第36話「支配者の矜持」
――ダズロフの街。
目の前で信じられない現象が発生した。
ほとんど勝利を目前にしている状態を共有しようとユーという協力者に視線を向けた時、そこに彼女は居なかった。
姿を消した彼女の代わりに一人の竜人が指を鳴らしながら立っている。
この状況はまずい。ガルムから避けるように言われた状況。
遠距離主体の自分は近接戦闘が可能な者と一対一で戦うことがあってはならない。
こちらは距離を離さなければ戦えないのに相手は詰めてしまえば負けることはないのだ。無作為だろうと突っ込んで距離を詰めてしまえば勝てると分かっていれば躊躇わない。
おそらく向こう側にいたはずの者だ。
だとすれば自分が魔物を殺したと知っていて、それが主軸だと分かっている。
逃げなければ。
彼が何をしたのか、ユーがどこへ消えたのか。
そんなものは全て後回しでいい。生存が優先だ。
自分はガルム達の姿が確認しやすいように上がっていた屋根から飛び立とうとする。
屋根を強く蹴って体が浮いた瞬間、翼を広げ……られない。
彼に掴まれたようだ。
飛ぼうとした瞬間に翼を掴まれた自分は上手く飛び上がれず、そのまま地面へと落下してしまった。
「っ!」
落下した衝撃で声が出なかった。
彼は屋根から飛び降りると自分の手を眺めながら近づいてくる。
「羽根のように見えるが実のところ全部が硬質な金属の刃。物体と接触した瞬間に金属に変わるって訳か。お陰で掴んだ手が傷だらけだ」
そう言って見せてきた手には確かに切り傷があり出血していた。
どうやら体は硬そうに見えても内側の方は少し柔らかく、自分のナイフでも傷はつけられるらしい。
「くる、な……っ!」
「あまり動くな。どうせ有翼獣人は体を軽くするために中身はすかすかだろ? ってことは一番重い骨はほとんど空洞みたいなものだから屋根から落下しただけでも重傷だ」
彼の言うとおりだった。
屋根から落下する際に自分は受け身なんて取れなかったし、そもそもが受け身を取った所で自分の体は脆くて腕の骨が折れていただろう。
頭から落ちなかっただけでも感謝だが肩や胸の辺り、それから左足に違和感を感じる。
間違いなく折れているのだ。
この状況では逃げることも戦うこともできない。
「お前はあいつらを信用しすぎたな。女を二人こっちに残したところでこうなるのがオチだ」
「二人は、間違ってないのよ……!」
「まあいい。強がる女は大好物だ。本当は鳥女なんかより柔らかそうなあっちの女の方が良かったが我慢してやる」
「何の話……?」
「分からないか?」
竜人は舌舐めずりをすると自分の身につけていた服を引き裂いた。
「お前みたいな鳥女を竜人様が可愛がってやると言ってるんだ」
「いやっ、やめて……っ!」
「残念だったな、骨が折れたせいでまともに抵抗できないだろう。お前の翼は危険だが前から触れる分には問題ない。有翼獣人はさぞ綺麗な声で囀ってく――痛っ!」
最後の抵抗だった。
自分が一番大嫌いな翼。
大切で、大好きなものを軽々しく傷つけてしまう、そんな翼が嫌いだった。
でも、こんな時でも自分を守れるのはそれだけ。
落下した衝撃でも無事だった翼を開いて体の前側に覆うようにする。
体に触れようとしていた竜人はその翼に触れてしまい、また指に複数の切り傷を負って血をポタポタと垂らしている。
こんなものは時間稼ぎにしかならない。
竜人の目に怒りの色が見えた。
「優しくしてやろうと思ったのに。ただ、気持ちよくしてやろうと思ったのに……。分かった、お前がそのつもりなら全身の骨を粉々に砕いて身動き一つ取れなくしてから翼を引き千切ってブチ犯す! まずは頭からだ!」
「…………っ!」
「避けろ!」
頭に向けて硬い拳が振り下ろされる。
怖くて、目を閉じてしまったが一向に痛みを感じない。
もう死ぬかもしれないと感じるような状況だと痛みさえも感じられなくなるのだろうか。
そんな馬鹿なことを考えていると竜人の怒号が聞こえてくる。
