第23話「半魔の墓守」
――カダレア南西区境。
レインと別れた後、南西の区境で自分は門兵に止められていた。
「いくら許可証が不要になったからってな〜?」
「さすがに動物を入れるのは問題ですよね」
「イルヴィナに会わせろ」
「いやいや、お喋りできる犬でもさすがにイルヴィナ様には……」
「呼ばれてるんだよ!」
やはり不便だ。休むために使ってる体が不便すぎて気苦労が増えるからまったく休まる気がしない。
というか聞き分けが悪すぎる。
言葉を話してる時点で違和感を覚えてほしい上にカダレア区長会合でも自分とノエルの話が出てるはずなのにここまで理解のない奴等が残ってるなんて信じられない。
これはイルヴィナに会ったら言わないとな。
全面的に出入りに関する自由性を所望しないとだ。
「わんわん…………?」
と、兵士と問答をしていると聞き覚えのある声が通りかかった。
噂をすれば西区長の登場である。
いや、イルヴィナ?
俺のことを分かっているなら「わんわん」呼びはなかなかに失礼なものだと思うんだが……。
「知人だから大丈夫」
「この犬がですか?」
「犬じゃねえって何回も言ってるだろ! まったく、真面目すぎるのも困りもんだな」
「会いに来たの……?」
俺と門兵とのやりとりに興味がなかったようでイルヴィナは首を傾げて根本的なことを質問してきた。
たしかに門兵には呼ばれたと言ったが正式なものではない。
カダレアを出る時にした口約束程度であり、実際に守られるとは思われていなかったのだろう。
否定する理由もないので頷く。
するとイルヴィナは戸惑ったような感じで自分の体を上から下まではじろじろと見つめてくる。
気になるのは百も承知だけど文字通りの裸なので恥ずかしい。
「イルヴィナだと、わんわんの相手できないかも」
「一人だと不安か?」
「人数より体格? イルヴィナ小さいからわんわんの相手、上手くできる自信ない」
「イルヴィナ? どこを見て言ってるんだ?」
俺は隠しようもないから姿勢を低くして少しでも見えにくくして問いかける。
間違いなくイルヴィナの視線が下半身に向いていた、
自分は普通にイルヴィナと話をするつもりで来ただけなのに向こうは完全に親交を深めた恋人が家に来るくらいの感覚で待っていたみたいだ。
それこそ夜の相手をするつもりで……。
あれくらいしか話してなくてもそこまでの信頼を置いてくれるのはとても嬉しい話だが相手が女の子なのもあってあまり不用意に多大な信頼を置いてはならないと心配になってしまう。
友達とか恋人の関係をすっ飛ばして愛人だからな?
「カダレアに来たから話に来ただけなんだが」
「お話して夜のお付き合いするまでが一連の流れ。わんわんもイルヴィナのお家でお話しながら、その………………そういうこと、したいのと違うの?」
「いや、そんな重大なこと挨拶感覚でしないぞ?」
「イルヴィナ、わんわんのお友達になれないの?」
うん、これは重症だな。
きっと一人でいる時間が長すぎて常識なんて知る由もなく生きてきたから偏った情報ばかりがイルヴィナの中で当たり前となって認識されていたんだな。
ミツキも教えてやればよかったのに。
いや、あいつのことだから本当のことか嘘のことか分からない話し方をするし意味ないか。
ここは俺がちゃんとイルヴィナに教えてあげないとな。
「んー、お友達は家に行ってお話までは問題ないけどそれ以上のことをするとダメだと思うぞ?」
「そうなの?」
「イルヴィナだって嫌だろ? そこそこ仲良くなったからってほとんど知らないことの方が多いような男にそういうことされるの」
「わんわんなら、嫌じゃない」
「いや待て。十分も話してない男なのにか?」
「だって温かくて優しかった。わんわんに抱きしめられた時、嫌って思わなかったからそういうことするの、嫌じゃないと思う」
「え?」
「……え?」
イルヴィナは静かに笑う。
これは…………時間をかけて説明していくしかないのだろう。そんな一瞬の出来事なんかですべてを決めるんじゃない、と。
でもまあ、幸せそうなら無理に指摘するのも違うか。
俺はイルヴィナが小さな幸せでも手にできることを願った。
もし友達がいるだけでそれを、少しでもイルヴィナが幸せを感じられると言うなら間違いではない。
――カダレア西区、墓所。
俺はてっきり家に連れて行かれると考えていた。
いや、家ではないにしても話し合いができるようの食事処とか酒場……イルヴィナがお酒を飲める歳じゃないから無理だろうけど、とにかく他にも選択肢はある。
なんでよりによって墓場?
