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偽物でも許されたい  作者: 厚狭川五和
『死者の声を届ける者』イルヴィナ
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第26話「約束」

 イルヴィナが「お友達」と呼んでいる者達の中にはイルヴィナの過去を知っている者も含まれている。

 彼女が前世と呼ぶべき時間で何をしたのか。

 そこで彼女は生まれ変わりを選択した理由は何か。

 自分の素性を知らない者達に隠し続けておきたい事実を知る彼らは他の「お友達」のようにイルヴィナに語りかけることはない。存在しないものかのように近くに居るだけ。

 イルヴィナは彼らと目が合うたびに考える。

 自分が失ったものは、自分が奪ってきた沢山のものに見合うだけの価値があるのだろうか、と。

 周りの皆が嫌いだったわけではない。

 では、なぜ自分はああも残虐で冷酷な行為に及んでいたのだろう。

 少なくとも自分は救い、束ね、一つの集団を形成するべき立場にあった。その先にあるものが他の集団との戦争であったとしても仲間内で争うことになるより数倍はましだと言える選択のはずだった。

 なのに、自分はどうして結束を許さなかったのだろう。

 いや、分かっていた。分かっているからこそ自分の選択は正しかったのか疑わずにはいられなかった。

 イルヴィナは生まれつき()()()()()()

 毎日のように自分の耳へ届いてくる羨望や嫉妬、不満や恐怖などの感情を乗せた声が不安を煽り、いつしか配下が自分を討ち取るための企てをしているのではないかと考えてしまった。

 否、考えてしまったのではない。

 事実として矛先が自分に向けられたことがある。

 それ以来、誰一人として信じることができなくなり上辺だけの敬意などは騙すための欺瞞だと認め、イルヴィナは冷酷な殺し方で彼らを見せしめに使い『冷血』の名で呼ばれるようになった。

 しかし、イルヴィナ自身は一度たりとも魔王という立場にいることを理由に周囲を見下したことも、暴論を押し通したこともない。覚えの無い血筋に無理やり望まぬ地位と名に位置づけられたのだ。

 自分は嫌というほど感情を押し殺してきた。

 自分のことを愛してくれた者を捨て、愛された肉体を捨て、今の弱く惨めな自分を受け入れて、素性を明かすことなくゼロからやり直すと決めた。

 彼らを殺めたことに対する罪悪感や責任があったから、そうせざるを得なかった。

 自分は彼らに殺されるかもしれない毎日を我慢し、いつしか殺されたとしても神のような心で許せば良かったのだろうか。

 ならば、こちらの人生で殺されれば自分を見つめるだけの(彼ら)は納得してくれるのか。

 正解なんてものは、ないのかもしれない。

 イルヴィナは、自分の友が仕組んだ事件の渦中で利口な犬に殺されて彼らに報いるつもりだった。

 許されなかった。

 死ぬことも許されず、救われた。

 彼がくれた温もりを……いや、自分に心の温もりを与えてくれる彼のことが好きで、次に会えるのはいつなのかと毎日毎日、区境の入り口を見に行っていた。

 イルヴィナは、今の自分ならあの頃の魂が自分を何も言わずにこちらを見ていたのか分かるような気がした。

 あれは、心配しているのだ、と。

 彼らは自分に向けられる敵対的な感情に負けて実行してしまった見せしめを受けた中で本当は自分のことを案じてくれていた本物の配下の魂だったのだろう。

 だから、新しい人生を歩んでいるのに過去に縛られ続けている自分が幸せを見つけられずにいることを嘆いていたのだろう。

 イルヴィナがガルムに対して一歩も引かなかったのはそれが理由だった。

 彼らが引くな、と。彼女の背中を押し続けていたのだ。



 ――カダレア中央区。


 レインに伝えられた通りに区長会議に参加するため自分は自分はイルヴィナと共に会場となる中央区の施設へと向かっていた。

 中央区とはカダレア区境の通行許可証廃止に合わせて試験的に東西南北に別れていた区民達が共同で生活するために設けられた地区であり、今まで別れていた考え方が異なる人々が同じ空間で生活している。