「誰だ邪魔しやがったのは!」
「本当は兄貴のピンチに駆けつけて褒めちぎってもらう予定だったっすけど、目の前で大ピンチの女の子がいたら放っておけないっすよね!」
「あなた、は……?」
目を開くと綺麗な縞模様をした虎獣人が大振りの剣を肩に担いで立っていた。
彼は気さくそうな笑顔をこちらに向けると親指を立てた拳をこちらに向けて安心しろとでも言いたげな態度を取る。
「ガルム兄貴の第一舎弟テイムが助太刀するっすよ!」
「ガルムの、舎弟?」
「挨拶は後回しっすね。兄貴の仲間を傷つけた代償、あんたに請求すればいい感じっすか?」
「お楽しみタイムを邪魔したツケ払う覚悟はできてんだろうな」
「いや〜、強姦しないと女の子に相手してもらえないなんて竜人様も色々と大変っすね〜。ああ、性格が、クソ悪かったら仕方ないっすよね」
「黙れ獣畜生の分際で吠えるな!」
虎獣人、テイムが煽ると竜人の姿が消える。
いや、正確には位置関係が変わった。
自分がテイムの正面に転がされ、彼の真後ろに、先程まで自分が倒れていた位置に竜人の姿がある。
叫んで伝えてあげたかったが自分にはそんなことできなかった。
叫べるほど肺に空気を取り込もうとすると胸が痛む。
ごめんなさい、と助けに入ってくれたテイムに謝罪しようとしていると彼は「防げ!」と口にし、肩に担いでいた大剣を背中側で縦に構えた。
そこに竜人の拳がぶつかったのか金属同士がぶつけられたような音がする。
完全な不意打ちを、防いだ?
「俺に不意打ちは無意味っすよ?」
「何をふざけたことを……!」
「砕けろ!」
「ぐうっ!」
テイムは振り向くと同時にその遠心力を乗せた大剣を竜人の脇腹目掛けて振り抜いた。
竜人はすぐに腕の外側を盾にして防ごうとする。
しかし、テイムの大剣は軽々と振り抜かれ、その攻撃に耐えきれなかった竜人はやや離れた位置まで吹っ飛ばされていた。
それによく見ると竜人の腕の外側、岩のようになっていた甲殻が砕けているように見える。
「強い種族だからって調子に乗ると痛い目、見るっすよ?」
「なぜだ、なぜ獣如きに俺の甲殻がっ! 砕けるべきは鈍らだろ!」
「これだから形だけの支配者層はダメなんすよ。守るべきものも理解しない。見えるものから何も学ぼうとしない。そんなお前に俺が教育してやるっすよ」
テイムはそう言いながら羽織っていた上着を自分に掛けてくれた。
ああ、彼は本当にガルムから学びを得た人なんだ。
自分には援護することも声を掛けることもでにないけど、せめて相手の竜人が持つ力の情報だけでも記憶しないといけない。
もしも、テイムが窮地に陥ることがあったら、それを回避するために。
「お前は『他者と位置を入れ替える権能』を使ってるんすよね」
「だったら、何だって言うんだ」
「いや、あくまで情報の整理っすよ。俺って兄貴みたいに頭良くないから頭の中で情報をパズルみたいに並べるの苦手なんすよね」
「それで? 俺に勝てる絶対的な何かがあるとでも?」
「余裕っすね。正直に言うと雑魚すぎて欠伸が出るってやつっすね」
テイムはわざと竜人を怒らせるようなことを言って動揺を誘っているのだろうか。
あの竜人が本当に『他者と位置を入れ替える権能』を使っているのだとすれば怒らせるのはあまり効果はないような気がする。
怒らせた結果、その力を多用されればさっきのように反応できるとしても自分という交換先が常にあるのだから危険だ。背後を取ろうとするだけなら対応できても攻撃されそうなタイミングで入れ替えられたら自分を攻撃することになる。
そこでもう一つの疑問が浮上する。
テイムの行動も分からない。
ただ、竜人は竜人でどうしてテイムに攻撃された時に自分の位置と入れ替えなかったのだろう。
見えていなかったあのタイミングなら入れ替えても気づかれないし、急に攻撃を止めようとすれば大剣の重さによって彼の腕にも負担がかかる。
やるだけメリットはあるはずなのに……やらなかった。
