牛の首
家紋 武範さま主催の牛の首企画参加作品です
この作品にはグロテスクな表現やショッキングな内容を含みます。
お読みになる際は十分に注意して下さい。
また、嫌悪感を伴う内容ですので、あらかじめご了承の上、お読みいただくようお願いします。
とある焼き肉屋に行った時の話。
俺は友人とドライブを楽しみ、急カーブが続く峠道を走らせていた。
あまり人気のないスポットだったので他に走っている車もなく、好きなだけスピードを出せる。
時刻が深夜0時を回ったころ、助手席の友人が空腹を訴えた。
そう言えば昼から何も食べてないなと思って、何か食べて帰ろうという話に。
すると……丁度、道路沿いに一点の店が営業しているのを見つける。
夜遅い時間だというのに、煌々と明かりをつけていた。
どうやらその店は焼き肉屋のようで、しかも営業中とのこと。
店の前にでかでかと営業中の看板が出ていたので間違いない。
不審に思いながらも、空腹に負けた俺たちはその店に入ることにした。
「いらっしゃいませー」
店内に響く女性の声。
優しい声だった。
「すみません、二人なんですけど良いですか?」
「もちろん構いませんよ」
小太りの中年女性はにっこりとほほ笑んで受け入れてくれた。
店内には6席ほどのテーブルがあり、他に客はいない。
冷房がよく効いていてとても涼しい。
清潔感があって居心地の良さを感じる。
「へぇ、いい店じゃん」
店の中を見渡しながら友人が言う。
俺もそれに頷いて同意した。
適当に窓側の席に着く。
駐車場は狭い店内のわりに広く、6台以上停められるようになっている。
店の外に照明などはなく、窓から漏れ出た光が俺たちの車を照らしていた。
「これメニュー。あとお水。ごゆっくり」
店員の女性はコップとピッチャーを置いて、さっさとどこかへ行ってしまった。
ピッチャーに注がれた水には輪切りの檸檬が入っていて、氷も沢山。
友人が一口水を飲んで「ここは当たりだ」と言った。
水が美味しいのだから、肉もうまいに決まっているはず。
俺はまた頷いて同意する。
メニューに並んでいるおいしそうな肉の写真。
どれもキレイに撮られていた。
リーズナブルな値段だったのでテンションが上がる。
「すみませーん!」
「はいはーい」
呼ぶとすぐに店員の女性が来てくれた。
俺たちはカルビやロースなどの肉とナムルとサラダ、白いご飯も注文。
オーダーを受け付けると、中年女性は店の奥へと小走りで引っ込んでいった。
腹の虫がおさまらず、注文した料理が早く来ないかと待ち遠しい。
すると、すぐにサラダとナムルが運ばれてくる。
「あー! ビール飲みてぇ」
ナムルをつまみながら友人が言う。
酒を飲みたくなる味だったが、ここは我慢だ。
帰り道、運転手が一人だけになるのは心もとない。
ナムルとサラダを平らげると、ホッカホカの白米と一緒に注文した肉が運ばれてきた。どれも新鮮でみずみずしく、見た目だけで食べたら絶対美味しい奴だと確信できる。
「「いただきまーす!」」
早速、肉を網に並べていく。
ジュウウウウッ!
