第46話「特別なこと」
――翌朝。
ミィは吸血鬼としての生き方に慣れているからか眠る前は勘弁してほしいと思うくらいに攻撃的だったが朝になると手のひらを返したかのように大人しくなっていた。
二人が完全に目を覚ます前にと部屋を抜け出して受付にもらったカゴを片手にレインを探す。
昨日の感じだと遠くには行っていない。
匂いを追うと宿の隣に建てられた小さな倉庫のような場所にレインが居るようだ。
一応、ノックをしてみると「勝手に入りなさい」と返答がある。
他人の倉庫を勝手に使っているのがレインなのだから彼女の部屋に入る時のように気を使う必要など無かったかもしれない。
否、そもそも自分がここに来たことが間違いだったかもしれない。
レインはあまり機嫌がよくなさそうだった。
「何しに来たのよ」
「腹、減ってると思って…」
明らかに敵意むき出しで縄張りを荒らしに来た異物を追い払おうとするような言葉を投げかけてきたレインは自分の言葉に驚いたような表情を見せ、顔を逸らしながら彼女が腰掛けていた木箱の隣を叩いた。
そこへ座れという意味だ。
自分は言われた通りに木箱に座る。
ミシッ、という音が聞こえてきて長く座っていたら壊れてしまうのではないかという不安を抱いたが、ここで指定された場所以外に座るのは地雷とも言える。
確実にレインは機嫌が悪い。
おそらく昨日の件が関係している。平然とミィに気を許してしまった自分に言いたいことでもあるのだろう。
レインのために持ってきたかごの中身も渡すことができないまま時間が過ぎる。
気まずい。
他人とその日のうちに同じ部屋で寝るようになっていてもレインは怒ったかもしれないが、今回は彼女の身内だ。性格から何からよく知ってる少女を誑かされたように感じれば怒るのが普通だろう。
こういう時は潔く謝るのが一番だ。
面倒な言い訳は後回しにしようと口を開きかけた時、レインは独り言のように語り始める。
「ミィは善意とか悪意なんて分からない。力で獲物を捻じ伏せることのできないミィにとって身体目当てでも近寄ってくる男は優しい人なのよ。どんなにひどいことをされるとしても血を分けてもらえるならそいつはミィにとっての善人になってしまう」
「ごめん」
「なんであんたが謝るのよ」
「レインの話が本当なら俺は最初から最後まで悪い男を演じるべきだった。血も分けてくれない嫌な男がいれば、ミィは次から疑うようになるはずだった。だから、ごめん」
ミィを本当の悪意にさらさないためにも自分が代わりの悪を演じて危険な相手もいることを教える。
そのためにレインは自分と会わせたのではないだろうか。
ただ、自分はそこまで読めなかった。
ミィに教えてあげるどころか彼女のペースに乗せられてしまった。本末転倒もいいところだろう。
しかし、レインは怒ってなどいないと自分の頭を撫でた。
「あんたは別の方法でミィに伝えたじゃない」
「俺が? ミィに何を伝えられたって?」
「好きっていう気持ちよ」
「は…………?」
あまり意識していなかったことを言われたために微妙な反応をしてしまう。
好き?
