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偽物でも許されたい  作者: 厚狭川五和
『死者の声を届ける者』イルヴィナ
35/89

第25話「伝えたいこと」

 ――真っ白な部屋。


 見覚えのない真っ白な部屋の中で自分は目覚めた。

 イルヴィナと眠りについたまでは記憶していたが、その後どこかへ移動したような記憶はない。いくら自分が鈍感だからといって他人に運ばれても眠り続けられるほどではないという自覚もある。

 もっと言えば眠る前は獣型だった体は人型へ戻っている。

 精神的にも肉体的にも回復はしているが自分で解除しただろうか。

 いや、そういう問題ではないと自分の手を見て感じた。

 明らかに小さい。自分の大切なパートナーの手を丸ごと包み込めるほど大きかった手は子供の手と見紛うほどに小さい。

 いや、見紛うではなく子供の姿をしているのかもしれない。


「ここは……?」

「おはよう。調子はどうかな?」

「だれ、だ?」


 白衣を着た若い男が部屋に入ってきた。

 挨拶や体調を確認するような質問が投げられたが答える余裕もなく、頭に来るのは見知らぬ人間が誰かを問うこと。

 得体の知れない不安を煽られているような気がして、自分がいる寝台の隅の方に逃げるようにして移動する。逃げ場のない部屋でそんな行動になんの意味もないはずなのに体が勝手に反応していた。

 この男は危険だ、と。

 男は自分のそんな反応に驚いたような素振りを見せると頭を撫でようと手を伸ばしてきた。

 しかし、その手に殴られるのではないか、掴まれるのではないかと震えてしまう。

 そこで自覚する。

 これは、自分がプロトタイプとなってすぐの記憶なのではないか、と。


「怖い夢でも見たのかな」

「さ、触るなっ!」

「そんなに怯えなくても大丈夫だ。自分は君の応急処置を施した医者だよ?」


 夢で思い出させられる嫌な記憶。

 真っ白な部屋、自分を囲むようにして手足を拘束していく白衣の人間。

 そして、身動きを取れなくされた後に訪れる苦痛の時間。いっそ意識を失ってしまった方が楽になれると感じるような痛みを半日以上も与えられ、治療すると宣って雑な縫合や消毒をするだけの事後処理。

 忘れていた状況を思い出す度に吐き気を催すような記憶を前に怯えずにいられるはずがないだろう。

 この白衣の男は応急処置と言って何をしたのだろうか。

 顔を見るだけで冷静ではいられなくなるほど憎悪を募らせるような記憶しかないのは間違いない。


「ふむ、さすがに両足を欠損されたことによる精神汚染が激しいか。あまり悪化するようなら修復不可能なレベルまで心を破壊した方がいいだろうか」

「両足の、欠損……?」

「ああ、覚えていないのかい? 君は訓練の過程で両足を切断された。内蔵も滅茶苦茶にされそうだったところを自分が訓練を終了させて手当てをしたんだ」

「ば、ばかなこと、言うな……!」


 たぶん夢だ。

 これはまだ夢の続きなのだ、と早く目覚めようと思ったが、感覚がより現実味を帯びてくるうちに現実なのではないかと考えてしまうようになった。

 白衣の男が冗談のように言ってのけた言葉を信じてはいない。

 信じられるはずのない言葉を他でもない、自分の足に教えられることになる。

 腿の下部から痛々しく残っている縫合された傷跡。

 男の言葉を証明するかのように残っている腹部に複数の刺し傷。それからどれほどの力で殴られたかも分からないような痣。

 これらの傷が訓練で?

