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偽物でも許されたい  作者: 厚狭川五和
『死に紡がれた縁』イルヴィナ(2章)
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第48話「魂の重さ」

 ――ガルムの家、夜中。


 ルークステラから戻ってきた日の夜、やはり知らぬ土地の慣れない場所で睡眠を取るよりも使い込まれた自分のベッドの方が良い、と安心して眠りに就いて少しした頃だった。

 ベッドに何者かの侵入を感じて目を開く。

 既に夜這いされることに慣れかけている自分は見知った人間がベッドに入ってきても健やかな寝息を立てていられる自信がある。少なくともノエルかニムルが勝手にベッドに侵入してこようが服を脱がしてこようが目を覚まさない自信があった。

 今日は、何故か目を覚ましてしまったのだ。

 侵入者を視界に捉えるとノエルだったのに、何故か不安を感じたらしい。

 向こうも自分が目を覚ましたことに気がついたのか一時的にベッドに乗り上げるのを中断している。

 さすがに気づいてしまった以上は放置するのも気まずいので何か反応を返しておかないといけない。


「何しに来た」

「えっと……大事なこと」

「夜這いが? 完全に寝付いた頃にベッドに忍び込んで服を脱がすことがそんなに大事なことなのか?」


 ノエルは首を左右に振って否定する。

 まあ、冗談のつもりで言っていたから頷かれたらそれはそれで次にどう言葉を返していいか複雑な気持ちになるので素直に否定してくれて助かる。

 顔を見れば何となく夜這いをしに来た雰囲気ではないことくらい分かる。

 他に用事があるのだろう。

 身体を起こしてベッドの上で胡座をかいた自分は空いているスペースを手で叩いてノエルにも座るように伝える。

 いつまでも椅子から乗り上げようとした姿勢で止まられても困るのだ。

 特にこう胸元に隙間の多いノエルにその姿勢で止まられると視界に良くないものが映り込むと言うか、そういうことである。

 ノエルはのそのそと移動すると提示した位置に座った。

 彼女の姿勢を見るに本当に大事な話があって来たらしいな。

 そんなに大事な話だと言うなら茶化したり余計な話をせずに本題に入ってもらった方が良さそうだ。


「疲れてるから手短に頼むぞ」

「そのつもり。犬の負担を増やしたくない。特に今は犬をゆっくり休ませないといけない時期だから」

「時期?」


 ノエルは頷くと自分の胸に、もっと言えば心臓のある辺りに手を触れて目を閉じる。

 何をしているのか分からなかった自分もそれに釣られて目を閉じた。


「カルミアが言っていた『役割』はノエルみたいな神様の間でいう魂と近い意味合いがある。一人の人間に魂は一つだけ。でも、その魂は形や色は明確に決まってない。強い力を加えられたら硬い金属であろうと歪むように、どんなに強い色でも大量の水に溶かれれば色が薄くなるように魂も変化する」

「それが『役割』の変化?」

「本来はその人の魂で大部分を占めるものが人格として表に出る。ただ、あの子の持つ権能は一度、大部分を占めるものを抜き取り、本当は薄っすらとしか存在しない人格で染め上げた後に抜き取った()()()()()()()()を戻すことで『役割』を入れ替える」


 ノエルの説明を頭の中でイメージする。

 様々な思いや考え方の混ざったものが魂だとして、その中で大半を占める……九割の存在が魂の持ち主を象る人格として、その他の一割程度の混ざりあったものが本人すら気づかない潜在的な人格。

 それは本来、入れ替わるはずのないもの。

 もし何かによって九割の人格が深く傷つけられて穴が空いた状態になれば可能性もあるが、そんなことになる前に人間は逃げる。まず起こり得ない事象と考えていい。

 ただ、カルミアの権能は傷つけるのではなく、その九割を丸ごと抜き取り、一度そこになかったことにしてしまう。

 故に九割を除いた一割の混ざりあった人格が全体を占めるようになり、それが魂の持つ人格として固定される。そこへ元の人格を戻した所で全体を占めてしまっている人格を塗り替えることができず元通りになることはない。

 その理屈でいくと自分の『役割』を切り替えることができなかったのは何故だ?

