第63話「弱音を吐ける居場所」
――翌朝。
子犬化されてから二日目の朝。
この姿でいることには徐々に慣れてきているが、それでも色々な不具合とかは発生している。
たとえば自分のことを抱きしめた状態で寝ているノエル。
いつもならば力で引き剥がすこともできるが、体が小さくなっている今はできそうにもないし、そもそも手ではなく足になっているから押すことはできても引くことはできない。
それに今朝は何かいつもとは違う感覚だった。
違和感が不快に感じて、すぐにでも自分はノエルに離れてもらうべくばたばたと足を動かすが逃げられない。
その代わり、ノエルが目を覚ましてくれたようだが……。
「おはよう、犬」
「挨拶はいいから早く離れてくれ! せ、背中に押し付けるな!」
「ん……いつもの犬なら喜ぶのに」
自分はこの感覚を上手く言葉にできない。
背中に感じるノエルの感触と体温が「イヤ」な訳ではない。
元々、こうして体を触れさせたことで感じる体温や、近くに居ることで鮮明に感じることのできる匂いを好んでいた。
大切な者が近くに居ると感じて安心していた。
だから嫌いな訳ではない。
それから離れなければならないように感じるのは逆の意味かもしれない。
いつもよりも頭の中がぼんやりとしている。
温かい、柔らかいなどと考えて恥ずかしいからと頭の中からくだらない感想を排除するのとは違う。
むしろ逆らえない。
自分の本心では思っていないのに欲張りになっているような気がしてしまう。
ノエルが抱きしめる力を緩めたと思うと自分の向きを変えて抱きしめ直した。
今度は正面に触れていたものが配置され視界まで囚われる。
「ノエル、もしかして俺の体に何かしたか?」
「発情期になるようにしてもらった」
「は?」
「犬が誰彼構わずに発情しちゃって生物兵器としての仕事を全うするのは嫌だ、って拒絶した発情期、戻してもらったの」
何が言いたいのか分からない。
そのせいで頭の中と体がちぐはぐになっているのだから。
頭の中ではふざけたことを言っているノエルからさっさと離れたいと考えているのに体が離れない。離れようとできない。
なぜ、そんなことをしたのだろう。
「犬のプロトタイプは獣人としての発情期プロセスを人為的に改造して常時、誰にでも発情を誘引させる匂いを発するようにされてる。でも、犬はそれを拒絶して相手を発情させることはなくなってた」
「そ、そうだよ。生物兵器になりたくないからって切り捨てたのに」
「大丈夫。あくまで『獣』に戻してもらったのは獣人として本来持つべき機能だけだから」
「何でそんなことしたんだ?」
「周期的に訪れる生理現象はメンテナンスも兼ねてる。リズムが崩れたりしたら不調を示すバイタルサインでもあるでしょ?」
自分はノエルの顔を見上げる。
そこまで自分の体のことを考えてくれていたのか、と愛されていることを実感して幸福に満ちた気持ちだった。
しかし、それはすぐに幻滅した。
ノエルの微笑みを見たら違うような気がしたのだ。
これは命としての体を考えているよりも物としての体を考えている顔だ。
「お前、そんなこと言って単純に定期的に襲われたかっただけだろ」
「何でそう思うの? ノエルは犬のこと考えてるよ?」
「何でも何も分かりやすく嬉しそうな顔してたろ。あまり詳しくないんだが発情期の周期ってどのくらいなんだ? テイムとか発情してるの見たことないぞ」
「一月に一回」
「は? ふざけてんのか?」
ノエル曰く、獣人としての発情期は基本的に半年に一度、一週間くらいのものらしいが頼んだ相手の都合で変わってしまったらしい。
彼女が言われたのは「自然の生物達に滅ばれては困るから一月に一回の頻度で繁殖の機会を与えている」ということだった。
それはあくまで命が短く生存競争の発生する自然の生物だからの頻度。
獣人という人間とほぼ同じような生活をしている者には必要ない。
「あと最初の一回は感覚に慣らすために弱い発情期からって言ってた」
「おい待て。今でさえ体が熱いし頭の中もやもやしてるのに弱めって言ったか?」
「もち。油断したら理性飛ぶって。犬はノエルのこと好きすぎるからちょっとしたことで理性が飛ぶかも。ああでも『獣』は犬の場合、理性が強いから回復するのも早いって言ってたよ? 三日ぐらいで治るって」
