第56話「神域」
孤児院で発生したプロトタイプ騒動に関しては幸いにも夜間に、それも侵入者によって別の空間へと転移された先で終結したため、負傷者は自分一人のみだった。
当事者のプロトタイプ、名前をシルヴィと名乗る女は自分がいつでも噛みつける距離に張り付きながらアルの元へと連行し、そこで全ての事情を説明させた。
先に聞いていた通り小さな教会で神官をしていたが信徒が減り、彼女一人だけが教会に残っていた。
そのタイミングでプロトタイプを使った代理戦争が始まった。
当然、シルヴィが信仰する神様も神格を持つ以上は強制参加だ。
もしシルヴィが負けるようなことがあれば信徒の居ない神様は存在することができなくなり消滅。その神様が持っていた役割は他の何者かが引き継ぐことになる。
仮にシルヴィが戦わなかったとしても他の神格が力をつければ信仰心がそっちに偏ってしまうので何れにしても彼女が信仰する神様は信じてもらえなくなるというのが今回の行動に走った理由だ。
正しいとは言わないが納得できる理由である。
故に自分はラビの判断に委ねた。
新しく信じてくれる者達に伝えれば良いという考えに。
「何度も言うが妙な真似をしたら噛みつくからな。この距離じゃ対生物結界は使えないし防衛用結界の方も俺には意味がない。怪我したくなかったら大人しくしてくれ」
「分かっているから何度も脅すな。そ、それともう少し離れてくれないか?」
「ダメだ。お前の間合いがはっきりしない以上は付かず離れず移動する。なに、噛みつきはしても襲ったりしないさ。俺にだって大切な奴がいるからな。そいつらに怒られちまう」
敵対の意志が無いとしても危険な権能には違いないのだ。
今回もシルヴィが油断してくれていたから成功しただけで矢を砕いた後にすぐさま対生物結界を張られていたら転送した『現身の偶像』が外に弾き出されてしまっていた可能性もある。
あれは生き物と同じとして扱える道具だ。ディオの権能が有効ならシルヴィの権能も判定があるだろう。
油断ならない。
今まで勝ち残ってきている時点でシルヴィの相手が単独で務まる人間なんて想像もできないのだから。
アルの部屋へ入ると先に戻って説明していたラビがこちらを振り向く。
怪我をしたことを知っていたからか焦っているように見えた表情はこちらを見るなり安堵したように緩んでいた。
「ラビ、どこまで説明した?」
「ある程度はしたよ? 受け入れに関しては先生が直接話を聞いてから決めるって」
「無論、二人を信じてないわけではないが生憎と疑い深い正確なのでね。子供達に万が一の事があっても困る」
あまり圧を掛けて死なば諸共されても困るが……その心配はなさそうだ。
アルを殺すだけなら対生物結界がギリギリ有効だと考えられる今に発動するのがベストだが兆候はない。
それをした瞬間に自分が噛みつくと分かっている。
ただの犬ではない。
噛みつかれることは消滅と同義であると理解しているのかシルヴィはアルを警戒しないでこちらを睨みつけているくらいだ。
とはいえアルと目を合わせてもらわなければ困る。
視線を前に戻すように指示する。
「なるほどな。君も苦労してきたということか」
「………………」
「一つだけ問おう。君は何ができる」
「は?」
あまりにも予想できない質問に対してシルヴィが腑抜けた声を出した。
言葉のままだろう。
この孤児院においてタダ飯食らいほど迷惑な存在はない。
子供達ですら働いている。
その筆頭たるがラビな訳だが、他の子供達も皆の食事を用意したり、掃除をしたりと勉強の合間に働いているのだから戦い以外に何もできない役立たずを置いておけるほど余裕はない。
そもそもがシルヴィは自分の信仰する神様のことを子供達に認知してほしいとお願いする立場にある。
何かをお願いするのであれば不足を補い合うのが当然だろう。
シルヴィは戸惑っている。
何もできないとでも言うのだろうか。
アルが呆れて溜め息を吐いたのを見て焦っている。
「おい、なんでもいいから言っておいた方が良いぞ」
「そ、そんなこと言われても私は元神官なんだぞ? 泊まりに来た旅人の世話をしなければならなかったから家事全般はこなせるつもりだが、そんなもの何の役に立つ!」
「ほう? 家事全般か」
シルヴィが幻滅されたと思って震えている。
ちがう、アルは幻滅してなどいない。
孤児院において必要とされる業務を考えるならば戦闘など皆無でむしろ子供達のためになることができる者の方が都合も良い。
その点では家事全般をこなせるシルヴィは合格だろう。
とりあえず安全な方向に話が進んで良かったな、とシルヴィに声をかけようとしていると何故かシルヴィとラビが虚空を眺めて停止していた。
なにか見えているのか?
