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偽物でも許されたい  作者: 厚狭川五和
『種を遺す者』リーブス
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第6話「種を遺す者(リーブス)」

 教会の地下に備え付けられた牢の中にある、本当の重罪人を拘束しておくための部屋がある。

 本来なら憲兵の施設にあるべき部屋がなぜ、教会の地下にあるのか。

 それは奴等が、もし逃げ出す手段を持っていた場合に国を守るための組織が内側から崩されてしまうのを防ぐため。

 要するに、それほど危険視されているのが俺のような【試作品(プロトタイプ)】という生物兵器。

 俺もノエルという枷をされていなければ殺されたかもしれない。

 ただの獣人を演じるにも、不便があるからな。


「犬、心臓の音が早い。大丈夫?」

「少しだけ緊張してるのかもしれない。ああは言ったが俺は勝てるのか分からない。勝ったとして教会の人間が俺も危険視して捉えようとするかもって」


 抱えられた状態のノエルは俺の胸の辺りを撫でる。

 こいつが女であると知っていて抱えているのに意識することができないくらいには余裕が無かった。

 実際、胸を撫でられても自分で緊張をほぐそうと深呼吸をしているような感覚でしかなくて、いつもみたいに慌てられない。喜べもしない。

 だって、俺は死ぬかもしれないから。

 ノエルは言っていた。

 神降ろしをされた時点でほぼ人間と同じ身体になっていると。

 つまり、老衰や病気で死ぬことは無くても、物理的な攻撃を受けて死ぬことは可能性として存在していて、俺はそれを恐れているんだ。


「犬は少し優しい」

「…………少し、って何だよ」

「自分の命と同じくらい相手の命を重く見てる。それが逆に犬の足枷になってる」

「俺は、あいつらとは違うんだ」


 何を、綺麗事のように言っているんだ俺は。

 自分が生きるための行いを、これ以上は罪を重ねたくないと小さい子供のように駄々をこねているだけだろう。

 そういう世界に生まれたんだ。

 そういう身体で作られたんだ。

 誰かを殺すための生物兵器として作られたのに、誰かを殺したら自分を見失ってしまうと逃げて自分を否定し続けているだけだ。

 そんなことをしても俺が【試作品】であることに変わりはないのに。

 いつまで馬鹿馬鹿しいプライドを振りかざしてるんだ俺は……。


「犬が本当に嫌ならノエルが犬を……」

「っ!」

「大丈夫。きっと上手くやる。犬のことは苦しまないようにしっかり眠らせるし、犬が探してた人もノエルが責任持ってどうにかするから」


 ノエルに、なんて事を言わせてるんだ大馬鹿者が!

 臆病だからと、自分は【試作品】だからと内気になって、守ってやろうと考えた相手に辛い決断をさせて何がしたいんだ?