 この施設の目的を考え、その中で訓練が必要となるような理由がないことに気がつく。

 ここは特殊な力を持つ者に制御する術を学ばせる場所。

 大怪我を負うほどの訓練を実施する必要は……。

 自分の足に残る傷に触れた瞬間、その訓練時の景色がフラッシュバックして途端に猛烈な吐き気に見舞われる。


「うぐっ……!」

「少し落ち着くんだ。まったく、今日の訓練は中止だな。レイン」

「…………レイン?」

「しっかりして! まずは落ち着くの!」


 そうか、この頃にはレインと知り合っていたか、と自分の背中をさする吸血姫の姿に安堵する。

 少しずつ呼吸を整え自分を保つ。

 痛みや恐怖に飲まれてしまうと狂ってしまいそうで、この苦しみは過去の物だと自分に言い聞かせるようにして全てを忘れようとする。

 そうでもしなければ痛みを伴う訓練に耐えられなかった。

 彼らは自分が持っている力はとても制御が難しいものだから訓練の質も量も他の者とは比較にならないほど厳しいものを長期でこなさなければならないと言っていた。

 しかし、幼い自分に堪えられるだけの精神力はない。

 訓練を終えた後に豪華な食事や要求したものが与えられるようなご褒美があっても釣り合わないと感じた。

 これは自分が生き残るために必要なものだ、と言われても信じられない。

 自分は、訓練で死んでしまいたいと思う時にこの女の子がどれほど涙を流してくれるのだろうかと考えるようにしていた。

 出会って間もない他人なのに他の誰よりも近くに居てくれた。

 こんな泣き虫で怖いものだらけの自分に優しくしてくれて励ましてくれた。

 そんな子が自分が死んだ時に立ち直れるのか、と。

 彼女がそこまでしてくれるのが責任感なのか感情からなのかは知らないが何れにしても自分を救えなかったことに責任を、そして悲しみを背負っていくのだと考えたら易々と命を手放せなくなったのだ。


「もう…………大丈夫だ。平気だから、放してくれ」

「ほんと? 嘘ついてない?」

「俺がお前に嘘なんて言ったことあったか?」


 だから強くなりたい、と。

 自分がここに来る前に力を欲した理由がそこにあると知ることができたのはレインのおかげだった。

 レインのように他人のために涙を流せるようになりたい。誰かのために痛みを感じられる自分でいたい。

 そして、同じように誰かのために何かをできる人達を守りたい。

 彼らが望んでいた()()()()()()()にはならない。

 彼らが訓練中に死に目を見るほどの雑な事故を起こしたとしても自分は取り乱さない。痛みに呻くことはあっても冷静に自分でできる応急処置を施して白衣の連中にはそれ以上に触らせはしなかった。