 区長会議は基本的にそこで行うそうだ。

 その方が住民に情報が伝わりやすく、彼らに不満が流れることがないために決めたらしい。


「ん? どうした、イルヴィナ」

「ガルム優しいな、って」


 イルヴィナは何に対してそう感じたのだろう。

 現状は特になにかしてあげたということもなく、レインから区長会議の話を聞いてから軽く食事を済ませて時間に合わせて彼女の部屋を出たというあまりにも普通すぎて脚色するものもない行動だったはずだ。

 どこにも優しさを見出すポイントは存在しない。

 あえて無理矢理にでもあげるとすれば中央区に向かっている間、彼女の隣を歩き周囲を警戒していたくらいだが、それは誰が相手でもやっていることなので関係ないと思われる。

 きっと何かの間違いだろう。

 やけに右手の感覚がリアルだ。

 たしかに(はぐ)れないように手を繋いでいたが自分が置いていかれて前回来た頃には無かった施設を見つけられなかったら困るからという保険であって他に理由なんて無い。

 それをイルヴィナは良い方向に解釈しているのか何回も握り直してくる。

 これは繋ぎ方が良くなかった。

 お互いの指をそれぞれの指の間に通して手を繋いでいるから接触面積も広くて意識してしまっているだけだ。


「隣を歩いてる方が実感があっていい」

「何を喜んでるのか分からないけどお前がそれでいいなら俺は別にいいや」

「別に良くない! ガルムも意識してよ。ガルムは今、イルヴィナと俗に言う恋人繋ぎで手を繋いで歩いてる。もうすれ違う人から仲睦まじい恋人同士と思われて当然だから」


 なるほど、理解した。

 イルヴィナは既に自分を恋人と認定しているから熱々の恋人同士を演出しているようで気分高々なのだ。

 彼女に言われて周囲をチラチラと見回してみれば確かに視線が痛い。

 これでは本当にイルヴィナと付き合っているように……。

 いや、同じことなのか?

 イルヴィナから自分へと向けられた好意を拒絶せずに受け入れたなら恋人であることと同義になるのではないか?

 もしも自分が受け入れると言いつつ遊びのつもりなら恋人ではなく遊び相手になるのだろうが真剣に考えた上で「あなたからの好意を受け入れます」は恋人でいいと答えたも同然ではないか。

 いやいや、早まるのは良くない。

 以前にフィアとノエルが話していたが自分はすぐに誰かを好きになりやすい質だという。

 つまり好きは好きでも自分からノエルに向けている好きと、レインに向けている好きと、イルヴィナに向けている好きは別物だ。

 ノエルは番としての好きという意味で、レインは頼れる相棒的な意味で好きなのかもしれなくて、イルヴィナは……。

 逆に悩んでしまったがイルヴィナはどういう意味で好きなのだろう。

 隣を歩いている少女に視線を向けると首を傾げていて、そのような素振りはいつもノエルがしているからまったく気にならないはずなのに猛烈に心拍数が上がっていることに気がつく。

