第7話「それが自分の罪」
翌日、気持ちに整理がついた俺は報告しに向かった。
主教の方からは被害拡大に繋がる可能性のある《種を遺す者》を犠牲者を出さずに討伐してくれたと報奨を渡そうとしてきたがノエルと俺は受け取らないことにしていた。
前日に相談し、命を奪った者が、ましてやノエルに関しては神様であるのに対して罪を犯したまま何かを受け取るような行為は許されることではない。
そう、あくまで奉仕活動のようなものにしておこう、と。
「……起きて!」
「うぐっ!」
何やら腹部に重いものが乗っかってきて鉄格子にぶつけた背中に響く。
俺の体は獣並みに生命力があるらしく治るのは早い方だが治りきらないうちの攻撃は普通に痛いと感じるもの。
ましてや寝起きである。
「まだ日が昇ってすぐじゃないか。寝る」
「起きて! まだ寝ると言うなら犬を去勢して女の子にする」
「…………」
「そんな目で見なくても冗談に決まっている。それに犬を去勢してしまったらノエルは犬との間に子供を作れなくなる」
はいはい、そうですね。
冗談でも俺のアレが失くなるとかいう話をされたから思わず睨んでしまったがノエルは俺と番の関係にあるし女の子にしたら同性愛者の神様なんて呼ばれ方になって洒落にならないもんな。
とはいえ二度寝は良くない。
このままだと本当に去勢……まではいかなくても間違いなく何かされる。
俺の大事な場所が何かされる前に起きないとノエルならやりかねない。神様には二言が存在しないのだから。
ほら、切られなくても潰されるとか。
「今日は天気がいいからノエルはお散歩しようと思う。犬も行こう」
「俺の散歩かよ」
「いやノエルの散歩。ああ、犬が付いてくるならデートというものになる」
「言い方を変えようと散歩だろ」
内心、いつも犬扱いされていることに少しだけ悲しく思っていた俺はノエルの発言に自分が本当に犬としか扱われていないと思って腹が立った。
別に神様にとってヒトなんか虫とかと同じようにしか見えないのかもしれないが少しだけでも俺を男でしてみてくれてたら、なんて思わなくもない。
むしろ期待した。
ノエルは俺を男として見てくれて、さっきの去勢するとかいう話も俺がそういう生き物だから言ってみた的な話の流れでも意識されているだけで嬉しいものだ。
なのに、俺は犬でしかない。ペットでしかない。
ヒトには、なりきれない。
「ノエルとデートするの、そんなに嬉しかった?」
「だ、誰もそんなこと言ってねえぞ!」
「尻尾」
「あっ! これはちがう!」
散歩に連れて行ってもらえることが嬉しいなんて俺は思っちゃいない。
だって、そんなの男として許せないだろう。
「散歩が嫌ならずっと家に居てもいい。散歩に行くなら犬と行きたいから。家の中にいるならノエルも家の中にいる。こうして乗っているだけで嬉しいなんて、犬は随分と欲が無いみたい」
「その、わざと気にしてないフリをしたけど何で、いや……その格好は何だ」
寝起きからずっと、気になっていたけど言い出せずにいたことがある。
それはノエルのパンツが見えていたこと。
俺の腹部に跨るために大股開きしているから、というのも無くはないが単純に跨がるだけなら見え方はもう少し違ったはずだ。
今のノエルは違う。スカートを穿き忘れたのかというレベルで見えている。
何なら本当に寝間着と思われる帽子付きの上着しか着ていない。
「不思議なことを言う。ノエルは犬に跨っている、以上」
「いやいや! そうじゃなくて見えてるんだよ!」
「当たり前のことだと思う。何か変なのか?」
「腹の辺りに柔らかいのが乗ってきたなとは思ったけど、布越しだと考えるだろうが!」
まさか、ほぼ生の肌が触れているなんて、思うわけがない。
柔らかい上に視界にそれがあるということが何より俺に落ち着くという一番大切なことをさせてくれないのだ。
寝起きだから言い訳できるにしても下半身の方には意識を向けないでほしいくらいである。
「犬は裸で寝ているのに、ノエルは駄目なのか?」
「当たり前だっ! つうか俺は裸じゃないからな?」
「ノエルも裸じゃない」
「ぐっ……!」
「元はと言えば犬が悪い。犬はノエルと寝たくないと虎に頼んで別の寝台を用意してくれた。それには感謝してるけど一人で寝るなら格好は自由で、犬を起こしに来るならそのままの格好であると思った方がいい」
そう言われるとぐうの音も出ない。
正直な話、まだ儀式的な何かをしたわけではないが新婚という捉え方もある俺達だが恥ずかしがって一緒に寝ようとしない俺も悪いかもしれない。
まて、絆されるな。
俺と寝ていたらノエルが普通の格好をするなんて保証がどこにある?