 カルミアの説明だと自分は他に『役割』となりうる可能性が存在しない。正確には存在しているが薄弱すぎて『役割』として不足しているという話だった。

 色で例えるなら薄すぎて染め上げるにはあまりにも足りていない、と。


「犬は心理的に距離感の近いプロトタイプの権能を下方された状態で模倣できる。その理由に疑問を持ったことは?」

「色々と適当な理屈は並べてたけど、はっきりとは分からない」


 条件に関しては色々と考え至るものはある。

 まず、実際に見たものでなければ権能は感覚に頼る部分も多いので模倣することができない。

 次に、ノエルが言うように心理的に距離感の近い……お互いに好意を持って接することのできる相手でなければならない。

 自分は今まで模倣したことのある権能の持ち主に該当する条件として確実に当てはまるものを二つだと考えていた。

 どうして使えるようになるのか、という理由までは深く考えたこともない。


「犬は魂の繋がりを利用して彼らの権能を使ってる」

「繋がり?」

「頭じゃなくて心で考えて。犬は『支配』の持つ守りたいという意志に共感する部分があるはず。他にも『憧憬』の持つ揺るがない誇りや『墓守』の命を大切にする気持ちとか、犬にとっては他人事ではないように感じているはず」

「…………ああ。彼らが大切にしてる信念のようなものは、俺も同じような考えを持っているとは思う。あくまで選択に迫られれば同じ可能性を選んだだろう、という程度だが」


 自分が『支配(テイム)』だったとしても、自分より遥かに強い相手を前に仲間を守るために命を預かる立場になれるとは言えない。それは彼だからできた選択。

 自分が『憧憬(レイン)』だったとしても、誰かの憧れであり続けるほどの誇りを持って生きられるとは言えない。それは彼女が自分に対してそれだけの価値があると自信を持っているから。

 自分が『墓守(イルヴィナ)』だったとしても、命を落としてしまった者達の声まで聞いて届けてあげられるほどの精神力を持てるとは言えない。それは彼女が声を聞いてもらえない死者の苦しみを理解しているからできること。

 そう、何に関しても自分なら口先だけで終わってしまう可能性が高い。

 彼らはそれを実行に移して成功した者達だ。

 

「それが犬と彼らの魂との繋がり。他のプロトタイプが持つ権能を扱える理由であり、犬が多くの者達と親交を交わそうとする理由。犬は彼らのことをすごいと思ってる。自分にはできないことをできる人達だって認めてる。同時に、彼らが普通にやってることだから自分もそれに見合わないまでも出来なければならないと感じてる」

「別にそんなことは……」

「ある。犬は『支配』のように複数の身寄りのない者達を守ることはできないけど、その代わりにニムルという行き場のない魔物を守り育てようとした。犬は『憧憬』のように誰からも憧れられる存在にはなれないけど、せめて知り合いには胸を張って生きられるようにと誠実に生きてきた。犬は『墓守』のように死者の声を聞き続けることも他人に届けることもできないけど、その代わり死者を冒涜することも奪った命を無駄にすることもしないようにしていた。だから、犬が親交を誰かと交わす度に犬は知らぬ間に負担を抱えててる」


 別に負担などと思ったことは無かった。

 みんなが当たり前に熟せていることを自分もやろうとして、彼らほど完璧にできないだけで無理をしたつもりもない。

 ただ、やっぱり届かないのは悲しい。

 自分よりも苦労してる奴の半分も重荷を背負ってやることができない自分が未熟に思えて悔しい。

 なぜ同じになれないのだろうと内心では落ち込んでいる自分がいたかもしれない。

 紛い物の力で彼らの権能を借りているなんて言えない。

 いつの間にか自分は犬歯を剥き出しにして唸っていたようで、自分の耳に低い音が聞こえてくる。膝の上に置かれた手も震えるほどの力で拳を握っていた。

 それを見たノエルは自分の胸から手を離す。


「もう心に語りかけるのはおしまい。犬はもう理解したはず」

「俺は、おかしくなったのか? 頭の中がぐちゃぐちゃだ。怒りたいのか泣きたいのかも分からなくて、無性に暴れたいような、誰でもいいから甘えたいような、とにかく色んな気持ちが転がっててどれに答えたらいいのか分からないんだ」

