第21話「紡がれる願い」
「犬、起きて」
「…………くぁぁ」
自分の体を揺さぶる者の声に目を覚まして欠伸をする。
寝ている間に元の姿には戻らなかった。
しかし、この体だからなのか、森の中という危険に囲まれた場所で平常な人間なら周囲の音や気配に気を張り詰めて休まらないような環境下だというのにぐっすり眠ることができた。
寝ぼけたままで一瞬だけ存在を忘れていたが声の主以外にもいるはずの姿を探してみるが近くに気配はない。
最後の会話的に距離を取ったのだろうか。
そう考えて寂しそうな顔をしていると自分を起こそうとしていたノエルが自分の目の前に一枚の封筒を翳してくる。
「それは?」
「たぶんミツキが書いたやつ」
「…………そうだな。ミツキの匂いがする」
自分より先に目覚めて一人でここを離れる前に書き残したのだろう。
平然と嘘を吐いていく女狐のような女の子だけど無駄に真面目なところがあるように思えた。
それも手紙を読んでから判断すべきではある。
もしかしたら色々と嘘を吐いていたことの自白かもしれないし、そうでないとしても手紙そのものが嘘の内容かもしれない。
ただ、何故か自分はそうではないと確信していた。
昨日の変化を恐れていた女の子は偽物なんかじゃないんだ、と。
さすがに犬形態で手紙を開封することも読むことも不可能なのでノエルに代読をお願いする。
『せっかく私を説得してくれていたのに黙って居なくなったことを謝罪します。
こうして手紙という形で残したのは二人に誤解してほしくなかったというのもあるけど自分がまだ迷っていることの方が大部分を占めていました。
私がイルヴィナのためを思ってしたことは多くの無関係な人を巻き込んで、その結果として彼女が救われるのであれば無関係な人や、二人が命を落としてもいいなんて、馬鹿なことを考えていた。私の雇い主の目的とも合致するのだから、イルヴィナを救うために使ってしまえ、と。
でも、二人の話を聞いて、あなたに説得されて、私は過ちを犯してしまったのだと、取り返しのつかないことになって後悔するところだった、そう考えました。
私にも大切な友人がいる。過ちを咎めてくれる人がいる。
だからこそ私はあなたが正してくれた道を自分の足で、自分の道として踏み固めていきたいと思い二人に甘えないように離れることにしました。
そもそも啀み合ってた者が急に懐いてきても気持ち悪いはずです。
あとは枕にしてしまってごめんなさい。
ただ、その温かさをそれとして感じられたから私はあなたの言葉を信じて、次に会う時も人として言葉を交わせるように頑張ります』
ノエルは読み終えると手の中でそれを燃やした。
何度も読み返すようなものではない。そういう判断だったのだろうか。
「ミツキから何を聞いたの」
「…………」
「目が覚めるなりノエルより先にミツキを探してた。ノエルが寝た後でミツキから何か聞いた。それも、よっぽど危険なことか、命に関わるような大切なこと」
ノエルに伝えるべきではないように思う。
何度もプロトタイプと対峙してきている俺達ならアブソルートに達したものがどれほど危険なものなのか分かる。
おそらく自分では届かない領域であることも。
ノエルは最終的な判断は俺に委ねてくれるだろうが神様の代理戦争を完全に終結させるならアブソルートとなったものは未熟なうちに止めておかなきゃいけないことを念押しするだろう。
特にミツキの「他者に化ける力」は真化させてはならない。
今は単純な情報だけのコピーでもアブソルートに至りプロトタイプが持つ能力さえもコピーするとしたら?
