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偽物でも許されたい  作者: 厚狭川五和
『貪欲なる小狼』ニムル
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第29話「捨てないで」

 ニムルの過去を知る術はない。

 彼女の覚えている最初の知り合い『傲慢』は森で拾ったという。

 それ以前にも知り合いがいたのか、または孤独だったのかを知る者はおらず、本人さえも記憶していない。

 しかし、それはあくまで()()()()()()という前提付きの話だ。

 ただ一人、知りもしない相手の情報さえも「報告書」という形で記録に残している者がいる。

 彼女は権能を持ちながらプロトタイプとして扱われることなく現在に至る数少ない存在であり、プロトタイプとして十字架を背負わされた者達へ贖罪の意味も込めて彼らのことを記録した。

 彼らの出生から今に至るまでの記録。

 最初はたった一人のデータを記録する役割を与えられていた。

 その人物のことを事細かに記録しているうちに彼の話に出てくる別の人物のことが断片的に理解される。彼の人生に登場するAさんでしかなかった人物は他の者から聞いた話で徐々に形がはっきりとして固有名詞を与えられた人物へと成り代わる。

 そこで彼女の持つ報告書に第二の名が記される。

 あとは繰り返しだった。

 知らない人物が誰かの記憶から登場して、話を聞いて人物像が作られ、その人物の記憶からまた別の人物が現れ、それらを記録していく。

 彼女の権能はそれを繰り返しているうちに精度が上がっていった。

 途中からは名前を聞いただけでどんな人物か容易に想像できるようになり、彼女が記録者としての役割を離れる頃には見聞きしたことのない人物でさえ()()()()()()()()()記録していた。

 事実、その記録された人物は存在する。

 それは紛れもなく彼女の持つ『推測』に関連した権能によるものだ。

 彼女が直接会った訳では無いニムルに関する報告書はガルムがテイムの声を取り返しに行くと出立した後に存在した。

 つまりニムルを預けられた時点で大抵の情報は知っていた。

 二人に押し付けられたからニムルを教会で預かることを許容したのではなく、彼女の生い立ちに同情を覚えたから手を差し伸べずにはいられなかったのだ。

 しかし、フィアはあくまで中立。

 過度に誰かへ協力してはならない。

 今は彼らにとって些細なイレギュラー程度の協力者でも著しく優位性を与える存在ともなれば他の者が黙ってない。

 至極当然の話だ。

 この代理戦争に敗北すれば存在が消されることは無くても権威を失う。

 長い年月を掛けて手にしてきた信仰を、一瞬にして失うことになる。同じように長期に渡って信仰されてきた名の知れた神なら諦めも付くだろうが小さな街で信じられている程度の神様相手にともなれば……。

 故にフィアは中立を貫く必要がある。

 本当ならばニムルの素性を本人含め、二人に洗いざらい話してしまえば彼女を救う方法なんて簡単に見つかるだろうが、それをできない。

 ましてや、ニムルも『罪深き異端者(ルールブレイカー)』の一人だ。

 他の神格を持つ者達に狙われる理由がある。

 フィアは、二人がニムルを連れて行くと言った時、どこかで安心していたのかもしれない。

 これ以上は自分に何もできないから、少しでも彼女を救うことのできる可能性を持った二人の側に行ってくれるなら、と。



 ――ガルムの家。


 ニムルを自分の家で住ませると決めた翌日。

 ノエルが定義したメイドという存在にどの程度の仕事と自由を与えればよいのか分からない自分は特に指示を出すことなくニムルのやりたいようにさせていた。

 さすが教会に預けられていただけあって、家事に関しては文句の付けようがない程度にはこなしてくれていた。

 ただし、仕事はできても根は子供なのだろう。

 甘えてくる頻度は多かった。


「暑い……」


 両腕を抱え込まれて身動きを取れない状態で目を覚ました自分は状況に対する不満をこぼす。

 ノエルもニムルも自分と同じベッドで寝ている。

 初めはノエルのために用意していた別のベッドは誰一人として使おうとしていない。むしろ自分がそちらで眠るのが正解なのではないかと考えるほど自然な感じで二人は両隣を占領していた。

