第57話「我儘」
遊戯について大事な話……。
そう言われた瞬間、自分は頭の中で物事の優先度を入れ替えていた。
しいて言うなれば自分が生きて帰ることよりも、有意義な情報を持ち帰ることに目的が切り替わった。
それだけ信憑性がある。
あれが化かしに来た狐ではないのだとすれば、自分はこの時間をもっと真剣に使わなければならない。
「利口な連中で安心した。儂の話をまともに聞く気がないのであれば、それなりの手段も考えてたんじゃが……必要無さそうで何より」
「わざわざ同盟の話をしている所に割り込んで来ましたからね。邪魔しに来た訳でもなさそうですし、一応話くらいは聞いておくべきだと判断したまでです」
「もっと素直になったらどうじゃ? まあいい」
おそらく、軽く言っているが普通に自分など消し飛ばしかねない力量の差があるので油断ならない。
あまりルーナが強気になられるととばっちりを受けかねないので程良く口を挟んで話題を逸らしていく必要がありそうだ。
「儂の名はヒヅチ。遊戯の運営者側に物言いしたことがある故にお主等の知らないことをいくつか知っている」
「物言い?」
「不公平なルールを課されたのじゃ」
主催側が示したルールをこちら側が変更させることができるのか?
いや、そもそもとしてヒヅチは主催を知っている?
先程の言い方からして間接的にルールの変更を求めたというよりも直接、遊戯の主催者と話して変更を求めたと言っているように感じる。
何から問いかけようか考えていると、ヒヅチと目があった。
面白いものでも見るような目だ。口角も少し上がっている。
こちらは試されているのかもしれない。
意味深な事や誰もが欲しがるような情報をチラつかせることで自分達にはどのくらい知識が足りていないのか。遊戯に対してどれほど必死になっているのかを測られているようだ。
遊技に関する知識がほとんどないのは百も承知。
しかし、ここで目の前の情報源に何も考えずに食らいつくのは危険かもしれない。
ルーナやレアも同じだった。
自分のことを所詮は弱小神様の遣い程度に見ている。
話す価値を見出したからこそ神域に招いてくれたが、だからと言って対等に見ているかと言われたら話が変わってくる。
同盟など口実に過ぎない。
単純に戦う力のない二人は捨て駒となる兵士が欲しい可能性がある。
ここまで考えるとヒヅチは自分のために「待った」を掛けてくれたように思える。
だが相手は狐だ。素直に信じてもいいか疑わしい。
彼らは化かすのが仕事だ。
人を化かす狐……。
いま思えば安直かもしれないが他人に化ける女狐に知り合いがいる。
さすがに狐つながりというだけで彼女の関係者だと断定するのは素直が過ぎるかもしれないが確認することができれば……。
「そんな真剣に見つめて、儂に見惚れたか。よいぞ? お主ほどの優れた雄ならば儂も戯れを許せるというものじゃ」
「本当にあなたは女性という女性を片っ端から……!」
「ルーナ、俺の出自があるとは言ったが片っ端からは偏見だぞ。俺はあいつのモフりがいのある尻尾の手触りが知りたいだけだ。あわよくば顔を埋めてみたい」
「構わんぞ。雌の体に顔を埋めるなどという発言を堂々と言い切る胆力に免じて儂の尻尾を好きにすることを許す」
「まじで?」
誘惑に負けて自分はルーナの太腿から離れる。
自分の発言が原因ではあるものの背中を撫でるルーナの指が徐々に食い込んでいて殺意を感じていたのだ。
より上位の神様にお呼ばれしたなら仕方がないだろう。
自分はヒヅチの元へ駆けていくと彼女の尻尾へと文字通り顔を埋めた。
自分の尻尾と違い毛量も多くふわふわしているため普通に顔を埋め込める程に中がある。
獣臭いと言っていた通り、やはりヒヅチの出自は獣から来ているのか獣の匂いが強いと感じたがそれでも尻尾はしっかりと誘惑的な匂いをしている。
無論、それを嗅ぐためだけに飛び込んだ訳では無い。
しっかりと自分が嗅ぎ取りたかった匂いも感知した。
「んっ、激しすぎやせんか。さすがに雌の尻と分かっていながら嗅ぎ過ぎじゃぞ?」
「俺はヒヅチ相手なら嫌じゃないぞ?」
「儂もお主が相手なら文句はない。あっちが許さないという話じゃ。今にも狩猟具を顕現して儂らを射抜きそうな目をしておるぞ」
ルーナの方を見ると確かに拳を握って震えている。
