第35話「全ては計画の通りに」
――ダズロフ二日目の朝。
特に何事もなく夜を明かすことができた。
一応、何もなかったことはないのだが夜の会話に関しては自分とユーだけの秘密にしておくべきだろう。
後で揶揄われても面倒だ。
今日は古城の方を調べる予定だが、その段取りを今のうちに決めておく方が優先だ。
「現状で分かってることだがダズロフの街には目的の奴はいない。いるとしたら外だ」
「姿を消すプロトタイプなら見つけられなかっただけじゃなくて?」
「それはない、と断言はできないが可能性は低い。奴がアブソルートとして真化を発揮しているなら分かるが……」
グラグラの意見は分かる。
姿を消すプロトタイプと聞いて目視することができないという意味で「消える」なら自分やガルムの嗅覚には反応する。
現場には存在するのだから気配を察知できるはずだ。
そもそも獣人という種族が獣と同じで匂い、音、気配に敏感なのは言うまでもない。その全てを完全に消さない限りは消失することはない。
本当の意味で存在が消失するような権能だと太刀打ちできない。
匂いも無ければ音も立たない。勘に任せて攻撃しても通り抜けるともなれば成す術なく敗走するしかないだろう。
しかし、これは主催者からすればゲームだ。
負け確イベントほど面白くないものはない。
さすがに相性の良し悪しはあるとしても姿を消すことができるプロトタイプに対して探知に秀でた獣人で敵わないことはない。
だから用意された駒としての権能は姿を消すだけ。存在はしている。
あとは本人が力不足を認め、消失することに関する強い願いを持って真化を発揮でもしなければ自分達に勝算がある。
「それに姿を消す奴だけじゃなくて、そいつが率いてる軍隊を相手にしなきゃならない。まさか数十人や百人単位を消せるわけないんだから古城に潜伏してると考えるのが妥当だ。まだ進軍を開始してないって前提だな」
「そんなに相手するのか?」
「無理だぜ? いくらなんでも戦力が足りないぜ?」
「だから戦力の分散をしようと思う」
エイルとグラグラは顔を見合わせて首を傾げている。
元から足りない戦力を分散させたらもっと不利な状況になるというのに何を考えているのだろうという顔だ。
そこはもう戦略の話になってくる。
「敵が一人じゃないなら一人増えようが二人増えようが同じだ。だから分担すればいいんだよ」
「分担?」
「単体相手なら俺、もしくはグラグラ。一対一だとエイルは戦いにくいだろ?」
「距離を詰められたら後手に回るしかない。私の場合は前衛がいる前提になるわ」
「いるだろ、ここに二人も前衛が」
そこで二人も理解したらしい。
別に戦いは当人と相手の近辺を囲んだ円形の闘技場が戦場ではない。
ある意味でこれは戦争。その戦いの渦中にある者達を、その周辺の土地を全て戦場として考慮しなければならない。
古城に自分とグラグラが前進したならそこまでが自分達の領域だ。
人数が確保できるならば全員が前線に出るよりも後方支援として何人か残しておくのが定石。遠距離攻撃が可能な者や支援系の能力なら確実に後方が適任。
そもそも自分とグラグラは肉弾戦もできるがエイルは投射物、自分の羽をナイフとして投げることができるプロトタイプだ。前衛に配置するべきではない。
前衛二人、後衛一人…………いや、二人の布陣だ。
「少しよろしいですか?」
「ユー?」
「私は街から離れたくありません。ただ、もしもエイルさんを後衛として街から近い位置に待機させるというのであれば少しくらいはサポートできます」
「具体的には何ができる?」
「それはエイルさん次第です。補助魔法でエイルさんの特性を強化することができると思います」
「エイルは基本的に投擲攻撃だぜ」
「それなら精度の補正くらいは可能です」
「とても助かる。距離が遠くなればなるほど私の攻撃は精度が落ちてしまう。その精度をどうにかしてもらえるなら私も後衛に配置されても良い仕事ができるはずよ」
「先に言っておくが俺とグラグラは獣人だがすごい速度で飛んでくるナイフ、しかも投げてる相手が見えない状態じゃ回避できるか分からない。あくまで後衛の目的は戦力を削いで前衛が戦いやすくすることだ。回りにいる敵兵を殲滅すればいい。大将は俺達でどうにかする」
エイルは分かっている、と頷く。
前衛の援護のつもりで対象の首を取ろうと攻撃したら誤って味方に当ててしまいましたなんてことは敵味方の入り乱れる戦場ではよくあることだ。