基本的に俺が独り身だからと上裸で眠ることがあるようにノエルがそういう格好で寝ているかもしれない、なんて話も否定はできないはずだ。
それにノエルのことだから自然体が一番とか言って全裸かもしれない。
もし本当にそうなのだとしたら?
ノエルの格好はいつも寝ている時と同じ姿であり、これは俺が一緒に寝たとしても変わらない。
「……ノエルは犬が求めてきた時に対応できる格好をしている」
「なっ!」
「犬が突然ノエルに欲情する可能性がある。犬は女の子の服を脱がせたことなんて無いから単純に脱がせるだけのものならいいと思った」
「くぁっ……!」
「?」
やばい、欠伸してしまった。
さすがにノエルにここまで追い込まれるとは思ってなかったし今の言葉に嘘がないんだとしたら俺との関係は本気ということだ。
なのに欠伸をしたなんて思われたら怒られるよな。
これは緊張から来たものだが、ノエルが理解してくれるとは……。
「ごめん、困らせた?」
「ん?」
「いや、犬はノエルのことをとても真剣に考えてくれていたから発情したからって簡単にそういうことはしないと決めてくれていたならノエルはその、余計なお世話で犬を困らせてしまったのかな」
「ノエル……」
俺はノエルの背中に手を回して軽く押すと自分の上に倒れさせる。
さすがに一人で考え込ませ過ぎた。ノエルが俺のことで色々と考えてくれていたのに一人だけ恥ずかしいから抱きしめるのも嫌ですとは言えない。
「お前は本当に俺のことをよく知ってるな。俺の犬みたいな体質とか面倒な性格とか全部理解してて、その上で俺が喜ぶようなことをしてくれる」
「犬?」
「困るなんてのが間違いだ。お前がそこまで考えてくれてるなら俺は素直に甘えればいいんだよな。お前の優しさに」
「犬は良い子。良い子すぎて、苦労してる」
ノエルは身体を起こすと俺の頭を撫でた。
その何でもないような行いがどれだけ俺を救ってくれていることか、おそらく口にしても本人は理解してくれないだろう。
今まで俺がしてきたことは全部、誰かにそうしてもらうためのものだったのに。
「散歩、行きたい。お前と」
「分かった。今日一日くらい犬はノエルに甘えてほしい」
犬でもいいんだ。
ノエルの犬でも、俺は幸せになれる。
自分が求めていたのは褒められることであって、誰かと対等にあろうとすることなんかじゃないんだからノエルに撫でてもらえるだけで、それだけで幸せなんだ。
――その後、川近くにて。
「ノエル……」
「どうかした?」
俺の低く唸るような声に対して毅然と返してきたノエルは俺が何に不満を覚えているのか分からないという顔をしている。
もちろん散歩は嬉しい。
ノエルも笑っているし、そんな彼女を見ていられるから俺も楽しかった。
だがな、いい感じの雰囲気がぶち壊しなんだよ。
俺の首につけられたこれのせいで。
「俺は普通にノエルと歩きたかったんだ! それなのに、何だよこれ!」
「何って、首輪だね」
「んなこたぁ分かってるんだよ!」
問題なのは散歩とはいえ俺は何で首輪をされているんだ、ということである。
犬という呼び方にしても、俺に対する扱いにしても犬そのもののように扱われている気がしていたが俺はノエルを信じていた。これらは全て冗談で俺のことは本当に愛してくれているものだとな!
それに対してこの仕打ちはなんだ?
大柄の男が首輪をつけられ小さい女の横を四つん這いになって歩いてるんだぞ?
悔しい。負けた気分だ。
なんで俺がこんな屈辱的な姿をさらさねばならないのだ。
「散歩したいって犬は言ってた」
「それはお前と歩きたいって意味でな!」
「犬と歩いてるけど」
「だぁっ! そうじゃなくて!」
「あんまり吠えると色んな動物が出てくるよ」
誰のせいだよ!