「ふざけたもん要求しやがって。来月以降、覚悟しとけよ? 治るまで三日間は俺に犯されても知らないからな? いや、犯す。お前が蒔いた種なんだから諦めて犯されろ」
「期待しとく」
「すんな。なんで喜んでんだよ」
「ノエルだって本当は犬が早く元の姿に戻れるように、って考えてるんだよ?」
それが真意かどうかは分からないが『獣』の事だからノエルの考えを先読みしていれば発情期以外にも何かしらの関与はしてくれているかもしれない。
まあ、それはそれとしてもだ。
一ヶ月に一度の頻度で三日も苦しい状態にされるのは納得できない。
状況次第ではもっと早く回復するらしいが、ノエルやニムルと生活している以上は簡単に終わるはずもない。
ああ、でも薬でどうにかすることもできると言っていたことを思い出した。
本当に嫌ならテイムに発情期を抑える薬を仕入れてもらうようにすればいいだけの話を、そこまで真面目に捉える必要もないのかもしれない。
嫌なら、か。
初めからノエルのことを拒絶するつもりなんてないのに、どうしてそんな考えが少しでも頭を過ってしまったのだろうか。
そもそも、これは彼女なりの気遣いだ。
己の人生の全てを誰かのために費やしてやる必要はない、と。
遠回しだが、そういう意図があるように感じる。
発情期となって自由が利かない間は戦いに身を投じる必要はない。暗に戦いを休む事があってもいい、と。
「ノエル」
「やっと理解した?」
「お前が優しいことも俺のことを溺愛してることも知ってる。だからこそ相談くらいはしてほしかった」
「相談したら絶対に犬は断る。ノエルに遠慮してる犬だから」
「発情期の度に犯す、って言ってるのにどこが遠慮してるんだよ」
対等になりたいノエルとしてはそのくらいでなければいけないのかもしれない。
自分は頭をすり寄せて好意と感謝を伝える。
巻き込まれた遊戯を終わらせることが目的ではない。
自分達が、皆が望んだ人生を歩めるようにするのが目的だ。
だから蔑ろにしてはいけない気持ちがある。
大好きなノエルに物乞いをするのは気が引けたが、それでもこんな状態の自分が何かをしようとするなら誰かの協力が必須である。
精一杯の従順と懇願を提示するしかない。
「先日の仕事に関して騎士団に報告しなきゃならない。その後、教会へも報告書の提出がある」
「犬も忙しそうだね」
「その通りだ。やらなきゃいけないことが沢山あるのに、俺の体は小さくなってしまっただけではなく、発情期のせいで力もまともに使えない。こんな体にしたことの責任を取ってくれ」
ノエルはベッドに自分を下ろすと正面から顔を見つめてくる。
彼女は責任を取る。
正確には発情期を戻したことに対する責任ではないが、対等なパートナーとしての責務を彼女ならば全うしてくれる。
不足しているなら補う、と。
あとは、それに対する自分自身の解答だ。
「ちゃんと俺が発散するのにノエルにも付き合ってもらうから」
「そうだね。パートナーなんだから普通は何をするにも一緒。犬が自分ひとりでやらなきゃならないことをノエルは邪魔しない。でも一緒にできることは一緒にしよ?」
「お、俺だれかに求めたりするの苦手なんだよ……!」
「だからこそ都合いいはず。発情期の時は抱えてるもの吐き出したくなる。内側に溜め込んだ怒りも悲しみも、弱音さえも表に出てくる。犬はそれを全部吐き出せばいい。もちろん欲求不満があるなら、それも込みでね」
ノエルは再び自分を抱えあげると部屋を出る。
月に一度のスーパー甘甘タイム。
抱えているもの、感じているもの、共有したいもの、その他どんなことでも構わない。
とにかく二人がお互いに抱え込んであるものを全て背中から下ろしてあげる時間。
ノエルは自分を甘やかしたい。
でも、頑張るなと言ってしまえば負担になると知っている。続けることに自分の存在価値を見出している者にとっては、それを止めろと言われることが苦悩になってしまう。
だから、強制的にイベントとして甘える日を作ってしまえばいい。
自分も抱えているものを伝えたり、求めたりすることが苦手。
誰かに任せるよりも自分でやった方が失敗のリスクを他人にまで背負わせずに済むし、話が早いから。
でも、そうやって抱えている限り心の負担になっていく。
