仏の事情
イリア達を助けてくれた女性はブランシェ・ド・トロンテル。トロンテル領主の娘であった。
本来ならば今いるトロンテルの先の街であるブランドールまで行く予定であったが、馬車が壊れてしまっては進みようがない。
そこでトロンテル村で馬車の修理を行うことになった。
イリアが馬車に乗ってすぐにぽつりぽつりと馬車の窓ガラスに水滴がつき始めた。
「イリア様の言う通りでしたね。雨が降り始めました」
アイザックが控えめながら驚嘆の声を上げた。
現在馬車にはイリアとブランシェ、そしてアイザックとミレーヌが同乗していた。
カインとリオは馬に乗って後方を付いて来ている。
イリアは探知の魔法をそっと使う。
「まだ本降りまでは時間がありますけど…雨が本降りになる前には宿に着きたいところです…」
「ならば早くしないとお連れ様が濡れてしまいますね」
そんなイリアの言葉を受けて、ブランシェは御者に急ぐように告げてくれた。それから馬車に揺れること二十分余り。
林を抜けるとそこには見渡すばかりの畑が広がっていた。だがその田畑の植物は黄色く変色しており、一見してそれは腐っていると分かった。
そしてトロンテル村はこれまで通ってきた街道沿いとは異なり、どこか寂れている雰囲気だった。
「この辺は野獣が多いのです。災難でしたね」
「まぁ被害は馬車だけだったので不幸中の幸いです」
「でも今日すぐに馬車を修理することは難しいと思いますわ。それにトロンテルには宿もないですし…。そうですわ、良ければ我が家にお越しくださいませ」
「いえ!そこまでは…。納屋とかでもいいので雨風が防げれば…」
「まぁ、そんなことはトロンテル領主として見過ごせませんわ。大したおもてなしもできないですし…それに本当に古い屋敷で、掃除も行き届いておりませんの。それでも良ければお立ち寄りくださいませ」
馬車の中で事情を大まかに話すとブランシェは自分の屋敷に招いてくれた。
申し訳ないと思いつつも、少しずつ雨が強くなってきており、後方を見るとカインとリオの服の色が変わり始めている。
彼らをそのままにしては風邪をひいてしまうかもしれない。
イリアは恐縮しながらもその申し出を受けることにした。
丁度ブランシェの屋敷に着くと同時に雨が本降りになってきた。滑り込みセーフで屋敷に駆けこむことができたと言える。
「ブランシェ様、ありがとうございます。本当、助かります」
「いいえ。旅の方に親切にするのは当然ですわ。さぁ、良ければタオルもお使いになって。あ、お着替えもした方がよろしいですわね。早速ですがお部屋にご案内しますわ」
「地獄に仏ですね…路頭に迷うとこでした…」
「仏?」
「あ、いいえ異国のことわざなんですけど…まぁ親切な方と出会えてよかった…的な?」
「まぁ、イリア様は博識なのですね」
「え?全然そんなことはないのですけど」
前世の知識とは言えず曖昧に笑った。
「イリア様達はこちらを、殿方たちは向かいの部屋をお使いください」
案内された部屋は確かにお世辞にも綺麗とは言えなかった。
長く窓を閉めていたと思われ、少し淀んだ空気である上に埃っぽく、ベッドや家具に被せていた布には分厚い埃が堆積している。
だが、イリアとしてはそんなのは全く気にならない。野宿をしてもおかしくない状況だったのだ。
文句どころか喜んで掃除もするし、お金を払ってもいいくらいだ。
「ごめんなさいね。空き部屋まで掃除の手が回らなくて…」
「いいえ、大丈夫です!!それに掃除道具まで、ありがとうございます!お借りします!」
「終わりましたらお声がけください。お茶の準備をしておりますね」
イリアは深くお辞儀をしてブランシェを見送った。
「じゃあ、俺たちもこっちの掃除すっから、お前達も終わったら声かけてくれよ」
「うん、分かったわ。じゃあカインも頑張ってね」
「おうよ!」
カイン達とも分かれイリアが部屋へ一歩踏み込めば、堆積していた埃がぼわっと舞った。
「さてと…やりますか。ミレーヌ、申し訳ないけど掃き掃除お願いしていいかしら。私は拭き掃除するわね」
「合点承知です!」
イリアは腕まくりをして、気合をいれて掃除を始めた。
乱雑に置かれた物を片付け、ベッドにかぶった埃を叩き、蜘蛛の巣が張っていた床の隅や天井の掃除をして、イリアとミレーヌは一通りの掃除を終えることができた。
気づけばだいぶ時間が経っている。そろそろ男性陣の部屋も掃除が終わっているだろうか?