はあ、ノエルのことを好きになっていたのは俺の一方的な勘違いで、ノエルは遊びというか、仕事の都合上仕方ないから俺と行動を共にしてたんだな。
がっかりだ、ほんと。
「あのね、犬」
「なんだよ、御主人様」
ノエルは首輪を繋いだ紐は離さなかったが俺の前に立つとしゃがんで目線を合わせた。
目線を合わせるも何も俺の視線は四つん這いでも低くは無い。
あくまで軽く膝を曲げた程度だ。
「こんな首輪、簡単に壊せるよ」
「っ!」
「首輪もそうだし、昨日の檻もそう。あなたが喧嘩して負けた相手だって同じ。あなたなら簡単に壊せるのに、あなたは自分が置かれている状況に諦めて従順になりすぎる」
そんなこと言われても本能がそうさせるんだよ。
首輪を壊したら殴られこそしなくても叱られるから壊したくなかったり、檻を壊せば洗浄は大きく広がって被害が大きくなるかもしれないから壊せない。
何もおかしくはない。
自分が手にしているものを壊す可能性を否定してまで欲を追求するつもりはないだけだ。
それだけの危険性を冒して、手に入れられなかった時が怖いから。
「ノエルは言った。今日一日くらいノエルに甘えてもいい、って」
「さすがに御主人様を汚すような駄犬じゃねえよ」
「犬は怯えなくてもいい。ノエルが守る。ノエルが、あなたが悩まなくてもいいように考えるから難しい顔をしなくてもいい」
「本気で……お前は、本気で言ってるんだよな?」
存外、溜め込みやすい生き物だから。
ほんと簡単に溜め込む性格のくせにノエルの一言だけで決壊するくらい脆い心の持ち主で、感情に任せてしまうんだ。
この一時すら我慢できない。
俺は平気です、お前に守られる筋合いはない、って強がれない。
素直で……たぶん嘘が下手くそな俺は涙を誤魔化せない。
「ほんとは、駄犬なんだ。いつも御主人様に噛み付く悪い犬だった」
「うん」
「俺を使おうとしてた人間に噛み付いて、作ってくれた人間に噛み付いて、何でもかんでも壊しちまう自分が嫌になって噛み付いて……それが嫌だから自分を出すのをやめたんだ」
「うん」
「俺は《成長する者》なんかじゃない。成長することを否定した臆病者だ」
ノエルは俺の首に手を回すとカチャ、という音が聞こえて首輪を外してくれたようだった。
でも、そんなの無くたって俺は同じだった。
首輪があってもなくても御主人様に叱られるのが怖くて萎縮するだけの飼い犬のまま。
ノエルはそれを思い出させようとしていたんだな。
そして、俺がその戒めから開放されるのを促してくれていた。
俺はノエルに飛びかかる。
じっとしてなんかいられない。
「ノエル、俺が偽物でも許してくれるか?」
「ん?」
「俺が外っ面ばっかり強気でノエルにあやされてるような子供でも、許してくれるか?」
「…………」
そう、だよな。
実際のところ産まれてから何年とか作られてからどれくらいとか分かっていない俺は子供のまんまみたいなものだし、そんなやつが強がって、ノエルをガキ呼ばわりしてたんだから許してくれるわけないよな。
いや、許されなくていい。
ノエルが許してくれなくても本当に側にいてくれるだけで俺は幸せなんだ。
俺がノエルの返答に期待できず離れようとした時、ノエルはぼそっ、と呟いた。
「それがガルムだし」
これはもふもふの刑に処さないと気が済まない。
ノエルが飽きるくらい俺という犬をもふらせてやる。
「っ! ノエルゥ!」
「ちょ、犬! さすがにそんなに絞められたらノエルも死ぬ!」
「お前みたいな女の子が御主人様で、お嫁さんで俺は本っ当に幸せだぁ!」
「馬鹿犬!」
「んがっ!」
「そそ、そういう恥ずかしいことはね、寝る時に言ってほしい……! ノエルだって恥ずかしいという感情、無いわけじゃないから」
我ながら間抜けだったと思う。
でも俺はこのくらいストレートに気持ちを伝えないと安心できない質なんだ。
「犬が、小さくなる方法を考えないとね」
「……宛が無いわけじゃない」
「心当たりが?」
あるにはある。
しかし、俺と同じように戦争とは無縁に生きたいと素性を明かさず生活している【試作品】は少ないわけではない。
心当たりも似たようなものだ。
だから巻き込んでもいいのか悩んでしまう。
彼女はもう、争いごとに巻き込まれたくないと言っていたし、俺の顔を見たくないと喧嘩して別れたのが最後だ。
「今はノエルがいる」