自分って埋められるんですか?
なんかイルヴィナの機嫌を損ねるようなことをしましたか?
たしかミツキの話だとイルヴィナは死者の魂と友達だとか何とか言っていたが……。
「不気味?」
「なんかすごい見られてる気がするんだ。それになんか重いというか、くすぐったい気がするというか」
「わんわん、人気だから。みんな乗ったり撫でたりしてる」
「み、みんな?」
「みんな」
イルヴィナが認識しているものが何か理解できたとして怖いとは思わない。ミツキから聞いているから驚きもしない。
ただ、都合がいいなんて考えてしまう。
もし自分が殺してきた者達の言葉を聞くことができるなら、自分の犯してきた罪への恨み言を聞けるのなら、それは今の自分に必要な救いなのかもしれないと思った。
背中に乗っているのは子供だろうか。
頭を撫でていったのは犬好きの人だったのだろうか。
姿形が見えているわけでもないのに自分が感じている相手のことを想像しているとイルヴィナは微笑み、俺の顎下辺りを撫でてきた。
「側にいるの分かってる人は何人か居た。でも、怖いってみんなのこと見ないふりして逃げていく。わんわん、怖くないの?」
「嫌な感じはしないからな。子供にじゃれつかれてるような感じかな」
「そう、子供が遊んでほしくて集まってくる。わんわんみたいにみんなと向き合ってくれる人、初めてだから」
向き合うのとは違う気がする。
こんなことを話すべきではないのかもしれないが、死者の意思を尊重するイルヴィナだからこそ話しておきたい。
彼らの言葉を聞けるならば教えてほしい。
自分は恨まれているのか。
「血の匂いがする俺を恨まないのか?」
「わんわんは恨まれたい? ご飯になった牛さんや豚さんに、誰かが生きるために死ななければならなかった人達に、恨まれたい?」
「…………少し違うな。自分のしたことが間違ってても恨まれたいなんて思わない。自分を信じてくれた人や、自分が守ってきた人達を否定するようなことを俺は考えたくない。ただ、彼らがどう思っているのか知りたい。彼らの気持ちに報いることのできる自分でいたいんだ」
「わんわん、連れて行ったら怒る?」
イルヴィナは俺の言葉を受けて誰もいないはずの虚空に向かって言葉を投げる。
返事があったのかイルヴィナはこちらを見て頷く。
彼らの気持ちを伝えるからついて来い、か。
本来なら何人も殺してきたような者を連れて入ってもいいような場所ではないから確認したんだろうし軽い気持ちで居てはいけない。
それこそ呪われるくらいは覚悟して……?
自分は気を引き締めていたつもりだがイルヴィナがそんな自分を見て笑っている。
何か間違っていたのだろうか。
「イルヴィナのお家に来るだけ。緊張しすぎだよ?」
「お前の家?」
「そう。みんながいいよって言ったからわんわんはイルヴィナのこと好きにしていいよ」
「あの、よく分からないんですが」
イルヴィナは振り向くなり首に手を回して抱きしめてくる。
以前も感じたことだが優しさや温かさを感じたことがないだけでイルヴィナ自身もすごく温かい。むしろ熱いくらいか?
