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偽物でも許されたい  作者: 厚狭川五和
『己を軽んじる者』グラグラ
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第34話「醜くとも、芽吹いた花」

 ――ダズロフの街。


 今は地図上から名前も、その名残さえも消されてしまった街。

 まだ名前が知られていた頃は国同士の外交において中継地としての役割を担っていたために人通りは多く栄えていたという。

 街の外れの方にある古城は物好きな領主が夜な夜な街の人間を招いて宴会をするためにだけ存在していたとも噂されるほど、それだけ街の雰囲気としては明るい方だったのだ。

 魔物によって襲撃されるまでは……。


「僕はもっと見てて楽しい場所でデートが良かったぜ」

「デートって言うな! 大事な仕事だぞ」

「本当にグラグラには節操がない。呆れてしまう」


 本当は自分だけで向かうつもりだったが騎士団の本部を出る時にすれ違ったグラグラが「訳あり顔だな?」と興味本位で尋ねてきたのでタイミングが良いとキースからの依頼に誘ったのである。

 快諾したグラグラと違ってエイルは強制連行だった。

 理由としてはグラグラのお目付け役が半分。

 残りは単純に役に立つから手伝ってもらおうというグラグラの意見。


「エイルは無理に参加しなくていいんだぞ? 今回の仕事的に嗅覚が優れていることが前提になるかもしれないから……」

「お気遣いなく。私にもできることはあると思う。空中偵察とか、目は良い方だから。違和感とかに気づけるはず」

「そ、そうか」


 仲間はずれにされたとでも思ったのかエイルの口数が増える。

 エイルとはあまり話していないのもあるがどういう正確なのか詳しく知らない。他と比較すると自分から話をするのは得意ではなさそうだという印象が今のところである。

 ただ彼女の言う通り空中偵察は自分達にない技能。捜索するという点では重要な情報源となるし敵の状況を探るにも安全を保ちつつ確認できるのも強みだ。

 そう考えると二面性が取れていいかもしれない。

 広範囲の索敵はエイルに、狭い場所や暗闇での索敵は自分かグラグラが担当すればいい。

 まずは街の方に隠れた敵勢力が居ないかの確認だ。

 ここで敵勢力の存在が確認できなければ戦うべき相手は全て街の外れにある古城の方に潜伏していることになる。

 と、どのように動くか段取りを考えているとグラグラが今更のように自分のあることに気がついて質問してきた。


「ん? そういえば神様は置いてきて良かったのか?」

「良くはないけど理由はある。ノエルはノエルで考えがあるらしい」

「ふーん?」


 正確にはノエルの考えではなく、自分の考えに対してノエルが判断した。

 今回は自分と一緒にダズロフへ向かうよりもあっちに残ってするべきことがあるという判断なら俺は口出ししない。

 それは自分が感じていた違和感に対する行動だったりもするのだから。


「それにしても違和感が半端ない場所だぜ」

「そうね。グラグラにしては周囲をしっかり見ているみたい」

「褒めたって何も出ないぜ?」

「たぶん、エイルは褒めてないぞ」


 戯れているグラグラとエイルは放置して自分も違和感を感じているので道の隅に咲いていた花を見る。

 人間が離れた後に環境さえ整っていれば植物が自生することは珍しくない。むしろ動物が代わって生活しているくらいが自然とも言える。

 しかし、どうにも不自然なものがある。

 道端に咲いている花。それ自体は特に気になることはないのに一部だが途中で手折られているものがあるのだ。

 魔物か動物に食べられた?

 いや、それにしては中途半端に残しすぎている。

 所々に違う種類の花が咲いていて、その種類ごとに数本ずつ食べるような理由は考えつかない。


「私が空から確認しようか? 何かいるかもしれない」

「いや、それが敵なのか分からない間は刺激したくない。それに敵は敵でも魔物なのか人間なのかで俺達が取るべき対応も変わってくる。申し訳ないが俺達の嗅覚で地道に捜索する。エイルの索敵能力や殲滅力はどちらかといえば本番向きだから今は温存しといてくれ」