その点、エイルの判断力は問題ない。
有翼型の獣人は空を飛ぶ際に色々な条件を考慮して飛び立つ。気温や湿度、天候、風向き、それらによって最も最適な飛び方や飛ぶ高さを判断する。
ほとんど直感にも近しい。
慣れているからこそ瞬時に判断できるというのもあるが天敵を前に飛び立つ前の予測などしていたら逃げ遅れてしまう。
つまり有翼型の獣人は空から獲物を狙う狩人でありながら逃走者でもある。
そんなエイルなら無理のある動きは要求してこないだろう。
「じゃ、僕はガルムとデートしてくるんで」
「仕事だ」
「エイルもユーちゃんと仲良くするんだぜ〜? あ、仲良くなりすぎて仕事そっちのけでイチャイチャしてたら覗きに来るから」
「グラグラにだけは言われたくないわ」
「本当に下品な方ですね」
「え……?」
二人揃って切れ味の鋭い言葉を投げてきたことでグラグラは耳をぺたりと伏せて落ち込んでいるようだった。
悪いが二人の意見はごもっともなので擁護できない。
――ダズロフの古城。
ダズロフの古城は領主が使っていたものというだけあって構造はシンプルでありながら簡単には崩れないように考えられているらしく、誰も使わなくなった今でも所々の煉瓦が歯抜けになっているものの目立った損壊も見受けられない状態だった。
逆を言えば魔物や動物が寄り付かなかったということ。
定期的に近くを通った商人が休憩場所として利用したり、または盗賊などが潜伏場所として使っている証拠。
ユーが不憫でならない。
こんなに近くまで人間が来ていたのに誰一人としてユーの存在を認知しなかった。
いや、今はそんなこと気にしてる場合ではない。
隣りにいたグラグラが耳を立てて何かに反応している。
何かではない。霧が掛かっていて見えなかったわけでもないのに目の前に突如、人型の蜥蜴が現れれば当然だ。
「今日は獲物が二匹、ですか……。少々物足りないような気がしますが腹の足しにはなりますかねぇ」
「なあなあ、蜥蜴がなんか言ってるぜ?」
「私は蜥蜴ではない! 誉れ高い竜人です! これだから知識の薄弱な獣は……」
あまり煽るものではない。
戦場では落ち着きを失ったものから死に近づくというが、逆に本当の実力を発揮してしまうパターンもある。
実力というよりも最初から本気、という方が正しいか。
それに竜人ともなると面倒な相手だ。
硬い鱗に覆われているせいで並の攻撃ではほとんどダメージを与えられないし魔力の循環量でも遥かに上をいく。
さらに姿を消す権能の持ち主という最悪の条件。
こちらが二人しかいないのを見て勝ち目を見出したから姿を現したのか?
「お前が『姿を消す権能』を持ったプロトタイプか?」
「獣の割には知っているようですねぇ。では、状況も把握しているということで?」
竜人が言葉を発すると古城の中から続々と魔物が出てくる。
中には何かが潜んでいることくらい知っていた。キースからは「賊を率いて進軍している」と聞かされていた。
街や国を落とそうと考えているならば人数もそれなりにいることは想定した。それも踏まえてエイルを後衛に配置した判断は間違っていない。
ただ、魔物だとは考えていなかった。
知性を持つ魔物は少なく知識を有する者は力を持ち、言語を操る者なら幹部クラスを与えられている。そのくらいなにかに従って動くことができる魔物は珍しいものだ。
それが、見えるだけで二十は居る。
並以下の魔物なら騎士団で対応可能だが、ここまで知識もあり統率の取れる魔物が団体で攻めてきたら勝ち目はない。
奴の言う状況は、こういう意味か。
あと、この竜人は……。
「やはり獣は獣でも、そっちの犬は戦場経験者。それなりの場数を踏んでいると見える」
「お前と話す価値が見出せない」
「どうしてでしょうねえ? これでも私は『賢竜ヴェイグ』と呼ばれた者ですよ?」
「ただの卑怯者だ!」
「おいおい、ガルムはどうしちゃったんだよ。そんなに怒鳴らなくたって……」
グラグラは落ち着かせようとして、自分の顔を見て理解した。
冗談では済まされない理由があって吠えているのだと。
さすがにどういう相手かも分からなければグラグラも戦いにくい。自分が感じ取ったことを伝えるべきだ。
