いざ、婚約式へ
アイザックとカインがイリアの王宮での部屋に辿りついたのは、翌日の夕方のことだった。
ほぼ徹夜で馬を飛ばしてきたアイザックとカインは憔悴している状態だったが事情を聞いて絶句し、憔悴の色をさらに濃くしていた。
王宮に留まるように言ってくるエリオットであったが婚約前に王宮に未婚の女性を住まわせるような真似はできないというアイザックの援護もあって、イリアは無事に王宮から実家のトリステン家へと帰ることができた。
お陰でエリオットの過度なスキンシップからイリアは逃れることができて安堵した。
ただ、今思い出してもミイラのような土気色の顔のアイザックは哀れに思えてならない。
とはいうものの、イリアとて他人事ではなかったからだ。
それからは怒涛の一週間だった。
マナーなどについては貴婦人オブ貴婦人と称される母ライラにチェックしてもらったが、問題ないと太鼓判を押してもらった。
というのもイリアもカインも夜会には慣れている。
ディボに叩き込まれたマナースキルを活かし、アイ・アンド・ティー商会関連で地方貴族の夜会に顔を出していたからだ。
商会はイリアの会社であるが、社長が年若い女であることは男尊女卑の傾向がある貴族との商売ではネックとなるためそれを極秘にしていた。
そこでカインが社長の息子で「父の名代」ということで偽名を使った上に、イリアを同伴して夜会に出席し、商談をまとめるというのがイリアのやり方であった。
(それが…こんなところで役立つとは…)
それよりも王都の貴族については疎いため、必要な知識を叩き込む方が大変であった。
その他ドレスの準備やら何やらで、毎日ヘロヘロになり、死んだように眠る生活だった。
そしていよいよ明日、婚約発表および婚約式を迎えるに至っている。
「いいですか、明日の段取りですが…」
トリステンの屋敷に来たアイザックが説明を始める。
婚約者については内定しているもののそれは公にせず、今度の夜会は婚約者探しということで貴族が集められ、当日発表するという段になっていた。
「もう明日なのね…」
いろんな意味でため息をついたイリアにカインが心配そうな顔で、だが念を押す形で尋ねてくる。
「なぁ、イリア。やっぱり逃げるか?お前が望むなら連れて逃げるけど、どうする?」
「…逃げたいけど、もう逃げれない気がする」
「だよなぁ…」
実は三度ほど逃亡を試みたことがあったのだが、どうしてか見つかって逃げられなかったのだ。
エリオットがどこにいてもイリアを見つけられるというのは本当のことなのかもしれない。
そして逃亡して捕まる度、お仕置きと称されるスキンシップは過度になっていく…
最終的には
『ねぇイリア…そろそろいい加減にしてもらわないと、一生部屋に閉じ込めて、僕のことしか見なくしてもいいかな?』
(ひいいいい笑顔が…笑顔が怖い…)
ということでイリアは大人しく婚約式の準備を行うことになったのだった。
「明日なら…ワンチャンある?ほら、明日ならエリオット殿下も忙しいでしょうし…」
イリアとて婚約式が明日に迫っているのに当日行かないなどという非情な真似はしない。
エリオットがあまりにも可哀想だ。
だが婚約してしまえば断罪の可能性が高まってしまう。
何とかならないものかとイリアは考えたが妙案は浮かばなかった。
「イリア様…もう観念した方がいいかと思いますよ。イリア様のことは私が殿下にお仕えする以前からお伺いしているので。それはもう執念のようなものを感じますね」
「それっていくつのことですか?」
「そうですね…かれこれ十年になりますでしょうか?」
「うわー執念って感じだな」
カインが若干引き気味にそう言うと、アイザックは半分憐みの目でイリアを見ながら言った。
「初恋を拗らせてますからね…」
そうしてエリオットに振り回されることになった三人は同時にため息を漏らしつつ、その日は解散となった。
翌日、夜。
イリアは断頭台に上る思いで城を訪れていた。
隣にはイリアをエスコートするために正装しているカインが立っている。
イリアのプリンセスラインのドレスはエリオットの目を同じスカイブルーで、徐々に淡いライトグリーンになるようなグラデーションである。
首元はオフショルダーで胸元には小花がいくつも折り重なるようにしてあしらわれており、その飾りに透け感のあるレースが施されていた。
輝くシャンデリアの元で宮廷楽団の優雅な演奏が響いており、婚約者の発表とあって年若い女性が数多く歓談していた。
イリアとカインは二人で顔を合わせ、気合を入れると会場に足を踏み入れる。
するとざわりと会場がひと際大きなざわめきが起こったので、イリアは思わず息を呑んでしまった。
(な…なに…?私達そんなに変?)