「イルヴィナはわんわんのこと大好き。でも、イルヴィナはあまり他人と関わってこなかったから相手の気持ち、分からない」
「じゃあ俺のことも……」
「悪意とか感じないんだって。だからイルヴィナがわんわんのこと大好きなら、あとはわんわん次第。今から行くのはイルヴィナの家だからわんわんがしたいこと、好きなようにできるよ」
「な、何を言ってんだ! 俺がなに考えてるかなんて誰にも分かるわけねえだろ!」
イルヴィナが首に回していた手がさらに締め上げてくる。
苦しくはない。苦しくはないけど無理に振りほどけもしないし抜け出すことができない。
そんな状態で耳に近い位置から囁かれる。
「…………当ててみる?」
「お、おいっ!」
「耳は敏感なんだから止めてくれ。ただでさえ色々と感触が伝わってきてるのに不用意なことするな」
「なっ!?」
「良かった。イルヴィナまだまだ成長途中だから。抱きしめても、わんわん嬉しくないと思ってた」
明らかに油断していたとはいえ頭の中で考えていたことを丸々と読み上げられることなんてありえない。
ありえないことを実現させるのがプロトタイプ。
だとしても予想外だ。
イルヴィナは死者の声を聞き、死者を操ることで願いを叶えるのが目的で作られたプロトタイプと考えていた。
自分は生きているのに考えを読めるのか?
ちがう、そもそもが死者の声が限定の能力ではないとすれば?
ありとあらゆるものの声を、考えを聞くことのできるプロトタイプ。
一般的なプロトタイプと比較しても規格外。だからといって完全に自我を失っていないからアブソルートとして真化しているわけでもない。
もし元が獣人や人間なら扱えるような力じゃない。
イルヴィナは元から普通の人間の女の子ではないのか?
ただ、それがイルヴィナ自身の能力なら違和感があるな。
「そこまで分かるならみんなに確認せる必要あるか?」
「ん……。詳しい話は家で」
「…………聞かれたらまずい、か?」
肯定とも否定とも捉えられない声色だった。
もしイルヴィナが敵対するようなことがあれば誘いに乗ってほいほい家まで行くのは危険な気もするが、その敵意らしきものをまったく感じられないうちは信じてもいいだろう。
初めから疑っていけば無駄な争いを生みかねない。
――カダレア西区、地下墓所。
自分が墓所と聞いてまずイメージするのは寂れた雰囲気だ。
墓石以外に何もない殺風景な場所で手入れをされていても暗い空気の漂う場所。基本的には用事もないなら踏み入ろうとは考えないような場所という認識である。
そして、地下へ案内されて余計に不安が込み上げた。
地下にある墓所といえば遺体の留置所のように壁に掘られた空洞に白骨化した遺体が並べられているイメージ。
だが、思っていたのと違った。
イルヴィナの後ろをついて歩いていると長い階段を下りていくばかりで、下に着くまでとくに地下墓所を連想させるような景色も気配も感じることはなかったんだ。
階段を下りた先にある扉をイルヴィナが開くと、その先にあるのは透き通った湖だけ。
どこから流れ込んだのか分からない水に空洞内部の鉱石類の放つ光を反射して青く輝いているようにさえ見える。
「人工的に作られた訳じゃなさそうだな」
「分かるの?」
「上には穴なんて空いてない。運ぶにしてもクソ長い階段を使ってこれだけの水を運び入れる理由がないからな」
「ごもっともな意見だね」
事実、地上にて厄災があるから地下に逃げ込むために作ったにしては地盤を固定するような細工はないし、そもそもがイルヴィナはここを地下墓所だと言った。
亡骸の一つも無かったからと言って当初の目的と異なる使い方はしないだろう。
あとの話は専門外だ。
「地下に滞留した魔力が自然に反応して水になった。理由は知らない」
「俺の予想だと魔力の持ち主、イルヴィナだろ?」
「どうしてそう思うの?」