「だかひゃ……?」


 ふにっ。


「神様のほっぺたも柔らかいんだな」

ほは、ひふ((こら、いぬ))!」

「偉そうに言うな。お前に殺されるくらいなら自分で死を選んでる」


 まったく、本当は泣きそうなくらい辛いことを真顔で口走る辺り、この神様は何を考えているのか分かりにくくて困る。

 単純なことなのに面倒な言い回しなんだよ。

 神様ならはっきりと「ノエルは犬と居たいから戦って生きて戻ってきて」と言えばいいのだ。

 ほんと、この大福みたいな頬をした神様は……。

 と、私情が入ったな。


「元気でた、ありがとな」

「ほんとに?」

「ああ。必要になったら腐りきったプライドなんて捨ててやる。お前に笑ったり泣いたりしてほしいと、そんなことを言ったのを覚えてるだろ?」

「たしかに言われた」

「俺が死ぬのを見て泣かれても嬉しくなんかねえよ」

「そうか、犬は笑ってほしいのか」

「と、お喋りはここまでだ。着いたみたいだからな」


 階段を降り終わると俺はノエルを下ろす。

 やっぱり危険人物を捕えておく場所というだけあって階段は長かったし牢も簡単には壊れなさそうだ。

 そして奥から感じる気配。

 圧倒的とまでは言わないが力の差を感じざるを得ない殺気だ。


「何ダ、ヤット俺ヲ殺ス処刑人ガ来タカ」

「お前が《種を遺す者(リーブス)》か?」

「如何ニモ……オ前タチガ付ケタ名前ダガ、ソウ聞カレタラ頷ク他ナイ」


 やけに片言な言葉ながら人間のように話すリーブスはゆっくりと奥の方から姿を現す。

 一見すると熊のようにも見えなくもないが明らかに熊よりも醜く、化け物と呼びたくなるような野獣だ。

 しかも俺より身体が大きい。

 こうして鉄格子を挟んで向かい合っているだけなのにリーブスが一歩踏み出す度に後ろへ下がりたいと感じてしまう。


「お前は何をしたんだ? 普通に人間の役に立つ【試作品】なら捕まることもなかっただろうに、何をやらかしてここにいる?」

「俺ハ矢ガ降リ注グ戦場ヲ走ラサレタ。隠レルシカナイ奴ラヲ俺ガ片ッ端カラ殺ス。ソウイウ仕事ダ」

「特攻兵器か。弾幕を浴びせてる間に突っ込んでいく役目だな」

「俺ハ頑張ッタ。タクサン殺シタ」


 やはり【試作品】の使い道なんてどこも同じか。

 大量殺戮が可能な生物兵器。金で雇ってしまえば死ぬまで敵の方へと突っ込ませればいい、という何とも人間の倫理から外れたような奴等だ。

 俺は、そうなるのが嫌で逃げたんだけどな。


「アノ日、俺ハ致命傷ヲ受ケタ。若イ男ガ相討チ覚悟デ俺ヲ槍デ貫イタ。死ヌト思ッタガ俺ハ、ソノママ戦ッテ生き残ッタ」

「…………」

「デモ生物兵器ハ何モ報酬ガ無イ。金ガ少シ貰エルダケ。ダカラ雇イ主ヲ殺シテ、ソイツノ女ヲ犯シタ。ドウセ死ヌナラ俺ノ子供ヲ孕マセテヤル、ッテ」

「あなたは腹上死。その女の子は即座に子を宿した」

「ソノ通リダ! 俺ハ女ノ腹カラ産マレ、復讐シタ! 俺ヲ利用シタ奴等ヲ全員殺シタ!」


 可哀想だと思わなくもないが共感はできない。

 俺は誰かを憎むくらいなら初めから従わない方を選ぶし、もし従わないなら殺すと言われれば自分の命惜しさに暴れたかもしれないがリーブスのように皆殺しにしようなんて考えなかったと思う。

 これは、救えない同胞だ。


「オイ、ソコノ女ヲ寄越セ。孕マセテヤル」

「は?」

「オ前ハ同胞ダ。俺ヲ助ケニ来タンダロ? ソノ女ヲ孕マセタラ()()()逃ゲヨウ」

「そんなにノエルが欲しいのか?」

「犬……?」


 お前の考えはよく分かったよ。

 人間が憎いんだよな。全て滅ぼすまでは許せそうになくて、だからノエルも自分を孕むための袋としか見てないんだな?

 そうでもなければ、さっきの発言はありえない。

 二人で逃げようなんて、普通は言わない。


「少し喧嘩しようか?」

「ア?」

「お前がどういう奴か聞いてたからノエルを孕ませるだ何だという発言は多めに見てやったが最後の言葉は聞き捨てならねえな?」

「女ナンテ俺ガ産マレ直スタメノ孕ミ袋ダロ? 何ヲ怒ッテイル」

「本当にどうしようもないやつだな。お前みたいに女の子を大切にできないクソ野郎にノエルを渡したくないって言ってるんだよ。そんなに欲しいなら俺と喧嘩して勝ち取りやがれ!」


