第62話「自然を愛した子」
白い虎の一言に数秒、思案する。
特に「お前」と視線で示された自分は対象として明確であるため、ここで変に警戒してしまうと争いに発展しかねない。
ノエルの隣で、比較的リラックスしている姿勢で足を畳む。
子犬化に伴い獣形態であるため姿形は『獣』と変わらない。
ある意味で対等とも言える状態であるからこそ、堅苦しいものは必要なく、自分にとって楽な姿勢を取ることが一番相手の考えに了解していることを示すことになる。
相手も概ね同じ姿勢になり、目線の高さが少し低くなった。
「まずは突然の呼び出しであったことを詫びる。そなた等も満足に時間を与えられず忙しない気持ちだったろう」
「それは否定しない。他のやつに神域へ呼ばれて間もないタイミングだったから俺もこんな姿で応じることになった」
「あちらの都合だ。考慮することはない」
白虎無関係だと言い放ち大きく欠伸をした。
彼は『狩猟』がこちらを呼び出したことも、その直後に招集をかけたことも偶然の事だと言いたいらしい。
自分は理解している。
彼らにとってこちらの都合などどうでもいい。
創作物のことなどそれとしか見ていないし、今はあくまでそれぞれが誰かの駒という扱いになっている。自分の駒でさえない者の都合など考慮しないのは当たり前とも言えるだろう。
しかし、隣にいる神様はどうだろうか。
自分の半身とも言える者が粗雑に扱われている状況を楽しいと思うだろうか。
否、そんなはずはない。
仲間内で「命を削って力を一時的に増強した」と話があったばかりなのに、それを勝手な都合だと一蹴されたのだ。
誰も彼もやりたいさせたい放題では困る。
ノエルから耐え難い怒りが伝わってきていた。
自分は納得こそしていないが気にしていないことを心で伝えようとしたが、彼女は完全に怒りの感情で一杯らしく、こちらの考えなど受け取ってはくれなかった。
このまま彼女が殴りかかっては殺し合いになりかねない。
力量差を考えるならば戦力がこれだけ揃っていても傷をつけることさえ叶わないだろう。
あくまで自分達が振るうのは劣化版の神性。届くはずもない。
ノエルを止めたい一心で体を起こすと彼女の胸に飛び込んだ。
突然のことに驚いたような顔をしながらも抱えてくれたのノエルは自分を見つめてくる。
何を伝えたいのか分からなくても必死なのは分かってくれるはずだ。
そして、ノエルが自分を抱きしめて目を閉じると自分達と白虎の間にテイムが割り込んだ。
彼もまた言いたいことでもあるのだろう。
「俺も気に食わないっす。兄貴のこともそうだし、俺の試練も……。俺が敵だと分かっていても傷つけることを望まないって分かってて、あんな試練を用意したなら鬼畜過ぎると思うっすよ」
「ではなぜ、そなたは仲間の姿をした者に刃を突き立てることができた?」
「それしか答えがないからっすよ」
「選択肢はあった。殺さずに、導かれるままに後ろを歩むこともできた。立ち止まり、誰かが答えを見つけるのを待つこともできた。そなたは今までそのようにして生きてきたのではないか?」
「人は成長するもの。変化も当たり前」
ノエルが口を開いた。
先程までの怒りに塗り潰された状態から、今は落ち着いている。
どうにか伝えることができたらしい。
自分とノエルはお互いに生きてさえいれば、そこに残ってさえいれば続いていくものだと考えている。
自分の記憶が消えたとしても、思い出をもう一度作り直せばいい。
大きく傷ついたとしてもゆっくり癒やしていけばいい。
そう、結論を出したのだ。
だから相手がこちらの都合を考えていない程度で我を忘れてはならない。
ノエルは抱きしめた自分から伝わる小さな温もりを感じながら、その考えを第一に神様としての立場から考えを口にする。
「虎は自分の意思で動くことの必要性も、それに伴う責任があることも知ってる。誰かを守るための選択は、他を傷つけるかもしれないことも知ってる。それを全て背負って生きてる。それぞれの分岐点には他の大切な人も関わっていたかもしれないけど自分から変化することを許容した」
「では、テイムは元からそうであった可能性はないと?」
「ゼロとは言わない。でも、少なくとも誰かを傷つける選択を自ら選ぶような性格なら犬は虎に心を開かなかったと思う」
ノエルの言う通りだ。
自分が嫌う自分とは遠い場所に居たのがテイムだ。
死にたくないからと誰かの思うままに傷つける選択をしてしまった自分を否定してくれる存在だと思ったから一緒に居てもいいと思った。
テイムは元からお人好しだったと思う。
だからこそ『傲慢』は彼に応えたのだから。
守るために望まぬ支配者を演じる者として……。
ノエルは何かに気づいたのか顔を上げる。