「地上でイルヴィナの能力について考えた時、本当に死者の声を聞けるだけなら俺の考えを読めないことまでは考えた。可能性としてイルヴィナのお友達の中に共感性の高い奴がいるのかと思ったけど共感性が高いだけじゃ一言一句違えずに言えるわけない。あくまで同じようなことを考える止まりだからな」
故に人は誰しも唯一無二なのだ。
完璧に生き写しの者なんていないし、存在したとしても彼らの存在意義が不明になってしまう。
何のために誰かの複製のような人生を歩むのか。と。
つまり高い確率でイルヴィナ自身が考えん読んでいるのは間違いないと言えるだろう。
「それで、もしかして声を聞けるのは死者だけじゃないなら、生物にも適用されるなら、って考えたらプロトタイプなんて呼ばれるのは変だと思ったんだ」
「………………」
「俺の知り合いだとレインとかな。さすがは夜に属する者でも上位に君臨する種族なだけあって自分の存在が虚しく感じるくらいに強い力を持ってる。影を渡ったり相手の気力を奪ったり、血を操ってみたりな。あまりにも扱える力が多すぎる。そりゃあ人よりも強い魔族なら最初から持ってる能力もあって桁違いな力を使えるよな」
ここから先はあまりイルヴィナが語りがらないだろうと考えて核心を突くような発言は控えた。
いや、もう言ったようなものだけど自分から言うべきではない。
イルヴィナが魔族……人ではない、と。
あくまで予想だから違うならそれでいいし、単純に優遇されていただけなのかもしれない。
とぼけることだけはしないでほしいが……。
「僻みとも恐れとも違う。それはどんなもの?」
「なんで?」
「わんわん、本当なら怖がらなきゃいけないような相手の前にいる。あの吸血姫の子だって、恐れるべき。でも、わんわんの瞳には迷いがない。明るいまである」
自分ではその様子を確認できないと思ったが横にある湖に視線を落とすと彼女の言うとおりだった。
恐れるべき相手を前にして輝いている。
初めて満月を見つけた時のような、初めて丘の上で風を浴びたときのような心境。
この感情は……。
「未知に対する興味、期待……憧れみたいなもんかな」
「知りたいの?」
「知らないことの方が多い人生って退屈だろ? それにイルヴィナって友達のことなんだから知りたいと思うのは当然だと思うぞ」
「がっかりしない?」
「期待とか憧れなんて言ったけど実際はただの興味本位だ。そうじゃなかったらレインのことも信じなかったし、ノエルのことを助けようとも思わなかった。俺はただ、イルヴィナを知りたい」
「そ、そんなに真っ直ぐ言われても…………こまる…………うか……」
イルヴィナは湖を見ながらごにょごにょと一人で何か呟いていた。
もっと複雑な心境を強いられるものだと思っていたが自分は良くも悪くも単純にしか物事を捉えていなかったんだな。
だから知らなければ知りたいし出会ったなら仲良くなりたい。
誰とでも仲良くなりたいと考えるのはそういう願いの元に得た力だからだろう。
その対象にはイルヴィナも含まれる。
自分の願いを断ち切るほどの敵意を向けていないのだから。
「笑わないで、聞いてくれる?」
こういう時の上目遣いは本当にずるい。
どう足掻いても首を横に振るなんて許されない状況を強いられる。強いられなかったとしても頷くつもりだったけど。
イルヴィナは俺が首を縦に振ったのを見て両手を前に出す。
何をしたいのか分からなかったので本能的に右前足をイルヴィナの手の上に置こうとした。
しかし、肉球に触れる冷たい物体に思わず飛び退いてしまう。
「イルヴィナは『冷血の魔王』の生まれ変わり」
「おいおい、驚かせようたって二度も連続して驚くほど俺は間抜けじゃないぞ。くっくっ! よりによって魔王の生まれ変わりって!」
「笑わないって言った!」
「……っ!」
冗談、ではなさそうだ。
さすげに直近に他の魔王と出会っているのだから連続して不幸な相手に出会すことなんてないだろうと自分を落ち着かせるために誤魔化していたがイルヴィナの持つ威圧感には寒気すら感じていた。
むしろ自分の足元が凍ったんですが?