たしかにミィは愛情が分からないとは言っていたが自分は彼女にそれと伝わるような行為を一切していない。むしろ嫌っているのではないかと疑われるくらいには拒否してしまった程だ。
それがどうして「好き」を伝えたことになるのだろう。
「ミィにとって身体を差し出した相手に拒絶されるのは初めての出来事。どんな男でもタダで自由にしていいなんて言われたら遠慮なく好き放題したくなる娘が、ね」
「き、拒絶したなんて人聞きの悪い……」
「聞こえは悪いかもしれないけど事実でしょ? 二人きりになって、そういうことをすることを許容してる宿に入って、ベッドの上に行って誘惑したのに、ガルムは手を出さなかった。触っていいよ、って言われてるのに触らないのは拒絶と同じよ、あの娘にとってはね。だからこそ、それを特別と感じたのよ」
「拒絶が特別?」
「今まで誰も取らなかった選択肢。否定的とも取れる選択だけど、ミィはすぐに理解したのよ。友好的に接してくれていたガルムからの突然の拒絶。それは自分を守ろうとしたが故の選択であると気が付かないほどバカじゃないのよ、あの娘も」
レインに言われてるやっとミィの考えを理解できた気がした。
ミィにとっては昨日の行動はすべて相手からされるのが普通のことだったのだろう。
思わせぶりな発言も、ベッドへと誘うのも、その後の行為へと促すことも。
そこへ完全奥手でまったく積極的ではない自分が来てしまって、それはそれで素人なら仕方がないと考えてエスコートしてくれたのだろうが、そこまでしても乗り気ではない自分を見てミィは理解した。
この人は本当に望んでいないんだ、と。
最初は半信半疑で、途中からそっちの方向へと誘導しようと褒めまくっても乗り気ではなかった自分を見てミィは完全にそうだと信じたのだ。
今まで繰り返してきた普通が覆された。
数百、数千回のうち、たったの一回。
それを偶然ではなく特別と言いたくなるのは当たり前とも言える。
ミィが見てきた人間の数が違うのだから。
彼女の気持ちをあまり考えてあげられなかったように感じて落ち込んでいると隣で苛立ちを覚えていたレインはカゴの中から焼き立てのパンを取り出すと自分の口に無理やり押し込んだ。
急に押し込まれて火傷しそうだったから落としそうになるも勿体ないからと牙で何とか口の中で触れる場所を限定的にしながら言葉にならない文句を連ねる。
するとレインは悪びれる様子もなく意味深なことを言う。
「あたしはパンなんかより、あんたのが欲しいんだけど」
「ほが……!?」
自分が慌てているとレインは最初の余裕そうな顔はどこへ行ったのやら顔を真っ赤にしながら言い訳する。
「あ、あんたの血が飲みたいって意味よ! ヘンな意味に捉えないでよね、バカ!」
「………………」
「権能、使ったんでしょ。あたしの朝ご飯ついでに小さくしてあげるから」
何故だろう。
レインは真面目な話をしているし意味はなんとなく分かっているはずなのに意味深に聞こえてしまう。
そういうのも吸血姫としての才能なのだろうか。
特に考えずともそれっぽく聞こえる台詞が言える的な……。
自分は何も言わずに、正確には言えなかったからだが無言で腕を差し出す。
今の状況でレインは首筋から血を飲みたくないだろう。
自分としてはどこを噛んでも同じような気はするが首筋に噛みつくという行為はそれなりに悪いことをしているように見えてしまうものだ。
レインは親指の付け根辺りに噛みつき、そこから血を飲み始める。
権能による影響が無効化されて自分の大きくなっていた身体は少しずつ縮んでいく。
まったく痛みが無い訳ではないのでレインにもってきたはずのパンを小さく千切りながら咀嚼して気を紛らわせる。
ただ、気を紛らわそうとして変に落ち着いてしまったが故に別のことに気がついてしまった。
倉庫の入り口で覗き込む二つの影に……。
「犬は女の子にはむはむされるのが好き」
「小さくなってるってことは発散した後か〜。ミィちゃん、がっかりだよ」
「そこの変態二人、シバかれたくなかったら入ってこい」