「あなたの代行者は……?」
「彼は自然を愛していた。だが、歪んでしまった」
「リーブスか?」
白虎から肯定は返ってこない。
否定しないならば合っているのだろう。
自分の知っている情報では彼の権能により孕ませた雌は胎内に彼を宿し、外に居る方のリーブスが死んだ場合、胎内に宿されたリーブスが赤子として産まれるというもの。
神域で自分の前にテイムの複製が現れたことを考えても近しい権能だ。
しかし、彼が自然を愛していたようには見えない。
いや、戦場へ連れ出されるまでは優しい心を持った生き物だったのかもしれない。
疑問ばかりが浮かんで困っているとノエルが答えをくれる。
「リーブスは不定形の軟体生物だった。フィアの記録にはそう書いてあったから間違いない」
「……は?」
「沼地とかに滞留した魔力からスライムみたいな魔物が生まれることはよくあるわよ。それが意思を持ってるか知らないけどね」
「その通り。彼らは簡単に言ってしまえば掃除屋だ。息絶えて残された生物の死骸を分解し大地に吸収しやすい形へと変える。そこに意思も何も存在しない。だが、彼だけは別だった。分解するだけの死骸を見て悲しそうにしていた」
白虎曰く、彼は物言わぬスライムでありながら生物の死を悼んでいたという。
そして残された者が絶滅に瀕していることを察していた。
死んだ後で掃除することしかできない彼にはどうにもならない事柄であったが、それを見ていた白虎は彼にどうにかする力を与えたという。
簡単に言えば「生まれ直す」ための権能。
生物の胎内に宿り、その種として産まれる。
スライムだった頃の特性である何でも分解して吸収してしまう能力を使い瞬く間に成長し、成獣となった頃に頻繁な繁殖行為を行い種の絶滅を避ける。
その後、他の生物にも同様の手段を用いて絶滅しそうな種族を救済していく。
よって白虎がリーブスに与えた力は三つだ。
他の生物に擬態して生まれ直す力。
自分が孕ませた雌の出産サイクルを早める力。
また、その子供が成長を急激に上昇させる力。
あくまで白虎は滅びゆく種に対して悼む彼の心を察し、それを守る手助けとなる力を授けただけだ。
「この権能の弱点、そなたなら分かるだろう?」
「…………単純に隔離すること」
「その通りだ。隔離されてしまえば生まれ直すことはできない。彼をプロトタイプとやらに認定して捕縛した者達が実行したことでもある」
「生まれ直すことができないということは、その状態で殺されることが終わりと同義ってことだ」
「彼らはその状態で何度も死に瀕するような傷を負わせ、脅し、リーブスを洗脳していった。彼は人の言葉を片言ではあるが話せていたから、何度も自分の考えを説明し解放するように求めていたが、そんなものは関係なかったようだ」
彼らにとって重要なのは権能の有無。
力さえ扱えるのであれば殺してしまっても構わないという考えが彼らの認識なのだ。
自分の中で命を何とも思っていない者達へ怒りが込み上げる。
同時に、罪悪感もある。
リーブスの行動も人間への復讐と考えれば、暴走ではないと言えた。
それを止めてあげる手段を他に持ち得なかった自分を殴りたくなる。
いや、それをやるべきは自分自身ではない。
「お前がその役割なんだな」
「犬?」
「リーブスの悔しさ、苦しみを返したいんだろ? あいつを、本当の意味で救ってやれなかったのは俺の力不足が原因だ」
「それは違う! 犬はできることをした! 彼のことを助けたい気持ちがあったから無碍にしなかった! そこに恨みなんてあるはず無い!」
それは願望でしかない。
実際に彼の言葉でそうだと聞いた訳ではないのだから。
どちらかと言えば救う側に立っていたはずの彼を戦場に引きずり落とした人間を、どうしたいのか自分は尋ねることができなかった。
最後に彼が発した願い。
それすら、叶わなかった。
記憶に残りたい。
自分は、その記憶さえ奪われた。ノエルによって語られた内容しか知らず、それを彼が良しと考えているかも分からない。
罰してほしかったのかもしれない。
許されたい訳ではない。
彼のことを忘れずに居るために、自分はそのことを抱えて生きていかなければならない。
「彼は良いこともしたし、悪いこともした。良いことをした者には褒美が、悪いことをした者には罰があるべきだろう」
「俺があいつにしたことが罰になると?」
「そうだ。彼は役目を果たせば自然に還す体だと理解していたよ」
「役目は終わったかもしれない。でも、あいつの願いは……」
「ガルム、その子の願いは滅びゆく種族の存続よ。既に叶ってるはず」
そんなことは分かっている。
リーブスが望んでいたのはレインの言葉通り。
でも、それを叶えたら役目は終わり?