少ししてアルもそれに気がついたのかラビに問いかける。
「どうかしたのか?」
「ガルムと話がしたいって」
「誰が?」
「えっと『狩猟』の神様?」
「こちらも同じだ。私が信仰する神様がガルム殿を指名している」
「えぇ…………」
あまりにも突然のことに嫌そうな声が出てしまった。
他所の神様と関わるとロクなことにならないと分かっているのに二柱から声が掛けられたともなれば自然とそんな反応にもなる。
何より相方が不在のタイミングだ。
独断で行動できるような内容でもない。
戻るにしてもディオの『交換』は三回とも使用済みだ。
と、考えているうちに意識が遠のいていく。
こちらの同意など関係ないという意味だ。
強制的に自分の意識は彼らが住まう空間へと引きずり出されてしまったようだ。
――真っ白な空間。
気がつくと自分は何もかもが白で埋め尽くされた空間に居た。
天を仰げば雲一つない快晴……ではない。地表を照らすものがないのに明るいことから現実の世界とは異なる空間であることがはっきりと分かる。
他にも気になるものがあったが余所見を許さないとばかりに前方から圧を感じる。
視線を前に戻せば二柱の神様が丸い机を挟んで座っている。
その手には紅茶の注がれたカップがあり、そういう絵画のような光景にも見えそうだ。
というか人を呼び出しておいて呑気にティータイムを洒落込んでいるのはどうなのだろう。
不満げな顔をしていると片方の神様が口を開いた。
「こんなに美しい女性の姿をした神様が二柱も居て共にお茶もできないとは不躾な子犬さんですね」
「あ?」
「同感です。このような者と話し合いをする必要があるのか疑問です」
片や優しげで小鳥の囀りのような美しい声をしていたが失礼極まりない発言をしれっとしてしまう毒舌。
片や、強気な声色でプライドが高そうで喧嘩腰の発言。
おそらく前者が『狩猟』で後者がシルヴィの信仰する神様。
いや、そんなことはどうでもいい。
子犬と言ったのか?
知恵を巡らせて死者を出せずに戦いを終わらせようとした自分を。
戦いを終えてぼろぼろなこの体を見て……。
自分の中で彼女らに対する敬意というものが粉々に崩れていった。
紛いなりにも相手は神様なのだから、と下手に出るつもりで腰を低くあるつもりだった。
しかし、こちらにも立場というものがある。
自分とてノエルという神様と半身を分かつ者。
ここまで見下されて黙っているような男ではない。
ズカズカと庭園を横断して二柱がいる場所へと向かう。
二柱はまったくこちらに興味がないとばかりにお茶会を続けていたため、遠慮なく『狩猟』の膝の上に乗る。
大型犬並みのサイズだが乗れないことはない。
「やめなさい! 汚れてしまいます! それに重いです!」
「知らん。子犬なら膝に乗せても問題ないだろ」
「狡猾なんですね。分かりました、私が悪かったので降りてください」
「断る。俺の席が無いからな」
仕方ないですね、と観念したのか『狩猟』はそのままお茶会を続ける。
もう少し嫌がってくれた方が嬉しかったが当人がそれでいいなら自分も折れないと本当に怒りを買いそうだ。
こちらの動向に対してシルヴィの神様は大人しいものだ。
序列的に『狩猟』より低い位置にいることと関係しているのだろうか。
「ここへ招いた理由としては単純です。ラビさんを守っていただけたことに対しての感謝です」
「そうだよな? どんなに信仰を集める神様でも使徒であるプロトタイプが敗北した瞬間に立場を失う。それから守った俺はちゃんと報われるべきだと思うぞ?」
「…………図々しいですね。子犬さんなら子犬さんらしく尻尾を振っておけば良いんです」
「振ってるが?」
残念ながら完全に嫌ってる訳でもないし良い匂いもするから居心地は悪くない。
本当は毒を吐きたいが嘘を言えない体で、それが正解の場だ。
この場において羞恥心は人を殺しかねない。
相手は『狩猟』の神様。
ラビに貸し与えている権能でさえ確実に急所を射抜くような危険なものなのに、本人が有している力は生半可なものであるはずがない。
こうして求められれば応じるという意思表示をしておくことによって完全な反抗心の塊ではなく、本来は従順な犬であると証明する。
自分は納得してくれるものだと考えてドヤ顔で言い放った訳だが『狩猟』の体が震えているのが伝わってくる。
こちらの健気な態度に感動でもしてくれたのだろう。
つい嬉しくて尻尾を大きく振ってしまう。
しかし、そんな自分に浴びせられたのは感嘆の言葉ではなく罵声だった。
「プライドとか無いんですか、このド変態……!」
「あの、ルーナ樣?」
「こほんっ! 少しは慎みと恥じらいを持つことも大切ですよ、子犬さん?」
ゾクッとしてルーナと呼ばれた『狩猟』の方を見上げると得体の知れない恐怖を感じるような微笑みを浮かべていた。
さすがにこれ以上は悪戯が過ぎれば心臓に穴を開けられかねない。
そう感じた自分は何も見なかったように振る舞うことにした。
「ルーナも神様なら俺の素性を知ってるだろ。高位の存在であるとはいえ綺麗所の女の子の膝の上にいるんだ。そういう生き物だと思って諦めてくれ」
