第2話「名前のない神様」
俺は今まで現実を見ることができていなかった。
勝手に【試作品】というものが未完成故に簡単に壊せるものだと錯覚し、俺の考えを肯定するように姿を現すのが弱いものばかりで、いつしか自分なら目的を達成できるのではないかと勘違いしていた。
そんなはずはないのに、強いと思いこんでいた。
つまり、今回の死は俺が招いた結果だ。
テイムには悪いことをしたと思う。
だけどもう、この温かい夢で終わりたいんだ。
――ガルムの家。
「犬、起きたみたい」
「…………ッ!」
「まだ安静にしていた方がいい。傷も塞がりきっていない」
いや、安静にって、無理があるだろ!
今の状況を理解して安静にしていられる奴はいないし逆に興奮してくる。
目が冷めたら俺が助けた幼女に介抱されていただけでなく、その身体を押し付けるような姿勢で添い寝してくれていたんだ。これは夢でもなければ永遠にこうしていたいくるいの状況で、度胸のない俺としては早く解放してほしい状況だ。
なんて俺が寝ている間にこんな如何わしいことされているんだ?
「手当はした。犬の再生力があるから出血さえ抑えれば自力で治る。でも体温の低下だけは再生力でどうにかなるものではない。だから体を張って温めていた」
「あの、温めるだけならテイムの方が……」
「犬が男同士の方が良かったなら申し訳ないことをした。私のような未熟な女に温められるより屈強な男の方が良かったみたい」
「別にそういう意味じゃないけどよ。ほら、効率悪いだろ。それにお前だって見ず知らずの男を温めるため、って添い寝するなんて嫌だったはずだろ」
幼女は視線を逸らしたがすぐに戻すと首を横に振る。
そもそも視線を離しても俺に体を寄せているのだからどこを見ても俺しか映らないだろう。
まあ、考えている顔を見せたくなかったのかもしれないな。
「犬は命の恩人だから、と考えれば妥当な選択肢だ。それに非効率ではない。犬は男だから女と添い寝した方が血の巡りがいい。体温が上がるのも早いと思う」
「そ、そりゃあな。ていうか、そろそろ離れてくれないか。いくらお前が未熟な体の女だからって四六時中こうされてたら俺の体も小さかろうが関係ねえって、今までにないくらいやる気を出しちまうかもしれないだろ」
「そうなったら虎を呼ぶ。彼は『もし兄貴に何かされそうになったら呼ぶっす! 俺の兄貴が幼女に欲情して手を出したなんて想像したら耐えられないっす!』と言っていた」
「あー、お前でよかったかも。あいつならヘンなことしただろうし」
誰かの所有物になった覚えはないのに、な。
とりあえず状況は大方わかった気がする。
俺があの36とかいう【試作品】に負けて死にかけていたのを荷馬車を使って運び、それをこの幼女が手当してくれたのだろう。
悔しい限りだ。手も足も出なかった。
「今のうちに堪能しておくことをお勧めする」
「は?」
「私が犬にここまで心を許すのは今回限りかもしれないから。堪能するなら今のうち」
「俺をなんだと思ってんだよ。むしろお前が望んでやってるんだろ」
「発言の意図が分からない」
「当ててやろうか? お前、俺の毛皮に惚れたな……ごふっ!」
「自惚れているならやめた方がいい」
事実を言って鼻を殴られる筋合いはねえよ。
顔を見れば分かる。俺の毛皮よりも温かくて柔らかいものを知らないという顔をしているし、そういうものに触れる機会がなかったんだろう。
だから自惚れとはちがう。
「素直ではなくて申し訳ないと思っている。犬の言う通りだ。私は犬の毛皮の触り心地に満足している。だから温めるためと称してここにいる。虎に止められても無視した」
「そういえば怖がらないんだな。笑いもしなければ泣きもしない」
「私にはそういうものがない。いや、知らないというべき」
となると俺に怯えないのはもちろんだが誘拐されると思っても何が怖いのか分からないというのが本音か?