手を差し伸べることを拒絶されたように感じた者達が苦しく感じる。
だから、このタイミングだけは全てと言わずとも相手が頷いてくれる範囲は求めても良い。
これが二人の普通。二人で共有できる幸せ。
そう思うべきなのだ。
――騎士団本部。
いつも通りキースは自分がしかめっ面で自分の提出した報告を確認している。
今回は怒られる可能性の方が高い。
自分が懸念していることは何件かあって、その一つ一つは大したことではないが、彼からすれば今後の作戦に影響しかねない事柄でもある。
一つはアルの権能による影響を受けてしまったこと。
信頼が成立したとはいえ他人だったプロトタイプの権能を受けるということは本人が説明していない効果を秘めている可能性があるという意味だ。
もし洗脳系なら壊滅しかねない。仲間を巻き込む可能性もある。
だからこそ素直に権能の影響を受けたことを報告するのは彼の怒りに触れる可能性がある。
あとはディオをあちらに置いてきてしまったことだろう。
彼は『現身の偶像』を使ってあちら側に転移したのだからキースの所に偶像は存在している。
だが、戻って来るかどうかはディオ次第だ。
指示がないまま勝手に転移を使うことはできないと判断すれば自ら戻ってくることはなく、孤児院に自分の居場所を見出したのならば傭兵としての役割も終わりだろう。
自分としてはどちらでもいいと思っていた。
彼の人生だ。望むものがあるならこちらの都合を押し付ける必要はない。
キースに怒られるのは自分が背負うべき責任だ。
しかし、いつまで経っても怒号は飛んでこない。
書類を見終えたキースの視線は椅子ではなく床で尻尾を揺らしている自分に向けられている。
「散々な目に遭ったようだな」
「まあ忙しかったと言えば忙しかったな。こんな短期間で二回も神域に招かれるなんて思ってなかったし」
「貴様は、苦しくならないのか?」
何が、と口を開きかけて何を言いたいのか理解した。
自分の置かれている状況に、という意味だ。
プロトタイプと戦い続けなければならない。
神格から茶々入れされることもある。
戦いが続けば仲間を失う可能性もあるし、自分自身が深く傷つくことも少なくはない。
それでも、平気なのか問われている。
自分はノエルに視線を向けてキースへの返答を考える。
平気ということはない。
痛いのも、苦しいのも、悲しいのも嫌いだ。背負わなくていいなら背負いたくない。
でも、その先にあるのは縛られたままの人生だ。
きっと自分はそれを許せない。
彼らが虐げる者の中に自分の大切なパートナーも仲間も含まれると考えたら黙って見過ごすことなんてできない。
だから苦しくても、自分が望んだ人生を維持するためには避けて通れない道なのだろう。
それを知っている人達がいる。
隣で一緒に背負って、慰めてくれる人がいる。
「抱えてるもんを吐き出せる相手がいるから、平気だな」
「そうか。それならいい」
キースは提出された報告書を部下に渡す。
それが部屋を出ていくのを確認してから引き出しを開け、そこから革袋を取り出すとノエルへと投げる。
ノエルはそれを胸の高さ付近で抱えるようにして受け止めた。
音を聞いた限り中身は金貨だろうか。
今さらになって考えてみれば今回の仕事は騎士団から正式に依頼されたものであり、報酬を受け取る権利がある。
とはいえ過剰な気がする。
ノエルの方を見ながらそんなことを考えていたらキースの鋭い視線が自分へ向けられていることに気がついた。
殺意のようなものではないが圧力を感じる。
体が小さくなり子犬同然の自分としては厳つい男に睨まれると恐怖を感じてしまうため、そそくさとノエルの後ろに隠れた。
「意図的に報告していないことがあるだろう」
「お、俺は何も知らない」
「わざわざ部下を退室させた時点で察してほしいものだ」
キースは席を立ち上がるとノエルの前に立ち尽くす。
立場とか気にしないノエルにとっては怖いとか感じないかもしれないが、ノエルの後ろに居る自分としては体格差だけでも十二分に恐怖を感じていた。
見下されれば尚の事、だ。
「貴様はプロトタイプに関して危険度の示唆しか報告していない。以前は事細かに報告してくれた者が、どうして半端な報告をするのか疑問がある」