「くぅぅ! ガルムは流石だぜ〜! 僕じゃ指示は出せてもそんな気遣いみたいな台詞は出てこないね」

「グラグラは開き直らないで。分かっているなら今後は気をつけなさい」

「はいはい、どうせ僕はリーダーに向いてませんよぉ」


 そう言って一人で先に歩いていくグラグラの背中を見てエイルが呆れたとばかりに肩をすくめている。

 性格的にリーダー向きではない。

 どちらかといえばグラグラはお堅いリーダーが冷やしきった空気を緩く落ち着かせるようなポジションが似合っている。

 グラグラがこの位置に落ち着いたのは誰も先頭を張って誘導していこうという者がいなかったことが原因しているのだろうが、エイルやギガスはどうして彼のような軽い感じの者をリーダーにしたことを容認しているのだろう。

 ありがちな話だとグラグラが駄々をこねた説はあるな。

 今だって勝手に先に進んでいるし、何かを見つけたのか道沿いの家屋を指で示しながら飛び跳ねている。


「二人共! ここになんか居るみたいだぜ!」

「おい馬鹿! 迂闊に人数を知らせるような声を出すな!」

「なんでだよ」

「何か居るのは分かったけど敵だったらどうするんだよ。まあ…………敵でもなければ逆に俺達に怯えているようだし心配する必要は無かったかもしれないが」


 家屋の入り口の少し手前まで来た時点で自分の嗅覚が仕事した。

 中にいる人物の緊張感。とても普通ではない早さで聞こえてくる鼓動と汗の匂い、それから押し殺しているようだが不安を呟く声。

 しかも声の主は女だ。

 仮にエイルやレイン並の戦えば無傷で捕えるのは厳しい相手だったとしても怯え方からして戦い方も知らないような初心者。今のグラグラほど油断していなければ大怪我を負うような心配もいらないはずだ。

 とはいえ窮地に陥った生物を侮ってはいけない。

 世の中には起死回生の一撃というものもある。

 逃げ切れず食われるのを待つばかりの草食動物が口を開き迫る肉食動物に逃げるためだけに特化していた脚力を転じた強烈な蹴りを食らわせた事例もある。

 今まさに犯される寸前だった女が貞操を穢されるくらいならと立ち向かい襲撃者の男を刃物で一突きにしたという話も。

 つまり、相手がいかに弱かろうと油断禁物。

 そして刺激しすぎないことが大切になる。


「なあなあ、ここで何してるんだ〜?」

「あの馬鹿犬……!」


 どうして紛いなりにも組織のリーダーをやってる人間が危機感を持っていない。

 気軽に家屋の中に踏み込んでいったグラグラは足を一歩だけ踏み入れた瞬間、その足元に魔法陣が展開されてすごい勢いで外に吹っ飛ばされていた。

 しかも道を挟んで向かい側にあった家屋の裏側まで飛ばされていった。

 さすがに死んでないよな。無事だとは思うけど放置しておくのも危険だ。


「エイル、悪いんだが迎えに行ってやってくれないか?」

「そのつもり」


 エイルが飛び立ったのを確認して再度、家屋の中に視線を向ける。

 先程の相手が弱かろうとという発言を訂正する。

 この女はプロトタイプが相手でなければ普通に危険な相手。数人がかりでも生存するような奴だ。

 さっきの魔法は設置型ではない。

 設置型の難点は事前に魔法陣に魔力を流し込むことで魔法の性質や威力を固定しておく必要がある。誰が踏むのか分からない状況においては味方になる可能性のある者さえ傷つけてしまう危険なものだから籠城戦等では有効だが街中で使うような魔法ではない。

 まあ、そもそも周囲皆敵と考える奴なら別だが。

 その線は薄い。

 中から小声で「誰か、助けて……!」と聞こえている。

 救いを求めるやつが誰彼構わず攻撃するはずはない。

 と、魔法が設置型ではないという説明はしたが何が危険なのかといえば無詠唱だったことだ。

 グラグラが吹っ飛ぶまでの間に何も詠唱のようなものは聞こえていない。

 つまり無詠唱で正確な座標に魔法を発動させた上であれだけの威力を出せる女が中にいるのだ。

 さっきの魔法も足元から突き上げるような方向に発動したから体を吹っ飛ばされただけで済んでいるが、あれを頭に向けて横向きに発動されていたらと考えると目も当てられない。