綺麗所の二人が倉庫なんか覗き込んでいたら人が集まってくるだろうが。
と、まだレインの食事が終わってないのに暴れると深々と牙を食い込まされることになるので一旦、落ち着こう。
ひとまず言いたいことは言わせてもらうべきだ。
「俺は別に女の子に食べられたいって特殊性癖は無いからな? まあ、レインがこうしてはむはむしてるのは見てて可愛いとは思うけど。あとミィが考えたようなことは何も無いからな? 勝手に勘違いされて落ち込まれても困る」
「ほんと? だって朝は大きかったよね」
「おい、どこ見て言った! あ、あれは無意識というか、そもそもお前らが色々と押し付けるから夢にまで影響してきたというか……」
「ノエルちゃんは押し付けてたかもしれないけどミィちゃんは覚えがないよ? むしろミィちゃんに押し付けてきてたのはキミでしょ?」
この話はもうやめよう。どう話してもミィに危険な方向へと持っていかれてしまう。
と、自分が話題を切り替えようと考えたタイミングで外から何やら騒がしい声が聞こえてくる。
あまり良い話ではなさそうだ。
血を飲み終えたレインに他二人を見ているように頼んで自分は外の様子を確認するためにドアを開ける。
理由は分からないが例の宿の受付と一人の男が揉めている。
受付は胸ぐらを掴まれていたし、このまま放置してしまうと殴り合いの喧嘩になりかねなかったので声をかけることにした。
「あの……どうかしたんですか?」
「ここにミィちゃんが来てるはずだ! そいつを出せって言ってるのに守秘義務だの何だのほざいて取り合ってくれねえんだよ」
ああ、そういうことか。
昨日の会場の居た連中にミィが相手のしたことがある奴がいて、経験則からこの宿に足を運んだ、ってところだろう。
宿側としてはミィも常連な訳で、そもそも彼女は人気の高い存在だと理解しているから守りたい。というか基本的に揉め事はNGだから居ないということにしているのだ。
ここは知らないを通すしかないか。
「ミィちゃんって?」
「知らねえのか? ミーティアスっていうアイドルだよ。実際はエロいことしたいだけのメスだけどな」
不愉快だ。
実際にミィとトラブルがあったかどうかはどうでもいい。自分にとって大切な仲間の友人をそんなふうに言うこの男をぶん殴りたい。
本人の気持ちも知らないで、そんなことを言うな。
でも、ここで自分が殴ってしまえばミィのアイドルとしての顔に傷をつけることになりかねない。
拳を握るかどうか迷っていると男は話を続けようとする。
ミィに対して講義する仲間がほしいのだろう。
「この腕を見てくれよ!」
男は肩から先が細い糸で繋いだだけの状態のようにぷらぷらとしている右腕を示す。
関節が抜けた程度の状態ではない。
おそらく神経も絶たれているのだろう。
「動かないのか?」
「そうだ! だから俺はミィちゃんにお願いしたんだ! 治してくれって! その日はちゃんと動いてたのに今じゃ以前よりひどくなってやがる!」
「そんなはず無いよ!」
後ろから声が聞こえて振り向いた時には遅かった。
ミィは隠れているべき状況で倉庫から飛び出すと動かなくなったという男の腕を確認しようとしていたのだ。
たしかに一度は助けた相手のことなら気になるだろうが相手は今、ミィに対して理不尽な怒りを向けようとしているんだぞ?
念のため、ミィに何かあった時にすぐ動けるように身構えた。
「ミィちゃんはちゃんと治ったの確認したよ! おじさんも治った腕がちゃんと動くの確認してミィちゃんのおっぱい触ってちゃんと柔らかいの感じれるって言ってたはずだよ!?」
「俺を騙しやがって!」
「そ、そんなことしてないよ!」
「ちょっと待ってくれ。確認したいことがある」
さすがに埒があかないと思い割って入る。
このままではミィが詐欺師として訴えられるどころか突然殴られたりするかもしれない。
自分はその状況を容認したくない。
だから、確認しなければならないことがある。
少なくとも、ミィが嘘を吐いているかどうかではなく、男がミィを問い詰める権利を持っているのかどうかを。
「ミィはこの男の腕を治したんだよな?」
