第40話「最低保証の勝利」
――翌日。
「起きてるっすか!? 起きてるっすよね! 入るっすよ!」
まだまだ眠気も覚めてなかったが家の外から怒鳴るような声が聞こえてきて目を開いてしまった。
懐に愛玩動物を抱えていたからか睡眠の質は良かった。
この健やかに寝息を立てている生き物の声も柔らかさも温もりも受注生産されたかのように自分好みに設定されているため、世界中のどこを探してもこれ以上の抱き枕は見つからないだろう。
彼女の頭を一撫でしていると再び眠気に苛まれて大きな欠伸をする。
そこへ待ちきれないといった風に部屋の扉を蹴破って侵入者が来る。
「起きてるなら返事してくれないと困るっすよ!」
「テイム、朝から騒がしいんだよ。ノエルがびっくりしてるじゃねえか」
言葉通り、抱き枕改めノエルはテイムが扉を蹴破った音に体を跳ねさせたかと思うと自分と毛布の隙間に全力で顔を埋めてしまっていた。
いくら神様といえど驚かせすぎたら心臓が止まって死ぬかもしれない。
震えているノエルの背中を撫でて落ち着かせながらテイムに視線を向ける。
目を見る限り遊びではないことは窺える。
むしろ能天気にも再び欠伸をした自分へと怒りを向けてすらいる程だ。
よっぽどの事件でもあったのだろう。
さすがに自分のことではないのだから必死になりすぎとは思いつつ、彼の他人に対する責任感を否定するつもりはないので落ち着くように言う。
タイミングよく家事の途中だったであろうニムルがグラスに注がれた水を持ってきて彼に手渡そうとしていた。
「慌てる、騒ぐ……何も良いことないぞ。落ち着く、一番大事!」
「…………そうっすね。騒いだところで犯人が捕まる訳でもないっすから」
「犯人? 何か事件でもあったのか?」
テイムは水を一気に飲み干すとニムルに返却して自分の問いに頷く。
それと同時に荷物の中から詳細を書かれた資料を手渡してくる。
事件は夜中に発生した。
朝方、街を巡回していた騎士が頭を潰されて死んでいる遺体を発見し、警戒していたが同じ手口の犯行が数日続いているという。
なぜ事前に止めることができなかったのか。
被害者の繋がりを特定できずにいることが原因とされているらしい。
自分は書類に追記されていた遺体の状態について目を通し疑問を覚えた部分をテイムに問いかける。
「遺体に複数の穴、って?」
「自分も実物を見せてもらった訳じゃないから完全な情報じゃないっすけど円形に体を貫通されていたらしいっす。槍で貫かれたにしては綺麗な穴だったとか」
「槍は突いた時はいいが抜く時に真っ直ぐ抜くのは難しいからな。どうしても傷口が綺麗な形になることはない。自分の『飽食還現』も余ったエネルギーを衝撃波として撃ち出すだけだから穴を空けるんじゃなくて潰すっていうのが正しい」
「じゃあ綺麗な穴を空けようと思ったら目に見えないほどの速度で当てる必要ある?」
ノエルの言葉を肯定する。
瞬間的に通り抜けるような攻撃ならば刃物のように鋭利でなくても人間の体ならば貫通することができるだろう。
それが可能な武器があれば、の話だ。
現状では周囲に響くことのない静音性能の高く人間の体を貫けるほどの加速を可能にする方法はない。火薬による爆発は大きな音を出すため近隣の獣人が確実に気がつくため道具による攻撃とは考えにくい。
魔法という線もないだろう。
その道に長けた者なら遺体からでも魔力を検知できるだろう。
つまり一連の犯人はプロトタイプを除いてありえないという意味だ。
犯人がプロトタイプであれば自分にとっても他人事ではない。
「理解に苦しむ人」
「何故だ? プロトタイプに常識は当てはまらないってことは知ってるだろ」
「たとえば犬みたいに触ってることに気づいてほしい変態さんなら分かるけど、その人も同じだと言える?」
「べべ、別に俺もそんなこと考えてないぞ!」
「嘘吐かない」
テイムがジト目でこちらを見る。
実際にノエルの指摘は間違っていなくて自分を椅子代わりにしてるノエルが落ちてしまわないようにお腹の前でしっかりと腕を固定しているから密着状態なのは言うまでもなく、その状態でノエルの頭に顎を乗せたりお腹を擦ったりしていれば気づかれるのは確実だ。