 自分は周囲に意識を向けながら家屋に足を踏み入れる。

 先程と同じように足元に魔法陣が展開されたが効果は発動しない。

 展開した魔法陣に同じ量の魔力を流し込み相殺してやれば発動はしない。そのために魔力の量と力の方向性、それから性質を全て把握しておかなければならないが一度見ているので難しくはない。

 魔力はイルヴィナの力で増大されている。

 力の方向性はグラグラが飛んでいった方向。

 性質は威力こそあったがグラグラの体に外傷が無かったことから圧力と推定。

 そこまで分かれば魔法陣が展開されたタイミングに合わせて打ち消すだけ。獣人の反応速度があれば間に合う。

 同じ要領で次々に展開される魔法を無効化して前に進む。

 奥の方で毛布に覆われた状態の女の前まで行って静かに毛布を剥がす。


「随分と魔法の腕が良いな。教えてほしいくらいだ」

「な、何者なのですか? 私の使った魔法を全て打ち消されていたようですけれど」


 どうやら話はできそうだ。

 かなり緊張していたようだが自分の元まで辿り着かれた時点である程度の覚悟は決めていたのか拍子抜けしたような表情をしていた。

 襲われると思うのが筋だろうからな。


「俺はガルム。依頼を受けてここに来た……冒険者みたいなものかな」

「答えてほしいところが違います! どうして私の魔法を打ち消すことなどできるのですか!」

「たまたま先に魔法を食らった奴がいて、たまたま魔力量が多くて、たまたま獣人だから反応速度が早いから、としか言えない」


 自分がやったことを説明したところで納得してくれるとも思えない。

 特別な人間にしかできないことではないが誰にでもできるほど条件が簡単ではない。

 それに魔法が不得手な自分で完全に相殺できるなら他にもできる者はいる。

 女は目の前にいる者が強がっているだけなのだと気づいたのか頭を下げた。


「私としたことが完全に順番を間違えてしまいました。貴方の技術を問うより先に私の無礼を謝罪するべきでした」

「謝罪することじゃない。怯えてるのが伝わってきた。それだけのことがここであったなら身を守るために攻撃的になるのも仕方がないだろ?」

「違います。貴方は自分の身を危険に晒してまで野蛮な者ではないと伝えようとしてくれたのです。それだというのに……」


 女はハンカチを取り出すとそれで自分の顔を拭った。

 それを見て初めて気づいたが鼻血が出ていたようだ。まだまだ練度の低い状態で魔法を使ったから処理能力を超えていたのだろう。

 控えめに言って無理やり正面突破したように見られても仕方がない状況。

 あまりにも格好がつかなすぎて急に恥ずかしくなってくる。

 それにこの女も女だ。

 魔法の技術でも驚かされたのは事実だが話し方といい態度といい普通ではない。毛布を剥がした時点で体が強張ったような気さえした。

 たぶんノエルとの出会いを思い出したからかもしれない。

 この女もノエルと同じような白髪を伸ばしている。瞳の色が琥珀だったりドレスのようなものを身に着けていることから色々と違う点はあるが、美しいという言葉が似合うという点では変わらない。

 こういう時に感じるのは一般人ではないということ。

 プロトタイプではないのかもしれないが普通の人間……正確に言うと一般的な立場にある人間とは違う。

 背後で足音が聞こえる。

 どうやらエイルがグラグラを担いだ状態で戻ってきたらしい。


「っ!」

「落ち着け。敵じゃないし俺の仲間だ。さっきは怖がらせちゃったから言い訳みたいに聞こえるだろうけど」

「いや〜あんなに吹っ飛ぶなんて思わなかったぜ……」

「幸い骨も折れていない。ただの打撲だ。いや、グラグラは死にかけて自らの行いを反省するべき」

「手厳しいことで」


 余裕の笑みかと思うがダメージは軽くないらしくグラグラはエイルの肩から離れるとふらふらとしながら壁に寄りかかってそのまま座り込んでしまう。

 逆にあの距離を飛ばされて支えられていたとはいえ立っていたことが異常だ。

 この女に聞かなければならないこともあるし軽く休憩するべきか。

 周囲に魔物の気配を感じない。このメンバーであれば突然の襲撃にも対応できるだろうし彼女には悪いが何かあった時に手を貸すという約束でこの場所を一時的に貸してもらおう。