 鉄格子を蹴ると金属の震える音が地下室に木霊する。

 まだ利用されていて心が壊れただけの【試作品】なら人生をやり直すための機会があってもいいと思っていた。

 ノエルが俺にくれたような、やり直すためのチャンスを。

 だが、完全に生物兵器としての自我しか無いようなら救ってやったところで同じことの繰り返しにしかならない。

 何より、そんな奴にノエルを渡したくない。

 ノエルが反省しようともしない奴に犯されているのなんか見たくないんだ。


「分カッタ。オ前ガ守ロウトスル女ナラ、相当ニイイ女ダ。オ前ト喧嘩シテデモ犯シタクナッタ。入ッテコイ。鍵ハ持ッテルダロ?」


 リーブスは嬉しそうに奥へと消えていく。

 あくまで決着がはっきりするまではノエルに手を出さないという意思表示なのか、それとも暗闇での勝算の方が高いのか。


「悪い、ノエル」

「気にしてない。ノエルを守りながら戦うことになるのを避けるために考えた方法でしょ」

「さすがに分かるか」

「いくら彼でも自分の子を孕む予定のノエルを危険な戦場に入れないはず」


 そう、戦利品が傷物になったら意味がない。

 故に俺は喧嘩を売ることによってノエル自身の安全を保証させる状態を作り出したんだ。

 同時に、俺が負ければノエルはあいつの物になる。


「下着姿で、戦うの?」

「さすがに掴まれると不利になるからな。預かっといてくれ」

「ちょっと待って」

「なん、だ……っ!」


 ノエルに腕を引っ張られて姿勢を崩した俺は頬に何やら柔らかいものを押し付けられた。

 戦う前だというのにキスを、されたんだ。

 うわ、緊張とか一瞬で吹っ飛んで逆にドキドキしてきたんだが。


「犬はこれでやる気が出る」

「へんなこと言うんじゃねえよ!」

「ノ、ノエルが恥ずかしい思いをした。だから犬は何が何でも勝ってノエルに返してくれないといけないから!」

「っ!」


 ああ、お前にとってのお守りみたいなもんか。

 この喧嘩でちゃんとリーブスを倒して無事に帰ってきたら今度は俺がノエルにキスを返さなきゃ……キスを返す?

 俺がノエルにキス!?


「まま、まだ早いぞそういうことするの!」

「何を動揺してるの? ノエルと犬は生涯を誓っているから早くても遅くても問題ない。むしろ犬は毎日ノエルに甘えてもいいくらい」

「ァオン!?」

「ふふっ、本当の犬みたい。ほら、ノエルが見ててあげるから。犬は自分で決めた正しいこと、示してこないと」

「も、戻ってきたら覚えてろよ!」


 恥をかかされた。

 あんな不意打ちみたいにおかしなことを言われたら犬みたいな鳴き声も出てしまうというものだ。

 これは何が何でも勝たなければ。

 勝ってノエルに頭を撫でてもらわなければ!


「気合ガ入ッテルナ。勇敢ダ」

「こっちは犬として最高の喜びが懸かってるんだよ。お前が歴戦の戦士だとかそういうのを気にしてられないんだ」

「ソウカ、楽シミダ」


 お生憎様、俺は手加減なんかしない。

 ここへ来るまでにあった迷いはどこへやら。ノエルを戦利品として出してしまったからには負けるわけにはいかないんだ。

 だからな、初手からお前には絶望してもらうぞ。


「ガッ!」

「くそ、腕を盾にしたか!」

「流石ダ、狩人(ハンター)と呼バレルダケアッテ素早イ」


 褒められても嬉しくない。

 夜目が利くし嗅覚や聴覚といった感覚に秀でた俺だからこそできる技をこうもあっさり防がれたのだ。

 壁の位置やリーブスの位置を正確に理解したまま部屋中を跳ねまわり、相手が位置をつかめなくなった辺りで切りかかったのに、な。

 戦士の勘というやつか?