「犬は今までも、これからも大切な人が増える度に苦労していくことになる。彼らの重荷を一緒に支えてあげられないことに対する悲しみ、力不足な自分への怒り、この理不尽なゲームのせいで自分も仲間も振り回されて傷ついて、それを見せられたことによるストレス……」


 ノエルは唸っている自分に怯える様子も見せず距離を詰めると小さな体でそっと抱きしめてくれる。

 しばらくは唸り続けていたが段々と声が出てこなくなって拳にも力が入らなくなった代わりに、涙が溢れてきた。

 自分でも知らなかった。

 こんなに色んなこと感じていたなんて、知る由もなかった。自分の中で割り切って考えられてると勝手に考えることを放棄していた。


「たまにでいいから全部吐き出して? 頑張りすぎないで? 犬が悔しいと感じてるのは()()()()()()()()から」

「…………ノエルは、俺のこと支えてくれてるじゃねえか。力不足なんて悲しいこと、言うなよ……」


 自分の苦しさをノエルが「知ってる」と言われて少し自分は視野が狭すぎたのだと気がついた。

 彼女の方が無力さを感じているのだ。

 本当なら守られるのではなく守れる力を持っているべき存在が力を持たず、ただ重荷になっているのではないかと感じて、ノエルはずっと気にしていた。

 でも、ノエルは力不足などではない。

 こうして自分のことを支えてくれている。立ち止まりそうになった時には前を向いて歩き出せるように慰めてくれる。

 ノエルが離れたが情けない顔を見られる前に急いで涙を拭う。


「ノエルは犬の悲しみや怒りを聞いてあげられる。抱えてるストレスも犬のこと甘やかしたり暴力は……困るけど、何とかしてあげたい。それがノエルの唯一の『役割』だから」

「…………ごめんな。自分のこと全然理解してなくて、ノエルのことも全然頼ってなかった」

「犬からは絶対に頼ってこないと思って強硬手段に出た。そういう意味では謝るのはノエルの方。余計なお世話だったかも」

「そんなことないぞ。意外とノエルに甘えたいって言うの緊張するし、こうやってノエルから来てくれるのは助かってるというか……」


 ノエルの方から来たということは拒否権は必要ないという意味。

 こういう場合は大体のことは許される。

 たとえばノエルのお腹に顔を埋めて満足するまで吸い続けても許される、たぶん。実際にやったことないから分からないけど。

 好きなだけモフっていいぞ、とノエルに頭を寄せる。


「ミィに頼んで犬のこともう少しもふもふにしてもらえばよかった。最近ちゃんとケアしてあげられなかったからゴワゴワしてる」

「……? これでいいか?」


 一度離れるとミィの権能をしれっと使わせてもらって固くなってしまっていた体毛を柔らかめに調整する。あまり柔らかくしすぎても毛量が増えて毛玉扱いを受けてしまうので程々にしておくのが肝だ。

 ノエルは首の下の辺りを撫でて先程までとの違いを理解する。


「そんな簡単に……」

「ミィの権能は目の前で見たし、好意はあっただろ?」

「ノエルの話は聞いてた? 魂の繋がりが無いと犬の考えた条件が一致しても無理だよ。ミィが何か知ってるの?」

「……?」

「ミィは『認知』だよ。誰かに認められたいっていう承認欲求の塊みたいな子。つまり犬も『認知』されたいってこと」


 自分はノエルのお腹の辺りに頭を埋めるフリをして顔を隠す。

 否定するようなことでもない気はするが気まずい。自分ですら気づくことのできない心情をノエルに指摘されて嬉しいと感じていたが、この場で自分にも承認欲求があるとは言いにくい。

 自分は「認めてくれ!」とアピールする気は毛頭ないのだ。

 ちょっとは構ってほしいとは思うが、あくまで犬としての本能的に飼い主に放置されるのは淋しいだけで目立ちたいとか嫉妬とか、そんなこと考えていない。

 しかし、ミィと魂の繋がりがあると言われてしまった以上は心のどこかで自分はそれを求めているということで、言い逃れのできない状況へと追い詰められているのと同じ状態なのである。

