第53話「調査依頼」
――騎士団本部。
「俺に依頼?」
本部へと呼び出され最初の言葉を聞いて自分はそう言わざるを得なかった。
特に呼び出し自体は珍しい話ではない。
巷を騒がせるプロトタイプの討伐に都合のいい存在がいれば議論する間もなく呼び出されるのはいつものこと。プロトタイプと断定できずとも悪さをしているのではないかと呼び出されることはよくある。
今回もその類だと考えていた。
最近になって街の中に限らず良くない話は聞こえてくる。
それの原因かどうか問われるかと思っていたのだ。
しかし、呼び出しに応じて本部に入ると神妙な面持ちをした団長が書面と睨み合いをしていた。
どうも楽観的には決めかねる内容だったようで端的に伝えられ、冒頭の自分の反応に至るという訳だ。
「貴様が適任だと判断した」
「団員じゃないんだから勝手に適任云々決めないでほしい。俺には俺の生活があるんだぞ」
「そこは理解している。しかし、彼らに関する知識があり、識別する能力があり、実力のある者は限られる。今回に関してはどれか一つでも欠けてはならん」
面倒な依頼が来ることは想像がつく。
なるべく断れるのならば断りたかったが騎士団所属の者で知識、能力、実力が全て揃っている者がいないのであれば依頼を引き受けるものは他にいない。
その間、当然ながら問題は大きくなる。被害も発生する。
それらの責任を自分が取れるものではない。
故に彼は迷いなく自分を呼び出したのだろう。
引き受けるとも言い難く、自分は何も言わずに依頼書を見せろと手を差し出す。
それに目を通していると暗記でもしているのかキースは内容をさらさらと読み上げていく。
「ルークステラにある施設でプロトタイプの動き有り。現在は表立っての行動は無いが大規模な災害として被害をもたらす可能性が高いため早急に専門家による処理を、だそうだ」
「大規模……。まさか第二のヴェイグになりかねないとでも考えているのか?」
「それを確かめるのが貴様の仕事だ。奴は金が無くて満足に教育を受けられない若者に無償で教育を実施している。仮に事実なら聖人君子だと認めてもいい。しかし、厄介な情報を教え込んでいたら?」
キースの懸念は伝わっている。
満足に教育を受けてこなかった者達は何かしらの秘めた才能を有している可能性がある。
そこへ仮に戦いに秀でた者が居て闘争本能を刺激するような教育を実施していたら未来有望な戦士の誕生。その能力を生かすために使うのも楽しむために使うのも本人次第となる。
それを止めなければならないのは分かっているつもりだ。
しかし、自分はルークステラに一度だけ足を運び、そこにいる連中に注目されるようなことをしてしまっている。そこで自分のことを他のプロトタイプが見ていたり情報を得ていたのならば再び足を運びたくはないというのが現状だ。
何より、ルークステラにはノエルを連れていけない。
前回はレインが同伴していたし、ミィと会うという目的で行っていたから良かったが今回は状況が違う。
レインは居ない。ミィも居ない。
頼ることのできる仲間が居ない環境でノエルを一人にはできない。
また、ノエルと離れて行動することになる。
「まだ休むには早い、か」
「貴様にばかり重荷を背負わせていることは認識している。代われるのならば代わってやりたいとは思っているが……」
「いや、その気持ちだけで十分だよ。どっかの神官様と違って労う気持ちはあるみたいだしな」
彼には彼の責任がある。
騎士団長として部下を守らなければならない。
職責として、民を守り続けなければならない。
そんな責任を背負う者に同情させるのは違う。どう考えても向こうの方が重いものを背負わされているのだから。
自分はその場その場で必要な命を守るだけ。
彼らには取捨選択する余裕すらない。
むしろ自分の都合を押し通そうとしていた自分が恥ずかしいとさえ感じる。
ノエルのことは心配だし、離れるのも寂しいが個人の感情に過ぎない。もっと大きな局面を考えたなら甘えたことを言ってもいられない。
自分は再び依頼書に視線を落とす。
「相手の権能は? まさか何も情報がないわけじゃないだろ?」
「戦闘向きの権能ではないという推測だ。発動に関しても目に用心していれば問題ない」
「目を?」
「奴に目を見られてはならないという噂があるそうだ。まあ、大抵の者は奴がそういう権能とも知らぬから曝しているわけだが、我々は易々と相手の術中にはまってやる必要もない」
「あ、おいっ!」