 こうなったら間髪入れずに叩くしかない。


「馬鹿にするのもいい加減にしろ! まったく動く気がないじゃねえか!」

「コレガ俺ノ戦イ方ダ」


 反撃を許さぬように右手で抉るように爪を立てたら振り抜いた勢いのまま蹴りを入れた。体重は一般的でも速度が付けばそれなりに重い一撃になる。

 そして、軽く押してから一度後ろへ身を翻してからの跳躍、脚力も乗せた爪撃を放つがやはり腕で防がれてしまう。

 やはりリーブスの屈強な筋肉が難関だ。

 俺の爪で切りつけても致命傷になりえない頑丈な腕があるせいで決定打を繰り出せない。

 何より、防戦一方のはずなのに余裕風を吹かせているのがムカつく。

 こうなったら腕を上がらなくするまでだ。


「横ががら空きだ!」

「グゥッ……!」

「俺の動きに付いてくる面倒な視力を奪わせてもらうぞ!」


 腕は脇の辺りや肩周りの筋肉を削いでしまえば上がらなくなる。

 どんなに頑丈でも腕が上がらなくなってしまえば守りたい頭部はがら空きになるし、そうなると俺が最初から狙っていた目を潰すことができる。

 これで、俺の動きについてこれなくなるはず……。

 しかしリーブスは絶望するどころか笑っていた。その痛みさえも求めていたものであるかのように、この喧嘩を楽しんでいた。


「クハハッ! イイゾ、オ前ホド強イ戦士ハ居ナカッタ。コレホド熱クナレル喧嘩ヲ俺ハ知ラナイ!」

「っ!」

「サア後半戦ダ!」


 後半戦も何も攻撃は俺からしか仕掛けていない。

 リーブスが今の今まで一度も手を出してこなかったのは俺の力量を見て一撃で終わらせようとしているからか?

 考えるんだ。俺が負けたらノエルが悲しむ。

 奴の優位になれる理由は?

 ただ頑丈なだけで、死ななければ生まれ変われるという理由だけで【試作品】としての能力を買われていたのか?

 否だ。

 まだなにか隠してる。

 でも、そんなの分かるまで先延ばしにするつもりはない。

 あまり戦いが長引けば戦い慣れていない俺の方が先に疲れてしまう。瀕死の獣相手に動けなくなった時は最期だと思わなければならない。


「畳み掛ける!」

「正シイ判断ダッ!」

「ぐはっ!」


 後半戦になっても先手は相変わらず俺だったが前半と明らかに違ったのはリーブスが反撃を仕掛けてきたことである。

 無論、予想していなかったわけではない。

 今までの流れからして俺の動きに合わせるように回避していたリーブスならば俺が攻撃するだろう場所から避けてがら空きになった腹辺りに攻撃してくるだろうと考えてはいた。

 しかし、予想とは違う。

 リーブスは避けなかった。

 避けずに俺が手を伸ばした場所に直接剛腕をぶつけてきたのだ。

 どう考えても熊みたいなリーブスの腕を俺の腕で相殺しきれるわけもなく、逆に押し返され盛大に鉄格子に背中をぶつけたのである。


「マダ倒レルニハ、早イゾ!」

「無茶、言うなよっ!」

「単調ダ!」

「くっ!」

「少シ頭ヲ使エ」


 使ってるさ!

 どうしてお前に攻撃を読まれて向かい撃たれるのか考えてるさ。

 でも、どう考えても目を抉られ視覚を完全に失ったお前には俺の動きを読むような力が残っているわけがないんだよ。

 まずい、ジリ貧だ。

 このままでは負けてしまう。


「はぁ……はぁ……。ああもう、俺の攻撃なんて虫に刺されるのと同じ程度、だったのかよ」

()()()ニナッテルオ前ニナラ種明カシ、シテモ勝テル」

「返す言葉が、ねえな」


 リーブスは先程の位置から一歩も動かないまま俺と会話している。

 もしかして立ち位置に意味が?

