囚われたイリア
イリアの手が震える。
「どうかされましたか?」
振り返ったカリオスはいつもの柔和な笑みを浮かべているようにも見えた。だが、よく見ればシルバーフレームの丸眼鏡の奥にある目はどこか冷たくも見える。
「これ…レオンのドッグタグですよね?」
「そうなんですか?それがどうされましたか?」
「どうしてここにあるんですか?」
「どうしてって?単に落として出て行っただけだと思うのですが」
質問の意図が分からないとでもいうようにカリオスは薄く笑う。
その微笑みさえも不穏なものを感じさせる。なぜならイリアの中には一つの可能性が浮かんだからだ。
「カリオスさんは、昨日からレオンが帰ってきていないと言いました。ですが、このドッグタグはレオンが”昨日”手に入れたものです。ここに落ちているということは昨日の夜、レオンはここにいたということになります」
「…そうなりますかね」
「ちなみにですが…リーナは本当に隣街の貴族の養女になったのでしょうか?」
「レオンからそう聞いてませんか?」
「ではその貴族の名前を教えてください」
居なくなったレオン
連絡の取れなくなったニーナ
帰ってこない孤児達
これが意味するところ。それは…
「私からも聞きましょう」
後ろに控えていたアイザックがイリアの隣に並ぶ。
「リーナについて調べました。隣街にいる貴族について情報を洗いましたが、リーナという少女を養女にした届け出はありませんでした。…彼女を、どこにやったのですか?」
「はぁ…単なる旅の人間だと思っていたからこうして見逃したのに…まったく、手間をかけさせる」
イリアの足元に影が伸びた。背後に誰かが忍び寄ってきたと気づいたと同時に小さな呻き声がし、アイザックがイリアの横に倒れる。
「!」
アイザックが倒れるのに気を取られたイリアが気づいた時には腹部に鈍痛が走っていた。
息が一瞬詰まり呼吸ができないと自覚した時にはイリアの意識は黒く染められていたのだった。
※ ※ ※
どれくらい経ったのか。
イリアの耳に自分を呼ぶ声が届いたのでその意識を浮上させた。
「イリア、大丈夫か!?」
「…レオン!?無事だったのね…って、あんまり無事じゃない状況かしら?」
「まぁ…そうだな」
気づけばレオンもイリア自身も後ろ手に縛られ自由を奪われていた。
少し動かしてみたが、縄が食い込むだけで簡単には解けそうにはない。
周囲を見渡してみる。
どこかの小屋のようだ。屋根や壁を形成している木板の間から光が漏れている。
少し離れたところにアイザックが転がされるようにして倒れているのをイリアは発見した。
「アイザックさん!」
幸い足は自由だが後ろ手に縛られバランスが取れない。
なんとか立ち上がり、よろよろとした足取りでアイザックの元に行った。
口元に耳を当てると呼吸しているのが分かった。とりあえずは生きているようだ。
それが分かり、イリアは胸を撫でおろした。
が、そうは言っても危機的な状況だ。
すぐに殺されなかったことを考えるとレオン共々売り飛ばされる…という可能性が高いだろう。
「アイザックさん、起きてください」
「う…うん…イリア様?ここは?」
「どこかは分かりませんが人の声がしないので、山小屋か…少なくとも郊外であることは確かですね。日の高さから午前中…まだ正午にはなっていないと思います」
イリアは自分の中でも状況を整理しつつアイザックにそう告げた。
「騒いでも助けが来る確率は低いということですね」
「だと思います」
アイザックはしばし思案顔をしたと思うと、いつものように冷静な口調でイリアに提案した。
「殺されなかったことを考えると私達には使い道があるということで拘束されているのでしょう」
「私もそう思います」
「ならば私が騒ぎを起こしてドアを開けさせます。それを利用して逃げてください」
「それではアイザックさんが危険です。下手をすればアイザックさんが逃げれないじゃないですか」
「残念ながら私は頭脳派で、運動はてんでダメなのです。ですから足手まといにしかなりません」
「でも…それでも駄目です。レオンとアイザックさん、三人で逃げる方法を考えましょう」
「しかし、もしあなたに何かあれば殿下に申し訳が立たない」
「いいえ、方法はあるはずです。というか方法を作ります!」
「頑固な方ですね。いいから言うことを聞いてください!」
言い争いとなりヒートアップしたアイザックとイリアの声が徐々に大きくなる。
その騒ぎを聞きつけたのか突然扉が開いて、外から一気に光が差した。
そこには二人の人物を従えたカリオスが立っている。
カリオスは少し気が弱そうなイメージの人物だったが、今はその緩さも穏やかさも微塵もなく、むしろ神経質で冷たい印象を受けた。