「みんな、掃除は終わったかし…ら…?」
声をかける間もなく、中ではぎゃーぎゃーワイワイという声が聞こえる。
それは楽しそうな声ではなく、むしろカインの怒号が響いている状態だ。
「だから、なんでお前は大雑把なんだよ。部屋の角はきっちりこうやって拭く!あぁ…雑巾はもっと絞れよ!って丸く拭いてんじゃねーよ。隅に埃が残っているだろ?」
「隅くらいいいじゃないか」
「よくない!気持ち悪くないのかよ!ほら、やり直し!」
「…分かった」
カインがリオに掃除の指導をしている。
次にカインはアイザックに視線を移した。
「おい、アイザック!おまえはベッドの埃り払ったのかよ!って。まだやってねーのか!?」
「肉体労働は無理です。私は頭脳派なので」
「こんな掃除くらい肉体労働にはいらねーよ、って書類広げてんだよ」
「私には事務仕事がありますので」
「あーもーいい、俺がする!」
こうしてカインの指導の元、男性陣の部屋もつつがなく(?)掃除が終わるころには、リオもアイザックも少しげっそりとした表情となっていた。
「お紅茶が入りました。粗茶ですが、どうぞ」
「ありがとうございます」
人数分差し出された紅茶を一口飲む。
慌ただしい一日だったが、ようやく一息つくことができた。
ブランシェはそんなイリアを気遣いつつもイリアが住んでいたザクレの話を詳しく知りたがる。リオには王都でのことを聞いた。
だが話を聞きつつ、彼女はどこか遠い目をして、その奥には羨望が見え隠れしている。
イリアはもう一度紅茶を飲もうとソーサ―を持ち上げようと下を向いた。
その時、視界の隅にブランシェの手が目に入ったのが、その手は領主の娘とは思えないくらい荒れている。
そして違和感を感じた。
領主の屋敷とは言っても、王都にある貴族のタウンハウスより少し大きいくらいではある。
だが使用人は馬車の御者をしていた老人とここまで案内してくれた老婆一人だ。
ブランシェが恐縮している通り、廊下も壁も少しくすみ、荒れた印象を受けてしまっていた。
何故だろうか?
そんなことを思っていると廊下からバタバタと無遠慮な足音と、老婆の叫びが聞こえた。
「お、お待ちください!今お客様がいらっしゃって!」
「ベル、どうしたの?」
「お嬢様…」
ベルと呼ばれた老婆が誰かを押しとどめるようにドアに立ちふさがる。だがその後ろから三つの人影が現れた。
「おーおー優雅にお茶かぁ?」
入ってきたのは身長180cmはあるであろう大男だった。
黒スーツにサングラスをかけているが、明らかにカタギの人間ではない。
その男達を見たブランシェの顔が強張った。
「帰ってください!」
「あぁ?お前が大人しく金払ってくれるんなら帰ってやるよ!」
「もう少し…待ってください」
「ンなこと言って、返す当てでもあるのかよ!」
「それは…」
「じゃあ、やっぱりあんたがボスの女になるしかねーだろ。それとも何か?金の当てでもあんのかよ!」
怒鳴り散らし、男は近くに飾ってあった花瓶を掴んでいらだち紛れに床に叩きつけた。
それを合図に男達は室内を荒らし始める。
がしゃんという音が室内に響く。
その様子にイリアは目を見張っていた。何とかしなくては…。
(どういう状況?どうしたら治められる?)