それでも止めなかったのは朝のスキンシップも済まないうちにテイムが家に駆け込んできたからだ。
本当なら仕事もない日には目が覚めたらノエルの全身にくまなく体を擦りつけてマーキングをしておきたいくらいなのに休みが来るとこうして問題を運んで来られてはストレスでしかない。
正直、テイムが見ている前とか関係ないから匂いを付けておきたいくらいなのだ。
そうでもしないとノエルに知らない男が寄ってきそうで不安になる。
故に自分はノエルの言う「変態さん」とやらではない。
ただノエルの言葉に少しだけヒントのようなものを感じなくもない。
「兄貴? 変態呼ばわりされてるのに放さなくていいんすか?」
「いや、逃がすくらいなら後で俺を変態呼ばわりしたことを後悔させるから問題ない。それよりも言葉を置き換えたら割と犯人の意図を知ることができるかもしれないと思って」
「類は友を呼ぶ。犬は変態さんでその人も変態さんだから考えることが分かるみたい」
「………………」
もうノエルは許さないことにしよう。
テイムが帰ったらノエルが泣いて喚こうが声も出せず動けなくなるまで徹底的にモフらせる。
この愛くるしいモフモフのどこが変態なのか教えてほしい。
と、話が脱線してしまうのでノエルは無視して話を続ける。
「今回の犯人は自分が殺したと気づいてほしいプロトタイプだ」
「ただでさえ疎まれるプロトタイプがわざわざ存在を主張したって言いたいんすか? 最近は特にプロトタイプ絡みの事件も多かったし関係したプロトタイプが死んでるのにそんな死にたがりみたいなことするっすかね」
「よっぽど自信があるんだろ。騎士が巡回してる中で対象を殺し、警戒が強化された後も続けて同じような手口で殺してる。つまり犯人だと特定されることに関しては気にも留めてない。奴にとって大切なのはプロトタイプの犯行だと特定されること。もう一つは」
「それに気づいて標的が現れること」
テイムに資料を返すとそれらを見比べながら自分の考えに肯定した。
時間帯や殺害方法は同じ。
騎士という障害が増えたとしても手口は変更せず。
被害者にはこれと言って繋がりもなし。
それらを考慮すると彼らを殺したことに目的はない。
本当の目的はそれ以外のことにあるのは確実で、プロトタイプが悪目立ちしている今のタイミングで見つかるようなことを率先してやるのは自分がプロトタイプたと分かってもらわなければ困るから。
同じプロトタイプとして悪評を流してメリットのある者がいないことを考えれば彼がプロトタイプとして狩られることに意味はなく……というよりも狩られるつもりはないの方が正しいだろう。
ならば騎士に気づいてもらいたいわけではない。
どちらかといえば……。
「俺達が標的っすか」
「確定ではないけどな。本人の持ち物がある訳でもないから匂いで考えを探ることはできない。だから本人に聞く必要がある」
「犬は罠だと分かってても行くつもり?」
ノエルが不安そうな瞳でこちらを見上げる。
それはノエルだけではなくテイムやニムルも同じことを考えていたかもしれない。
明らかに誰かを誘い出そうとする行動。
仮に奴が誘い出したい相手が自分達では無いとしても現場に現れてしまえば今後の障害となることを考えて消してしまおうとするだろう。
自らプロトタイプだと主張するほどの実力者。一筋縄では行かない相手になる。
さすがに真っ向から戦って勝てる相手ではない。
自分はノエルの頭を撫でながら首を左右に振った。
「対策の一つもしないで挑むつもりはねえよ。出会ってからずっとノエルには苦しい思いさせてばっかりだしな。それに一人でやるつもりもない」
「そうっすよ! 俺だって兄貴の背中預かれるように鍛えてたんすよ!」
「犬が嘘吐いてないの分かる。虎のことも信じてないわけじゃない。だから犬には一つだけ約束してほしい」
ノエルは俯きながら返事を待つ。
我がままにならない程度で自分を縛ることのできる約束を考えていたのだろう。
「どんな約束だ」
