嫌いな理由
第2章開幕です
馬車の旅は快適だった。
さすがは王家の所有する馬車だ。非公式の旅である点と安全上の理由から紋章こそつけてはいないが、最新鋭の高級車なのは乗り心地から察せられた。
黒塗りの馬車は六人乗りというその大きさに関わらずほとんど揺れず、臙脂に金の装飾の入った椅子もふかふかで長時間乗ってもお尻が痛くならない。
(この椅子が研究室にあったら…絶対にいい…。ディボにもお勧めしたい。というか買ってあげたい)
研究室から出てくる度に腰をトントンと叩いて伸びをするディボを思い出す。
そんなことを考えながら車窓を見れば、一面の緑が目に鮮やかに入ってくる。
遠くを見ればもこもことした広葉樹が連なって並び、脇の緩やかな斜面には草木を食む仔馬が見えた。
馬車の御者は王命の使者であるアイザックだ。
ポニーテールの紺色の髪が揺れているのが馬車の窓から見えた。
イリアは車窓から視線を移し、アイザックの後ろ姿をぼんやりと見ていると蹄の音が馬車の隣から聞こえる。
こんこんと窓をノックされたのでそちらを見ると、白馬に乗ったリオが馬車と並走しながら話しかけてきた。
リオはカインと共に、馬車には乗らず護衛として騎馬で同行してくれている。
「そろそろ、お昼を取ろうと思うんだけど、いいかな?」
現在旅を初めて3日目。旅程としては10日を想定しているが、順調に来ているようである。
先ほど出た街から半日が過ぎており、そろそろお昼という頃だろう。
「はい、分かりました」
「口調」
「あ、うん。分かったわ」
「よろしい」
リオは満足そうに頷いてから御者台のアイザックに馬車を止めるように指示した。
これまでは「リオさん」と呼んでいたのだが、「堅苦しいのは嫌だ。リオと呼んで欲しい」と頼まれ、敬語と敬称を止めさせられた。
「うーん、ちょっと疲れたっすね!イリア様は大丈夫っすか?」
「ええ、私は大丈夫よ」
問いかけてきたのは同乗している女性のミレーヌだ。
ミレーヌは大きく伸びをして足をバタバタと動かした。
身長はイリアより小柄で、且つクリクリとした大きな目に幼い顔立ちで、侍女として来たのかと思えば女騎士であるというから驚く。
しかもかなり腕が立ち、王太子護衛長にも任じられているというからイリアは二度驚いた。
(女騎士って母様みたいなクールで長身で怖い感じだと思ってたのに…ミレーヌは全然そんなんじゃないのよね)
イリアがそう思いつつミレーヌを見ていたが、そんな視線には気づかないようだった。
「あたしも騎馬がよかったなぁ」
「ごめんなさいね…こんなことになってしまって…」
「あ、イリア様が悪いんじゃないっすよ!あの二人の問題ですから」
イリアが馬車に乗るのは確定事項だったが、リオとカインが馬車の中ですぐに喧嘩になるのだ。
座ってるスペースがそっちが広い狭いとかいう些細なものから、力自慢になり、いかに剣技が強いか…など、会話の端々で喧嘩になることから、耐えかねたイリアが騎馬での移動を申し出た。
流石にそれはできないということで、結果的にカインとリオが騎乗で馬車の護衛を、ミレーヌが馬車で同乗ということで落ち着いたのだ。
やがて馬車が止まったのは小高い丘の上だった。
そこに簡易的なピクニック用品を広げ、昼食となった。
「イリア、こっちにどうぞ。ほらサンドウィッチが美味しそうだよ」
リオが招くのでそちらに行こうとすれば、カインがイリアの腕を掴んでハムサンドを手渡してきた。
「イリアはハムサンドの方が好きだよな」
そしてまたリオとカインのいがみあいが始まり、それを見たミレーヌが、男二人を無視するようにイリアを自分の傍に座らせると、お茶を手渡してくれた。
「放っておきましょ。さ、イリア様、こっちのサンドウィッチはピクルス抜きっすよ!あと、紅茶も美味しいっす!」
「まぁ、本当!アイザックさん、これ美味しいです。なんの茶葉ですか?」
「さぁ、街で買った無名のブランド品です」
「じゃあきっと淹れ方が上手なんですね。いつもおいしい紅茶をありがとうございます」
「いえ、仕事ですので」
「そうだ、アイザックさん。これ、街で買っておいたんです。いかがですか?」
「いいえ、結構です」
(また断られてしまったわ…)
手渡そうとしたクッキーを断られてイリアは少しがっかりした。
気を取り直してイリアはアイザックに話しかけた。
「アイザックさん、馬車を扱うのって大変じゃないですか?疲れてませんか?」
「問題ありません」
「天気安定しそうです。湿度も少ないですし、気圧の変化もあまりなさそうです。当面は晴れそうですよ」
「そうですか」
「…」
ディボの家で出会ってからずっと、アイザックはにこりともしてくれない。
旅先の宿などでもそれとなく会話を試みるがこの調子で会話が続かない。
そういう性格なのかとも思ったが、リオやミレーヌに対しては割と普通に会話している。
(これは…私、嫌われてる…かしら?でもなんで?)