何の詠唱も無しで予備動作もなく、瞬間的に離れた位置にいる相手の足元を凍らせるなんて芸当は魔法じゃありえない。練度にも依存するが無詠唱でできる魔法であれば氷の塊を飛ばすくらいだろう。
もし離れた位置を凍らせるならば詠唱者から対象への直路に魔力が冷気へと変わっていくのを感じるから獣化中で感度良好な自分が分からない訳がない。
明らかな本物を目の当たりにして完全にじりじりと逃げるタイミングを伺う獣のようになっているとイルヴィナは申し訳無さそうに俯く。
「ご、ごめんなさい」
「笑った俺が悪いから気にするな。それにこんな芸当できるなら嘘だなんて言えないしな。湖もイルヴィナが?」
「どこにもいけない魂がせめて気を休めるための場所にしたくて」
イルヴィナは湖に視線を落とし、何も考えずに泳いでいる魚を目で追う。
これが『冷血の魔王』なのか?
ただ聞いただけの名前なら許可なく名を呼ぶ者は処刑したり、自分のために命を賭けろとか平気な顔して言いそうだ。イルヴィナのイメージとはまったく噛み合わない。
どちらかと言えば寂しがり屋だ。
ひとりが嫌だから死んでしまった者にさえ声をかけ続けているような……。
ああ、少しだけ納得てきたかもしれない。
イルヴィナの孤独を埋め合わせるための願いが死者の声を聞くことができる力なのかもしれない。
ある意味では自分と似ているのか?
似てるというより、同じだな。
予想でしかないことなのにイルヴィナの過去、生まれ変わる前の彼女の姿がはっきりとイメージできる。
「似合わないな」
「わんわん?」
「さっきの『冷血の魔王』なんて異名は似合わない。だって冷血な奴が寂しそうな顔しながら湖なんて眺めるか?」
「それでも事実だから」
「じゃあこう考えないか?」
「えっ……?」
イルヴィナの服を噛んで湖の側から引っ張る。
少し離れた位置で放してやると何をされたのか理解していない様子でイルヴィナは見上げていた。
自分も同じ景色を見上げながら語る。
「お前が湖を作らなかったら鉱石もこんなに光らなかった。まあ湖を作ったことは間違いではないから気にしなくてもいいけど二度と普通の洞窟には戻せない、そんな滅茶苦茶な手段を使ったんだろ?」
「ん。イルヴィナは魔力から冷気を作れても逆の術は知らない」
「なら取り返しのつかないことだ。過去と同じ。もう取り返しがつかないことだけど、それが無かったら見えないもんがある。ちょうどあの鉱石みたいにな」
俺は過去にたくさんの命を葬った。その命は戻らない。
ただ、その事実があったからこそ二度と同じようなことをしてはならないと考えたし周りにも同じことをさせたくないと思った。
イルヴィナが冷血であったから得られたものが何か、俺は知らない。
でも今のイルヴィナがいるだけで十分だろう。
死者の心を悼むことのできる一人の少女がいるなら。
「皆の命に意味があった。それを知ったのは全てが終わったあと……」
「命に意味があるなら死ぬことにも意味があった。それぞれが何かを残して死んでいくんだ。彼らはイルヴィナに何を残した?」
「…………愛情?」
そりゃあ大層なものを残したな。
イルヴィナもそんな大きなものを渡すだけ渡されて今の生があるなら真逆の性格になるのも分かる気がする。
最後の最後に優しさなんてものを知ったら人はそれ一色になってしまうような単純な生き物だからな。
「なら過去を受け入れて成長してるじゃねえか。事実だろうとなんだろうとイルヴィナが背負い続けるのは後悔じゃなくて受け取ったものを返していくことなんじゃないのか?」
「どうすればいい?」
自分にも同じようなことを言ってくれるやつがいた。
過去を省みるのは大切だが縛られ続けるものではない。前を向かないと今の大切なものを見失ってしまうのだから、と。
なら、俺はその言葉をイルヴィナみたいな子に伝える。