 これはもしかしなくともイルヴィナを普通の女の子として好きになってしまっているのだろうか。


「ガルム?」

「ん、ああ……どうした?」

「着いた。大丈夫? 疲れてる?」


 何でもない、と一言だけ呟いて施設の中に入る。

 区長が集まると言っても鍵のかかる大部屋が一つあるだけの建物なので扉を開ければ目の前が会場。他の三名も先に到着していたのか席について談笑していた。

 やはり堅い会議とかは慣れないな。

 こうして最後に入室すると遅刻したわけでもないのに申し訳ない気持ちになるし早く来たら来たで後から来た者を急かしているような気がして悪いことをした気持ちになる。

 何度か騎士団が開催するプロトタイプ対策会議と称した見せしめに呼ばれたことがあったが出席したことはない。

 自分はこういう場で話をするような立場にない。責任を伴うような場で断罪される対象の者が口を開いてはいけないのだ。

 と、入り口で立ち尽くしてるとイルヴィナが繋いだままの手を引っ張って西区長の席まで自分を連行する。

 そして何故か自分を座らせた。

 周囲からの静かな視線が何を言いたいのか分からず困惑した自分があたふたしているとイルヴィナは何の確認もせずに自分の上に座り、平然と出席を主張する。


「西区長イルヴィナ、招集に応じた」

「イルヴィナ? ガルムの席も別に用意してるんだから、こっちに座らせたら?」


 イルヴィナは満面の笑みでレインの提案を否定する。

 新しい玩具を手に入れた子供のような反応をしているがノエルにも同じような扱いをされている自分には慣れた扱いだ。機嫌を損ねられるよりはいい。

 それにこれはイルヴィナが望む距離感なのだろう。

 いつもの会議ではどのように振る舞っているか分からないがリースやスティグからしてもイルヴィナが人との対面を避けていたように見えているから好印象を与えることも可能だ。

 まあ、これが真面目な会議でなければの話だが……。

 なんて考えていると意外にもリースとスティグがレインの言葉を否定した。


「別にいいんじゃないかな。僕の妹も甘えたい時には膝の上に乗ることはあったし二人がちゃんと話を聞けるなら僕はそのままでもいいと思うよ」

「私の所で預かっている子供たちも似たようなものだ。微笑ましいじゃないか」

「………………」


 レインからすれば賛同し難いのだろう。

 この状況も然り、イルヴィナの部屋でのことも然り。明らかに自分よりも距離を詰めるのが早いイルヴィナに危機感を覚えているのだ。

 もしかしたら自分よりも仲が良くなるのでは、と。

 たしかに距離感が近いことに関しては自分も認めている。

 ただ、距離感が近いからと言ってイルヴィナを特別視するつもりはないからレインがもう少し積極的に来たとしても同じように扱うつもりではある。

 と、話が進まないので自分は手を挙げて本日の議題に関して尋ねる。


「先に伝えていた通りよ。アステルの目撃情報があった」

「僕やリースは彼女の能力について詳しくない。説明してもらってもいいかな?」


 リースも「同じく」とレインに説明を要求する。

 俺とイルヴィナは特に発言することなくレインに視線を向けるとアステルが持つ能力についてレインは説明を始めた。


「リースが勘違いしていたあたしの能力と同じよ。噛んだ相手を自分の従僕にできる。テイムの《使役する者》の力に似ているけどアステルの場合は単発ではなく永続。一度噛まれたら死ぬか主を失うまでは従僕になり続ける。あと従僕と化した者に噛まれても同様に従僕になるみたい」

「俺は以前に体が三つあると聞いたが、それについては?」

「たぶん能力自体は変わらないと思う。噛み付いた相手に自分と同じであるように長期的に仕込んだんじゃないかしら。制限が重いのか時間が掛かるのか、何れにしても本人を含め体は三つで全て。そのうちの一つはガルムが食べたから残り二つね」

「た、食べた? 人を喰ったのか?」


 レインが余計なことを口にするから二人にドン引きされた。

 スティグは椅子に座ったまま静かにこちらを睨んでいるしリースは椅子から立ち上がって少し自分から距離を取っている。

 この反応にはイルヴィナもさすがに……。

 しかし、自分の上に座るイルヴィナは特に動揺していない。

 むしろ羨ましいとばかりに指を咥えている?


「イルヴィナは驚かないんだな」

「私の知ってる魔物に最愛の人にもぐもぐされることこそ至高の求愛行動だって言ってる種族がいたから。もぐもぐしても飲み込まなかったら相手の全てを受け入れられるくらい好きって意味で、飲み込んだら誰にも奪われたくないほど好きって意味」

「飲み込まれたら死んでないか?」

「うん。そういう求愛だから」


 恐るべき魔物業界。

 この事実にリースが座り直していたのに青ざめて祈り始めていたし、逆にスティグは睨むのを止めていた。

 おそらく妹を溺愛していたから目に入れてもなんとやらという言葉と同義で捉えているのだろう。

 イルヴィナが言ったことは本気(ガチ)だ。

 比喩でもなんでもなく、本当に飲み込んでしまうのだろう。

 と、話が脱線したがアステルの話だ。

 もしレインが言うように誰かを従僕化させて自分の分体としているのなら本物を先に見つけることができれば殺す必要も無かった。そもそも自分は別人を殺したという意味になる。

