レオンとの出会い
昼食を終え向かった次の街であるスタットはザクレの街より少し広いようだった。
漆喰の壁に木枠が埋め込まれたような独特の街づくりで、平坦なザクレの街とは違い坂が多い。
街の中心部へ行く階段を降りつつ、イリアは先程のアイザックの言葉を思い出しながら歩いていた。
「嫌なことから逃げる…か」
イリアにも言い分はある。
一度も顔も見ないのに急に婚約することになったこともだし、なにより断罪される可能性があるのだ。
大人の今ならなんとか別の方法で回避できたのかもしれないが、幼い自分が身を守る方法はこれしかなかった。
「まぁ言い訳だわよね…」
過去の事を言われても正直それを変えることはできない。
どうしたものかとため息をついていると、不意に肩を掴まれイリアはびくりと体を震わせた。
勢いよく振り向けばそこにあったのはリオの姿だったので、イリアはホッとした。
また変な輩に絡まれるのはごめんだ。
「リオ、どうしたの?」
「ん?イリアが出かけるようだったから追いかけてきたんだ。不慣れな街だしイリアの身に何かあるかもしれないし」
「あぁ、ミレーヌには言ってたんだけど心配させたならごめんなさい。すぐ戻るつもりだったし」
「なにか用事?」
「用事というか…少し買いたいものがあって」
イリアはこれからの旅程の事を考えて、カインと一緒に携帯食作るためその材料を買いに行こうと思ったのだ。
「そうなんだ。イリアの手作り楽しみだな」
「そんなに大したものじゃないわ。腕はカインの方が上なの。私はお手伝い程度よ」
「それにしても…何かあった?」
突然のリオの言葉にイリアは一瞬返答に詰まってしまった。
アイザックの事を告げればなんとなく告げ口のようになる気もしたからだ。
だが、リオはそれすらもお見通しと言うように、やんわりと指摘してくる。
「アイザックのこと?」
「う…ん、まぁ。ちょっと…嫌われてるなぁと」
「あぁ、あいつは婚約も受けずにイリアがいなくなったことが不誠実だと思ってるみたいだからな。イリアが悪いわけじゃないのにね」
リオのその予想外の言葉にイリアは驚きの声を上げてしまった。
「…アイザックさんもだけど、リオも私の婚約話知ってるの?」
「うん、君がトリステン家の人間だとも、婚約話を断って家を出たこともね。ほら、王太子の病気を診てもらうんだから、信用できない変な人間にはいくらなんでも頼めないし。ある程度は調べさせてもらってるというか…。ごめん、勝手に調べて。気分悪い?」
それは至極真っ当な理由だ。
それに関しては特に不愉快ではない。
ただイリアが不安なのは婚約が嫌で出奔したことを王宮で処罰されるのではないかということだった。
「私…処刑されたりして…」
「婚約から逃げたから?」
「うん、あれも王命に近かったし…」
「ははは、そんなに懐は小さくないよ。でも、聞いていいかな?どうしてイリアは婚約話が嫌だったの?そりゃ、ちょっと強引なところもあった…らしいけど、一度も会わないのに嫌がるって何か理由があった?」
「えっ?!そんなことも知ってるの?」
「まぁ…えっと、僕も割と王太子を知ってるから。僕が思うにアイザックって、王太子に肩入れしてるっていうか、婚約についてはイリアの事情も分からないからイリアを誤解してるのかなぁって。だから理由が分かれば二人の仲をとり持てるかもしれないと思って。良かったら話してくれないかな?」
咎めるような口調ではないし、むしろイリアとアイザックの仲を気遣うような、そして単純に真意を知りたいとうリオの思いが感じ取られる。
悪役令嬢であることは告げられないが、真摯な態度のリオに誠実に応えるように言葉を選んだ。
「詳しくは言えないんだけど…ちょっと命の危険があって」
「命の危険?」
「まぁ…婚約者になると…ほら色々問題が出てくるだろうし。邪魔だって思って殺されるとか…あるかもしれないし」
「殺させるような真似はさせない!!」
強い口調でリオに言われてイリアは驚いた。
一瞬違和感を感じたが騎士としてイリアを守るということだと気が付いた。
「それに魔法も使えるようになって、制御するためにも先生の元に行く必要あったから」
「…なるほどね。君は魔法が使えるから王家にそれを利用されるかもしれないって思ったわけだ」
(うーん、違うんだけど…まぁいいか)
カインにも魔法の力を王家が悪用するために強引に婚約を進めたことで身を隠した的な感じで捉えられている。
魔法が使えるとそういう可能性が一番に思い浮かぶものなのかもしれない。
「そっか…それなら仕方ないね。でもきっと魔法が使えるから婚約したいと思ったわけじゃない…と思うよ」
「そうなんですかね…まぁ、すでに殿下には婚約される方が決まっているようですしもう過去のことですからいいんです」
そうなのだ。
すでに婚約者が決まっているのだから断罪される可能性は限りなく低いはずだ。
だから問題はアイザックとの関係だ。
うーんと頭を悩ませつつも、イリアとリオは街を廻って携帯食の材料を集めたのだった。
食材を買い終わるころにはティータイムの時間になっているようで、街のカフェが賑わいを見せていた。
オープンテラスになっているカフェからはスイーツのいい香りが漂ってくるので、イリアの視線はそちらに向いてしまう。
「気になる?歩き疲れただろうからちょっと入ってみようか?」
「ううん。気にはなるけどみんなも宿で待っているだろうし。でもお土産にマカロン買っていこうかしら」
「イリアはマカロンが好きだものね」
「えぇ!」
イリアがそう答えると、リオは颯爽とカフェに入っていった。
(あれ?私、リオにマカロンが好きって言ったかしら?)