「…………犬が他の人を優先してもいい。でも、その代わり死ぬのだけは許さない。骨が折れてても傷だらけでも気絶しててもいい。ただ、生きた状態でノエルのところに帰ってくることは約束して」
「それでいいのか?」
「犬は他の人が傷つけば同じくらい心を痛める。仲間でも敵でも関係ない。同情しようとする。なら、自己犠牲で仲間を助けようとしたりするのを止めるのは、犬に我慢させるのと同じ。悔いの無いように選択して、って言ってるノエルが犬の選択肢を縛ったらダメでしょ?」
ノエルは言いながら急に自分の髭を引っ張ってくる。
それなりの力で引っ張られていたから痛みさえ感じるほどだったが、それを我慢しようと思えるくらいにはノエルの表情の真っ直ぐさは自分に強い衝撃を与えていた。
とても妥協しているとは思えない真剣な目である。
「分かった。ちゃんとノエルに叱られに帰ってくる」
「虎も、だからね」
「お、俺もっすか?」
「犬のこと助けてほしいってお願いした。でも、虎にも大事な家族がいるから命を犠牲にしてまで守れなんて言わない。だからどちらかが命を落としかねない作戦はダメ」
「肝に銘じとくっす」
「ん。それでいい」
納得する答えが得られたノエルはこれ以上は口を挟まないと言って大人しくしていた。
自分とテイムの話を聞いて明らかに約束を破綻させることになることがあれば待てをかけるためにこの場に残っているのだ。
「奴の誘いには乗るってことでいいっすか?」
「ああ。無視すれば今後も殺しが続くことになる。もし奴が手段を選ばないタイプなら他にどんな方法を使ってくるか分からないしな」
「…………俺はどうしたらいいっすか。さすがに今日から挑む訳じゃないっすよね?」
「少しでも他の可能性を潰しておきたい。魔法や魔道具なら今回みたいな殺し方ができる可能性がある。レインほどの技術者かイルヴィナ級の魔道士でも存在すれば、って話だが……」
「あいつら異次元っすよね。まあ調べるに越したことはないっすか。こっちのツテをテキトーに使って調べられる範囲でやってみるっす。兄貴はどうするっすか?」
犯人の特定は必要なし、情報収集もテイムがやる。
自分にできることは…………実際に奴と対峙することになった際の対策を練ること。
テイムが持ってくる情報の良し悪しは分からないがどちらも想定しておくのが一番いいだろう。
「罠にかかる獲物は少い方がいいからな。その辺の根回しをしておこうと思う」
「一般人がいたら邪魔になるからっすか?」
「たぶん他を構ってる余裕なんてないだろうからな」
「じゃあそっちは頼んだっす」
テイムはニムルに水のお礼を言って頭を撫でて部屋を出ていく。
その後、背中を追うようにしてニムルも部屋を出た。こっちはおそらく朝食を作りに行ったのだろう。
部屋の中には自分とノエルが取り残される。
手際の良くなってきたニムルならば朝食もすぐに作り終えるだろうと考えたノエルも立ち上がろうとしていた。
しかし、どれだけ力を入れたところで立ち上がれない。
自分がしっかりとお腹の辺りで拘束しているからだ。
「犬? 朝ごはん、食べに行かないの?」
「もちろん食べに行くぞ。だが、それは後だ」
「んっ……い、犬? くすぐったいよ」
「さっきの言葉、忘れたとは言わせねえぞ。俺のこと変態呼ばわりしたことを後悔させてやるって言ったろ?」
真面目な話をその後にしていたがそれとこれとは別問題である。
本当は軽めにマーキングしておけばいいと考えていたがノエルにあんなふうに揶揄されて軽く流してやるつもりはない。
それに死なずに無事に帰ってこいなんて言われたら尚更マーキングをしっかりしておきたくなったのだ。
お腹の辺りで手を掴んでノエルをそのまま持ち上げるとベッドの上にうつ伏せにして置いて上から押し潰すようにして身動きを封じる。
とはいえ全体重を乗せているわけではないのでノエルが潰れたカエルのような声を出すことはない。あくまで動けない程度に押さえ込んでいる。
「お前との約束ちゃんと守らないとな」
「こ、こんなこと約束してない!」
