ちを切り替えるように温かい紅茶を一口飲んだ。
そして、焚火を挟んで正面に座っていたミレーヌに話しかけた。
「ミレーヌはどうしてこんなところにいたの?」
ミレーヌはエリオット付きの近衛兵だ。なのにどうしてここにいるのだろうか?
「それはエリオット殿下の命令っす」
「エリオットの?」
予想外の回答にイリアは戸惑った。
なぜ国外追放された自分をミレーヌが追ってきたのか…。
そしてその答えはすぐに出た。
「はいっす!無事にちゃんと国外まで出るところを見届けろっていう命令なんっすよ」
(なるほど!ちゃんと私が国外追放されたのか不安だったんだわ。それで国外まで出ていくのをミレーヌに見届けさせたかったのね)
確かに愛するアリシアを害した(と思われている)イリアがこの国に潜伏しているかもしれないと思ったら、気が休まらないだろう。
「うーん、信頼ないなぁ…心配しなくてもちゃんと出ていくのに」
こちらとしては死罪にならずに国外追放されただけで万々歳である。
下手にガイザール国に居たくはない。
にしても、イリアがアリシアやエリオットの仲を裂こうとしているのだと疑われるのは若干心外である。
「あれ、聖騎士だろ?王都で襲ってきた時といい、なんで俺達を襲ってきたんだ?」
「やっぱりあれと関連あるのかしら。でも聖騎士が襲ってきたのってあの一回だけよね。どうしてこのタイミングなのかしら?」
「実はそのことっすけど、聖騎士はずっとイリア様のことを狙ってたんっすよ。あたしが返り討ちにしてたんで」
「そうだったの!?」
全く気付かなかった。
順調な旅だと思っていたのだが人知れずミレーヌが守ってくれていたおかげだったのだ。
「でも…今回は助けるのが遅くなってしまいまして申し訳なかったっす」
「ううん、来てくれて助かったわ。ありがとう!」
ここにきてイリアが分かったのは聖騎士…いや、多分教皇カテリナが自分を殺そうとしているという事実である。
ウィルは焚火を見つめていたが、その表情には動揺と不安が見て取れた。
そんなウィルにあることを確かめたくて、イリアは声を掛けた。
「ねぇウィル。今回、カテリナは私を殺そうとしてた。でもあなたのことも殺そうとしていた。ウィルが逃げていたのは教会…いえ、教皇カテリナからだったんじゃない?」
「!」
はっと息を呑む音。
動揺からかウィルの呼吸が浅くなる。
「これは私の想像なんだけど、あなたが持っている魔法陣。それと関係があるんじゃないかしら?」
イリアの問いには答えないウィルに対し、イリアは一つの仮説を投げかけた。
「ごめんなさい。見るつもりはなかったんだけど、不可抗力でウィルの持っている書類を見ちゃったのよ。あれは、人の命によって魔石を生み出すものじゃないの?」
その言葉にウィルは目を泳がせる。
右へ左へ、上へ下へ、忙しなく視線を彷徨わせたウィルは、突然頭を抱えて慟哭した。
「うわあああああああ!」
叫びながら頭を抱え蹲るウィルの傍に、イリアはそっと身を寄せると彼の肩を抱き寄せた。
肩を上下させ、酸素を求める魚のように口をパクパクさせている。
(私の仮説は正しかったのね…)
現時点でイリアとウィルを結ぶ点があるとするならば、二人ともあの魔石を知っているという点だ。
「落ち着いて。話してくれる?」
「…。あれを生み出したのは偶然だったんだ」
「あれ、というのは魔石の事ね」
「うん。ボクはトリアスという街の魔法ギルドに入ってて治癒魔法の魔道具の研究をしていたんだ。そこにある日カテリナが治癒魔法を増幅させる魔道具の作成を依頼してきたんだ…」
「カテリナが依頼してきたの?」
「そうだよ。女の子を連れてきて、その子の治癒魔法を増幅させて欲しいって」
そうしてウィルが静かにその過去を…罪を語り始めた。




