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偽物でも許されたい  作者: 厚狭川五和
『死者の声を届ける者』イルヴィナ
32/89

第22話「過去ではなく今を」

 ――カダレア南区、月の教会。


「本当に便利な能力だよな」


 教会の聖堂と廊下を繋ぐ出入り口にできた影から全身を出して自分は素直に感心したことを伝える。

 同じく後から通過してきた当人、レインは聞こえていたはずなのに暗い表情をしていて、さすがに無視できないと感じて足を止めた。

 褒められても嬉しくないとか、自分みたいな男に褒められても腹が立つとか、そういう理由ではないだろうし、別の理由があるなら聞いておきたい。

 レインの顔をよく見ると暗い、というより納得してないような顔をしていた。


「どうした?」

「なんで通り抜けちゃうのよ」


 何のことやら、と惚けようにも思い当たる節があるからしっかりと考えておいた方が良さそうだ。

 通り抜けるというのは『影渡り』の際に通る影のことだろう。

 二つの影の間を結んで通路として使用できるのがレインの『影渡り』であり、その通過する影の間にはどこまで続いているのか分からない暗闇の空間が存在している。

 レインが言っているのはそこだ。

 通過する際に立ち止まって真っ直ぐに繋がった道から外れれば暗闇の満たす空間に入ることができて、そこは外からは一切の干渉ができないレインのプライベートエリアとなっていたりするのだが……。

 なんとなくレインの言葉の意味を理解して気まずくなる。


「ここじゃダメか?」

「むぅ……せっかく二人きりになれるからたまには子犬ちゃんと少しは男女の営み的なことでもしたかったのに」

「いや、ここでも二人きりだろ?」

「…………」


 なるほど、完全に誰も入ってこない不可侵の領域の方が集中して自分と過ごせるから教会ではダメなのか。

 とはいえ時間も時間だ。

 フィアと今後の話をしていたらいつの間にか日が暮れていたし、その後でノエルを預けることになってレインに二人で話をしたいと言われたのが月が完全に上がりきった頃だった。

 こんな時間にまでレインを訪ねてくるような命知らずはいない。

 それに男女の営みなんて言っているがレインがその手のことを自らできるとは考えられない。

 いつでも後手に回る生粋の恥ずかしがり屋だぞ?

 んー、でもレインが二人きりになれると思って勇気を出してそういうことをしたいと提案してるなら自分はとんでもなく貴重な機会を逃してしまったのではないか?

 考えれば考えるほど自分がミスをしたように思えてきて慌ててしまう。

 狭い範囲をうろうろしながら落ち着きなくしてると、レインは笑った。


「なに必死になってるのよ。冗談に決まってるじゃない」

「冗談だったのか」

「え? な、なんでそんなに落ち込むのよ!」

「珍しくレインからのお誘いだからちょっとだけ期待していたというか。ちょっと残念だ」

「ほんとバカみたい。純粋すぎ。あたしの言ったこと真に受けすぎよ」


 なんか嘘吐いてたんですか?

 レインはどこぞの女狐さんみたいに自然体で嘘の話八割で語る感じだったんですか?

 まあ、とりあえず嘘を言ってたとしてどの部分が嘘だったのか考える方が重要だ。件の女狐の時は嘘の方が占める割合も多かったから嘘の中から本音を探したがレインは逆の方がいいよな。

 大半が本当で嘘は微々たるもの。

 レインの反応から考えても自分が落ち込んだ時に見せた心配するような表情には嘘なんてなかったはずだ。

 いや、よく考えても分かるものではない。

 ミツキと違ってレインは良くも悪くも純粋だから匂いでも嘘が分かりにくい。

 戸惑う姿を見て満足したのかレインは本性を現した。

 自分の頭を両手でしっかりと捕まえて鼻が触れ合うような距離まで顔を寄せてくる。

 感情云々ではなくレインから女の子の匂いが直に鼻腔に届く訳でして。

 こちらは肉食獣のオスな訳で?