「犬に悪意はない。でも、誰が悪意を持って接触するか分からない」
「利用されると困るという意味か」
「……アルは自分のしてきたことに後悔してた。そんな人間をまた軍事的に利用しようなんて話が出たら俺は目も当てられない。他の二人だってそうだ。軍事的利用が可能とも考えられる権能だった。可能なら二人にはそういう世界を知らないままで居てほしいんだ」
ラビもシルヴィも本来の、戦いとは無縁のはずだ。
孤児院で生活する子供達の、アルの支えとなりたいラビ。
ただ一人の神様を信仰していたかったシルヴィ。
どちらも使い方次第では戦局を大きく覆しかねない権能を有しているが、それは過保護な神様に与えられた彼女らの特権であり、他所のために使うものではない。
それを、皆が理解してくれるような世界ではないことも知っている。
だから隠すべきなのだ。
キースは溜め息を吐いて席に戻ると引き出しから一枚の書面を取り出す。
それはノエルに手渡される。
見えない自分に変わってノエルがそれを読み上げてくれた。
「提案書?」
「戦争が終わって、くだらない遊戯とやらが終わった後に彼らが身を潜めて生きねばならない理由がどこにある。それを貴様が一人で抱える必要はないだろう。当事者である貴様の口から提案しろ。我々という権力を利用しろ」
「でも、一般人がそんなことしていいのか?」
「一般人? それはちがう。貴様は立派な人権侵害の被害者で我々にとって雇われの人間以上に価値のある存在だ」
そこは素直に対等な仲間と言ってほしかったが……。
キースなりに気を使ってくれたのだろうか。
騎士団長はその後、会議があって忙しいとのことだったため、手を使えない自分の代わりにノエルが提案書に自分の考えを記入し、彼に提出して自分達は部屋を出た。
大まかにはアルに対する監視の解除、ラビ達に対する軍事利用の禁止、シルヴィに対する支援だ。
自分の罪と向き合い変わろうとしている者をいつまでも睨み続けても意味がない。
彼らは全て未来に向けた生活を始めている。
それを自分達が邪魔してはいけない。争いと縁のない子供達まで巻き込むことになっては何のために調査したのか分からなくなってしまう。
だから、もう自分は介入しない。
騎士団への報告は定期的にエイルを通して行う。
彼女は子供達と触れ合うことができ、そのついでに異常がないかを騎士団へ報告してもらえば一石二鳥だ。
「犬の提案、大半は通ると思う」
「俺だって馬鹿じゃない。通らない可能性が高い提案はしない」
「そうじゃない。できるかどうかより、キースの考え方次第」
ノエルの言いたいことがそのまま頭に流れ込んでくる。
彼が聞き入れたいと感じているのなら不可能な提案だろうと団長という立場を利用してでも通してくれるはずだ、と。
心情的に彼は気を許してくれている。
戦友というほど共に行動したことがあるわけでもないが、志を同じにして活動しているという点では良き仲間とも言える。
故に信じてくれているのだろう。
別に悪意があった訳ではない。
だが、彼がそうしてもいいと言ったのだ。自分の置かれている立場を、彼の持つ権力を利用しろ、と。
悪いことに使うわけでないのだから、本人がいいと言うなら遠慮なく利用させてもらうだけだ。
ノエルはこちらの考えをどのように認識したのか分からないが満足げな顔をすると再び次の目的地へと足を進める。
今度はフィアにプロトタイプ関係の報告をしなければならない。
できることならば主教などには会いたくないため、教会に入るタイミングで彼女と鉢合わせられたら良かったのだが、そう上手く事が運ばないことの方が多い。
「おお、健勝だったか」
「俺のどこを見たら健勝に見えるんだよ、雑用騎士」
失礼と承知しつつ、先に無礼を働いた黒騎士レイスへと毒を吐く。
もはや街が平和すぎるとただの雑用係のように扱き使われているらしく、騎士としての面影などあったものではない。
まあ、戦うだけが騎士ではない。
こうして民衆の中に紛れて生活するのも一つの形なのだろう。
「フィアは?」
「何やら考え事があると地下室に引き籠もっている。念の為に伝えておくが、乙女が一人で考え事をしたいと言っている部屋に殴り込みなど掛けるのは良くないぞ」
自分は黒騎士の忠告を無視して教会に入る。