ノエルが危険だと判断し始末しろと言うなら首を縦に振る他ない。
他に皆を守る手段を思いつかないからだ。
しかし、黙っていてもノエルには伝わってしまう。
「俺の選択って間違ってるのか?」
「選択って全部に正解あるわけじゃない。どの選択をしても誰かが苦しむ結果になることもある。犬の場合は、いつも自分自身が苦しい選択をするけど」
「我が身可愛さで保身に走ったら何のために力を願ったのか分からなくなるだろ。こうして側にいてくれるお前にも申し開きできないしな」
「無理してない?」
俺は少し開き直ることにした。
無理をしてないかと言われればしてる方だとは思うけど自分のために必要な無理なら重ねていっても問題はないはずだ。
それこそ自分の成長のためなら。
「無事でいてほしいって奴が増えるほど苦しくなるもんなんだな。戦場にいた頃には考えもしなかった」
「勝手に納得するのダメ」
「ミツキの事もちゃんと話す。ただ、皆と合流してからの方が何度も同じ話をしなくていいだろ?」
「皆が聞く必要のある話?」
ノエルの言葉に対して無言で頷く。
自分のようなプロトタイプがどのようにしてアブソルートに至るのか。傲慢やタナトスとでは意見が割れていてはっきりしなかったものがミツキから聞いて核心に近いものを得た。
ミツキの雇い主が詳しかったからと考えるなら正しい情報のはず。
ならば関係者であるテイムやレイン、フィアにも情報提供しておいた方が都合がいい。
それにニエブラ海岸へ行けと依頼したのはフィアだ。頼まれていた収集物を届けるのと環境調査についての報告もしなければならないし一度、向こうへ帰った方がいいだろう。
と、そういえば身体が元に戻ってない件を忘れていた。
「ま、まあ普通に掴めたりすれば問題はないよな」
「犬?」
近くに落ちていた枝を掴もうと前足を乗せて握るイメージをしてみたが人型のように全ての指を別々に動かせるわけでもなく、関節の数や位置も掴むことに適していないためにまったく手応えがない。
もはや「ぽふっ」と擬音が聞こえてきそうだ。
このままでは本当に犬としてしか活動できなくなってしまう。
「今はその呼び方やめてくれ。本当に犬みたいに思えてきた」
「可愛いからノエルは気にしない。もふもふもいつもより多い」
「流石にデメリットの方が多すぎて喜べないんだよ。お前が撫でてくれるのは嬉しいんだけどさ、ほんと」
「走った時の疲労は?」
ノエルに尋ねられて睡眠を取る前のことを思い出す。
無茶苦茶なタイミングで落ちてくる雷を避けるためには最高速度からほとんと落とすことなく走り続けた上で不規則に回避行動を取らなければならないから直進ではなく、縦横無尽に走り回っていた。
もし人型の状態で走り回ったなら確実に筋肉痛が残るような重労働。
それを考えると特に手足が怠いといった後遺症はない。
ぐっすり眠れたとはいえ昨日の重労働に対して疲労も残っていない。
もしかしたら人型の状態で動くより遥かに燃費が良いのか?
「提案がある」
「どんな?」
「犬は何回言っても無茶するし全然休もうとしない。だからしばらくこのままで活動して体を休めるべき。疲れにくいなら良い事だしできないことが多い分だけノエルとかに甘えればいい。少なくとも一週間くらいはそのままでいるべき」
「いいのか、甘えても」
「いつもみたいに嫌がると思った」
「姿が変わると性格にも影響するみたいだ。無性に甘えたいというか、律してないとすりすりしたくなる」
これはたぶん、いや間違いなく普段の反動なのだろう。
自分で考えているよりも自分は犬だ。潜在的に犬みたいな部分があるのを蔑ろにして強がっているのが裏目に出たと考える他に答えが見つからない。
ノエルとの関係性なんて言葉にするまでもない。
ゼロ距離にも等しいほど気を許してる相手だからこそうざがられるほど甘えても拒絶されないという絶対の自信。それが覆らない限りは構ってほしいという想いが前面に押し出されるんだ。
「せ、節度は守るようにするから少しの間……その、立場が逆転すると思うけど」
「逆?」
「一応、俺は神様を守るための守護者だぞ」
「お互い様。ノエルも犬を守ってる。だから面倒な問答終わり。ノエルも犬に甘えるし犬もノエルに甘える。分かる?」
何となく望まれていることが分かったので昨日のようにノエルを咥えて上に放り投げて自分の背中に乗せる。
歩くのは疲れるから背中に乗せろ、と言ってるんだ。
ちゃんと俺にも恩恵はある。
背中にノエルの温かさを感じられるし、時折、不安そうに視線を向けると何も言わずに頭を撫でてくれる。
今は心身を休める時、そう考えることにした。
――フィアの教会。
背中にノエルを乗せて故郷と呼ぶにも等しい場所へ帰ってきたはずなのに落ち着かなかった。
何故か破壊されている家屋があったり、死んではいないものの怪我をしている者がいたり、明らかに何かがあった後のような景色である。
フィアなら何か知っているだろうと教会へ足を運ぶと入ってすぐの辺りに謎の甲冑が置いてあるし。
「何か危険な感じする?」
「いや、完全に事後だな。ピリついた空気を感じない」
「まったくです。お二人が不在の間にこちらは大変だったんですから」
そう言って教会の奥からフィアが姿を見せる。
不在も何も依頼で遠くに行かせたのはフィアなのだからその間の対策くらいしておけよ、とか思わなくもないんだが。
なんて俺が不満げに溜め息を吐くとフィアが驚愕したようにこちらを見る。
少し間があってから胸を撫で下ろし安堵した様子を見せた。
何で俺を見たんだ?