「その、色々と聞きたいこともある。少しの間だけ居させてもらってもいいか?」

「私の家ではございませんし。お好きにどうぞ」

「グラグラはとりあえず絶対安静な。いくら頑丈でも内臓とかはどうにもならないんだからな?」


 あまりにも硬すぎて攻撃の通らない魔物相手なら鋭い斬撃よりも強い衝撃を与えて内部にダメージを与える方が効果的だとも言われる。

 グラグラがしっかりと受け身を取れていたなら衝撃は体の外側を進んでいく。今回は不意打ちだから受け身なんて取れなかったと考える方がいい。

 逆にこの程度で済んだのは何故か?

 色々と思い浮かぶ説はあるが、落下が始まる前に自分自身の体重を今よりも軽くしたなら少しは軽減できたりするのだろうか。

 と、グラグラのことを考えていると咳払いが聞こえてくる。

 振り向くと放置されていたことを怒っているらしく女がこちらを睨みつけていた。

 色々と聞きたいことがあると言っておきながら無視させれば当然か。


「自分はさっき名乗った通りで死にかけてるのがグラグラ、隣りにいるのがエイルだ」

「私はユ…………ユーです」


 言い淀んだところを見るに本名ではない。

 そもそも危険な状況にあるダズロフに一人でいる時点で訳アリだということは察しがついているから無理強いはしない。

 自分たちが得たいのは情報だ。

 この女が、ユーが何者か知れたところで特に何かが変わるわけでもない。


「こんな場所に一人で何をしてたんだ?」

「どんな場所だろうと個人の自由だと思うのですけれど」

「あまり安全ではないはずだ。人もほとんど通らないし珍しいものがあるわけでもない。そんな場所にユーみたいな女の子が一人でいたら心配するのは普通だと思うが?」

「私も同感。一人でいるのは危険」

「そちらの……グラグラさんの状態を見て仰っているのですか?」


 ユーが指し示した方を見る。

 残念ながらユーが期待したような状態ではない。盛大に鼾を立てながら眠っているグラグラの姿しか目に入らない。

 本当は苦しげに呻いていることを想定していたのかユーは震えていた。

 こちらとしては都合がいい。


「な? こういうこともある。一人は危険だろ?」

「貴方といい、彼といい、何者なのですか?」

「普通の獣人」

「彼は本当に普通の獣人にしか見えませんがお二人がしていることは一般人のそれではありませんからね?」

「それは否定しない。私から見ても異常」

「お前はどっちの味方なんだ?」


 なるべく余計なことは伏せて穏便に済ませたいと考えていたが……。

 さすがにあれだけ派手に飛ばされたグラグラが軽く体をぶつけた程度のダメージだけで話が退屈になって気持ちよさそうに寝ていたり、自信があったのであろう魔法を簡単に打ち消されたりすれば疑われるか。

 そもそもユーには見えているのだろう。

 魔法に秀でる者は視覚化できないはずの魔力をオーラのように視認することができるという話がある。

 ならばイルヴィナから分け与えられている人間には余りある魔力を見逃しているはずはない。

 バレているなら話すしかない。

 せめて口約束でもいいから口外しないことを条件にしておくか。


「俺達としてはあまり自分達のことを知っている奴を増やされると困る」

「犯罪者か何か、という意味ですか?」

「好きなように捉えてもらって構わない。ただ、今から話すことを口外しないことだけは約束してほしい。約束できないなら俺達もそれなりの対応はさせてもらう」

「ま、まさか私の体を辱めようと!? 口止めに命を奪ったり!?」

「ガルム、それはダメだ。私達が犯罪者になってしまう」

「冗談だ」


 少しでも自分達の立場を悪くしたくないのだろうが、エイルがユーの肩を持つ頻度が高いような気がする。

 まだユーが子供と呼べる年頃だから守りたいのもあるかもしれない。

 そんなに話した訳でもないがエイルが常識人なのは分かる。

 リーダーとしてあまりにも頼りないグラグラや考え方が幼いギガスにとって姉のような存在がエイル。立場的にはグラグラの方が上でも意見をまとめたりする上で大切な立ち位置にいるのが彼女なのだろう。