「俺がまだプロトタイプとして使われていた頃の話だ。俺の権能はほとんど身体能力の強化みたいなもので特殊なことを出来るわけじゃなかったから戦い方は一般的な兵士と同じものを教え込まれた。敵に囲まれた場合、味方を退避させる場合、敵の数が多い場合。色々なケースを想定した兵法を教えられて、その教本の著者の名前には頻繁にその名前があった。賢竜ヴェイグ、って」
「じゃあ、僕達が戦おうとしてる奴は戦いのプロなのか?」
「違う、奴はそんな評価を得ていい男じゃない。俺が知ってる教本はどれも第三者目線で記されたものだった」
「…………」
ヴェイグの顔に曇りが見える。
本来ならば教えを求める者たちは物語や教本の視点など気にはしないはずだった。
今のグラグラのように首を傾げるのが普通。
それを、読んだ上で著者の視点まで理解しようとするのは評価する者の仕事であり、それを学習に使う兵士が知るべきではないもの。
「ヴェイグ、お前は自分で戦ってなんかいない。皆が、仲間が必死に命を懸けて戦っているのを傍観し、あくまで客観的に敗北した理由を判断して戦略として組み込んだだけだよな?」
「え? でも、あいつも戦場にいるんだろ?」
「何のための『姿を消す権能』だ? プロトタイプは願いを元に力を与えられる。それを利用する連中はプロトタイプの戦略的価値に意味を求める。敵への奇襲だけなら気配に敏感だし無茶な動きにも対応できる獣人で十分だろ? なら『姿を消す権能』は何のためだ?」
「ふふ……フハハハッ! 面白い、そこまで考え至ったのですね?」
「実戦から得られる経験は多くとも死んでは意味がない。ならば知識だけでも持ち帰らせようとした。あいつは仲間を見殺しにして自分は姿を消して逃げる最低な男だ!」
逃げることが間違いだとは言わない。
相手の情報を得るために潜むのも必要なことだ。
しかし、ヴェイグのやり方は当時、戦場でたくさんの仲間の死を見てきた自分にとって認めてはならないものだ。
ヴェイグが記した兵法にこういうものがある。
主戦場から退き、敵に追われ傷つきながらも相手を孤立させることができた場合。
これに関して前提となるのは「自分は負傷している」ことと「敵は追いかけるのに夢中で単独」という点。
自分が取るべきは刺し違えてでも相手を殺すこと。
もし、一歩及ばぬのなら己の死体と共に葬るのが良。
ヴェイグの兵法は主に敗北から見た改善点というものが多く、この話に関しても敗北から改善したのだとすれば味方は敵に殺され、その敵は本隊に合流していることになる。
つまり、ヴェイグは仲間が殺される瞬間も、敵が逃げる瞬間も何もしていない。
正真正銘の卑怯者だ。
グラグラから躊躇うような表情が消える。
相手が同じプロトタイプだからと捕まえるだけでいいなんて考え方は不要だ。
ヴェイグも戦う姿勢だ。後ろに待機させていた魔物を前に出した。
「私を否定しようとも戦い方をそこから学んだのでしょう? では、このように強敵に対して人数で負けている時はどうしろと書かれていましたか?」
「ガ、ガルム!? どど、どうすんだ!?」
戦いの経験が少ないグラグラはさっきの覚悟はどこへ行ったのやら慌てている。
まあ、相手を殺す覚悟と死ぬ気で戦う覚悟は別物だから仕方がない。
ヴェイグが考えた兵法では「自分達の戦術的領域を後退させないため少しでも遠回りをしつつ敵陣へと踏み込む」だ。
要約すると死ぬなら味方に迷惑をかけるな、だ。
もしかしたら敵を自陣から引き離して死ねば味方は多数の強敵をどうにかする策を考えられるかもしれない、という意味らしい。
つまり自分とグラグラはこの状況に太刀打ちできず死ぬと言いたいらしい。
自分はヴェイグに考えを悟られぬように目線は動かさず、小さな声でグラグラにだけ聞こえるように指示を出す。
竜人は犬獣人ほど耳は良くない。
「小さい範囲の重力操作なら複数でも可能か?」
「まあ、特定箇所ならできると思うぜ?」
「なら人型の魔物は頭部に、飛行型の魔物は胴体付近を重くしろ」
「何を考えてるか分からないけどりょーかい! 魔物は人の命を奪う連中だし軽視はできないんだぜ〜」
グラグラが手を前にかざすと走っていた人型は頭部が急に重くなり前側にあった重心がより前に引っ張られて転倒する。
飛行型の魔物に関しても胴体が重くなり普段は翼で支えられていた重さを過剰に超えたために落下していた。
自分がヴェイグと話をしている間にエイルからの援護はなかった。
これが不可能だったからではなく、様子見をしていたからたとすれば……。
ヒュッ!