「まさか犬が話すなんて、ありえませんよね」
「喧嘩売ってるならそう言えよ。買うぞ?」
「…………きっと色々あって疲れてるんですね」
ここまであからさまに無視されるとは……。
いや、無視というよりは目の前の現実を受け入れたくないだけなのかもしれない。
犬が話すなんてありえないと言っていたから、この姿で話し始めたことが起因しているのだろう。
しかし、今は休養期間である。
ノエルとの約束があるから自分はこの姿でいる。フィアにはその現実を認めてもらう他に選択はない。
理不尽な反応に腹を立てた体で飛びかかる。
なんならのしかかって顔を舐めまわすまでが挨拶だ。
一頻り舐めて満足した頃に少しだけ離れてフィアに再度自分を見て分からないのかと問いかける。
「体の模様というか毛並みは変わらないから見て分かるはずだぞ」
「声は一致しているような気がしますが」
「だから模様で判断しろ! こんな綺麗な毛並みした犬なんて近所にいないだろうが!」
「本当に本人だと断言してもよろしいのですか?」
フィアの言葉から得体の知れない恐怖を感じる。
これは、なにか悪いことをしたから叱られる時のような感覚。自分は悪いことをした自覚がないから分からないけど間違っていることをしたからと分からせるために放つ怒りだ。
でも今回ばかりは本当に何も悪いことはしていない。
別にノエルを背中に乗せて運ぶのだって抱えて移動するのと同じなのだから悪いことをしているわけではない。
訳も分からず怒られて謝るほど俺は流されやすいタイプじゃない。
ただ、この空気で態度を大きくしていられるほど強気でもないので萎縮することは萎縮してしまう。
「この街で成人男性が衣類を身に着けずに出歩いてもいいなんて聞いたことはありませんが」
「これには事情があってだな」
「事情があれば裸の男が若い女の子を連れ回してもいいと?」
「じゃあ逆に聞かせてくれ。犬専用の服なんてどこで買えるんだ?」
「犬専用の服? その辺の店で手に入ります」
「こんな巨大な犬の服なんて、どこで買えるんだ?」
フィアは黙り込む。
俺の姿をもう一度しっかりと見てから考えると一般的な犬のために作られた服なんて入るはずもないことくらい簡単に分かる。
それにこの街には犬用の服なんて作る店はない。
犬は裸で歩いているものだ、としている街である。
これだけでも圧されていたフィアはダメ押しでノエルが俺の背中から睨みつけるとすぐに折れた。
これ以上の問答は無意味だ、と。
そもそもノエルを連れている時点で俺が本人であることなんて確定しているのだ。
フィアの「ついてきてください」という指示に従い俺はノエルを乗せたまま教会の中へ入る。
「フィア、あの甲冑はなんだ?」
「その説明はテイムからあると思います。二人も報告したいことはあると思いますが全員が揃っていた方が何度も話す必要もないのではありませんか?」
「全員って? テイムの他にも来てるのか?」
その答えはフィアが開いた部屋の中で平然と椅子に座っていた。
他にも一つ、知っている気配がある。
「レイン?」
「ガル……ム…………? どちらかと言えば子犬ちゃん、でもない」
「いや、ガルム本人」
「そうなの? まあ事情は後で聞けるからいっか。これでみんな揃ったし話し合い始めるんでしょ?」
フィアが頷いてノエルが俺から降りるとテイムがまず立ち上がった。
その片手には何故か教会の入口で見た甲冑の頭部と思われるものが抱えられているし、片足を引きずっている。テイムの所の奴隷達がじゃれついたにしては大きすぎる怪我だ。
つまり帰ってきた時に感じた違和感はテイムを関係している。
どちらかといえば巻き込まれた側として。
テイムはまず街が襲撃された件を話し被害の度合いや現在の復旧状況について簡単に述べた。
