いよいよ婚約破棄
リオットが入場すると皆一同に頭を下げる。そして、エリオットが少し高くなった台に上がると、顔を上げた。
エリオットの横にはアリシアがいた。エリオットの瞳の色と同じスカイブルーのドレスを身に纏って。
「今宵は私の誕生日を祝う会を催してくれたこと、感謝する」
一言そう言いながらエリオットは会場を見渡しすと、その双眸がイリアを捉えた。わずかにその顔が歪められた。
よほどイリアを見るのが嫌だったのかもしれない。
そしてエリオットは一瞬目を閉じると、背筋を伸ばしてアリシアを抱き寄せ、イリアに向かって歩みを進めた。
まるで潮が引くように、人がエリオットに道を開ける。
やがてイリアの前に進んだエリオットは静かに、だが力強く言い放った。
「イリア・トリステン、今日をもってお前との婚約を破棄する」
「その理由をお聞きしても?」
「お前は聖女を蔑み、いくつもの陰険な行為を行い、そして命まで奪おうとした。王位継承者としては看過できない。そのような女が婚約者にはできない。よってお前との婚約を破棄する」
「陰湿な行為とは?命を奪おうとした?証拠はございますの?」
「アリシア本人がそう言ってる。そうだろう?アリシア」
エリオットに話を振られ、アリシアは酷く怯えた様子でエリオットにしがみついて相槌をうった。
「エリオット様と夜会に出席しようとした時、ドレスを破かれてました。そのほかにも水をかけられたり。そして…この間は階段から突き落とされて…。私…イリア様が怖いです…」
証拠とばかりにアリシアがスカートを少し摘むと、現れた足首に包帯が巻かれていた。
(はぁ、本当に茶番だわ。王宮にいなかったし、アリシアとも接触してないのに)
ただ周囲はやっぱりと言った視線を投げかけてきたし、ここで何を言っても無駄だと言うことだけは分かった。
問題は死罪か、国外追放か…。
イリアは静かに二人を見据えた。
「イリア・トリステンは国外追放とする。即刻この国から出ていけ。以上だ」
「殿下のお心のままに」
冷たく告げられた処遇に対し、イリアは冷静にそれを受けとめる。
そして、優雅に膝を折り、微笑んでその場を後にした。
去り際に見たエリオットの顔が少し傷ついたような表情に思えたのは自分の願望かもしれない。
(私にもっと喚いたりして欲しかったのかしら?)
自分が別れを通告したのに傷ついた表情をするなどイリアは理解できないし、もうどうでも良い。
それより死罪は免れた。
あとは国外追放の際に野垂れ死しなければ、万事OK。
これで悪役令嬢という役割からも解放されるだろう。
そんな事を思いながら廊下に敷かれた赤絨毯を歩いていると、後ろから慌てた様子でカインが追いかけてきた。
「おい、イリア!これどう言う事だ?エリオットが?どうなってるんだ?」
「あ、カインごめんなさい。一人で会場を出てきてしまって」
「そんなことはいい!エリオットのヤツ、本当にイリアと婚約破棄するだと?しかも国外追放?!」
「まぁ、そう言うことだから家に帰って準備しなくちゃ。明日には連行されると思うわ」
「…ショックじゃないのか?なんでそんなに冷静なんだ?」
混乱していながらもイリアを気遣うカインの表情はイリヤよりも傷ついた顔をしている。
「大丈夫。こうなることは予想していたの。…それに、そのために十二年、準備してきたんだし」
「え?」
「ううん、なんでもない。それより帰りましょ」
イリアはそう言って戸惑うカインの腕を引っ張るようにして王宮を後にした。
家に帰れば既に婚約破棄の件と国外追放の件がトリステン家に通達されていたようで、レオナードとライラが蒼白な顔でイリア達を迎えた。
「イリア…」
「父様、母様、ご迷惑をおかけします。私が国外追放なのはいいんですけど…トリステン家に迷惑がかかってしまうのは…本当に申し訳ないです」
「そんなことはどうでもいいんだ!お前が悪いわけじゃない事は私たちも分かっている。やっぱり婚約なんて許すんじゃなかった!」
憤慨するレオナードの横にいたライラはイリアをそっと抱きしめて、背中をポンポンと優しく叩いてくれた。
「お前こそ、大丈夫か?」
「私は大丈夫です。こうなる事は予想していたので。それに私図太いですから!」