なんて、不憫な子だ。
何も感情を知らないということは喜びや悲しみだって知らない。生きた証になりうる感情をすべて持ち合わせていないってことじゃないか。
そんなのあっていいのかよ。
俺でさえ……作り物の俺にさえ感情はあるのに、どうして普通の人間であるこの子には感情を与えてやらなかったんだよ神様。
俺は思わず哀れに思えて頭を撫でていた。
意味としては自分がされて嬉しかったことを返したかったのもある。
「兄貴〜、ご飯ができて……って! こら! そこまで兄貴にしていいなんて言った覚えはないっすよ!」
「私は虎の考えているようなことはしてない」
「言い訳はいいから降りろっす!」
「むう、私だけの意思で降りるのは不本意。この犬はまだ温めてほしいかもしれないし私が上に乗っていた方が幸せかもしれない」
「兄貴は俺がいれば幸せなの!」
「……ふっ。うるさくて傷に響くからよせ」
懸念だったみたいだな。
元々、この子は感情が無いとは言っていない。知らないだけだと言っていた。
なら今からでも経験したことのないことを色々と体感しているうちに芽生えてくれるのではないだろうか。
楽しいとか、悲しいとか……笑いたくなったり、泣いたり怒ったりしたくなるようなことが、あるのではないだろうか。
まだ、救えるのではないだろうか。
「ありがとな、もう大丈夫だから降りてくれ。食べにくいからな」
「分かった。私は犬に言われて降りた」
「お前な! 何で兄貴の言うことは聞くっすか!?」
「私は犬に仕えると決めた」
仕える?
俺はつい笑ってしまう。
「くっくっ! お前が俺に仕える? 笑わせるな、何が目的だ」
「目的などない。私には帰る場所がない。ただ記憶に誰かに仕えなければいけないということだけがある。それはおそらく犬のこと」
「俺はその辺にいる獣人となんら変わらねえよ。むしろ奴らに比べて野蛮で危険かもしれないくらいだからな」
「そんなことはない」
幼女は床に降りていたがまた俺に近づくと背伸びをして頭に手を乗せると撫でてきた。
あまりしょっちゅう撫でられていると子供にかえったような気がして落ち着かない。なるべくなら控えてほしいくらいだが。
わざとではなさそうだ。
顔を見るかぎり俺を馬鹿にしているつもりも子供のように考えているわけでもないらしい。
「ほら、さっさと食べないと冷めちゃうっす」
「悪いなテイム、仕事があるだろ。あとは自分でどうにかするから戻ってもいいぞ」
「そのことなら気にしなくていいっす」
テイムは俺に向かってまた羊皮紙を突き出してくる。
書かれている内容は『盗賊団の者が街に潜んで準備をしていたであろう企て事は確かに解決されたものとし、ここに証明するものとする』と、要するに証明書だ。
正式に冒険者ギルドに出された依頼でもなければ証明書を発行しないと誰が達成した、とか、何か裏があるのでは、とか騒ぎ立てる人間がいる。
それを避けるための署名付きの証明書なら本物だろう。
つまり、俺が眠っている間に報告してくれたらしいな。
「ちゃんと《屍使い》の一件も報告して次から似たような案件は真っ先に俺たちに通すように伝えたっすよ!」
「そう、か……」
「あと女、お前の着る服も調達してきたっす」
テイムから一式を渡された幼女は複雑そうな顔をする。
明らかにサイズの合わないものを渡されたのだろうかと思い、俺はその服を幼女から受けとる。というか手渡された。
いや、合わないということはなさそうだ。
見た感じだが少し幼女に対して小さいかもしれないが動いた際にあちこち見えてしまっては意味がないのだからそのくらいがちょうどいいのではないだろうか。
しかし、間違いなく不満そうである。
「み、見た目が気にくわなくても今は我慢しないとダメだぞ」
「そうではない」
「じゃあ何が気にくわないんだ」
「犬は実際に私に触って大きさは分かる?」
「大きさ? まあ、少し小さいとしか言えない」
睨むなよ、聞いたのはお前だろ。
それに大きさなんて小さいか大きいか、それに少しとかそこそことかいう誤差が付くくらいだろ。
「なら、人間の服とかの符号は分かる?」
「知るわけねえだろ。着るわけでもないし人間と親しいわけでもないんだからな」
「…………虎は何でそれを知ってる」
「っ!」
たしかに怪しい。
俺は人間と関わろうとしなかったというのもあるが多少の知識があったとしても適正なサイズを選べるわけがない。
何よりテイムは俺と違って幼女に触れていない。
「お前、冗談だろ?」
「なんの話っすか?」
「こういう小さいのが好きだったなら先に言えよ。というかお前の取り扱ってる奴隷にもこのくらいのやつがいるだろ」
「昨日の仕返しっすか!? お、俺はそんな趣味ないっすよ!」
「なら分かるはずがない」
「奴隷も取り扱ってるって兄貴が言ったじゃないっすか! あの子達は長らく人間として扱われてこなかったから服の着方すら知らなくて教えたりしてるうちにどのくらいなら着れるかとか見た目だけで分かるようになったんすよ」
ああ、なるほどな……?