 落胆しているとレインは情報に補足を入れる。


「たぶんアステルの体になってる人はアステルを倒しても元には戻れないと思う」

「どうしてそう思う? 私が聞く限り原理は同じなのだろう?」

「いくら元は他人と言っても人格から体つきまで全てがアステルに告示しすぎている。仮に本物のアステルを先に倒しても自分がアステルだと思い込んでる人が元通りにはならないはずよ。だから戦う前提で考えなきゃダメ」


 もう救うことの叶わない存在、ということか。

 レインの言う通りで自分がアステルだと思い込んでいるなら本当の人格はどこかへ消えてしまっている。ノエルがリーブスにしたように救済しようにも自分の行いを告白し想いを吐き出さなければならない。

 あのアステルが本心で話すとは思えない。

 そうなると本体を含めアステルを二回殺さなければならないということになるが、前回のレインと共闘して倒した時のことも考えると簡単ではないだろう。

 能力が分かっていても主である体を探すのに時間がかかる。

 それに前回の敗北を踏まえてアステルも簡単に分かるような場所には体を隠さないだろうし影があれば同じ方法で喰われると分かっていれば影にならない場所に行く可能性がある。

 この場にいるメンバーの力を借りれるとしても厳しい。

 スティグの停止は対象が多すぎると本領を発揮できないしリースの能力は戦闘向きではない。

 編成的にはリースが居残りで自分とレインが前衛、後衛がイルヴィナでサポーターとしてスティグという配置か?

 いや、スティグの能力は俺に対して特効すぎる。

 もし前衛の攻撃を通り抜けた従僕がスティグに噛み付いたら一瞬で形成が逆転してしまう。

 ここにいるメンバーは少数対多数に弱すぎる。

 しかし、イルヴィナは何か考えがありそうな顔をしていた。


「数が多いなら囲むのが正攻法。逆に少ないのなら一度に相手にする敵を減らすのが定石」

「攻められる方角を一点に集中させる、ということだね?」

「壁を作れば攻撃するために正面から来ざるを得ない」

「その方法なら僕の援護も期待できると思うよ。少なくとも()()()()()()()という点で言えば最適解だ」


 そう、数を減らすだけなら安全性も効率も良いといえる。

 迫りくる敵の数が限定されるならスティグは直近の敵のみを停止させて身内が能力に侵されることを妨害できるだろう。

 だが数を減らしただけでは勝てないのがアステル。あまり効率よく数を減らしすぎれば逃走という選択肢を与える可能性があるだろう。

 何より卑怯な手段を用いてこない保証はどこにもない。

 奇襲されれば何の意味もない。

 イルヴィナはそこまで想定した上で発言したのか?


「もしもアステルの残り二つの体の場所がどちらも判明しているなら攻勢に出るべかだと思う」

「それは俺も考えた。予備があると知っていれば無茶な行動も一つの作戦として使ってくる可能性があるからな。ただ、戦力の分散は……」

「ここに厄災級の戦力がいる」


 誰のことだ、と皆が思った。

 その中、一人だけドヤ顔で胸を張っている。

 その姿が見えたわけではないが目の前、というよりも自分の上に座っているイルヴィナから感じる自信が物語っているのだ。


「イルヴィナが一対一でアステルと戦う」

「さ、さすがに無茶よ!」

「だって皆にはそれぞれ役割がある。リースは情報を集める。レインとガルムは他にもあるアステルの体を見つけて戦わなきゃならない。スティグは二人をサポートして確実に倒せるようにしなきゃならない」

「それはあんたも同じはずでしょ!」

「ちがう」


 本来は一方通行のはずのイルヴィナの気持ちが自分にも流れ込んできた。

 彼女に直接触れているから明確に意図を汲み取れる。

 イルヴィナは一人で勝つつもりはない。


「こいつが一人で足止めしてる間に俺達が速攻で一人を倒して合流する」

「ガルム? 自分で無茶なこと言ってること分かってる? 二人掛かりであんなに苦労したのに一人で相手ができるわけ――」

「できる」


 確信を持って答えた。

 イルヴィナから自信と一緒に伝わってくるものが一つあって、それを他には悟らせないために。他でもないイルヴィナ自身が、その感情に負けてしまうことのないように背中を押すために。

