第41話「喪失者」
――騎士団本部、救護室。
本来なら訓練中に怪我をした者が運び込まれる部屋。
そこでガルムが眠っている。傍らにはノエルが居て、彼の心配をしながら同じ部屋にいる騎士団長キースと友人のテイムの言葉に耳を傾けていた。
先程からテイムは責任という言葉を連呼している。
自分が現場に居合わせた人間を警戒しなかったから。
敵対しているプロトタイプを倒すことができなかったから。
そうやって彼は自分の不手際だったという事柄をいくつも並べて責任は全て自分にあるのだと語っている。
軽い気持ちで責任という言葉を出したわけではないだろう。
彼は心の底から悔いている。
「虎は少し煩い。気持ちは分かるけど口を閉じて」
「でも……」
ノエルはテイムを睨んだ。
幼く見える体の小さな少女から発せられているとは思えない圧力にテイムは開きかけていた口を閉じた。
「誰も、悪くないよ。誰かに責任を押し付けたところで犬が救われるわけでもない。だから、責任が誰にあるかなんて意味のない話はおしまいにして。それでも自分が許せないなら犬が起きてから好きなだけ怒られればいい。でも、たぶん犬は怒らない。虎のこと怒るなら初めから連れて行かない」
「……悪かったっす」
「二人共そこまで悲観的になるな。テイムが彼をここへ連れてきた時点で傷は完全に塞がっていた。出血多量というわけではあるまい」
彼の言う通りだった。
テイムが駆け込んできた時に聞いた話では「ナイフで刺された」ということだったが、ガルムを背負っていたはずのテイムはほとんど血で汚れていなくて廊下にも微塵も血の跡が無かった。
医務官が傷を確認すると刺されたような痕は確認できたが既に傷は塞がっていたという。
もし現場で大量に出血していたなら致命傷の可能性があるがテイムのことを庇って刺されたにしてはテイムが血で汚れていないのは不自然なため、刺された際の一時的な出血はあったてしてもナイフが抜かれた時点で出血も止まり傷が塞がったという結論に至った。
人間としてはありえない話だがガルムならば、とノエルが結論を出した。
ガルムの『成長』は体の大小に関わるものではなく肉体、精神のいずれに関しても影響を与えるものであり、練度次第ではあるが怪我を負った際にその付近だけ急激に再生させることで無理やり傷を塞ぐということも可能だ。
死んではならないという約束があったため無意識にそうして傷を塞いでいたという考え方もできる。
では、ガルムが目覚めないのは何故だろう。
力の使い過ぎで長い眠りに就くという可能性もあるが、ノエルだけは真実に近いものを知っていた。
彼と心を共有する存在であるからこそ、分かってしまったのだ。
ガルムが目覚めたとしても、それは彼ではない。
いつもなら溺愛する我が子のように彼女へと向けられる愛情が一切感じられない。
ノエルは繋がれた手を見て落胆する。
二人にとっては特別なこと。
近くにいるだけで気持ちが伝わるのにわざわざ手を繋ぐ意味。
人前だと冷たくあしらってしまう性格のガルムが手を繋いだ瞬間に頭の中で色々なことを考えているのを感じ取るのが楽しくて、嬉しくて心地良かった。
ただ触れただけのノエルの手に対して小さい、柔らかい、可愛い、温かい、嬉しい、恥ずかしい……と挙げてしまえばキリがないほど多くの感情や考えを一度に思い浮かべるのだ。
だから、寂しい。
言葉にもせず、態度にも出さないだけで、この場で一番に苦しさを感じているのは他ならないノエルだ。
しかし、テイムの自責を止めたのは自分が一番辛いからではなかった。
自分もそれだけ苦しいなら同じくらい苦しんでいると思うからだった。
ノエルは少しでも暗い話題から逸らそうと二人が対峙していた相手について聞く。
「相手が最後になんて言ったか覚えてる?」