傲慢な竜人は大剣で腕が切れないのは確証があって入れ替えるくらいなら剣を折ってしまおうとでも考えたのだろうか。
テイムは自分よりも先に答えを見つけたのか自信満々に話し始める。
「確定っすね。お前の権能は回数制限付きっす。たぶん日に3回までとかの制限があるんすね?」
「ふっ、何を根拠にそんなこと言っているんだ」
「後ろにいる女の子の仲間と入れ替えたので一回。俺に不意打ちしようとしたので一回使ってるっすよね? その後、俺が攻撃した時にこの子と入れ替えなかったのは何故だろう。それで相打ちさせれば戦意も喪失させられるし敵を一人減らせるし悪いことはないはずなのにっすよ? 最初は単純に傲慢だから俺をナメてたとか、後で戦利品として犯す予定の女の子を壊すのが勿体ないとか、色々と考えてたんすけど……」
テイムは大剣の切っ先を竜人に向ける。
おそらく彼の発言のほとんどに間違いが無かったのか竜人は今までの強気な態度が崩れていてビクッと震えていた。
「このあとの作戦のためっすよね」
「なな、何を言っている! 俺はここで獣畜生と鳥女を相手すればいいんだ! それ以上に何があるって」
「でもガルム兄貴の所って二対一っすよね? 兄貴と、この子の仲間と、お前の仲間。どう考えても不利な状況なのに放置するなんてよっぽど仲間の力を信用してるんすね〜? それでよくも仲間を信用しすぎた、なんて言えるっすね〜?」
「………………」
「ほら、こうやって長話してるのに力を使ってこないってことは使う度にリキャストがあるんじゃなくて回数に制限がある。残り一回は仲間との合流に使わなきゃいけないから何としても温存したいってことっすね」
頭は良くないと言いつつ言葉で竜人を追い詰めている。
テイムは対プロトタイプにおいての流れをよく知っているのかもしれない。
まず相手の力を予測し、使わせることで検証してどんな制限を課されているのか知るところから始める。
そして、その制限に関する対策を考え実行する。
今回なら力の内容はすぐに理解できた。
あとはどんな制限か知る必要があるけどテイムは少しだけ攻撃したりして様子見をして彼に力を使うように促した。
使ったタイミングと使わなかったタイミングによって時間か回数に制限があることが分かった。
あとは回数だろう、とカマをかけていればボロが出る。
そこで使ってくれば回数に制限がないから遠慮なく使うことができるということで、逆に動かなければ使ってしまうと次が無いから。
ガルムも異常だがテイムも十分に異常だ。
自分達の『拡張を望む者達』と比べて対プロトタイプに特化しすぎている。
いや、ガルムの場合は戦争経験が物を言うのかもしれないが、テイムはどちらかといえば戦ってきたようには見えない。
「どうするっすか? このまま続けてもお前に勝ち目はないっすよ。ご自慢の防御力だって俺には無意味っす。俺は兄貴と違って救済とか断罪とかする立場にないっすから戦う気がないなら逃してやるっすけど」
「こ、後悔するぞ! お、俺が入れ替えるってことはさっきの人間の女とお前の大切な兄貴とやらが死ぬことになるんだぞ!」
「どうぞ、ご自由にっす」
嫌な予感がしたが竜人は次の瞬間、この場からいなくなっていた。
その代わりに入れ替えられたのは竜人の言葉通りグラグラで、あちら側には敵が二人と捕まっているであろうユー、あとガルムだけになってしまった。
自分は体を引きずりながらテイムの足を掴んで声を掛ける。
「大丈夫、なの? 私達の、ためにガルムが……」
「兄貴は強いっすから。それに、俺より百倍は賢いっす。そうっすよね?」
「だ、誰だお前! てか、エイル! お、お前は大丈夫なのか!? 裸にされてるぜ!?」
「落ち着いて、グラグラ。この人は、ガルムの仲間よ。そっちにいた竜人に襲われそうになっていたのを、助けてくれたのよ」
なるほどな、と言って振り向くと先程の失礼な態度とは手のひらを返すように頭をペコペコさせながらテイムにお礼を言うグラグラ。