話しながら席から立ち上がったキースは自分の後ろに立つと目元を白い布で覆ってしまった。
視界が全て暗闇に閉ざされている。
幸いにも自分には視力に劣らぬ嗅覚と聴覚があるので平気だ。この状態でもその二つの五感で得た情報から本物に近い視覚情報を作り出すことができる。
「これでいいのか?」
「あとは姿も偽れるのが望ましいな。可能か?」
「まあ、いけると思うけどここではやりたくない」
姿を偽る術はあるが忘れてはならないことがあるのだ。
とりあえずキースからは深く追及されることは無かったので自分は依頼絡みの調整をするために一度、帰宅する。
目隠しに関しては外せない。
キース曰く「何も見えない状態に慣れておけ」とのことだ。
何も見えないわけではないが違和感は感じる。
何よりも自分より、それ以外の人間から見たら違和感どころか不信感さえ抱くような風貌になっているのだ。
帰宅すると一通りの家事を終えたニムルは部屋に戻って寝ていて、ノエルは自分の帰りを待っていたのか椅子に座って足をぱたぱたと揺らしながら机に突っ伏していた。
彼女は自分の足音に気がつくと顔を上げて「おかえり」と微笑む。
「ただいま。遅くなるかもしれないから寝てても良かったんだぞ」
「犬はノエルに用事があると思ったけど?」
こちらの心中などお見通しだと言わんばかりの態度だった。
しかし、実際に自分はノエルに用事があったし、可能なら今夜中に話をしておきたいと思っていたから彼女のそういった考えにはありがたさを覚えた。
その気持ちさえも分かっていると言いたいのかノエルは自分の手を握ると寝室まで連行する。
自分をベッドの縁に座らせると少しだけ間を開けてノエルの方から口を開いた。
「ノエルのことは心配しなくていいよ。ニムルも居るし、犬の見解が正しければ襲われることもないはずだから」
「ああ、心配はしてない」
「それは良かった。ノエルは犬の負担になるくらいならこっそりついて行くくらいが丁度いいかと思ってたから。それで犬はノエルに何を求めてるの?」
分かってるだろ、とノエルに頭を押し付ける。
ノエルはそれに抵抗せず素直に押されるとベッドの上に倒れた。
自分はその上に覆い被さるような形になるとノエルの体に自分の額を擦り付けるようにする。
今回の仕事に出発したら自分はしばらく文字通りに犬として過ごすことになる。
比喩表現ではなく、見た目そのものが犬として過ごす。
そうなっても形が変わるだけで自我や記憶は残っているが、それでもやはり人型であった頃と感覚が変わるのだから元に戻った時に違和感が続くこともある。
だからこそノエルと人として触れ合う。
この状態で得られる感覚をしっかりと頭に焼き付けて犬型になったとしても忘れずに残しておく。
匂いもそうだ。
少しの間なのか、しばらくなのか分からないがノエルに会えなくなる。
その間に自分の記憶からノエルの匂いが薄れてしまわないようにしっかりと記憶に残しておくのだ。
体を擦り付けるマーキングはあくまでついでの行為である。
「手で触られるよりくすぐったい」
「俺は獣人だからそんなに変わらないだろ。手で触れた方が良いか?」
「そこは犬に任せる。ノエルは犬が満足するならどっちでもいいから」
「じゃあ文句言うな。俺は少しでもノエルのことを感じたいんだ。感触だけじゃない。吐息や触れる度に大きくなる脈動の音とか、匂いとか近い方がより鮮明に分かるだろ」
「ノエルの胸に顔を埋めたいならそう言えばいい」
別にそういうわけては、と離れようとしたがノエルに頭を抱きしめられて逃れられなくなった。
彼女の胸に頭を寄せるような形で抱きしめられてしまったから意識的にも離れにくい状態だ。この柔らかな抱擁から無理に抜け出す理由もなくて、心地良いのだから受け入れてしまう。
そこでノエルの心音に耳を澄ませながら目を閉じる。
「無理しないでね。一人だから頼れる人も居ないと思うけど、そうい状況だからこそ途中で帰ってきても怒る人だって居ないんだから」
「あまり甘やかそうとするなよ。このままノエルから離れたくなくなるだろ」
「そんなにノエルの胸が好きなの? だからいつも頭を隠そうとするみたいにノエルに押し付けながら寝てるんだ」
それは事実と異なる。
どちらかと言えばノエルの方が自分の胸に頭を埋めて寝ている。柔らかい体毛の温もりを感じながら健やかな寝息を立てているのをよく見た。
ノエルは手の力を緩める。
解放されたことに気がついた自分はノエルから離れると姿を変えた。
