断罪の足音
トリステン家の庭に威勢の良い声が響いた。
イリアとカインが模擬試合を行っている声だ。
「はぁ!!」
「ふ、甘いぜ!」
「まだまだ、そこよ!」
カインが剣を繰り出し、それをイリアは間一髪で避けた。
すぐさま大地に手を着き、魔法を展開して地面を砂にする。
「お前の技は見切ったぜ!」
だがカインはイリアが砂にした場所を軽く跳ねて避けながらイリアに一撃を食らわせようと剣を振りかぶってそれを頭上から落としてくる。
それを真向に受ける形でイリアはカインの方向に手を向け、空気中の水分を一瞬にして凍らせ、盾とした。
「くっ…」
だが氷の盾は強度が無く、そのままパリンとはじけた。
なんとかその隙をついて反動を使って後ろに飛びのき、すぐさま風を纏った。
真空状態にしてカインに叩きつける。
「サプレア!(空撃)」
イリアの言葉と共に風が刃となってカインに向かって行った。
いわゆるかまいたちという現象だ。
さすがのカインもそれを避けることはできなかったが接触面を最小限に抑えたようで、与えらえたダメージは少ない。
そのままカインは一回転して弾みをつけると、縮地のような俊足でイリアへと迫る。これにはイリアも反応できず、気づけばカインに剣を突きつけられてしまった。
「そこまで!」
ライラの声が響き、双方殺気を解いた。
ほうとイリアは息をつく。
「やっぱりまだカインには及ばないわ…」
「はは。お前にはもう負けられねーからな!」
「くうううう…」
勝ち誇るカインを恨めしい目で見てしまう。
そんなイリアの頭をポンと撫で、カインは白い歯を見せにっこりと笑った。
「お前のことは守ってやるよ!」
「でも…自分の身は自分で守れるようにならなくちゃ…」
いつまでもカインにおんぶに抱っこと言うわけにはいかない。
なんせ自分は断罪されるのだ。
死罪の場合には衛兵をぶっ飛ばして逃げなければならないし、国外追放でも野党と戦わなくてはならない。
いずれにせよ物理的に強くなる必要があった。
「ほら、少し休もうぜ!」
カインに促されるようにして、イリアは外に用意された椅子に座る。白のパラソルが作る影が日差しを遮ってくれて、少し涼しさを感じた。
イリアは疲労からくるため息をもう一つついて目を閉じた。
何故イリアがトリステン家にいるかというと、要はお払い箱にされたのだ。
実はエリオットが謎の奇病にかかる前、イリアは何度かエリオットに接触する機会を持とうとは思っていた。
だが執務に追われているという理由で面会は叶わなかった。
たまに王宮で見かけている時にはアリシアを伴っており、ほほ笑み合っては仲睦まじい様子が見て取れた。
恋人たちの逢瀬を邪魔するほどイリアも野暮ではないのでそういう時には仕方ないと諦めてイリアはエリオットたちから離れるしかなかった。
(アリシアは可愛いからなぁ…さすがヒロインだし、惚れるなって方が無理かもしれないけど…)
それにしてもつい最近まで過度なスキンシップをしてきていたエリオットのあまりの手のひらの返しように、イリアは怒るとか悲しむよりも唖然とするしかなかった。
そうこうしている間に王宮ではアリシアとエリオットの仲は知られるようになり、イリアは逆に二人を邪魔する存在と見做されるようになっていた。
断罪の足音が聞こえ始めた瞬間だった。
そして先も触れたがエリオットが奇病に倒れたのだ。
直ぐに聖女が聖水を作りエリオットを癒し、献身的に看病したことによりエリオットは回復し、そして二人の仲が公然となった。
そこからは早かった。
「王太子妃教育の必要がないので王宮にいる必要がない」という理由により、イリアは早々に王宮から追い出されるようにトリステン家に帰されたのだ。
ということでイリアは現在トリステン家にいる。
(もう断罪は確定よね…ならば…生き残るためにできることはしなくちゃ)
イリアは既にどこに国外追放されようとも生きていけるように大方の国の語学は身につけている。
アイ・アンド・ティー商会で得た資金もあるので、お金も用意できている。
あとは身を守る術を身につければ向かうところ敵なしだろう。
そのためにライラとカインの力を借りて、現在武道を身につけるべく奮闘中なのである。
(ここまで来たら断罪なんてどんとこいよ!…断罪が怖くて人生いきていけるかぁ!!断罪なんて返り打ちにしてやるんだから!!)