それにしても本当に向こうは大丈夫なのだろうか。
自分の不安そうな顔を見てテイムは頷きを返してくれる。
「兄貴はたぶん、こっちに救援に行けって言ったんすよね?」
「ああそうだぜ? 僕があっちにいると邪魔だしエイルが心配だからさっさと助けに行けってな」
「ということは入れ替えたあいつもそこにいる。合流できなかったから走って仲間の所に行こうにも竜より虎の方が走るのが早い。あいつがそこまで理解できるやつなら合流するよりも逃亡を優先するっす。だってもう入れ替える回数が残ってないから役に立たないっすよ」
「なるほどね。じゃあ、私達もガルムの援護に……っ!」
「あんたは大人しくしてるっすよ。ガルムの兄貴は俺が迎えに行くっす。あっちにいる女の子が魔法を使えるみたいだからガルムの兄貴から魔力さえ借りればこのくらいすぐ治せるっすよ」
本当に申し訳ない、と言葉を返そうとしたがテイムは走り出していた。
グラグラが心配そうに見下ろしてくる。
今は服もほとんど剥ぎ取られてしまった裸同然の姿なので、いくらテイムが上着を掛けてくれたからと言っても見下され続けるのは気恥ずかしい。
「見ないでくれる?」
「お断りするぜ」
「死にたいの?」
「僕はもう二度とエイルの顔が見れなくなると思って怖かったんだぜ? だから、見るの止めないしエイルからの憎まれ口も今だけは聞きたいんだ」
「…………どうしようもない、リーダーね」
――グラグラが居場所を交換される少し前。
もう一人の竜人がユーと入れ替わった瞬間、危機的状況を覆すのは難しくなった。
あの竜人が自分と他人の居場所を入れ替えることができるのだとしたらユーがいた場所、即ちエイルの近くに奴が飛んだことになる。
数秒ほどしか見てなくても分かること。
あの竜人はどう見ても近距離戦闘に長けている。ヴェイグと違って体の背中側や腕や足の外側はほとんどが岩のようなもので覆われていて、それらが奴の甲殻に当たるのだとしたら防御力も攻撃力も兼ねているはず。
つまり、エイルが逃げ切れなければ勝ち目はない。
もしエイルがあの竜人に負けるようなことがあればこちら側も敗北を認めざるを得ないことになる。
あの竜人はわざとヴェイグに捕まっている状態で居場所を入れ替えてユーが拘束された状態になるようにした。
これでユーは無力化できるし人質にもなるから自分達は動けない。
そしてエイルを負かした後は自分かグラグラと入れ替わればいいと考えているはずだ。
この場合、奴がどちらと入れ替わる方が得だと考えるか……。
「グラグラ! 今すぐエイルの方に走れ!」
「え? でも、いいのか?」
「エイルが心配なんだろ! 急げ!」
「わ、分かったぜ!」
グラグラはヴェイグを一瞥すると街の方に走っていく。
本当はこんな状況を作り出したヴェイグに一撃浴びせたいのだろうが仲間の方を優先したのだろう。
自分的にもグラグラに残られると困る。
奴が入れ替わるとしたら動きを封じることのできるグラグラ。
つまり、あちら側で戦闘が終わる前にグラグラをここから引き離して置かなければ一方的に攻撃されることになるのだ。
エイルが負けることはないと願いたい。
ただ、エイルが勝ち目を見出したとしても敵は避難のために入れ替わりをするはずだから対策をしておくに越したことはない。
ヴェイグはその後ろ姿を目で追いながらつまらなそうにしていた。
「見物客が多い方が面白いのですがね」
「何をするつもりだ」
「ナニを? 分かっているはずです。劣勢に陥った者に対してこちらには捕虜がいる。それも、こんなに可愛らしいお嬢さんがね」
「下種野郎が……!」
ヴェイグはユーを拘束したまま胸の上に手を這わせる。
明らかにヴェイグは呼吸も荒く興奮状態にあるように見えるため、ユーで隠れて見えないだけで、その後ろでは下半身を大きく膨らませているのかもしれない。
黙って見ているつもりもない。