 レインみたいに綺麗な女の子の甘くて美味しそうな匂いを嗅いでしまったら平然としていられるわけがない。


「あの、ドキドキが止まらないんですが……?」

「冗談じゃないって伝わった?」

「レインさんがガチの本気なのはよく分かったけど……!」

「なら言うことがあるんじゃないの?」

「鈍感なバカ犬ですみませんでした。生殺しはキツイんで匂いだけでも嗅がせてください」

「匂いだけでいいの? なら好きなだけ嗅げばいいじゃない。それはそうと大事な話があるのも事実だから変態行為に集中しすぎたら怒るからね?」


 最高のコンボだと思います、はい。

 もう嗅がせてください発言した時点で自分が変態的なことをしてる自覚はあるから変態とか呼ばれると余計に唆るというか気分が乗ってしまうので逆効果だったり。

 とりあえず嗅いでていいんだよな?

 ちゃんと話聞いてればいいんだよな?

 せっかくの機会だからレインの隅々まで調べ尽くすくらいで嗅がないと……。


「やっぱりなし! 子犬ちゃん鼻息荒げすぎ!」

「この熱量をどうしろと?」

「…………し、仕方ないわね」

「っ!」


 待てをされてしまって不満そうにしながらお座りするとレインは躊躇い気味に近づいてくると足の間にすっぽりと収まった。

 人型であれば俺が胡座をかいて、その中にレインが座るような感じと言えばいいのだろうか。

 しかも絶妙に足やら胸やらの体毛ががっつりではなくわずかにレインの体に触れるから完全に満たされる訳ではなくもどかしい感じが余計に心地よかったりする。

 これはこれで有りかもしれない。

 恋人的な距離感を感じる。


「前にリースがあたしの能力のこと、勘違いしてたじゃない」

「ああ、傀儡になるとか」

「実際にできる子がいるの」

「はい?」

「あたしと同じ吸血姫で、噛んだ相手を傀儡にできる子が、いるの」


 それが大事な話?

 なぜ今のタイミングで?

 いや、少し考えれば分かること。わざわざカダレアに移動して、二人きりで話をしたいと言ったことも兼ねるなら安易に想像がつく話だ。

 その吸血姫が、カダレア付近にいる?

 ふと足の間にいるレインに視線を向ける。

 震えていて『夜を彷徨う者(ナイトウォーカー)』なんて異名で呼ばれている女の子とは思えない様子だった。

 むしろ隠れているようにさえ見える。


「怖いのか?」

「誰だって集団で取り囲まれたら怖いと思うでしょ。あんただって……あまり思い出したくないかもしれないけど」

「あー死ぬほど嫌いだ。泣いて苦しんでる俺のことを実験中の動物を見るような目で囲みやがったんだからな、あいつらは」


 レインの言う「集団で囲まれる」という状況とはちょっと違うのかもしれないが同じことだ。

 知らない奴、嫌いな奴に囲まれるのは怖い。

 それにレインは女の子だし、最近あった出来事じゃないなら幼い頃に経験したことかもしれないから余計に怖いと感じたんだと思う。

 俺だってそんな状況は怖いと感じるからな。

 でも、そんな奴等がなんで急にカダレアに?

 もしレインが狙われているなら全力で助けてやりたいし、そうでないとしても悪いことをしている奴等をそのまま野放しにしておけるほど俺は腐ってはいない。

 レインも空気で感じ取ったのか足の間から俺を見上げてきた。

 不安そうな顔を、いつもの強気な顔に戻してくれた。


「レイン、一人の時は囲まれたかもしれないが今回は俺がいる。一方的になんかならない」

「子犬ちゃんがいるなら心強いわね」

「そう思うなら子犬ちゃんって呼ぶの止めろよ!」


 レインは首を左右に振る。

 悪意でも意地っ張りでもなく、ただ自分が愛しいと思える呼び方を誰にも変えさせたくはないという意思表示。

 その気持ちは自分にもあるから分かる。

 子犬ちゃんと呼ばれると男として恥ずかしさはあるけど、それはレインから向けられた絶対的信頼があるからだと考えたら小さい自分一人の考えなんてどうでもいいと思えるんだ。