複数の風切り音がほとんど時間差もなく飛んでくる。
それらはグラグラの力によって移動できなくなっていた魔物の脳天を的確に射抜いて全て討伐した。
「最高のタイミングだよ、ほんとに」
「え、すごっ! エイルって補正さえあればこんなことできるの?」
「グラグラもナイスだ。ちゃんと奴等の動きを妨害してくれたからこそ成功した」
「だろだろ!? 後でガルムにわしゃわしゃ〜って頭撫でてほしいぜ!」
面倒なので今やろう。
グラグラの頭を撫でてやりながらヴェイグに視線を向ける。
自分の予定にない行動をされて不愉快そうな顔をしているが慌てている様子もない。まだ何か作戦がある様子だ。
「お前の兵法には信じるとか協力するってもんが足りない。ちゃんと仲間の能力を把握して組み合わせれば決定打に欠けても補えるんだぞ」
「ちっ。獣風情が上から目線で説教など、見苦しいですよ?」
「二対一の兵法とやらはちゃんと機能するのか?」
グラグラが先行して距離を詰めるとヴェイグの顔目掛けて右手を振るう。
それを当たる少し前に左手で受け止めたヴェイグはそのままグラグラの拳を顔の前側を通るようにして振り抜かせる。
自分はそのタイミングに合わせてヴェイグへ攻撃を仕掛けた。
いや、仕掛けるはずだった。
グラグラがヴェイグの前を通過するということは視界が塞がれているのだから完全に隙が生まれるはずだった。
竜人は犬獣人と違う。
嗅覚も聴覚もそれほど高くはないはずで、普段から足音を殺して生きているような自分の動作を知る術は無かった。
しかし、自分が拳を振ろうとしたグラグラの奥にはヴェイグの姿がない。
ただ幸いにも嗅覚で見つけることはできた。
ヴェイグは自分が見失っていると判断し、その隙に姿勢を崩しているグラグラを仕留めようとしていたらしく大口を開けてグラグラの喉笛に噛みつこうとしている、のだろうか。
匂いがもやもやとした煙のように形作る姿はそんなふうに見えた。
ここで優先すべきは……。
考えた時点で負けだ。仲間の無事に決まっている。
「食らうならこっちだ!」
「うぐぅっ!」
ヴェイグの開いていた口へ向けて拳を向ける。
同時に自分の装備であるガントレット『飽食還現』に余力を込めて放出する。
放出された衝撃波を直撃したヴェイグは呻き声をあげて距離を取ったが出血させられるほどのダメージは与えられていない。竜人の頑丈さはやはり簡単には崩せないようだ。
グラグラは……いちおう無事だ。
ただ、噛み殺されそうになったという事実はそれなりに堪えているようだ。
「あ、あいつって本当に戦ったことないのかよ」
「自分で戦ったことはなくても戦闘をずっと見てきたんだ。素人ではないだろ。それに自分達は無意識に奴の考え通りに動いてる」
「二人で同時に攻撃するのは?」
「それも読まれるな。二対一においては時間差で攻撃して隙を埋めて考えさせる間もなく攻撃し続けるか、逆に同時に攻撃して回避を難しくするか、っていうのは奴の考え云々以前によくある作戦だ」
どうにかして思いつかないような攻撃をしなければいけない。
それにヴェイグに姿を消されたせいで輪郭がはっきりしないモヤを相手に戦わなければならず、もしも拳と拳のようにこちらの攻撃に対してヴェイグが相殺しようと攻撃を被せてくれば自分達が負ける。
鱗を持つ者と毛皮を持つ者では硬さが違いすぎる。
ヴェイグはよっぽど自分の鱗による天然の防具に自信があるのか防具どころか服さえ身に着けていない。文字通りの裸だった。
いや、逆に言えばそれが弱点になるからしないのだろうか。
考えうる可能性……。
例えば自分以外の物も透明にできるとして、古城に潜伏させていた魔物は一切隠そうとしなかったのは?