 正直この暑い季節に犬獣人というだけで死にかけているというのに両脇を体温を持った生物に囲まれていると生きたまま蒸し焼きにでもされているような気分だ。

 さすがに腕を抜いたら起こしてしまうかもしれないと考えてそれぞれ枕と丸めた毛布を押し込んで抜け出す。

 自分はフィアに頼まれた仕事がある。


「報告する内容ってアステルのことだよな。レインは知ってるだろうし、他はイルヴィナくらいだろうけど…………。俺が報告したくないんだよな」


 大事な人のことを他の人間に内緒で話しているみたいで嫌だった。

 これが、別に良い方向の会話ならいい。

 自分がイルヴィナのどういうところが好きで、こういうところが可愛くて、とまるで自分のことのようにイルヴィナのことを自慢するのは悪い気はしないし楽しいだろう。

 この報告書はそういうものではない。

 たぶんプロトタイプ相手の記録書だ。

 自分が知らなかったプロトタイプの情報をフィアが知っていたりするのは他にもこのようにして情報提供した者がいるのかもしれない。

 他人の弱点を晒すような行為。

 化け物と揶揄される相手にフェアプレーを申し込みたい訳ではない。

 しかし、こうして他人のことを晒したり対策を考えたりしていると本当の意味でプロトタイプを化け物のように扱っているような気がして、自分もその一部であるということを思い出してしまう。

 正確なことを言うとアステルのことだって書きたくない。

 あいつにも戦う理由があった。正しい方法でなかったとしてもリーブスのように抱えている過去があった。

 それを相容れないという理由だけで否定なんて……。

 自分は甘いのだろうか。

 身内を傷つけた相手に同情している。そんな余裕なんか本当にあるのだろうか。

 と、進まない筆に視線を落としていると背中にわずかな重みがかかる。

 それは自分の肩の辺りから腕を伸ばして止まっていた手を掴む。


「本当に犬は変わらない。身体もぼろぼろなのに、それ以上に心まで傷つけようとする」

「ノエル、起きたのか?」

「この報告書は化け物相手の対策でも個人的情報(プライバシー)の侵害でもないよ」


 ノエルはその先は口で語らない。

 こういう一回一回を確実に立ち止まってからでないと考えられないタイプの男には合っている。

 口で諭すより心で感じろ、と。

 彼女が、どんな力で何を成そうとしたのか記せばいい。

 プロトタイプとして得た力でどのように変わりたかったのか。誰かを傷つけ恨まれたことではなく、彼女が叶えることができなかった理想を綴ればいい。

 遺書も何も残っていない。

 彼女の言葉ではなくても、そういう生きた証を残してやること自体は悪いことではない。


「フィアの持つ記録には意思までは残されない。どう生まれて、どう生きてきたのか。それだけ。どんな考えを持って、どんな風に散っていったのか知らないの」

「中途半端なんだな」

「終わりを見届けた者にしか、その人の最期は分からない。だから彼らの記録にエピローグを書き記せるのはガルムだけ」

「そうか」


 たとえ道半ばだとしても人生という名の物語は幕を閉じた。

 それを知っている者が記録として遺すのは一種の責任。ちゃんとした方法ではないが弔いの意味がある。

 自分は一度、深呼吸をしてからアステルのことを記していく。

 その横で机の空いているスペースに音を立てて一つのカップが置かれる。


「紅茶?」

「えっと、フィアが朝は紅茶で落ち着いてから仕事するって」

「随分と贅沢な朝だな」


 ニムルは頭を撫でてやると満足そうに笑顔を作ると朝食を作るために部屋を出ていった。

 こんなことまで教えてるとは思わなかったが、しっかりとメイドとしての業務にやりがいを感じているならいいか、と自分はアステルの報告書を終わらせることに集中する。

 報告書は数十分ほどで完成したが次に教会に行くときに提出すればいいだろうと机の上に置いたまま美味しそうな匂いのする隣の部屋へと移動する。

 机の上には二人分の朝食、焼いた卵を乗せたパンとスープが置かれている。


「一人分足りなくないか?」

「メ、メイドは後でご飯!」


 さすがの徹底ぶりに思わず溜め息が出てしまう。

 たしかに名目上はメイドとして家に置くという話で落ち着いたがニムルに業務を理由に理不尽な扱いを押し付けるつもりはない。

 あくまで周りに怪しまれず体良(ていよ)くニムルを家に置ける理由として言ったまでだ。

 メイドとして業務をすることは止めない。

 でも、同じ家で食卓を囲む者同士としては家族のようなものだから一人だけ後で食事を摂るなんて言われると悲しい。


「別にそこまで徹底しなくていいから一緒に食べないか?」

「いいのか? ニムルは……」

「メイド云々はいいとしてお前はツガイのつもりなんだろ? 俺はツガイを召使いみたいに扱って虐待してるみたいな気分になるのは御免なんだが」

「ぐるるぅ……」


 本当はもっと素直になりたいのだろうが与えられた業務に忠実でありたいから言葉にできず喉を鳴らすにとどめている。

 甘えたい年頃だろうに真面目すぎる。

 それにしてもニムルと言いイルヴィナと言い夜に生きる者達はどうしてこうも恋愛に関して前衛的なのだろう。どちらも出会ってそんなに長くはないはずなのに自分に向けている感情は同じようなものだ。