 レインは俺が小さい頃から見守ってきた母親のような存在でもある。

 子犬ちゃんと呼びたくもなるだろう。


「そいつの傀儡になる条件は噛まれたら、なのか?」

「あたしが知る限りは、ね。他にも条件があるにしては傀儡の数が多いから単純に噛みつくだけなんでしょうね」

「それってつまりさ、俺が噛まれたらまずいんだよな?」

「大丈夫よ。だって子犬ちゃんは加護があるでしょ?」


 レインに見上げられたので自分も天井を見るふりをして目を合わせないようにする。

 話の内容とかではなく普通に目を合わせにくい。

 こう、特別な空気感で話をしてるのに別の女の子の話をされるのはどうも気まずいというか。

 そもそもレインにとっても公認なわけですけども。

 真面目な話をするとしたらノエルの加護は独占的な意味合いを持つから他の者から眷属とされたり洗脳するような能力を使われたとしても影響は受けないと思う。断言はできない。

 実証実験が可能だったのはテイムの『支配する力』だけだった。根拠としてはあまり強くない。

 ただ、一つ忘れていたことがある。

 レインの能力もまた他者の能力に対して働きかけるものだったな。


「万が一にノエルの加護が有効でなかったとしてもレインがいるから二人だけならリカバリーも簡単、か」

「そういうこと♪」


 レインは上機嫌なようで足の間で鼻歌交じりに体を揺らしている。

 

「やけに嬉しそうだな」

「あたしの考えをしっかり分かってくれてるじゃない。そういう単純なことでも嬉しいものでしょ?」

「……っ! どさくさに紛れて変なとこ触んな!」


 迂闊というか油断していたというか。

 人間にとっても同じことを言えるが腹側は過敏な部位も多く弱点になりうるというのにレインをその付近に何も考えず座らせていたのは失敗だった。

 腹の辺りに触れる指先の感覚が一瞬で電気のように駆け抜けたのだ。

 やった本人はと言うと上目遣いでこちらを見上げている。


「なんでよ。たまにはちゃんと犬として可愛がってあげようと思ったのに」

「ゔっ……それは、反則だって」

「素直になりなさい。服従しろって言ってるわけじゃないんだから」

「あのな、獣にとって腹を見せつける行為は服従のポーズなんだよ!」


 とか言いつつ先程の感覚をもう一度味わいたいなんて馬鹿げた思考に囚われた自分は自然と仰向けに転がっていた。

 これだと男としての沽券が……。

 今は一糸まとわぬ獣と同じ姿なんだぞ。


「あんたって全然甘えてこなかったわよね」

「屈辱的だろ、こんなの」

「でも気持ちいいんでしょ?」

「……悔しいけど否定できないんだよな。ほんと、女の子に見られちゃだめな姿さらしてんのに」

「別にいいんじゃない? 何回もあんたの裸とか見てるんだから今さら何も感じないわよ」


 俺の耳はレインの言葉にピクッと反応する。

 絶賛骨抜きにされてる最中ではあるが繊細な耳はしっかりとレインの嘘を聞き分けたのだ。

 そもそもの話である。

 言葉はどんだけ嘘がバレないように振る舞っていても鼓動の音までは誤魔化せないのが生物というものだろう。


「その割には緊張してるみたいですが?」

「ちがっ……! こ、子犬ちゃんの肋骨が折れないか不安なだけよ!」

「そんな簡単に折れねえよ。てか嘘吐くなら目線とかちゃんと隠せよ」

「仕方ないじゃない! 子犬ちゃんがいつの間にか男の体になってたら気になるに決まってるじゃない!」

「レインのおかげだよ。ありがとな」


 と、笑ってみせたが格好がつかない。

 気持ちを伝えるならまずは笑顔、それから取り繕わず真っ直ぐ。そう教えられた気がしたんだが失敗だったか?

 なんて思った矢先だ。

 急にドスッて腹の上に何か落ちてきた。


「うぐっ!」

「ほんとバカ」


 不意打ちも相まって思わず呻いてしまったが後の言葉で完全に記憶が上書きされた。

 バカなんて罵っているのに涙が溢れるほど嬉しそうな顔をする女の子が目の前にいたんだ。些細な痛みとか正直どうでもよくて、俺がいつまでも見ていたいと思えるその光景を記憶に残しておきたい。

 手があったら涙を拭って笑え、って言えるのにな。


「レイン」

「なによ……?」

「お前を怖がる奴なんていない。綺麗に舞う姿を見せてくれ」


 レインは一瞬だけ「何言ってる」という顔をしていたがすぐに俺の考えを察して頷いてくれる。

 そして上から降りないまま寝息を立て始めてしまう。

 あれ、この展開は予想外だ。

 てっきりレインのことだから夜のうちにケリを付けに行くものだと思っていたのに、寝てしまった?

