野獣戦
いよいよ第3章開幕
スタットで孤児院の事件に遭遇したため、出発が三日ほど遅くなったが、そのあとは順調に旅程を進めていた。
王都まであと少し。
(王都に着いてさっさとまた戻るか、はたまたこのまま永遠に王都に着かない方がいいのか…はぁ…)
イリアは複雑な心境になりつつ、とにかくここまで来てしまったからにはやはりさっさと用事を済ませて帰るのが一番だという結論に至った。
とはいえ、王太子の病気の症状や容体にもよるのだが…。
「今日はこのまま王都近くのブランドールまで行く予定だとよ」
カインが馬車までやって来て、そう告げた。
山道のせいで道幅が狭い。割と大きいサイズの馬車なので右にカインが馬を寄せるだけで道はいっぱいいっぱいだ。
「もう王都が目の前なのね」
「はぁ、さっさと終わらせてディボの家に帰りてーな」
「本当ね。帰りの旅程を考えると…少なくとも一ヶ月先にはなるかしらね。先生生きてるかしらね」
「だよな…ちゃんと飯食ってるかな…つーか、俺としては家が魔窟になってないことを祈ってるぜ…」
「あー、カインがいないと掃除する人いないものね」
「生ごみとか…腐ってたらどうすっかなぁ…はぁ」
ズボラを絵に描いたようなディボの性格を思うと、こまめに掃除をしているとは思えない。
ゴミに埋もれ、汚れまくった家のことを考えると、綺麗好きなカインとしては頭が痛いのであろう。
「それ以前にご飯食べなくて餓死してる可能性も…」
「俺もそれ考えてたよ…まぁ、早く帰るしかねーよな」
カインと顔を合わせてお互いため息をつきながらイリアも同意した。
その時に突然野鳥が羽ばたき一気に空へと舞った。
野鳥の異様な声が響く。
えっと戸惑うまもなく、後方からリオの切羽詰まった声が聞こえ、同時に獣の咆哮が林に響いた。
「アイザック、飛ばせ!逃げろ!」
リオの声に応え、アイザックが返事もせずに馬を急かし馬車を走らせる。上質スプリング付きの馬車ではあるが、あまりのスピードと山道の悪さで馬車がガタガタと音を立てた。
「な、何!?」
「イリア様、しっかり捕まっててくださいっす!野獣が現れたようっす」
後方を見れば首が二つあるライオンのような化け物が数匹イリア達を追って来ている。
イリアの薊としての感覚としては頭が二つあり、尻尾が蛇のような生き物は化け物としか言いようがないが、イリアの世界ではこの程度の生き物は野獣なのだ。
「リオ、俺が引き受ける!イリアと先に行け!」
「それでお前を置いていくと思うのか?僕を舐めないで欲しいな」
そう言い合ってカインとリオは馬を方向転換させて野獣へと向かっていった。
「リオ!カイン!!」
カインが剣を抜く。
その剣技は子供の頃にイリアと戦ったよりも断然磨かれている。鋭い目つきで野獣を見据えると、一気にその脇を駆け抜ける。閃光が走ったかと思うと、野獣は腹から血を吹き出して倒れた。
リオも負けじと野獣に向かっていく。
リオは冷静に野獣との距離を詰めたかと思うと馬から飛び立ち、その剣を振り下ろす。剣は野獣の首を切り落とした。
片方の首を切られた野獣は咆哮を上げてのたうち回る。リオは次の攻撃に備えるが、その前にカインが止めを刺したようだ。
その後も二人は協力する形で数匹いた野獣を悉く倒していった。
全ての野獣の姿が見えなくなり、アイザックが馬車のスピードを落とすと、緊張が解けたイリアはほぅと息をついた。
「アイザックさん、リオ達怪我してないかしら」
「はい。馬車を止めますね」
イリアの声に馬車が緩やかに止まり、まずはミレーヌが先に降りた。次にイリアが外に一歩踏み出し、その足が着くかつかないかの時だった。ミレーヌが急にイリアを突き飛ばした。
後方では馬車が回転して倒れる音がする。
「うわ!?」
「イリア様、逃げるっす!アイザックも急げ!」
何が起きたか分からずにイリアは倒れたままミレーヌの姿を見上げれば、野獣がミレーヌに襲いかかっていた。ミレーヌは野獣のその鋭い牙を剣で受け止めている。
ミレーヌに襲い掛かる野獣と、それに耐えるミレーヌの力は拮抗していたが、ミレーヌがその腹を蹴り飛ばすと、野獣は一旦は離れた。だがすぐに体制を整えて半回転した。
「はあああ!!」
ミレーヌは再び剣を構える。そして、抜刀体制をとり、腰を低くして一気に大地を蹴る。
目にも止まらぬスピードで野獣の足を一薙ぎし、獣が倒れ込む瞬間にその胴を串刺しにした。
ドスンと鈍い音がして、野獣が倒れるのをミレーヌは静かに見ているようだった。
イリアよりも小柄で目をくりくりさせてパタパタ動く小動物のようなイメージのミレーヌだったが、確かにそこには騎士の姿があった。