「ちゃんと約束したぞ。後悔させるって言ったけど気が変わった。お前が傷だらけになってでも戻って来いって言うなら、俺はそれに見合うだけの対価がほしい。でも俺にとって一番大事なのってノエルしか考えられないから対価ってなんだろうってなるんだ」
ノエルの首筋に鼻を寄せてすんすんと匂いを嗅ぐ。
いつもの彼女の優しい匂いに紛れて自分の匂いが嗅ぎ取れる。
「たぶんそれってノエルが無事でいてくれることだろ?」
「ガルム……」
「ちゃんと毎日マーキングさせてくれ。俺はノエルが無事で、こうして俺の匂いを付けさせてくれるだけで安心す――」
「ガルム、交尾してる? ご飯、後の方がいい? それとも、置いとくか? それよりも元気になる食べ物、あった方がいいか!?」
「………………」
間違ってもないが正しくもない解釈を展開したニムルが前のめり気味に言葉を並べている。
彼女なりに気を遣ったつもりかもしれない。
たしかに自分はノエルに匂いを付けることができるならばすりすり以上のことでもいいような気がしていて気分的にも雰囲気的にもそういう空気だったがニムルが現れたことで見世物にされているような気がして萎えてしまった。
「そそ、そっちで食うから待ってろ!」
「交尾終わるまで待つ?」
「し、してない! してないから!」
「んゆ? この匂い、ガルム欲情してる匂いちがう? 交尾したいの我慢するの良くないぞ!」
「分かったから交尾、交尾、って連呼するな! お、俺がそういうつもりだったのは自分自身が分かってるんだよ!」
強めに怒るとニムルは尻尾を振りながら部屋を出ていく。
彼女はそういう部類の種族なのだ。別に自分自身が認めた雄の番となれなくても他の雌と交尾をした際に余りある欲求が流れで自分にも向けてもらえたらそれでいい。
大人しく部屋を出ていったように見せてあれは期待している。
自分がノエルと交尾をして、満足しきれずに欲求を自分にも向けてもらえる、と。
後ろで振られている尻尾がそれを物語っている。
昂ぶっていた気持ちが急に冷静にされた自分は複雑な気持ちでノエルの上から除けるとベッドの縁に腰掛ける。
ノエルもその隣に腰掛けた。
「じゃあ約束する。寝る時は一緒。起きた時はガルムが満足するまでノエルにすりすりして匂いを付ける。それでいい?」
「偶に…………ほんとに偶にでいいんだけどすりすり以上までしてもいいか?」
「それはガルム次第でノエル次第。ガルムがしたいならすればいいし、ノエルがもふもふしたくなったらノエルからする。これならノエルからガルムの匂いが消えることなんて無い。たぶん、ノエルでも分かるくらいガルムの匂いを付けられる」
「くっ……! ニムルの手前、しないって言ったのにノエルがそんなこと言うから」
「別にニムルが見ててもすればいいのに」
「ダメだ! 俺はその辺の分別はできる方なんだよ。だから我慢! しっかり我慢してた方が本当に求めた時に得られる嬉しさが大きくなるんだからな」
「なら今日はこれだけでおしまい、ね?」
ノエルは自分に唇を重ねると部屋を出ていった。
我慢、と言っているにも関わらず攻めの姿勢を崩さないノエルはずるい。手を出さないと確固たる意志で言っているのに挑発された気分だ。
その後、自分も部屋を出て二人と食事を摂るために席に着いたがニムルが定期的に視線を投げてきていたことが気がかりだった。
ニムルが我慢できなくなったら寝ている間に襲われるのではないだろうか。
自分よりも野性的なニムルに不安が過ぎる……。
――騎士団本部。
テイムから話を聞いた時点から察していたことだが騎士団が巡察してる中で殺人が実行されたこともあって建物の中は空気がピリついている。すれ違ったものに声をかけることすら躊躇してしまう状況だ。
見た限りではダズロフ復興支援に参加している人数も最小限らしい。
街でも何度か騎士を見かけたが本部内にもいつでも出動できるような状態の騎士が数名と慌ただしく行き交っている者も何人か確認できる。
騎士の信頼に関わる事件だ。焦っているのだろう。
そんな中、彼らの邪魔になることを承知で足を運んだのにも理由がある。
