ハンプティダンプティとの遭遇
翌日は、昨日の大雨が嘘のように快晴だった。
他の都市とは違い、トロンテルは田舎の村らしく商店街が立ち並ぶ大通りでも舗装はされていない。
そのため少しぬかるんだ大通りの道を、水たまりを避けつつイリア達は歩いた。
イリアはブランシェとミレーヌと共にトロンテルの中心の市街地へと向かっていた。
色々と入用になったために買い出しに来たのだ。
現在イリア達はブランシェの家の手伝いをしている。
カインは屋敷の修復を行い、リオは馬車の修理を依頼しに行くのと共に、屋敷修復に必要な木材等の手配をしに行った。
アイザックは案の定肉体労働は無理だということで、ブランシェの父親と話しながら領地経営についてのアドバイスや見直しを行うことになった。
そしてイリアはというと、市街地に食材の手配と今後の旅支度のための買い物に向かっていると言うわけだ。
「ご迷惑をおかけして…すみません」
「いえいえ。一宿一飯の礼はしなくてはなりません!お力になれるのなら何でもしますよ!」
「そんな…朝からあんなに豪華な食事を食べさせていただいただけでも十分すぎるくらいです。…久しぶりにあんなにおいしいご飯を食べました」
朝ごはんもカインの手料理が振舞われた。
余った野菜などを煮込んだミネストローネにふっくらパン。
スクランブルエッグとヨーグルト、野イチゴのゼリーまで作ってしまったのだからすごい。
「固くなったパンでも霧吹きで水をかけてから焼くとあんなに柔らかくなるんですね」
「生活の知恵ですよね」
「ええ!本当にカイン様は素晴らしいですわ!他にも色々アレンジレシピを教えてくださったり、あとお部屋の掃除の手際の良さったらないですわ。ああいうのをなんていうのかしら…ご家庭のお母さまって言うのかしら」
「あぁ…まぁ…そうですね」
カインが「誰がお母さんだ!」と突っ込みそうなのを感じつつも、イリアは笑いながら同意してしまった。
「それにしても良かったのでしょうか?皆様に色々とお手伝いをさせてしまい…」
「そんな!一宿一飯の礼はしなくてはなりません!」
「イリア様もカイン様も、身分を隠されての旅、大変ですね」
「え?…身分、ですか?」
「えぇ、その立ち振る舞いやマナーは貴族の教育をされていらっしゃる方のそれですわ。それにリオ様もアイザック様も、皆様とても洗練されていて、すぐに名のある貴族の方だと分かりましたわ」
「いえいえ、私はしがない町娘です」
「まぁ、隠されてなくてもいいのですのに」
「育ての親が厳しかっただけですよ」
確かにイリア自身は貴族の出身だ。
それも昔のことだと思って気にしていなかったが、貴族のマナーに見えるのだろか。
それは確かにディボの教育のせいでもある。
三つ子の魂百までとはよく言ったもので、イリアも五歳までは貴族のマナーを一通り叩き込まれていた。
だが、それ以上にディボの元でもしごかれた。
ディボ自体は適当を絵に描いた人物であり、かつ部屋の掃除もできなければ食事もまともに取らないダメダメ人間ではあるが、カインとイリアのマナーや所作に対する教育に対しては厳しかった。
曰く
『カインもイリアも、ご両親から預かっている大事なお子さんだからね』
とのこと。
ディボはできてないじゃん!と言えば『僕はもう人の世界に関わるつもりないからいーの』と言われてしまった。
「私とカインは平民です。リオとアイザックは貴族ですけどね」
「ではイリア様なら直ぐにでも貴族の方と嫁がれても大丈夫ですわね」
「え?結婚するつもりはないですけど…」
「あら?リオ様と恋人同士ではありませんの?」
可愛らしく首をこてんと傾けて、ブランシェが無邪気に聞いてくる。
「いえ、そういった関係ではないのですが」
「リオ様はイリア様をお慕いしているようですのに。それにイリア様もリオ様のことお嫌いそうに見えませんわ」
「まぁ…嫌いではないですけど…」
リオを好きだがまだ友人としてだ。
数日一緒にいるので距離も近くはなったとは思うし、リオに好意は持っている。
が、それが恋愛感情だと聞かれればNOだ。
「じゃあ、リオ様の片思いでらっしゃるのですね。でも、友情が恋愛に変わることもありますから!」
(この目知ってる…前世の友達の目だ…)