「…………!」
「喧嘩になっても、止めてあげる。だから会いに行こ?」
――その頃、テイムの家。
「テイム様、食事の用意ができました」
今日の収支報告書を仕上げた頃に呼び出しが掛かる。
自分は「様」を付けられるような大層な身分でもないが彼女たちには安定した未来を掴んでもらうために強制している。
いや、一種の躾だ。
彼女たちが頼まれるかもしれないことは予め自分が教育し、躊躇いなく実行できるように日常化を図る。
それによって未来が断たれる可能性が大きく低減するのだ。
「ミスティも別れが近いのかな」
「どういう意味ですか?」
「お前のことを大切にしてくれる主人のところに行くってことっすよ」
愛情を与えて育てていた分、寂しいな。
特にミスティは手間が掛かった。皿は何枚も割るし掃除しても綺麗にするどころか散らかり、寝る時は必ず一緒でないと泣いてしまうし夜の相手は全くと言ってもいいほど上達しなかった。
つまり、彼女は手間と同じくらいには愛情を持って育てた子なのだ。
それがいよいよ旅立ってしまう。
いや、こんな仕事をしておいて感情移入している時点で自分は商人失格だ。
「テイム様、私は」
「きっと大切にしてもらえるっすよ。ミスティは手間が掛かっても愛嬌があるから」
「そうでしょうか」
ミスティが浮かない顔をしていた。
おそらく知らない家に行くのが不安なのだろう。
「何も心配しなくてもいいっす。ミスティは本当に出来る子っすよ」
「私は!」
ミスティは大人しい女の子だ。
派手なことはしようとしないしかもしれないの練習の時だって自分をあまり主張しなかった。
虫すら殺せないような女の子だ。
そのミスティが自分の胸に体重を預けてきたのは珍しかった。
何より、声を荒げることなんて無かったんだ。
「テイム様のことが心配です!」
「…………!」
「あの方はテイム様のことを見てくれてないんですよね。そんな状態でテイム様を支える人間がいなくなったら」
たしかに自分の心はガルムに捧げた。
彼という男が頼ってくれるなら女という生き物を必要と感じないほどに自分はガルムに依存していて好きだと感じている。
彼と一つになりたい、そう感じることもある。
でも自分の気持ちは叶えてはいけないもの。
男同士だからとかではなく、自分の一つになりたいという気持ちはおそらくガルムを傷つける。
そういう性に生まれたのだ。
「テイム様が私を買ってください!」
「本気っすか?」
「嘘を言っているように見えますか? テイム様があの方を好きだという気持ちを変えないとしても私は側にいます。あの方に渡すことのできない気持ちの憂さ晴らしを私にしても構いません」
「ミスティ、俺は兄貴のこと本当に大好きっす。兄貴と添い遂げたいと、思ってるっす。けど、その叶わない想いの憂さ晴らしをミスティにして体だけの関係でミスティを傷つけられないっす」
こんないい女の子が自分のために心を窶すのを見たくない。
できることならガルムのような主人の元へ送り出してやりたいくらいだ。
「テイム様が私に新しい御主人様を探してくれたとしても噛みつきます! すぐにテイム様の元へ戻りますからね!」
「ミスティ……」
「それに、テイム様の秘密を知っている者が一人くらい側にいないと苦労するのではありませんか?」
そこを突かれると痛い。
自分にはガルムにも打ち明けられずにいる秘密があり、ミスティはそれを知ってしまった人間の一人なのである。
無論、教えたわけではなく、見られてしまったのだ。
彼女はその秘密を墓まで持っていくと言ってくれている。
「テイム様は私を使ってこまめに発散してください。あなたが慕うあの方に秘密がばれてしまわないように隠すんです」
「ミスティの言うとおりっす」
「では……?」
「ミスティは何処へも行かなくていいっす。ただ、今まで通りとは行かないっすよ? 奴隷として新しい御主人に渡る前だからと躊躇っていたことは普通にするし、俺にとっては兄貴だけが全て。ミスティのことはヒトとして大切にするけど愛人とか、そんな大それたものにはできないっす」
「構いません。私は折れない心と頑丈さが取り柄だとテイム様が教えてくれましたから」
そんなことを言ったこともあったかもしれない。
自分は知らないうちに言葉巧みに誰かを拘束する手段を得ていく。それが生まれた時から背負い続けてきた罪。