「えっと、たしか『権能が発動しなかった』って女の方が言ってたっすね。その後に男の方が『殺しきれない』とも言ってたと思うっす。でも権能が発動しなかったにしては成功したみたいな態度だったような……」
「権能は発動したけど効果が望んだレベルではなかったのかも。それでも成功を示唆するような態度を取ったなら二人の達成目標が段階的に決められていた可能性がある」
街で騒ぎを起こして二人を呼び出したのなら最低でも二人の力量を確かめようとした以上の目的があると考えられる。
ただ、力量を確かめるだけのために騎士に喧嘩を売るのはリスクが高い。
彼らが背負ったリスクに見合うような目的が他にある。
「段階的な目標、か。我々も似たような依頼達成度を設けることはある。魔物を殲滅する任務なら達成できればそれで良し。不可能なら退けるまで粘る。それもできぬなら後続のために情報を持ち帰る」
「その要領だと奴等の目的ってなんすか?」
「二人を戦闘不能にする。それが駄目なら片方でも殺せればいい。おそらく貴様を殺さぬことにはガルムにも手出しできないと判断し女は行動した。ガルムはそれに気が付き妨害した」
「犬の判断は正しい。虎の話を聞く限り犬は今回の相手と相性が悪すぎるから」
実際に手に触れている物以外でも超高速で投擲する能力。
ガルムは野生の勘を働かせることができれば回避できるが、それはあくまで彼の意識が向けられる範囲内においての話である。
多数の方向から同時に飛んでくれば彼は避けられない。
ましてや背後など以ての外だ。
故に自分では勝ち筋を見出だせないと感じ、相手に優位を与えてしまわないようにテイムをサポートすることに徹した。
テイムもその考えには納得している。
ガルムが参戦してこなかったのは乱入したところで戦力になりえないと自覚していたから。
そして、彼は別の可能性も考慮してテイムを守ろうとしたのだ、と。
ガルムにとって投擲の男が相性の悪い相手だったようにテイムの権能もガルムの苦手とするもの。相手がアステルと同じように権能を奪う力を持っていたり操るような力を有していたらニ対一、もしくは三対一という最悪の状況になりかねなかった。
テイムはそこまで考えるとノエルに背中を向けて部屋を出ようとした。
「どこ行くの?」
「なんかノエルが食うもの作ってくるっす。ガルムの兄貴がどこまで考えてたのか分からないっすけど俺を守ってくれたこと後悔させたくないっす。色々と考えた上でそうしたならガルムの兄貴は簡単に死なない、それを信じるっす」
「…………そうだね」
「それに、あんたは一日中だろうと数日間だろうと兄貴が目を覚ますまで側に居続けるつもりっすよね。それならちゃんと食べて睡眠も取らないと保たないっすよ?」
「一応、見回りの者に伝えておく。自由に出入りできた方がよいのだろう?」
テイムは頷くと部屋を出ていった。
その後、キースも「事件の後処理がある」と言い残して仕事へ戻った。
ガルムと二人きりで残されたノエルは彼の手を強く握り直す。
仮に目を覚ましても元の彼ではないとしても構わない。
記憶がないのならばもう一度、思い出を作ればいい。
心が死んでしまっているのならもう一度だけ育てればいい。
失ったものは時間をかけても取り戻せばいいのだ。
そう思って約束したのだから。
――数時間後。
長い夢の中にでも居たというのだろうか。
久々に明るい場所に出た時のように部屋の照明が眩しく感じて何度も薄めを開けては閉じていた。
やっと慣れてきて視界に入れた天井はまったく知らないもの。
どうしてここにいるのか分からない。
右腕を挙げて視界に入れると見覚えのある毛深い手が見えたが、それと同時に違和感を覚える。
この体は間違いなく自分自身のものだと言えるだろう。
しかし、自分自身とは誰だ?