ブランシェの目は恋愛を夢見る乙女の目だ。
これは前世で「フロイライン」を勧めてきた友人の目と全く同じである。
自分でも枯れているとは思うが、正直まだ恋愛には興味はない。
「まだ恋愛って分からないですから…」
「あらあら、命短し恋せよ乙女ですわ。リオ様がダメならカイン様とはどうなんですの?」
完全に恋バナモードに入ったブランシェに対し、どう返答すればいいか悩み始めた時、ブランシェを呼ぶ声がした。
「おぉ愛しのブランシェ。丁度貴女の家へ行こうと思っていたところでしたよ」
「ドニエ…男爵」
ブランシェが前方から来た後期高齢者に部類するであろう男性を見て、表情を強張らせながら小さく呟いた。
(これが…ブランシェの言っていたドニエ男爵…)
派手な黄色に近い金の髪を七三に分け、絵にかいたようなちょんもりした口髭が鼻の下についている。
背は小さく、少しずんぐりむっくりしていて、肩からズボンを吊るすサスペンダーがはち切れそうだ。
クルリと巻いたちょび髭を撫でながらドニエ男爵は一歩ずつイリア達に近づいてきた。
その時、イリアはドニエ男爵をまじまじ見て、妙な既視感を覚えた。
なんだったか…としばし思考を巡らせて思いついた。
「あ、ハンプティダンプティだわ…!」
イリアが思わずそう口にすると、ドニエ男爵は初めてイリアに気づいたようにこちらを見てきた。
「ハンプティ?」
「あ、いいえ。なんでもございません」
「なにか侮辱された気もするが…」
「あはは…」
一瞬眉を吊り上げた男爵に対し、乾いた笑いしか出来なかったイリアではあったが、ドニエ男爵は特に気に留めることもなく、再びブランシェを見た。
「ここで会ったのも運命だね。私の屋敷でお茶でもしようではないか」
「…今は、この方達と買い物をしなくてはならないので失礼します」
「そのような連れないことを言わないでおくれ、愛しいブランシェ」
わざとらしく両手を広げて抱きしめようとするようにドニエ男爵が近づいてくるのを見て、イリアは声を上げた。
「ドニエ男爵。申し訳ありませんがブランシェ様とお約束させていただいております。今日はお引き取りくださいませんか?」
「君は、誰かな?村の人間ではないようだが」
「ブランシェ様の屋敷にお世話になっている旅の者です」
「ふん…旅の人間かね。ブランシェは私の婚約者だよ。君のようなものより私が優先されるべきだろう?なぁブランシェ。貴女には優先順位が分かっているだろう?」
(誰がブランシェの婚約者よ。金にものを言わせて無理やり手に入れようとする卑怯な男のくせに)
ブランシェの話を聞くと金利はトイチであった。
足元を見た法外な利子である。
「さぁ、ブランシェ行こうか」
「あら、婚約者ならばもっと寛大な心を持たなくては。たかだかお茶のために客人を蔑ろにするなど…紳士の振舞いとしていかがかしら?ブランシェ様が断っているのですから、無理強いをなさるなんて肝っ玉の小さい男と受け取られても仕方ありませんわ」
イリアの言葉にドニエ男爵の顔色がさっと赤くなった。
苛立たし気に舌打ちをすると、目を吊り上げてブランシェに迫る。
「ブランシェ。分かっているだろうな」
ドニエ男爵が怒気を含んだ声でそう言うと、ブランシェの腕を引っ張って連れて行こうとする。
それに対し、引き摺られるような形でも嫌がるブランシェは何とか抵抗しようと足を踏ん張っていた。
「嫌!…止めてください」
「いいから来るんだ」
「その手を放して下さい」
イリアはブランシェを引っ張るドニエ男爵の腕を引き離そうとするが、逆にドニエ男爵に突き飛ばされてよろめいた。
そこでイリアの低い怒りの沸点がふつふつと沸き上がると、ドニエ男爵の腕をがちりと掴みイリア自身の手に小さな竜巻の魔法をかけ、思い切り振り上げた。
「てえい!」
「!?」
ドニエ男爵は目を丸くしたまま回転して飛んでいく。
それをドニエ男爵の後ろに控えていた五人ほどの黒スーツの男達がキャッチした。
「なんだ今のは!?…もしかして…」
動揺の声を上げたドニエ男爵をポンと横に置いて、一人の黒スーツの男達が襲い掛かってきた。
「貴様ぁ!!」
「やぁっ!」
「うぅ…!!」
殴ろうとした男の拳がイリアに届く前に華麗に受け流す。
そして手に触れることなくイリアは風の魔法を使って吹き飛ばした。