出会ったばかりでアイザックに恨まれることや嫌われることをした覚えはない。が、現にこうしてつっけんどんにあしらわれている。
(かと言って、こっちも無視したりするのもなんだか気分が悪いし…嫌ってる理由を聞くのもなぁ)
色々と思案していたイリアだが、結局今日も会話の糸口が見つからないまま昼食が終わってしまった。
アイザックとはなるべくなら仲良くなりたい。
嫌悪されるよりはやはり好意を持ってもらいたいというのは普通の欲求だ。
それにこの旅はまだ始まったばかりだ。なるべく仲良く旅をしたい。
山に登る時にチームワークが重要なのと同じで、旅でもチームワークは必要だと思う。
(悶々としてても仕方ないしなぁ…思い切って聞いてみようかしら?)
それで「生理的に嫌い!」と言われたら仕方がない。
でももし「ここが嫌い」と具体的なところがあり、改善できるのであれば改善したい。
ちょうどその時、昼食のセットを片付けようとしたアイザックの手元から、ひらりとナプキンが落ちて風に舞っていった。
「あ!」
白いナプキンが逃げるように飛んでいくので、イリアは急いでそれを追いかけた。
無事に手に入れたナプキンを持ってアイザックへそれを渡す。
「アイザックさん、これ、どうぞ」
「お手数をかけました」
アイザックはそのナプキンを受け取ると、持っていたバスケットを広げなおして収納しようとしていた。
その時も視線は合わない。
「いえいえ。…ときにアイザックさん。アイザックさんが好きなものってなんですか?」
「唐突になんですか?」
「あんまりアイザックさんのこと知らないですし、できたら同じ旅を続ける仲間ですから仲良くなりたいなぁと思いまして」
「…そのような気遣い不要です」
「あの…じゃあ単刀直入に聞きますけど、私アイザックさんに何か失礼なことをしましたでしょうか?」
アイザックはナプキンをバスケットの中に詰めている手を止めると、赤い双眸をイリアに向けた。
そこには不愉快そうな色が浮かんでいる。
「はぁ…このままお互い適度な距離を保った関係で無難に過ごすのが大人というものです」
「…でも、理由もなく避けられるのは…ちょっと悲しいと言いますか」
「そういう子供っぽいところが嫌いなのです」
「え?」
はっきりと嫌いという言葉がアイザックの口から出たので、イリアは思わず聞き返していた。
「子供っぽいところ…ですか?」
「えぇ。あなたはエリオット殿下との婚約を放棄して逃げましたね」
「まぁ…そうですね」
「嫌なことから逃亡するような人間が私は嫌いです。そしてなにより…王族である殿下の好意を無下にするとは!!あまりにも無礼だ!」
不愉快極まりないという様子でアイザックはもう一度イリアを睨んだ。
そして、後ろを振り向きつつ冷たく言い放つ。
「ですから、私はあなたと仲間とも思いませんし、仲良しごっこをするつもりはありません。これは仕事なのでやっていること。私とは適度な距離で、必要以上に私に関わらないでいただきたい」
失礼と最後に付け足して、アイザックは馬車の方へと足を向けて去っていった。
イリアは呆然としたままその姿を見送るしかなかった。