第26.5話「杜撰な計画」
「随分と幼稚な理想を持っているみたいだね」
カダレアの北側の森の中にある遺跡にイルヴィナが入ると待っていたかのように声をかける存在がある。
間違いなくアステルだろう、とイルヴィナは覚悟を決めた。
自分には直接的にアステルを恨むような動機もなければ今すぐに倒しておかなければいけないという考えもなく、ただカダレアの皆と過ごす楽しい時間が終わるかもしれない可能性を避けるためにここへ来た。
本当なら力を示すような行為は二度としたくない。
過去の自分をなぞることになりそうで、また孤独へと一歩近づくのではないかと思えて、震えてしまう。
その震えを止めてくれたのはガルムだ。
どんな結末になろうとも彼が自分を独りにはしない。
もしカダレアの皆がイルヴィナから距離を取ろうとも彼だけは気にせずに話をしてくれる。
もし、自分がここで命を落とすことになっても忘れずに花を手向けてくれる。
それだけで十分だろう。
もう多くを望んだりはしない。
単純な作りとなっている遺跡は入り口から真っ直ぐに進むとすぐに開けた場所へと着いて、そこにアステルと思われる人影がある。
黒の長髪に星の形をした髪飾り。端正な顔立ちには真紅の瞳もあまり目立たない。美人と称する他ない。
しかし、そんな評価を覆したくなるほどに不快なまでに口元は嘲るように歪められている。
「まさか僕が欲してやまない戦利品が自ら訪れるとは、驚きを隠せそうにもないよ」
「イルヴィナが戦利品? それに幼稚な理想って?」
「そう、幼稚な理想だよ!」
アステルは背中を向けて両腕を広げて叫ぶ。
こんなに隙だらけの背中ならば投げ物で先手を打ってしまった方が後の有利に繋がるか、と頭を過る。
イルヴィナは首を左右に振って焦るなと自分に言い聞かせる。
そんな簡単に倒せる相手ならばガルムもレインも手こずったりしない。負ける可能性を見据えた考え方もしない。
つまり誘われているのだろう。
イルヴィナは自分が完全に勝利を確信できるタイミングまで力の全てを打ち明けるつもりはなかった。
わずかな苛立ちを覚えつつアステルの話に続きを促す。
「あははは! 君が一人で僕に勝つ? 時間さえ稼げば忠犬が助けに来てくれる? これが笑わずにいられるかい? それは子供が思い描くこうだったらいいなの夢物語だよ」
「理想を前提に動いて何が悪いの? イルヴィナがアステルを討つ。もし仮にイルヴィナでは力不足でも時間を稼いでガルムがあなたの体を一つ破壊できるようにする。そして二人がこちらに合流してあなたを倒す。もし倒せなかった時の想定もしてる。いくら叶え難い理想でも最終的に妥協できる結果があるなら間違ってないはず」
「本当に?」
アステルは頭を傾けて視線をイルヴィナへと向けた。
まだ彼女は何も発していないのに反論してしまいたくなるような空気を感じる。
その激情も罠の一つ。
アステルは狡猾な吸血姫なのだろうとイルヴィナは察する。
隙だらけの背中を見せて攻撃を誘えば手の内が分かり、逆に待つ側であるアステルは反撃を狙うことができる。
激情を誘えば攻撃の正確性が失われる。
さらに追い詰めれば混乱させてイルヴィナが持っている自信や他人への信頼を揺るがせられるだろう。
あくまでイルヴィナが誘いに乗ってしまえば、の話だ。
イルヴィナは大切な人以外に感情を向ける意味を見出さない。
アステルはつまらなそうに溜め息を吐いたが念の為にイルヴィナが揺らぎそうな言葉を続ける。
「僕の方が圧倒的に君より強いかもしれない。実はレインが君に渡していない情報があるかもしれないし、ガルムは怪我をして我が身可愛さに君の元へは駆けつけずに逃げるかもしれないよ? どうして信じられるのかな」
「ちょっと話した程度のあなたには分からない」
「君だって知り合って間もないはずだよねぇ? そんな君と僕にとって彼らへの理解はそんなに変わらないと思うよ?」
「そんなことない」
イルヴィナは自分の胸に手を当てて今一度、冷静でいられるかを確認する。
いや、冷静である必要はない。
自分は敵に対する怒りや恐怖なんて感情よりも大切なものをずっと感じていればいい。
カダレアの皆がくれる温かい優しさや、ガルムがくれる冷めることのない熱情を。
「問答は無意味だね。そろそろ戦利品の力を僕に渡してもらおうか」
イルヴィナが遺跡へ入ってきた時の入り口から数体の人型犬面の魔物、コボルトが入ってきている。
そして左右にあった空間から無数の蝙蝠が現れていた。
ここまでは想定の通りだった。
聞かされていた話ではアステルが操るのは噛んだ生物全般という話だった。魔物や危険な原生生物なんかは彼女にとって都合の良い操り人形というわけだ。
故に対策も考えていた。
イルヴィナはすぐに自分が聞き取れる声を探す。
もしもアステルから直接的に洗脳を受けていないのであれば悲鳴を上げているはずで、イルヴィナはそれに応えて開放するつもりだった。
しかし、一つとて反応は無かった。
これは最悪のケースだ。
イルヴィナが開放して自分の味方に付けることのできる生物がいないということは否が応でも一対多を強いられる。圧倒的に不利になることを意味する。
「戦利品の能力くらいは知っているよ。だからこそ欲しいんだからね」
「これ全部……?」
「そう、僕が直接噛み付いて眷属にした子たちだよ。さあ、死なない程度に蹂躙されるといい!」
きっとアステルの想定は無数の魔物たちにイルヴィナを襲わせて殴る蹴るの物理的な攻撃から種族など関係ない無差別な生殖本能による繁殖行動によって身も心もボロボロにさせ、トドメを自分がさせればそれで良かったのだろう。
だから優位が確定した時点で自分は動こうとしなかった。
イルヴィナはこの状況の中に置かれても最悪の状況を思い浮かべることはなかった。
自分が体に触れることを許すのは一人だけだと誓っている。
それに、自分が抱いている理想のためになら冷血になることも厭わないと決めているから。
「あ、れ……? おかしいな」
アステルは自分の目の前で起きた出来事を理解できなかった。
本来ならば戦利品が血で汚れていく中で聞かせてくれる悲鳴を聞いてご満悦のはずだったのだろう。
ただ、現実は凄惨だ。
イルヴィナに迫っていた魔物は片っ端から破裂した。
内側から何かが飛び出すかのように彼らの外面を覆っている毛皮やら肉やらを全てバラバラに弾き飛ばして、中に詰まっていた血で周囲を真っ赤に染めている。
その元凶は血の雨の中で平然と佇んでいた。
「やっと揺らいだ。どう? 少しは負ける気がしてきた?」
「ば、化け物かい!? 一体何をしたらあの数の魔物を……」
「冷血は伊達に名乗ってない」
形成が完全に逆転した。
たった一人の少女を蹂躙するためにアステルが集めた生物は跡形もなく滅ぼされ、その方法も分からぬまま一対一の状況。
いや、アステルは理解したくなかったのだ。
自信満々に語っていたはずの自分が一瞬にして劣勢にされ、予想が正しければ攻撃は自分自身にも使える。初めから勝つことができないほどの相手ということ。
努力では届かない領域。
そして、アステルの予想通りイルヴィナは攻撃を仕掛ける。
「……ごめんね?」
最期に聞こえた謝罪がひどく腹立たしかった。