健全な思考の持ち主であるルーナからすれば尻尾をモフりながら匂いを嗅いで戯れているだけの様子も獣が交わっているように見えてもおかしくはない。
自分はヒヅチの尻尾から離れると改めて匂いを嗅ぐ。
冗談とかではなく本当に知っている匂いだと確かめる。
「やっぱり知ってる匂いだ。知ってる匂いだからヒヅチも俺のこと好きなだけナデナデしていいぞ」
「そうかそうか、愛いやつじゃ」
「あの、状況が理解できません。お二人は面識があるのですか?」
自分は頭を左右に振って否定する。
ヒヅチという神様とは確実に初対面。見たことも聞いたこともなかったというのが正確な答えだ。
あくまで匂いを知っているだけ。
その匂いがたまたま自分の友人のものと同じだっただけ。
ルーナやレアには信じがたいことかもしれないが自分にとっては何よりも信じられる情報なのだ。
ヒヅチは自分の頭を抱きしめると撫でくり回しながら事情を話す。
「儂の信徒が世話になったらしい。ちょうど同じような見た目をした犬に」
「そ、そうですか。犬のくせに随分と顔が広いですね」
「縁に恵まれてるからな。俺の所の神様は特に定まった役割を持たない代わりに他者との縁を寄せてくれてるんだろうな」
「そういうことじゃ。儂が今から話すことは主等を貶めようという訳では無い。好意での情報提供だと思っていい」
これで少しは安心して話を聞ける。
嘘…………は言うだろうが自分達にとって不利益になるような嘘は言わないだろう。あくまで笑って済ませられるような嘘。
そうでなければヒヅチ自らミツキと自分の関係を終わらせることになる。
プロトタイプの真化は神様の手元を離れるのと同義。
どのように動こうとするか予想できないため、いつの間にか遊戯を敗北していたということが生起するかもしれない。
それを阻止できる自分の存在はヒヅチにとっても重要であり、アメを渡してでも手懐けておきたいのだろう。
ルーナも多少は警戒を解いたようでヒヅチをお茶会の席に招く。
一つの卓を囲んで三柱の神様がカップに注がれた液体を啜る。
シバクぞ?
なぜ自分の席は無いのだろうか。
この状況で一人だけ地面に座らせられているのは妙に納得しがたいものがあるのだが、この怒りはどちらにぶつければよろしいのですか?
「犬には席など必要ないでしょう?」
「まあ、仕方ありませんよね」
「この一帯を吹き飛ばしてお茶会を滅茶苦茶にしてやってもいいんだぞ?」
「そうカッカせんでも茶菓子くらいくれてやるから文句を言うな」
と、ヒヅチはケーキの一切れを丸ごと自分の口に放り込んだ。
味は……悪くない。
果物も乗っていないシンプルなケーキだが生地とクリームの控えめな甘さが上品でこの場に合っていると思う。
仕方ないので許してやることにしよう。
やっと場が落ち着いたのでヒヅチは当初の話題に話を戻し、遊戯に関する情報を話し始める。
「まず儂らが参加させられている遊戯は明確な序列を決めるためのものではない。奴が決めたいのはあくまで唯一無二の頂点に立つ存在じゃ。故に組織を作り協力関係を築いていても最終的には返してもらう。消滅しなかっただけマシだろう、という意味じゃな」
「遊戯の流れで存在を消されずに済む代わりに持つものを捧げさせるという意味ですね」
「故に儂は物言いした。あまりに理不尽だ、と。下位の者は高位の者が力をつけるための贄になるしかないのか、と」
ヒヅチの言う通りだ。
下位の者達が持つ力は高位の者達に敵うものではないため、必然的に敗北を余儀なくされる。
それではただ、強い者達が弱者を蹂躙し、力を奪い、それらを駆使して他の同列の者達を蹴落とすだけの一方的なものになる。
あくまで上位者にとっての遊戯だからこそ、とも考えられる。
しかし、そこまであからさまな運営をされてしまえば参加者達が遊戯を破綻させようとするかもしれない。
そういう言い分なら運営も物言いを受け入れる。
あくまで遊戯を円滑にするための進言だ。
「ルーナが提示した同盟という仕組みが回答じゃ。力の搾取を拒絶したものが取りうる手段としてな」
「なら私と、そこの犬が同盟を結んでも問題ないのではありませんか?」
「手順があるんじゃよ。主等の間ではそれが成り立たん」
ルーナが自分の方を睨んでくる。
自分にも見当がつかないので睨まれても困るし顔を逸らしておく。