寂しい終わり方すぎないだろうか。
仮にも他人のために願ったことを、彼の最後の願い事だと?
憤りを覚えていた自分の前に白虎が頭を垂れる。
なぜ、と言葉を出すことさえできない。してはならない。
彼ほどの立場ある者が簡単に頭を下げるはずがない。軽々と「ごめん」と謝るのとはわけが違うのである。
「誤解を招いたようだ。彼は自然のため、生物のためによく働いた。その労力を蔑ろにするつもりはない」
「なら……」
「当人が望んでいるのなら新たな生を授かっているかもしれないだろうな。この身はこれでも『獣』を司るもの。本能に従い生きる者を何よりも尊ぶ。そなたを含め、な」
「どうして本能なんだ?」
白虎はこちらを見ずに答える。
「決まっている終わりなど面白くない」
「終わり? あなた達の遊戯の話?」
「あんなものは遊戯ではない命を無駄にした出来レースだろう」
白虎の言葉により確証を得た。
やはり遊戯に乗り気ではない神格は多い。代行者として選ばれたように見える者達は、あくまで救いを求める者達だったのだろう。
彼はノエルに近い。
自分が偶然にも見つけ出した者のために自らの権限を譲り渡した存在。
しかし、自分が気にしているのは別のことだ。
主催者が始めた遊戯の終わりがどんなものか分かっているような口ぶり。それも確実に勝利する者を把握しているかのような表現をしていた。
もしかしたら本当に遊戯の秩序そのもののような存在が居るのだろうか。
それを相手取るとして、プロトタイプが数人集まった所で勝ち目は……。
ノエルが自分の方を見て首を左右に振る。
自分の予想は間違っていないのかもしれない。
だが、それを口にすることを止めておくべきだ、と。
現状は遊戯を止めることに前向きな人間が多いが、ここに絶望する可能性のある情報は自棄を起こさせる可能性がある。
今は共有するべきではないという意味だろう。
自分も心の内で同意を示す。
「さて、彼のことをそなた等に伝え、こちらの目的は果たしたが……そなたの主が我を睨んでいる。理由は察しているが……」
「ノエルが言いたいことは分かるっす。あんたの都合で俺達は呼び出されて試されていた。あんたの目的が済んだからってこのまま帰されても納得できないってことっすね?」
要するに戦利品が欲しい、と。
自分とノエルは特に犠牲も労力も払っていない。
だが、テイム達はそれぞれ何かしら試されるにあたって、必要な労力を払わされている。
満足したから帰ってくださいと言われて納得できるはずがない。
特にエイルは命を危険に晒す覚悟で試練を終えている。今もまだ目を覚まさないことを考えると、巻き込んだ側としてはこのまま、ただで帰されては可哀相な気がする。
何かしらの譲歩が欲しい。
白虎は困り果てたような顔をしていた。
理由は察しがつく。
いま行われている遊戯に関しては神格の不干渉が規約として決められている。
既に介入してきている者はいるが、それはあくまで遊戯に関係のない範囲での介入ということになっているのだろう。
たとえば『暴虐』の介入はあくまで魔王同士の権利侵害。
自分への『狩猟』の干渉も遊戯に邪魔となる『罪深き異端者』を排除できる可能性があるから放置していたと考えられる。
とにかく、直接的な代行者の処刑や力添えは主催としては違反行為。
いくら彼の都合で迷惑を掛けたから補填しますと言っても主催側には代行者は駒でしかないのだから、わざわざ気を遣ってやる必要もないと切り捨てられるのだろう。
要するに何か戦局に影響を与えるような事柄は不可能という意味だ。
遊戯には影響の出ない範囲での要望……。
いや、もしかしたら可能かもしれないものが一つある。
「お前は本当に従い生きる者を尊ぶと言っていたよな」
「そうだが……?」
「ならエイルの心は知っているよな」
「まあ、他の神格代行者故にやんわりとだが……子供を愛する者だとは把握している」
そう、エイルは子供達を守りたい。
だが彼女は守るべきそれらと触れ合うことが許されない。