 むしろレインの方が異常なのだろうか。

 いや、その辺りは「個性」と認識しておくしかない。

 たまたまイルヴィナとニムルが似た感性を持っているだけで異常なことはないのだろう。

 とりあえずニムルは意図を理解してくれたのかニムルは調理場に置いたままになっていたものを食卓に置いて席に着いた。


「ニムル、二人に嘘ついた」

「どんな?」

「ほんとはメイド、関係ない。ニムル他の人と触れる、良くない」


 そういえば、と自分はニムルの持つ能力を思い出す。

 体液を摂取したら相手と同じ能力を扱えるようになる。それは唾液でも汗でも関係ない。

 ノエルによれば具体的に能力の使用方法さえ分かっていればどんな能力でも最後に摂取した相手のものを使用でき、それは別の能力と入れ換えるまでは残り続けるとのことだった。

 つまりニムルは身内との能力交換は望んでいないらしい。

 仲間がほしいという願いからは考えられない行動だ。


「同じになりたいんじゃないのか?」

「ナカマほしい、言った。でも、みんなちがう。ちがうのにやさしくしてくれる。ちがっても、ガルムも、ノエルも、一緒にいてくれる。だから、同じ、必要ない。居場所、取りたくない」

「居場所?」

「ニムルがもらう力、そいつの個性。みんながすごいって言う力。同じの、必要ない」


 ニムルの言いたいことが何となく分かった気がした。

 プロトタイプが持つ能力は他に同じものがない。量産型の生物兵器などではなく一人ひ一人が持つ個性そのもの。

 同一の能力がないからこそ初めて見た人は「すごい」と思い、その人だけの特徴だと認識する。他に見たことがないのだからその人だけができる特別なことなのだと考える。

 しかし、同じものが二つあれば目立たない。

 ニムルは第二のそれとなってしまい称賛されるべき相手が薄れてしまうことを気にしている。

 自分はそんな考え方を嬉しいと感じていた。

 ニムルがここを居場所と認識してくれていることや、他の者達を考えてくれていることが嬉しい。


「ニムルの持っている力が奪われた力ではなく貸し与えられた力、もしくは共有している力なら返せるよ? 元はニムルのじゃないから手放せば自然と元の持ち主に帰るから」

「んーん」


 ニムルは首を横に振り拒絶した。

 ノエルがした提案は身の危険を避けるという意味では最適解とも言えるものだろう。

 力の持ち主は戦争には参加せず棄権した。

 それを平和主義によるものと認める者もいれば、臆病風に吹かれたと否定する者もいる。ただ、あくまで個人的な意見でしかなく、神格を持つ者達がその程度の言葉に狼狽えるとは思えない。