 いや、それもそうだけど別の問題が生じている。

 俺はずっと仰向けでいなきゃいけないんですか?


「…………いっか。好きな女の子抱いて寝てるようなもんだし」


 この時ばかりは思考を捨てた。

 欲に忠実になるのも悪くないだろ。



 ――翌日。


 目が覚めるなりレインはやる気に満ちた目で俺を叩き起こしカダレアを出た。

 理由は道中でそれとなく聞いてある。

 レインが言っていた吸血姫の目的は分からないが今はカダレアの近くに潜んでいる状態で、なにか行動に移す前に対処しておきたいというのが戦う理由。

 日中を選んだのは能力の制限のためだそうだ。

 レインの能力も相手の能力も吸血姫という種族に起因するものだから夜の方が強い効果を発揮できるが一対一の状態においてはレインの負けが濃厚になる。

 それを避けるには満足に能力を使わせない必要がある。

 差を埋めるための補填で俺がいるけど対策するに越したことはない。

 ついでに言えば日中でも影が一切ないわけではなく、むしろ光ある所に影ありという感じでレインにとっては好都合な環境下でもあるから、というのが見解だ。

 しかし、状況はよくない。


「分かるだけでも三十くらい隠れてるぞ」

「言われなくても分かってる! だからこそ何かされる前に止めなきゃいけないのよ!」


 昨日まで私怨だと思いこんでた自分が恥ずかしくてならない。

 レインは相手が何か企てがあると見据えて行動に移していた。

 相手が隷属させられる対象は生物であり自らの牙で噛み付いたもの。それが既に三十以上も控えているとなると友達の代わりなんて可愛いおままごととは考えられない。

 何か大きなことを起こすための要員だ。


「僕の名はアステル。売られた喧嘩は買う主義だ」

「名乗るくせに姿を見せないなんて臆病だな」

「臆病? やだな〜、そこにいる一人じゃ怖くて逃げてばかりだった子の方が臆病じゃないかな〜?」

「……っ!」


 レインの心拍数が上がった。

 過去に何があったかまでは尋ねるつもりもないがトラウマたりうる経験をしていたのは間違いない。

 あいつの、アステルの能力によって作られた集団に囲まれたという話をしていた。可愛い女の子を大勢で囲んで何をしたのか気になるところではあるけどロクなことではないのは分かるので知る必要がない。

 ただ、レインを傷つけたという事実だけあれば十分だ。

 息を潜めていた狼型の魔物が飛び出してくる。

 レインを狙っていたらしく自分の横を通り過ぎようとしたので飛びかかろうとしたタイミングで首に噛み付いてそのまま頭と胴体を喰い千切った。

 普段と違って殴るといった攻撃ができないのは不便だが体が大きい分だけ噛みつきによる威力が格段に上がっているのは都合がいい。

 動きが単純な獣に対しては負ける気がしない。

 そんな様子をどこからか見ているのかアステルのため息が聞こえてくる。


「まったく、ひどいことするな〜。まるで共食いだ」

「ちゃんとご馳走様が言えるなら怒るやつはいねえんだよ。それよか自分のしたことを棚に上げて説教か?」

「僕が何をしたって?」


 本当に分かっていないのか?

 虐めるやつは虐めていることを分からないまましていることが大半だと言うが先程の発言からアステルは悪意のあるタイプだろう。

 俺は再び飛びかかってきていた魔物を頭で木に叩きつけて一口でその殆どを口の中に飲み込んでから声よ聞こえてきた方を睨みつける。

 人型だったら指でもさしてた頃だが今は獣型なので目線だけ。


「レインを泣かせた。お前を悪党と言うには十分すぎる理由だろ?」

「……泣き虫如きに君みたいな男は宝の持ち腐れだ」


 明らかな敵対の意思を見せるとアステルの言葉に反応するように魔物の数が一気に増えた。

 感じ取れる気配の数が百に近づき、一度に出てくる数もニや三ではなく五から八程度がまとめて飛び出してくる。

 数が多くなれば当然ながら捌ききれない個体も出てくるわけで……。


「うぐっ!」

「子犬ちゃん!?」

「心配すんな。狼に噛みつかれただけでかすり傷、だ……?」


 余裕ぶって少しでもレインを鼓舞してやろうと思ったがどうも余裕を見せきれない程度に体に違和感がある。

 噛みつかれたのは後ろ足。千切られてもなく少し血が出た程度。

 こんな傷程度で具合が悪くなるほど弱いつもりはない。

 毒にしては影響力が低いから可能性があるとすればアステルの能力か。

 操られるような感覚がないのはノエルの加護のおかげ?