被害者の怪我に関してはいずれも重傷ではなく、神官の治療も早かったから後遺症に残るようなものも少ない。家屋の復旧に関しても街の人間が相互に協力して行うから近いうちに終わるとのことだ。
ただ、特筆すべきはその事態を招いたのは一体のプロトタイプということ。
「こいつが元凶っす」
「茶化すわけじゃないんだが頭しかないぞ?」
「くくっ、豪快に首をはねられたものでな」
「変な嘘を吐かないでほしいっす。こいつは、レイスは『不死』のプロトタイプで本体はこの頭っす。でも破壊すると他の甲冑やら死体やらに憑いて復活するから身動き取れない状態にするため、頭だけにしてるっす」
テイムは補足して「自分達が最初に遭遇したプロトタイプ」と言った。
つまり、ノエルと出会ったその日に俺が殺されかけた相手が目の前にいるという状況である。
因縁がある相手だ。放置はできない。
ただ、こうして頭部だけにしておけばまったく活動できないというのであれば管理下におけるという点では今すぐにでも葬って置かなければいけない相手ではないし、タナトスとの会話の後で簡単に戦うという選択はできないな。
それに俺達のことは覚えてないような口振りだ。
この場で論じるべきは「過去のこと」より今回のこと、だよな?
「訳もなく襲撃した訳じゃないだろ? 今時のプロトタイプなんて自分の力に振り回されても隠れて問題起こす奴が大半だし、暴走してるにしてはあまりにも被害が小さい。なにか情報が欲しいから脅すためにやった程度だ」
「さすがっすね。兄貴の言う通りでこいつは『嫉妬』を探してるっす」
「…………!」
「なんだ、お前は嫉妬を知っているのか」
しまった、と感じた時には既に遅かった。
迂闊にもミツキを思わせる単語に反応してしまい、それを奴は見逃してはくれなかったようだ。
そもそも目があるのかも怪しいが、勘付かれたのは間違いない。
隠し立てしても仕方がないしあったことを話すしかないな。
テイムも今回は自分の所にいる奴隷達も巻き込まれているから事情があっても隠し事は許してくれない。何が理由で自分の家族が怪我をしなければならなかったのか知るまでは責任の所在をはっきりさせられないんだ。
「お前の知ってる『嫉妬』か分からない。フィアからの依頼で向かったニエブラ海岸の近くで襲われた」
「くくっ、なかなか面白い女だっただろう。道化の部類だ」
「普通の女の子。ノエルが話した結論から言えばだけど」
そう、道化なんかではない。
あえて言うなら道化を演じている一般人。自分では面白おかしく見られていわけでもないのに与えられた役割を忠実にこなすために仕方なく道化を演じているだけだ。
ノエルの言葉を聞いて不死は納得がいかない、というような声を出す。
ミツキから本音を聞けなかったら道化という言葉に頷いていたかもしれない。
こいつはミツキに騙されたことしかないから信じられなかった。
ミツキの言葉、行動、その全てが偽りに見えて道化としてしか視界に映らなくなっていたのではないだろうか。
「濁りのない瞳だ。純粋な意見だとしても根拠はあるようだな」
「当然。誰にでも改心の余地はある。ノエルは機会を与える。それを蹴るも、受け取るもその人の自由。ただ、第三者がそれを奪うのは認めない」
「その者に良心など無くても、か?」
ノエルは俺の前に立つとこれでもかと胸を張り、いっそ清々しいまでに自分は間違っていないという態度を取る。
やはり見栄を張っているようにしか見えない。
でも逃げてばっかの子供じゃなくて立ち向かっていくのがノエルだ。態度にも心にも嘘はない。
「ある、絶対に。その人に願いがあるなら必ず」
「子供の戯言だな」
「これがノエルの答え。まごうことなき真実」
「えっ、俺?」