 戦場ではほんの一瞬の迷いで命を落とす。

 抱えていて当然の気持ちでさえ足枷となる。

 すべてが終わった後に考えるものだ。恐怖や不安なんてものは……。

 当然ながら自分の持っている考えは全てイルヴィナに筒抜けになっているので背中を押された側の彼女が一番驚いていた。

 自分の何をどこまで知っていたら断言できるのか、と。

 彼女が答えてくれたのは自分の正体と想いだけ。

 その二つだけでそこまで信用できるはずがない、と考えたのだ。


「たしか、お前さんの能力は死者を操るものだろう? レインの話を聞く限りアステル相手に有効とは思えんぞ」

「リースは戦争向きな力ではないから前線に出てなくて知らないかもしれないが戦場では強力な相手には似た性質の力をぶつけていた。異なるものをぶつけた際に勝敗が分からないものでも似た力ならば均衡する」

「たしかに操る者同士ではあるみたいだけど、イルヴィナはアステルの操る何かを一体でも倒さなければ操れないと僕は考えるけど」


 スティグの言う通り皆の共通認識はイルヴィナの能力が「死者を操る」ものだというのは間違いない。

 以前のカダレアで起きた事件の渦中で彼女は正しく死者を操る力によって北区の死者を操っていたのだから。

 しかし、彼女の能力の根幹に触れた自分は違うと考える。

 彼女の能力は「相手の気持ちを聞く」ことに意味がある。

 死者の声を聞くことができるのは偶発的に得た能力であって対象は生死を問わずすべての相手が対象になり、その声を聞いて想いを叶えるまでがイルヴィナの持つ墓守としての役割。

 アステルに直接的に噛みつかれた個体は厳しくてもそこから連鎖的に発生した操り人形相手ならイルヴィナが声を聞いて応えることも問い返すこともできるはずだ。

 魔物にとっての想いは食って寝て子孫を増やしてという単純なもの。

 そして何よりもその自由を害する者を嫌い敵と考える。

 操ろうとするアステルよりも解放してやると歩み寄るイルヴィナの方が敵と認識されにくいし、そもそもがイルヴィナは魔王でもある。彼らが唯一自由を束縛することを許した相手が目の前にいて従わないわけがない。

 とはいえ、この場ではイルヴィナが魔王の一人であることを知っている者もいないだろうし別の理由で納得させるしかないだろう。


「イルヴィナにはあたし達にも言えない切り札があるってこと?」

「…………そういうことになる、かも」

「信頼してないからじゃない。信じてるからこそ言えないことだってあるだろ? 心配させたくないから」

「それも一理あるかもしれんな。私の孤児院でもよく心配させたくないからと私に隠し事をしている子が何人かいる」

「まあ、無理に聞き出すものでもないんじゃないかな。仮にイルヴィナが一人でアステルの相手を務められるなら彼女の言葉通りにこちらは一人目に圧勝し援護を急げばいい」

「それに関してなんだがアステルの居場所に関して情報はあるのか?」


 自分の問いに対してリースが挙手した。

 そしてカダレア近郊の地図を卓上に展開すると二つの場所に印をつけた。

 一つはカダレア南東側の森の中。とくに建物などもないような場所。

 もう一つは北側のかなり離れた位置にある遺跡。

 二つの印はかなり離れているためアステル側も戦力の分散を目的に配置取りをしているのか、それともまとめて葬られることを避けるために別行動をしているのか、いずれにしてもイルヴィナの作戦を実行するには都合がいいかもしれない。


「この情報は確実なのか?」

「私の子達が集めた情報だ。南東は馬車を走らせていた商人の目撃情報を集めておおよその位置を特定した。北に関しては実際に遺跡へ出入りしている姿を確認している。そして北側では別の人物の出入りも確認できている」

「その人物って?」


 リースは首を左右に振る。

 おそらく見知らぬ人物が遺跡に定期的に出入りしているのだろう。

 風貌からどんな人物から推測することはできるがミツキのように姿を偽ることのできる能力の者かもしれないし、レイスのようにそもそも肉体を入れ替えることが可能な者なら知るだけ意味はないかもしれない。