「大丈夫?」

「ああ。異物が入り込んだような気持ち悪さはあったけど、無事だ」

「ちっ。僕の能力が通用しないなんて、どんなカラクリだい?」

「信じる者は救われる、ってな」

「君のこと好きになれそうにないね。目障りだから二人揃って消えてくれ」


 アステルの低い唸り声に呼ばれて狼型の魔物と一緒に蝙蝠のような魔物まで姿を見せる。

 これは厄介な能力だ。

 操っている本人を倒せば魔物が全て傀儡という立場から解放されるとしても魔物は人を襲う。同じ場所に居合わせた人間という異物を見逃してくれるほど優しい生き物じゃない。

 つまり、アステルを倒しても指揮を失い無策に襲いかかってくる百近くの魔物を討伐しなければならない。

 それに、アステルを見つけられるかも問題だ。

 なんとか加護で踏み止まっても能力に対して抵抗があるだけで受けた傷が元通りになるわけではない。あまり頻繁に噛みつかれていたら貧血の方が先に限界になり倒れるかもしれない。

 いや、そうはならない。

 こっちにはレインがいるからな。


「子犬ちゃん! 意識の八割をあたしに向けて!」

「あと二割は?」

「そのどうでもいい雑魚にでも向けたらいいわ。あたしの考えを察して上手に立ち回ってよね」


 レインは俺が殺した魔物から飛び散った血液に手をかざした。

 それは浮かび上がると無数の球体となりレインの周囲に漂い、彼女が正面に手をかざした瞬間に球体の全てが小さなナイフの形状を取り始める。

 こんな力もあったんだな。

 なんて感心してる場合ではない。

 レインが意識の八割を自分に向けろと言ったのは見ていてほしいからとか純情な理由ではなく、俺の意思など介さずに魔物を倒すから巻き込まれないようにしなさいという意思表示だ。

 そりゃあ圧倒的な殲滅能力があるなら任せたいし、蝙蝠は素早い上に空を飛ぶから面倒だ。

 要するに残りの二割は地上からレインを邪魔する狼型の魔物に向けろ、って意味だな。

 あのナイフでは狼型の動きを止めることはできても殺しきれないだろう。


「狩らせてもらうぜ、お前の眷属を」

「ガサツに近づいて刺されるとは思わないのかい?」

「俺とレインをその辺にいるような冒険者とかと一緒に考えるなよ」


 レインの使うナイフは魔法で浮かんでいるわけではない。

 血をナイフにして扱うまでが能力だとすれば投げた後は慣性に従って動くから直線上を進む。レインがナイフを投擲したタイミングで方向を確認し、そこから敵への直路を塞がないように立ち回ればいい。

