脳のバグ
流血注意です
ガタガタと車輪の音が鳴り、馬の蹄の音がその合間に響く。
過ぎゆく馬車の車窓からイリアは外を眺めていた。空は抜けるように青く、珍しく雲一つない。
馬車は王都の中心部を抜け、そろそろ郊外に差し掛かろうとしているためか、建物は少なくなり、代わりに視界に入る緑の占有率が高くなってきた。
晴天の空から降り注ぐ太陽の光が、眺めゆく木の葉を鮮やかにしている。
不意に視線を感じ、イリアは窓から目を離し、車内へと顔を向けた。
目の前には不機嫌そうなカインが座っている。
「カイン、そんなに見つめられると顔に穴が開いてしまうわ」
あまりにじっと見つめてくるカインにイリアは苦笑しながらそう言った。
カインは国外追放になったイリアを心配して付いてくると言ってくれ、こうして共に馬車に乗っている。
そのイリアの前に座るカインは苦虫を噛み潰したように眉間に皺を寄せていた。
「信じられない…リオはイリアことが好きだと思っていたのに…あんなに執拗に迫ってたのになんだよ!あんな女に心変わりしやがって!」
「まぁ心変わりなんてよくあることじゃない」
苛立たしげに椅子を叩くカインにイリアは思わず笑ってしまう。
婚約破棄された自分よりもカインの方が悔しがっているし、納得いかなそうだ。
だが当のイリアはというと、既にもう気にしてないというのが正直なことろだ。
「イリアだってリオのことが好きだったんだろ?それなのに…」
「あーそれなんだけど。あれって脳のバグだと思うのよね」
「は?」
イリアの言葉にカインは虚をつかれたように間抜けな声を出した。
まぁ、この言葉だけではカインも理解できないだろう。イリアは昨日考えたことを伝えることにした。
「あのね、脳が恋愛だと感じるのは脳内物質のせいって言われているの。色々あるんだけど私の場合にはアドレナリンとフェニルエチルアミンの分泌が多くなったと思うのよ」
「ふぇにる??」
「フェニルエチルアミンよ。ほら、例えば特に一緒に怖い思いをしたりするとドキドキするじゃない?そうするとフェニルエチルアミンの分泌が多くなって「この動悸は恋をしているからだ」と思っちゃう吊り橋効果が働いたのだと思うのよね」
そうなのだ。
エリオットには王都までの旅で何度も助けられている。
だからあのような危機的な状況でドキドキしたのはエリオットが好きなのだと勘違いした。
イリアが婚約破棄後に冷静になって導き出した結論がこれだった。
(まぁだからこそ前世でもまともな恋愛してこなくて友達に恋愛感情を学ぶために「フロイライン」を押し付けられたんだどね…)
とにかく冷静な判断ができるようになって自分では良かったと思っている。
だがその説明を聞いたカインは複雑そうな顔をして、そして徐にイリアの隣に座った。
「カイン?」
「ま、お前がそう思うならいい。俺にもチャンスが巡ってきたって思うことにするよ」
「チャンス?」
イリアの問いには答えずに、カインはイリアの隣に座り直すと、そっとイリアの手をその手で包み込んだ。
「大丈夫だ。俺が傍にいる」
いつの間にか大きくなったカインの手は、イリアの手をすっぽり包む。
その暖かさは自分が一人ではないと実感させてくれた。
「心強いわ。でもカインにはカインの人生があるんだからね。無理についてこなくても大丈夫なのよ?」
「俺がしたいからしてるんだ。無理じゃねーよ」
そしてこつんとイリアの頭を小突いた。
「お前こそ遠慮すんな」
カインが愛おし気に見つめるその瞳に、イリアはなんとなく嬉しくも気恥ずかしくも思いつつ、笑顔で返した。
(きっと手のかかる妹だと思っているんだろうなぁ。確かに料理とかはカインほど色々作れないし…。ちゃんと自立しないとカインにこれ以上迷惑かけれないし)
「うん。料理できるように頑張るね!」
「は?話が見えないんだが…」
その時突然馬車がガクンと止まった。
急に止まるのでイリアとカインはつんのめるようにして前の座席に手をついた。
そして同時に馬の嘶きと、御者の悲鳴が聞こえた。
「ぎゃあああああ」
前窓に御者の血が吹きかかる。
何が起こったのか分からなかったが、その鮮血を見てイリアは硬直する。
「なんだ!?賊か?」
カインが叫ぶ。
イリアの馬車は聖騎士が移送について来ていた。
イリアが聖女を害したとされているため普通の衛兵ではなく、聖騎士がついてきたのだ。
聖騎士がいるのにも関わらず盗賊が襲撃したというのか?
