王宮からの使者
ランプのオレンジの光が室内を照らしている。
手元に置いてあるミルクティーから昇っていたはずの湯気は消え、紅茶はとうに冷め切ってしまった。
「はぁ…」
イリアは何度目かのため息をついてティーカップの脇に飾った二本の花を見つめる。
祭りに行く前は少し浮かれていたのに、帰るときにはこんな微妙な気持ちになるとは思わなかった。
カインとリオから渡されたそれぞれ渡された花。
好きな異性に贈ると聞いたが、彼らがどんな意図でこれを贈ったのか理解できないでいる。
「はぁ…なにが起こったのかしら。あれは夢?気のせい?幻?」
「くぅーん」
「マシュ…話聞いてくれる?」
「わん」
夜にやってきたマシュの脇に座って、青と銀のふさふさの毛並みを撫でながら「うーむ」と考えた。
「今日ね、花祭りというお祭りに行ったのよ」
「わん」
「でね、お花をもらうと恋人になるというものらしいの」
「わんわん」
「で、リオさんっていう騎士の方にお花を渡されてしまったんだけど…」
「わん!」
「カインにも渡されてしまったのよね」
「!?わんわんわん!?」
「そうよねー驚くわよね」
あの後カインはすぐに部屋に戻ったと聞いたのでその花の真意は分からないが、これまで兄妹みたいに育ってきた家族だ。
特に深い意味はないのかもしれない。
「まぁ、カインに関しては明日聞いてみようかしらね。案外〝家族に贈るのは当然!〟みたいなノリかもしれないし」
そもそも自分のような研究バカを相手にするような人間はいないだろう。
前世でもモテたこともない。
〝薊〟だった頃は最低限のネイルをして、それなりの化粧もしていた。
ただあまりオシャレにお金をかけるタイプではなかった。服もファストファッションで済ませていた。
何よりも地学は泥臭いことが多い。野山をかき分け、泥にまみれて岩石を採ることもあるし、その岩石を解析するために剥片というものを作るのだが、その際にも下手な陶芸家並みに汚れる。
極めつけは実験器具でアルコールを使うので薊の手はアルコールでかさつき、ビビも多かった。
現在はそこまではしていないが、最低限のおしゃれ程度しかしていない。
「色気のない私が恋愛なんてねぇ…それよりも私は今年17歳でしょ」
「わうー」
「17歳と言えば断罪の年なのよ。そっちの方が正直心配なのよねぇ」
そう言ってイリアはテーブルの上に置かれた「決算報告書」を見つめる。
アイ・アンド・ティー商会は主に宝飾品を扱う会社だ。結構な売り上げで今や上質な宝石を扱っていることもあり貴族御用達の店だったりする。
そのアイ・アンド・ティー商会はイリアが立ち上げたもので、実は社長というポジションである。
「まぁお金があれば断罪されて国外追放になった時にはなんとか食っていけるでしょうしね」
それにイリアにはチート級の魔法もある。
追手が来ても対抗できるようにディボの元で修行したのだ。
断罪の対策としてはばっちりだ。
「だけど念には念を入れたいところよね。あーリオさんと結婚してしまえば、この国の王子と婚約しなくても済む…とか?」
「わう!わうわう」
「でも好きでもないリオさんには悪いからこの案は却下ね」
「くぅーん」
ぱたぱたと尻尾を振るマシュを一撫でして、イリアはすくっと立ち上がった。
考えるのは好きだが悩むのは好きじゃない。
「ま、リオさんのことはお断りしておいて…もう寝ましょ。マシュも一緒に寝る?」
「わんわん」
マシュに語ったことで少し考えが整理された。
イリアはマシュのふわふわの毛並みをモフモフしながら眠りに落ちたのだった。
だが、次の日マシュの姿は無くなっていた。
「あーもうどこか行っちゃったのね」
朝のモフモフを楽しみにしていたイリアは少し残念な気持ちで身支度を整えていた。
だが妙に外が騒がしい。
イリアは何かと思って外に出ると、戸惑いの表情を浮かべるディボとカインの姿があり、イリアを認めると眉を顰めて困った表情をした。
「あ…イリア…」
「おはようディボ、カイン。お客様?」
扉の前には一人の男性が立っていた。
群青の詰襟に赤いラインが入った服は、同じく群青の髪の色に合っていた。
高く結い上げた髪だったが前髪だけが白い。
「あの…どちら様ですか?」
「貴女がイリア嬢ですか?」
「はい。そうですけど」
「王命をお伝えに来ました」
「お、王命?」
「この度、イリア嬢にはエリオット王太子殿下の病を治していただきたく、参上しました」
「…はぁ?」
この男は何を言っているのだろうか?