たしかに奴隷のなかにはいなくもないだろうし言わんとしていることは分からなくもないが……。
逆に幼女が抵抗する気持ちもわからなくもない。
知らない男の持ってきた服なんて、嫌だよな。
「残念だな。これ、お前に似合いそうなのに」
「……着る」
「無理しなくてもいいんだぞ。そのうち俺が動けるようになったらお前も連れて選ばせてやることもできるんだ」
「これでいい。着るから返して」
俺は言われるがままに先程の服を渡す。
何がきっかけで心変わりするのか分からないな。これも今まで俺が女と関わるのを避けてきたのが原因だろうか。
さて、着替えるなら俺も席を外さないと、な。
「虎は外にいて」
「何で俺だけなんすか?」
「犬は怪我してるから動いてはいけない。だから虎は外に出て」
「そこまで気を使わなくていいぞ。なに、俺だって頑丈な獣人なんだからお前が着替えるって言うなら外で待ってるさ」
「気を使わせてほしい」
幼女は服を胸に抱えたまま俯くと悲しげな顔をした。
どうしてそこまでして尽くそうとするのか分からないし、何もかも甘えてしまうと男として情けないような気がして我慢できないんだよな。
あとテイムが駄目でも俺はいい理由も分からない。
テイムの方が親切心あるし優しいと思うんだがな。
「まったく、ご飯が冷めちゃうからさっさと着替えるっすよ」
「置いていってくれれば私が食べさせる」
「…………」
「そんなに見つめられても困る」
「あ、わりぃ」
別に見惚れてたわけじゃないんだ。
ただ、色々と不思議なところが多いだけあって基本的には他人は無関心を貫いている俺でも気になってるんだよな。
俺は言うほどのことをしてやったのか、と。
幼女は俺の疑問も知らずに着替え始める。
さすがに最初から裸だったと言われていても着ていた時期はあるだろうから慣れた様子だ。考える間もなく下着に足を通していく。
って、俺は何を見てるんだ。せめて見ないでいてやれよ。
でも気になるものは仕方ないだろう。
なんか裸でいられるよりも着替えている最中を見る方が気分的に興奮するというか、目を離せなくなるというか。
ちがう、我慢だ。俺は男だろ?