「改めて、俺と友達になってくれ」
「?」
「お前は寂しい思い充分にしてきた。苦しい思いも背負ってきたよ。これからも背負っていくつもりなのは目を見れば分かる。だから、せめて一人で背負うことにならないように、俺が友達として……」
ちょっと気恥ずかしいように思えて何もないところを見ながら話していると前足に触れるものがある。
それは、形が普通ではないから違和感を感じつつも手を繋ごうとしているようにも見えた。
過去の自分が背負ってきたものを下ろせなんて言えない。
たとえ偉そうに語ったところで今生の幼き頃に背負った罪と、一つか二つ前の人生に背負ったものとでは重さが違う。そもそも自分が抱えたままにしてるものを他人には「下ろして楽になろうぜ」なんて特大ブーメランもいいところだ。
ほんの少しだけ、俺も背負ってやれるなら……。
イルヴィナが一人で背負ってきたものを軽くしてやれるなら、この手に応えられる。
「わんわん…………いや……ガルム。やっぱりイルヴィナは間違ってない」
「そうだな」
「ガルムは大好きになってもいい人」
「ああ……?」
「子供を産むなら早い方がいいらしい。みんなも少しだけ離れるって」
「へんな気遣いすんな!」
いるのかも分からない魂たちに怒鳴ると少しだけ空気が軽くなる。
姿が見えないものの感情なんて分からない、と否定したいところだ自分とイルヴィナのやり取りを見て楽しんでいることが伝わってきている。
こいつらの玩具にされる前にイルヴィナを諭した方がよさそうだ。
「大好きなら何してもいいわけじゃないんだぞ?」
「ガルムからレインを感じる。そういう関係だからじゃないの?」
「…………ちがうぞ?」
「嘘は良くない。仲良いこと隠す必要ない。悪いことじゃないでしょ?」
「悪い事の時も、あるんだ」
一類に仲が良ければいいなんて言ってはならない。
特定の人物と友好的に接したが為に起きる争いもある。自分の満足感のために相手が傷つくこともある。
ただ、イルヴィナには難しい話だろう。
なぜ良い事をしているのに悪い事になるのか、と首を傾げている。
いくら過去の自責を背負い続けてあるとはいえイルヴィナとしての生は長いものではない。彼女が新たに得た人生の中でどれだけのことを知り学んできたのかは俺の知るところじゃない。
とはいえおかしな話だ。
誰かを愛したから命を狙われ、誰かを救ったから恨まれ、誰かを信じたから裏切られる。
何かを得ようとすれば必ず自分か誰かが何かを失っていく。
それを受け入れろと言うのも酷だ。
なにより自分が認めたくない。理不尽も当たり前、甘っちょろいことを言うなと叱られても俺は否定する。
俺は現実を見て利口に生きるより吐き気がするほど激甘で失敗する方が後悔しないと思う。
「さっきの無し! 仲が良いのは良い事だ。少なくとも俺にとってレインと仲良くしてるのは損得とかじゃなくて自分がそうしたいからだ」
「ならイルヴィナとも仲良し」
そう言ってイルヴィナは俺の首の辺りに頭を擦りつけてくる。
特に意識をしているわけでもないのに鼻に近い位置にあるせいか言葉で形容するには複雑すぎて難しいが落ち着く匂いが鼻腔を通り抜けていく。
不快ではない。むしろ心地よいまであるが、さすがに毎日取っ替え引っ替え別の女の子の匂いを付けられていたらノエルの所に戻った際に去勢確定コースになりかねないから極力薄めにお願いします。
いや、俺と違って向こうはコントロールできないから自分から離れるしかない。
これでも雄だから発情希望の雌でもいれば強めに首の辺りを相手に擦りつけるものだが、イルヴィナは雄でもなければ獣人でもないからな。
残念な気持ちはあったがするりとイルヴィナの仲良しアピールから抜け出すと距離を取る。
「仲良しをいかがわしい行為の代名詞として使うな」
「じゃあ、こう――」