精鋭を誇る聖騎士が賊にやられるなどありえない。
ただ、念には念を入れ、イリアはいつでも攻撃できるように臨戦態勢に入った。
ドン!
乱暴にドアが開かれる。
賊かと思って身を強張らせたイリアだったがそこに居たのは銀色の甲冑の人物。すなわち聖騎士だった。
そしてその聖騎士の一人はイリアを乱暴に掴み、投げ飛ばすように馬車から引き摺りだした。
「きゃ!」
「くそ!?なんだ?」
イリアの隣にカインも投げ出され、二人とも地べたに倒れる形になった。
聖騎士はイリアを見ながらガチャガチャと鎧の音を立ててこちらへ進んでくる。
銀の甲冑を着こみ、鎧に覆われているために顔は見えない上に高身長でがっちりしているので威圧感が半端ない。
ふと気づけば移送に付き従っていた四人の聖騎士が自分達を取り囲んでいる。
「ちょっと…やばい雰囲気ね…」
その異常な空気にイリアは何かを感じだ。
これは…殺気だ。
そう気づいた時には聖騎士の一人がイリアに切りかかってきていた。
「シヴァ!(氷盾)!バースト(旋風)」
イリアは瞬時に氷の盾で攻撃を防ぎ、続いて間髪入れずに風魔法を繰り出して聖騎士を吹き飛ばした。
後ろで短い金属音が鳴る。
カキィン!
後ろに視線をやるとイリアの背後にカインが立っており、聖騎士から振り下ろされた剣を弾いていた。
シュンシュンと音を立ててカインに攻撃してきた聖騎士の剣が飛び、回転しながら後ろの地面へと突き刺さっていた。
「一気に畳みかけろ!」
甲冑で少しくぐもった声で聖騎士の一人が叫ぶと、彼らが一斉に攻撃を仕掛けてくる。
イリアが二人、カインが二人を相手にする。
一人が切りかかってくるのをイリアは躱す。体を地面で一回転させるとそこをめがけて聖騎士は剣を突き刺そうとする。
イリアは手を支点にして体を回転させた勢いそのままに、騎士に足払いをした。
バランスを崩した騎士を相手にしている背後から、別の騎士が剣を振りかざしてきたので、イリアは短く叫んだ。
「サプレア!(空撃)」
風に乗って無数の真空の刃が聖騎士を襲う。
それはカインと模擬訓練をした時以上の精度と強度を持ち、聖騎士の分厚い甲冑をも切り裂いた。
そして甲冑に覆われていたはずの騎士の体をも切り裂く。
ぼたぼたと血を流した騎士はそのまま前かがみになり地面へと崩れ落ちた。
「くそが!」
一人を倒し、安堵する間もなくもう一人の聖騎士がイリアの後ろから袈裟懸けに刃を振りかざしてきた。
「レナス!(鉄槍)」
イリアが叫べば今度は聖騎士の頭上から鉄でできた槍がいくつも降り注いだ。
流石聖騎士で、イリアの攻撃を止めてそれをいくつか振り払ったが、全ては躱し切れないようでいくつかをその身に受ける。
甲冑を貫通した槍が聖騎士の体を傷つけた。
「う…」
短く叫んでバランスを崩した聖騎士を見ながら、イリアは天に手を突き上げ叫ぶ。
「レギナ!(雷撃)」
イリアの声と共に轟音が鳴る。
閃光が走り、聖騎士の頭上から雷が落下した。
びりびりと感電した体を震わせながら、この聖騎士も倒れて動かなくなった。
「はぁ…はぁ…」
イリアの息が上がっていた。ふと気づけばあたりを静寂が包んでいる。
早鐘を打つ心臓の音と、荒い呼吸の音だけがイリアの耳についた。
「イリア!」
突然名を呼ばれてイリアが声の方を振り返れば、カインも相手にしていた二人の聖騎士を倒してこちらへと走り寄ってきた。
「こいつらの一人が応援を呼んだみたいだ!奴らが来る前に逃げるぞ!」
イリアは初めての戦闘で疲労していたが、カインに手を引かれてともかくそこから逃げることにした。
何故自分たちが襲われたのか。
何故聖騎士がそれをするのか。
理由が分からずに混乱するイリアだったが、カインの手にしがみつく様に強く握りながら走った。
必死に走り、身を隠しやすい林の街道へとたどり着いた辺りでカインとイリアは歩調を緩め、そして足を止めた。
「カイン…大丈夫だった?」
「あぁ、俺は大丈夫だ。イリアも問題ないか?」
「ええ…何とか」