 羞恥と戸惑いで覆われた今の顔は見せられた状態ではない。

 自分の耳が人よりも高い位置にあるせいでこうしているとノエルの心音が間近に聞こえてくる。


「犬は不思議なこと言うね。承認欲求強めって思われるのは恥ずかしいのにノエルのお腹に頭ぐりぐりするのは恥ずかしくないんだね」

「それ以上、言わないでくれ……」

「別にいいんだよ。どんな犬だってノエルの中では同じ、ガルムっていう大切な半身以外の何者でもない。ちょっと変態さんなところも含めて認めてるから」

「そこは、認めないでほしかった」

「ふふっ…! でも、そこ含めてガルムらしさでしょ?」


 こういう言い方はずるいと思う。

 お腹に埋めていた視線を上に向けるとノエルは優しい笑みを浮かべながら自分の頭を撫でていた。

 その姿を見ていると子供扱いされているような気がしてくる。

 嫌な気はしない。

 というのも甘えたいという気持ちが少しだけあったので変な意地を張るのも違うような気がしているのである。


「夜這い…………今日は、許す」

()()()?」

「あ、あくまで俺が認知してる夜這いのことだ! 普段のことは知らない……!」

「むっつり……」



 ――翌朝。


 朝を迎えて目を覚ました自分は当然の如く身ぐるみを剥がされていて、昨日の会話を思い出しながら少しだけ後悔する。

 たしかにノエルの行為を昨日は許した。

 こちらから甘えてしまったのだから相手の要求にも答えるのが誠意だと思ってある程度のことは甘んじて受け入れようとしていたが、それとこれとは話が別である。

 自分が記憶している最後の状態としてはシャツを脱がされてパンツ以外奪われた状態で、ノエルも似たような状態だった。体温を感じやすい状態にするために脱がされただけだと記憶している。

 その後は基本的にはノエルのことを抱きしめた状態で寝ていたことまでは覚えている。

 要するにパンツまで脱がされた覚えはない。

 これは自分が完全に眠りに就いてから目を覚ますまでの間、先に目を覚ましたノエルによる犯行と見て間違いない。

 なんて呑気に分析している場合ではない。

 ノエルかニムルが部屋に凸ってくる前に脱がされたのでも新しいのでもいいからパンツを穿いておきたい。


「寝てる間に男を脱がして何が楽しいんだか」

「犬の元気な姿を観察できて楽しいよ?」

「んなっ……!」


 どこで聞いていたのやら平然と回答してくるノエル。

 驚いてまともに言葉も出せず、自分のパンツを探すのに集中しているフリをして誤魔化す。

 ノエルに正面を向けなければ良いのだ。

 そうすれば見られることは……。

 犬の元気な姿……?


「ノエルさん……」

「犬は寝てる間はそんなにだけど、起きる少し前になるとすごく元気だよね。日によって度合いも違うけど」

「お前は何を平然と比較してるんだよ! イタズラ程度にやってると考えてたのに、まさかまじまじと観察されてるなんて……!」

「今日はいつもより元気だった。まだ落ち着いてないし」

「ばっ! 見るな! 寝込みを襲うなんて卑怯だぞ!」

「ノエルはちゃんと犬に許可取ったよ? 夜這いしていい、って。定義は曖昧だけど夜這いって言葉はもう大体のことは示してるから、服を脱がしたり観察するのなんて優しい方だと思うけど?」

「たしかにどこまで許すかライン決めてなかった俺も悪いけど」

「ノエルはちゃんと聞いたからね。もう毎日、確実に確認するよ。これは犬の健康診断も兼ねてるから拒否権はない」


 そんな馬鹿げた診断方法があってたまるか、と否定しようと意外にも合理的であることに気がつく。

 体が元気かどうかは置いておくとして、ノエルのそういうふざけた態度に対して反論する自分から健康状態は分かる。

 どうでも良さそうにしていたり、すぐに折れたりすれば思っているよりも元気がなかったり疲れたりしていることになり、逆に今日のようにきゃんきゃん吠えていたら元気という意味になる。