 ノエルはそれを踏まえて提案した。

 そこまで考えてのことだと分かっているなら拒絶する理由もないように思えたがニムルはどこまでいってもニムルなのだ。

 深さがどれほどか考えるほどもなく底が見えるほどの純粋な少女。


「ニムル、願い叶った。でも、みんなはちがう。まだ叶えてない。危ないこと、いっぱいある」

「抜け出せるなら抜け出しておいた方がいいんだぞ、こんな意味のない戦いなんて」

「意味ある」


 ニムルは立ち上がると自分の横に来て精一杯背伸びして、それでも届きそうにもないのに寄りかかってまで手を伸ばして自分の頭を撫でようとした。

 さすがに恥ずかしくなって手を掴んで止める。

 むぅぅっ、と可愛らしい怒りを向けたニムルは頭を撫でるのは諦めたようだが言葉を続ける。


「ガルムが、がんばってる」

「…………!」

「意味ないならがんばらない。だから、手伝いたい。ニムルできること少ないけど、ツガイ一緒に生きるもの」

「ほんと、少しも濁りのない瞳で言われちゃ否定もできねぇ……。お前のそういうところを認めて力を与えた神格を持つ者(やつ)がいるのかもな」

「っ!」


 ノエルに視線を向けると頷きが返ってくる。

 自分の言葉に対しても、だろうが主にニムルが力を返したくない理由に対してもだろう。

 お手伝いをしたいと言うならさせてやればいい。

 何も一対一で戦わせようという訳でもない。

 ニムルの能力的に一緒にいる事のできない誰かの能力を事前に借りて相手の不意を突かせるのが妥当だ。基本的には傍観か逃げ回っていてもいいだろう。

 そもそもが勝つためではなく逃げるために使うことになる。

 つまり離脱手段として願ってもない申し出だ。


「冷める前に食べるぞ。今日も用事ができたからな」


 ニムルにはもう少しこの生活に慣れてもらう必要があるから連れて歩くのはまた今度だ。

 大抵のことは一人でできるとしてもまだまだ自信が必要になる。

 ちょっとしたことでニムルが自分の考えに自信を無くして戸惑うようなことがあっては常に誰かが側で選択肢やら正しい答えやらを提示しなければならない。

 彼女も一般的な生活を望んでいるようだし必要なことだろう。

 自分のすべきことは……。


 ――フィアの教会。


 教会を訪ねた自分はアステルに関する報告書をフィアに渡した。

 するとフィアは報告書をその場で確認すると言い普段は祈りに来た者が座っている木製の椅子に座った。

 自分は長居するつもりではなかったので立ったままで話を聞く。


「誰に言われたでもない素直な報告、ありがとうございます」

「責任なんか感じてんじゃねえぞ」

「…………何も言ってませんが」


 困ったような顔でフィアはこちらを見上げる。

 何も言っていなくても伝わるものはある。ノエルから聞いた話もあるし、その顔を見れば想像できる。

 フィアは前々からプロトタイプと関わりがあった。

 それもかなり重要な立ち位置で。

 罪滅ぼしのつもりで神官なんてやっているならプロトタイプに対して向けている罪の意識は軽くない。アステルのようなまだ会ったこともない可能性のある相手にだって胸を痛めるだろう。


「こいつには叶えたい願いがあった。それはプロトタイプになってから生まれた願いじゃない。プロトタイプになる前からずっと抱えてた想いだ」

「では、彼女は自ら望んでこのような結末を迎えたと?」

「悩みや後悔はあったはずだが、少なくともやりたいようにやった結果だと思う」

「そうてすか」


 フィアは椅子から立つと両手を広げて目を閉じる。

 どういう意味か分からないが文字通り無防備な姿を晒しているということだけは分かる。


「いっそ殺してくれませんか。あなたの手で殺してくれるなら救われるかもしれません」


 ああ、そういうことかと深い溜め息を吐いた。

 責任感の強いフィアらしくないが、逆に自分の罪を懺悔して許されようと考えない辺りが神官らしくもある。

 過去に何をしたのか墓場まで持っていくつもりだ。

 もし話して自分が許すと言うのが怖い。許されてはいけないことをしたのに相手が「許す」と、一言そう答えてしまうことが恐ろしい。

 だから、いっそ許されないまま罪を背負ったまま死にたい、と。

 きっと心が広いから許してしまうだろう自分(ガルム)の手で殺してほしい、と。

 両手をフィアの首に添える。

 ずっと黙って話を聞いていたノエルもさすがに慌てた様子で自分を制止しようしていた。


「殺してやってもいいぞ」

「…………」

「ただ、綺麗に殺してやるつもりはない。お前が何をしていたのか大体の予想はついてる。許さねえよ、許せるはずがねえ! 俺は心が広いわけでも女に優しいわけでもないんだ! お前がやらかしたことに対する代償は楽に殺されることじゃない! 手足を切断して逃げも隠れもできなくしてから意識のあるうちに犯すだけ犯して海に沈めてやりたいくらいだ!」


 軽く力を込めるだけで首を絞められる状態で怒鳴られたフィアは、さすがに涼しい顔で死を待っているわけではなかった。

 怯えているのか身体が震えているし涙まで流していた。

 ただ、静かだった。

 声も出さず、静かに涙を流している。

 その姿を見て自分は勝手に納得した。

 しっかりとした覚悟も持てないような奴が言える台詞ではななったのだろう、と。

 フィアの首に添えていた手を下げて胸ぐらを掴み体を持ち上げる。

 予想もしていなかった状況なのかフィアは目を見開く。


「ざけんじゃねえよ! お前がやらなきゃならないのは俺なんかの気晴らしに付き合って死ぬことじゃない! こいつらの最期まで見届けることだ!」

「……!」

「お前が始めたことを途中で投げ出すんじゃねえよ。最後までやり通せ」


 最後の方になるにつれて掴み上げたら苦しいのではないか、とか。神官の服は安いものではないから伸ばしたら申し訳ない、とか。怒っているのに考えることではないようなことを考えてしまって言葉が弱くなっていく。