数が多くて彼らを消そうとすると不利益が生じるから。
もはや予測できない権能は全て仮定していくしかない。
そもそも彼の権能が『姿を完全に消す権能』だとすると効果が強すぎる。
ただし、強すぎても制限を与えればどうにかなると運営側は考えたはずだ。
レインのように複数の強力な力を持っている者でも『権能を無効化する権能』を与えたのは彼女が持つ能力自体が制限付きで、権能も強い精神力がある者でもなければ制御しきれないものだから。
つまり『姿を消す権能』はあってもおかしくはない。
制限は……魔物を消していなかったことを考えても数の制限だろうか。本当に自信があるのかもしれないが服を身に着けない理由も服は自分とは別に消す必要があるからと考えられる。
自らを賢竜と呼び、自分達を獣と罵った者が獣のように服も身に着けずに歩いているのは不自然だから可能性は高い。
あとは匂いだ。
自分の姿が消えても匂いが残っているのは制限と判断してもいい。
「あいつに指定数以上に力を使わせたら……」
「いつまでも作戦会議していては相手も待ってくれませんよねえ。面倒なので話し合いができないようにしてしまいますか」
「グラグラ……!?」
瞬きしたタイミングだ。
自分の目の前からグラグラが消えた。
すぐ近くにいたはずなのに、視界に映らなくなっただけではなく、ヴェイグが姿を消しても居場所をある程度は見分けられた嗅覚でさえグラグラの匂いを感じ取れなくなった。
――姿を消されたグラグラ。
ヴェイグに何かをされたのは理解した。
何が起きたのか自分には理解できなくて、さっきまで普通に話していたはずのガルムと目が合って理解した。
ちがう、本当は目は合ってない。
彼の視線は微妙にズレていて、自分の名前を呼びながら視線を彷徨わせていたから、自分が消されたんだって思うしかなかった。
結局は自分なんて、その程度の存在。
いつも忘れられた。
どんな時でも最後まで気づいてもらえなくて、後回しにされて、与えられるべきものも受け取れない。
ただの空気みたいなのが自分。
もういっそ空気みたいに軽い男になろうと思った。
何事もテキトーで、風みたいに掴みどころがないくらい自由で、そんな生活をした方が気持ちを落ち着けられた。
そうしたら、意外と見つけてくれる人が多かった。
自分も、他の人を妬まずに見れるようになった。
「お前みたいにテキトーな奴に任せてみたらさ、どんな結末になるのか最後まで絶対に予想できねえから楽しいじゃん?」
たったの一度、自分に権能を与えた彼はそう言っていた。
与えられた権能は「軽いものはより軽く、重いものはより重くする」くらいの雑な説明をされた。
自分にはそれで十分だった。
自分は軽く、他人は重く。
軽い価値観で生きようとしていたら自分のことを大事に思えなくなって、それがどんどん自分を軽くしていって、そうやって自分を軽視するようになったら自分と同じように、いや、自分以上に苦しんでる奴や困ってる奴が居るって気がついた。
それが『拡張を望む者達』だ。
なら今回も自分の役目は捨て身だろう。
こうなってしまってはガルムから自分を認知してもらうことは不可能で、今までのように協力してヴェイグに攻撃しようにもお互いに攻撃し合って仲間同士で相打ちになる可能性もある。
だから、先手を打つ。
相打ちになって仲間だと言ってくれたガルムを傷つける前に自分がヴェイグの動きを封じて勝機を見出す。
ガルムが自分の能力について話していないのに特性を知ってくれていたのは素直に嬉しかった。
誰も自分をグラグラとして見てくれなかったのに、ガルムだけは……。
いや、ちがう。
ガルムだけではない。エイルやユーも。ギガスやあの子だって自分を認めてくれていた。
ここで最期だとしたら、悲しいな……。
「うおおおおおぉぉっ!」
自分より他人は重い。
ヴェイグを重くして動きを封じることは可能だ。自分の目ではっきりと見ることのできる距離なら制限はない。
あとは確実にそこに居ると分かるように、見えるように印を付けるだけ。
それなら簡単だ。
ガルムが使った衝撃波でも傷は付いても出血まで至らなかったなら爪なんかでは傷もつけられない。
だから、自分の犠牲で確実に勝ってもらえばいい。
無作為に飛び込み、さっきと同じようにヴェイグへと殴りかかる。
無意味な攻撃を前にヴェイグは嘲笑し、自分の顎を手のひらで突き上げて無防備になった内側へ大口を開くだろう。
それで自分を食えばいい。
自分の血で汚れればお前の姿は透明になれない。