 悔しいが今回ばかりは自分の負けである。


「まだガルムは寝てるの?」

「は…………?」


 ノエルは目の前にいて、明らかにもう一人の同居人とは別の声が聞こえてきた。

 これは緊急事態だ。

 ノエルやニムルは同居人で見慣れている……というよりも二人して自分が寝ている間に脱がしたりしている犯人なので叱って終わりでいい。

 客人ともなると話は別だ。

 ただ、こちらが対応するよりも早く声の主は自室のドアを開いてしまう。

 その少女はこちらに気がつくと笑うでも恥ずかしがるでもなく、ただ見つめてくる。

 少しして彼女が「イルヴィナ」だということを理解する。


「えっと、イルヴィナ……?」

「うん、合ってる。レインから話は聞いてるから気にしなくてもいい」


 記憶を失っているから前と同じように話すことができないことに対して気を遣ってくれたのだろうか。

 事前に知らされていても仲が良かった者から普段と違う対応をされたら傷つく。それを顔に出さず「知ってるから問題ない」と言ってくれるイルヴィナの優しさに涙が出そうだ。

 イルヴィナはそんな自分のことなど気にせず普通に部屋に侵入するとベッドの縁に腰掛ける。


「あの、着替えてるから隣の部屋で待っててくれないか?」

「面白そうなことしてるのに?」

「何も面白くないぞ!?」

「じゃあ何が起きたのか教えて」

「犬が寝てる間に脱がして、さっき起きたばかりだからまだ着替えてない」

「面白いけど……?」


 そういえばイルヴィナもどちらかといえばS気質だったな。

 ここは無駄に抵抗しても辱めを受ける時間が延びるだけなので見られても仕方ないと諦めの精神で着替えを終わらせることを優先する。

 棚から着替えを取り出して、ただ待たせるのも申し訳ないのでイルヴィナに用事を尋ねておく。


「イルヴィナから会いに来るのは初めてだよな? どうしたんだ?」

「快気祝い……」


 さらっと地雷を踏み抜いてしまったような気がした。

 イルヴィナと最後にあった時は怪我をして入院していたから退院したことを報告しに来たのだ。

 それは同時になぜ会いに来てくれないのか、という問い詰めでもある。

 いや、レインから聞いて知ってるはずだよな?

 もし全てを知っているならイルヴィナは個人的な主張のためだけに訪れた訳ではないように思える。


()()快気祝いってことか?」


 小さく頷きが返ってくる。

 着替えを済ませた自分は俯き気味で表情の暗かったイルヴィナの頭を撫でた。

 きっと自分に起きたことをレインから聞いて、まるで自分自身に起こったことかのように感じてくれていたのだろう。そうでもなければ今のイルヴィナの表情に説明がつかない。


「イルヴィナの時はガルムが助けてくれた。でも、ガルムが苦しい時にイルヴィナは何もしてあげられなかった。だから、悔しくて……」

「そんなこと言ったら俺だって間に合わなかっただろ」

「ぜんぜん違う……!」


 珍しくイルヴィナは声を張り上げた。

 いつになく本気ということが伝わってくる。仮に善意だとしても「自分だって」と言ってほしくない。そんな目をしている。

 イルヴィナは自分と違って『墓守』としての使命も担っているのだ。

 自分の手で死者を減らせるなら、その可能性が少しでも存在するのなら命を賭けてでも止めなければならない。それが『墓守』の使命で、自分が背負っているものとは全く別のもの。

 そこに口出しされたくないという気持ちは痛いほど伝わってくる。


「ガルムはちゃんとイルヴィナの所に来てくれた。生きる意味をくれた。でも、自分はそれをできなかったから」

「ノエルからイルヴィナに一つだけ伝えておくけど、犬は記憶を失っても出会った人達のことは完全に忘れたわけじゃないよ。その証拠にイルヴィナの『墓守』の権能は犬に残ってる」

「そう、なの?」


 自分に聞かれても困る。

 イルヴィナの権能の一つとして自分は「枯渇することのない魔力」を使わせてもらっているが、無限とは言わずとも魔力が潤沢な者は世界を探せばそれなりに見つかるため彼女の権能であるかどうか判断が難しい。もしかしたら自分がそれなりに魔力を保有していた可能性があるし、効率の悪い魔法をあまり使わないから枯渇することがないだけの可能性もある。

 第一にイルヴィナの権能は奪われた。

 それが返ってきているのかどうか分からないのに『墓守』の権能が自分にあると言えるはずがない。

 ノエルに視線を向けて解説を求める。


「神格を持つ者と言っても彼らの領域外で無条件に力を使えるはずがない。仮にアステルに力を貸していた者が『強奪』の神格だとして、何かしらの制限があるはず。アステルの性格から考えても『強奪』は何度も敗北してる彼女に次の猶予を許さなかったと考えるのが筋だと思う」