しかし、ユーを傷つけずに開放してやる術もない。
そんな自分を見て葛藤していることに気がついたのかユーが口を開いた。
「ガルムさん、お願いです」
「ユー?」
「いずれ散ることに、なるんだったら……踏み躙られるより、綺麗に摘み取ってください。潰された見向きもされない花なんて、悲しいだけなのは分かっているでしょう?」
ユーの願いを聞き届けるべきだろうか。
どうせ死ぬことになるのなら、ヴェイグに凌辱され汚れた体で死ぬよりも、知っている者の手で終わらせてくれ、と。
いいや、終わらせるつもりはない。
ただ、彼女が言うように他人の手で穢された命ほど悲しいものはない。
自分も他人のようなものだが……せめてユーが望んだようにして終わらせるのが、情けなのではないだろうか。
痛い思いをさせて、ごめん。
心の中で謝罪を何度も繰り返しながら自分は先程から持ったままだった一本のナイフを前にかざした。
「な、何をするつもりです?」
「ユーが望んだんだ。お前に汚されるよりも、そっちの方がいいって」
ナイフを投擲し衝撃波を乗せて加速させる。
そうでもしなければヴェイグの体に傷をつけられないから。
ただ、ナイフ自体の攻撃範囲は狭くとも、それを押し出すために使った衝撃波によるダメージは間違いなくユーも受けることになる。
ナイフは、ユーの横腹付近を掠めていく。
後ろにいたヴェイグは体が大きいからユーの体にすれすれで飛んでいったナイフを避けきれず腹に刺さったようで、ユーを拘束する腕が離れて苦しみ始めた。
その隙に自分は一気に距離を詰める。
硬すぎてまともに攻撃の通らない竜人を破壊する方法で思いつくのは内側から強い力を暴発させることぐらいだ。
都合のいいことに奴の体内に衝撃を加えられる穴が二つある。
蜥蜴でさえ恐ろしい再生能力を有するのだから竜人はもっと再生能力が強い可能性もある。遠慮して復活されても困る。
痛みに慣れていないのか腹にナイフが刺さった程度で呻き声を上げている口の中に一発目を撃ち込む。頭部が破裂して周囲に赤色が飛び散る。
ただ、先程も言った通り再生されても困る。
念のために興奮して巨大化させていたものが飛び出している硬い鱗の隙間にも撃ち込んでおく。
完全にヴェイグが動かなくなったのを確認し、ユーの側に駆け寄る。
人間の体で『飽食還現』から放った衝撃波を受けたのだ。内蔵にまでダメージが通っている可能性もある。もしかしたら腹部に当たったとはいえ、他の部位にまでダメージがあったとしたら……。
「ユー、大丈夫か?」
「せっかく貞操は守ってもらったというのに、我儘で申し訳ありませんが、すごく汚いですよ」
「冗談が言えるなら大丈夫だな。ほら、さっさと治療魔法で治すんだ」
「実は、治す魔法に関しては初心者でして……」
不得手な魔法になると出力が低くなるという。
平然としているように見えるが間違いなく内出血はしている状況で出力の低い魔法を使っても治しきれるとは思えない。
それに魔力の消費量だってかなり大きいはずだ。
「なので、もう――っ!?」
もう終わりにさせてほしい。なんて言うつもりだったのだろうか。
そんなのは許さない。
自分の言葉に対してまともに返事を寄越せるような人間が傷を治せないのを理由に死のうとするのなんて許す訳がない。
自分は言葉を遮ってユーの唇に自分の口を重ねる。
一度離してユーの様子を見る。
「と、突然何を……!」
「まだ足りないか? じゃあもう一回だ」
「んぐっ!」
今度は舌まで入れる。
たしかイルヴィナの所で読んだ書物によれば魔力の伝達は接触によって行うものとされていた。
手を繋ぐだけでも魔力の伝達は可能だが手を繋ぐより抱き合った方が体温がよく伝わるように魔力の伝達も手を繋ぐよりそちらの方が伝わる。
ただ抱きしめて痛む部位を圧迫しても申し訳ない。
あとは本当のことか分からないが性的な行為によって送る方が早くて効率がいいと書いてあったような気がするからそれを試すまでだ。