「大変そうだな、キース」
「貴様に構っていられるほど暇ではないぞ」
キースの不遜な態度にノエルは明らかに不快そうな顔をすると踵を返そうとする。
「犬、やっぱり協力する必要ない」
「キースも忙しいんだから許してやれよ。話を聞かないとも言ってないんだから」
「むう……」
「それに今回はどちらかといえば協力してほしい、ってのが正解だ。俺達は今回の事件に関係することでキースに頼みがある」
キースは机に広げられていた街の地図から視線をこちらへ向けた。
前回の件でもそうだがキースはプロトタイプを良くも悪くも信頼してくれているのだ。
生物兵器としての破壊力や常識外れな能力は使い方を間違えれば最悪の事態を引き起こしかねない。
しかし、それを正しく使えるならば起死回生の一打となりえる。
そういう意味では緊急時の手段として考えてくれている。
キースからすればこのタイミングで生物兵器からの申し出は好都合。
自分は前に出て彼が見ていた地図を確認しながら要件を伝える。
「騎士の巡回ルート、決めてるんだな」
「不規則な方がいいのは承知しているがどこかでルートが被ってしまうと他が手薄になってしまうからな。こうしておいた方が騎士が一箇所に集中することもないだろう。とはいえ、連日発見できていないので変更予定だがな」
地図を見ると二人一組が四つのルートを定期的に巡回している。
ある組が通ったルートは少しして別の組が近くを通過しているため完全に誰もいない時間はほんの数分程度のため、タイミングよく通行人と犯人がそこに居合わせることもほぼないと言えるだろう。
「それなんだが、今日も同じルートで巡回してくれないか?」
「犯行を止められないなら継続の意味はないだろう。何が目的だ」
疑いの目が向けられる。
事件を解決するために協力しようという考えならばルート変更の進言をしたり自分もそこへ参加したりなどの助言をするだろう。
協力というよりも他に何か別の目的があるように捉えられてしまったのだ。
おそらく誰が聞いても「騎士団では解決できない時点でお役御免、あとは自分達がどうにかするから手伝え」と言っているように聞こえる。
ここで剣を抜かず部屋からつまみ出そうともせず、ただ問い質そうとしたキースには感謝しかない。
自分は地図上で騎士が一切通過することが無く、且つ大きな音がしても気づかない可能性のある場所を確認して根本的な目的を伝える。
「犠牲者を最低限にするためだ」
「それは被害者を、か?」
「騎士も含め、だ。詳しくは説明できない。まだ絶対じゃない」
「…………犠牲を減らしたいという貴様の意志には賛同する。しかし、敵を捕らえるのに少数精鋭で動こうという理由が分からん。ああ、気を悪くするな。貴様の実力を否定しているわけではない」
何に対しての弁明だと思い横を見るとノエルがキースを睨んでいたようだ。
黙って協力しろと訴えかけている。
ただ騎士にとってノエルは恐れる存在でもない。
神様であろうとなんであろうと騎士団は民衆を守るための規則に、役割に殉じる組織だから。
故に相手が何者であろうと関係ない。
ノエルを宥めるように否定ではないと言葉にしたのは、キースが騎士としての意見よりも人であることを第一に考える男だから。
だから信頼できる。
彼ならば部下に死ねと命令したりしない。
ノエルと同じだ。生きて帰ってこいと命令する。
「俺は戦場で相手の力量を低く見積もることはない。何故なら相手は人間じゃない。生物兵器と揶揄され想像を超えた現象を当たり前のように引き起こす連中だからだ。触れた物を粉々にする権能を持ってる奴がいた。俺がその情報を持って帰ると仲間だった人間が権能が発動する前に離れれば大丈夫だと言って挑んだ。実際は一度でも触れた物は奴の近くにあればいつでも粉々にすることができる権能で油断した仲間は全滅した」
断片的にしか判明していない情報を伝えた。
まだ検証も済んでいないのに目で見えたものをそのまま真実として流布した結果、多くの犠牲者が出てしまった。
自分は彼らに気をつけろの一言も伝えていなかったのだ。