 しかし、体が大きいのは困りものだ。

 狼を一匹だけ始末して冷たい気配を察知してレインの方に意識を向けても見えにくかったり、見えていても回避がどうも間に合わなさそうな位置に立ってしまったりする。

 それに俺自身がレインの視界を塞いだら意味がない。

 もう護衛は要らない、か。

 俺はレインの側で守りに徹したりせずに前線に出る。全てを捌ききれなくても必ずレインが拾ってくれるから心配ない。


「一つ、二つ……レイン!」

「分かってる!」


 一匹を喰らい、一匹を潰し数を確実に減らしつつも隙間を抜けていく魔物を見逃してはならない。

 俺が名前を呼んで報告するとレインはすぐに動く。

 太陽から影になっている木の裏まで走るなり影の中に入り、そして俺の足元にできた影と繋げる。

 この方法はレインの近くに影があれば使うことが可能だ。

 ただし乱用は厳禁。方法がバレれば対策も容易になる。


「本当に面倒な能力だね」

「あんたの能力もね。ずっと、あんたのせいで一人だったんだから!」

「レイン! あまり一人で突っ込むな!」

「きゃあっ!」

「レイン!」


 取り乱したレインが単独で前線に出張っていき、そこをアステルは見逃さず狼型に横から突進させた。

 幸い噛みつかれたり引っ掻かれたりしていないから外傷は無いものの無事ではなさそうだ。すぐに立てずにいることを考えるに骨が折れてしまったのだろうか。

 レインがあそこまで取り乱すなんて珍しい。

 俺が知らないだけでアステルとの間には因縁があるんだ。

 すぐに援護に入ってやりたいがアステルも性格が悪い。

 俺達をそれぞれ囲むようにして魔物を呼び寄せた。まだまだ数に余裕があるらしいな。

 それに、ただ本人が噛みついたら眷属になるだけならレインが負けるような状況はありえない。

 俺の予想が正しければ奴の眷属に噛まれてもアステルの眷属になる。それが今の殺しても減らない魔物の理由だ。


「本当に君は弱くて救いようがない。守ってもらわなければ勝つことなんてできない」

「バカに……するなっ!」


 レインが集めた血をナイフから大鎌へと変えて突っ込んでくる魔物を斬り伏せていく。

 しかし、あまりにも危険な状態だ。

 自らが大きく動くことができないから襲ってくる相手に対して反撃しているだけで数が増えたら追い詰められる。

 たぶん影渡りで逃げることが可能だとしてもレインが望まない。

 今のレインを見ているとアステルに勝つことに必死で安全のことなんか二の次になっている。

 この勝負は勝つことができたらいいのか?

 俺は、レインを勝たせるためにここにいるのか?

 レインがアステルに勝つことができるなら、彼女がどれだけ傷だらけだろうと終わりでいいのか?

 ちがう、俺はレインを守るためにここへ来たんだ。

 彼女が自分に自身を持って立てるように、過去のいやがらせなんか忘れて前を向けるように手を差し伸べるのが俺の役割だ。

 なら俺はレインの勝負になんか興味はない。

 カッコ悪いのは俺だけで十分だから。


「うぉぉぉぉぉぉぉっ!」

「見てられなくて特攻かい……?」

「くっ! 邪魔しやがって」


 特攻したつもりはない。

 別にアステルを俺が倒そうとも思ってない。

 ただ、俺はレインの側にいてやりたいと思ったから狼に囲まれて噛みつかれてを承知で突っ込んでいったんだ。

 願いは虚しく少し離れた位置に滑り込む感じで止められてしまった。

 それでもレインは理解不能なものを見る目で俺を見下ろしている。一心不乱に戦っていたが、それを忘れている。

 今のうちに冷静さを取り戻させるんだ。


「強い女はカッコいいよな。憧れるし、見惚れちゃうよな。俺も強い女は好きだ」

「は? 大事な時に何言ってんのよ!」

「お前は理想が高すぎるんだ。平凡でいいじゃねえか。多くを求めようなんて思わなくていいじゃねえか。弱くてもいいじゃねえか」

「子犬ちゃんまで、そんなこと言うの……?」


 プライドの高いお前にとっては妥協の一言は辛いよな。受け入れたくないよな。

 でも、そういう弱い部分を受け入れた奴の方が強くなれるんだ。


「カッコつけんなよ。もう昔とは違うんだからさ」

「だって、あたしはずっと子犬ちゃんに背中を見て育ってもらわなきゃいけない、って」

「いつの話なんだよ。俺は()()()()()()()()! ガルムだ!」

「……ガルム?」

「そう、ガルムだ。お前の背中を見て育つのは終わったんだ。もう隣に立たせてくれたっていいだろ? いいや、俺の背中を見てカッコいいと思ってくれ。小さい頃にお前が惚れさせてくれたみたいに俺に惚れてくれ」