ノエルは明らかに自分のことを示していた。
しかし、自分はノエルが伝えたいことは分かっていてもそれを体現できているかどうか分からないからリアクションに困るというか、正直なにもいい言葉が浮かばない。
所詮は一匹の犬だからな。
さすがに頭しかない奴に「過去のことは忘れて仲直りしよう」とか「今からでも友達で」とか言いたくないし、自分の良さをどう表現したものか困ってしまう。
いや、いつもどおりでいいんだよな。
ノエルから向けられている「分かってるよね」という期待ではなく「分かってるはず」という信頼に応える。
それが俺にできること。
相手のことが分かるから真っ向否定せずに歩み寄ろうと考えられるんだ。
それが俺だから。
ノエルが神様だから持っていて、そのツガイだから俺にも扱える「意思疎通の力」なんて無くても俺になら分かる。
「自分を大切にできない奴には他人の痛みは分からない。だけど、自分を犠牲にできる奴だからこそ信じられる、か」
「何故その言葉を?」
「お前の根幹は騎士なんだな。弱い者のために身を削ることができる奴を守りたい一心で、自分を大切にしろと宣いながら自分自身が身を挺して守ろうとした」
プロトタイプにも過去がある。
そこに至るまでの経緯、そのプロトタイプがそう呼ばれるに至るまでの人生が。
彼らの人生は全て失うことが起点。
テイムは仲間を失った。
レインは守られる権利を失った。
スティグは家族を失った。
リースやイルヴィナも、みんな持って生まれたものを奪われ取り戻すことができない悲しみを抱えている。
その悲しみが強ければ強いほど力も強くなるし自分自身の制御できない気持ちに振り回されることになる。
こいつが失ったのは「身体」だと思う。
それも、愛情や誇りの寄せ集められた大切な身体。
自分の嗅覚が読み取ったのはそんな記憶。
「身体を失ってもなお守りたいという意思がお前の『不死』たる理由だ」
「堕ちるところまで堕ちた自分にそれを伝えて何になる」
「まだ残ってるだろ。そいつに対する忠誠心」
「犬畜生め」
口では蔑んでいても自分のことを否定的に見ている様子はない。
むしろ頭しかない奴が何を言っても惨めなだけだ。
「なるほど、個人の領域に土足で踏み入る無神経。それがお前か」
「犬は一人ぼっちが嫌い。だから他人の領域でも踏み込んでく。逃げられたくないから常識なんて無視して足跡付けながら追いかける。それが犬」
「す、好き勝手なこと言うんじゃねえよ」
なんかマナーが悪いとか言われているみたいで恥ずかしかった。
でも、俺がそういうやつだってことはここにいる連中は当たり前のように知ってるし、皆は俺がそうやって踏み込んで距離を詰めていった友達なんだ。
文字通りの犬で否定しない。
俺は不死の前まで歩いていって前足を相手の頭に乗せる。
肉球に直に触れる金属の冷たさに不快感を覚えたが姿形が変わっていようとも、たとえ見えていなくてもその中には騎士としての使命を全うした誇り高い男の魂が宿っているのだ。
「テイム。こいつを許してやってくれ」
「兄貴…………」
「全てをとは言わない。でも、命までは奪わなかったこと。こいつにも守るべきものが残っていること。誇りを持った騎士であること。それは認めてやってほしいんだ」
「頭を足蹴にしておいて良い言葉を吠えるものだ」
「うるせぇ! 俺はお前に一回殺されかけてんだからな! 別に恨んだりしないけど痛かったんだよ!」
カンカン音を鳴らしながら爪で何度も蹴っているとテイムの表情が緩んだ。
「自分ばかり恨み言なんて並べてもダメっすよね。怖い思いをしたはずの子供達が怪我だけで済んだから、ってこいつのこと許すつもりでいるのに」
「それもテイムの権利ではあるんだぞ?」
「こいつを恨むくらいなら家族の無事を喜ぶっす」
