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偽物でも許されたい  作者: 厚狭川五和
『死者の声を届ける者』イルヴィナ
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第24話「変化」

 ――テイムの商館。


「私に業務の一部を任せたい、ですか?」


 卓上に並べられた書類に視線を落としたミスティは対面に座る虎の獣人に困惑したような声で問いかけた。

 一方、そんな質問をされた虎の獣人、テイムは迷いもなく頷いた。

 テイムが経営していた商館は奴隷を働き手として客に売るという名目で身寄りのない子供たちに新しい生活環境を与えることを一番の目的にしているが、彼らが買われていくまでの生活費を工面しているため、他にも通常の商人としての業務もある。

 それこそ情報屋として割と有名だった。

 彼は召喚に訪れる客人に対して商品を売るだけではなく世間話をしながら様々な情報を得るようにしているのだ。

 ミスティが困惑していたのは書面に記されている内容にはテイムが行ってきたそれらの業務が一頻り載っているからである。

 彼が一人でしてきたことを知らないわけではない。

 しかし、知っているからこそ急にそのほとんどを自分に任せようとしているのかを理解することができなかった。


「できない、とは申し上げません。テイム様のお仕事を横で見てきましたから。ただ……」

「理由を聞かないと従えない?」

「分かっているのなら意地悪はおやめください。他の子供達だってテイム様が急にいなくなってしまったら悲しむと思います。私だって……テイム様を心配して……」


 あくまで予感でしかない。

 今までは遠くへ仕事に行く時も兄貴分のような存在であるガルムと危ないことをする際もテイムが事前にミスティを頼ることはなかった。

 それは長く自分が席を外してもどうにかしてくれると知っているから。

 ミスティに向けられた信頼は大きい。

 だから、こうして彼が事前に準備を整えるようなまねをすることに不安を覚えてしまうのだ。

 テイムはまだ完全には治りきっていない。

 彼と対峙した黒騎士は巨体の魔物へ振るうような大剣を軽々と扱い、横薙ぎに足へとぶつけ、その片足の骨を砕いた。獣人の生命力があっても砕けた骨が完全に繋がるまでには時間がかかる。

 最近の出来事は冗談として済ませることができないほど重い。

 せめて、見合うだけの理由を知らなければミスティは頷くことなどできない。

 何も答えてくれないことに対する不安に体を震わせているとテイムは彼女の頭にその大きな手を乗せて微笑んだ。


「俺は幸せ者っすね。拾ってあげただけの子供達にまで心配されて、こんなにも俺のこと想ってくれる女の子までいるんすから」

「テイム、様……?」

「心配しなくても離れるつもりはないっすよ。俺の帰る所はここで、優先順位も一番だから」


 ミスティは何かの聞き間違いかと思った。

 自分たちのことを大切にしてくれていたのは事実だがテイムにとっての優先順位の一番を埋めていたのは、いつもガルムだったはずだ。

 だから彼のために危険な橋を渡ってまで情報収集をしたり、危険な場所へもついて行っていたはず。

 しかし、それを覆した?

 今まで譲られることのなかった場所を?

 なにか心変わりするようなものでもあったのかと思い返してみても検討もつかない。捨て駒のように使われようともガルムのために動こうとするのがテイムだったのだから。

 ミスティは恐る恐る真意を問うことにする。


「ガルム様と、喧嘩でもされたのですか?」

「兄貴と……?」


 ミスティの質問に対してテイムは目をまん丸くして驚いていた。

 それからすぐ吹き出して「()()()ありえない」と笑う。

 基本的にテイムは受け身の姿勢だ。

 ガルムと関わる時も機嫌を伺うような、それとも彼の動向を気にするような感じで前衛的な発言を控えて彼の意見があったら賛同するような姿勢に努めていた。

 いや、それは元々の役割が関係しているのかもしれない。

 仲間を失わないために、それらをまとめ上げるために『支配』という役割を受け入れた。とても『傲慢』と呼ぶには似つかわしくない性格をしていながら、傲慢の竜に認められた存在だからこそ、場の空気を崩したくないのだろうか。