いつもの凶悪な様相とは変わってノエルに抱えられた子犬なので他の信徒達も訝しむこともなく会釈してすれ違うことができる。
こういう場所では便利だ。
今後、教会に入る際にはノエルに頼んで子犬化してもらうべきだろうか。
なんて冗談も程々に教会の地下室へと階段を下っていく。
燭台に火が灯っているとはいえ明るくはない。ノエルが階段から足を滑らせないか不安になる。
最下層の牢獄へ着くと中にフィアが居る。
牢獄の扉も閉めた状態で奥側の壁を見つめたまま立ち尽くしているため、何をしているのか知らない自分達にとっては少し奇妙に感じた。
とはいえ、以前自分が来た時とは環境が違う。
ただの牢獄だった場所には木製の棚が設けられ、その半分程度にプロトタイプ関連の報告書を綴ったものが並べられている。
「入るなら勝手にどうぞ。鍵は開いてます」
「明かりくらい付けろよ」
どこかにランタンが無いか探してみるが見つからない。
初めから明かりを灯すつもりはなかったらしい。用意していないのなら仕方がないし、そもそも理由があるからこんな所に居るのだろう。
自分はノエルの腕の中から下りて様子を窺おうとした。
外でレイスが考え事をしていると言っていたように、思い詰めているような空気を感じる。
あまり茶化すべきではないような空気だ。
フィアはこちらを振り向くと軽く会釈をしてから口を開いた。
「暗い場所では五感が鋭敏になると聞いて試していたんです。まあ、見ての通り特に効果があったようには思えないのですが」
「感じたいなら裸になればいいだろ」
「本気なのか冗談なのか分かりませんが、蹴り飛ばしますよ?」
フィアから冷えた視線が刺さる。
自分に悪意は無かったが上手く伝わらないこともある。
説明の手間を省くため自ら示した方が早い。
フィアの前で腰を下ろし、背筋を真っ直ぐにして目を閉じる。意味のないような行動に見えても、こうすることで心を無にして五感で感じ得たものだけを享受することができたりする。
ある程度、間を開けて目を開いた自分は姿勢は保ったまま説明を続ける。
「冗談に聞こえるかもしれないが人間は邪魔なものを身に着け過ぎだ。衣擦れの音や装飾の揺れる音、それらの感触。感じ取りたい物があるなら邪魔以外の何物でもない。それらを取り払った状態で心を無にして触れるもの全てを受け入れるんだ」
「簡単に言いますけど、それはあなたがケダモノとして持つ特権では?」
「裸で歩いても怒られないことか?」
「やっぱり蹴らせてください。少しでも真面目に聞いてあげようと思った私の誠意を返してください」
思い詰めた表情をしているから笑わせてやろうと冗談を言ったつもりだったのに蹴られるのは心外だ。
そもそも今のサイズで人間の蹴りをまともに受けたら最低でも骨折。悪ければ内臓破裂も考えられる。
まったく、神官ともあろう者が、血の気が多すぎて困る。
自分はフィアの足が振り抜かれる軌道上から飛び退くと、彼女が絶対に間違っても攻撃を当ててはならないノエルの側に逃げた。
「そもそも何を感じ取りたかったんだよ」
「…………あなたには関係ありません」
「どうせこんな場所に居るくらいだからプロトタイプ実験の被害者達のこと考えてたとか、そんなところだろ?」
図星なのかフィアは視線を逸らして合わせてくれない。
気にする必要はない、という言葉は励ましになりえないだろう。
責任とか、そういうものを感じているのなら原因を取り除いてやる必要があり、違うとしてもフィアが納得できる答えが見つからない限り素直に諦めたりしないかもしれない。
この場合、フィアが彼らに何をしてあげたいのかが重要になる。
知ってあげたいのか、共感したいのか。それとも声をかけてあげたいのか、何かを変えたいのか。
そういうものがわからないことにはどうにもならない。
たとえば自分なら彼らが望んでいたものを可能な限り叶えてやりたいとは思う。
リーブスが願ったように記憶に留めてやりたい。
アステルの願いは叶えてやれないけど、気持ちは報告書としてこの場所に残してある。
それが自分なりの贖罪のやり方だった。
フィアの場合は……。
以前にプロトタイプである自分によって殺されることは罪滅ぼしにはならないという話をした。直接的ではなくともプロトタイプ全体に関係しているフィアが一人の憂さ晴らしに付き合って終わるのは許されない、と。