油断してはならない。触れられないに越したことはないと遠距離主体で戦うように指示しなかった。
その時と同じことが起きてしまう可能性がある。
キースの目を真正面から見据えてもう一度、伝える。
「確証のない情報だから詳しく説明することはできない。だから、俺を信じてくれとしか言えない。俺の経験則でも野生の勘でも何でもいい。まったくもって何も根拠なく進言してるんじゃなくて少しでも最悪の展開になる可能性があるからこそ頼んでるんだ」
「貴様も我々にとっては貴重な戦力。それを忘れられては困るぞ」
「……なんだって?」
「貴重な戦力と言った」
とてもキースからの発言とは思えなくて聞き直してしまった。
自分が騎士団にとっての貴重な戦力?
いつも生物兵器と呼んで必要であっても協力させるのも渋々と言った感じのキースがそう考えていたと?
自分が驚いて間抜けな顔をしていたからかキースは引き出しから何かの資料を取り出すとそれに目を通しながら続けた。
「我々はプロトタイプに関しては無力だ。彼らの多くを知らない。研究が極秘裏に行われたこともあるが、まず知る術がない。そんな中、貴様のように人類に味方しようという者がいることにどれだけ感謝していると思っている」
「だってお前、あんまり俺のこと好きじゃないだろ」
「当然だ。あくまで部外者だからな。ただ、貴様が報告書として提出してくれる資料は我々にとって本当に有益なもの。我々では対処できぬ者に挑み、それの情報を持ち帰るだけで十分なものを貴様の経験則を活かした推測まで記載されている」
過去の失敗から癖のように残り続けていた事を、無駄と言って切り捨てずに気に留めている人間がいた。
本来なら誰も気にしないはずの推測。
皆が目を向ける事実と遜色ないレベルで意識を向けてくれていた。
故にキースが伝えたいことが分かったような気がした。
他の者にとってはどうでもいい情報でも彼にとっては知りたい情報である推測の話をできる者は騎士団にいない。
お前の代わりは居ない、か。
立場上、キースなら誰にでも言っていそうな言葉だ。
それが自分にとっては逆に響いたりする。
人として扱われた気がするから。
「良かったね。ノエルと同じこと言ってくれる人がいて」
「ふっ……そうだな。それに普通のやつに言われると現実感があっていい」
「何の話だ」
「いや、こっちの話だ。とにかくお前が言いたいことは分かってる。犠牲者を最小限に留めるって言ったろ? 俺も含め誰一人死なせねえよ」
「…………貴様の進言通り本日に限りルート変更はせずに巡回する。大きな物音がしても経路を外れるなと連絡しておく」
ルートに関してしか話していないのにそこまで察してくれたようだ。
やはりキースは信頼に足る男だ。
そして信頼に足る男であるならばもう一つくらい頼み事をしても文句を言わずに聞いてくれるだろう。
自分は隣りにいたノエルを持ち上げてキースの前にかざした。
「ついでにもう一つ頼まれてくれねえか?」
――その日の夜。
「あははっ! 堅物に子守を頼んだら殴られるなんて当たり前っすよ!」
夜間、事件の犯人を捉えるために二人で巡回しながら日中にあった出来事をテイムに話していると笑われてしまった。
自分はキースに殴られて痛みの残る頬を擦りながら明るい笑顔を見せるテイムに舌打ちする。
キースにしたもう一つの頼み事はノエルの護衛だ。
正確に言えば守る必要など無い。自分が戻るまでは騎士団から出さないように見張るだけでいいと頼んだ。
それに対する返答が拳だった。
もはや理由を聞くなどの問答など一切なく急に拳が飛んできてノエルを持ち上げていた自分は避けることもできず殴られるしかなかったのだ。
彼の理屈としては「騎士団は託児所ではない」と。
なんとなく予想はしていたけどノエルを安心して預けられるような場所はあそこしかない。
キースほどの堅物ならノエルに手を出そうなんて考えは起こりえず、ノエル自身が我がままを言ったとしても諭して止めてくれる。そう思って頼んだのに、と少し悲しくなってしまう。
とはいえ状況外のことを嘆いてもいられない。