思うように言葉が紡げない。
自分自身が誰であったかを思い出せないように、自分の日常的な言葉なんて口から出てくるはずもなかった。
とりあえず他のものを何か見たり聞いたりすれば思い出せるかもしれない。
そう思って体を起こそうとすると何かに阻まれていることに気がつく。
少女が自分の腹の上で寝ている。
正確にはベッドの横に置かれている椅子に座っていたのだろうが眠ってしまったのかそのまま前に崩れて自分の上に倒れた、と認識すればよいのだろうか。
彼女は自分が動こうとしたことに気がついたのか体を起こすと目を擦りながらまだ眠気の残ってそうな声を出す。
「がるむ……?」
「えっと…………その……失礼かもしれない、けど……だれ?」
少女は大きく目を見開いた後に悲しそうな顔をする。
もう少しだけ言葉を慎重に選ぶべきだったのかもしれない。
寝落ちしてしまうまでずっと隣に居てくれた人が他人のはずないし、名前のようなものを呼び捨てにした辺り親しい間柄だったことは間違いないのに「だれ?」と聞かれれば傷つくのも当然だ。
しかし、自分にもそんな余裕は残っていない。
自分が何者かも分からないのに他人を気遣うにも何を言えばいいのか分からないのだ。
そもそも自分の中で少女の記憶が無いのにそれを悟らせないように会話することはできない。
だから今は傷つけたことを謝罪するしかない。
「ご、ごめん。ひどいこと言った……んだよな」
「言った。すごくひどいこと言った。ノエルは傷ついた。ガルムはもっとノエルのことを大切にして慰めるべき」
「な、慰める?」
思っていたよりも機嫌を損ねてしまっていたらしくノエル、と自分のことを名乗った少女は頬を膨らませていた。
そして要求に何を返せばよいのか分からずあわあわしていると何を思った少女は靴を脱いでベッドに上がったかと思えば自分の体をよじ登って腹の辺りに馬乗りになってきた。
こんなにアグレッシブに触れてくるような仲なのか?
いや、そんなはずはない。
自分がいくつなのか考えても思い出せないが身体の状態的に成人はしているが若い方で、少女は自分から一回りは離れてそうなほど幼く見える。
そこまで離れていないところを見ると親子ではない。
まず自分は獣人で少女は人間なのだから親子であるはずがない。母親が人間だったなら両方の特徴を合わせて持って生まれてくるか遺伝子的に残りやすい獣人の特徴が色濃く残るはずだ。
ならば友人か、恋人か。
この距離感は友人のものとは少し違う。相手を勘違いさせそうな態度や行動は友人としての関係を壊しかねないのだから違うはず。
なら恋人?
こんなに小さな少女が?
まだ他にも可能性はあったが妙に困惑していた自分は焦っていてそれを答えだと思い込んでしまった。
すると不思議なことに事実かも分からない想像が次々に駆け巡っていくではないか。
狂気に陥りかけていた自分はよく分からないまま謝罪していた。
「ほ、本当にごめん! 俺は酒に酔っ払ってここ、こんな小さな女の子に手を出したなんて……! も、もしノエルがしょじ…………その、初めて、だったなら……本当にごめん! 殺してくれ!」
「…………ふふっ!」
「やっぱり怒って――」
ノエルの人差し指が自分の口に当てられて黙らざるを得なかった。
彼女は微笑みながら首を左右に振る。
「怒ってない。そもそも何も正しくない」
「た、正しくないって?」
「犬は酔ってないしノエルのこと襲ってない。そもそも一緒に眠るような関係だから。これでもノエルはそれなりに長く生きてる。だから犬は遠慮なく触れ合ってたよ?」
「そ、それって……」
「どこまで? ご想像におまかせ。犬は記憶にないだろうから好きなところまで想像していいよ」
「あ、あんまり煽らないでくれ。ただでさえ、ノエルの体温が心地良くて気が狂いそうなくらいなのに」
気付いたか、と言わんばかりに膨らみに乏しい胸を張ってみせるノエル。
彼女の体温が極端に高い訳でも無ければ毛布の中にいる自分がここまで彼女の体温を感じることはないはずだが……。
そういう意味だったようだ。
わずかに毛布を持ち上げてみると考えるまでもなく答えがそこにある。
自分はどうやらパンツ以外は身に着けていなかったようだ。
どうやら自分の腹の上でふんぞり返っている少女にこれ以上暴れられる前に降りてもらわなければならないらしい。
「ノエルと俺が特別な関係なのは分かった! と、とりあえず上から降りてくれないか?」
「ノエルはもう少し犬の体温を感じてたい。ううん、もふもふしたい。毛布じゃま!」
「お、おい……!」
ノエルは少し腰を浮かせると胸まで掛かっていた毛布を引っ張って腿の辺りまで下げてしまう。
いよいよ彼女の足が持つ体温と柔らかさを腹部がダイレクトに感じ取る。
自分はおそらく病み上がりだから体温が低めになっていることもあるのだろうが先程まで眠っていたノエルは普段よりも体温が高いせいで温度差で過敏に感じているのだろうか。
それに視界の方も色々とよろしくない。
自分は細身でもないためノエルくらいの少女が馬乗りになろうと跨ってくれば必然的に足を大きく開くことになり、彼女が短めのスカートを履いているわけでもないのに内側が見えそうになっている。
これは寝起きに見る光景ではない。
特別な関係と言っても記憶を失っている自分にとってはほとんど他人にも等しい少女が相手なら尚更よろしくない。
「良かった。検査する時に全部剃られたかと思った」
「思った、ってことは検査の時は見られてないのか。なんというか、少しだけ安心した」
「ん……? 意味深な発言を感知した。おかしい、犬のことだから全身上から下まで見てほしいものだと思ったけど」
「そ、そうなのか? こうなる前の俺、そんなこと言ってたか?」
「言ってた。一糸まとわぬ姿で服従のポーズして蔑みながらお腹をもふもふされるのが至高だって」
「んー、たぶん絶対に言わないと思うぞ? そ、そんな恥ずかしいこと言ったら死んでも死にきれない」
仮に言ったのだとしたらやはり酔っていたのか?