 自分が冗談を言ったり脱線したりしても彼女が軌道修正してくれる。

 そう考えたら安心した。

 グラグラのところも組織としてしっかりと成り立っているのだ、と。

 自分が安心したのとは逆にユーは自分達を疑っているようだ、

 情報規制をする理由として多いのは王命による任務か、殺人や誘拐を繰り返してきた犯罪者集団が仲間を一掃されるのを避けるため。

 前者にしては自分達はあまりにも怪しすぎるのだろう。

 しかし、長考するだけ無意味だ。提案に対する答えなんて「はい」か「いいえ」の二択しかない。

 ましてや怪しすぎる連中に滞在を許可した時点で答えは出ている。


「分かりました。怪しいことは怪しいですが犯罪者にしては好戦的ではありませんから信じてもいいでしょう」

「助かる」


 ユーに自分達がプロトタイプという偶発的に、または他者によって人為的に神格という存在から権能を与えられた存在であることや、キースから受けた依頼の件を説明した。

 プロトタイプとしての権能に関してはエイルに頼み翼の一部を硬質化させるところを目撃させたところで納得してもらえた。

 依頼の件に関してもキースからの命令を見せたら信じてもらえたようだ。

 これで自分たちの身分は証明されて目的も伝わった。

 今度は逆にユーに関して聞いておきたいことがあるので尋ねることにした。


「街に咲いている花が何本か摘まれているようだったが、それはユーがやったのか?」

「ダズロフにはお墓がありませんからね。亡くなった方々の家を訪ねて花瓶に花を手向けることくらいしかできることがありませんので」

「危険も承知で残っているのはそれが理由か?」


 ユーは首を左右に振る。

 そして正面へ向き直った際に何故か驚いたような顔をした。


「今の会話の流れでガルムさんが涙を流す理由などありましたか?」

「いいんだ、気にしないでくれ。勝手に感じて、勝手に泣いてるだけだ」


 そう、勝手に気持ちを読み取るのは自分の悪い癖。

 昔から何でもかんでも「匂い」という形で感じ取ってしまうことがあったがノエルと出会ってからはより鮮明に認識してしまうようになった。

 楽しいとか悲しいとか端的な感情ではない。

 どういう経緯でその感情に至るのか、その過程までも感じ取れてしまうことがある。

 今回がまさに、だ。


「へんな方ですね。まあいいです。お話は理解しました。ただ、私にもここに残る理由があります。貴方のお仕事を邪魔するつもりもありませんし、必要ならば休憩場所としてここを提供するので追い出すのだけは勘弁していただけますか?」

「元より私達にそんな権限はない。あくまで騎士団からの依頼。現地にいる一般人の安全は確保しなければならないが、そこまでだ」


 自分が取り乱してしまったのでエイルが代わりに説明してくれていた。

 彼女の言う通り現地の住人を立ち退かせるほどの権限はない。

 もしダズロフが危ないという確証を得られたのならば早馬の代わりにエイルに騎士団まで飛んでもらって現状を報告し、そこからキースから許可を得て避難指示を仰ぐくらいが限度だ。

 代わりに務めているだけで役割は騎士団が持っている。

 ユーは納得したのか「お好きにどうぞ」と言い残して隣の部屋へ移動した。

 さすがに同じ部屋に残るはずもない、か。

 その後は軽くダズロフの探索をやり直して他に目立つようなものはないことを確認し、やはり古城で件のプロトタイプを探すしかないという結論に至り、その日の探索は終了した。