 ならば聞いておくべきことは他にある。


「その人物は遺跡に何の目的で来たんだろうな」

「見つかる可能性があったため中には入るなと言ったから外で聞けた部分だけになるのだが、二人は何かしらの組織に所属しているらしい。アステルが拠点としている遺跡に同じ組織に所属している者が訪ねてきた」

「組織……」

「中身に関しては調査中だ」


 可能性としては低いが気になる内容だ。

 自分に対して実験をおこなってきた集団もそれなりに人数もいて施設も整っていたのだから組織立っての行動と考えていた。アステルの所属する組織がそれだとは考え難いが自分とは別の犠牲者を生み出した集団かもしれない。

 それにレインが敵意を剥き出しにするだけあってアステルは本当に危険な存在なのだ。

 放置してもいい組織ではないのは確実。

 しかし、組織に関しての情報がない。現在の方向性は変わらずアステルを倒すということになるわけだが……。


「北側をイルヴィナ担当する」

「じゃあ俺達は南東で戦ってレインの影渡りで北側の遺跡に向かえばいいな」

「細かい部分の調整しておくからイルヴィナとガルムは外してもいいわよ。今日中に行動に移すからあまり遠くに行かないでね」

「了解ですよ、と。イルヴィナ、行くぞ」


 無言で膝の上から下りたイルヴィナはレインに手を振って部屋を出た。

 おそらく気を遣ってくれたことに対しての礼のつもりだろう。

 本来なら作戦参加者として自分とイルヴィナは重要な役割を持つ者同士で、今回の作戦の概要などを調整するなら聞いておかなければならないはず。

 そこをあえて外していいと言ったのはイルヴィナの表情を見てから。

 レインも自分と同じように戦場を生き抜いてきた者。

 思い残しのある状態で向かう戦場ほど危険な場所はないという考えを知っているからイルヴィナに気を遣ってくれたのだ。

 故に自分も素直に従った。

 そうした方がいいと直感的に悟ったから。

 部屋から出て少し歩いた辺りでイルヴィナは立ち止まると何か言葉にしにくいことでも考えているのか落ち着きなく視線を彷徨わせていた。

 自分にとっては今朝の出来事が何よりも言葉にしにくいものだったが。

 このままでは言葉に詰まったまま時間が過ぎてしまうのでイルヴィナの顔を見るのをやめて言葉が出てくるのを待った。


「………………重かった?」

「イルヴィナが?」


 不意に聞こえた言葉に真っ先に思い浮かんだことを口にしてしまってから失言だったと焦る。

 しかし、イルヴィナはそこまで気にしている様子はない。

 むしろこくりと頷いて肯定していた。


「ガルムずっと落ち着きなかった。もしかしてイルヴィナが重くて足が痛いからなのかな、って」

「あー、それは男の性だ。軽いくらいだったから気にしなくていい」

「気にする。いや、気になるが正解」


 イルヴィナは顔を寄せて自分が気まずそうに顔を逸らした理由を問い質そうとする。

 相手が相手だから気まずい。

 これがノエル相手なら遠慮なく答えて罵られるが……。

 どうしてかイルヴィナには拒絶されたくない。

 たとえ冗談のやり取りだとしてもイルヴィナに蔑むような目をされるのが心苦しくて、本気で言っているわけではないと理解しているはずなのに悲しい気持ちになってしまう。

 これは本格的に自分の考えを認める必要がある。

 自分はイルヴィナを普通の女の子として好きになったのかもしれない。

 フィアの言った通りになっているようで悔しい。

 不用意な行動のせいで番となったノエル。

 誰よりも長く側にいたからこそ誰よりも距離の近いレイン。

 そして、純粋に好きという感情を抱いてしまったイルヴィナ。

 犬のプロトタイプはこれだから、と罵られても否定できない。


「イルヴィナのお尻が柔らかかったし、椅子から落ちないようにお腹の辺り押さえてたから」

「ガルムの上に乗ったのはイルヴィナだから身動き取れなくしてることへの対価みたいなもの。それにすごく匂い嗅いだり落ちないように支える名目で胸を触られるくらいは覚悟してたよ?」

「いや、そんな余裕さすがにない。正直な、話し合いが始まる前からイルヴィナを完全に意識してたから、どうにかして気にしないように必死だったんだ」


 イルヴィナは幸せそうに微笑む。

 怒られたり罵られたりすると考えていた自分としては予想外の反応を見せられて完全に不意を突かれた。

 これほど自然な笑顔を見せられるような女の子が冷血?