記憶を失くしている上に自分の名前すら思い出せないほど酔っ払っていたのなら自分はとんでもない飲み方をしていたことになるが……。
ノエルは安堵したような顔をすると体を前に倒して全身を自分に預けてくる。
もはや跨ってはいないのでどちらかといえば寝床と勘違いされているような気分になってしまう。
ただ、安心感がある。
何故だか分からないがノエルを前に抱えているような態勢になると意味での緊張が解れたような気がした。
「ねぇ、ガルム……」
「な、何でしょうか? 俺、また間違ったこと言いました?」
「ノエルが間違ってた。もうノエルが知ってるガルムは戻ってこないんだって勝手に落ち込んでた。ガルムはガルムのままなんだね」
ノエルが自分の胸の辺りに頬擦りしてくる。
正直くすぐったいというか落ち着かない状況なのでなるべく別のことに意識を逸して気にしないようにしていた。
でも、ほんの少しだけ興味本位で鼻をすんすん鳴らして彼女から匂いを嗅ぎ取ってみたら気にするなという方が無理になっていた。
間違いなく嗅ぎ覚えのある匂いなのだ。
かなり昔に嗅いだことのある懐かしい匂いではない。
ずっと今まで忘れることなく嗅ぎ続けた匂い。
意識して嗅いだのではなく日常的に、呼吸をするかのように感じていたもの。
「名前とか色々と違和感あるけど、この匂いは知ってる。俺、この優しい匂いが好きだ。それに、ノエルから俺の匂いする。え、えっと……とても手を繋いだり抱きしめたりしても、つかないくらい、はっきりと……」
「そうだよ。だってノエルとガルムはお互いに全てを分け合う存在。ガルムが他の人に盗られたくないってしつこいくらいスリスリして匂い付けたんだよ?」
「ちょっと信じがたいんだけど…………匂いばかりは嘘を吐けないし、俺の本能も信じていいって言ってるから、ノエルの言ってることを信じる。その代わり、俺が知っておくべきことで忘れてること、ちゃんと全部教えてほしい」
ノエルは全てを語らない。
それでもいい。記憶を失くしているのに自分を『ガルム』だと言ってくれた彼女が小狡いことを考えているとは思えない。
自分のために話さないのだろう。
忘れていた方が幸せな過去なんてものは……。
――街外れにある丘。
「なに黄昏れてるんだ」
街道からも離れているため人通りもなく、一人の時間を求める者にとっては最高の場所である丘にテイムは居た。
こう言うと彼がここにいるのを知っていたように聞こえるが勘だ。自分の持つ野生の勘が夜風に当たりたいと言っていたので一人で風を感じていても怒られないだろう場所を探していたら良さげな丘を見つけてしまい、そこに偶然にもテイムが居たというだけの話。
丁度いいと言えば丁度良かった。
少しだけ話をしておきたかったのだ。
隣に肩を並べて座ればいいだろうかと考えているとテイムは振り向くなり立ち上がって抱きついてきた。
ノエルからは親友と聞いていたから驚くほどではない。
とりあえず鬱陶しいので剥がしてそれから肩を掴んで顔を見る。
「本当に心配したんすからね!」
「…………」
「あ、兄貴…………?」
自分は左で拳を握っていた。
テイムは何かを予感したのか焦りを見せていたが自分は躊躇なく拳を頬めがけて振り抜いた。
「ぐふっ!」
さすがに利き手ではないので吹っ飛ぶほどではない。
軽くのけ反ったテイムは殴られた頬を擦りながら涙目で自分の方を見ていた。
ものすごく悪いことをしてしまったような気もする。
でも悔いはない。殴りたかったから殴ったのだ。
「なにするんすか〜!」