四足歩行の獣の姿へと。
「それなりに久々だね」
「動きやすいけど手を器用に使うことができないからな。あとノエルを抱きしめることもできないし端から見たら獣が女の子を襲ってるようにしか見えなくなるから好んでなりたいとは思わないし」
「目隠し外せないなら危険な時は自分最優先で行動してね。いつもより制限がある状態で無理に他も守ろうとしたら犬が先に潰れちゃう」
「分かってる」
そんなこと自分にはできないことくらい。
自分を最優先に行動して、何かが失われるくらいなら両方を取る。厳しくて叶わないようなことだとしても初手から諦めるなんて、自分にはできない。
人間はそういう生き物だ。
自らの目ではっきりと不可能を目の当たりにしなければ止まることはできない。
特に自分はその気持ちが強すぎる。
自分を守れても、その後に他人が背負う苦しさを共感してしまうのだから、それは自分が苦しむのと同義だ。
それなら初めから自分が背負うべきだろう。
ただ、今は自分のそれと同じように自分が失われることで苦しいと感じる者が居るから、自分は両方を確実に守るように行動する。
「行ってくる」
ノエルは分かっていて念押しするように言ったのだ。
もし本当に叶わなくて共倒れになるくらいなら自分だけでも無事でいてくれ、と。
今回の仕事は命の危険があるかは分からない。
それでも、もしもの時は……。
――ルークステラ郊外、孤児院。
騎士団から情報のあったプロトタイプはこの孤児院で院長として孤児達の面倒を見ながら他所から来た貧しい子供の教育を行っているという。
仮に普通の院長なのだとしたらカダレアのリースと同じ。
しかし、教育と偽って洗脳的行為をしているならば要注意だ。内容によっては院長を止めなければならないし、洗脳されてしまった孤児達もどうにかしなければいけなくなるだろう。
と、想像していても埒が明かない。
そもそも門を叩いても誰も来ないから話が進まない。
仕方がないので孤児院に入るのは諦めて隣りにある別の建物へと入ることにする。
そちらの建物は孤児院のように教会みたいな造りはしておらず、平たく分かりやすい構造をしていた。扉を頭で押して中に入ってみれば四角い空間に何人かの子供達と前方で何やら壁に何やら書いている男がいる。
自分は男に気が付かれていないのを良いことに遠慮なく足を進めると一つだけ空席になっていた場所へと向かう。椅子に座るような器用なことはできないが子供達の身長に合わせて作られた机なら椅子に座らなくても前は見える。
もちろん子供達は自分の存在を認知していた。
しかし、驚きで声が出ないのか無言だった。
時が動き始めたのは前の男が書くのを止めてこちらを振り向いた時だ。
「どこから迷い込んだ野犬かね? しっしっ!」
「野犬とは失礼な。この凛々しい顔立ちを見ても野良犬と同列か?」
「ほう……」
奇怪な物を見つけたかのような視線が刺さる。
ただの野良犬から言葉を理解し話すことのできる犬へと変わったのだから当然の反応と言える。
むしろ野良犬なら大人しく子供達と同じように机の前に座らない。
そこからして常識が外れている。
「賢い犬だね」
「触るな、噛むぞ」
「子供達に危害を出されては困るんだが」
「よく知りもしない犬に触れようとすれば危険だと諭したつもりだ。本当の野犬であれば冗談では済まされなかった。ここは学びの場だと言うならば己の身を守る術を教えるのも必要ではないのか?」
膠着状態が続く。
ここまで邪魔をされて消えてほしいと思ったならば権能を使おうとするはずだ。
あえて権能の効力を受けてやるつもりはないが、情報の精査もしなくてはならない。目が関係していると言うが見られたら発動するのか、見たら発動するのか騎士団から与えられた情報だけでは足りない。
「先生、もう終業の時間ですが」
「す、すまない。動揺していて忘れていた。炊飯係が待っているから君達は先に戻っていなさい。ああ、オーファンは残りなさい」
「?」
男の言葉に疑問を感じたのはオーファンと呼ばれた隣に座っている青年ではなく自分の方だった。
危害を加えかねない危険分子がここにいるのだから子供達は全員帰らせると考えていたが一人だけ残した。その理由に心当たりが無いため、隣のオーファンが落ち着いていることに不安を感じてしまう。
もし件のプロトタイプが思念伝達の類を扱うのであれば行動を誤った。
隣の青年がまだ未熟者であると勝手に思い込まされている可能性がある。
いや、それはない。