 自分はその場を支配している存在かのように一歩引いた位置から安定するように調整(コントロール)するのだ、と。

 それらを考えてもテイムの発言に虚偽はない。

 喧嘩が起こり得るはずがない。

 前衛に出て好き放題にするガルム(主人公気取り)と彼の隣でいつも機嫌を見て調整するテイム(傲慢な支配者)が衝突するはずがない。

 ならばミスティは余計に彼の優先順位が揺らいだ意味が分からない。


「単純な話っすよ。プロトタイプとして生まれたなら与えられた力は願いのために使うべきだって。レインを見てたらそんな風に考えるようになったんすよ」

「レイン様から?」

「そうっすよ。レインの力は逃げることに特化してる。怖いものから逃げるために闇へ身を隠し、捕まってしまった時に噛み付いて相手から逃れる隙を作る。でも、レインはガルムの兄貴のことが好きだから逃げるための力を大切な人を支えるために使ってるっす」


 テイムは商館の外で遊んでいる子供達に視線を向ける。

 自分が大切に想う相手を支えるために逃げることを否定したレインに対して彼は何を思っているのか。

 ミスティはそれを知っていた。

 いつも誰かを守るために傷ついてきたのがテイムだ。

 ガルムの側にいたのは彼があまりにも弱い存在に見えていたからで、自分が守るべき相手に見えていたから。

 でも、彼は自分でどうにかできる。自分の足で立って自分のしたいことは自分で決められる。

 それに気づいてしまったら、テイムは余計なことをするなと言われてしまったような気がして守るなんて偉そうなことを言えなくなってしまったのだろう。

 逆に守られることの方が多くなっていれば、なおさらだ。

 ミスティは卓上に並べられた書類を手に取る。

 そして外を眺めていたテイムの顔を見上げながら答えを出した。


「テイム様の願いを聞かせていただいてもよろしいでしょうか」

「俺の願いは変わらないっす。ミスティを、子供達を、大切な家族を守りたい。そのために力を使うなら傲慢の竜だって認めてくれるっす」

「私はテイム様の足枷になりたくないので引き受けます」


 テイムは書類を持っていたミスティの手を両手で掴む。

 床に散らばる書類の音になど微塵も意識が向けられることはない。

 自分の手を掴んで話さない縞模様の大きな手に意識が持っていかれて、鉄面皮とまではいかなくとも顔色の伺いにくい獣人が頬を緩ませていることに気がつくと恥ずかしさに負けて視線を逸らしてしまいたくなる。


「俺はミスティが足枷だなんて思ったこと一度もないっす! それでもミスティがそんな風に考えてくれてるなんて嬉しくて、なんて言葉にしたらいいのか……!」


 歓喜のあまりテイムは無意識にミスティに迫っていたらしく、そのまま押し倒してしまいそうな勢い……むしろ自然と体重を掛けていって椅子ごと彼女を押し倒した。

 ミスティも背中に手を回されていたから彼が何を求めているのか理解していたが、どうも外の視線が気になって集中できない。

 子供達が窓の外から見ているのだ。

 テイムが預かっている子供達はまだまだ遊び盛りの幼い者が多い。

 とてもではないが見せられるものではない。

 そもそもミスティ自身が羞恥に耐えられない。未だにテイムとは主従の関係である時間の方が長いのだから急に恋人のように振る舞えと言われたところで緊張してしまい人前で手を繋ぐことさえできていないほどだ。


「大袈裟です。そ、それに子供達に見られてますよ」

「ミスティはいつもそうやって逃げるっすね。兄貴と決別するかもしれないって時はあんなこと言ったのに、まだ一回も抱いた記憶がないっすよ? そもそも同じベッドで寝たことすらない」