小気味よい音を立てて、香ばしい匂いが運ばれてくる。
白い煙がモクモクと立ち上り、油が滴り落ちていく。
最初に乗せた一枚を箸でつまみ、タレにちょっとつけて白米の上へ。
肉で米を挟んでそのまま口の中に入れる。
……うまい。
口の中でほぐれる白米。
そしてはじける肉汁と油。
しっかりとした肉の風味とたれの味わいが、口の中いっぱいに広がっていく。
ついつい二枚、三枚と口の中に放り込んでしまう。
気づいたら網の上に肉が一枚もなくなり、急いで次の肉を並べていく。
肉、肉、米。
肉、肉、米。
肉、肉、米。
箸が全く止まらない。
タレも米も肉もあっという間になくなり、注文した分は全て平らげてしまった。
しかし……まだまだ、食べたりない。
俺と友人は無言でお替りを頼もうと同意。
目が合っただけでお互いの意思が確認できた。
「すみませーん! 注文おねがいしまーす!」
「はいはーい」
店員を呼んで、再度肉を注文。
米も追加でオーダーする。
しばらくすると、肉と米が運ばれてきた。
早速、焼いて食べようとすると……。
――どんっ。
「……え?」
「……は?」
いきなりだった。
突然、勢いよく何かがテーブルの上に置かれた。
目が点になる俺たち。
それは牛の首だった。
切り落とされた牛の首が皿に乗せられている。
「え? あの……これ」
「…………」
俺たちが何か言う間もなく、中年女性はさっさと引っ込んで行ってしまった。
「あの……これなに?」
「さぁ……」
「食べるの?」
「無理じゃないか?」
俺と友人は突然のことに困惑する。
牛の首なんて注文していないし、そんなものを食べようとも思えない。
さっさと下げてもらおう。
「すみませーん! あのー! すみませーん!」
何度か呼びかけるが、店員は姿を現さない。
それどころか返事すらしない。
俺たちは顔を見合わせ、理解しがたいこの状況をどうするか話し合った。
結果、とりあえず注文した肉を食べようということになった。
肉を一枚ずつ乗せていく。
じゅううう…………。
なんとも微妙な気分。
妙に焦げ臭くて、油っぽい匂い。
ギトギトの油が垂れて不快な煙が目や鼻を刺激する。
不気味なほど静まり返った店内に、肉を焼く音だけが響く。
「…………」
「…………」
俺たちは何も話さずに無言で肉を焼き続ける。
それを見つめるかのように存在する牛の首。
さっきまでの楽しい時間が嘘のように重苦しい空気が漂う。
じっと牛の首に見つめられながら肉を焼いて食べるが……全く味が分からない。
あんなに柔らかかった肉がまるでゴムのように固く、タレも甘く感じるだけ。
米もぱさぱさしている。
早く帰りたいと思いながらも、最後まで食べないともったいないと無理やり肉を口の中に押し込んでいく。
くちゃ……くちゃ……。
何度も咀嚼するが、なかなか噛み切れない。
さっきは溶けるようになくなったのに。
もしかしたら別の肉なのか?
というか、牛肉の味がしない。
豚肉とも違う。
なんだ……なんなんだよ、この肉は。
んぐっ……!
肉を飲み込もうとすると、何かにつっかえるようで気持ちが悪い。
油もヌルヌルしていて、口の周りがべとべと。
ナプキンで拭っても不快感が残る。
口直しに水を飲んだが、妙に生臭い。
レモンの酸味のせいか喉も痛くなる。
何をしても気持ちが悪くなる一方。
とても食事を続けられる空気じゃない。
「……ダメだ、俺。もう無理」
友人が先にギブアップした。
俺ももう無理だなと感じ、箸を放る。
改めて牛の首を見る。
本物としか思えないリアルな造形。
まさか生の牛の首をテーブルに乗せるとは思えないが……しかし、これは……。
「これ、なんかのサービスのつもりなのかね」
「だとしたら悪趣味だよなぁ」
「さっさと帰ろうぜ」
「ああ……」
俺たちは食べかけの料理をそのままに、火を止めて席を立つ。
「すみませーん! 会計お願いしたいんですけど!」
レジで呼びかけるが店員は姿を現さない。
友人と二人で何度も声をかける。
何度も、何度も、何度も……。
しかし、店員の女性は姿を現さなかった。
「どっ、どうするよ?」
「金だけ置いて帰ろう」
友人は財布から一万円札を取り出して、カウンターに置いた。
俺は五千円札を友人に渡し、二人で一万円を支払うことにする。
正直、ちょっと払い過ぎな気もするが、足りないよりはいいだろう。
お金を払わないで帰ったら呪われる気がした。
「はぁ……最悪な気分だ」
運転席に座ってハンドルを握った友人が言う。
俺は何度も頷いて同意する。
……と、突然。
ぷつんっ。
急に店の明かりが消える。
辺りが真っ暗闇になり慌ててエンジンをかける友人。
「なっ、なんで急に明かりが⁉」
「知らねーよ! やべぇよこの店!
早く逃げねぇと……おい、見ろよ!」
友人が店を指さす。
店の窓から何かがこちらを覗いている。
月明りにぼんやりと照らされた何かの顔。
間違いなくそれは牛の首だった。
「うっ……牛の首がこっちを見てるぞ!