 結果的に言い終わる前にフィアのことは放していたし耳も力なく垂れている状態。

 正直カッコ悪すぎて笑えもしない。

 ただ、伝えたいことは伝えた。フィアが必要ないと思うなら自分の過去なんて語らなくていいし、恨まれているからと言って死んでやる必要もない

 始めたことさえ終わらせるなら誰も責任を問う権利はない。

 フィアの性格で悪いことをしようと思って行動するはずがない。良い方向に物事を運ぼうとして失敗したという方がある。


「えっと……勢い余って変なこと言ったけど本気じゃないからな?」

「馬鹿ですね。本当に怒ってる人は弁明なんかしないんですよ」

「お、怒ってるぞ! 怒ってる、けど…………。怒ってるからって何しても許されるわけじゃないだろ」


 さすがに自分を律するくらいはできる。

 罪を背負って自分を大切にしないような女を説得するのに生半可な気持ちでは伝わらないから本音を伝えただけ。

 思っていることを言葉にしても実行できる勇気もない。

 それに……。


「最初は自分が受けた苦しみと同じ気持ちを味わえばいいと思った。でも、手足を切られるのってすごく痛いんだ。いや、もう痛いのか痺れてるのか分からないくらいだな。たぶん同じ土俵にいる相手にしか知ってほしくない痛みだ」

「同じ気持ちを……って、あなたは犯されたんですか?」

「茶化すな! 大事な話してたんだぞ! そこは個人的な感情というか、フィアみたいな女を脅すなら丁度良かったというか……」

「最低ですね。人に説教をしておいて欲求不満を振りまいていたんですか」


 どちらかといえば後者のつもりだったんだが……。

 神官や聖職者は何よりもその身の潔癖を重要視する節があるから信仰によっては汚された場合は死罪となることもあるし効果があると考えていた。

 とりあえずはフィアがどちらと捉えたところで自分に怯えていたのだから同じことだろう。

 フィアは椅子に置き去りにされていたアステルの報告書を手に取ると胸に抱きしめてこちらを見上げる。


「やり方は最低ですが、あなたの言葉が正しいのも事実です。私は途中で投げ出してはならない。私が苦難を与えてしまったのはあなた一人ではない。だからあなた一人の恨みを受けて償うなんて許されないんですね」

「ん。そういうことになるな」


 少し考えて自分の言いたいことと齟齬が生じていないかを確認してみたが特に問題はなさそうだ。

 生きていてほしい理由は明確にしたい。

 死んでしまうのが嫌だから、困るから、ではダメだ。

 フィアのようにしっかり考えた上で生き方を決めた人間にとって簡易な言葉を投げられたとしても「どうして嫌なのか」とか「なぜ困るのか」を知らない限りは分かってくれない。