「別にテイム様のことが嫌いなわけでは……」

「いや、無理強いも良くないっす。嫌いとか好きとか関係なく迫られるのが嫌ならやめておいた方がいいっすね――!」


 テイムは体を起こして上から退こうとしたが服の裾を掴まれて留まる。

 視線を戻すとミスティか顔を真っ赤にしながらテイムの服を掴んで離れるのを止めていた。

 そして震える口を少しだけ動かしてか細い声で呟く。


「今夜…………予定は、ありますか?」

「…………」


 ――フィアの教会。


「お前は飽きないのか?」

「がぅ?」


 黒騎士の頭から発せられた言葉に獣の少女は首を傾げ作業を続ける。

 具体的には床に座り込んだ状態で抱えていた騎士の頭部を清潔な布で丁寧に磨いている最中だ。

 テイムに体を固定されて頭部のみにされてからレイスは教会にある部屋の一つで机の上に置かれたまま放置されている。時折、脱走していないかをフィアが確認しに来る以外は誰も彼の前を通ることがなかった。

 数日前までは。

 ここ最近は偶然にも放置されている頭部を発見したニムルが毎日、飽きもせずに磨きに来ている。

 誰かに頼まれたわけでもないのに通い続ける理由がわからない。

 教会にいるにも関わらず給仕の着るような服を身に着けて、少女らしからぬ姿勢で一生懸命に頭部を磨いている。一人前の冒険者でさえ装備の手入れを毎日する者は稀だというのに自分の所有物でもないのに黙々と磨いているのは気持ち悪ささえ感じる時がある。

 そして、レイスは彼女に磨かれている間は毎回と言ってもいいほど自分の騎士道を外れてしまいそうになるのだ。

 動けない無機物とはいえ、その頭部はレイス本体であり視覚も触覚も存在する。

 しかし、ニムルは彼を物のように考えているのか裾の短い給仕服を着ているのに胡座をかいていたり磨く際に力を入れやすい姿勢なのか胸元に抱きかかえるようにしていることがあった。

 レイスに肉体は無いので目を瞑ることもできなければ触れている体から離れようとすることもできない。

 故に甘んじて受けいるしかない状況に苦しんでいた。


「自分は騎士だ。少女の下着程度に動揺するものか」

「っ!」


 カン、カン、カンッ!

 レイスが自分を律するために声を発した瞬間、金属の頭部は少女の手元を離れて部屋内の壁や床に数回、当たってから転がった。

 横向きになった視界の中で獣の少女は四つん這いになって腰を高く上げ、その身を震わせながら「ヴゥゥゥッ!」と威嚇している。

 悪意もなければ不可抗力であったはずだが怒っているらしい。


「騎士の頭を投げるとは何事だ」

「ヘンタイ! ニムル、みてもいいのガルムだけ!」

「自覚があるのならば警戒しろ。こちらは身動きが取れない故、お前が気を付ければ何も問題はない」


 ニムルはしばらく唸っていたがレイスの言葉を考えていたらしく、少しして申し訳無さそうに近づいて頭部を拾った。

 そして、まるで鎧ではなく人の頭であるかのように撫でる。

 部屋のあちこちにぶつかって傷がついているかもしれない場所を優しく、謝罪の気持ちを込めて撫で続けていた。

 この反応を見たレイスは咳払いをすると健気な少女に言葉をかける。


「良くも悪くも純粋な心を持っているな」

「ニムルはじゅんすい、ちがう。たんじゅんなだけ」

「単純?」

「おまえ、ほうちされてかわいそう。さみしいかも。そうおもって、はなしあいてなんかなれないけど、ニムルそばにいてやる、おもった」


 ニムルは拙い言葉を紡ぎながら頭部をテーブルの上に戻した。

 誰も彼に見向きすることなく通り過ぎるだけであったのに、人間と一番かけ離れている存在である少女は見過ごせず、どうにかして構いにくる理由を考えて磨きに来ていたのだ。

 ただ、レイスはそれだけが理由ではないように思えた。

 寂しいという相手の気持が分かるなら声をかけてもいい。

 それをあえて磨きに来るだけで話そうとはしなかったのは単にニムルが話すことに苦手意識を持っているのが理由には感じられなかった。

 でなければ彼女はどうやって他の者達に心を開いたというのか。

 話すことは好きなのだろう。

 拙い言葉ながら人の言葉を話すことを是としたのだから相応の理由がある。レイスはそこまで想像し、フィアから軽く聞かされていた程度の素性から心当たりになりそうなものを探し当てた。