今まで自分が力を借りることができた者達とルーナとで違うこと。
そもそもルーナがプロトタイプではなく神様の時点で違う点として挙げられてしまうが、そこは別として考えよう。
出会ってからの時間は関係ない。
テイムのように一緒にいる時間が長い者もいればミツキのように短すぎるパターンも存在している。
仲の良さも関係ないとは言い切れないが今ひとつだ。
そういえば以前にノエルと自分が他の権能も使える件について話したことがあったのを思い出す。
自分は相手のことをすごいと思っていた。
自分でも同じくらいできなければ、と比較していた。
それは相手の抱えているものの、ほんの一部でもいいから背負ってあげたいから。
でも、それはルーナに対して該当しない。
ルーナのことをすごいと思っている。
自分では同じになれないと諦めが付いている。
そんな完璧にさえ見える彼女に代わって背負ってあげなければならないものを、自分には思い浮かばない。
ヒヅチは自分の様子を見て、何かに気がついたのか話を続ける。
「お主は関わってきた者達に自分では成し得ぬものを見た。相手もまた、お主のことを認めておるのじゃ」
「その理屈だと犬のくせに私に何も成し得ないことを見てないことになりますが?」
「逆ではないか?」
「はい?」
「ルーナ、別に俺のこと認めてないだろ」
場の空気が凍り付く。
いや、隠していても仕方のないことを口にしただけなので悪怯れるつもりもない。
ルーナが自分を招いたのは話す価値があるから。
別に生き方とか、力量とか、そういう意味では認めていない。
むしろルーナの神様としてのあり方を考えるなら否定されているはずだ。
「俺はルーナのこと、すごいと思ってるぞ? 最後までお前の頭にあるのは信仰してくれている人達の安寧な生活。お前のそんな理想、悪くないと思う。それでもルーナは俺のこと言葉が話せて少し機転が利くだけの変態犬としか思ってないんだよな。俺は寂しいよ」
「変態なのは事実です……!」
「欲に忠実で何が悪いんだよ! ある意味で忠犬だろうが! ちなみに言うけど俺は無理やり襲ったりしてないから悪いことしてないぞ。ちゃんと同意の上です。なんなら俺は受け身だ」
「この世には破廉恥罪というものがあるんですよ。仮にあなたの言い分が本音であっても破廉恥なことしているなら変態には違いありませんから」
「あの、ルーナ様? これ以上は話が拗れるというか、彼を招いた意味が無くなりかねないですよ」
レアがルーナを宥めようとするが納得していなさそうだ。
おそらくルーナが実際に見たわけではなく、単純にそういう関係にある者がいること自体が不愉快で文句を言っているのだろう。
こういうのは大体なにを言っても無意味だ。
そう思っていたがルーナは思っていたよりも冷静だったらしく自分の発言をすぐに思い出して難しい表情をした。
「待ってください。あなたは私のことを本当に認めているんですか?」
「否定する理由がないからな」
「…………それなら証明してください」
「は?」
「私があなたを認めるに値する理由を提示してください。何か成し遂げたからこそ他の方々はあなたを認めているのですよね? 当然、あなたは私のことを認めているのだから嘘など吐かないと信じています」
いきなりの無理難題に自分は伏せて目線のみをルーナに向ける。
彼女は簡単に言うが神様を納得させられるような偉業なんて安易に思い浮かばない。
所詮は大きすぎる世界に生きる小さな獣一匹なのだ。
英雄でもなければ勇者でもない。
せいぜい小さな問題の一つや二つ片付けるのがやっとで、胸を張って他人に語れるほどの事でもない。
別にルーナに認めてもらう必要はない。
自分は自分を信じてくれる人達のために存在するだけだ。同盟を結んで手を貸してほしいのはルーナの方だろう。
無理だ、と回答するつもりで目を閉じるとヒヅチが口を開いた。
「謙虚すぎるのも考えものじゃな」
「ヒヅチさん、私は彼と話をしています」
「いや、この犬は自分がしたことの大きさを理解していない。故に儂が見たものを伝えた方が早いじゃろ?」
何を言う気だ、と思ったが期待はしていない。
頑固者であるルーナを黙らせることができるほどヒヅチは真面目なことを言うタイプではないように感じる。
軽い口調で伝えても響かない。