こんな時に盗み見なくても頑張って女と仲良くなればいいんだ。
よし、世間話でもして気を紛らわそう。衣擦れの音も消せるしな。
「何で俺に気を使うんだ? 助けられた、って言っても俺は何もできてないのに」
「犬は私にとって大切な存在。私自身もどうして大切なのか分からないけど大切にしていなければいけないような気がする。獣人もよく自然が守護者のような存在だから大切だという。それに近い」
「その割には守護者を二回も殴ってませんかね」
「犬は大切だけど神とは違う。道を外しそうになったら正さなければならない」
一回目は完全に無罪だったと思うんだがな。
それにしても守護者、か。
もしかしたら路地裏で捕まる前の幼女は何か動物を崇拝するような教団に所属していて、その記憶が少しだけ残っているのかもしれない。
だとしたら帰る場所も見つかりそうだ。
それまでは責任を持って守ってやらないといけないな。
「じゃあお前は俺に頼みとかあるのか?」
「名前……」
「名前?」
「そう、名前がほしい。犬も虎も私をお前と呼んでいるけど呼ばれる側としては複雑な気持ちなので固有名詞がほしい」
「名前ねぇ……」
たしかに不便ではあるが付けてしまうとへんに愛着が湧くというか、手放しにくくなるんだよな。
ん、待てよ。
そもそもこの子の発言からして俺から離れたくないという設定では?
俺が守護者だから大切にしなければいけない、ということは俺がこの子を守れる距離にいなければいけないという意味だ。
愛着が湧いても、いいのだろうか。
「……ノエル、は嫌か?」
「ノ、エル……。いい名前だと思う」
「そうか、気に入ってくれたなら良かっ――」
「もう着替えるだけで時間かかりすぎっす……よ?」
「私は犬にノエルという名前をもらったので虎もそう呼んでほしい。それとやはりノエルが犬にご飯を食べさせる」
――近くを流れる川。
しばらくは大人しくしていろとノエルもテイムも同じことを言った。
珍しく二人の意見が噛み合った瞬間だったが喧嘩の始まりでもあり、居心地が悪かった俺はこっそり抜け出して今に至る。
手当はしてくれた、と言うが傷口を塞ぐので手一杯だったのだろう。
「うわ……さすがに自分の血でもドン引きするわ」
多少は痛むがやむを得ないため川に浸かると体毛を小汚く染めていた深紅が抜けて水に流されていく。
そう、血まみれのままでいれば虫も寄ってくるし鼻も利かなくなる。
困るのだ。この状態で寝ていろと言われても。
「これでも俺は綺麗好きなんだよな。汚れ仕事は嫌いだし」
誰にでもなく独り言を呟く。
汚い仕事は嫌いだ。誰かのために自分の手を汚していくばかりで、それは逆を言うと俺に依頼した誰かはきれいな手で居続けるということ。
それに納得できない俺は今まで汚れ仕事は極力避けてきた。
ノエルは……それに気づいていたのだろうか。
あの世間知らずみたいなイメージしかない子供が俺を見ただけでどんな人間か判断して今の状況を作り出したのならば感動すら覚える。そのような知能があればいい所に雇われて生きることもできたはずだ。
あれは哀れな生き物だ。
俺の復讐に付き合ってろくでもない人生を生きることになるのだから。
とはいえ水は苦手だ。
俺から逃げ場を奪っていくし一度ぬれたらしばらくは乾かない。
「くっ……! さすがに痛むな」
大きな怪我はするものではないな。
何をするにも痛むし治るまでは安静にしていろと言われても治った頃には体が鈍っていて動きに制限がかかる。
ブランクなんて背負うものじゃない。
何より、相手さんは待っていてくれない。
「覗きは、いい趣味とは言えないな」
「…………」
「気配を消そうとしても無駄だ。どこに隠れても匂いでお前の位置が分かる。つまり、お前をそこから叩き落とすのも簡単だ」
本当はそんなことはできない。
位置は分かっているが木の上にいるやつを叩き落とせるだけの力を出せないからな。
しかし、下手に弱さを見せて逃げられでもしたら面倒だ。
「さすが、腕利きと評判高い男だけある。お前と戦いに来たわけではないがな」
「何が目的だ」
