魔石
やがて大きな白い扉が開くと、そこは応接間になっているようだ。
室内には趣味の悪い金の置物が置かれており、落ち着いて話ができるような空間ではなかったが、席を勧められたイリアとブランシェはとりあえずソファへと腰掛けた。
ミレーヌはあくまで騎士なので同席はせず後ろに控えるようだ。
イリアの後方へと進むミレーヌが、そのすれ違いざまに小さく囁いた。
「イリア様…気を付けてくださいっす。使用人全員プロっす」
何の、とは言われなくても分かった。
ミレーヌはチラリとメイドに向け、目配せをするとそのまま素知らぬ顔でソファの後ろに控えた。
メイドはそれに気づかないのか、淡々とお茶を淹れるとイリアとブランシェ、そしてドニエ男爵の前に置いた。
少しブランディ―でも入っているのか、樫の木のような独特の香りがする。
「砂糖はいかがかな?ブランシェは入れるのだったはずだね」
「はい…」
「イリア嬢は?」
「ストレートで結構です」
「分かった」
ドニエ男爵は自分のティーカップに砂糖を一匙入れた後、シュガーポットをブランシェへとよこした。
「ケーキはいかがかな?シェフが腕によりをかけて作ったものだよ…あぁ、紅茶に合う」
ドニエ男爵はつやつやのイチゴがのったタルトを頬張り、紅茶を美味しそうに飲み始める。
「さぁ、遠慮せずに」
「…いただきます」
「ではお言葉に甘えて」
ドニエ男爵の勧めでイリアとブランシェは紅茶を飲んだ。
アッサムに似た芳醇な香りの甘みのする紅茶は飲みやすく、少し乾いていたイリアの喉を潤した。
そしてイリアは一つ息をつくと、真っすぐにドリエ男爵を見て話を切り出した。
「それで?人質まで取られて、男爵は本当にお茶をお誘いくださったわけではないでしょう?」
「まぁ、ここまで来てもらったのは取引をしたいと思ってね」
「取引?」
「あぁ、ブランシェの借金をチャラにしてあげよう」
ドニエ男爵はちょんもりとして髭を一つ摘まんで撫でると、にこやかに言った。
だがそんなうまい話はあるわけはない。
「もちろん善意からそんなこと仰っているわけではないですよね」
「ははは、話が早いね。だから取引だよ。私は君が欲しい」
「え?」
「君は魔法を使えるのだろう?先ほど見て分かったよ」
イリアは沈黙した。
肯定としても否定としても、相手の真意を読み取れないまま回答できなかったからだ。
ただ、男爵を見据え、次の言葉を待つ。
「その魔法の力…つまり魔力をいただきたい」
「どういう意味ですか?」
「私はある実験をしていてね。少しばかり君にその実験に協力いただきたいのだよ」
「実験?具体的には何を?」
「単に石に魔力を込めてもらうだけだよ」
魔石を作るということだろうか?