 間違っていたのだろう。生物兵器としては……。

 その後、戦争の道具として使われるようになると守った誰かのことを喜ぶことよりも命を奪ってしまった相手のことを悔いることの方が多かった、

 それが今も自分が背負い続けなければならない罪。

 この夢はそれを自分に再認識させるために見せられているのだろうか。



 ――イルヴィナの部屋。


 目を覚ました時、自分は比較的落ち着いた状態だった。

 ただ静かに涙を流していたのは間違いない。

 寝台の上で自分の頬が触れている辺りがしっとりと湿っている。夢の中でどこまでを見たのか覚えていないが悲しさを感じる程度には深い記憶の奥底まで触れたのかもしれない。

 怖い夢でも見て泣いていたかのように思えて恥ずかしくなった自分はクッションか何かを抱えている腕の中に鼻先を埋めてしまおうとした。

 しかし、思ったよりもそれは硬かった。

 そして鼻先を近づけたことで明確に伝わる甘い匂いが印象深い。


「鼻水拭ったら怒るから」

「は? え……?」


 聞こえた言葉の意味が分からなくて顔を離してよく見ると自分が抱きかかえていたのはイルヴィナだったようで腕の中でモゾモゾと動き始める。

 記憶が欠落しているような気がするが……。

 昨日はイルヴィナといくらか話した後に眠気がして寝台を貸してくれると言われて横になり……、とそこまでは明確に覚えているのだが後が一切思い出せない。

 それに今更だがイルヴィナを抱きかかえていたという言葉通り自分の前足はしっかりと手に戻っている。獣型から人型に戻っているようだ。

 と、自分が記憶やら変化に困惑しているとイルヴィナは楽しいのか微笑みながら自分の体に手を回しくる。


「女の子を抱き枕にした気分はどうだった?」

「いや、待て! そんなことした覚えはないぞ」

「覚えも何も、これが答えだよ? ガルムはしっかりイルヴィナを抱きしめてぐっすり寝てた。ぎゅっ、てされたしスリスリもされた」

「えっと………………許して、ください」


 何か悪いことをしてしまったみたいに思えて小さい声で謝罪する。

 きっと耳も落ち込んでいるように垂れている。

 そんな自分を見てイルヴィナはくすくすと笑う。

 怒っている訳ではないのだろうと話し方で理解しているが女の子に対してこういうことをしてしまった場合は少しでも自分の立場を弁えていると伝えるために大人しく、謙虚な姿勢を保っている必要があるので飄々(ひょうひょう)とした態度には戻れない。

 ただ、間違いなく言えることはイルヴィナが楽しそうということだけ。

 自分が大人しくしているのに対してイルヴィナは満面の笑顔だ。まるで悪戯をした子供がそれに気がついてもらえるのを待っているかのような、そんな笑顔である。


「冗談。ほんとはイルヴィナが一緒に寝ようとした」

「そうなのか?」

「でもイルヴィナを捕まえて抱きしめてきたのはガルム。ベッドの隅の方に寝ようとしたら掴まれて抱き枕にされた」


 彼女の言葉を信じるならば自分は睡眠を始めて割と早いタイミングで人型に戻っていたらしい。

 いや、重要なのはそこではない。

 自分は寝ぼけている状態でイルヴィナという女の子を両腕の中に捕まえて抱き枕にしていたのだ。

 これまた今更ではあるが自分が人型に戻っているということは、だ。

 獣型へと変わる時に服をどうしたのか。それを思い出すと今の状況は冷静でいられるわけがなかった。

 服も身に着けていない状態で女の子を抱きしめていたなんて状況は他人が見れば騎士団に通報を入れられること間違い無しの現行犯である。


「イルヴィナにお願いがある」

「?」

「俺がお前から離れて体を起こして立ち上がるまで目を閉じていてほしいんだが」

「イルヴィナは一回見てるから気にしない」

「俺が気にするの!」

「イルヴィナはガルムが大好きだから見たいけど」

「ダメなもんはダメだ!」


 ここまで意固地になる必要もないのかもしれないがイルヴィナが本気で自分のことを好きなのだと考えると余計に見せていけない気がした。

 どうもイルヴィナはそんな態度が気に食わないらしく強硬手段に出ようとする。

 即ち、見てはいけないと言うなら触れてやろう、だ。

 何を思ったか悪い笑みを浮かべたイルヴィナは唐突に背中に回していた手を前に持ってきて自分の下半身の方に伸ばそうとしていたので反射的にその手を捕まえて頭上まで挙げさせる。

 すると今度は右足を上げて膝を触れさせようとしてくるのでそれを同じように自分も足を上げてガードする。

 ここまで防戦したがイルヴィナは策士だった。

 手を使おうとすれば手を掴まれる。足を使おうとすれば足で防がれる。そこまですればイルヴィナの行動に対応した自分もまた手足を塞がれた状態になると考えていたのだ。

 イルヴィナは自分の顔を見て再度含みのある笑みを見せると視線を下ろしていく。

 自分は完全に敗北した。

 もはやプライド云々など言う余裕もなくがっつりと見られてしまったがために隠すのも何か無意味な気がして、イルヴィナの手を放すと寝台から飛び起きて距離を取った。


「そんなに嫌ならイルヴィナを脅せばいい。むしろ襲ってしまえばガルムのこと嫌いになったかも」

「嫌われたくないから困ってんだよ! こんなもん見られたら蔑まれたり拒絶されたりするのが当たり前なんだぞ?」

「大好きなのに? 大好きな人が興奮している状況を拒絶?」


 まったく意味がわからないと寝台の上に正座していたイルヴィナは目を逸らそうともしない。

 別に彼女が言うように興奮していたつもりはない。

 いや、していなかったと言えば嘘になるが求めていたわけではないので意味合い的には同じだ。

 とにかく普通の女の子が平然と見るようなものではないことを理解してほしい。寝起きの生理現象が起こっている状態を、見た目上は興奮していると捉えられてしまう状態をならば余計に、だ。