気になったのかもしれない。
彼らが自分に対してどんな感情を持っているのか。
一人一人の声に耳を傾けたいのかもしれない。
意味がないとは言わないが聞いても変わらない。フィアは全て自分が原因だと責任を受け入れようとする。
仮に誰かが恨んでいないと言っても彼女は信じないのだ。
「そろそろ前を向いてほしいんだけどな」
「私にですか?」
「他に誰が居るんだよ。いや、振り返るなとは言わないけど後ろばかり見て前にいる人達を見失ってたら仕方ないだろ、って話だ」
フィアが「前にいる人達なんて」と言いかけたタイミングでノエルが釘を差すように睨んだ。
視野が狭すぎる、と。
「進む人は進んでる。過去なんか気にせずに前を向いてね。それはノエル達にとっての敵も然り。復讐に囚われて立ち止まってる人達よりも自分達のしたいことを見てる人だっている。だから、フィアが気にするべきは後ろじゃないでしょ?」
「立ち止まりそうな者の背中を押す、ですか」
「分かってるなら良かった。はい、犬からの報告書。丁度いいことに前を向いている人が三人も居るよ?」
ノエルの言う通りだ。
過去の償いとして新しい世代を守ろうとする者。
それを支えようとする者。
一から再び、進路を変えて歩みだそうとしている者。
フィアに提出した報告書にはそんな三人のことが書かれている。
それを見て少しは考えを改めてほしいところだ。
「今日はもう帰ってください。報告書には目を通しておきます。その上で自分がやるべきことを考えたいと思います」
「参考までに、お前の所でお手伝いをしてるレイスも考え方を改めて前に進もうとしてる一人だと俺は考えてる。答えが出そうになかったら聞いてみるのも一つの手だと思うぞ」
「大丈夫です。たぶん答えは分かっています。納得するかどうかは別として」
ここまで理解していて間違った方向に進むことはないだろう。
長居する理由もないため自分はノエルに抱え直してもらうべく視線で訴えた。
それを見たノエルは悪い笑みを浮かべる。
「今日の犬はいつになく甘え上手だね?」
「誰のせいだと思ってる。みっともなく尻尾振ってお願いしてるんだから意地悪なこと言わないでくれよ」
「そんなつもりはないよ。犬が心からノエルを必要としてくれて満足なだけ」
そういうところだと思う、本当に。
毒を飲ませておいて解毒薬を渡すことで好印象を与える詐欺まがいのやり方をしておいて、それを正当化するかのような発言をしているのだ。
普通なら逆ギレしてもいいレベルの行い。
自分がノエルを許しているのは自覚している部分があるからだ。
殴って気絶させてでも止めないと休まないような者はいる。自分もそれに近い状態だったことは否定できない。
だから毒を飲ませた相手だとしても尻尾を振る。
「今日の用事はこれでおしまい?」
「そのつもり、だ……?」
あとは、帰るかノエルが寄りたい所があるなら寄るだけだった。
ただ言い切るより前に自分の嗅覚は嫌なものの存在を嗅ぎ分けた。
もちろん自分だけではない。
自分が感じ取った嫌な存在の気配はノエルにも伝わる。
「待ち伏せしてる?」
「分からない。でも、直接的な殺意とかではない。むしろ、好意的な感情を持っているように感じるけど……」
匂いは嫌な記憶を呼び起こそうとしている。
これは自分が記憶を失う前に体感した何かを嗅覚が察知した可能性が高い。相手が記憶を失っていることを知った上で接触しようと試みているなら敵意を感じないことにも納得できる。
いや、今はそういう段階ではない。
この状況をどうするか。
教会を出れば嫌でも接触することになるし、逆にここに留まれば相手が教会で暴れ始める可能性もある。
今の状態の自分にどうこうできるような相手ではないのは間違いないのに、だ。
それでも他人を巻き込む選択肢は無い。
ノエルと目が合うと頷きで返される。
ここで暴れられて、知らない人達を巻き込んで後悔するくらいなら、少しでも穏便に済ませられる可能性を求めて相手の前に出る。
ノエルの腕に抱えられたまま教会を出ると、外の柱に寄りかかっていた男がこちらに気付いたのか近づいてくる。
そして、正面まで来ると止まった。
「少しだけ、お時間いただいても?」