「この女!大人しくしてりゃあいい気になりやがって!」
「女だけだ、人数はこっちが上だ!やっちまえ!!」
「おう!!」
一人では歯が立たないと思ったスーツの男達は一斉にイリアへと攻撃を出してくる。
右からきた男を風圧でなぎ倒し、あるいは張り倒すと、左から短剣を持って襲い掛かる男にはミレーヌが直ぐに間合いに入りその剣で峰打ちをして倒していた。
「あたしもいるっすよ!」
「ありがとうミレーヌ」
「どういたしましてっす!」
イリアがブランシェを庇うように後ろにやった。
そしてドニエ男爵達の前にイリアとミレーヌが立ちはだかる。
「女だからと言って舐められては困ります」
イリアの言葉に気圧された男達は打ちのめされて土だらけになったスーツのままぐぬぬと睨むだけでそれ以上は動けずにいた。
「さて、このまま大人しくお帰りになりますか?」
「くぅ…うぬぬぬ…」
ドニエ男爵も低く唸ってこちらを睨んでいた。
その時、スーツの男の一人が慌てて立ち上がるとドニエ男爵に耳打ちをした。
「ボス…こいつ、昨日言ってたやつらの仲間です」
「なるほど…」
するとドニエ男爵は突然両手の土汚れをポンポンと払い、ズボンに着いた泥をハンカチでそっと払ってサスペンダーを一つパチリと鳴らした。
居住まいを直したドニエ男爵はこほんと小さく咳払いをすると、今までの苛立ちが嘘のようににこやかに笑った。
「いやぁ…どうやら君達と私の方で思い違いがあったようだね」
「どういうことですか?」
「いやね。君たちはブランシェを借金のカタに取ろうなどと思っているのではないかね」
「…違うのでしょうか?」
「そうなのだよ。ブランシェも勘違いしているようでね…私も何とかその誤解を解きたいと思っているのだよ。だから、一緒にお茶でもと思ったわけだ。良ければ客人もいらっしゃるといい」
怪しさ満載のドニエ男爵の言葉に思わず睨んでしまう。
「まぁ、でも私としてもビジネスで金を貸している。これはどうしても払って貰わねばならないのだよ」
「トイチで貸すような人間が…真っ当なビジネスとは言えないのでは?」
「困っている人間に金を貸し、利子を貰うのは当然だと思うが。ただ…確かに金利が高すぎたのかもしれない。だからブランシェに対する真摯な私の気持ちを知ってもらう意味でも、お茶に一杯付き合うだけで利子を減らす…などはどうかな」
お茶一杯で利子が減るなど破格の申し出としか思えない。
だが、これに食いついてもいいのだろうか。
チラリとブランシェを見れば、やはり思案顔だ。
「では…私一人で伺います」
「ブランシェ…嬉しいよ。でも、私はお客人にも是非来てほしい」
「イリア様は関係ありません。イリア様には旅支度もありますので私一人で伺います」
「はぁ…せっかく譲歩したのに…残念だよブランシェ」
男爵の言葉と共にミレーヌが動く。
しかしその動きがピタリと止まる。イリアも息を呑んだ。
イリアもミレーヌも反撃できない事情が発生したからだ。
「この女がどうなってもいいのか?」
(まだ仲間がいたの!?)
そこにはスーツの男とは違う服装の男に拘束され、首にナイフを突きつけられたブランシェの姿があった。
ドニエ男爵自身に気を引き付けて、仲間を背後に回らせたようだ。
迂闊さに思わず唇を噛んだ。同時にミレーヌも悔しそうに顔を歪ませている。
男の服装は黒ずくめに同じく黒いバンダナと黒いマスクをして顔を覆っていた。多分暗殺者や盗賊の類だろう。
気配を消されていたため、ミレーヌでさえもすぐには反応出来なかったのだ。
「ブランシェを…人質にするつもり?」
「人聞きが悪いね。丁重にお茶にお招きしているだけだよ。それにブランシェは私の大切な女性なのでね、あまり乱暴なことはしたくない。大人しく私とお茶をしようではないか」
「…分かりました」
「ふむ。賢明な判断だね。さて、帰ろうか」
そうしてイリア達はドニエ男爵の屋敷へと向かうことになったのだった。
生活の知恵といえば、私は亀田製菓のぽたぽた焼きの袋の裏にある「おばあちゃんのちえ袋」を読むのが好きでした。
今はエコ技ということで再注目されているようです
さて、物語も3章完結に向けて加速していきます。
引き続きよろしくお願いいたします!