既に自分達は犯行が起こりうる可能性のある場所に差し掛かっている。
テイムも察したのか笑うのを止めた。
「ここからは気を引き締めていくぞ。まさか一人で歩いてるバカはいないだろうけど万が一もある。人間を見つけたらすぐに帰らせるんだ」
「妨害されれば自分から姿を現す、ってことっすね」
「避難させるよりも先に戦闘になったらテイムは救助優先な。騎士団には無理を言ってるんだ。怪我人を出したら合わせる顔がない」
「任せてくれっす! 指一本触れさせないっすよ!」
と、役割分担を改めて確認していると少し離れた所にある家から女が一人で出てきた。
彼女はそのまま路地の方へと曲がってしまう。
こんな夜遅くに一人で出歩くような用事があるとは思えないため怪しさはあるが危険が及ぶ対象であることも間違いなかった。
自分よりも先にそれに気がついたテイムは既に曲がり角まで走っていた。
そして自分から見えない位置でキンッ、という高い音が聞こえてくる。
後を追って大剣を構えているテイムと足元に崩れるようにしてしゃがみ込んでいる女を見て状況を理解した。
既に敵からの攻撃を受けている。
「反射的に弾いて正解だったみたいっすね」
「へえ? 今の弾かれちゃったんですね。やっぱり規格外だ」
若い男の声だった。
屋根の上に腰掛けて掌で丸い石のようなものを転がしている男がいた。
あまりにも分が悪いと言える状況だ。
テイムが調べた限りでは人間の体に綺麗な穴を開けられて証拠の残らないような魔法も道具も存在しないとのことだった。
それらが実現できない以上は当初の自分達が予測したプロトタイプの権能という意味になる。
仮に物を高速で投げる権能だとすればテイムが巻き込まれた女を守っている間に自分が彼を攻撃しようと屋根に登ろうとすれば回避不可能なレベルの投擲物で迎撃される可能性がある。
テイムが防げたのは反射よりも早く反応できる権能だからだ。
自分にはそんな芸当できるわけもない。
予めどこに来るのか予想して避ける姿勢を作っていれば相手にも悟られてしまうし、かと言って姿勢を取れなければ避ける前に当たる。
だからと言ってテイムにやり合ってもらうにしても流れ弾で現場から動けなくなっている女を殺される可能性もある。
自分が動ける状況があるとすれば条件が重なった時だ。
彼の権能が判別できた状態という大前提。
その権能が投擲物も作り出せるならば完全に彼が自分を意識の外に置いて目を離したタイミング。単純に早く投げられるだけなら投擲物が無くなるまで待てばいい。
悔しいが今はテイムが全てを捌き切ると信じるしかない。
自分は分析しつつ、タイミングが来たら速攻する。
「面倒だからどんどんいきますね? ちなみに親切心で教えるけど自分は投げるモーションは不要なので頑張って何がどこにどれだけ飛んでくるのかしっかり考えないと捌ききれなくなりますからね?」
「くっ! 危ないから俺の後ろ側に隠れてろっす!」
テイムの選択は正しい。
女を体の後ろに隠してしまえば的は大きく分けてテイムと俺自身の二つだけ。全力で投擲物を撃ち落とすことにに専念すべきは女を守らなければならないテイムであり、こっちのことはこっちに任せるつもりだ。
奴の考えを少し考えれば狙う方は予想できる。
わざわざプロトタイプである自分達を誘い出したのに刺し違えるはずが無い。確実に殺した上で生還するつもりだ。
ならば、こっちを狙うメリットはない。
自分は彼の投擲を回避できる可能性が低く殺しやすくはあるが、それでこちらに投擲物を回してしまえば初見で攻撃を弾いたテイムの速度なら一瞬で距離を詰められる。
むしろ近づかなくとも建物の破壊さえ厭わなければ奴を下に落とせる。
つまり奴はテイムに弾幕を張り続けて攻撃をさせない必要がある。
「単調過ぎて余裕っすよ! 踊るよりも楽勝っす!」
「本当にすごいですね。遠くから飛ばしても全部砕いてしまうんですね」
「誰かを守る時の俺は無敵っす!」
「そうですね。本当に正義の味方のようで……」
自分は男の言葉に違和感を感じた。
本当にこんな無意味な攻撃をする必要があるのか?