思わず感嘆の声と共にパチパチと拍手してしまう。するといつもの表情に戻ったミレーヌがちょっと照れた顔でイリアを見た。
「ミレーヌありがとう!」
「いえ、大したことないっす!それより、イリア様はお怪我はないっすか?」
「うん、大丈夫。ミレーヌこそ大丈夫?怪我はない?」
「はい、問題ないっす。お気遣い痛み入ります!」
ほっと胸を撫で下ろすと、後ろから蹄の音がしてリオとカインが合流した。
「リオ、カイン!!無事?!」
イリアは思わず駆け寄った。
リオもカインも傷ひとつ負うことはなかったようだ。
「こんなの朝飯前だよ。魔獣の名前は伊達じゃねーよ」
「ふふふ、そうだったわね」
カインはディボの森を守る〝魔獣〟の異名を持つ。
相変わらず腕は確かなようだが、それでも心配なものは心配だったのだ。カインの無事な姿を見てイリアは安堵した。
「僕も平気だよ。…ミレーヌ、イリアを守ってくれて感謝する」
エリオットも両腕を広げて傷が無いことを示した。
特に大きな被害はないようで安堵した雰囲気だったのを、冷静な声がそれを砕いた。
「こちらは全然無事ではありません」
「アイザックさん!!ボロボロじゃないですか!!」
見れば土にまみれたアイザックが立っていた。高く結っている艶やかな濃紺の髪はぼさぼさで、粉を叩いたように白っぽくなっている。
それによろよろとして立っているだけでも大変そうだ。
「いえ、私はいいのです。馬車が…」
「え?馬車?」
「壊れてしまいましたね」
「あー」
車輪が外れ、ドアは砕かれ、見るも無残な馬車の残骸がそこにはあった。
「修復は不可能かと」
「でもアイザックさんが無事ならよかったです。じゃあ、行きますか」
「行くって…どこにですか?」
「次の街ですけど。早くしないと雨、降るかもですし」
風向きが変わり、少し冷たくなっている。
イリアが天候探知の能力を使うまでもなく、どんよりとした空は雨を告げていた。
「歩くつもりですか?」
「そうですけど」
イリアにとっては当たり前の事であった。足があるなら歩けばいい。
だがその言葉にアイザックが絶句している。
「はっ!もしかしてアイザックさん、足を痛めているのでは?!」
「そういう意味で言葉を失った訳ではありません」
「ん?」
「…普通ですね、旅の人間でも普通は歩かないです。馬車移動するのが普通なんですよ」
まぁ言わんとしていることは分かる。
昔の日本では徒歩で旅行などもあるが、この世界では庶民でも馬車移動が普通である。
「あぁ、徒歩でも大丈夫です。鍛えてますから」
「鍛えてるって…」
「あー、イリアはフィールドワークで登山したりするのが普通なんだよ。常識が通じなくて悪ぃな」
イリアの言葉をカインが補う。
カインにも男性でもしないフィールドワークを女性がすることに驚かれたものだが、最近はそれが通常運転であることに慣れたのだろう。
「イリア様が少し常識から外れているのは理解しました…ただ、残念ながら私は歩けません。私は頭脳派なので」
「じゃあ、馬で隣街まで行きましょうか?アイザックさんとリオが同乗して、カインとミレーヌが乗れば大丈夫です」
「いや、それって貴女が歩く前提ですよね?!そう言う話をしているのではなくて」
と、アイザックと議論していると、後方から蹄と車輪のガタガタと言う音がして、イリア達はそちらに目を向けた。
それは粗末な馬車であった。かと言って庶民が乗るような荷馬車や乗合馬車ではない。
それなりの家柄の人間が乗る代物だったのだが、だいぶ年季が入っている。
その馬車が、イリア達の脇で止まった。
きぃと軋んだ音と共に馬車のドアが開き、そこから一人の女性が降りてきた。
「あの…お困りですか?」
くすんだ水色のワンピースドレスを着て、亜麻色の髪を後ろで束ねている。清楚で少し儚い雰囲気の女性だった。
彼女はイリア達の周囲に目を配ると、全てを理解したように言った。
「良かったら、我が家にいらっしゃいますか?」
それがトロンテル領主の娘――ブランシュとの出会いだった。
その頃のディボ
「あー、お腹空いた~。食べるの面倒だけどカインに食事は抜くなって釘刺されてるし食べるかぁ。お、パンがあるじゃないか!ちょっと色がカラフルになっている気がするけど、この部分だけ取って食べればいいかな」
※パンはカビが生えた部分を取りのぞいても全体に胞子が付いている可能性があるので食べない方がいいそうです
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