気づけば視線がカインに集まっているような気がする。
女性たちの熱い視線と共に「かっこいい」「あの方誰かしら?」「素敵だわ」などと声が聞こえたので、カインが会場の女性達を虜にしていることを察した。
「カイン…注目されているわ。みんなあなたがかっこいいって言ってるわ」
「はぁ?どこをどう見たらそうなるんだよ。お前が注目されてんだろ?ほら、あの男なんてお前をぼーっと見ているぜ」
「え?そんな人いる?きっと珍獣か何かと思ってるのよ。王都の社交界に出てないし…」
見慣れない男女がいるせいか一斉に注目が集まった気もしたが、間もなくそれもなくなりイリア達はそそくさと壁際に陣取った。
そして用意されている飲食スペースで舌鼓を打つことにした。
やがて王太子の来場を告げるラッパがなると、会場は静寂に包まれ、皆一同に礼をする。
礼をした衣擦れの音が会場に響くと、それを見ながらエリオットが悠然と入場してきた。
(うーん、さすが乙女ゲー攻略キャラだわ。キラキラしてる…)
そこには今まで接してきたリオとは違うエリオットの姿があった。
白色の布地に金の刺繍が施され、中のベストは淡い水色に同じく金の刺繍が施してある。
珍しく、耳にピアスがなされているが、イリアの瞳と同じ若草色のものであることに気づいたのは多分カインとイリアぐらいかもしれない。
(あ…)
それを認めると、イリアの視線に気づいたようにエリオットがこちらを向き、小さくウィンクをしていた。
「今日は私の婚約者との出会いの場。だが、折角だから楽しんで行って欲しい。日頃の慰労も兼ねている。男性陣も大いに楽しんでほしい」
そう言って一つ乾杯すると、ほどなくして楽団の演奏が始まった。
ここでエリオットがやってくる予定であったが、演奏が奏でられると同時に、ここぞとばかりに女性がエリオットへ近づき礼をし、ダンスの誘いを促している声が聞こえた。
「殿下。今宵はお招きありがとうございます」
そこにいたのは銀糸のような真っすぐなサラサラの髪に、水色のカラードレスを身にまとった女性だった。
切れ長の目は少し吊り上がっているものの、チャーミングで、さらに肉感のある体が女性らしさを増している。
普通の男性なら妖艶さにころりと参ってしまうであろう女性であった。
「これは…フローレンス・ハーヴィル嬢」
「お久しぶりでございますわ、殿下。最近お忙しいとのことですが、お体は大丈夫でしょうか?私であればいつでも殿下を癒して差し上げたいと思っておりますので、どうぞお声がけくださいませ」
「お気遣いありがとう。気持ちだけいただくことにするよ」
「まぁ…遠慮なさらないでください。父も殿下を案じており、婚約者が決まれば心安らぎ、落ち着かれるのではと言っておりましたわ」
そのあとも何度か話しているようだ。
そんな様子を見ていたカインが呆れた声を上げる。
「なんかあいつ来ないな。あんな女、無視してくればいいのによ」
「そうはいかないと思うわ。ハーヴェルと言えば腐っても侯爵家だし…」
「ふーん、貴族って色々あるんだな。それより一曲踊るか?いきなりリオと本番踊るって心配じゃねーか?」
「確かに…最終確認はしたいところよね」
「じゃ、ほら行くぞ」
カインの促しでイリアはその手をとってホールへと行こうとした時だった。
ざわめきと共にそれまでイリアの周りにいた人物たちが小波が引くように離れていく。
何が起こったのかと思ってそちらを見れば、にこやかな笑みを浮かべたエリオットがやって来ていた。
目が笑っていないのに気づいたのは、やはりイリアとカインだけで、そんなエリオットを見たカインは小さくため息をついてイリアの元からすっと離れた。
「姫君、踊っていただけますか?」
「え…ええ」
エリオットがイリアを強引に引き寄せ、ホールへと連れ出すと、すぐさまワルツが流れる。
緩やかで柔らかな音色に合わせて体を揺らす。
「ごめん。すぐに行けなくて」
「全然平気よ。カインとご飯食べてたし。あ、さっき食べたんだけど、カルパッチョのソースが凄く美味しくて、カインがレシピ知りたいって言ってたわ」
「…それはいいけどさ。今はちゃんと僕を見てよ。ダンス踊りながらカルパッチョの話されるとは思わなかった」
見つめ合いながら王太子と名も知らぬ女性がダンスを踊っている光景に御令嬢方だけではなく出席した男性も不思議そうに、そして羨ましそうに見ていた。
まさかこの二人がカルパッチョの話をしているとは思わないだろうが。
とにかく王太子のファーストダンスが名も知られぬ令嬢であることもショッキングであったのに、さらに彼らが3曲続けて踊ったことに、どよめきが起こる。
それは婚約者がその御令嬢、すなわちイリアとなったことが明確に示されたからだ。
会場の貴族達が呆然としつつ、動揺に包まれているうちに三曲目も終わり、イリアは無事にダンスを踊り切れたことにほっと胸を撫で下ろした。
一つ礼をして、エリオットの手を離す。そして、会場のエリオットが求婚し、イリアが名乗れば婚約成立だ。
予定通りエリオットが名を告げる。
「私はエリオット・ガイザール。姫君、名を教えてくださいませんか?」
「私は…」
口を開き、イリアが名を名乗る前にそれは起こった。
エリオット…ストーカーなだけではなくヤンデレ風味入っています
そして例え練習でもカインとは躍らせたくないエリオットの独占欲…
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