彼は確実に勝てるという見込みがあって自分達を誘い出したはずで、投擲物を補充できないのならば今の状況は良くないもののはずだ。
苦戦を強いられる想定はしていなかったはずだ。
それなのに予定調和といった態度を崩さないのは何故だ?
テイムの力が予想よりも少し上回った程度とでも言いたげな発言は、その余裕はどこから来るものだ?
こういう時はどうしてか分からないが根拠もない可能性を思い浮かべてしまうことが多い。
何かそれに至る理由があったわけでもなく、ただ自分が対応しきれない敵の行動があるとすれば、と直感で考えている。
そう、間違いなく対応しきれない。
頭の中でイメージされたものと同じ行動をすれば自分は間違いなく大切なものを失うことになる。
生き物はそういう風に作られてるのだから。
何かに気づいて目視して確信して行動する。
それでは遅すぎた。
もし頭にイメージが浮かんだだけで実際にそうならないのだとしても自分が責任を取ればいい。
「テイムッ!」
もし名前を叫んでしまったことで彼が屋根上の敵から意識が逸れてしまったなら、それは自分が責任持って受ければいいだけの話だ。
それよりも大切な親友が絶対に回避不可能な方を自分は対処すべきだ。
彼の後ろに隠れていた女を。
「忘れてませんか? あなたは『傲慢』より力を授かった。彼の者に認められたということはあなた自身『傲慢』なんですよ」
「あに、き……?」
投擲による攻撃が止んで後ろを振り向いたテイムは震えていた。
その瞳には自分の姿が映っている。
テイムが守ろうとしていた女の手によってナイフを刺され地面に崩れた、自分の姿が。
たかが小さなナイフ一本で死ぬほど軟じゃない。
頑丈な方だと自負していたのに不思議と意識は朦朧としていた体が動きそうもない。
テイムはナイフを手放した女を問い質そうと胸ぐらを掴もうとしたが、それを妨害するように再び攻撃が始まる。
その隙に女は屋根上の男の隣まで逃げていた。
おそらくテイムは冷静さを欠いてしまっている。
大事なものが傷つけられただけなら理性で踏み止まり助ける方を優先したかもしれないが、傷つけたのが助けようとしていた相手だったなら、騙されていたとしたら、許せるはずもないだろう。
しかし、二人を追いかけようとしたテイムに男は再び攻撃を仕掛け、その間に女が言葉を投げかけた。
「役割を違えちゃダメじゃないの? あんたがすべきことは怪我した仲間を放っておいて復讐すること?」
「傷つけたあんたが言うなッ!」
「そう? 二人のために言ってるんだけど」
テイムは何かに気がついて二人から視線を外した。
どうやら自分たちの周囲に男が掌で転がしていた石が転がっているようだ。
テイムが必死にそれらを弾いてくれているのに自分は動けなかった。
意識が薄れていく。
ほとんど白だか黒だか分からないものしか見えなくなった中で逃亡した二人の声とテイムの咆哮がはっきりと聞こえていた。
「…………権能が発動しなかった。でも使い物にならなければ同じことだから作戦は成功したわ」
「殺しきれないなら仕方ないですね」




