聖女爆誕
午後二時。
エリオットにお茶に呼ばれていたイリアはバラ庭園に用意されたテーブルでエリオットを待っていた。
エリオットはこうして午後のひと時にイリアとティータイムを持つことがほぼ日課になっている。
(そろそろエリオットが来る時間かしら)
そう思って待ち時間に読んでいた手紙を一旦テーブルの上に置いた。
手紙はカインからだ。
現在カインはトリステン家に滞在しているのだが、イリア自身がなかなか実家に帰ることができないためこうして手紙をよこしてくれていた。
だが、その内容に思わずため息をついてしまう。
「はぁ…カインが帰っちゃうのかぁ…」
「カインがどうしたの?」
「あ、エリオット!!」
「遅くなってごめん。それで…カインがどうしたの?」
「王太子妃になっちゃって王都に残ることになったでしょ?このままトリステン家に滞在することもできないからザクレに戻るって書いてあるの」
「そうか…」
「会いに行っちゃだめ?」
久しく会っていないカインを見送るくらいはしたい。
ただでさえイリアを心配してザクレから王都まで付いてきてくれたのだ。「はい、さよなら」とは言えないししかも幼馴染だ。正直カインの顔を見たい。
「そんな上目遣いで見ないで…。はぁ、本当はカインに会わせるなんて嫌だけど…じゃあ僕も行くから」
「え?だってエリオット、毎日忙しいでしょ?」
実は最近エリオットは忙しい。
なんとかお茶の時間を取ってくれてはいるものの、業務に追われているのだ。
顔に「疲労困憊」と書いてあるのが見て取れる。
「でもイリア一人でカインに会わせたくない…」
「なんで?」
「なんでって…男と二人きりにできないよ!可愛い君を攫って逃げるかもしれない」
「うーん、攫われるほど可愛くはないし…それにカインは幼馴染だよ。男と二人なんて大げさじゃない?」
「カインだから問題なの!というか…ミレーヌが羨ましい…。ミレーヌの代わりに僕がイリアと過ごしたい」
ミレーヌは現在イリアの専属護衛だ。
何を隠そう彼女は王太子付近衛兵だったのだ。王太子妃になったことでミレーヌがイリアの護衛役になっている。
「カインは来月くらいまでは居てくれるみたいだから、エリオットの仕事の都合がつけば一緒に行くって感じで…もしダメならミレーヌも同室してもらうから」
「分かった…頑張る…。じゃあ、仕事頑張れるように先にイリアをチャージさせて」
「チャージ?」
何を言っているのか分からず首を傾げるイリアを突然持ち上げると、エリオットは自分の膝に座らせた。
「ちょ、ちょっと!!」
横抱きにされた形でエリオットはぎゅーっとイリアを抱きしめる。
イリアの肩に額を置くと心の底からのため息をついた。
「あぁ…癒される…」
(ああああ…皆さんの生暖かい視線が刺さる…そして近衛兵の皆さんごめん…)
エリオットはぎゅうぎゅうとイリアを抱きしめ、放そうとしない。
その様子をガン見することも出来ない近衛兵の皆さんはそっと視線をそらしているし、ミレーヌを含めた侍女などの女性は小さく「あらぁ」とか言って生暖かい目で見てくる。
なんかいたたまれない気持ちになる。
イリアが本気で抵抗すれば止めてくれる…とは思うものの、今日はイリアはそれをしなかった。
「何か…あった?」
イリアが小さく尋ねるとエリオットは一瞬目を見開き、そして力なく笑いながらため息とともにイリアの耳にそっと情報を伝えた。
「ダンシュ伯爵が亡くなった」
「…え?」
ダンシュ伯爵と言えばデートの際に具合が悪くなり倒れていた老紳士だ。
突然の訃報にイリアも声を詰まらせた。
「やっぱりご病気だったの?」
「あぁ。それがダンシュ男爵だけではないんだ。同じ症状の人間が相次いでいて、死者も出始めた。…流行病だと思う」
「原因は?薬はあるの?」
「肺の病気のようなんだけど、これまでには報告されていない病状でね、原因は分かってないし、もちろん対処法も分からないんだよ。症状はダンシュ伯爵と同じように呼吸困難で亡くなっているんだ。これまで報告されていない病状で、最初は息苦しいから始まるようなんだけど、次第に悪化して二週間ほどで意識不明。そのまま呼吸困難で死亡という感じなんだ。そんなわけで貴族の間では奇病の発生に戦々恐々といった状態で、出仕を控える人間まで出てくる始末。お陰で政務が滞ってる…」
「それで最近忙しそうだったのね」
「うん…だからカインに会いに行くのは嫌だっていう個人的な感情もあるけど、イリアが市街地に出て病気になるんじゃないかっていうのも心配かな」
「そう…」
イリアは何もできない。
ダンシュ伯爵の様子から見れば気功で治るものでもないようだった。
かと言ってエリオットの代わりに政務を行うこともできず、イリアは疲れた様子で目を閉じるエリオットの髪を優しくすいて慰めることしかできなかった。
(私も何か出来ないかしら…。そうだわ!)