 そういえば俺が攻撃した時も前からの攻撃や左右いずれかの攻撃に関しては抵抗せずに攻撃を受けて反動を逃がすことで凌いでいたが、それとは異なる方位からの攻撃は確実に打消そうとしていた。

 最初から、あの位置で戦うつもりだったのか?


「俺ハ長ク生キタ。ソノ長イ人生デ必要ニナルノハ記憶力ダ」

「……!」

()()()()()生キタ当時ノ記憶ガ無ケレバ生マレ変ワッテスグ戦イニ向カウコトモ復讐モデキナイ。ダカラ名前ナド言ワレズトモ声ヤ身体ノ特徴デ探セル程ノ記憶力ガアル」


 そうか、記憶力か。

 視界を失っても俺の声から距離を想像し、視界を失う前に見た移動速度や身体の特徴を元に自分が攻撃するのに最善の行動を取ったんだ。

 何よりリーブスはこの地下牢でそれなりの時間を過ごしている。

 どの位置に行けば確実に背後からの攻撃を避け、自分に優位になるかを考えて攻撃せずに機を伺っていたのだ。

 つまり、俺は罠にはめられた。

 リーブスにとって最善である状況になり、こちらが勝てる可能性が小さくなった。

 何よりリーブスはあの位置を動く必要はない。

 喧嘩の場において逃げること即ち敗北を意味するのだから俺が牢から出てしまえばリーブスが勝利になり、逆に近づいても俺の不利は揺るがない。

 やはり決定打に欠ける。

 なにか、この状況を覆せるだけの力が……。


「犬?」

「ノエル、男が足元に来たら……せめて隠す努力しろよ」

「っ!」


 いや、リーブスに注意を向けず仰向けになったまま上を見た俺が悪い。

 ノエルの可愛らしい下着が見えてしまったのを責める立場にはないし、今はどちらかというと死ぬ前に拝んでおきたいものだった。

 やっぱ神様だなんだと言っても女の子は女の子だし一回くらいは怒られるようなことをしても良かったかな。

 待て待て、死ぬ気なんてないぞ。

 勝つために思考を続けろ。


「この状況を覆す力、か」

「何か思いついた?」

「ん、その前に景気付けに撫でてほしい、かな」


 と、俺の視線の意味に気がついたのかノエルは動けない俺の代わりに身体を寄せてくれる。

 そう、耳が近くに来る。

 頭を撫でるということはそれだけ近くに来なければいけないのだから。

 俺は撫でられながらノエルの後頭部に手を回して引き寄せると小さな声でお願いした。

 ノエルが神様だからではなく、俺と対等な……これからの人生を長く共に歩むパートナーだからこそ頼めるお願い。

 そして、ノエルが立ち上がったのを確認して俺も起き上がる。


「ヤット動ク気ニナッタカ」

「ああ、同胞相手の喧嘩だからこそ死力を尽くさないと自分に恥じる行いだ。お前が与えられた力を使って挑んでくれてるのにあっさり負けたら笑いもんだろ?」

「違イナイ。ナラ、次デ終ワラセヨウ。確実ニ頭蓋ヲ砕ク。ソシテ、オ前ノ女ヲモラウ!」


 やれるなら、やってみろよ。

 俺は低い姿勢で構え全力で地面を蹴る。自分も回避はできないことを覚悟しているという最期の一撃に相応しい気持ちで。

 リーブスもそれに答えるように拳を振りかぶる。

 誰もいない虚空へ向けて。


「グファッ!」

「喧嘩は終わり、だ」


 俺は返り血で真っ赤に染まった身体でリーブスを引きずり、今や彼が手に入れることのできなくなった戦利品の元へと向かう。

 明るいところで話したい、というのもあるが神様にくらい別れを言っても罰はないだろう。

 罪に対する罰は、既に下したのだから。


「同胞、ヨ。ドンナ仕掛ケヲ……」

「さっきお前に吹き飛ばされてノエルの足元に転がった時、撫でてくれって頼んでたのは聞こえていたはずだ」

「アア、死ヌ間際マデ、従順ナ犬ダト、ソウ思ッテイタ」

「いや、悪い犬だよ」


 俺は勝利に喜ぶような真似はせず申し訳なさそうにノエルの右手人差し指を舐めた。

 本当は苦手な赤い液体からは懐かしい味がした。


「ノエルの指に甘噛みして血をもらった。俺はヒトの血を受け入れたくなくて、その力を隠したまま逃げ出した【試作品】だったが、今回は甘いことばっかり言ってられないと判断した」