さすがに息苦しかったのかユーが自分の肩を叩いて離れるように伝えてきた。
「足りるか?」
「あ、貴方には常識というものがないのですか!?」
「もっとか? 欲張りな奴だな」
「待ってください! た、足りてますから!」
さすがに口に手を押し当てられて拒絶された。
ユーは呼吸を少しずつ整えてから目を閉じると自らの腹部に手を当てる。
そこに緑色の優しい光が灯ると少しずつユーの表情にあった苦しげなものが消えていったように感じた。
どうやら治療魔法は上手く使えたらしい。
「ほ、本当に常識外れですね。不得手な魔法のはずなのに完治できでしまうほど魔力を譲渡するなんて……」
「まだ欲しいのか? いくらでもあげるぞ? いくら敵を倒すためと言ってもお前を傷つけたのも事実だからな。気の済むまであげるぞ?」
「も、もう結構です! その、ガルムさんが私を人として扱ってくれただけで十分以上のものを頂いたので……」
「そうか?」
まあ、魔物に育てられた時点で諦めていたユーにとっては一人の人間として扱ってもらえることほど幸せなことはないのだろう。
ヴェイグにもあくまで女というよりも物として扱われていた。
それと比べたら遥かに幸せだろう。
自分はユーに覆いかぶさるようにしていたのを止めて上から退ける。
すると、ユーは体を起こしてこちらに視線を向けると汗を流しながら奇妙なものでも見るような顔をしていた。
「そ、それはどういう状態なのですか!?」
「ん?」
「ガルムさん、そんなに小さかったようには思えないのですが」
「…………?」
ユーに言われて自分の体を足元から上に向けて確認していく。
言われてみれば着ているものが妙にぶかぶかしているような気はしたが体が小さくなっているとは思わなかった。
たしかに今日一日で四回は『飽食還現』の力を使っているし、魔力とはいえ自分の権能である『成長』の力でイルヴィナの権能の一部としてもらったものを他人に譲渡したのだから余力はある訳がない。
おそらく譲渡した分の魔力を体のエネルギーから充填したから譲渡する前と同じだけの魔力が残っている代わりに体が小さくなったのだろう。
今度から魔力譲渡する時はしっかりと食事をしてからにしよう。
「やっぱりこっちも無事だったんすね!」
「テイム?」
「騎士団から連絡を受けて手助けに来たっす」
「なるほどな。ダズロフの方は?」
「あっちは何とか退けたっす。こっちにあいつが居ないってことは完全に逃げたみたいっすね。とりあえずエイルって子が大怪我してるんで治療魔法を使えるなら助けてあげてほしいっす」
「どうだ?」
「一応言っておきますが魔力はさっき十二分に頂いたので足りています」
ユーがジト目で否定した。
足りているなら譲渡するつもりもないので別にそんな嫌そうな顔をしなくてもよいのではないだろうか。
とりあえずダズロフに戻らなければならないな。
しかし自分はかなり体が小さくなってしまっているのでユーを抱えて歩くには不便だ。
「テイム、ユーを抱えてやってくれ。一応病み上がりだ」
「了解っす」
「あ、ありがとうございます」
――後日。
ユーはダズロフを離れたくないという話だったがテイムが逃した竜人が戻ってこないという保証もなかったため、グラグラとエイルがしばらくダズロフに残って護衛するという話で落ち着いた。
二人は世話になった礼がしたいという意味合いもあったのだろう。
ユーとしても二人が残ってくれるのは心強いと言っていた。
自分とテイムは騎士団への報告のために本部へと出向いている。
キースからの情報通りにプロトタイプが魔物という軍を率いて戦争を企んでいたという報告をするのは気が引けたが事実なので伝えるしかない。
そんなことを伝えればプロトタイプが生きづらい世の中になるのは間違いないのだが……。
「では、そのプロトタイプは始末したということだな?」