その時イリアは決意した。
この事態、黙って見てはいられない。
イリアにできる範囲のことをしようと。
※ ※ ※
その後もエリオットは激務をこなしてはイリアの元を訪れてお茶を飲み休息を取る日々が続いている。
だが一つ変化があった。
「じゃあ今日の分の調査結果をください」
そう言ってイリアは政務官から報告書を受け取った。
イリアがしたこと。それは科学的知見から病気を探ることであった。
基本的には症状が出た場所の情報を集め整理する。外出を控えるように言ってきたエリオットやアイザック、国王や王妃を説得し、イリアも必要であれば外に出ることにしたのだ。
(フィールドワークで現場を見ることは必要だし、サンプリングから傾向を探ることはできるはず)
命がけ…とも言えるが、黙って人の死を見てはいられない。
正義感という高尚なものではないが、イリアには二十一世紀の知識と科学者の知見があるのだ。これを利用しない手はない。
イリアは政務官から受け取った調査資料をまとめていた。
ここまでで分かったことは次の点である。
最初に発症した人物はトリアス地方の貧しい村人だった。集団感染が起こったらしい。
その後はトリアス地方から少しずつ王都へと広がっている。しかし最初の発生時を除き、貧困層での発症率は極めて低かった。
不思議なことに富裕層の発症率が高い。
富裕層でも貴族に多いが、発症者が出た屋敷ではその家族を中心発症することが多い。しかしメイドなどの使用人の発症率は低い傾向にある。
そして乳児の症例はほとんどない。
これらの事例から病気を推測してみる。病気の感染は経口感染、空気感染、接触感染、飛沫感染が主だ。
(空気感染や接触感染だとすると患者の部屋に立ち入る人―――例えば、メイドや使用人も感染するわよね。でも看病してた人の発症例は少ない。となると、空気感染と接触感染の可能性は低いかもしれないわ)
次にイリアは飛沫感染を考えてみた。
(飛沫感染なら市中感染が発生するはずだわ。でも富裕層に多いことを考えると飛沫感染は限りなく低いわね)
となると残るは経口感染だ。
経口感染は汚染された食べ物を食べたことによって感染する。確かに空気感染と接触感染よりは可能性は高いかもしれない。
だがなぜ女性が多いのが分からない。
この病気は男女比では男性4に対して女性6。若干女性が多い。
つまりどれも決定打に欠けるのである。
「やっぱり医学は専門外よねぇ」
イリアが一つため息をついた時、扉がノックされてミレーヌが顔を覗かせた。
「馬車の準備ができたっすよ」
「ありがとう」
今日はトリステン家に行く予定だ。
イリアは手早く外出の準備をして、久しぶりの実家へと足を向けた。
トリステン家に着くやいやな、もろ手を挙げるようにして父レオナードが迎えてくれる。その脇で控えめに笑いながら堂々と母ライラが立って迎えてくれた。
「帰ってきてくれて嬉しいよ、イリア!お茶にするかい?お前の好きなあの下町のケーキ屋からケーキを用意したんだよ。あ、夕飯はどうするんだい?もちろん食べるよね」
「レオナード、イリアは帰ってきたわけじゃない。また城に戻るんだぞ」
「…分かってるよ。現実を突きつけないでくれ。家族団欒の時間を少しも取らせてくれない心の狭い王太子がようやく解放してくれたんだよ。少しくらいゆっくりして欲しいじゃないか」
「気持ちは分かるが…それよりイリアは私達に聞きたいことがあって戻ってきたと聞いたが…」