とはいうものの、実地戦闘は初めてだったイリアは半ば呆然としながら、その場に力なくへたり込んだ。
そして改めて思った。
(魔道具、用意しておいてよかった…)
イリアが魔法を展開するときには、一瞬でも集中力を要する。
一般的には詠唱するのに近いイメージだ。イリアは自然現象のイメージを行い、それを具現化する。
だから瞬時に魔法を発動させるのが難しいのだ。
いくら魔力が膨大でなんでも行えるチートな魔法を唱えられても、その一瞬のタイムラグが防御においても攻撃においても致命的だ。
そこでイリアが考えたのは呪文の詠唱を略する魔法具の開発だ。
聖女アリシアの登場により断罪ルートを辿る可能性が高まった段階で王宮の研究室で開発しておいたのだ。
加えて出発前にライラの厳しい戦闘訓練を受け、何度も模擬試合をしたお陰で反射力も鍛えられ、こうして無事に命を守ることが出来た。
「カインと修行していて良かったわ」
「だな。正直聖騎士相手にお前を守りつつ戦うのは難しかったからな。…それにしても聖騎士が襲ってくるとは思わなかった」
「そうね」
国外追放になり野垂れ死ぬ運命を回避するつもりだったが、まさか聖騎士に殺されようとするとは思わなかった。
(全年齢版乙女ゲームなのになにこの展開!?いきなり殺されそうになるなんて展開思いつかないわよ!)
全年齢なのにこんな血みどろ展開だったら暴力表現でR18になってもおかしくないのではないか。
そもそも何故聖騎士が襲ってきたのだろうか?
展開が読めずにイリアはしばらく考えたが、その理由が良く分からなかった。
まぁ、命拾いしたのでとりあえずはいいだろう。
それよりも今後のことだ。
「ここどこかしらね」
国外追放と言われ馬車に乗せられてここまで来たがどこに向かっているのかは教えてもらっていない。
「そういえば国外追放ってどこに行くのかしらね。方角的にライディック王国になるのかしら?」
「それならば都合がいいな。ほら、俺は元々ランディックに行く予定だったろ?」
「そうだったわね」
「家は一応用意されていると思うし、お前も一緒に住まないか?」
「…いいの?」
「もちろんだぜ!」
「ありがとう。しばらくお世話になるけど直ぐに自立できるようにするから」
「…いや、ずっと二人で暮らそう。俺が一生面倒見てやる」
「ふふふ、一生って、大げさね。でもカインに恋人が出来たら一緒には暮らせないでしょ?私は近くににカインがいるだけで心強いんだから恋人が出来たら遠慮なく言ってね!」
「いや…恋人が出来たらって、お前俺の言っている意味分かってるか?」
「ん?心配だから放っておけないってことでしょ?」
「…。」
カインからしてみたら可愛い妹分をこんな僻地にほっぽり出せないのだろう。
イリアはカインの申し出をありがたく受けることにした。
「お前なぁ…男が女にそういうことを言うのはなぁ」
何故か唖然とした表情だったカインが、今度は呆れたように何かを口にしようとした時だった。
ぐーきゅるきゅるきゅる
イリアのお腹が盛大になった。
そう言えば早朝に出立してからあまり食べていない。
昨日は若干落ち込んでいたので食も進まなかったのもある。
それに加えて先の緊張と、魔力を大量に消費したので体内のカロリーが枯渇してしまった。
「あはは…」
いくら気心の知れたカインとはいえ、腹の虫の音を聞かれるのは若干恥ずかしい。
イリアは乾いた笑いをしてそれを誤魔化すようにカインを引っ張って歩き出した。
「えっと…まずはほら、早く次の街に行きましょ!」
「あ、俺の話を聞けって」
「道すがら聞くから!早く早く!」
「あーもういい!雰囲気もへたくれも無くなった!行くぞ!!」
カインが何かぶちぶち文句を言ったような気がしたがそれに気づかないイリアはカインと共に街を目指すのだった。
新章開幕です。
行き成りの流血展開で申し訳ないです。「あれ?これラブコメファンタジーでは?」と言う感じではありますが…
引き続き読んでいただけると嬉しいです!