 無意識なのか何度も「大好き」と連呼するイルヴィナに自分も少し動揺しすぎている。

 頭では落ち着けと言っているのに気持ちばかりが暴れていて落ち着きそうもない。


「冗談でも大好きなんて言われたら落ち着かない」

「本気だから! ガルムならイルヴィナが本気だからドキドキしてる音も聞こえてるはず!」

「…………!」


 言われるまでもなく聞こえていた。

 目覚めた瞬間にイルヴィナを抱きしめていたことに気がついて、自分の裸を見られて、大好きと言われて限りなく興奮状態にある自分の鼓動と同じペースを刻んでいるもう一つの音。

 自分はその鼓動を人間よりも大きい耳で聞き取れていたが確認するようにイルヴィナの左胸に手を伸ばしていた。

 何の抵抗もする様子がないイルヴィナの左胸に自分の右手を押し当て、その音が本当にイルヴィナのそこから聞こえてくる音なのかを確かめたかった。

 そこから感じる鼓動は自分のよりも明らかに大きかった。

 これを冗談だというのは失礼だった。

 どう考えても真っ直ぐに想ってもいなければここまで強く緊張することはない。


「冗談なんて言って悪かった」

「分かったなら、それでいい」

「ただ、お前が本気で俺を好きなら襲われてもいいなんて考え方は違うと思う。ここまで俺のことを好きだと考えてくれるなら鼓動も、気持ちも、感覚さえも重なった状態で行為をするべきだと思う」


 イルヴィナは伝えたいことに気がついてくれたのだろうか。

 左胸に押し当てられた手に自分の手を添えて目を閉じると焦りから本当の気持ちとすれ違っていたのを自覚したのか一度だけ深呼吸をすると小さく頷いてくれた。

 その行為が自分の胸に刺さったのは内緒にしておく。

 レインやノエルには事後承諾という形で報告しようと考えてしまうほどに、自分がつい先程イルヴィナに焦るなと伝えた側なのに彼女を押し倒してしまいそうなほど意識してしまったのだ。

 さすがにそれは許されない。

 お互いに好きだからといってその場しのぎの気持ちを押し付けたくない。

 と、自分が色々と考えてイルヴィナの左胸から手を離すのを忘れていた頃だ。

 ノックもせずにイルヴィナの部屋の扉が乱暴に開かれた。


「戻ってこないから心配したじゃない!」

「レイン……!?」

「えっ…………と、邪魔……しちゃったかな?」


 さすがに友人だろうとノックも無しの扉を蹴破る勢いで入ってきたら無礼講がすぎるだろうと感じたが顔を引き攣らせて帰ろうとしていたレインをそのままにはできない。

 咄嗟に彼女の手を掴んで足止めして振り向いたところに全力で首を左右に振って否定した。

 イルヴィナとは何もない。邪魔などされていない、と。

 しかし、この状況でもなおまだ落ち着いていなかった自分は体温も高かったし興奮状態なのは変わらなかったのでレインは視線を少し下げたかと思えば震えた声でおかしなことを言い始める。