むしろ取り乱すのは得策ではないだろう。
あくまで毅然と振る舞い、この場に現れたのは気まぐれであるように装うのが正しい。
と、口を開きかけた時、前方の男はオーファンに問い掛ける。
「オーファン、君はどう感じる?」
「特に危険は感じませんでした。ただの犬にしては流暢に会話しているな、とは感じましたが」
少し嫌な予感がした。
騎士団の情報では「孤児院で教鞭を取っている者がプロトタイプ」という話だったが誤りの可能性がある。
突飛な発想ではあるが操った対象を基軸に権能を行使することのできるプロトタイプが存在しないわけではない。
その一角にアステルというプロトタイプがいた。
直接使役した者を第一配下として…第一配下にも自分の持つ権能を付与する。第一配下はアステルが持つ「吸血した対象を傀儡とする」権能を扱えるため連鎖的に配下を増やすことのできる権能だ。
同じ権能はゲームが破綻するからあり得ないとして似た性質は存在できる。
たとえばオーファンが本来のプロトタイプであり男は権能により支配下にある存在で、そちらに擬似的にプロトタイプを演じさせている可能性もあるわけだ。
つまり現状は二対一の可能性がある。
仮にオーファンがプロトタイプではなかったとしても落ち着き具合が他の比ではない。
何かしら勘繰られている可能性は捨てきれないだろう。
「魔物と比べれば不気味さは感じません。長い間を人類と暮らしているうちに言葉を覚えたと考えれば納得できます」
「ふむ。では野良犬くん、君はどれほどの時を人間と過ごしている?」
「そろそろ野良犬呼ばわりを止めろ。俺はガルムって名前がある。その呼ばれ方は不愉快だ」
「質問の答は?」
「…………二十年近くだ」
そもそも自分も人類だが犬という体裁があるので本音を押し殺す。
とにかく今は少し賢くて人間と居る時間が長かったから言葉を話せるだけの犬を演じなければならない。
「オーファン、その包帯を外しなさい。怪我をしているなら手当をしてあげなければならない」
「…………できません」
「ただの犬ではないのかい?」
オーファンはこちらを一瞥すると頸を左右に振る。
やはり彼は勘の鋭い人間だ。
自分は敵意など表に出してはいないというのに何を考えているのか察して行動を中断するだけの判断をした。単に自分の言葉を思い出しただけではこうはならないだろう。
仮にも恩師からの指示である。
それを受けても動けないなら理解していると見て間違いない。
「以前、蛇の魔物と遭遇して毒を受けている。あまりにグロテスクで人に見せる物ではないので隠しているんだ。理解してくれ」
「オーファン?」
「……! 嫌がっていることを無理にするものではないと先生が仰っていた。その教えに従うならば僕は彼の包帯を外すべきではないと……」
「では私はオーファンの考えを尊重しよう。ガルムと名乗っていたな。君を受け入れるにはいくつかの条件がある。まずここへ来た目的を話してもらいたい」
当然の質問に自分は迷うことなく回答する。
彼らにとって自分は突然現れた異物なのだから意味もなく置いておくこともできない。少しでも悩んだ素振りを見せようものなら追い払われかねない。
「自由になって暇だから人間のことでも学ぼうと思って散歩してたらお前の声が聞こえた」
「ふむ、声から教育の場だと判断して足を運んだ訳か」
実際に建物の外からでも彼の声は聞こえていた。
もちろん自分の聴力あってのものだが教育を行っていることは明確に理解できる内容だったのだから齟齬は生じない。以前から人間と親しくしていたという刷り込みもあるため余計に人間に対する興味と言われれば疑いにくいだろう。
大人しく回答したために二人の反応は悪くない。
必要ならダメ押しでお腹でも見せてやるつもりだったが……。
その必要はないらしい。
「いいだろう。ここで生活する上での決まりを守れるならばガルムがここへ滞在することを認めてもいい」
「それは助かる。お前のことは何と呼べばいい」
「アルでいい。皆は先生と呼ぶが犬にそう呼ばれるのは複雑な気持ちだ」
――孤児院の裏庭。
月が天辺より下り始め若い子供達なら確実に寝静まっている時間、自分はひっそりと部屋から抜け出していた。
本当はこの行為さえ許されない。
アルという男が示した約束は主に三つだ。
一つ、食事の時間には確実に宿舎へと戻ること。
二つ、子供達は喧嘩することがあっても互いに傷つけてはならない。
三つ、夜間に外へ出ることの禁止。