「わあああ! だからってストレートに言うな! てか女の子が口にしていい言葉と違うからな!」
しかもよりによって一番危険な言葉を選んだ。
自分で決めたばかりなのに早速折れそう、というか折れるしかないような気がしている。
ギリギリアウトだろうけど妥協案を出すしかない。
「お前が不安なのは分かったから変なこと言うな。まったく、そんなことしなくても友達でいてやるってのに」
「ガルム?」
「こっち見んな。恥ずかしいんだから」
逃げられないようにイルヴィナの上に体重を預けて自らの頭をぐいぐいと押し付けるようにする。
言葉通り恥ずかしくて目を開けられない。
あまり好ましくない行いであることは重々承知しているが、頑固なやつを納得させるには半端なことではダメだったりするので仕方がないのだ、と勝手に自分の中で言い訳をする。
自分を律するのが難しいということは嫌というほど理解しているから何も考えないのが一番だが……。
目を閉じていても伝わる。イルヴィナがきょとんとした顔で自分を見ているのが分かる。
どうせならフィアのように詰ってくれた方がマシだ。
へんに蔑まれるよりも怒られた方が落ち込まない。
ただ、待てども一向にお叱りの声も届かず、どうにか終わらせるタイミングを伺いたくて片目を開けた。
「甘えたいの?」
「…………いっそ殴れ。理解してなかった俺が馬鹿だったよ。この体だと真面目にやってても甘えてるようにしか見えねぇんだからよ」
「そもそも神様はそのためにガルム元通りにしなかったんでしょ?」
イルヴィナの言葉にはっ、としてさすがに気まずくなる。
たしかにノエルは休むようにとも言っていたし甘えることが前提になることも理解していたはずだ。
しかし、俺は休むことばかりを意識して甘えなければならなくなることを深く気にしていなかった。
あまり甘えすぎないように自制しなければ……。
「もしガルム死ぬようなことあったら、イルヴィナがここで面倒見てあげるね」
「しれっと恐ろしいことを言うな」
「恐ろしくない。本気で言ってる」
そういうところが恐ろしいんだが。
むしろ本気とまで言われると殺してまで自分の管理する棺桶に眠ってほしいみたいな意味合いに聞こえてこなくもない。
自分の考えを読んだのか意味深にイルヴィナは穴を掘り始める。
あまり力仕事は得意そうに見えない細い腕をしているが苦労している様子はない。
話を逸らすべく自分も高速で地面を掘り始める。
こうして普通にイルヴィナが生活している拠点だから足元もしっかりしているのではないかと考えていたのに柔らかくてすんなり掘れた。
そして自分が入れるくらいの穴を掘ってから縁に手をかけて競争相手の様子を確認する。穴掘りを遊びとして考えるのなんて犬くらいだが、自分が遊びとして認めたならイルヴィナも乗ってくれると予想していたが……。
「自分で掘るなんて……。そんなにイルヴィナと一緒にいたいの?」
「いや…………無性に穴を掘りたくなったというか、そういう遊びじゃないのか?」
「ちがうよ。ガルムの墓穴を掘ってた」
「なんでそこまで俺に固執してんだ」
虚空を見つめたままイルヴィナは一切動かなくなった。
それは乙女の事情だから聞いたらダメなこと、とか言われそうな空気だが死んだ先まで一緒になんて重すぎる。それ以上の理由がないならさすがにこっちまで気が重たくなるから丁重にお断りしたいところだ。
とはいえ、今のイルヴィナが真剣なのは間違いない。
気持ちは固まっているとしても言葉にしようとすれば相手に伝わるようにまとめるのは簡単なことではないだろう。
これは考えることを放棄したのではなく、悩んでいる状態だと思う。
なら自分から言えるのは一つだけだ。
「死んだ後に未練残したくないなら生きてるうちに仲良くしとけばいいんじゃねえか?」
「でも……」