傷つけてしまう可能性があるから。触れることができても怪我をさせてしまうことがあるのなら近寄らないのが良いと考えるような女の子だ。
それを、どうにかしてやれないだろうか、と。
「エイルの権能、制御できるようにならないか?」
「それは……しかし、干渉するという意味ではないか?」
「そうだ、表向きは干渉している。でも、弱体化だ」
エイルの権能は「翼を刃に変える」こと。一枚一枚の羽根は鋭い刃となり、それが連なる翼は防御を兼ねる。
それは接触と同時に反応する。
自動防御であり、自動反転。
彼女の意思に関係なく、触れるのが敵でも味方でも反応してしまう。
それを制御できるようになるのは上方修正のように見えるが、実際は弱体化だ。
自動で防御できない。
つまり本人が確実に後ろや意識外の攻撃を認識して硬質化させる必要がある。
今までの不意打ちに対する完全防御を失うのだ。
それでも、彼女の意思を尊重するなら……必要なことだと思う。
白虎はしばらく唸っていたが結論が出たのか口を開く。
「可能だ。権能を与えた『守護』を司る者が許すならば」
「お前を含め、神様は弱者の願いを聞いてくれた者達だ。それなら、エイルの本心を跳ね除けたりしない。完全に遊戯を辞退する訳ではないしな」
「わかった。こちらから交渉してみよう。もちろん『守護』を通して目覚めた後、その子に確認するぞ?」
「そうしてくれ。俺のお節介だから本人は心変わりしているかもしれないし」
「他は?」
テイムとレインはそれぞれ首を振る。
無理を言ってまで得たいものはないということだろう。
もらえるものはもらっておきたいが、それによって主催側に目をつけられるのも困るということだ。
あとはノエルだが……。
彼女は白虎の隣に行くと耳打ちをする。よほど聞かれたくないのか自分にさえ聞き取れない声で話している。
いや、もはや声ではない。
形の上では耳打ちしているように見えるが実際は心の会話を使っているらしい。
何より自分に知られたくないのかこちらとの共感性も遮断している。
神様同士の内緒のやりとりをしているらしい。
白虎は意外そうな顔をしているが、変なことをお願いしたわけではないはずだ。
「そんなことでいいのか?」
「うん」
「まあ、それに関しては可能というかこちらの本分みたいなものだ。しかし、危険かもしれないぞ」
「承知の上。むしろ今までが安全すぎた」
「?」
「いいだろう。今すぐにでも処理しておくから」
なにか違和感を感じたが何かは分からない。
とりあえず交渉は成立したらしい。
「そろそろ神域を閉じるが、その前に言わせてほしい」
「ん?」
「そなたも自然に生きる者だ。自然に感謝し、還す命に感謝し生きている。その心を忘れぬならば支持する。良い結末を迎えられるように足掻くと良い」
何か含みのある言い方をされた気がするが、悪い気はしなかった。
だから自分は頷きを返す。
激励として受け取っておく、と。
神域から自分達の世界に返すために白虎が前足で地面を叩くと自分たちの足元に光の柱が出現する。
そこへ入れば戻れるということだろう。
テイムはエイルを抱えて「先に戻って寝かせてくるっす」と居なくなる。
レインは何故か止まったまま動かない。
疑問を感じた自分が声を掛けようとすると慌てたようにレインはノエルに向けて話し始める。
「えっと、ノエルさんにお願いがあるんだけど……!」
「なに?」
「こ、今度ガルムを少しの間だけあたしの所で預かりたいんだけど……」
「どうして?」
「えっ? それは、えっと……察してほしい、っていうか。その、ノエルさんだったら分かってくれるかな〜、って」
しどろもどろの返答にノエルは黙る。
正直、聞いている自分にも何がなんだか分からない。
少しして、ノエルはこちらを一瞥すると頷く。
「犬次第。犬がそれでいいなら」
「俺? まあ、別に構わないけど。話したいことでもあるのか? ここで話せないような内容だって言うなら全然行くけど」
「り、理由は内緒に決まってるでしょ!」
「はぁ? おいノエル、お前はなんか知ってるのか?」
「ん……分かってるから犬には言わない。その方が面白いし、ある意味では犬のせいとも言えるから」