「さ、三人で……?」

「少し落ち着け。いつものお前なら絶対にしないようなことを考えてるだろ」


 一分ほどレインは困惑して色々と口走っていたが少しだけ落ち着いてきたのか手を放してと主張してくる。

 そこで自分が頷くと同じようにレインも頷き返してくる。

 逃げたりしない、という意思表示だ。

 自分はレインの手を放して部屋に戻り事情説明をするためにイルヴィナの隣に座る。


「えっと、それで二人は事後、なの?」

「ちがう」

「そっち方面の発想から帰ってこい。泊めてもらったけどイルヴィナに手を出してないから安心しろ」

「嘘は良くないんじゃないかな? 思いっきり手を出してたよね?」


 ああ、レインがいつもの調子に戻ってきたようだ。

 まだ多少は混乱しているようだが最も突き詰めるべき事実に議題を持っていける程度には冷静になっている。

 先程の行為をどう説明したものか……。


「イルヴィナが、俺のことを好きだって言うから」

「告白されたからってその場で手を出したらダメでしょ!」

「いや、俺の耳が音の嘘を見抜けないことはないけど自分に向けられた好意だから判断が甘くなってるかもしれないから物理的にイルヴィナの鼓動を聞いて確かめようとしていた」

「ほんとにそれだけ?」

「ガルムと将来的にしたいことはまだ出来てない」


 あまりレインを怒らせてしまいそうなことを言わないでほしいのだが……。

 とりあえずは納得してもらえたのだろう。

 レインはため息を吐いていたが警戒を解いている。

 そして床に座っている自分の影の中に手を突っ込むとそこから何やら服と思しきものを取り出すと自分に向かって放り投げた。

 広げてみるとやはり服だ。

 白を基調とした衣服で騎士団が身につけているようなものに見えるが所々にフィアが所属している教会のシンボルでもある翼の紋様が刺繍されている。


「確認行為でも裸でやったら誤解されるに決まってるじゃない」

「これは?」

「新しい服よ。前に着てたのはもう着れなくなったって言ってたでしょ。せっかくだから新調してあげようと思って」


 ありがたいと思ってさっそく着用しようと思ったが足りないものに気がついてレインの方をじっと見つめる。

 さすがにどんな良い服だとしても下着を身に着けないわけにはいかない。

 レインも気づいたのか顔を赤くしながらもう一度影に手を入れる。

 そして先程よりも雑に自分へと投げつける。


「何でサイズを知ってるんだ?」

「知らないわよ! 目安で作らせただけだから全然違うかも! 違ったら諦めて作り直すの待っててもらうから」


 と、レインが言うものの身に着けてみると下着も新しい服も見事に自分の体格に合致していた。

 この際は細かいことを気にしないことにしよう。

 どうやら白服は生地が伸縮性の高いものを使っているらしく体を大きく動かしても引っかかるような感覚はなく、丁度よく作られてはいるが多少の変化にも耐えられそうだ。

 自分専用の武具として作ってくれたガントレットといい、物作りと魔法を掛け合わせた魔法工学というものに精通していなければ作り難いものをこんな簡単に思いつくレインは頼りになる。


「それで、あんたは何でイルヴィナの所に泊まってたの? 話をするだけだからすぐ帰ってくると思ってたのに」

「イルヴィナの力を使って死者に聞きたいことがあった」

「その答えはもう教えた」

「いや、まだのはずだが……」


 イルヴィナは首を横に振る。

 たしかに恨んではいないということや自分のように死者の魂というか霊というものが近くにいることを信じる者が珍しいから寄ってきているという話はしていたが明確に彼らの気持ちは聞けていないはずだ。