「他者の力を『強奪』できるのは強者の特権、か?」

「そう。つまり、アステルに力が定着したとは考えにくいから犬が勝った時点で力は犬に……。でも犬は『強奪』とは無関係だし、その意思もない。だから権能は一時的に保留状態になり、犬が元の持ち主であるイルヴィナの命を繋ぎ止めたことで本人に還った。当然ながらイルヴィナと魂の繋がりがある犬も『墓守』の権能は健在だよ」


 なるほど、と自分は納得した。

 たしかにノエルがこの世界に降ろされた時は力に制限を受けて無力になった。他の神様も無理やりではないにしても本来あるべき領域以外に存在するのに自由にできるはずもない。その考えには一理ある。

 それでも神格としての立場を留めているから『強奪』の傘下にあるアステルは一度はイルヴィナの権能を『強奪』できたが、完全ではない権能故に『強奪』した権能は完全に自分の物にできず、アステルが敗北した際にアステルから剥がれ落ちてしまったというのも可能性の話だが分かる。

 引っかかる部分があるとすれば最後の方だが、神様のノエルが言うなら完全ではないにしても信憑性はあるだろう。

 しかし、イルヴィナは納得できていないようだ。

 自分と違って頷いても居ないし暗い表情は今も変わらない。


「以前のように死者の声が聞けなくなったことに関しては?」

「それはイルヴィナに権能を貸してる方の問題」

「タナトスが何かしたのか?」

「直接的には何もしてない。ただ、イルヴィナは一度死にかけた。いや、権能が移動している時点で一度は死んだと言ってもいい。その時点でイルヴィナには権能を使う権利が無くなったとノエルは考える」


 権能を使う権利を失う?

 さっきの説明では権能がイルヴィナに還ったと言っていた。戻ってきているのに使う権利がないのでは意味がないだろう。

 例えるなら食べ終えた皿だけ返されたようなものだ。

 それで自分に『墓守』が健在なのも意味不明である。


「神様は願いに応えて力を与える。でも、あなたに。力を与えたのは『不死』を司る魔王。だから願いじゃダメ。あなたが権能を使って何を成し遂げたいのか実力で示すことが必要」

「……イルヴィナが、何を成し遂げたいのか…………」

「神格にもそれぞれの立ち位置があるからね。神様と魔王と竜等では変わってくるものだから」


 力無き者には預けられないという判断。

 ノエルの言うように他の神格とは違った見方かもしれない。

 自分やミィのように神様に力を与えられた者は基本的に願いを叶えるための支えとするために与えられた力が大部分。テイムのように他とは別格の生物から力を与えられた者は信念に通ずる何かを認められたから。

 それぞれ神様は悪用されない範囲の制限を設けて力を与えたり、竜等は自ら管理下において自らの意思と反した行いをした際に権能を剥奪するなど、暴走を許さないという姿勢で対策は整えている。

 魔王等は別に制限も強く与えることはなく剥奪するわけでもない。

 その代わりに使うに値する人間かどうかを事前に見定める。

 タナトスに関しては彼の見知らぬところで勝手にプロトタイプという存在が作られ自分の力が利用されてしまったがために見定めることができずにいたが、今回の一件でイルヴィナから一時的に権能が離れたことでそれを実行するタイミングを得た、と考えればいいとノエルは言う。

 自分はイルヴィナに視線を向ける。

 無理に権能を有効にしてもらいに行く必要もない、と。

 元はと言えばタナトスはプロトタイプに関して否定派であり、自らの権能を勝手に行使している者がいると知った時は怒っていた。

 いくら自分達が敵対しないと言っていても自らの力を使ってる張本人が目の前に現れたら問答無用で攻撃してくる可能性もゼロではない。


「イルヴィナ、ちゃんと『不死』と向き合いたい。自分も、未熟だけど魔王の一端だから、逃げたくない」

「じゃあ犬はエスコートしないとね」

「あっ、そうか。俺がいた方が話し易いのか。ノエルはどうするんだ?」

「フィアの所にいるから気にしなくていい。たぶん、ノエルは行くべきではないと思う」

「? お前がそういうならいいけど」


 こうしてニエブラ海岸を再び訪れることになったのだった。

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