「破廉恥なことをしたらすぐにぶっころし…………少々強めに叱りますからね?」
いま「ぶっ殺す」と言いかけたような気がする。
可能性として考えられるのは美しく振る舞っているのは神様としての体裁があるからで、実際は罵詈雑言を溜め込んでいるタイプということだ。
ルーナの手が自分の背中に載せられる。
迂闊な行動をすれば命を奪われかねない状況。
ここは話し合いの場だと考えれば手出ししてくることは無いのだろうが、大人しくしておく他ない。
「ここはどういう場所なんだ?」
「ルーナ様がお作りになられた領域です。より信仰を集めている格が高い状態の神のみが作れる空間なので他から妨害されることはありません。また、あなたの世界とは時間の流れ方が違います」
「レア、説明ありがとうございます。本来であれば謁見など許さない立場にありますが今回ばかりは必要であると判断し招待したに過ぎません。まあ、盗み聞きをされるのが嫌いなので好都合と言えますね」
神様だけが作り出せる領域、言い替えるなら神域。
他の者が侵入することのできない神様の管理下にある世界を作り出すことで誰にも邪魔されず自由に過ごすことができる、と。
ここへは神様からの招待が無ければ入れないらしい。
神格ならいつでも出入りできてしまうなら内緒の企てとかもできないのだから当然の処置だ。
逆に言えばここで内密な話があると、そういう意味に聞こえる。
ここにレアと呼ばれたシルヴィの神様が呼ばれていることも気になる。
それなりに落ち着いているからルーナに連れてこられた訳ではない。
自ら望んでここにいるという状況が正しい。
しかし、ルーナ自身がそもそもレアを呼ばない限りはここへ入ることができないと考えるなら偶然、二柱の考えが一致したとするのがシンプルだ。
そこに自分が呼ばれた理由……。
一時的に戦うこととなったとはいえプロトタイプの仲裁役である自分を消そうとは考えていないだろう。
あるとすれば逆の可能性だ。
「ここまで対策して話したい内容……他の権限持ちには言えないことか?」
「あなた方は遊戯に関して、どのくらい理解していますか」
「神様とか聖獣、魔王とかみたいに一般的な生物の枠組みを超えた神格がプロトタイプっていう代行者を使って戦争してるって認識だ。それぞれに目的の方向性があって、近しい目的の奴らは組織を作って力を貸し借りしてる」
現状として明確に組織として動いているのはアステルが所属していた『略奪者』と概要の判明していない自分を何度か襲撃している組織くらいだ。
グラグラもチームとして動いているが他とは規模が違う。
どちらかといえば少人数の仲良し集団という感じだ。
と、真面目に考えているうちに気になることが出てきてルーナの方を見た。
今まで出会った神格は遊戯に関して未知の部分が多いという者が多かったが彼女は自ら「どのくらい理解していますか」と確認してきた。知っている側でもなければできないような問いかけである。
確実に情報源になりうる存在だ。
だが、こうして顔を見れば分かるがルーナには余裕すら感じている。
こちらが求めた程度で情報提供してくれるとは思い難い。
それこそ何か交渉を考えている。
今のところ自分が持っている知識など一端でしかないため、ルーナが本格的に遊戯に参加していて情報を持っているならば後にある交渉は必ず成功すると考えているのだろう。
あまり鵜呑みにしすぎるのはまずい。
夜の眷属ならば血による契約で逆らうことができない。
神獣との契約ならば力の貸し借り。
神様との契約は破棄ができない。
もし二度と破棄することができない契約を、最悪の内容で結ばれてしまえば自分は詰みかねない。
やはり狡猾なタイプ……。
この居心地の良い太ももさえなければ今すぐ戦闘を開始するべき相手だ。
「前提として何をしているか、は合っています。遊戯などとは謳っていますが、血を流させている以上は戦争と変わりません」
「……………………」
「私が格を落とせば人々へ加護を与えることもままならなくなります。それに私の権限を悪用する者だっている。故に負けることだけは許されないのです。争わずに済むのなら、その方がいいことくらい分かっています」
そうだろうな、と自分は頷く。
いくら狩りの才能があると言ってもラビは神様が代行者として選ぶには幼すぎるし色々と未熟だ。
今から育てるという問題ではない。勝つ気があるなら選ばないという意味。
勝たなくても負けさえしなければいい。他が勝手に勝ち負けを決めればいい。
他への興味が薄い分だけラビへの執着は強いだろう。
ルーナはそういう神様だ。
きっと、誰かのために必死に獲物を探していたラビを見つけて、他の誰でもなく彼女を選択した。
争いごとに無頓着で誰よりも家族を大切に思う少女を。
ルーナの本心はそっち。狡猾なのは手段でしかない。
「だからこそ理解できません。同盟ではなく、配下になるなんて」
「ん? 配下?」
「そこがあなたの考えの誤りです。組織では力の貸し借りをしているのではありません。条件付きで一方的に貸し付けているだけです」
一方的に貸し付ける?