「孤独、か」

「わかるのか? おまえ、おなじきもちか?」

「この体になってからは仲間と呼べる者もいなければ人と関わることと疎遠になっていたからやもしれん。自分と()()者がいないと思うと胸の辺りが空っぽになっているような気がした」

「それなら……」

「願ってはならない。自分は、()()()()()()()のだ」


 レイスは助けを願ってはならない。寂しいからと温もりを求めてもいけない。

 彼が『不死』であるために与えられた業だから。

 騎士として殉じたのだから騎士として死後も通し続けなければならない。

 守るべき一人を守るため自らの全てを捧げたのであれば他人に求めてはならない。

 何よりレイスは彼女と自分が抱えているものが違うことくらい理解している。

 自分はただ一人の大切な者を守るために自らの命を犠牲にした。言い換えるなら自ら孤独になることを選択した愚か者だ。

 しかし、ニムルは違う。

 彼女は生まれつき魔物という立場が孤独にさせられる要因。自ら選んだ訳でもなければ選択する余地も無い。特に人に近い形で生まれてくる魔物など珍しいのだからどちらにも馴染めるはずがない。

 自分から関わりを捨てた者と他人との関わりに飢える者。

 与えてやることくらいは出来るのだろうか、と他人事のはずなのに胸を抑えて苦しそうにしているニムルを見上げる。


「ニムルよ、アドバイスなんて気の利いたものは言えないが……まあ、お前にその気があるのなら聞くといい」

「………?」

「寂しさのあまり貪欲になりすぎるな。見えた者と片っ端から関わりを持とうとしないことだ」

「どんよく?」


 ニムルは自分に与えられた業とも呼ぶべき性質(ルール)を理解していない。

 彼女が誰とでも仲良くなれるのは悪いことではないが、それを誰とでも仲良くなってもいいと履き違えてはならない。

 生まれつき孤独を感じていたから寂しさを埋めようとして自分とは異なる者でも平気で声をかけてしまうのは犬の持つ好色とはまた別のもの。とにかく自分が一人になりたくないからと次々に様々な存在に擦り寄っていく。