 自分が納得していない表情をしているとイルヴィナは自分の胸を指で示す。


「大切なこと、思い出せた?」

「っ!」


 彼女が何を指して言っていたのか明言されていないのに分かった気がする。

 あの夢はイルヴィナが見せたものだ。

 ここにいる彼女のお友達と呼ばれる存在達が自分に伝えたかったことを夢として見せたもの。

 自分は一度だって喜んで命を奪ったことなどない。

 彼らの命を奪わなければならないことを悔やみ、その行動に対する責任を背負い続けてきた。

 それは何故か。

 自分も痛みや苦しみ、残された者が感じる悲しみや憎しみを知っているから。

 彼らが伝えたかったのはそういうことなのだろう。


「みんなは知ってたんだな。俺が力を振るう時に表情には出さずとも心の内で泣いていたことを」

「そう、みんなも同じ。誰かを守るために戦わなきゃいけなくて、心を殺しながら前に出ていた。だからみんなにとってガルムも子供と同じ」


 恨んでいるかどうかではなく、許せるかどうかが大切だった。

 もし自分が彼らと同じような立場の者に殺されることになった時、同じように許すことができるのか。

 同じ痛みを知る者として同情できるのか。

 そして、彼らが伝えたかったのはもう一つあるはずだ。

 自分がその生き方を選択する決意をしたきっかけになった者に、それを一度も言えずにいた事。

 正面で自分とイルヴィナの話を聞いていたレインの前に座り、深々と頭を下げる。


「俺の生き方を定めてくれたのはレイン、お前だ。俺にとってレインはただの世話係でも保険でもなくて、師に近いものだった」

「な、何よ急に……」

「お前がいなかったら俺は心無い兵器になることを選んでいた。明るい未来を始めるために戦うんじゃなくて、暗い過去を終わらせるためにだけ戦っていたかもしれない」

「…………!」

「ありがとな」


 感謝を述べて再度、頭を下げる。

 今の自分はノエルから力を与えられただけでは存在しない、その力を自分が願ったことのために使えるように方向性を定めてくれたレインがいて成立した。

 彼女は当時、自分の背中を守る以上の役割を果たしていたのだ。

 気持ちが伝わったかどうか不安で少しだけ頭を上げてレインの方に視線を向けた。

 するとレインは困ったような顔をしていた。

 伝わっていない訳ではなさそうだが自分の気持ちを真っ直ぐに伝えたことで逆に困らせてしまったのだろうか。

 レインの視線がちら、と一瞬だけ自分に向く。

 その時に自分の不安そうな表情が見えてしまったのかレインは自分の側にくると頭をわしゃわしゃと雑に撫で回した。


「あんたのそういうところが、まだまだ子犬ちゃんなのよ」

「怒ってるのか?」

「怒ってない。だからむしろ機嫌なんか取ろうとしないで怒られるつもりで堂々としてなさいって言いたいの! せっかくの良い台詞が台無しよ」


 これでは親と子の扱いだ、と撫でるのを止めさせたくてレインの手首の辺りを掴む。

 相当に不満げな顔をしていたのだろう。

 レインは一瞥するなり鼻で笑って満足気に距離を取る。自分は真面目に感謝しているつもりだったがレインはそういう意味での感謝はしてほしくなかったのかもしれない。

 一時期はパートナーとして動いていたのだから当然の反応だろう。

 後ろではその様子を大人しく見ていたイルヴィナが退屈そうに体を揺らしていた。


「もういい?」

「待っててくれたのか?」

「割り込むのはいけない気がした。でも待つのは苦手。誰も戻ってこないから」

「ガルムは約束を守った、でしょ?」

「レインの言う通り。明日って言ったのに数日後に来たのは不満だけど」


 それには深い事情が、と言い訳しようとしたがテイムのことなので彼女からすれば他人事なので黙っておく。

 守れない可能性があるなら「また今度」でも良かったなと後悔した。

 それでもイルヴィナは自分が約束を破らずに会いに来たことに関しては好感を持っているらしい。それだけ過去に待ち人が現れないことの方が多かったということにもなるが……。

 いや、どちらかと言えば待ち人が帰ってこなくなった理由はイルヴィナの方にあったのかもしれない。

 そこを含めて自分とイルヴィナは似ているのだ。

 ここまで距離感が近くなってしまったのもお互いの過去が似ているせいなのだろう。


「そうそう、イルヴィナに伝言があったの忘れてた。三時間後に区長会合が緊急で開かれることになったから参加してね」

「まだガルムと何もしてない」

「わがまま言わないの。それにガルムも参加よ」

「は? 俺も?」

「拒否権はないからね。あんたは区長じゃないけど強制らしいから」


 この時から嫌な予感はしていた。

 しかし、自分まで呼ばれた理由が想定していたよりも悪い状況だったのを知ったのはレインの次の言葉を聞いてからだった。


「アステルが再び現れた」

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