ライラが早速に本題に切り込んでくれたのでイリアはこれまでまとめたことを両親に告げた。
「…というのが私の推論なのですが、父様や母様の気功の観点から何か分からないかご意見が欲しくて」
「なるほどな…。今回の感染については私達も打開策がないかを探って入るのだが…。ただ、お前の観点に足りなくて、私が言えるのは魔法という可能性だ」
「魔法…」
確かにイリアは前世の記憶があるせいでその観点が抜けていた。
自分自身が魔法を使えるのに、その可能性は考えていなかった。
「ですが魔法を使える人間など…そんなに多くはないはずです」
「そうだな。だが、患者を診たところ魔力によって内側から気が乱されている。だがその方法が何なのかが分からない」
ライラの言葉に加えてレオナードも意見を述べる。
「魔法で人を殺めるときには攻撃魔法のようにある範囲にいるターゲットを一斉に攻撃するというものなんだよ。人をじわじわと殺す…しかもそれを不特定多数に行うという方法が思いつかないんだ」
「そうなのですね」
「ただ治癒魔法の逆を考えればそれも可能かもしれないとは考えているんだ。魔法を使える人間が多くない以上魔法に関する本も多くは存在しない。だからそんな魔法があるかは分からないし、もし治癒魔法の逆だと考えてもやはりこれだけの不特定多数の人間にそれを行えるとは思えないんだよ」
「もし逆治癒魔法だとすれば、その相手に接触しているということでしょうか?」
「あり得るけどそれを調べるのは不可能に近いんじゃないかな」
レオナードの意見はもっともだった。
数件程度ならば可能かもしれないが、今回の発症者の屋敷を一つ一つ訪れて、いつ誰と接触したかを全部洗いだすことは不可能だ。
「魔法ということでディボにも相談はしていて、調べてくれている。が、あまり芳しい状況ではない」
「分かりました。情報ありがとうございます。…あと、カインはどうしてますか?」
今日屋敷を訪れたもう一つの目的はカインに会うことだった。
ザクレに戻るとは書いてあったがいつ戻るなどの話ができてない。
エリオットに連行されるように城に行ってしまってからゆっくり話もできておらず、カインに早く会いたくもあった。
「カインはいい子だなぁ…」
「本当に。あいつの作る料理は絶品だよ」
「はぁ…カインもこの家を出て行ってしまうのは…寂しいね」
「家族が一人いなくなる感覚だな」
そう言って両親は大きくため息をついた。
どうやらカインはトリステン家に受け入れられているようだ。むしろ気に入られているようで「あんな王太子なんかより絶対いい」とライラは言い、「どっちにも嫁にやりたくないけどカインの方がマシ」とレオナードは言った。
その根底にはカインのプロ顔負けの料理の数々に胃袋を掴まれたことが起因しているようだ。
嫌われているよりも気に入られているほうが嬉しいし、何よりカインはイリアにとって大切な家族の一人だ。
その家族が褒められるのは素直に嬉しい。
そんなホクホクした気持ちでイリアはカインの部屋に向かった。
「カインいる?」
トリステン家の一室を尋ねる。
中から返事がして、イリアが入室するとグリーンを基調とした部屋にある樫の木のテーブルの傍らにカインが立っていた。
パラりと紙を机に置いたのでカインが誰からの手紙を読んでいたことが察せられた。
「おう、イリア!久しぶりだな。元気そうで安心したぜ」
「カイン!会いたかった!!屋敷での生活はどう?何か不自由してない?大丈夫?」