イリアが明るくそう言うので両親は少し困惑気味に顔を見合わせている。
イリアとしては婚約破棄より国外追放の際に野垂れ死ぬことを回避する方が目下問題なのだ。
そうとは知らない両親は、逆にイリアよりも憤慨し、更にはやはり王家を滅ぼすなどと物騒なことをいうレオナードを宥めるほうが大変であった。
最終的に「分かった、何もしないよ」とりあえず言ってもらえたのでイリアは安堵し、夜も更けてきたのでとりあえずは解散となった。
ドレスを脱ぎ、化粧を落とし、お風呂に浸かれば疲労がどっと押し寄せてきた。
イリアはふらふらとベッドに潜り込んだ。
(疲れているのに…寝れない…)
多分体が疲れすぎているせいと、脳が興奮状態なのだろう。
何度か寝返りを打っても寝付けないイリアはベッドを抜け、庭のテラスに置かれている席にそっと座って空を見上げた。
そういえば王都へ来る前の旅でも夜空を見上げたことがあった。
あの時にはエリオットに対する自分の気持ちを色々と考えていた。すでに懐かしさを感じる出来事だ。
不意に何かの気配が庭の茂みからしたので、そちらに視線を移せばかさりという音と共に銀糸が揺れた。
「マシュ…」
月の光を浴びてその毛は青を帯びた銀の光沢を放っている。
マシュはゆっくりとイリアへと近づいてきたので、イリアはいつものように頭を撫でたあとにその体にしがみつく様に抱き着いた。
「ふふふ…やっぱりマシュは守護精霊なのね」
「くぅーん」
今回も落ち込んだイリアを慰めるように現れてくれた。
イリアはマシュの隣に腰を下ろすと、マシュもまたそこに寄り添うように座った。
「どうしてこうなっちゃったのかしら」
十二年前、「フロイライン」の設定資料集を開いてから、必死に運命に抗うために努力した。
だが結果は変わらず、イリアは悪役令嬢として断罪されてしまった。
あの努力は無駄だったのだろうか。
途方もない虚脱感に襲われた。
「思ったより…エリオットの言葉は堪えたのかもしれないわね」
あんなに優しい表情を見せていたエリオットがまるで別人のようになり冷たい目で断罪の言葉を告げた時、やはり自分は嫌われたのだとその現実を突きつけられた。
恋人でなくても友人でも、好意を持って接してくれていた人から嫌われるというのは辛い。
「くぅーん」
マシュがイリアに慰めるようにすり寄ってくれる。
その暖かさがイリアの心に染みた。
ぺろりと顔を舐められイリアは驚き、そのくすぐったさに思わず笑みが浮かぶ。
「うふふ…マシュ、くすぐったいわ。慰めてくれているのね。ありがとう」
「くぅーんくぅーん」
何か訴えるようにマシュは何度も切ない声で鳴いた。
イリアはそんなマシュの体を抱きしめる。
温もりに少しだけ心が癒された。
正直、凄く疲れてしまった。いつもは持ち前のパワフルさとタフさで乗り切ってきたが、今はその気力がない。
登山で一生懸命登っているときには気づかない疲労も、ふと足を止めたら一気に疲労感に襲われ、動けなくなる状況に似ていた。
だが断罪は終わったが、死亡ルートは変わらない。これを変えることが本当の目的なのだ。
(絶対に生き延びてやる!野垂れ死になんてするもんですか!)
イリアはもう一度気合を入れようとした。
だけど…ちょっとだけ、ちょっとだけ休もう。
「…今だけは少し泣かせてね」
イリアはマシュの首にしがみ付き、その柔らかい毛に顔をうずめた。
嗚咽が止まらない。
そのままイリアは声を殺して泣いた。明日からは元気になるから。
そう自分に言い聞かせるように。それをマシュは黙って受け入れてくれるのだった。
翌日、早朝と呼べる時間に王宮からの使者がやってきた。
イリアを国境付近まで移送するためである。
トリステン家の屋敷を出ていくのは二度目。
だが決定的に違うのは、もう二度とこの屋敷には戻れず、両親とも会うことができないということである。
「父様、母様。ではさようなら!」
一度目と同じセリフを言ってイリアは到底貴族が乗るとは思えない質素な馬車に乗り込み、涙を堪える両親に見送られてトリステン家を後にした。
とうとう断罪されましたが、ここで4章は終わりです。
次話からは新章。
ラストに向けて話が加速していきます。引き続き読んでいただけると嬉しいです!