「でもも何もお前には俺の考えが筒抜けなんだ。不安なことは確かめればいい。本当はそんなことのために願った力じゃないのかもしれないけど自分のものにしたなら、使い方を決めるのも自分次第なんだぞ」
自分のように願った時と同じように使う方が珍しいんだ。
イルヴィナに力を授けた誰かが、彼女が決めたことに対して今更のように口を挟むことは無いはず。
ならばイルヴィナが墓守としての役目を全うするのに使おうと、友達に裏切られないために相手の気持を知ろうとして使おうと、それを叱ったり止めたりする権利は俺たちにない。むしろ選択させるのが正しいかもしれない。
ノエルが自分にしてくれるように。
最初は、自分が選択するものだから。
「考えを読まれるの、嫌じゃない?」
「躊躇なく人の考えを見透かしてくるお前より無神経な奴がいる。しかもそいつは平気で暴露してくるからな。まだ抵抗とかあるし、知ってても口にしない辺り、お前の方が好感を持てる」
「懸念、だったかも。ガルムは読む必要ない。だって善意しかない。だからみんなもガルムを悪く言わない。だから……」
イルヴィナは俺の近くにしゃがんだ。
あの、自分は今穴に入ってる状態なので視点がかなり低い状態にあるので迂闊にしゃがんだりすると見えてしまうのですが……。
そんなことを考えた矢先、頭の上にイルヴィナの手が触れる。
怒られるか、と思って目を閉じたがそんなことはなかった。
優しく撫でてくれるだけだった。
「…………イルヴィナはガルムが好きなんだ」
「っ!!?」
目を閉じていたことを後悔した。
イルヴィナがどんな顔をしながら発した言葉なのかしっかり見ておくべきだったのに見逃してしまうとは……。
ここに来る前に聞いた好きはどこか冗談のように聞こえてテキトーに聞き流していたが今の「好き」はまったく冗談のようなものを感じられなかったし普通に告白でもされたみたいな一気に体温が高くなっていくような感覚があったから本気だと思われる。
イルヴィナは本気で好きと言ったんだ。
嬉しいには嬉しい。いや、普通に自分は嬉しい以外に抱いてもいい感情は無いんだろうが……。
目の前にいる少女は分かっているのだろうか。
自分を好きになるということが何を意味しているのか。
「えっと、俺はノエルに全ての半分を預けるような約束してるんだが」
「…………記憶、おかしいかも。ガルムに抱きしめられたような? それもすごく温かさ感じるような格好で」
「そ、それは関係ないだろ!」
「イルヴィナにとってすごく大切なこと。人生の岐路でもある。ガルムにとって迷惑じゃないなら、イルヴィナがガルムを大好きな気持ちを否定しないでほしい」
否定したいわけではない。
ただ、絶対に一番として選ばれることのない辛い選択を自らしていく無謀さが、彼女が知らないがためにしている選択なら思い留まらせてやりたいと考えただけだ。
それでも自分の負けだ。
イルヴィナが苦しそうに小さな胸を抑え、瞳に涙を浮かべながら見つめてくるのに切り捨てられるものか。
彼女の頬を伝う涙を舌で舐め取る。
その動作に驚いて目を見開いたイルヴィナが距離を離そうとしていたがすぐに詰めて薄い桃色の唇に自分の口を重ねた。
こんなの気休めでしかないことは分かっている。
彼女の思いを全て受け入れて満たしてやることはできないから、少しでもいいから応えてあげられる方法で伝えるしかなかった。
「続きはしないの?」
「そんな浅い気持ちでするもんじゃない。イルヴィナが俺のことを大好きなのはしっかり伝わったよ。だからこそ、ちゃんと想いを重ねてから、な?」
「分かった……」
「寂しそうな顔をするな。今日は一緒にいてやるからな」
ノエルの「仲良くしておいた方がいい」という言葉の意味を深くまで理解しているつもりはないが、こういう時の勘は当たるものだ。
嫌な予感に直結する要因がイルヴィナに該当する。
彼女を嫌う理由がないなら、俺はこのままでいい。