イリアはそう決意した。
そう、返り討ちにしてやるのだ!
腹を括ればもうなんということはない。
イリアはぐっと拳を握り、それを突き上げた。
「負けないんだから!!」
立ち上がってそう高らかに言ったイリアに、カインはびくっと驚きそれを見上げた。
「さあさあ、カイン。もう一勝負よ!」
「そんなに俺に負けたのが悔しいのか…?」
「そう言うことにしておくわ」
「まぁいいけど…イリアはどこに向かおうとしてるんだ…分からん」
イリアの事情を知らないカインとしては首を傾げるしかなかった。
※ ※ ※
そしてあっという間に時間が流れ、本日イリアはエリオットの誕生パーティーに呼ばれ王宮に足を踏み入れている。
エリオットとまとも会うのは多分あの温室で別れたのが最後だろう。
その後は夜会などがあってもイリアは招かれることはなかった。
風の噂では同伴者としてアリシアが共に出席していたという。
「イリア、緊張してるのか?」
「え…あぁ、うん。そうね、少し」
今日、同伴者となったカインに腕を差し出されたイリアは、そっとそれに手を添えた。
本来、婚約者であるならば同伴する夜会のドレスを贈るのが常識である。だがエリオットからは当日になってもドレスは贈られてこなかった。
エリオットとイリアの状況を知っていたレオナードとライラは、いたく憤慨していた。
何度か夜会への出席を止めてはどうかとも言われたが、王太子からの招待でかつ、現時点で王太子婚約者という立場上、欠席するわけにはいかない。
断罪されることを覚悟で出席するしかなかった。
「イリア、ドレス似合ってるぜ」
「ありがとう。カインのセンスがいいから。既製品のドレスだけどとりあえず形にはなって良かったわ」
トリステン家の威信をかけてということで、ピカピカに磨き上げられ、化粧を施され、髪をセットアップにしたイリアは、鏡の前で自分でも噴き出してしまうほどに化けていた。
普段女子力皆無のイリアだが、こうやって見るといっぱしの貴族令嬢に見える。
トリステン家メイド集団の実力を垣間見た瞬間であった。
「はは、意趣返しにこれでもつけてみるか?」
そう言ってカインはクロムダイオプサイトのネックレスをつけてくれる。
深緑のそれはカインの瞳と同じ色だ。
ネックレスをつけてくれる時、カインの指が耳朶に触るので思わずイリアは身じろいでしまう。その手は少し熱かった。
「ん…。まぁ似合うんじゃねーの?」
「ふふふ…。色々とありがとう。本当はランディック国に出発する予定だったのに…」
「別に気にすんな。急いで行く必要もないし、お前が心配だったし」
「カインがいてくれて、心強いわ」
そう言いながらアラベスク模様の入った大理石の廊下を進んだ。
会場に入ればシャンデリアの光が、白い壁をオレンジに染め、レリーフに施された金を輝かせている。
会場の一角に並べられた銀食器はキラキラと光を反射させ、会場の煌びやかさに色を添えている。
中ではすでに多くの出席者が歓談していた。
イリアが入ると貴族の何人かはその存在に気づき、意味ありげな視線を投げかけてきた。
だがアリシアのことを知っているため、好奇の目で見ているものの、誰一人として声を掛けてくる人間はいなかった。
「とりあえずなんか飲むか?」
「そうね。素面ではやってられないし」
「じゃあ、軽めのアルコールでも貰ってくる」
「ありがとう」
カインと別れてイリアは壁際に進む。
息を殺して壁の花にでも徹しようとしているが、視線は否応なく刺さってくる。
「見てみて…あれよ、イリア様」
「あぁ…悪役令嬢ね」
「聖女アリシア様とエリオット王子の仲を裂こうとしたんでしょ?」