木の上から降りてきた男はある程度、声の通りやすい距離まで近づくと足を止め戦う意志がないことを両手を上げて証明する。
戦うつもりでないというなら好都合だ。
俺も動けないわけで、相手の力量が分からないのなら戦わずに穏便に済ませたいというもの。
相手がその気なら乗ってやるとしよう。
「単純だ。お前の所にいる女を寄越せ」
「寄越せとは横暴だな」
「元はといえば我々が保護するはずだった存在。それをいらん横槍が入って、さらに第三者が関わって複雑にしてくれた」
「横槍……ああ、あいつのことか」
どうやら【試作品】の関与は想定外だったらしいな。
この男からすれば本来、街で保護するはずだった幼女が盗賊にさらわれ、そいつらを撃退して取り返そうと思ったら俺が先に手を出してしまい見つけるまでに時間と手間がかかった、と言いたいのだろう。
それは悪いことをしたと、思わなくもない。
しかし、それほど重要な人間ならば、なぜ裸の状態で街にいたり、護衛もない状態でいたのか不思議ではないだろうか。
「あいつは何者だ?」
「余計な詮索はするな。お前の関わっていいことではない」
「お前、その剣の装飾からして聖職者だよな。あいつがお前たちにとって特別な信仰対象か何かなのは想像がつくが」
「まて、それ以上は言うな。お前を見逃せなくなる」
ほう、そこまでするか。
必要以上に事情に首を突っ込もうとした奴は首を切られて犠牲者として名前を挙げられるという意味なら危険な話だ。
男はそれを示唆した上で皮の袋を前に投げた。
緩んだ口から数枚の金貨がこぼれる。
金をやるから首を突っ込むな、か。
俺は盗賊なんてやってるが盗んだものはテイムに託し金のある者に売らせ、その金を使って貧しく苦しい思いをしている身寄りのないガキや老人から商品を仕入れている。
テイムはその商品の売れた金額を収入とし、その一部を俺の生活に必要なものを仕入れるために使ってくれている。
つまりはそういうことだ。
盗んだものを自分のものとして稼ぎにすればもっといい生活はできる。
ただ、俺はテイムに助けてもらった手前で苦しんでいる人間を見逃せなかった。
「それはつまり、あいつを売れ、ってことか」
「捉え方はお前次第だ。人命保護の仕事と考えるも良し、人身売買と自らを嘲るも良いだろう」
人間を売る?
テイムも奴隷売買はしている。身寄りのない子供たちを保護し、教育してまともな連中に仕事のできる人間として売りつける。
だが、あいつがやっているのは派遣と同じような奴隷売買だ。
何をするつもりかも分からない連中に売るのとは違う。
「どうしたの、犬」
「っ!」
ノエルが後ろにいると気が付かなかった。
おそらく俺が戻らないから心配になって様子を見に来てしまったのだろう。
「何か困っているのか? 手伝えることはあるか?」
「…………ははっ。そうだよな」
「?」
「悪いな。その金は受け取れない」
俺は自分の体が濡れていることなど忘れてノエルを抱え上げた。
こいつを前にして、何を迷っているんだ俺は。
「俺は、こいつと離れたくないんだ」
「なんだと……!?」
「こいつが路地裏に居たのも偶然、盗賊に拐われたのも偶然。俺が助けに行ったのも偶然で、こいつが逃げずに俺の手当をしてくれたのも偶然……。こいつと俺が出会った全ての事柄が偶然なんだとしても俺は、この偶然を無かったことにはしたくない」
「馬鹿を言うな! その子は――」
「こっちの台詞だよ。お前らの都合でノエルに難しいもの背負わせようとするんじゃねえよ!」
俺がそう言い放つと明らかに相手は驚愕していた。
おそらく、今の台詞の中に奴等が禁忌としていた内容があったのかもしれないが俺には関係のない話だ。
「その子は、その方は神様なんだぞ!」
「だから難しいもんせおわ、せ…………は?」
「何度も言わせるな! その方は我々の信仰する神様そのものだ!」
え、えぇ……。
そんなことを突然言われても信じられるわけがないだろう。
だってノエルは俺に抱えられて何を勘違いしたのか近くなって届きやすくなった俺の頭を撫でているような、言ってしまえばガキだぞ?