誇大的に主張しても信じない。
ルーナに認めてもらうには、普通の事をしたかのように誰もしないような事を成し遂げたという話が必要だ。
自分が黙っているとヒヅチが続ける。
「お主の使者が放った『必中の矢』を三回、回避することに成功している」
「…………」
「なんなら初弾も急所を避けて足に掠めた程度じゃ。狩りをするうえで獲物を苦しませぬよう一撃で仕留められる部位を確実に射抜く矢のはずだが、使用者の練度不足かのう?」
「そんなはずありません! 彼女はしっかり生物に感謝の気持ちを忘れずに接しています。彼女が矢を番えた時に外したのを見たことがありません」
「つまりお主の信頼している狩りの成功率で言えば絶対を謳っている者が放った矢を三度も回避しているこの犬はありえない事を成し遂げたと認識して良いのじゃな?」
そんなことでいいのか、と思ったがよくよく考えてみると常識から外れているような気がした。
プロトタイプ専用に出力を落としているとはいえ『狩猟』という広く信仰されやすい役割を持つルーナの権能であり、出力を落としてもなお『必中の矢』と呼ぶ程の精度が期待できる攻撃。付け加えてヒヅチの言葉が正しければ脳幹か心臓を射抜くように補正が入る。
それを初見で掠り傷に抑えた。
無名の神様から力をもらっている者としては十分なのではないだろうか。
ルーナがわなわなと震えているのを見るに言い返せずにいるようだ。
しかし、人間が同じ状況に陥った時にする行動を自分はよく知っている。
進むも戻るも許されない時、答えがないからこその行動。
ルーナは震えながら無言で天を指差す。
それが何を意味しているか深く考えるまでもなかった。
月よりも眩しく輝く星が、真っ直ぐに落ちてきている。
「みっともないと、神様らしくないと罵るならそうしてください。そんなことは私が一番理解していますから」
「あー、まずいことになった。すまぬが自衛は各自で頼む」
ヒヅチが「各自」と言った時点で危険性を否定できなくなった。
あれはルーナが使うことのできる力で最大級の攻撃。歪めることのできない彼女の信念そのものだ。
星が墜ちた時の被害はどれほどだろう。
ヒヅチは自らを守ることはできるからこそ「各自」と言った。自分自身を守る術はあるが、他までは手が回らないという意味で。
レアの持つ力がシルヴィの権能と同様のものだとして、格上の神様の最大級の攻撃を受け止められるだろうか。
確実に否。
ここにいる何人も無事では済まない。
自分なんて人の身である。魂だけをルーナの神域に招かれているとして、その魂が消滅したら向こうに置いてきた体もそのまま死ぬことになる。
そんなことは許されない。
自分は天を仰ぎ大きく口を開く。
自分の持つ力を全て使い切っても構わない。生きていると分かる程度の体力さえ残っていればどうとでもできる。
そのくらいの気持ちで吠えた。
いつもなら、人型の時ならレインがくれた腕甲が力の指向性を決める役割を果たしてくれていた。
指先や掌を向けた方向へ腕を軸にして力を放出するイメージだ。ある程度は拡散してしまうが、それでも全集に向けて無駄に力を放出するより威力は上がるし他への被害も少なくできる。
だが、今はそうも言ってられない。
人型には戻れないし手元に『飽食還現』は存在しない。
でもイメージは同じはずだ。
体を軸に考えて口先から放つイメージ。
上空に向けて放つのだから遠慮もいらない。
失敗したら死ぬのだから中途半端にする必要もない。
自分の口から膨大な熱量を込められた光球が放たれる。
光球は空から墜ちる星と接触すると水平方向に爆裂する。上空から墜ちる星と地上から発射された光球はそれぞれ進行方向に莫大なエネルギーを抱えていて互いに打ち消すことができず水平方向へ散ったようだ。
無論、それでも地上への衝撃は小さくない。
レアが咄嗟に結界を作り出し、神域に居る者への衝撃を遮ってくれたために無事で済んだだけだ。
ルーナは呆然と空を見上げている。
「お前がそこまで意地を張るのも信者のためか?」
「私が頭を垂れるということは私を信じてくれる者達、私に救いを求める者達に対して恥ずべきことなんです」
「それがお前の神様らしさなんだろ。神様らしくないも何も、俺の考えを押し付けるつもりはねえよ。ただ……」