「ムカついたから?」
「何でムカついてる割に疑問形なんすか! 理由はないけどとりあえず殴ったみたいな感じっすか!?」
「あ、いや……殴ったのは一応、理由あるけど……。先に話すべきことあって、そっち先でいいか? なんか分からないけどテイムと話すの楽しくて本題を忘れそうだ」
「……? 別にいいっすけど」
ノエルから必要な情報は聞いてある……というか思念伝達みたいな感じで教えてもらっているが誰しも人から聞いた情報でその人を完全に真似ることなどできない。
どう説明したら衝撃を与えずに済むだろうか。
テイムの性格的には落ち込むかもしれないがストレートに伝えるしかないような気がする。
彼は自分の言葉を聞いて複雑そうだった。
話していて楽しいと言われたことに喜んでいても殴られたことを思い出して不貞腐れて、を繰り返している。
それを見たら全て真っ直ぐに受け止めてくれそうな気がした。
「記憶、ほとんど失った」
「マジっすか?」
「…………マジで」
「腹立ったらもう一回殴ってもいいから言わせてほしいっす。不謹慎なのは百も承知なんすけど、記憶喪失になっても俺と話すの楽しいって兄貴が言ってくれたの……すげぇ嬉しいっす」
リアクションに困る回答をされてしまった。
自分は、人から聞いたことしか分からない状態で最後に一緒に戦った親友という情報以外はほとんど存在しないようなものだったのに、それでも直感的に分かってしまったのだ。
この男には気を許せると。
裏表のない性格といえばいいのだろうか。
「俺も……茶化したりしないで信じてくれたのは嬉しい」
「兄貴って嘘も下手だし冗談言うようなタイプじゃないっす。それに話し方がちょっとギクシャクしてるかな〜、って思ってたからそこまで驚かなかったっすよ」
そういう変化に気づいているのなら彼は本物の親友なのだろう。
ならば自分は当初の予定通りに彼に言うべきことがある。
彼との信頼が認めうるレベルに達していないのであれば言い方を変えるつもりでいた。むしろ話さないでいた方がいいまで考えていた。
今から言うことは彼の信念を傷つけるものだ。
虐げられる弱者を守り続ける存在でありたい。支えとなりたい。
そういう彼の正義の味方のような在り方は彼に与えられたあるべき生き方とは方向性が違う。
でも、それを伝えてあげなければ彼の今後に成長はない。
「俺が、テイムを殴ったのは……ムカついたから」
「………………」
「誰かを守るために力を使う。テイムの理念は間違ってないし立派な考えだ。ただ正しい中で一つ誤りがあるとすれば、その誰かにお前自身が含まれていないこと。テイムは端から自分自身を優先順位から除外してるだろ」
「そ、そんなこと……」
テイムは否定しようとした矢先、自分の目を見て口を閉ざした。
彼の権能は相手を自分の思い通りにする力。
もしくは、テイムという一人の男を衝動に任せて動かす力。
他人に使うなら相手がこれから取ろうとしていた行動を妨げ意に反する行動へ移行させるだけで済むだろう。
だが、テイム自身に命令を下したならばそれは限界に反するもの。
例えば壊せないものを「壊せ」と命令したら?
テイムの生物としての判断はどう考えてもそれを破壊できないと、理由はどうであれ自分には負担が大きすぎると判断したから壊せないと認識しているのに、それを命令によって、権能によって無理やり実行させる。
それがもし、人なら?
誰も傷つけたくないから争わずに済む方向に動かしていたテイムが他人を殺したり傷つけることを何も思わずにできるだろうか。
それが物なら?