「ま、いざとなったらあたしが何とかするわよ。プロトタイプとしての力で魂を結びつけてるならあたしが無効化すれば終わりでしょ?」
「っ!」
そうか、迂闊だったな。
ここにレインがいるということは真面目に説得しないと改心の余地無しと判断されたらその場で即消滅とか可能性もあったのか。
レインが自分の認めた相手を勝手に消滅させる可能性は低いから大丈夫だろう。
俺の意図も理解している。
これが神様同士の代理戦争になるのならば自分達が勝手に決着をつけてもいいものではない。極力戦わずに、互いに優劣をつけることなく諸悪の根源を討ち滅ぼせばいいのだ。
もし軽々しく優劣をつけて傲慢や不死の魔王に序列が付いてしまえば目も当てられない。
必要な場合はノエルの力で、だな。
代理者としてではなくこの世界の一部として終わらせ、また別の命として生まれ直す機会を与える。
「のみもの! みんなでのめ!」
「おう、ありがとな…………ん?」
「ニムルちゃんとできた! えらいか?」
「フィア、ちょっとこっちに来い!」
俺は平然とニムルの頭を撫でていたフィアの首根っこを、正確には服を咥えて部屋から連れ出すなり床に放り投げる。
そして前足でしっかりフィアの左右を封鎖して逃げ道をなくし、さっきのやり取りについて問いかける。
「なんで普通にニムルが表に出てるんだ!」
「保護するとは言いましたけど隠すとは言ってませんよ」
「いやいや、表に出てたら保護できてねぇよ!」
「教会には他にも身寄りの無い子供だって来てるんです。彼らを全員、同じような待遇で保護していけると思いますか?」
それは、と言葉を詰まらせた。
全員を平等に助けるのが聖職者の仕事、なんて無責任なことを言えるほどバカではない。そもそもの話、自分でさえ手の届く範囲でしか助けられてないのだからフィアの言い分が正当だ。
ただ、俺の気持ちも誤りではない。
フィアが優しく微笑んで俺の胸に拳を押し当てながら肯定してくれたんだ。
「みんなを救いたいという考えは立派です。ただ、実現するには妥協してもらう必要がある」
「労働、か?」
「そう、子供達はみんな手伝いをしています」
教会のお手伝いという名目さえあれば知らない子供がいても違和感もなく、無差別に保護せずに提示した条件を受け入れることのできる者を保護しているわけか。
この教会は建物自体もそこそこ大きいし掃除一つ取っても人手がいる。
人数が増えれば料理を作る者も一人では無理が出てくる。
それらを彼らに任せれば教会も人手不足を補えて子供達も預かる名目ができるから悪いことはないだろう。
ニムルもそのうちの一人というわけだ。
部屋を出てすぐのところで話していたからかニムルが不安そうに耳を垂れた状態で出てくる。
「ニムル、よけいなことしたか?」
「いや、お前は偉い。教会の手伝いができて偉いぞ」
「ほんとか!?」
ここでニムルは顔を上げて初めて現状を理解する。
俺はあくまでフィアの方の横辺りに前足を置いているだけで起き上がろうと思えばフィアはいつでも起き上がれる状態なのにこのまま話をしていた。
横から見れば普通に覆い被さっているように見えるかもしれない。
そして一つ付け加えると俺は服を着てない。
超大型の野犬のような姿をしているから着れないだけだが事実とは見た者の認識で決まるものだ。
勘違いをしたニムルは尻尾を振りながらすぐ近くまで近づいてくる。
「こーび! ニムルもする!」
「ばっ! そういうのは大声で言うんじゃねぇ! あと誤解だから!」
「そんなこと教えてたんですか」
ニムルは絶賛勘違い中で聞く耳を持たないし、足元のフィアからは思わず萎縮してしまいそうな視線が刺さる。
誤解を解ける気がしない。
まずニムルを黙らせるのが先か。