「………………ふふっ、バカじゃないの?」


 少しの間があってから笑い声が聞こえてくる。

 俺の発言に無理があったのは認めるが今さら恥ずかしがったところで惨めな思いをするだけだから胸を張ろう。

 過ぎたことは考えても仕方がない。

 レインは冷静さを取り戻したのか大鎌を高速で回したかと思うと一瞬で俺の体に纏わりついていた狼を仕留めていった。


「ボロボロにされた状態で言っても説得力ないわよ」

「無理して虚勢張ってるやつに言われたくねえよ。骨折れるまで無茶しやがって」

「でも、あんたはその背中を見て惚れてくれてたんでしょ?」

「和むのは早いよ。二人揃って傷だらけ。まだ勝つつもりかい?」

「もちろんよ」


 レインはこちらを一瞥し頷く。

 撤退の選択肢はないと、互いに同じ意見であることを認めたのだろう。

 ここまで来て戦いを長引かせるのは敗北を意味するから次の一手で全てを終わらせる。レインも同じ考えなら何をするのか、自分がどうすべきかは何となく理解できる。

 地面になんか這いつくばってる場合ではない。

 自分がアステルを倒す。


「ちゃんと決めてよね、ガルム!」

「無論だ」


 俺の返事を聞いたレインは振り回していた大鎌の柄を地面に立てる。そこから一本の影でできた道が出来上がり、レインの能力により少しだけ範囲が拡張される。

 どんな影でも渡れるようにするための『影渡り』だ。

 自分は前方に走るふりをしてすぐに大鎌の直線上に乗った。

 アステルはそれを見て再び自分が自棄になって総当たりで居場所を探そうとしていると勘違いする。

 しかし、すぐに自分の姿は消える。


「影に潜んだのかい? でも僕の居場所は分からない。それにレインを捕まえれば僕のかち――」

「遅いぞアステル……!」


 アステルの意識が完全にレインに向いていた。

 その隙を狙ったわけではないからアステル自身がどこに意識を向けているかなど俺にはどうでもよくて、ただレインが()()()()()()()を一直線に走り抜けた。

 その先はアステルが隠れていた木の陰。

 影から飛び出した自分は大口を開けていて、アステルが自分の足元の影がレインの大鎌の作る影と繋がっていると気がつく頃には体のほとんどが中に入っていた。

 当然だが逃がすつもりはない。

 口を閉じると外側にあったアステルの右手だけが宙を舞う。


「良い気分ではねえな」

「女の子を丸呑みにして気分が良いなんて言う馬鹿だったら首を落としてるところよ」


 レインも同じ影に潜り込んで合流したらしい。

 おそらく操られていた魔物も主を失い、襲うことを命じられていた相手すらも目の前から消えて解散しただろう。

 これで終わりだ。


「ちなみに姿は見た?」

「アステルの?」


 口を開けたまま迎え入れたからほとんど視界の隅っこで見えただけの情報だったが見えた範囲の情報は伝える。

 黒髪長髪で星の髪飾りをしていた小柄な女、と。


「ふーん? 瞳の色は見た?」

「ほとんど見えなかったから分からない。ただ、特徴的な色だったら少しでも見えていたら意識しそうなものだが」

「じゃあ偽物ね」

「はい?」

「アステルは同じ体を三つ持っていて本体は真紅の瞳をしてる。ガルムの話が本当なら本体ではなさそうね」


 そうですか、こんな奴をまた二回も倒さなきゃいけないんですか。

 複製にも同じ能力を与えた奴を恨むしかないのだろうか。

 と、嘆いても仕方がない。

 今は一歩前進と喜ぶべきで、頑張りに対する労いが欲しかったりする。


「口直しをしたいんだが」

「へ、へんな性癖に目覚めてんじゃないわよ!」

「いや、口の中で心ゆくまでレインの体を舐め回したいとかそんな趣味はないから。普通に後味悪い結果だから、納得できないと(はほふふぇひふぁいほ)…………っ!?」


 真っ赤に染まった口を綺麗にしようと舐めている時に押し付けられた柔らかい感触。レインの唇から伝わる温かさ。

 ご褒美が欲しいとは思っていたがタイミングとか不意打ちにも程がある。舌を出してるタイミングで触れてきたから静かに引っ込めようと思ったのに逃してはくれない。

 レインの唇がしっかりと自分の舌を挟んできたのだ。

 そのまま数秒程でレインは閉じていた目を開いて頬を真っ赤に染め上げるとぐいっ、と俺の頭を押し退けて距離を取る。


「ご、ご馳走さまです……」

「なによ。足りなかった?」

「いや、レインにしては大胆だな〜、と」

「キスしろって意味だったんじゃないの?」

「俺は普通にレインと美味いもん食えれば良かったんだが……」


 恥ずかしさをどうしたらいいのか分からなくなったレインにひたすら殴られ続けたのは言うまでもない。

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