小さい子供達の面倒を見ていることを考えればどれも彼らを守るために設けた約束であり、そこに支配性などは感じない。ごく一般的な家庭を考えてもおかしくはない程度の決まり事だ。
ただ、そのルールを自分にも当てはめられては困る。
いい歳をした大人が子供達と同じルールで動くには不便だし、そもそも調査をしに来た人間が業に入ってはなんとやらと言えども大人しく縛られていたら結果を示すまでに時間が掛かりすぎてしまう。
可能なら怪しいものを見つければ逐次報告すべきだ。
そう考えて外に繰り出してみればアルが管理する孤児院の規模に驚く。
人数こそ少ないものの施設自体は広大であり、日が暮れる前に入った教育講堂自体もそれなりに広かったが、子供達が生活する宿舎やその周囲にある庭と裏手の少し離れた場所にある訓練場を含めたら一人で管理するには大きすぎる敷地だ。
だからこそアルは子供達に担当を決めさせて管理している。
食事を作る担当がいれば環境整備をする者もいる。顔は見ていないが聞くところによると食料の調達を担当する者もいるらしい。
つまり管理体制はしっかりしていると思う。
そこに奴隷のような搾取があるなら話が別だが、彼らに協調性を持たせているという点では非の打ち所がない。
だからこそ欠点の一つも見つからず夜中に宿舎を抜け出して粗探しをしているわけだが……。
何かの気配を感じた自分は一度、足を止めて足元の匂いを嗅ぐふりをした。
その時、自分目掛けて何かが飛んでくる。
獣の自分でさえ恐怖を感じるほどの速度。回避も間に合わず、それは後ろ脚を掠めていく。
さらに続けて二本、三本と迷うことなく攻撃は飛んでくる。
しかし、一本目で仕留め損ねたのが失敗だ。
相手がいる方向が分かっていれば簡単に避けられる。
今の自分は目で見て動くのではなく気配で察知して事前に対応しているのだ。
「良い腕だが相手が悪かったな」
「私の『必中の矢』が外れるはずない」
そう言って教育講堂の屋根から地面に飛び降りたのは孤児院に属していると思われる少女だった。
あれほどの精度で矢を放つ者が女の子であり歳も他の子供達とそんなに変わらないために言葉を失ってしまう。
まだ腕を磨くのに十分な時間がある。
そんな少女が確実に獲物を殺すための矢を放てるはずがない。
ある意味で現実離れしたものを見せられ、逆に答え合わせがすんなりできてしまった。
彼女はプロトタイプだ。
「この距離なら外さない……!」
「どうだろうな。試すか?」
少女は教育講堂を背にして自分の正面で矢を番える。
それを見て自分は安堵する。
どれだけ高等な技術を持っていても中身は若い子供。卓越した実践経験があるわけでも確実に相手を射殺す知識があるわけでもない。
弓は相手に気が付かれた時点で優位性を失う。
音を最小限に高所から確実に急所を狙って殺すのが基本だ。目の前に出るものではない。
自分は少女が矢を放とうと指を離す直前に走り出す。
彼女が指を離して矢が自分に向けて放たれた瞬間に矢を噛み砕く。犬歯の間で速度を殺してから砕いてしまえば貫通することもない。
目視ではなく反射だからこそできる無謀。
その化け物にしかできないような芸当を目の前で見せつけられた少女は自分が眼前に到達しているにも関わらず逃げる動きも見せず呆然と立ち尽くしていた。
逃げられても困るので鼻先で腹の辺りを突いて転ばせる。
「狩人が何の策もなしに獣の前に姿を現しちゃダメだぞ。その狩人が美味しい肉だって分かってたら逃げずに襲ってくる」
「……っ!」
「冗談だ。お前みたいな小さい女の子を喰うと寝覚めが悪い。そもそもアルが子供達に怪我をさせるなって言ってたからな」
「あなたは何なの?」
怯えているのか震えながら口を開いた少女に自分は目を丸くする。
それはこっちの台詞だ、と。
言いたいことも聞きたいことも沢山あるし、怯えたいのはこっちの方なのに子供だからという理由で我先に泣かれても困るのだ。
まあ、そんな考えは置いといて自分は精一杯の笑顔をもって彼女の問いかけに答えた。
「お前の同類だ」
それを聞いた少女は突然泣き出し、宿舎の方へと消えていった。
逃さないようにしていたつもりだが急に涙なんか見せるものだから驚いて呼び止めることさえ忘れてしまった。
本当はもう少し色々と調べてから戻るつもりだったが子供を泣かせた上で抜け出しているのがバレたら洒落にならないので今日のところは大人しく眠ることにした。
それにしても、獣に同族呼ばわりされたのがそんなに嫌だったのだろうか……。