それともフィアに弁明するのが先か。
いや、ニムルを黙らせる方が不可能だな。
犬みたいに尻尾振りながらぴょんぴょん跳ねたかと思えば今度は右手側に移動して同じことをしてを繰り返していて言葉による対話ができそうにない。
それに殴って黙らせるとフィアに怒られる。
なら、フィアを説得するしかないか。
「二、ニムルは本能的に知ってるだけで教えたわけじゃない」
「魔物は魔力さえあれば増えるから本能も何も、そういった行為はしないのでは?」
「趣味でするやつと繁殖のためにするやつ、普通にいるぞ。魔力少ないところに生まれた魔物とか」
「へえ、詳しいんですね」
「討伐とか依頼されるからな」
「で?」
この状況をどうするんだ、と言わんとしていることが伝わってくる。
どうするも何も放置してれば飽きて大人しくなるとは思う。
しかし、ニムルの興味に対する熱意が一般的な魔物のそれと同じ程度と考えるのは浅はかだ。おそらく、一日中追いかけ回される。
それにニムルはまだまだ子供だから実際に発情してるわけでもなければ興味本位なだけだろうから形だけで満足すると思うけど……。
「マウンティングだけで満足すると思う」
「さっさと終わらせてください。不愉快です。教会で卑猥な言葉が聞こえてくるのも、その卑猥な言葉を小さな子供が発しているのも我慢なりません」
これは断ったら殺されそうだ。
仕方ない。分かっていても渋っていた理由が他にもあるにはあるけどニムルを落ち着かせなきゃいけないのは目先の問題。先に取り掛かろう。
「大人しくしろ!」
「クゥーン」
フィアから離れて跳ね回るニムルに飛びかかって捕まえる。
完全に体重を乗せて地面との間で潰すくらいの気持ちで押さえつけるとニムルは大人しくなった。
ちなみに大っぴらには言えないけど獣系魔物の雄が自分の雌を証明するためにやる行為である。
これをやると雌の方が自分は特定の雄がいることにより安心感を覚えて頻繁に発情したり暴れまわったりすることがなくなるとか、なんとか。詳しくは魔物に聞かないと分からないけど。
とにかく、これは知ってる奴に見られたら一発アウトだ。
「ガルム?」
「………………」
よりによってレインの方が先に出てきてしまった。
これがノエルなら簡単に説得できるしテイムなら最初はふざけるだろうけど後で「冗談っすよ」って言って俺の言葉を信じてくれるだろう。
レインは無理だ。
吸血姫という種族は魔物として分類されることは無いと言えど、近しい存在ではある。
夜に属する者が魔物のことを知らないわけがない。
つまりレインは勘違いなんかしていない。
俺がそういう目的でニムルの上に覆いかぶさっているのだ、と。ただ戯れていて事故でこのような形になったなどと考えてはくれない。
「今なら苦しまないように息の根を止めてあげられるけど、どうする?」
「弁明の余地は?」
「無いわよ! ノエルさんに一途だと思ったからあたしは一歩引いてたのに…………」
「いっそ殺してくれ」
レインにまでそんなふうに思われるなんて耐えられない。
そもそもレインは遠慮してあまり本心からの気持ちを言わないような女の子なのに想いを口にさせるなんて男として失格。
潔く切腹されるべき案件だ。
そう思って思い残すことはないかと目を閉じて考えていると何故か頬に激痛が走る。
目を開けて確認するとレインが俺のひげを引っ張っていた。
「ばか……!」
「?」
「あんた殺したらノエルさんが泣くじゃない」
レインは口ではそう言っていても実際はノエルなんか関係なく自分がそうしたくないから、と考えているのだろう。
少なくとも自分と過ごした時間を無駄にしたくはない。
長い時間を生きるレインにとって刹那の時間だったとしても特定の人物と過ごしたかけがえのない時間は人間と同じように大切で、失いたくないもの。