こんなのが神様だったら世も末だろ。
「まったく、それを知りもせず野良猫を拾ったがごとく名前をつけてからに……」
「……………………」
「犬はそんなにノエルのことが大切か? 犬は一大事でも抱き上げるほどノエルが大切なのか?」
「はっ……!」
「そうかそうか。犬はノエルが大切みたいだ」
「ノ、ノエル……さま! 今おろすから許してください!」
「ノエルはこのままでもいい。どうして下ろそうとする。というよりノエルは様なんて変な呼び方されたくない」
そうはいかないだろう。
俺が何度となく祈って、この【試作品】という命に生まれて多くの命を奪ってきたことを許しを求め懺悔してきた相手がここにいるんだからな!
というか俺は神様に慰められていたのか?
「それよりノエルの犬をいじめるのは許さない」
「お、お許しください! わわ、我々は神様がそのような犬をお選びになるとは――ひっ!」
「ノエルの犬」
「も、申し訳ありません!」
急に態度が変わったな。
まあ当然か。自分たちが信仰している神様が自ら出張ってきて「これは私のものです」と主張してきたら引っ込まざるを得ないよな。
俺でも萎縮してるからな。
そもそも選ばれた、ってどういう意味だ。
「しかし。よろしいのですか? 貴方様は【無名の女神】であり、もし名付ける者あれば神様の守護者として永久に側にいる者となっているのに」
「犬が嫌なら拒絶している。犬がノエルの守護神なら大歓迎」
「おま、ごほん! ノエル様、俺はいまいち守護者だの、なんだのと理解できないんですが」
「簡単な話だと思う。ノエルは犬に永久の命と、寂しくないようにずっと側にいることを保証する。その代わり犬はノエルのことを守る。あとノエルに名前付けたから犬はノエルの生涯の伴侶」
「は?」
「お前な! 神様がそう仰っているのだから喜んで、とか言うところだろう!」
「いや、突然のことに戸惑うだろ普通は! そそ、それにノエル様はまだお若いからもっと優しくて頼りになりそうな男がいるかもしれないだろ!」
「むり。ノエルに名前付けたのは犬」
ふざけるのも大概にしろよ。
名前を付けたら守護神になって、永久を生きさせられる上に俺が伴侶となるだぁ?
そんなこと言われても俺は心の準備とか、そもそも理解がおいついてないんだよ!
「お前! そのみっともないものを早くしまえ!」
「何だよみっともないものって」
「口に出させるな! 神様の御前でなんという醜いものを晒している!」
俺は自ずと何のことか理解する。
ああそうか、そういえば裸のままだったんだな、と。
「すごく今更だな。それに醜いものでもみっともないものでもねえよ! 立派と言え!」
「むう、そろそろ帰ってほしい。犬が風邪をひいてしまう」
「神様も気にしてください! 神様の伴侶となる男が粗悪な者を晒しているのですよ!」
「犬より小さいから妬む、それこそ醜い発言」
あ、ノエルがさり気なく地雷を踏んだ気がする。
だって男が顔を真っ赤にして必死に怒りを堪えている様子が俺にも分かるくらいだ。おそらく本当のことだろう。
ノエル、だとしてもだぞ。それは言ったら可哀想だ。
「お、お前! いずれ教会で詳しい話を聞かせてもらうからな!」
「へいへい」
「…………」
「ノエル、様?」
「犬、次に様を付けたら耳か尻尾を引き千切る」
「しれっと恐ろしいこと言うな!」
「そう、犬はいつも通りでいい。ノエルは神様だとしても、それに名前をつけてくれた犬もまた神様だから。ノエルの伴侶になるのに様をつけて呼ぶのは明らかにおかしい」
たしかに悪いことをして許してもらいたい男が嫁に使うような呼び方だな。
でも、受け入れろって言われてもな。
「犬」
「なんだ、ノエル」
「犬のこと、ノエルは本当に大切だと思ってる」
そう言ってノエルは神様だとは思えない子供のような顔で笑う。
反則だよ、それは。
守ってやりたいって気持ちになるだろうが。