「血ヲ飲ンダカラ、早ク?」

「俺の通り名は《成長する者(スプリガン)》だった。殺したヒトの血を啜り己を育てる化け物らしい力だ。その力を使ってヒトから離れた存在に近づくのが嫌だったんだ」


 ノエルが俺と一緒にいると言ってくれてなおさら、な。

 この、ノエルという小さな女の子は神様だから成長することなく今のまま俺の横にいるのに俺は成長を続けていく。いつか隣を歩くには相応しくない化け物の姿になり果てると知っていても自分で止められるものでもなかった。

 今回は少量の血液ではあったがノエルが神様だからか俺のパートナーだからか数滴程度でもかなり意味があった。

 身体が大きくなるということは姿勢を低くした時の相手との距離が縮まるという意味で、成長するということは力も強くなる。

 地面を蹴る脚力も最初より断然、大きかったのだ。


「不思議ナ同胞ダ。人間ヲ恨マズ、近ヅキタイ?」

「そういうお前はどうなんだ。人間を恨んでばかりで、本当は叶えたかった思いとか、約束とかあったんじゃないのか?」

「…………アッタ、ハズダ」


 リーブスは悔しそうに涙を見せる。

 それは俺に負けたという敗北感からではなく、自分の大切な想いすらも憎しみで埋めてしまった自分に対する情けなさ。

 涙を流すほど強い想いがあったのだ。


「生キタ証ガ、欲シカッタ」

「生きた証?」

「記憶ニ残シテホシカッタ。俺ガ生キタ時間ヲ、俺トイウ化ケ物ガ、ソンナ馬鹿馬鹿シイコトヲ考エテ戦ッテイタコトヲ」


 誰かの記憶に残りたい。

 殺すだけの兵器では知ってもらえない、覚えてもらえないから長く生きることでひたすらに自分という存在が誰かに残るのを待っていたのか?

 リーブスの《種を遺す者》という名に負けない想いだと思う。


「91番目の被害者《種を遺す者(リーブス)》を救済する」

「リーブスが光になって消えてく……?」


 このまま死体はどうなるのかと思っていたがノエルが手をかざすとリーブスは満足したように大人しくなり、それと同時に身体が細かい光の砂のようになって消えていった。

 救済と言っていたが何をしたんだ?


「ヒトを外れたリーブスをヒトとして終わらせた。ちゃんと新しい時間を生きられるように」

「そう、か。あいつは……向こうに行ったのか」

「うん。犬のおかげで、リーブスは自分の罪を懺悔した。自らの本当の想いに嘆いた。それを救うのがノエルの役目だから」


 救われたのかな、あいつは。

 でもまあ、俺も臆病で戦場から逃げ出すような性格でもなければリーブスと同じような結末になっていただろうし素直に同情する。

 これが同胞を、仲間を殺すということなのか。


「お疲れさま。犬は本当に頑張った」

「いや、俺は……」

「ノエルは犬のことを責めるつもりもないし自分で分かっているみたいだから深く追求することもしない」


 そうしてもらえることに感謝しかない。

 俺は同胞を手にかけて、それを後悔したくない。誰かに何か話をされたら本当にそうするしかなかったのかと悩んでしまう。

 だからノエルには何も言わないでほしい。

 俺とノエルが協力し合う上での暗黙のルールだ。


「今日は帰ろう。報告なんて、いつでも出来るから」

「すまない」


 そうだ、帰ろう。

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