 だから甘やかした言葉もかけない。

 お前が必要だ。それは依存させて狂わせるだけの言葉だ。

 フィアを、一人の神官(フィア)として残すためには、これが正解。


「大変だ!」

「騒がしいですね。どうかしたんですか」


 と、ここは教会だ。祈りに来る奴もいれば面倒事も寄ってくる。

 一人の女として悩みを抱えた顔をしていたフィアはいつもの冷たい表情に戻ると入口の扉を蹴破る勢いで飛び込んできた男の側へ行く。

 その背中を追うように男に視線を向けたが面倒事を抱えているのは他らしい。

 慌てているが当人には怪我も争った形跡もない。


「け、喧嘩だ!」

「いつものように誰かが仲裁に入ったのではありませんか?」

「いいや誰が仲裁なんか入れるんだよ! 争い事を見て見ぬふりはできないって言っても今回は止めに入った奴まで悪者扱いになっちまう!」

「一体どなたが……」

「――――!」


 男の言葉が聞こえていた自分は入口付近でしゃがみ込んでいた男を押しのけて教会の外に出た。

 後ろから怒鳴り声が聞こえてきたが気にしてられない。

 だって喧嘩してるのは人間と()()姿()()()()()()だ。

 思い当たる節が一つしかない。

 彼が止めに入った奴まで悪者扱いになるというのは人間を害する魔物の肩を持つ者は同等の扱いを受けることになるという認識にある。

 犯罪者を手伝えば同じく罰せられるのと同じこと。

 故に、誰一人として味方をするはずがないのは明白。

 明白だからこそ、自分が早く現場に行かなければならない。

 場所を具体的に聞いてから走り出せばよかったと後悔するよりも先に街の人々が集まりつつある場所を見つけた。

 その内側から、物騒な声が聞こえている。

 魔物なんか死んでしまえ、と。


「やめろぉぉ!」


 人の壁へと突っ込んでいき立ち塞がる観覧者達を突き飛ばし真っ直ぐに中心にいる震えた少女へと覆い被さる。

 その震えた少女と争っていた者の持つ凶器は自分の腕へと振り下ろされた。微妙に中心から逸れていたせいで中途半端な所では止まらず、しっかりと刃の部分がすっかり自分の腕の中に埋まるほど深く突き刺さっていた。

 痛みに呻くよりも先に対象を睨みつけた。

 声を漏らさぬように固く閉ざした口から見える鋭利な牙と殺意の象徴とも言えるような目で睨まれた相手は怯み、凶器から手を離すと数歩だけ後ろに退いた。

 筋肉があっても深く突き刺せるわけだ。

 相手は精肉店を営む男店主だった。

 大きく簡単には刃を通さないような獣肉まで解体して一般人が購入しやすいようにする人間だから鍛え上げられた体をしている。

 仲裁に入れば危険という意味を悟った。


「何で庇うんだよ! 魔物が人間に紛れて生活してんだぞ! こいつは俺の店から商品を盗もうとしたに違いねえんだ!」

「現場を、見たのか?」

「ああ!? その必要はねえ! 魔物が肉を売ってる店に入ってきた! 腹を空かせてきたんだ!」


 店主の興奮状態はとても簡単に鎮まるようなものには思えない。

 おそらく家族を魔物に殺されたのだろう。

 もし仮に魔物が危険だからという理由で騒ぎを起こしたのだとしたら無関係の仲裁者に刃物を振り下ろしておいて弁明よりも先に庇うことを非難するようなことはない。

 ニムルに覆い被さる以外にも選択肢はあったが、そっちが正解だったのだろう。

 興奮状態の相手を宥めるのは難しい。

 なら、一度そちらを突き飛ばして攻撃手段を無くしてから落ち着いて話をさせるのが良かった。

 そうしなかったのは自分自身よりもニムルの方が大切だから。

 少しでも遅れればニムルを傷つけると分かっていたら守る方を優先したのだ。

 腕の中からニムルが涙を浮かべながら不安そうに顔を見上げている。


「ニムル、捨てないで……? 悪いこと、してない。ニムル、何も悪いことしてないから……!」

「そいつから離れろ! じゃねえとお前も殺すからな!」

「…………」


 この状況はまずい。

 ニムルを抱えている分には自分のことを敵として認識しているのは怒りを向けてきている男だけということになるが、自分の行動次第では敵となる人数は簡単に変動する。

 攻撃してくるという理由で店主に反撃すれば住民も危険だと考えて攻撃してくるかもしれない。

 しかし、大人しくしていればノエルがここへ来た瞬間に全て終わる。

 ノエルは自分に害を成した者を許さないだろう。

 どうすればいいのか分からず、震えているニムルをぎゅっと抱きしめていると観覧者の壁が少しだけ割れた。

 騒ぎを聞きつけた騎士が様子を見に来たらしい。


「騒ぎの中心は貴殿か?」

「…………」

「否定はせず、か。では申し訳ないが本部まで連行させてもらおうか」

「待て! そいつは今この場で殺させろ!」

「殺す……?」


 騎士が店主を一瞥すると店主は怯む。

 基本的に平和主義で知られる騎士を相手に命の奪う奪わないの話をしてはならない。

 他にも来ていた騎士がニムルの腕を拘束して連れて行く。

 店主を睨んでいた騎士はすぐに自分の方に視線を戻すと申し訳程度に笑顔を取り繕うと手を差し出した。

 連行に同意してもらえるか、という確認だ。

 ここで抵抗するならば騎士はニムルのみを連行し、自分と店主には続けるように促すだろう。

 つまり騒ぎを鎮めるためには頷くしかない。


「ニムルにひどいことをしないと約束できるなら」

「それは彼女の出方次第。善処はする」


 言葉に嘘はないことを確認した自分は大人しく騎士に連行され、その場を後にしたのだった。

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