「うん。片腕しか動かせないのは不便だから、って」
「お前はミィと何をしたんだ?」
「あ? てめふざけてんのか?」
「分かりやすく聞き直してやる。ミィが一度、お前の腕を治したならお前はミィに何か対価を差し出したのか?」
「……っ!」
男は声を詰まらせる。
普通の人間にはできない方法で動かなくなった腕を治したミィに対して感謝の気持ちはおろか、何の対価も無かったとは言わせない。
善意で救ってくれた者に対する程度ではない。
ミィが口を開こうとしていたが止める。
優しいミィのことだから男を庇おうとするかもしれないし、男もミィの口から出た言葉は嘘だと言い張るかもしれない。
ならば男の口から真実を聞く方がいい。
「ミィと何をしたんだ。早く答えろ」
「…………腕を治してもらった後、記念にとか言うからここでミィちゃんを抱いて、それから……」
「それから?」
「起きた頃にはミィちゃんは居なくなってた」
「じゃあ、お前はミィちゃんに腕を治してもらって、気持ちいい思いまでさせてもらったのに何も返してないんだな? 感謝の気持ちすら伝えることもないままミィに怒っているのか?」
図星なのか男は慌てる。
「じ、冗談じゃねえ! 腕もちゃんと治ってないのに感謝できるか! それにこういう淫乱なメスは相手にしてもらえるだけで喜ぶべきだろ!? こいつらは精力を分けてもらわなきゃいきてけね、うぐっ……!」
やはりミィのことを考えるから我慢している場合ではない。
こんな奴の一人や二人殴ったことでミィのアイドルとしての評価が変わるというのなら、そんなものはファンではない。
むしろ彼女のことを何も理解してあげようとしない彼らにミィをこれ以上は穢させてはならない。
「勉強不足なお前に教えてやる。ミィちゃんは性処理の道具でも淫乱なメスなんかでもない。吸血姫って誇り高い種族に生まれた少しエッチなことに興味があるだけの女の子だ」
「犬くん……」
「一度でも腕を治してくれたミィちゃんをそんなふうに見下す奴にミィちゃんを推す権利も触ろうとするのも許さない」
「い、言いふらひゅからな!」
「お前の醜態を、か? まずミィちゃんのファンはお前よりミィちゃんを信じる」
「犬の言う通り。それにあなたの行動は通報された。宿の受付さんに対する迷惑行為、あなたを救ってくれたはずのミィに対する暴言、それからアイドルとしての活動に害をなすという脅迫。拘束するには十分だと思う」
もし治した後に彼の腕がもう一度動かなくなってしまったのならばミィに怒鳴りつける理由にはならない。
むしろミィなら頼めば治すと言って聞かないはずだろう。
この状況で彼の行動に正しい点は見られない。
言い争いを聞いて集まってきていた者達も暴れている男を拘束してくれると考えていた。
しかし、そうはならなかった。
「こいつら全員捕まえちまえばいいのか?」
「なんで? みんなどうしちゃったの?」
「どうしたのじゃねえよ。どう考えたって悪いのはお前達だろ」
「ミィ!」
様子のおかしい連中に向かって話し合いで解決しようとミィが前に出たが不穏な気配を感じて腕を引く。
彼らとは対話などできない。
敵対の意志などなかったミィに向かって草刈り鎌を振り下ろしたのだ。
どう考えてもミィが守られるべき立場であったにも関わらず、それを見聞きしていた連中が口を揃えて彼女を敵だという。この状況はあまりにも不自然すぎて、自分は目の前にあるものが信じられなくなった。
この違和感は……。
「分かった。俺は俺の信じた正義を通させてもらう」
「ガルム、ここは街中なのよ?」
戦うつもりで構えていた自分の背中にレインから注意が促される。
いや、そもそも戦うなという意味かもしれない。
プロトタイプが街中で暴れれば周囲への被害は免れない。街や無関係な一般人に関して被害を出さないことも大切だが戦おうとしている相手も普通の人間であることを忘れてはならないのだ。
だとしても放置はできない。