 ユーが居た家屋に戻り明日に備え休む。

 そう提案したのは自分だったが眠れず、エイルとグラグラが寝入った後、二人を起こしてしまわないように静かに外に出て屋根に上がろうとした。

 屋根に手を掛け先客の姿を確認する。

 ユーだ。

 自分が眠れなかったのは事実だが話し足りていない気がしていたので好都合とも言える状況だった。


「覗きなんて、良い趣味とは言えないですね」

「いや、まあ興味がないと言えば嘘になるが覗きに来たわけじゃないぞ」

「そんなところに居ないで隣に座ったらどうですか」

「あ、ああ……じゃあ、お言葉に甘えて」


 もう少し咎められるかと思っていたから拍子抜けした気分だった。

 そうは言っても詰られて喜ぶような趣味もない。大人しく上がってユーの隣に腰を下ろす。

 彼女の視線に合わせるとダズロフの外にある古城を見ているようだった。

 と、雰囲気に流されて黙っている場合ではなかった。

 完全に忘れてしまう前に自分の用事だけでも済ませてしまわなければ。


「さっきはごめんな」

「恥ずかしげもなく出会って間もない女性の下着を覗こうとした件ですか? 安心してください、許すつもりなんてありませんから」

「見えてもないのにぐだぐだ言うなよ…………じゃなくて、お前と話してる時に俺が急に泣いた件だよ」


 なぜ貴方が謝る必要があるのですか、とユーは困っていた。

 たしかに事情を説明するよりも先に自分の気持ちを伝えてしまったから何を言いたいのか伝わってない節はある。

 でも、自分は臆病だから先に謝罪して保険をかけたい。

 いきなり怒鳴られるよりも先に謝罪して、そんなに大きな悪いことをしたのかと思わせてから説明して「そんなこと」と言ってもらえた方が気が楽なのだ。

 たぶん、そんなことでは済まないけど。


「他と比べて感じやすいんだ」

「…………冷めた表情でもしてあげたらよろしいですか?」

「たぶん盛大に勘違いしてるから大丈夫です。ちがくて他人の感情とか、記憶とかみたいな本来は目に見えないようなものに敏感なんだ」


 素直なのか知識が偏っているのかユーは本気で勘違いしにいくタイプらしい。

 いや、回りくどい言い方をした自分が悪い。

 冗談は抜きにしてそろそろ普通に説明しないと嘘を言っていると疑われかねないので真面目に話す。


「犬獣人って匂いで相手の気持ちとか分かったりするんだが、自分の場合は他よりも分かりすぎるみたいで、あの時もユーが本当は何でここにいるか分かって、勝手に辛くなってたんだ」