「さすがに透明になれる奴を放置して二次被害が発生しても困るから拘束する手段もない以上は討伐するしかない。ましてや相手は他の種族を下等生物と罵るような竜人だ。生かしておいても後で面倒事を引き起こすだろうからな」
「うむ、貴様の判断は正しいと言えるだろう。ご苦労だった」
「いやいや、ちょっと待ってほしいっすよ」
キースが面倒事が片付いたならさっさと帰れと言わんばかりに背中を向けたのに噛み付いたのはテイムだった。
何か気に食わないことでもあるのだろうか。
「報酬は?」
「なんだと?」
「悪い冗談っすね。俺は勝手に兄貴を手伝うんだ〜って飛び出して行ったから関係ないっすけど、兄貴はあんたらから依頼されたんすよね? 依頼というからには報酬は支払われて然るべきっすよね?」
「兵器がそれとして利用されるのになぜ報酬など支払わなければならない」
「…………」
テイムの目が本気だ。
プロトタイプに対して騎士団からの扱いが悪いことはテイムも把握しているが、それを真っ向から否定する姿勢を貫いていたのも忘れてはならない。
この街でプロトタイプが商人として認められたのはテイムぶれない姿勢と平等主義によるものだ。
故に敵に回してはいけない。
ヒトだろうがプロトタイプだろうが関係なくテイムは差別的な意思の介在する意見を否定する。
おそらくテイムが納得してないのは「依頼」という形だ。
今回の仕事が「騎士団による徴兵」であり、力あるものが義務的に呼び出されたという形ならば文句はない。国民を守るためには必要な仕事だと言われれば納得するだろう。
だが、キースは依頼として自分に頼んだ。
これを聞いてテイムが黙っていられるはずがない。
自分のところの奴隷にだって仕事をしたらお小遣いを渡したりしている男だ。
「おかしいっすね。根拠のないプロトタイプに対する差別的な待遇はお偉方の決めた条約に反してるっす。兄貴はどちらかといえぱ暴れてるというよりも騎士団に奉仕してる側っすよ?」
「そ、それはそうなんだが」
「何か正当な理由はあるんすか?」
「騎士団として正規に発生させた依頼ではないから正式な手続きに基づかない依頼としてガルムに報酬を渡してしまうと……」
「それは騎士団の落ち度っすよね。兄貴には関係ないっす」
このままだとキースに辞表を書かせてでも報酬を支払わせようとする流れになりそうだ。
さすがにそれは可哀想な気がする。
騎士団として正規の依頼申請をできないのはヴェイグの件が不確定な情報によるものだったからというのが大きい。
騎士団の斥候が調べた情報ではあるが実際にどこかへ戦争を仕掛けようとしている証拠でも提出できない限りは正規に依頼を出して討伐させることはできない。
それを把握した上で引き受けた自分が悪いとも言える。
「テイム? そのくらいにしてやってくれないか?」
「ダメっすよ。ここで引いたら騎士団は兄貴を顎で使うようになるっす」
「現物支給したらダメって話は俺にも分かる。だから俺に対する報酬ではなくて、要望を叶える程度なら違反にはならないだろ?」
「ま、まあそうだな。頼みを聞いてくれたなら願いを聞くくらいは普通だろう」
ならば簡単だ。
自分に対する報酬という証拠も残らず、自分が叶えてほしいと考えること。
「ダズロフの復興支援をしてくれ」
「報告にあった生存者か?」
「そうだ。地図から消されてもあいつの中ではダズロフが消えることは無かった。別の街に移れと言っても聞かないだろ? それなら魔物も退けてることだし復興してやればいいんじゃねえか? そうすれば騎士団の名声にも繋がるはずだ」
「貴様はそれでいいのか?」
「…………そうだ」
キースは自分達が提出した報告書に情報を追加して部下に渡した。
デメリットとしては復興にかかるコスト。
しかし、それを考えたとしても騎士団にとって有利になることの方が多いのだから断る理由もないはずだ。
終始テイムはキースを睨んでいたが自分が決めたことにまで文句を言うつもりはないのか黙っていた。