物理的に破壊できない。むしろ自分の肉体が破壊される可能性があると本能的に否定したものを無理やり実行させられれば耐え難い苦痛を受けることになる。
己の骨を砕き、肉を断つことになろうと実行させる。
テイムの権能は自己犠牲なんて呼べるものではない。
自分自身を殺すための権能。
ただ、それを否定したら彼自身の自分を殺してでも守りたいという意志を否定してしまうことになる。
「お前は強い。俺が、記憶失っててもお前が友達ですげえ奴で強いってこと分かる。戦いを見てなくても分かる。でも、テイムは勘違いしてる。だからムカつく」
「勘違い……?」
「力の使い方、間違ってんだよ。誰かを守るためなら無敵? ふざけんじゃねえ!」
親指を自分に突きつけながら自嘲する。
正直、怒鳴っておきながらここまで恥ずかしいセリフを連々と並べている自分が記憶を失う前からなのか疑問だった。
たぶん昔からだろう。
それがどれだけ恥ずかしいことか分かった上で言えるのは、見栄を張る方が見苦しく見えてしまうと知っているからだ。
「敵を倒せない俺みたいな奴を守って何になるんだよ! お前なんかちっとも傲慢じゃねえよ! 役に立たない奴守ってジリ貧になるよりそいつ犠牲にしてでも敵倒して勝ち誇った顔でもすればいいじゃねえか!」
「っ!」
「どうせ俺には倒せなかった…………そのはずだ。自分から仕掛けなかったなら勝ち目がなかったからだと思う。お前には倒せる可能性があった。お前が敵を倒すまでの時間くらい肉壁だろうとなんだろうとやってお前が守ろうとしてたもん守ってやれるんだぞ」
「ふっ、何をみっともないこと平然と言ってるんすか」
そんなこと言われても実力で差があるのは事実なのだ。
自分が倒せないのにテイムに他の誰かを護衛させて敵と対峙するよりも自分が少しの時間を稼ぐ間にテイムが敵と戦う方が勝てる可能性がある。
それだけの実力がある。
だから分かってほしいのだ。
本当に助けたいと思ってるなら多少は傷つけて足の踏み台にしてでも戦いを終わらせることに意味があるのだと。
テイムは残念そうに溜め息を吐くとその場に寝そべって空を見上げる。
「俺の大好きだったカッコいい兄貴も記憶と一緒に消えちゃったんすかね〜」
「顔は悪くないだろ…………自分で言うのもあれだけど」
「いや、いいんすよ、別に。兄貴の人間性は何も変わってない。何でも自分で解決しようとしてる奴が偉そうに説教なんかするな、って言って聞かせたいくらいには他人のこと気にしてるっす。まあ、でも綺麗なだけが正義じゃないって認めなきゃならないのかな……」
「テイム……」
「もう今後は遠慮しないっす。兄貴だろうと関係なく『俺じゃないと勝てないんだから黙って盾になれ』って言うっすからね?」
「……それは嫌だ。テイムに舐められてるみたいで腹立つ」
いや、実際に舐められている。
彼が言う遠慮とやらも結局は自分よりも弱い者に無理をさせたくないという考えをオブラートに包んで言っているだけだ。
力を使いこなせていないならテイムを超えることはできない。
そう考えると余計に腹が立ってきて自分は無意識にテイムの手足を凍らせていた。
無意識と言っても制御できない魔法を使っているわけではないので動きを封じるための氷であって冷やす目的はないため彼が凍傷になる心配はない。
「これで文字通り手も足も出ないな?」
「ちょっ! ズルいっすよ!」
「ズルくない。ただの魔法だ」
ちなみにテイムの権能は自分に通用しない。
ノエルに教えてもらったが彼女と全てを分かつ契約をしているから加護により他の神格が与えた権能が作用することはないとのことだ。
失ったのが記憶だけで済んだのもそれが理由と考えられるらしい。
ただ、それは広く公言してはならない。
それが権能を持つプロトタイプを葬る上で確実な対策だと認知されてしまえば彼女が狙われてしまう可能性が上がる。
「戦わなくちゃならない相手なら躊躇しなくていい。それでどんな結末になっても誰もテイムを責める権利はないんだ」
「何が起こるか分からないからって堅実すぎたら駄目ってことっすね。兄貴任せにしすぎないで俺も自分から状況動かしていくことにするっす」
「ああ。その時はちゃんとカバーしてやるから」
大切な親友として、相棒としての役割だ。
と、良い感じに話を終わらせようとしていたら隣の視線が鋭く突き刺さる。
何か言いたいことがあるのは察した。
というより思い出した。
「とりあえず氷、砕いてくれないっすか?」