 なにか理由があったからとしか考えられなかった。

 自分のそんな考えを読み取ったのかイルヴィナは答えてくれる。


「ガルムみたいに純粋な人はいない。皆は色々なこと考えててるように見えて大半が上に立ちたいだけ。イルヴィナのことを殺して自分がその地位に就くか、イルヴィナを手籠めにして同じ地位に落ち着くか。いや、たぶんイルヴィナは後継ぎを残すための道具としか見られない」


 自分はイルヴィナの背中を押した。

 本当に言葉通りに目標を達成できるか分からないという不安に負けそうになっていた少女に「お前ならできる」と、言い切った。

 しかし、嫌な予感がしていたことを口にできなかったのも事実。

 皆の確実性を最優先にして自分一人が欠けるくらいの犠牲は仕方がないのだと割り切っているのではないか、と。

 そこで死んで諸々の罪を償うつもりなのではないか、と。


「イルヴィナ……」

「今はそんなことないよ。イルヴィナの地位も高くないから殺してまで地位に就きたい人はいない。ちゃんとイルヴィナとして見てくれるから道具じゃないし頼りにされるのは嬉しい。ガルムが欲しいなら後継ぎも……」

「な、何を口走ってるんだ!」

「無事に帰ってくるお守りみたいなもの。だから、本当はガルムが昨日の時点で既成事実にしてくれないかな、って期待してた。その思い出があればイルヴィナはどんなことがあっても無事に帰ってくる」


 自分は少し悩んでから深い溜め息を吐いてイルヴィナを抱き寄せた。

 そして頭をぽんぽんと撫でながら真剣に考える。

 悪くない考え方ではある。

 昔から、本当に自分が戦場にいた頃でさえ多くの人間が出発する前に恋人と夜を明かして無事に帰ると宣言していたという。

 自分の子の顔を拝むまでは死ねない。

 二人揃って幸せな瞬間を目の当たりにする、と。

 ただ、自分としてはその考えを間違いとは言わないまでも好ましく思っていなくて愛し合う行為も後にある幸せの瞬間も自分が無事に戻ってくるためだけのお守りにしていいものなのだろうかと思っていた。

 過去というものが現在に与える影響なんて微々たるもの。

 彼らの言葉を聞く度に自分は悲しくなるのだ。

 後生大事に守っていく思い出はお守りなどではなく二度と戻れない深みへと持っていく手土産でしかない。


「俺はイルヴィナが帰ってきたら、また手を繋いでやりたい。こうして抱きしめてやりたい。いつでもできることだからこそ、それが失われることが何より悲しいって思うんだ。一回きりの特別である必要はない」

「悪くない……。でも、足りないって言ったら怒る?」

「他には何をご所望で? あまり刺激の強いものはご遠慮願いたいんですがね」


 イルヴィナは自分の撫でていた手を押しのけて上を向く。

 そのまま何故か目を閉じてしまい、何も話さないし行動にも移さない。それが答えだと主張している。

 自分は鈍いからそれだけでは分からない。

 いや、実際は分かっている。場の雰囲気となんとなくで想像した内容が重なってしまったのだ。

 自分は応じてあげたいという気持ちもあってムズムズしていたところをぐっ、と堪らえて掌をイルヴィナの唇に押し付けた。


「むっ……!?」

「気が向いたらな」

「分かった。ガルムが臆病だからしてくれないならイルヴィナからする」

「べ、別にビビってるわけじゃねえよ!」

「覚悟しておいてね。合わせるだけの優しい口づけなんていらない。満足できないから」


 さらっと恐ろしいことを言ってのける辺りがいかにも魔王らしい。

 その後、レインが調整を終えて出てきたのを確認し、行動開始を告げられる。

 見送ったイルヴィナの顔には自信以外に存在しなかった。

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