 それこそ、相手が敵同士であろうと関係ない。

 可能なら誰と繋がりを持つことが自分の空白を満たしてくれるのか考えた上で選び、それから行動に移してほしい。

 レイスから見ればニムルは既に恵まれている。

 人間の教会に居候になっているのに誰からも非難を浴びることなく共生している。

 同種ではないが彼女が望むのなら伴侶となれるだろう犬とも良好な関係を築いている。

 あとは彼女自身がそれに気がつけるかどうかで今後の危険を冒さなくてもいいと理解してもらえるはずだ。

 レイスは難しい言葉では伝わらないと判断し簡潔に伝える。


「一人ずつ、だ。たくさんの人間に愛想を振り撒かず、まず一人を信頼し全てを許せるようになるべきだ」

「あせらなくていいってこと?」

「そういうことだ。目が冷めたらお前の側に誰もいないなんてことはない。心配せずに時間をかけて信頼できる者を増やすといい」

「わかった! おまえいいやつだ!」

「……………」


 直すべきはそういうところだとは思ったがレイスは口を閉ざした。

 それ以上に問答を続けてせっかくの純粋を悩ませて黒く染めるのも違うような気がしてならない。

 今は悪意が向けられていないから、時間をかけて理解してくれればいい。


 ――その頃、別室にて。


「そろそろ事の重大さを考えていただけませんか」


 フィアは真剣な面持ちで机を挟んで対面に座る少女、ノエルに声を掛ける。

 その言葉に耳を貸していない訳ではないのだろうが対面のノエルは机に置かれた皿から茶菓子を次々に口へ運んでいくばかりで返事をする様子はない。

 ただ返答を期待して沈黙するフィアと黙々と茶菓子を食らうノエルは睨み合い、無意味な時間を過ごしていく。

 先に痺れを切らしたフィアは皿を自分の方に寄せてノエルの手が届かないようにした。

 ノエルは悔しそうに茶菓子に視線を向けていたが子供のような態度を見られたくなかったのかすぐに腕を組んで不貞腐れたように視線を逸らす。


「あまりに可哀想だとは思わないんですか? あなたは彼に自由を与えているつもりかもしれませんが、あの力は負担が大きすぎます!」

「………………」

「あなたが扱うには問題なくても彼は人なんですよ? レインが渡した武具で上手く使いこなせているように見えても体への負担が無いわけじゃありませんし、心のケアだって……!」

「黙って」


 フィアの言葉を黙って聞いていたはずのノエルは耐えられなかったのか静かな怒りを向けた。

 彼女が自分に何を考えろと言っているのか、何を心配させたいのか分からずに目を背けていたわけではない。平気な顔して過ごしていたわけではなく、焦りを感じていたからまともな回答をできずにいた。

 しかし、それを伝える術が無かったのだ。

 自分の焦りを口にしたところで自分で招いた結果を泣き喚く子供のように思われてしまうことが怖く、自分の愚かさを認めさせられるようで堪えられない。

 ノエルは彼が願った力を与えた。

 誰かを守れるように強く成長し続ける力を。

 それが彼の責任感に見合うものであることは明白だったが、与えた後で彼がどうなっていくのかをノエルは深く追求しなかった。

 英雄たらんと己の命を(なげう)つような者ではないはずなのに、彼のように守りたい、救いたいという信念が強い者は自己犠牲に対する抵抗がない。


「犬も……ガルムも…………同じはずだった。皆と同じで、傷つくの怖いから誰かを助けようとする度に自分が傷ついて、もう戦いたくないって、こんなの自分がやるべきことじゃないって、逃げ出すと思ってた」

「ノエルは何を望んでいたんですか?」

「誰も顔も知らない人達を救って死んでなんて望まない。ノエルはただ、頑張って、辛くなったなら諦めてもいいって……、自分と静かに暮せばいいって言うつもりだったのに」


 通常の人の子であるならば確実に挫ける内容だ。

 他のプロトタイプと戦うということは他の神と、それに準ずる者たちが力を与えた者達と対峙するということで、それらと戦うにはあまりに無能な神様がサポーターとなったところで負けが確定している勝負を挑むようなもの。

 早々に投げ出すはずだった。

 ノエルはその時に「よく頑張ったね」と宥めて、後は他の者達が好き勝手にすればいいと、そう考えていた。

 それが唯一、彼とノエルの考えが異なる点である。


「彼がそんな簡単に諦めるような人だと思っていたんですか?」

「少なくともノエルの観察眼では」

「間違っていないと思います。もしも彼個人の都合で動いていたなら簡単に諦めますし逃げ出します。彼はバカで臆病で救いようのない変態ですから」

「………………」


 ノエルは余裕がないからフィアの冗談に笑えなかった。

 ただ、少しだけ自分が落ち着きを取り戻していることに気がついて彼女を正面から見つめて話していた。


「彼が立ち止まるのも、後ろに退けないと覚悟を決めるのも他人が絡んでいる時だけです。置いていけないから立ち止まるし、早く助けてあげたいから退かない。そういう性格だと知っていたはずです。知っていたからノエルは彼に力を与えたんじゃありませんか?」