自分はルーナの方に駆けていくと小さな足で殴りつける。
痛みなんか感じない人形のような獣から怒りの一撃。
「関係ない奴を巻き込むのは大人げないぞ。反省しろ」
「神様に反省しろ、なんて…………随分と偉くなった……?」
「なんだよ、文句あんのかよ」
ルーナは自分の頬を殴りつけた獣の方を一瞥しようとした。
しかし、視線を横に向けても獣は居ない。もっと視線を下ろした時にやっと小さな獣の姿が目に入る。
そう、自分だ。
限界寸前までエネルギーを使い尽くした結果、ノエルに小さくされた時と同じくらいまで小さくなってしまったのだ。
ルーナはそれを抱き上げたかと思えば胸に抱える。
「誰ですか、私の神域にこんな子犬を連れてきたのは」
「おい、子犬呼ばわりするな。俺だぞ」
「そんなはずありません。聞き覚えのある声をしている気がしますが、彼はこんな可愛らしい子犬ではなく毛玉のように大きな獣だったはずですから」
「うーん、残念だが本人じゃ」
ルーナは胸から自分を離すとまじまじと顔を見てくる。
明らかに面影は残っている。体が小さくなろうとも顔の形が変わるわけではないので子犬にはあるまじき目つきの悪さをしているはずだ。
それに気づくと嫌悪感に塗れた表情をするルーナ。
悪いのは自分ではない。
何も考えずに行動したルーナが全て悪い。
「そこまでして破廉恥なことをしたいんですか? とんだケダモノですね」
「んー、もう一発必要か? 今度はお前に」
「あれを直接? いくら私でも消滅しかねないので勘弁してください」
大きく口を開けて「さっきのは練習で次が本番だ」とばかりにエネルギーを溜めようとしているとだらだらと汗を流しながらルーナは拒絶する。
完璧な存在という訳でもないのだから物理的な力には耐えられないのだろう。
自分は光球ではなく肉球でルーナの頬を攻撃する。
「どっかの考え無しな神様のせいで死にかけたんだぞ。おかげさまで俺は恥ずかしい姿を晒す羽目になったし、お前の巻き添えで一つ信仰が、消え去るところだったんだからもう少し反省してもいいと思うんだが?」
「分かったので不躾な足を頬に押し付けるのをやめてください!」
「あ? 最高の間違いだろ? 光栄ですって言えよ」
「あまりからかうでない。もう一度ルーナが星を落としたらどうするつもりじゃ?」
たしかに、と足を引っ込める。
さすがにもう一度あれをやられたら防ぐ術が無いのでルーナが自暴自棄にならないように心掛けなければならない。
まあ、自分の見る限り心配なさそうだ。
ルーナは試練とも称すべき状況を作り出し、自分はそれを自らの力のみで突破している。
性格にはノエルがくれた力だが、そこはヒトと神様の穴埋めということで……。
ヒヅチが卓の上で崩れることもなく置かれたままになっているケーキを皿ごと地面に下ろしてくれたのを見て自分はルーナの手から逃れるとクリームで顔を汚すのも気にせずにガツガツと食べ始める。
「あ…………」
「珍しく残念そうじゃな」
「少し切ない気分になりました。さっきまで私に目を向けていた子犬が茶菓子の方に夢中になっているのを見て」
「そういう性分じゃ。この犬は先も自分で口にしていたが欲に忠実。そういう生き物だと思うしかない」
「失礼な奴らだな。性欲より食欲を優先する奴がどこにいるんだよ。単純に今の姿が恥ずかしいから少しでも元の大きさに戻りたいだけだ」
九割九分九厘のエネルギーを使い尽くしたと言っても過言ではない今の状況。大きさこそ子犬程度で済んでいるだけで威勢を自力で立っているのもやっとの状態だ。
そんな状態でへんなこと考えている余裕なんてない。
むしろルーナだって子犬のようにしか考えていないのだから悪いことを考えても子犬の悪戯としか見てくれない。
それでは面白くない。
と、自分の視界を影が覆う。
何事かとケーキを食べるのを中断して顔を上げるとルーナが前に来て屈んでいたらしい。
そのため視界に移したらいけないだろう場所も一緒に映り込んでしまっている。
ルーナが純粋無垢に見えるがために汚したくなる衝動に駆られた。
しかし、それは自分の消滅を意味するので大人しくしておく。
「私の負けです。本来『落星』は狩りを行う方々が暗闇に迷わないように照らし道を示してあげるためのものでした。それを、自分の我儘を貫き通すために使用した時点で私はあなたに負けていたんです」