「いやー、イリアの父さんも母さんもいい人だしさ。お前の弟のシーラもたまに顔出してくれんだけど、めっちゃいい子だな!」
「そう、よかった。なら安心した!それで…やっぱりカイン、帰っちゃうの?」
「うーん、これ以上王都にいる意味もないしよー。それに…ちょっと仕事の依頼が来てるんだわ」
「仕事?」
「うん、手紙が来てさ。まぁ就職のお誘い?ってやつかな。ずっと断ってたんだけど、そろそろ俺もちゃんとしたほうがいいかなってさ」
「ザクレの騎士団とか?」
カインの剣術の腕前は相当なものである。どこかの騎士団がカインを勧誘してもおかしくはない。
だがカインの回答は意外なものだった。
「いや、ランディック国からなんだ」
「ランディック国!?」
ランディック国はガイザール国の隣国である。
国内ならいざ知らず、隣国に行ってしまえばカインに会うことは不可能に近い。
突然のことに驚くと同時に、イリアは少なからずショックを受けた。
これまで十二年間、共に過ごしてきた家族を失う喪失感と、離れてしまう寂寥感に襲われ、イリアは直ぐには声を出せなかった。
「んな、顔すんなよ。死ぬわけじゃねーし。まぁ…お前が王太子妃になったらそうそう会えなくはなるけど…それはこの国に居ても同じだろ?ま、手紙くらいやり取りさせてくれよな!」
明るく言うカインの顔をイリアはまともに見ることができない。
思わずうつむいてしまった。顔を見たら王都に引き留めてしまいそうになる。
しかし、カインにはカインの人生があるのだ。
イリアのわがままで王都で暮らしてほしいなどとは言えない。
足元のモスグリーンの絨毯に描かれている蔦模様を足でなぞりつつ、イリアは自分の気持ちを整理しようとした。
そして小さく呟いた。
「寂しい…」
そのイリアにカインはポンと優しく叩いてくれた。
「大丈夫だ。もし、お前に何かあったら、俺が助けに来る」
「うん…ありがとう。カインが大変な時は…私が絶対に助けるから…」
「ははは。期待している。まぁ、とはいっても隣国までの旅になるからさ、それなりの準備とかもあるし、あと1か月くらいはいるつもりだから。また来いよ!って、お前の家だよな」
カインの明るさにはいつも励まされている。
イリアはぎこちなくもなんとかカインの顔を見て笑った。
その時、慌ただしく部屋をノックする音がして、イリア達はドアに顔を向けた。
「イリア様、至急城に戻って欲しいっす!」
「何かあったの?」
息を切らして駆け込んできたミレーヌを見て、イリアもただ事ではないことが察せられた。
「聖女が…現れたっす」
ミレーヌの言葉を咀嚼するのに時間がかかった。
(せいじょ…セイジョ…聖女!?)
聖女…それはエリオットルートにおけるヒロインのポジション。つまりヒロインがエリオットルートを選択したことになる。
だからその言葉を聞いてイリアの脳内に「断罪」の文字が浮かんだ。
(どういうこと?何故このタイミング?これからどうなるの?)
不安が頭をよぎる。
「と、ともかく城に戻るわ!」
イリアは青ざめた顔をしたまま馬車に乗って急いで王宮へと戻った。
何とか平静を保ってはいるが脳内は混乱している。
そして王宮の貴賓室で待っていたのはストレートのプラチナブロンドの髪に煌めくアメジストの瞳の少女。
乙女ゲーム「フロイライン」の登場人物でヒロインであるアリシアがそこに居たのだった。
イチャイチャからの急展開です!
第4章も中盤戦。これから一気に話が進みますのでお付き合いくださいませ!