早く逃げないと!」
「わっ、分かってる!」
なかなかかからないエンジン。
虚しく音だけが響いている。
俺はじっとこちらを見つめる牛の首に目が釘付けになった。
ひとりでに動くわけじゃない。
叫んだりしないし、襲っても来ない。
ただじーっとこちらを向いたまま、窓の中から俺を見つめる牛の首。
何かを訴えようとしているかのようだ。
どるるるるぅん!
ようやくエンジンがかかった。
友人はアクセルを踏み込んで車を急発進。
猛スピードで車を走らせる。
「おい、気を付けろよ。
事故ったら元もこもないぞ」
「なぁ……変なこと言ってもいいか?」
友人は必死の形相でハンドルを握りしめ、前を向いたまま話しかけてくる。
「なんだよ?」
「さっきの肉……牛肉の味したか?」
「いや……その……それが……」
俺は正直に告白する。
「途中から変な味がしたんだ。
牛の首が運ばれてきてから……その。
まるで別の肉みたいだなって」
「豚肉でも鶏肉でもなかったよな。
羊肉でもクマやシカの肉でもない」
友人はたしかジビエ料理も好きで、よく食べていると言っていた。
「俺は今まで、ワニやカエルや蛇なんかも食べたことがある。
でも……そのどの肉とも味が違ったんだ」
「え? じゃぁ……もしかしてあの肉って……」
「人の肉かもしれない」
友人の言葉を聞いて、急に吐き気がこみあげてきた。
「とっ……止めてくれ!」
ききー-------い!
急ブレーキをかけて停車する車。
俺は転がるように外へ出て、道路わきに這いつくばる。
こみあげる吐き気そのままに、胃の中からせり上がって来たものを路上にぶちまけた。
オロロロロ……うげええええええええ!
吐き出される胃酸と吐しゃ物。
俺の眼前に先ほど食べた物体の山が築かれる。
ぐちゃぐちゃに混ざったそれはライトの明かりに照らされている。
意識が定まらずぼーっと眺めていると、異変に気付いた。
うじゃ……うじゃ……。
ぞわっ……ぞわっ……。
ぐねっ……ぐねっ……。
何かが……動いている。
一つや、二つじゃない。
それも無数に。
俺の吐き出した吐しゃ物の中で、何かがうねうねと蠢いているのだ。
寄生虫とかそういうのじゃない。
むしろ虫だったのなら、どれだけよかったか。
動いているのは俺たちが食べた肉だった。
網の上で焼かれ、歯で噛み砕かれ、細かくなったその物体が、目の前で蠢いている。
うねうね、ぐねぐね、ぞわぞわ、にょろにょ……
おげええええええええええええええええええ!
俺はさらに吐き出す。
隣で友人も同じように胃の内容物を吐き出していた。
気が遠くなりそうだった。
どうすればこの苦しみから解放されるのだろう。
現実から逃避して、ぼんやりと頭の中でそんなことを考える。
吐いても、吐いても、口の中からあふれる肉片。
うねうね、ぐねぐね、ぞわぞわ、にょろにょろ。
吐き出せば吐き出すほど増えていく。
この悪夢がいつ終わるのか、俺には分からない。
――
――――
――――――
「それで……その後、どうなったの?」
テーブルの向かいに座る彼女が、不思議そうに尋ねてくる。
「救急車を呼んだんだよ。
でも、どこも異常はないって言われた。
頭がおかしいんじゃないかって、別の病気を疑われたよ」
俺は肩をすくめる。
「でしょうね」
「でも、本当にあったことなんだぜ?