王命?いまさら?なんで?
イリアの中でぐるぐると疑問が沸き上がり廻った。
「な、なんで私なんでしょうか?王宮には王族お抱えの医者の方々もいらっしゃいます。片田舎の診療所の、一介の小娘に頼むことではないと思うのですが…」
動揺のため言葉をつっかえながらもそう答えると、男はわざとらしく大きく首を振った。
「いえ、医者も最善を尽くしたのですが、一向に良くならないのです。聞くところによると、こちらの診療所では温泉療法や魔道具を使った治療といった特殊な治療ができると伺いました」
「まぁ…そうですが…。お断りは…できないでしょうか?」
せっかく王族とは関わらないためにここまで逃げてきたのに、みすみす囚われに行くようなことはできない。
出来たらこの申し出をお断りしたい。
「先も言いましたが王命です。それに、もしこのままでは殿下は死んでしまうかもしれません。貴女にしか治せない。私達はそう判断しました」
人一人の命がかかっているのだ。
医者としても人間としてもそれを見捨てることはできないのは確かだ。
「ちなみに…王太子殿下には婚約者とか…いたりしますか?あ、私が婚約者になりたいなんて1㎜も考えてませんから!ただ、確認したくて」
「あぁ、それなら婚約者として正式な方はまだいません。ただ、婚約式の準備は整っております」
婚約式の準備が整っているというのであれば、その人と婚約するということで、イリアと婚約するという未来はないだろう。
イリアが婚約者にならなければ断罪されることもないのだ。
「分かりました。王命、お受けします」
そう言ったイリアの表情はすでに医者の顔だった。
そんなイリアを見たカインは慌ててそれを止めようとした。
「イリア、いいのか!?お前は王家に婚約を無理強いされたから逃げてきたんじゃないのか?」
「でも王子にはすでに婚約者がいるみたいだし、もう婚約の話は無くなったと思うし…」
「ディボはいいのか?」
「えー、僕はどっちでもいいと思うよ。イリアが決めたことならそれでいいし」
相変わらずの緩さでディボが言うと、カインは仕方ないと言うように大きくため息をついて言った。
「なら、俺も行く!」
「え?カイン、いいの?確かに一緒に来てもらった方が心強いけど」
「道中に何かあったら大変だろ?お前は確かに魔法が使えて強いかもしれないけど…なんか合った時には支えになりたい」
「いや、それは必要はないよ」
カインと話をしているとき、それに割って入る声がするので二人同時に声の主を見た。
「リオさん!?」
「やぁ、王都には僕が守るから大丈夫」
「…お前がいるのなら益々一緒にいかなくちゃならなくなった」
静かに火花を散らすリオとカインを見つつ、いろんな意味で大変なことになってしまったとイリアは頭を抱えた。
「さて、さっさと準備してくれますか?」
何故か小馬鹿にしたように言ったのは使者の男だ。
急かすような声を受けてイリアは急いで支度を整えるとディボへの別れもそこそこに王都へと旅立つことになった。
(どうか…断罪だけは回避できますように!)
イリアはそればかりを願いつつ、馬車へと乗り込むのだった。
これで第1章は終わりです
次章からはイリアの王都への旅が始まります
ブクマ・星評価いただけると嬉しいです。励みになりますのでどうぞよろしくお願いいたします!