少なくとも相手のことばっかりで自分のことを後回しにし続けてきたミィが悪い女の子だと言われているこの状況。逃げ出すことはそれを認めるのと同義であり、それは彼らのために権能を使って、身体を使って奉仕していたミィを追い詰めることになりかねない。
ノエルに視線を向けると肯定が返ってくる。
自分の信じた行動を取れ、と。
「権能を使うまでもない……!」
「くっ! 一人ずつ相手するな! 囲んでボコボコにしろ!」
「台詞がまるっきり悪党だな」
草刈り鎌を持っていた男の腕を引き自分に寄せたところに膝を突き上げて重めの蹴りを入れる。
その様子を見ていた者が一対一で戦うことを避けるように指示した。
もちろん自分もその言葉が聞こえていた。
このまま一人ずつ相手にしていると囲まれてしまう恐れがあるため蹴りを受けて気絶しかけていた男を相手側に突き飛ばす。成人男性一人分の重さに自分の力で押し込まれたために前に立っていた何人かが倒れた。
「寄って集って恥ずかしくないのか! 苦しんでるお前らに優しくしてくれた女の子のこと悪く言って……」
「優しくした? 弱みに付け込んだの間違いだろうが! 治すことを対価に俺達から精力を奪うだけ奪って、しかも治ったのも一時的なんだぞ! 詐欺師以外の何者でもないだろうが!」
「治してもらうことも行為に及ぶことも自分から望んだんだろ。ミィは強制していないはずだ。それにミィはお前らから血の一滴ももらってないんじゃないのか?」
ミィからはレインのような強い力を感じない。
吸血姫は生物である以上、通常の食事も可能ではあるが種族としての性質としては血液を摂取する必要がある。しばらくの間、まったく血を飲まずにいた場合は吸血姫としての力が弱まってしまい、純粋な力では人間の少女よりも弱い状態になる。
レインが血を飲むことを避けていても力を維持できたのは彼女の権能がほぼ常時発動と同じような効果だからである。
彼女が制御しようと思っていなければ近くにいるだけで他の生物へと影響してしまう権能。
ミィの権能は他の誰かのためのもの。
だから彼女自身は血を飲まない限りは弱いまま。
「何度も言わせるな。お前らはミィに不調を治してもらって、快楽を与えてもらって、その上で服従まで求めようとしてるんだ。何の対価も差し出さずに、な」
「ちくしょぉ……!」
「ミィがそれでいいと言っても俺は認めない。感謝の気持ちも、愛情も、血の一滴さえ与えられないお前らにミィは渡さないからな!」
「…………撤退するぞ」
納得したわけではなさそうだが数人がかりで挑んだとしても分が悪いと判断したのか倒れている者を残して無事な者達は散り散りに逃げていく。
完全に敵意を向けてくる者達がいなくなるまで警戒は解かない。
まあ、隙を突いてやろうという考えを持つ者はいないだろう。
それよりも自分は後ろから強めの思いを向けてくる少女が気になってしまって仕方がなかった。
ミィの方を振り向くと彼女は目の前で突然始まってしまった戦闘に怯えた様子を隠せずにいたものの、別の感情の込められた視線をこちらに向けていた。
「ミ、ミィちゃん? そんなに強い気持ちを向けられると……分かるぞ?」
「えっ? 犬くんにミィちゃんの気持ち伝わっちゃうの?」
「ごめんな? 匂いでも感情は分かるんだが、他人の気持ちが伝わりやすい体質だから……ミィちゃんの『好き』って気持ちがはっきり伝わってきてるんだ。あとアレコレしたいっていう思いも……」
「わー! そそ、それは言わないでよ!」
そう言われてもミィの気持ちが強すぎて感じ取る側のこっちが辛いのだ。
分かりやすく言うなら勢力増強剤と媚薬を飲まされた上、目の前で雌の匂いを嗅がされた上に柔らかい体を押し付けられているように感じるほどミィの気持ちは強く、伝わった自分にも伝播している。
油断していると発情してしまいそうだ。
まあ、それを真っ向から否定しようとも思っていない。
ミィに好きだと感じさせてしまったのは自分にも責任があるとレインから聞いている以上は受け入れるつもりでいる。
それはつまり、そういう意味でもあるが……。
「お、俺はミィちゃんが欲しいなら全然、あげられるぞ?」