アステルの場合は『略奪者』の構成員としてその名の通り相手から命ごと権能を略奪する術を手に入れていた。
ルーナの言葉が本当ならアステルに与えられた略奪する術は組織に所属する際にほぼ強制的に与えられた力であり、アステル側からは何か返しているわけではないという意味になる。
そんなおいしい話があるだろうか。
高位に属する者が比較的低位にあたる者達へ情けを掛けたとも考えられなくはないが、遊戯においてチーム戦が認められていないならば下剋上の好機を与えているだけだ。
それこそ『略奪』の権能なんて勝てば勝つほど力を蓄えていくことになるのに……。
いや、それこそが狙いという可能性が高い。
一方的に貸し付けているということはいずれは返してもらうということ。
そのタイミングがどこにあるのか分からないが返すということは『略奪』の権能に見合う何かを徴収されると考えた方が良い。
自分が優位に立つための権能に見合う対価。
己が持つ権能だけで賄えるものではない。
少なくとも『略奪』の方が高位の神格と考えるならば低位の権能なんて代わりにならない。
ある程度は想像できた自分はルーナに回答する。
「配下に与えた権能を回収する際に配下の権能と、それに併せて集めていた力や信仰を剥奪する……」
「はい、正解です。要するに負けたくないからとどなたかがバカみたいに高位神格の傘下に入ろうとすれば低位は一時的に強くなったように錯覚するかもしれませんが、結局は高位の存在に敵わず、敗北を契機に高位存在へと無駄に力を与えることになります」
「こんなのフェアではありません! そもそも遊戯に乗り気ではない神格まで参加を強制させるなんて……!」
ずっと口を閉ざしていたレアが机を殴りつけた。
彼女は小さな信仰のもとで、自分を信じてくれる少ない信者のことを思っていただけの神様だ。
信仰を大きくしたいとも思わないし、今回の遊戯は迷惑な話でしかないのだろう。
気持ちは分かるが始まってしまったものはどうにもできない。
まったく参加の意思が無かった者も居るだろうが、敗北が近づいて意見を変えた者もいる状況でレアのような発言は心からのものではないと疑う者もいる。
だから参加させられてしまった以上は逃げ切るしかないのだ。
「同じなんだな。ルーナも、レアも」
「同列視されるのは遺憾ですが、そういうことです」
「何をしたいのか何となく分かったけど意味あるのか?」
ルーナは紅茶を喉に流し込むと「勘違いしています」と自分の考えを切り捨てた。
「私が考えているのは同盟です。私とレアは勝ちたいわけではない。残りさえすれば良いのです」
「そんなことできるのか?」
「白々しいですね。今まで何名と同盟を結んできたんですか?」
身に覚えがない。
ちゃんと同盟と呼べるに値する関わり方をしているのは『不死』の一味だけ。他は駒と仲良くできているだけでプレイヤーと会ったことはない。
いや『傲慢』には会ったが、あれは同盟と違う。理解だ。
そんな自分に対してルーナは不満そうにしていたが言及したところで自覚がなければ無意味だと察したのか話を本題に移そうとする。
「そういうわけなので是非ともどうめ――」
「あい待った」
何者かがルーナの言葉を遮った。
自分でも、レアでもない。ルーナが作り出した神域に存在してはならない第三者。
声のした方に視線を向けるとルーナからして左手の方、ただ空間があるだけの場所に亀裂が入っていた。
そこから声の主が侵入してくる。
自分の住んでいる地域では見掛けないような装束に身を包んだ女だ。
ただ、この場にいる全員が瞬時に理解したのは彼女が普通の人ではないということ。
自分が感じている威圧感を考えるにルーナなど比にならないほど高位の存在ということだ。
「儂を差し置いて仲良くお茶会とは釣れない奴等じゃ」
「何者ですか! 私の神域に勝手に割り込むなんて常識外れにも程があります!」