「俺が何かしたって言うのかよ」
「いいから帰るの!」
そう言ってレインに押し出されて自分は神域を追い出される。
後からノエルとレインも出たようだが、転送前に居た場所へと送り返されるらしく見える範囲にはノエルしか居なかった。
自分は溜め息混じりに訳が分からないと嘆く。
「そのうち分かるよ」
「で、お前は何を頼んだんだよ」
「内緒」
「お前もかよ!」
「すぐに分かるから。それより帰ってきたんだし、ご飯にしよ? 少しでも体力つけて元に戻る努力しないと」
それはそうだけど、と納得していない面持ちで自分はノエルの後ろについていくのだった。
――テイムの家。
彼はベッドの上で横になる獣人の呼吸を確かめて安心したように溜め息を吐く。
それを聞いていた一人の少女が水を手渡しながら話しかける。
「お疲れ様でした。テイム様もお休みになられては?」
テイムは水を受け取りながら首を左右に振る。
目の前で眠っている少女、エイルは『獣』の神域へ旅立つ前にテイムの家へと訪れていた。
グラグラには理由があって神域という空間へ行くことは伝えてある。
ただ、神域へ向かった後は心だけが招集されるのか体ごと連れて行かれるのか分からない以上、彼らの場所に残るべきではないと判断してテイムの所へ来たという。
それは正しいとも言える判断だった。
グラグラもギガスも心を失って容れ物だけになった者の看病など分からないはずで、戻って来れなかった場合の対処もわからない。
テイムもそれは同じ。
だが、もしも自分が戻ってきているのにエイルだけが戻ってこられずに居る場合は理由も知っているし適切に対応できる。
不在の間も面倒を見ることができる奴隷達が居る。
故に神域から戻ってきた後、テイムとエイルはそれぞれベッドに寝かせられていたのだ。
「普通に寝ているように見えるっすけど向こうで無理をしたのは確実っす。そんな子を放置して休むなんてできないっすよ」
「そうですか」
「あと、試練の内容だったとはいえ……本物じゃなかったとはいえ、俺はエイルにしてはならないことをしてしまったっす。だから贖罪でもあるんすよ」
テイムは自分に人の心が無くなってしまったのではないかと考えていた。
本物ではなかったなら仲間の姿をしていなくても躊躇なく攻撃できる。
そんな自分が怖かった。
でも、完全に心を失った訳ではなかった。
後悔はしてないが、それでもたしかに痛むのだ。
と、そんなことをミスティに話していると気がついたのかエイルが目を覚ました。
「ここ、は……? 神域から戻れたの?」
「そうっすよ。事情は知らないっすけどレインから聞いた感じエイルは『影渡』の空間に居たらしいっす」
「…………ええ、迷路から抜け出すために自ら飛び込んだから。でも、それで皆にもまた迷惑をかけてしまったのね」
「そんなことはないっすよ」
無事に帰ってきている。それだけで十分な成果だ。
何が起こるか分からない。全員が無事で戻ってこられる保証のない場所へ行き、全員が無事に戻ってこられたのだ。
それに、とテイムはガルムが言っていたことをエイルに伝えた。
彼女の権能を制御できるようにしてくれ、という願いを。
エイルは状況への理解が追いつかず動きを止めていた。
「ほんとう……?」
「兄貴が聞いてた感じだと前向きな返事だったっすよ?」
「彼にまた借りを作ってしまったのね」
「そうでもないっすよ? 兄貴がお人好しなせいでエイルはまた一から戦い方を考えなきゃならない。それも、今までよりも立ち回りを考えなきゃいけなくなる」
エイルは「問題ない」と呟く。
今までのように自動的な防御に頼ってばかりでは変われない。
むしろ、自分から変化する良い機会を得たのだ。
「大好きな子供達を抱きしめることができる。その代償としては優しいくらい」
「稽古つけて欲しかったら言ってほしいっす。エイルが前進するためなら俺も、他の人達だって協力してくれるっすよ」
「ありがとう……」
エイルはこの場に居ないガルムにも同じ言葉を心の中で唱えた。