確かに魔法を使える絶対人数は少ないこの世界で、魔石となれば金をも上回る価値が出る代物ではある。
理論的には魔力を石に込めればいいとは思えるが、そうは簡単にはいかないはずだ。
「石に魔力と言われても…普通に石に魔力を込めれば石自体が砕けますわ」
「そこは実験の成果を見せようじゃないか。来たまえ」
そういって連れてこられたのは敷地の脇にそびえたつ石造りの塔だった。
その中の薄暗い廊下を歩き、招かれた部屋にイリアは目を見張った。
「鉱物?アメジストに…オパール…ペリドット…」
ショーケースに置かれた数々の鉱物は、あるものは結晶のまま、あるものは磨かれて宝石の体となったものなどランプの明かりに照らされて美しく輝いていた。
地学大好き、鉱物大好きのイリアは思わず吸い寄せられるようにそれに見入った。
「綺麗だろう?私の自慢のコレクションだ」
そのうちの一つに目が止まった。それは白い結晶だった。
だが、不思議と違和感がある。
天然のそれとは違う何か独特の雰囲気。
イリアが感じ取る〝気〟が自然界のものではなく、人工的な感覚がするのだ。
「さすがは魔力持ちだね。これは普通の鉱物とはわけが違う」
ドニエ男爵が後ろに控えていた黒服の男を呼んだ。
頬に生傷があるところを見ると、もしかしたら昨日リオ達に追い返された男の一人かもしれない。
「そいつを連れていけ」
「えっ?」
「お前は失敗しただろう?もう不要だ」
「い、嫌だ…うあー」
仰反り逃げようとする男を、他の男が押さえる。
そして、部屋の奥にある大きな魔法陣のようなものの中に男を投げ込んだ。
次の瞬間だった。
眩い光が発せられ、イリアが思わず顔を背けて目を閉じると、小さな呻めき声がした。
そして徐々に光がなくなったのを感じ、目を開けたイリアに飛び込んできたのは衝撃的な光景だった。
そこには五十歳も歳をとったように白髪になり、干からびるようにして倒れている男の姿があった。
「なに?…これ…」
「やっぱりこれしかできんか。役立たずが」
干乾びた男は小さく身じろぎしたのでかろうじて生きてはいるようだが、ドニエ男爵はその男には興味がないようで、男の隣に落ちていた白い結晶を拾い上げた。
「それは…」
「さっきの結晶だよ。動物や植物、いろいろ試したがどれも小さな結晶しかできん。人間でもこの程度だ。だから魔力のある人間ならどうなるか実験したいのだよ」
その言葉が意味するのは二つ。
一つは先ほどの結晶は生き物の生気によって生成されるものだということ。
そしてもう一つはイリアの生気を吸わせろということ。
その場合、あの男のように急激に老い、場合によっては死ぬということだ。
「はい、そうですかと頷くと思ってますか?」
「まぁ、そうなるだろうね。お金程度で君の魔力を差し出せというのでは断るのは目に見えているね。だから…これならどうだい?」
小さな悲鳴、がくりと言う音。そして見れば青ざめて倒れたブランシェがそこにいた。
ひゅーひゅーと息を切らせ、呼吸がままならないでいる。
「ブランシェ!!大丈夫?!ブランシェ!!」
「ふむ…まだ効き目が早く出すぎるな。あの方に報告せねばな」
「…何をしたの?」
「砂糖に先ほどの結晶を混ぜたのだよ。これは特殊な毒でね、まだ実験段階だから解毒剤はこれ一本なのだよ」
そう言いながらドニエ男爵は一つのガラス瓶を取り出した。
「砂糖…でもあれは…」
確かに男爵も砂糖を入れていた。
(なんで?男爵は平気なのにブランシェだけが?…そうか…男爵が最初に砂糖を取ったからだわ)
シュガーポットのスプーンは深く刺さっていた。
その上に毒の砂糖をふりかけ、一番最初に砂糖を引き抜けば、自分の砂糖は安全で、残りの砂糖には毒入り砂糖が混入してしまう。
そんなトリックを何かのサスペンス番組で見た気がする。
(外見ハンプティダンプティのくせに、なんて頭が回るの!)
イリアは倒れたブランシェの傍で膝をつきながら、ドニエ男爵を睨みつけた。
それすらも愉快そうに男爵はまた髭を撫でると勝ち誇ったように言い放った。
「まぁ、一日猶予をやろう。お前の命を取るか、ブランシェの命をとるか、良く考えるといい」
イリアは為す術もなく、あてがわれた部屋へ押し込められることになったのだった。
ドニエ男爵のコレクション…
イメージはつくばにある地質標本館とかシドニーの博物館(たぶんオーストラリア博物館←うろ覚え)です。めちゃくちゃ展示数あって圧巻なので興味がある人是非行って欲しいです
さて、イリアはどうやってこの窮地を脱するのか。お楽しみに!