「なんでもアリシア様をいびっていたらしいわ」
「私が聞いた話ではアリシア様を階段から突き落としたらしいわよ」
「ドレスもめちゃめちゃにしたって…アリシア様が泣いているところを目撃した人がいるって聞いた」
「…悪役令嬢よね」
「本当。意地の悪そうな顔。悪役令嬢って言葉がぴったりよ」
「トリステン家の人間って言っているけど、本当かどうか怪しいわよね。長らく行方不明だったのでしょ?」
「らしいわね、同じ出自の分からない女ならば、聖女のほうがまだいいわよね」
「本当、清楚で綺麗な方ですし。さすが聖女様よね。纏うオーラが美しいもの」
「本当よね」
ひそひそひそひそ
声を潜めているつもりのようだが、イリアの耳には聞こえてくる。
(聞こえてるっつーの!!というかアリシアと接触したのだって二度か三度くらいよ!)
ほとんど魔道具研究に勤しんで、研究室に籠りっきりだったのだ。
他に顔を合わせることがあってもエリオットが傍にいたし、どうやったら虐めることができるのか、誰か説明してほしい。
(しかも恋人の仲を裂く悪役令嬢って呼ばれているみたいだし…これが…ゲームの強制力ってもの?)
まぁゲームの設定上そうなのだが、本当濡れ衣もいいところだ。
勝手に色々言われていることに腹を立てつつも、イリアは聞くともなしに聞こえてくる噂や中傷の類を素知らぬ顔でスルーした。
その時、三人組の女性がイリアの傍に寄ってきた。
声を掛けてきたのはそのグループの筆頭と思われる女性だった。
「あら…これはこれはイリア様ではございませんか?」
婚約パーティー以外で夜会の出席はしていないし、お茶会にも参加していない。
馴れ馴れしく話しかける女性をイリアは怪訝な顔を迎えてしまう。
記憶を辿れば、確かラミラス家の長女――オフィールだったか。
「…初めまして、ですね。オフィール・ラミラス様」
「まぁ、私の名前をご存じでしたか?私が一方的に色々と有名なイリア様を知っているだけかと思ってましたわ。夜会はお久しぶりですか?」
〝色々と有名〟と付ける当たり敵対心丸出しだ。
笑っているが目には侮蔑の色が見えてとれる。
「えぇ、久しぶりの参加になりますわ」
「ですわよね。あら?殿下はご一緒ではないのかしら?」
「今日は知人と来ているのです」
「そうでしたか。今日もアリシア様いらっしゃるのかしら…あ、申し訳ありません。最近の夜会はアリシア様とご出席されていたので。王太子妃教育でお忙しくてイリア様はお出にならなかったのですわよね」
「まぁ…それなりに忙しくさせていただいてましたわ」
「アリシア様と殿下はまるで恋人のように仲がよろしくて二人並ぶと一対の絵のように美しいのです。仲が良いので羨ましいですわ。あ、申し訳ありませんわ。イリア様のお耳に入れるほどのことではなかったですわね」
「どういう意味でしょうか?」
「アリシア様がいくら美しくて、殿下と想い合っていたとしてもどこぞの馬の骨とも分からない女性が、名門トリステン家のご息女を押しのいて王太子妃になるなんて考えれませんもの。たとえ殿下とお近づきになりたくてイリア様をお迎えされたとしても、今はトリステン家の人間でらっしゃいますものね」
それは暗にエリオットと婚約して王族に近づくために年頃のイリアを養子にしたと言われており、トリステン家が権力欲しさにそうしたと示唆されているのだ。
自分のことはともかく、家のことを言われるのは我慢ならない。
「事情があって家から離れていましたが、私はトリステン家の人間です。家名を貶めるような発言は控えていただけますか?」