グラグラと、グラグラの中に流れていた血は別物だ。グラグラという外側を消せば同時に中を流れるものも消えるかもしれないがグラグラという入れ物を壊して外に飛び出したものは別物として残る。
そこでヴェイグの体を限界まで重くすれば、ガルムが倒してくれる。
しかし……、
「伏せろグラグラ!」
――グラグラが特攻を決意した直後のガルム。
「お前はすごい奴だよ。こんなに複雑な感情ぶつけられたのは初めてだ」
自分が前に伸ばしている手の直線上。
そこにはナイフが首を掠めて出血している竜人の姿がある。
本当は出血させれば姿を確実に視認することができるだろう程度に考えていたのだがかすり傷では済まなかったから慌ててしまい力が解けたのだろうか。
足元にグラグラの姿も視認できる。
「こんな、簡単に……! 相打ちの可能性は、何よりも避けるべきことのはすです。それに、はっきりと姿も見えぬというのに」
「そうだな、首に当たったのは偶然だ。すまんな」
「どういう、意味です?」
「お前の姿は見えない。匂いで居場所くらいは分かるけど輪郭が捉えられないから下手に攻撃できなかった。カウンターの可能性があるからな」
殴ろうとした所に攻撃を被せられると自分が負ける。
それは確実だった。
だから相手の攻撃が絶対に来ないという保証がなければ接近戦はできず、形がはっきりしないものを相手に無闇に衝撃波を使って消耗するのも避けたかった。
そこにグラグラの思わぬ行動だ。
「お前のせいでグラグラに関しては姿どころか匂いも分からなくなった。それがお前の権能の制限だろ? 自分は匂いまで消すことができず他人は完全に消し去る」
「ならば、グラグラの姿も見えずに攻撃を?」
「んなわけないだろ。そこはほら、グラグラの顔を見れば分かるだろ?」
地面に呆然と座り込んでいる犬獣人の顔には涙が伝っていた。
グラグラはそれを慌てて拭うとヴェイグから少しだけ距離を取る。
「死にたくないけど仲間は勝たせたい。それに仲間を傷つけるのはもっと嫌だ。そんな風に考えていても、自分のことをどれだけ軽く考えるようにしても、やっぱり死ぬのは怖いんだ。恐怖や親愛、そういう感情が爆発してたら嫌でも分かる。俺の嗅覚はそういう感情にも反応するからな」
「ガルム……」
「だからグラグラ、お前は偉い。ちゃんと仲間のこと考えてるし、自分のことを諦めてもない。命を捨ててでも勝てばいい、なんて考えてたかもしれないけど心の奥底ではちゃんと自分自身を大切に思ってたんだ」
グラグラは拭った先から溢れてくる涙に戸惑っていた。
彼としては自分の身を捨てるつもりで特攻したのだから本心になんて気づきようもないし、気づいていたとしても止まらなかっただろう。
だから、今は向き合えなくても仕方がない。
自分は見えていた理由を説明した上で魔物に刺さっていたナイフを一本だけ抜き取る。
「あとはグラグラに当たらないようにヴェイグにこれを投げたんだ。一回失敗してもグラグラに離れてもらって何回でも投げればいい。それに絶対に当てる自信はあった。これがあるからな」
「さっきの、衝撃波を使ったのか?」
「使い方は違うけどな。投げたナイフを加速させるために力を加えた」
「獣の割にはしっかりと考えたようですね」
「降参しないのか……?」
何かがおかしい。
ここまで来てまだ余裕を残しているのは何故だ。
その答えは古城の中から出てくる。
ヴェイグと同じ竜人……それもヴェイグと比べて体格が一回りは大きそうな男だ。
それは何故かヴェイグの前に立つ。
暗黙の了解とでも言うのか二人は何も言葉を介すことなく、ヴェイグはその男の首を腕で捕まえて身動きを取れなくし、拘束された状態の男はこちらに視線を向けると嫌な笑顔を浮かべる。
そして、次の瞬間、ヴェイグの腕の中から消えた。
代わりに自分達が予想し得ない相手がそこに収まる。
「なっ、え……?」
「形勢逆転とは、こういうことです」
「ユー!」
そう、さっきまで謎の竜人がいた場所に同じ姿勢でユーが囚われていた。
自分もグラグラもその時点ですべてを察した。
謎の竜人がいた場所にユーが来たということは、元々ユーがいた場所には……。
最初に作戦を話し合った時点で決めたことだ。
エイルは近距離戦闘ができないから一対一にしてはならない、と。
向こうでは一対一の状況。こっちはこっちでユーを人質に取られた状態になったのだ。
「作戦は一つ用意するだけでは足りない。複数あって勝率を高くするものです。さあ、獣よ。万策は尽きたのでは?」