「何を驚く必要がある。儂の方がお主より高位の存在というだけじゃ。ほれ、そこの犬や。ナデナデしてあげるぞ」
ルーナより高位の神様。名前を知られているか否かというより単純に人々が信じやすい事柄を司る存在。
敵意はない。プレッシャーは大きな存在が故のものであり、自ら放っているわけではないようだ。
だからといって完全に信じられるわけもない。
差し置いて、というのは一緒にお茶会がしたいという意味か分からない。
単純にこの場に居合わせたかっただけの可能性もある。
自分は咄嗟にすんすんと鼻を鳴らして匂いを頼る。
こういう時に何よりも頼りなるのが匂いだ。勘はある程度の知識と状況に恵まれなければ意味をなさないが匂いは詳細な情報をくれる。
それが答えとまでいかなくとも参考になる。
自分の嗅覚がこの場で導き出したのは……。
「獣くさい……」
「はい?」
「獣くさいから帰ってくれ」
明らかに獣の匂い。
もちろん見た目が女である以上はちゃんと女としての匂いもしていたが、それを差し引いても獣のような匂いが強すぎる。
せっかくいい匂いのする空間でのんびりとしていたのに急に現実に返されたような気さえして気分が落ち込んでしまったので脳直で「帰れ」という単語が出てしまった。
本人はというと怒るどころか笑っている。
「くっくっ……。そんな寂しいことを言わずに仲良くせんか?」
「………………」
「わかった。ナデナデだけじゃ物足りぬということじゃな。もふもふもしてやるし好きなだけすりすりもぺろぺろしても良いのじゃぞ?」
「…………まさか、揺らいでませんよね。そんなことで心が揺らぐ変態だと幻滅させないでくださいね」
なんという板挟み状況だ。
侵入者は獣のような匂いこそすれど頭をナデナデするだけではなく全身をもふもふしてくれると言うし、すりすりしてもぺろぺろしてもいいと言ってくれている。
正直に言うと心が揺らいでいた。
それが犬としての自分が持つ本能だから。
しかし、それに従って行動すると優しげに微笑みながら背中を撫でてくれているルーナが凶暴化する可能性がある。
罵られるだけならば甘んじて受け入れる。
もし彼女の手から直接自分を貫く矢なりが現れるならば考えなければならない。
いや、ここは素直になるべきだ。
自分の素直な欲求に従って行動すべきだ。
即ち、柔らかいこそ正義。
「ルーナの太腿の方が居心地がいいので断ります」
「この変態は今この場で処しておいた方が良さそうですね」
「くぅ〜ん」
「そう無碍にするものでもないぞ。犬なりに考えて出した答えなのじゃ。そこに下心など存在しないはずじゃ」
「下心はあるぞ」
全員の視線が自分に刺さる。
何を馬鹿正直に答えているのか、と思われるだろうが嘘で取り繕う言葉こそ危険な状況なのである。
本当のことも言えない不誠実な人は殺そう、とルーナが言うかもしれない。
故にこれが選び抜いた答えなのだ。
どちらを選んでも殺されるなら今の幸福を。
「愉快な犬じゃな。なかなか見込みがあるぞ」
「正直ビビってるんで何も言えないんだが」
神格は数少ない半神を殺すことが可能な存在。
レアは比較的温厚な性格で攻撃を仕掛けるようには見えないがルーナは好戦的な正確だから気に食わなければやるだろうと考えていた所に、そのルーナより格上の神様が現れてしまった。
正直いつ殺されてもおかしくない。
相手が何の神様かも分かってないのだ。対策も取れない。
こんなことになるくらいのらばルーナの足を舐めてでも媚を売っておくべきだった。
自分を助けてくれる可能性のある存在がルーナしか考えられないのだから。
と、自分は気を張り詰めていたが攻撃的な雰囲気を感じない。
どちらかといえば友好的な……距離を詰めやすいタイプの雰囲気だ。
彼女はルーナの庭園、その草地の上に腰を下ろす。頭上に大きな耳と、腰元には植物の蕾を思わせる膨らみ方をしたモフりがいのある尻尾を揺らしながら何をしに来たのか目的を話す。
「この遊戯について、大事な話をしておきたい」