「この景色は勝ったご褒美ってことか? 随分と可愛いやつを穿いているんだな」
「………………何と言ったのかよく聞こえませんでした。負けは認めましたけどあなたの破廉恥な行いを認めた覚えはありませんよ」
「俺は見せられたから見てるだけだ」
「はぁ…………もういいです」
諦めたのかルーナはそのまま話を続ける。
おかげさまで真っ白なレース生地が見放題である。
「あなたは自らの持てる力を示し私に証明しました。今までのあなたに対する見下したような態度を謝罪します」
ルーナにわしゃわしゃと頭を撫でられながら自分は言葉の意味を考える。
自分を対等な存在として認めてくれるという意味だろうか。
おそらくは神様であるルーナから向けられた言葉なので単純な意味合いではなく、自らの神域に招く価値のある客人として、という意味だろう。
それでも一方的な関係を取り付けようとした最初と雲泥の差である。
「ようやく準備が整ったようじゃな」
「どういう意味です?」
「儂は遊戯のシステムに物言いをした。組織という枠組みを作っても出し抜こうとする上位者が居れば破綻する。故に互いが認め合っている状態でなければ『同盟』は成立などしない」
最初のようにルーナが自分のことを認めてくれていない状態で同盟などしようものなら他と同じような関係になっていた、という意味だ。
同盟などと言っているが都合が悪くなったら切り捨てる可能性。
たしかに形式上のチームアップなら起こり得るかもしれない。
共倒れになるくらいならば自分は関係ないと言って切り捨てるか、奪えるものだけ奪って逃げ切るか。どちらにしても都合の良い駒としての扱いと変わらなくなってしまう。
だからお互いに認め合ってからの同盟締結が必要だ、と。
相手のことを知り、認めた上で協力する。それなら裏切りも防げる。
そこのヒヅチのように表か裏か判別つかない例外も居るが……。
ルーナは白だ。自分の視界に映る布地と同じ純白な神様。
そこは自分も疑うつもりはない。
「そっちはどうじゃ?」
「自分は、シルヴィから流れに任せた方がいいと言われているから……」
「レアの所は俺とノエルの関係に近いんだな」
「まあ、唯一の信者なので。他より特別視してるかもしれません」
そんなに珍しくもない関係性のようだ。
たくさんの信者を抱えているルーナやヒヅチとは違い、信仰する者が限定的な神様は逃げられてしまわないように大切にしようとするのだろうか。
ノエルの場合は別な理由だと思うが……。
とにかくルーナの提案については解決したようで何よりだ。
「そういえばヒヅチはどうするんだ?」
「儂は遠慮する。信徒が悩み考えている間に儂が進路を決めるのは否」
「では、そろそろ神域から追い出しますね? 現実でも小さくなっているので彼らに心配されているでしょうし、また私と話したければラビに相談してください」
ルーナの言葉を聞いてから瞬きをすると、次に目を開いた時には元の世界にいた。
――アルの部屋。
元の世界では大型の犬形態で神域へと呼び出され、神域で小さくなった上で帰ってくると現実でも小さい体になっていて、と感覚がおかしくなりそうなことが起きている。
ただ、思ったより違和感も少なく、すんなりと体を起こすことができた。
おそらく神域は意識世界、自分の魂のみを招かれたとはいえ、向こうで感じ取っていたものが全て偽りではなく真実だったことが関係しているのだろう。
「急に小さくなったから戻らないかと思った」
「ちょっと死にかけたけど平気だ。権能の副作用みたいなものだと思ってくれ」
ラビが心配してくれていたようだが、今の自分としては向こうでのことを彼らにどこまで話していいかという疑問でそれどころではない。
全容を話すにもヒヅチのことを知ってる者が居ない。
ここで彼女の名前を出すと疑われるかもしれないし、かえって名前を出さないことによってルーナとレアが納得してくれた理由の説明が難しくなる。
特にアルの神格に関しては今回の話し合いに居なかったし名前も知らない。
シルヴィが今すぐ何があったのか聞き出そうな顔をしているが、この場はどうにかして後回しにしておいた方が安全だ。
自分は大きな欠伸をしてからアルに視線を向ける。
「今日はゆっくり寝て話は明日にしないか?」