互いにわずかでも好意を向けてしまったのだから忘れられるわけもない。
気が抜けていたのか足元に潰されていたニムルはいつの間にか抜け出して走り去っていった。
「レイン」
「たまにはデートに誘いなさいよね。あたしだって嫉妬くらいするんだから」
「犬? 用事は済んだ?」
ノエルが部屋の中から顔だけ出している。
色々とまだまだ言いたいことはあるような気はしたがニムルの件についてはフィアの言うとおりということで納得はしているし用事は済んだといえば済んでいるのだろう。
適当に返事をして部屋に戻るとテイムはなにやら気持ち悪い笑みを浮かべていて、それとは対照的にノエルは何も言わず、表情にも出さずにさっきと同じ位置にいる。
怒ってるわけではないよな。
「次はノエルと犬から報告」
ノエルは依頼でニエブラ海岸へ向かったこと。
そこで不死の魔王に遭遇し彼から得られた情報があるということ。
ミツキというプロトタイプに襲撃されたこと。そして和解したこと。
最後に自分がどうしてこの状態なのかを説明した。
「じゃあ、こいつとイルヴィナはその『不死の魔王』ってやつの代理者?」
「魔王か。騎士たる者と縁を結ぶには不愉快な相手である」
「それを言ったらイルヴィナだって普通の女の子だったっすよ? 魔王とかいう存在の代理者に選ばれるなんて偶然としか思えないっすけど」
それぞれの疑問が飛び交う。
たしかにタナトスは魔王という立場だからこそ人間の騎士や女の子を代理者とするなんて以ての外だろう。
しかし、俺とノエルが聞いた話が本当ならあり得る話だ。
タナトスはノエルのように力を貸し与えようとしたわけではないのだから相手を選べなかった。傲慢のように共時性のある相手のことも知らないから誰に与えられたのかも知らなかった。
故に一般人が「偶然だ」とか「不愉快だ」とか言ったところで仕方のない話である。
ただ、俺が二人に納得させられる理由があるとすれば共時性の提示だ。
何がタナトスと二人を繋ぎ止めたのか。
それくらいなら想像できる。
「俺が『不死の魔王』と実際に話して感じたのは案外部下思いというか見捨てられないんだな、って感じだ。あいつが使役していた魔物は基本的に軍隊行動を取らせてて自分勝手に動いてない」
「興味が無いならテキトーに彷徨わせとけば侵入者対策になるから、わざわざ指揮を取ったりしないってこと?」
「それに娘がいた、なんて話を聞いたら余計にそう思わざるを得ない。死者の類が他の魔物を快く家族として受け入れるわけがないからな」
「…………決めつけるには早い、か」
「それに死者に対する扱いに関しては悪くない。むしろ弔われずに残置された遺体を気にかけているくらいだ」
タナトスには騎士の「守る」という意思も死者に対する「弔い」の心もしっかり存在していた。
故にレイスとイルヴィナに縁が繋がれたのだろう。
魔王という存在を否定してもレイスは自分が実際に不死者として存在していることから事実として受け取るしかない。
こいつの身体を失ってでも守りたいという願いを叶えたのは他ならぬ魔王だからな。
しかし、分かっているつもりでも俺に論破されるのは我慢ならないらしい。
「代弁者のつもりか、犬畜生の分際で」
「甲冑の中身と同じで頭脳まで空っぽみたいだから教えてやったんだ。ありがたく思え」
「テイムとやら、今すぐ身体を返すのだ。この身は奴を斬り伏せねば怒りを抑えられん!」
「それはできないっすね。ここで暴れられたら困るっすから」
ノエルは俺達のやり取りを見て満足気に笑っていた。
その時、笑いながらノエルがなんて言っていたのか俺の耳はしっかりと聞いて逃さなかった。
「ノエル、呼ばれた意味ちゃんと、あって良かった」