「…………まだ貴方が冗談を言っているだけかもしれませんし、言い当ててもらえますか?」

「ユーはここに用事があって居るんじゃないだろ?」


 ユーは抱えていた膝の内側に顔を隠してしまう。

 そして耳の大きな自分にはばっちりと中で深い溜め息を吐いているのが聞こえてしまった。

 あの時点で理解していたのはユーが一般人ではない事とダズロフに用事があって足を運んだのではなく、ずっとダズロフに居るということだ。

 少なくとも数年単位ではダズロフにいる。

 魔物によって崩壊した街で生活するならば安全の確保から始め、生活可能な家屋の確認から物資の管理まで含めても短期間でできるものではない。

 そこに感じ取れたユーの記憶だ。

 ダズロフには墓がないのは知っていてもおかしくはないが、各家に何人が住んでいて、どれだけ亡くなっているかという情報は今となっては手に入らない。

 毎日、彼らのために新しい花を生ける。

 ユーが()()()()()毎日、毎日……。

 自分が涙を流すには十分だった。

 一人寂しく、墓守の真似事のように生きる姿は、別の誰かに似ている。

 今の溜め息もどこか寂しげに感じて、自分は彼女の頭に手を置いていた。

 他人から慰めるような真似をされても喜ばないかもしれない。

 ただ、一人で頑張ってきた者のことを誰かは認めてあげなければ無かったことにされてしまう。

 地図からダズロフが消えたように。


「どうして、いまさら……」

「?」

「十五年、ずっと待っていたのに誰一人としてダズロフを救おうという方は現れなかった。まだ、間に合ったのに……」

「生存者がいたのか?」


 ユーは顔を埋めたままで頷く。

 どうやら魔物がダズロフを占領した時に民間人は片っ端から皆殺しにされていたが領主夫妻は生かされていて人間側との交渉材料として使われる予定だったらしい。

 しかし、近隣の国からは一向に連絡が届かない。

 どこからも連絡が来ないことでダズロフは切り捨てられたのだと理解した魔物達としては面白い話では無かっただろう。

 せっかく自分達の待遇が改善される可能性があったのに、人間は同族を見殺しにする方を選んだのだから。


「私は魔物に占領されたダズロフで産まれました」

「占領する時に民間人は皆殺しにされた、って言わなかったか? 領主夫妻を除いて……」

「腹を立てた魔物達は人間からの返答があるまでの退屈しのぎに領主夫妻に家畜の真似事をさせていたそうですよ。その時に気分で生かされた子供が私です」


 ダズロフに人間の助けは来ず、こんな場所を占領したところでなんの意味もないと考えた魔物は次の街を目指して進軍を開始した。

 ただ、玩具代わりの領主夫妻が残した人間の子供はダズロフへ置いていくことにしたという。

 気まぐれで生かしておいたが足手まといになる事は必然。

 そこで魔物の中でも人語を理解する者を一体だけ残し、それに世話係を押し付けて居なくなったのだ。

 ユー曰く、その世話係も物心が付く頃には消えたという。

 領主夫妻が残していた日記の情報のみを頼りにダズロフの状況と自分が何者かを知り、彼女は一人で殺された者達に花を手向けていた。

 何故、ここを出なかったのか。

 自分には分かるような気がした。

 魔物によって滅ぼされた街で、魔物によって産むように言われ、魔物によって育てられた少女。

 他の街へ行っても受け入れられるはずがないと考えたのだろう。


「私は醜い出自を背負って、ここで一人終わっていくものだと考えていたのに、どうしてですかね。貴方と話していたら、やはり寂しいと感じて」

「醜い出自なんて存在しねえよ」

「貴方自身も同じような出自があると?」

「俺は、まあ……お前が知らなくてもいいような出自だよ。でも、俺の友達とかはさ、ゴミを漁って食い繋いだりしてたみたいで『そんなに苦しいなら余ってる奴から奪ってくればいいだろ』って言ったら『俺が食えないのは自分の力不足だから、それを理由に本当に苦しい連中から機会を奪ったらダメなんだ』って。他人からすれば醜いし汚い生き方してるかもしれないが、それを知ってる俺からしたらあいつの生き方は綺麗だよ。ユーの生き方も、な」


 自分の出自が醜いからダズロフを出ても他の人間と仲良くできない。

 それは建前だ。

 ユーがダズロフに残っているのは記録でしか知らない死んでいった者達を忘れないため。

 自分が彼らを知る最後の人間である以上は、彼らの死を悼むのが自分の役目。

 その役目を全うするためには、この地に自らも留まるしかない。

 イルヴィナと同じ、墓守としての役割。

 自分にしかできないことだと自惚れている訳でもなく、ユーは与えられた役割を粛々と受け入れている。


「それに、荒れ地にだって綺麗な花は咲くんだぞ?」

「ふふっ! なんですか、それ。私を口説いてるつもりですか?」

「ただの比喩だ。まあ、綺麗な花であることは否定しないけどな」

「分かってて言ってますよね? あまり揶揄(からか)うと本気にしますからね?」


 そこは反省している。

 本当にそう思っていて重い空気よりはいいだろうと冗談めかして言ったらユーが想像していたよりも嬉しそうにしていた。

 これで冗談のつもりだったと言おうものなら魔法で消し飛ばされてしまう。

 ユーはこちらの顔を覗き込むようにしていた。

 この顔で醜いだの何だのと説得力なんてあったものではない。


「ユースティアナ」

「はい?」

「私の本名です。魔物に玩具にされながらも私のために逐次日記に出来事を記していた両親が最後に残したものです」

「それを何で俺に?」

「先程も話した通りの理由で私のことなんて誰にも覚えてもらわなくていいと考えていました。でも、貴方になら覚えていてもらった方が嬉しいと思っただけで、面倒臭い女だと思うならさっさと忘れてください」


 その素直になれない感じは面倒だと思う。

 ただ、そんなことを言ってしまえば自分の周りは面倒な奴らばかりではあるので今さらだろう。

 面倒だけど覚えとく、と返すとユーは不満げに睨んでくる。

 この仕事を終えたらやるべきことが増えたが、それは無事に戻れたらの話でもある。

 風邪をひく前に、と二人で戻ると何かを勘違いしたグラグラがにやにやしながら見つめてきたので鼻先を軽めに殴ってから目を閉じた。

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