「あら…これは失礼しましたわ。確かにイリア様は侯爵家のフローレンス様より優れていると言わしめて、ご婚約されたのですし。殿下のお気持ちが離れても王太子妃としてその能力が買われたのですから、たとえ殿下がアリシア様と親密になさっていても、王太子妃になられる。トリステン家も安泰だと申し上げたかっただけですの。私もそのくらい頭脳明晰であれば殿下のお気持ちをもらえたのかしら…。あぁ、でもそうすると男性からは敬遠されてしまうかしら」
「さぁ、どうでしょうか。私は知識を身に着けることが好きですし、たとえ男性に受け入れられなくても構いません。それにこの知識が人の役に立つのであれば、喜んでさらに勉学します。それが領民のために尽力する貴族の勤めでもあると思いますわ」
「まぁ…素晴らしい心構えですわ。私は領地のことなど…難しくて。でも領地経営は殿方の領分ですし、私は可愛い奥方として愛されたほうがいいですわ。だって、小賢しい女だと素敵な男性の結婚なんて見込めないでしょうし。もし頭脳を買われて結婚しても愛してもらえないのは寂しいではないですか」
「…価値観は人それぞれですから。ですが領地のことに気を配ることは必要だと思いますわ。だって…伯爵家でも破産の憂き目にあうこともありますでしょうから」
「まぁ、そんなことがあり得ますの?私には想像つきませんわ。そんなこととは無縁の世界にいますので」
わざとらしく驚き、その後理解できないわとばかりに頭を振るオフィールを見て、イリアは口角を引き上げて笑う。
そしてオフィールと同じようにわざとらしく驚いた声を上げて首をあざとく傾げた。
「あら、ご存じないのですね!そうですわよね。オフィーリア様は領地経営にはご興味ないですから。たとえラミラス領の小麦が不作で収益が上がらずに苦境に立たされていることも、それを挽回しようと投資に手を出して、上手くいかないことも。もしご存じでしたらこのような夜会に来れるはずもないですわよね」
「…!それ…は…」
「ラミラス伯爵様は単価を上げて小麦の収益を上げようと躍起になっておられるようですが、間もなく隣国から安価な小麦が大量に輸入される可能性が高いですわ。ですから小麦の値段を吊り上げて何とか収益を上げようとされても上手くいくかどうか…。ご注意遊ばせ。まぁ、私のような小賢しい女の戯言だと聞き流してくださいませ」
その時遠くからカインが小走りにやってくるのが見えた。
「イリア!」
「…迎えが来ましたので失礼しますわ」
顔を真っ赤にして、二の句がつけないでいるオフィールの横を、優雅に通り過ぎカインの元に進む。
「なによ、悪役令嬢のくせに。だから殿下に捨てられるのよ!」
後ろでそう吐き捨てるオフィールの言葉は聞こえないふりをしてイリアはその場を離れた。
「イリア、わりぃ。なんかいろんな女に絡まれちまって…抜け出せなかった」
「仕方ないわ。カイン、素敵だもの。女性が放っておかないわ」
「んなことねーよ。それより…大丈夫か?あの女、なんかいちゃもんつけてなかったか?」
「んー、ちょっと色々言われたけど言い返したから別に問題ないわ」
これから起こる断罪を考えればあのくらいのウザ絡みなどとるに足らない。
ただ、彼女の言っていることが事実なのが少し悔しい。
その時、高らかにラッパが鳴り、イリアをはじめとする出席者が一斉に一つの扉に視線を向けた。
王太子エリオットの入場を告げる合図だ。
イリアにとっては断罪劇の始まり。イリアは自分の頬を一つ叩いて、気合いを入れたのだった。
女同士の口喧嘩というか…よくもまぁオフィールもイリアもあんだけ口回るなぁと読み返して思ってみたり…女同士のバトルって怖いですね…
次話で4章完結です!