その後、騎士に事情を説明して気絶していた男達を引き渡した自分達は倉庫に戻り今後の話をすることになった。
絡んできた連中を退けたという理由で宿の受付をしていた女が倉庫を使っていいという許可をくれた上にそこへ途中になっていた朝食を追加で持ってきてくれることになったのだ。
なお、パンを頬張っているのはノエルとレインだけ。
ミィは別のものを食べていて、自分はそれどころではない。
床に座っている自分の足の中にミィは座っていて、自分の左手を胸の上に乗せるようにして手で押さえつけた状態で今朝、レインが噛みついていたのと同じような位置に噛みついている。
「ほんとにお腹でいいの? 好きな所を触っていいんだよ?」
「いや、そんな事言われても」
「ミィちゃんは犬くんから美味しい血をもらってるんだから犬くんだってミィちゃんから好きなものもらうのが当然の権利だよ。おっぱい鷲掴みにしたり、もっと下の方触っていいのに」
「あー、まあ俺の欲求的にはそうしたい、けど。見てる奴、いるし」
そう、見られている。
ミィから直球で好きという気持ちと欲情してほしいという気持ちをぶつけられた自分としては結局のところ発情もしているし目の前の触れられる距離に置かれると柔らかそうな胸やら触りたい気分ではある。
だが、話し合うためにここに居るのだからノエル達がこちらに視線を向けているのだ。
どっちも許容はしている。
ノエルは後で自分のことを愛でてくれるならば良いと言うし、レインもそこまで束縛する意志がないため特に刺々しい視線は向けていない。
ただ、自分が遠慮したいだけ。
二人の前でミィの身体を堪能できるわけもない。
だから妥協してお腹。
ミィの胸はもっと柔らかいんだろうな、とか。下の方を触ったらもっと興奮する反応を見せてくれるんだろうな、とか。そんなこと考えながらぷにぷにしてそれなりに柔らかく、くすぐったいからか可愛い声をたまに聞かせてくれるお腹を触ることで妥協している。
そんな自分の気も知らないでノエルは煽ってくる。
「足の間に女の子座らせて自分の血を飲ませてお腹を直にむにむにしてる時点で犬は十分に変態的な行動してる。もうお腹も胸も変わらないから触りたいなら触ればいいのに」
「そんなこと言って後で怒るだろ。やっぱ大きい胸の方が好きなんだ、とかノエルの胸には一ミリも興奮してくれないんだ、って落ち込むだろうが」
「だって犬が嬉しそうなのノエルに伝わってくるんだもん」
「ノエルさん、ガルムはこれでも気を遣ってるのよ。まあ、ミィちゃんが腕を掴んで胸に抱えてるんだから触っても触らなくても同じだとは思うけどね」
誰も養護してくれないのなら話題を逸らすしかない。
そもそも自分はミィと変態的行為をするためにここにいるわけではない。
彼女に対して不満を持つ者が現れたことに対する何かしらの策を考えるために皆で話し合おうという場のはずだ。
ミィが欲しいものをあげると言ったのは事実、そういう意味もあるが今後のことを考えて本人にも戦うべき時に戦える力が残っているようにするためでもある。断じてミィのお腹をむにむにするためではない。
「あの男、ミィに治してもらったはずの腕が動かないと言っていたが、前回はどんな感じだったんだ?」
「事故に遭ったとかで肩までの骨がほとんど粉々だった。あの人の腕には粉々でも骨は残っていたし繋げるだけなら簡単だから割とすぐに治せたし、治った後も問題なく動かせることも痛みがないことも確認したよ?」
話を聞く限り不自然な点の方が多い。
その当時は本当に腕が動かなくて困っていたからミィに治してもらったことを確実に喜んでいたはずだが、今回はそれが一時的なものだったとミィに責任を追求した。
前回は腕の骨が粉々になるほどの事故で、おそらく感覚は残っていて痛みのせいで動かせなくなっていたが正しい認識。
今回は痛みもなければ感覚も無さそうな感じだった。
もし本当にミィの治療が一時的なものなら骨は繋がったままではなく再びバラバラの状態に戻るはずだ。そうなれば痛みも戻ってしまうのだから今日のように暴れたりできない状態になるはずなのだ。