「騒がしいですね。ですが騒いだところであなた達を助けるものはいませんよ」
「私達をどうするつもりですか?」
イリアはレオンとアイザックを庇うように動いた。
「あなた達には崇高な目的の礎になっていただきます」
「崇高な目的?」
「悪魔から身を守るために必要なのですよ。喜びなさい、あなた方は選ばれたのです!その身を捧げられることに感謝してください!」
はははと高笑いしながらそう言うカリオスの顔には狂気のようなものが見え隠れしている。
糸目がかっと開き薄ら笑いが不気味だ。
「さぁ、祭司様。これが献上品です」
カリオスが体を斜めにして、後ろの人物の一人を入口へと導いた。
そこにはフードの人物がいる。顔はよく見えないがウェーブのかかった薄紫の長い髪がフードから一筋漏れている。
フードの人物は声も発さずにカリオスの手に金貨を渡した。
「ありがとうございます」
拝むようにして金貨を受け取ったカリオスをそのままにし、何も言わずにクルリと踵を返すとフードの人物はそのまま出て行った。
後に残されたのはカリオスとその後ろに控えていた男だった。
例のごとくにまっとうな仕事をする人間ではないだろう。
ブクブクと太っているが明らかに腕っぷしは強そうだ。
頭頂部は残念なことになっているが立派な髭が無造作に生えていて右目は眼帯をしている。
「じゃあ、私もここで失礼するよ。あとは連れて行きたまえ」
「なぁカリオス様よぉ、この女、上玉だな。単に引き渡すのはもったいない。俺たちが味見してから連れて行っても問題ないだろう」
「好きにするといい」
カリオスもまた小屋の外に消えると同時に、今度は眼帯の男が一歩一歩と小屋に入ってきた。
反射的に唾を飲み込みながらもイリアはそのまま男を見据えた。
視線を逸らせば男に優越感を与えるだろう。屈服しないという意思を示すためにイリアは思いっきり男を睨んだ。
「その目もそそるねぇ」
この国のごろつきの男どもはどうしてすぐに女を蹂躙しようとするのか。
まぁ、ごろつきに紳士がいたらそれはそれで変な気もするが。
そもそもここ数日、「虹の架け橋」で酔っ払いの男に絡まれたのをはじめとして、花祭りで会ったチンピラ風情の男、パンチパーマの男との乱闘など…男運が悪すぎなのではないか。
(一度お祓いに行った方がいいかしら…)
そんなことを頭の隅で冷静に考えていたイリアに、男の手がゆっくりと伸びてくる。
「やめろ!」
突然後ろからアイザックが飛び出し、男へ当て身を食らわせた。
だが男は微動だにせず、逆上してアイザックへ拳を振り下ろした。
鈍い音と共に、アイザックが床へと倒れこみ、小さく呻き声をあげた。
「う…」
「ふん。邪魔するなよぉ。あー面倒だからそのガキもこいつもぼろぼろに殴って動けないようにするかぁ」
それを聞いたイリアの中に堪えていた怒りがふつふつと沸き上がった。
この男一人ならイリアの力であれば造作もないのだ。
もっと早く行動を起こせば良かったと思うと口惜しさと腹立たしさがイリアの中で渦巻いた。
「…の…な…」
「はぁ?」
「私の!仲間に!手を出すな!!!」
イリアの周りに風が吹き上げる。
「ふん!!」
「な、縄がほどけた!?何が起こってる!?」
イリアが気合を入れると、イリアを縛っていた縄がぶちぶちと音を立てて切れ、風に舞ってどこかに消えた。
後ずさる男に対し、イリアは逆に一歩距離を詰める。
そして、拳に力を込めた。
「はぁあああああああああ!」
どふりという音がして、眼帯の男は声を上げる間もなく飛んで行った。
男を受け止めるであろう木の壁もまた木っ端みじんに吹き飛んでいく。
吹き飛んだ男はちょうど立ち去ろうとしていたカリオスの横を通り過ぎて倒れた。
転げるように回転したあと、微動だにしない男をカリオスが呆然として見ているのが、イリアからも見えた。
「ふん。一撃で倒れるなんてでかい図体だけでたわいもない」
イリアは鼻で笑いながら一蹴すると、青い顔をしたカリオスと目があった。
「な…は?え?」
状況を飲み込めていないカリオスに向かってイリアは一歩一歩と歩き出す。
男を殴っただけでは気が済まない。
人の好い面をして孤児院の子供達を売るなどという非道なことは到底許しようがない。
「次は、あんたの番よ!」
カリオスとイリアの距離は5mほどは離れているが、イリアの気功と魔術をぶつければカリオスをぶちのめすことなど造作ないだろう。
イリアは拳に気を込めると、魔法で旋風を纏わせて一気に放った!
脳筋悪役令嬢の本領発揮!
カリオスへの鉄槌、イリアはどう下すのか!?
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