心霊体験よりよほど怖いと思わない?」
「怖いって言うか、気持ち悪い。
そんな話聞きたくなかった」
「尋ねて来たのは君の方だろ」
俺がそう言うと、彼女はため息をつく。
「世界で一番安全な料理をご馳走してくれるって言うから、
なんでそんな料理を作る気になったのかなって、
気になって聞いてみただけ。
こんな気持ち悪い話を聞かされるとは思わなかった」
「そうか……すまなかった」
俺は素直に謝罪をした。
「ごめん、今日は帰ろっかな」
「この向こうに何があるのか確かめずに?」
俺はそう言ってシャッターを軽くノックする。
ここは真っ白な空間。
高いところにある入口と、そこから部屋へ降りる階段。
部屋の色は白で統一され、LEDライトがまばゆい光を放っている。
俺と彼女が座っている椅子とテーブルの他には何も置いていない。
そして……壁には大きなシャッター。
これを開けると、向こう側にある物が明らかになる。
「ええ……興味が失せたわ。
どうせ牛の首が置いてあるんでしょ」
「どうしてそう思う?」
「だって……あなた、私を怖がらせようとしている」
彼女は不安そうに俺を見ている。
そんなつもりは毛頭ないのに。
「君を怖がらせるつもりはなかったんだ。
でも……どうしても……君に聞いて欲しかった。
俺がどんな思いで日々過ごしているのかを。
あの日以来、俺は肉を食べていない。
誰のことも信頼できないから」
「はぁ?」
「君は豚や牛をと殺して解体する現場を見たことがあるかい?」
「いいえ」
彼女は首を横に振った。
「スーパーに並んだ肉やレストランで出てくる料理が、
人の肉で無いと言い切れる理由は?
もしかしたら人間の肉かもしれないだろう?」
「そんなはずないわ」
「どうして分かるの?
実際に肉を解体する現場を見ていないのに」
「…………」
彼女は押し黙ってしまった。
「まぁ……いいさ。
この向こう側にある物が何か。
確かめない限り、きっと君は悩み続けるだろう。
普段口にしている肉が、本当に動物の肉かどうか。
人間の肉の味を君は知らないんだから」
「じゃぁ……もしかしてその向こう側にある物って……」
「実際に見てみようか」
俺はボタンを押してシャッターを開ける。
ぎぎぎぎぎ……。
ユックリと開いて行くシャッター。
白い壁に白い床。
白いライトに照らされた空間。
そこには巨大な肉の塊が鎮座していた。
人の背丈よりも大きく、両手を広げても横幅に足りない。
どくどくと心臓のように脈打つ真っ赤なそれは、あたかも生きた動物のよう。
「なに……あれ……」
「培養肉って聞いたことある?」
「え? あれが……培養肉?」
俺は頷いて答える。
「ああ……あの日、俺たちが食べさせられたのは、
勝手に増殖する肉だったんだ。
何も与えなくても大きくなる。
夢のような食べ物だったんだよ……」
「うっ……嘘でしょ……? 気持ち悪い!」
彼女は顔を引きつらせて言う。
服に着いた俺の吐しゃ物には例の肉の残骸が残っていた。知らないうちに自分の部屋へ持ち帰ってしまい、数日後その存在に気づく。
部屋に転がる肉塊を冷蔵庫に保存した俺は、それの様子を観察した。
少しずつ、少しずつ大きくなっていく肉塊。
何故か破棄しようとは思わず、ずっと大切に育て続ける。
ひとりでに増殖する謎の培養肉。
俺はこれをビジネスにしようと考えた。
今では世界中に工場を作って肉を販売。牛でも豚でも鳥でもない、新しい食材として注目を集めている。
残念なことに国内ではまだ知名度が足りず、一般的ではない。
早く安全で低コストなこの肉を各家庭の食卓に並べたいものだ。
「ほら……君も食べてごらん」
「いやあああああああああああああああああああああ!」
俺は彼女に肉塊から切り取ったかけらを差し出す。
まるで生き物のように蠢くそれを目の前に突きつけると、彼女は悲鳴を上げて泣き叫んだ。
「バラバラにした動物を食べてるくせに、
安心で安全な培養肉は食べられないって言うのかい?
これはどんなバイキンやウィルスも殺してくれて、
身体の中の悪性新生物だって駆逐してくれるんだぞ。
夢のような食材なんだ。
勝手にうじゃうじゃ増えて、おまけに捨てるほどあふれかえる。
まるで……」
そう、これはまるで……。
「まるで人間みたい」
一言ぽつりとつぶやくと、彼女は真っ青になったまま固まって泣くのをやめた。
その場に座り込んで呆然とこちらを見上げている。
びくびくと俺の手の中で踊る肉片。
一口齧るとあふれる体液が口内にあふれる。
ああ……生き物を食べるって素晴らしい。