イリアが考えを巡らせている間に、ベルが男の一人にしがみつく様に頼み始めた。
「おやめくださいませ!」
「うるせー!お前も売り飛ばしたろか?」
「あぁ…!」
「ベル!」
男がベルを突き飛ばし、それをブランシェが庇う。
「そこまでにしたまえ」
リオの静かな声が男を制した。
それは静かだが確かに怒気が含まれている。
「なんだてめー」
「縁あってここに滞在しているものだ」
「あ?お前には関係ねーだろ?」
「だが婦女子に手を挙げるのを黙ってみては騎士の名折れだ」
「てめー邪魔するな!」
それを合図とばかりに男達がリオに向かって手を挙げる。が、リオはそれを華麗によけた。
行き場を失った拳が宙に舞い、前のめりにバランスを失ったところで、カインがその腹を思い切り蹴った。
リオはもう一人の男を殴り飛ばし、床に這いつくばらせていた。
「くそ…お前たち何者だ!俺たちをこんな目に合わせてタダで済むと思うなよ!」
叩きのめされた男二人を起こし、殴られて赤黒くなったを押さえたまま捨て台詞を吐いて彼らは屋敷から消えていった。
「お恥ずかしいところをお見せしました…」
ブランシェは乱闘騒ぎで荒れた室内を見ながら、目を伏せてそう謝罪した。
「できたら…私達にお手伝いできることはあるでしょうか?」
「お助けいただいたのに…事情も話さないのも…失礼ですよね」
そう言ってブランシェは語り始めた。
「ここへ来る途中畑をご覧になったでしょ?…あれは全部根腐れを起こしているのです」
多分小麦畑だったのだろう。小麦は乾燥した地域で生育するものだ。
他の作物も葉が変色していたのを見ると、同様の症状でダメになっているのかもしれない。
「雨が多いのですか?」
「はい…元々ここは雨が多く、小麦は育ちにくい場所ではあるんです。ですがここ数年は特に雨が多く、毎年収穫量が少なくなってしまい。税を増やすという手もあるのですが、それでは領民が飢えてしまうと言って、父は税の取り立ては行っておりませんでした」
ブランシェは両手を合わせてそれをぎゅっと握る。
その姿は悲壮感が漂っていた。
「その時、ドニエ男爵がお金を融通してくれるというので、少し借金をしました。ですが後から契約書を見ればかなりの利子がついていて…。何とか家を立て直そうと奔走したのですが父が病で寝付いてしまいました。母も亡くなっており、私が現在領地の仕事をしているのですが…上手く運営することもままならず…」
「そこで借金のカタにドニエ男爵の妻になれ…ということですか?」
「はい。今月中に返さなければ…と。」
アイザックがその話を聞いて、思い出したように告げた。
「ドニエ男爵か…確かかなり高齢だと…。それは…あまりに酷い」
身売り同然と言うことなのだろう。
だがそれも諦めたようにブランシェは悲し気に微笑んだ。
「ですがもう仕方がないです。これ以上借金の返済も待ってもらえないですし、税を上げて領民を苦しめるわけにはいきませんから」
一つ目を閉じたブランシェは、顔を上げると明るく話題を変えた。
「申し訳ありません。このような恥を晒してしまって…。さて、私は食事の準備をしますわ。大したものは作れませんけど」
「…失礼ですが貴女自身がお作りになるのですか?」
「えぇ、御覧の通り使用人はもうベルしか居ませんの」
それで納得がいった。
屋敷が荒れているのも、ブランシェの手のあかぎれも…。
その時カインが手を挙げた。
「良かったら俺もお手伝いしますよ。料理は得意なんで」
「え…でも」
「いいですって。何なら安くて上手い料理を教えますよ」
そう言ってカインとブランシェはキッチンへと消えた。
その四十分後、出来上がったフルコースは質素ながら美味だった。
「ねえイリア…、さっきキッチンでカインの調理を見てたんだけど…凄いね」
リオがフルコースを食べながらイリアにこそっと耳打ちした。
リオが言いたいことは分かる。
「少ない材料でこれだけの料理。おまけに完璧な掃除…カインってさ」
「うん、うちのオカンだから」
「誰がオカンだよ!」
先ほどの騒ぎが嘘のように、少しだけ穏やかな夕食を囲むことができた。が、外の雨は激しさを増し、窓ガラスを激しく叩いた。
まるでこれからの事件を暗示するかのように…。
カインの主婦魂、炸裂!
掃除ってどうしても隅っこに埃溜まりますよね…
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