「でも……」

「神様が後悔なんて語るもんじゃありませんよ」


 フィアはノエルの頭を静かに撫でる。

 神様であり、自分達が信仰している存在でありながら目の前にいるのは小さな子供と遜色ない存在。

 泣いていたら慰めるのが大人の役割だとでも言うように、躊躇なく動いていた。


「サポーターなんて言わず力を貸してあげたらいいんです」

「ノエル、あんまり干渉したら他の人達が怒る」

「怒らせておけばいいんです。あなたも神様なんだから他の方々の機嫌なんか伺わずにわがままを通してください。それに、干渉が過ぎる者なんて他にたくさんいますよ?」


 フィアの言葉にノエルは何かに気がついたらしく小さく頷いた。

 まずプロトタイプなんてものを作ることに協力し、代理戦争を始めた者。

 そして、それは他の無関係な者まで巻き込んだ。

 事実として前衛的にプロトタイプ殺しを行う者から別の理由でプロトタイプを止めようとする者、自分の代理として戦っているプロトタイプさえ知らない者までいた。

 そんな彼らは自分勝手がすぎる。

 ノエルが考えていた()()()()なんてまだまだ優しい方だ。

 神様が誰より自由なのは当たり前。

 一人の少女が大好きな者を守ろうとするのはおかしいことではない。

 それにノエルは彼に「ノエルの伴侶なれば我その身あます処なく捧げるもの也」と言った。互いが半身であり半神同士。片方が愛すならもう一方も愛し、守るなら守られるだけではいけない。


「ノエルが頑張れば犬の負担は減る。ちゃんとした力の使い方を教えれば、犬がこれ以上に苦しむ必要もなくなる?」

「あとは彼の心のケアも忘れないでください。ノエルから聞いていた彼の見ているという悪夢は私が保管している《成長する者(スプリガン)》の記録よりも残虐なものである可能性が高いです。それも、本来ならヒトを恨んでいて当然な程の……」


 ノエルが固く握っていた拳は震えていた。

 それが少女の形をしていても目にした者が瞬時に恐怖を感じるほどの怒りを体現している。

 フィアが二人を手伝うために残しているプロトタイプの記録の中でも始まりとも言える《成長する者》の記録に載せられている記述は人間の道徳や倫理観を感じられない残虐的なものばかりだ。

 もし、それほどの仕打ちに彼が耐えているのなら……一人で我慢し続けているのならば、ノエルは怒りを抑えることなどできなかった。

 なぜ彼がそこまで苦しまなければならなかったのか。

 自分はどうして彼を救ってあげることができなかったのか、と。


「ノエルは許せない。一体どんな理由があったら無垢な魂を穢して戦争の道具にできるのか分からない」

「………………」

「犬が苦しんでいたら支えるのがノエルの役目。私情を優先して、悲しい想いをさせるつもりはないけど……」

「然るべき罰を、ですか?」


 フィアの言葉に肯定が返ってくる。

 命を弄んだ者には相応の罰を与えなければ今後も繰り返す可能性もあるし第二、第三の偽物が現れる可能性がある。見せしめのつもりはないが同じことをする人間が現れないように対策しなければならない。

 いや、そんな発想に至ることが稀だ。

 絶対とは言い切れないが唆したのはどちらかといえば力を貸した側なのかもしれない。

 だとすれば罰せられるべきはノエルも、ではないのか?

 そう考えていたノエルには自分が取るべき償いは決めてあるとでも言うようにフィアを真っ直ぐに見つめる。

 自分の言葉を伝える役割を持つ彼女なら分かるだろう、と。

 ノエルが彼に力を与えたから苦しませてしまった。

 自分の知らないところでガルムが一人で抱え、今もまだ忘れられずにいる過去のほんの一部分。他人が覗いてはいけないものだとしても、知らなければならない。

 それがノエルの償い。

 彼が背負っている苦しみを共に背負って生きていくのがノエルが取ることのできる責任だ。


「本当に、よろしいのですか?」

「ノエルは苦悩を抱えて生きろなんて言わない。自分だけが明るい場所から見下すなんて……できない」

「分かりました」


 フィアは書棚の中から一冊の本を取り出すとノエルに手渡した。

 それは彼女が集めたプロトタイプの記録。どんな力を有し何をしてきたか記されたものだ。

 ノエルは栞の挟まれた他よりも重く感じる頁を開いた。 

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