それに骨というよりは神経の方に問題が発生しているように思えた。
つまり、前回と今回は別の症状。
やはりミィに濡れ衣を着せるために騙っていた可能性がある。
「ミィちゃんは素直に怒っていいんだぞ? 今回の件は完全にお前のこと騙そうとしてるはずだ」
「見てて思ったけど完全にミィちゃんにハマっちゃった奴の行動よね」
「それなら手っ取り早く解決する方法あるじゃん」
「解決する方法? そんなのあるのか?」
「犬くんがミィちゃんの永久食になってくれればいいんだよ」
真面目に聞いた自分が馬鹿だった。
こんな大事な話をしていてもミィの頭の中はピンク一色。清々しいまでにそういう方向の発言しか出てこない。
いっそ吸血姫ではなく淫魔として生まれた方が幸せだっただろう。
「お前な……」
「ほんとだよ? ミィちゃんは犬くんが永久食になってくれたら他の人を誘惑する必要なくなるんだから色香も犬くんみたいに嗅覚が鋭い子にしか分からなくなるもん」
「…………」
「それに、レインちゃんから聞いてると思うけど吸血姫の永久食になれるのは幸せなことなんだよ? いっぱい愛してもらえて、いっぱい気持ちよくしてもらえて、それが数百年は続くんだよ?」
「ま、まあ……そうだろうな」
「あれ? 長生きするのは嬉しくない感じ?」
そんなことはない。
ただ、こちらの寿命に関しては「死ぬまで好きでいる」という繋がりのある者があちらこちらに居るものだからそこまで意味がないというか……。
そもそもノエルの半身の時点で寿命なんて無意味になっている。
「ミィがそうしたいなら別にいいけど、それで解決する話じゃないと思う」
「ノエルちゃん?」
「犬がミィと結ばれたら色香が抑えられて多少は今日みたいな人は減るかもしれないけど問題なのは後から集まってきた人達の方」
たしかに解決しそうにないのはそっちだ。
ミィに絡んでくる熱烈なファンに関しては自分が拳で納得するまでぼこぼこにする方法もあるが、後から来た連中はノエルが「通報した」と言ったにも関わらず捕まる可能性のある方を味方するような発言と行動をした。
それはあまりにも異常な光景だった。
自分達はその原因を突き止めない限りはミィを一人で自由にさせるわけにいかない。
「元凶、探すしかないか」
「今回の件で思い当たる節でもあるの?」
「いや、まったく。単純にミィちゃんのファンだった奴等がミィちゃんを貶めようとしてるから何か彼らの意思とは別の何かが介入してる気がしたんだ」
その別の何かが具体的に分かっていない。
ただ、彼らが本当にミィに対してあんな風に思っていたなら、それすらもミィが分からないなんてことはあるのだろうか。
敵意剥き出しの感情を、肌で感じなかったのだろうか。
いや、そんなはずはない。
本当にアイドルとしてのミィに熱狂していたからこそファンになったはずで、それが一夜限りの付き合いで百八十度変わることなんてありえない。
それも一人二人ではなく、数十人の単位で……。
とりあえず今日は情報収集するしかないという結論に至り、それぞれが動き始めようとした。
ミィも必要な分の血は飲めたらしく立ち上がる。
しかし、すぐには動き出さず、その場で振り向くと自分の顎に手を添えて唇を重ねてきた。
驚きのあまり抵抗できずにいると口の中に何かを流し込まれる。
何か、ではない。
血の味がした。自分の血だ。
ただ、自分の血であると分かっているはずなのにミィの口を介しているからなのか別のものに感じられて少しだけドキドキしてしまう。
少しして離れてくれたミィは営業ではない笑顔を見せてくれる。
「ミィちゃん、犬くんのこと本気で好きになっちゃったかも……。だから、キミを永久食にしたいって話……冗談じゃないながら真剣に考えてほしいな」
そんなことを言い残してミィは倉庫を後にした。
「また犬は女の子をおやつ感覚で予約していく」
「人聞きの悪いこと言うな!」
むしろ困惑してるのはこっちの方だ。
自分にとっての普通の行動を取ったら勝手に特別扱いされた身にもなってほしい。
まあ、嫌ではないとだけは、はっきりと言える。