一瞬考えたが、以前ザクレの街を歩いた時に言ったのかもしれない。
それからマカロンを購入し、カフェから宿へと足を向けた時だった。
前方から喧噪が聞こえ、少年が何かに追われるように走っているのが見えた。
慌てているせいで行きかう人にぶつかるが、それすらも気にせず前だけを見て走っている。
「くそガキ!!待て!!」
「待てと言われて待つ奴がいるかっての!!」
後ろから少年を追いかけてくるのは大柄の男だった。
パンチパーマと思われる黒髪のチリチリ頭に、顔には大きな十字傷の跡が残っている。
明らかにカタギの人間ではない。
「わ!」
少年は男に向かってあかんべをして前方を見ていなかったため、イリアはまともにぶつかってしまった。
半回転して少年の後ろ姿を見送っていると一分ほど遅れてイリアの横を男が通り過ぎる。
「イリア、ちょっと待ってて!」
「リオ!!私も行く!」
イリアは見てしまったのだ。男がナイフを隠し持って少年を追いかけていることに。
ただ事ではない。というよりも見過ごせない。
イリアとリオは少年を追いかけて走り出した。
二人にはすぐに追いつくことができた。というよりも、少年が曲がった先が突き当りだったのだ。
「ガキが!痛い目見たいようだな!」
「ちょっと、待ちなさい!」
男が少年に向かってナイフを振りあげるのをイリアは止めようとした。
だが間に合わない。
その時、イリアの脇を風が通り抜けた。
「いてててて!」
「ナイフを離せ」
舞った風がイリアのスカートを靡かせ、それが収まる時にはリオが男を締め上げているところだった。
リオによって後ろ手に締め上げられた男はあまりの痛さにナイフを落とす。
カランという音が路地に響いた。
「おい!!誤解だ!そいつは俺の財布をすったんだ」
「だとしても子供にナイフを突きつけるのはどうかと思うぞ」
「分かった、分かったから離せ」
リオはパンチパーマ男を乱暴に突き放すと、男は手首をさすりながらこちらを見ている。
イリアはリオが男を拘束している間に、少年へと向かっていき、その視線を合わせた。
「貴方、スリをしたの?」
「…」
少年はうつむいたままイリアから顔をそむけた。
手には男からすったと思われる財布が握られている。
「この男の人は暴力を使おうとしたけど、君も悪いことをしたと思うよ。…これは、返そうね」
少年はむくれた表情で財布を突き出す。
それをイリアは受け取ると、男へと渡した。
「財布は戻りましたし、あまり大事にしたくはないのですが」
「…くそ。今回だけは見逃してやる」
イリアの背後にいたリオを見た男は、怯えた表情を浮かべつつ路地から去っていった。
残されたのはイリアとリオと少年だった。
年のころはまだ小学一年くらいだろうか。
「君、名前は?」
「レオン」
「レオンというのね。ねぇレオン。どうしてこんなことをしたの?」
「お金が必要だったから」
「お金?」
「うん…みんながお腹、空かせているから」
見れば確かに貧しい身なりをしている。
貧困からくる窃盗というところだろう。
確かに窃盗は許されることではないが、やせ細ったレオンの姿を見ると一刀両断に断罪することはできなかった。
だが、イリアには何もできない。
無力さに肩を落してしまう。
「ぐうううう」
盛大に少年の腹の虫がなった。
「えっと…これ食べる?」
「うん…」
イリアが先ほど購入したマカロンを渡すと、少年はがつがつと頬張った。
とりあえずレオンは保護者へと引き渡して、できたら窃盗は止めるようにと注意は促しておいた方がいいだろう。
それにこれから日が暮れる。
遅くなると何かトラブルに巻き込まれるかもしれない。
「僕達が送ってあげるよ。レオン、家はどこだい?」
「街外れの孤児院」
「そっか…じゃあ、行こう」
少年はマカロンを食べ終えると、リオの言葉に小さく頷いたので、イリアはレオンの小さな手を握り、リオと共に孤児院へと歩き出した。
それが大いなる陰謀へ巻き込まれる序章となることにも気づかずに…。