第17話「不死の魔王-前編」
まだ己に肉体があった頃は他者を思う心があったはずだ。
時を経て、死を超え、今という無意味を延々と生き永らえるのは自分が切り捨ててきた者達からすれば滑稽なものであり、奪ってでも手に入れたい時間だったのだろう。
生まれ持った絶対を妬まれた。
奪い続けてきたことを恨まれた。
それでも今日まで誰にも自分の道を譲らずに歩き続けたのは他でもない、彼らのためだ。
この道を進むのは自分ひとりで十分だ。
暗い感情を背負うのは自分だけでいい。
自分が始めたことへのけじめは他の誰にも擦り付けてはならない。
冷たい玉座他ならぬ自分自身への戒めのためにある。
――ニエブラ海岸。
「こ、小石とか気をつけろよ。あと毒のある生物とか」
「ビビリ」
海中に注意を向けながら前を歩くノエルを追う。
ノエルになんて罵られようと心配するに越したことはないんだ。
現在、教会から頼まれていた青い花の採集は完了して環境調査に移行した俺達は特に霧の濃くなっている方を調べようと浅瀬から深い方へ進んでいる。
今回の依頼を引き受けるにあたり予想はしていたが俺の五感は役に立たない。
常に寄せては帰る波の音で些細な音に対する反応が遅れる。
潮の匂いで目の前にいるノエルの匂いを辛うじて嗅ぎ分けられる程度で離れるほど嗅覚も意味を成さない。
そして視界を悪くする濃霧。
この場で頼りになるのは繊細な触覚だけ。
海底からの接触ともなると反応するまでに遅れてしまいが地上であれば触れられるより先に違和感を察知して反射的にノエルを回収し逃げることが可能だろう。
本当ならノエルは抱えて歩きたい。
あの小さな体はずっと抱えていたとしても苦ではないほどに軽く、それでいて近くにいると自分の好きな匂いが感じられて安心する。
不謹慎かもしれないが水着を着ているんだから触れ合いたいという下心が無いこともない。
ただ、本心はノエルの安全が第一。何かあれば助ける。
なのにノエルは自分で歩くと言って聞かなかった。海に入ってみたい、と。
「あっ……」
「ノエル!?」
言った側からである。
あまりにも起伏がなさすぎる声で驚いたような反応をしたノエルはバランスを崩して海の中に全身を沈める。
小石に躓いたのだろうか。
さすがに転ぶくらいは想定していたので一歩だけ踏み出して手を海の中に突っ込む。その中から覚えのある感触を頼りに触れたタイミングで掴み一気に外に持ち上げた。
釣り上げられたのは左足首から吊るされたノエルだ。
もし川のように流れの強い場所だったら間違いなく見失っていたし、ここも波が大きければ助からなかったかもしれない。
逆さまになったノエルは申し訳無さそうにこちらを見ている。
「何か言うことは?」
「ノエルはこれから犬に味見されるのか(棒読み)」
「もう一回やり直すか?」
反省している様子が伺えないのでノエルを海の中に戻そうとする。
しかし、すぐに首を左右にぶんぶん振り回して降参を示したノエルは涙目になりながら懇願する。
「犬の言う通りにする!」
「…………」
「信じて?」
「あからさまに目をうるうるさせるな! 俺が悪いことしたように見えるから!」
こういう時にほんとノエルのような可愛い女の子は卑怯だと思う。
もう少し反省するまで何を言われても無視しておこうと思っていたのに急に萎縮した態度を取られるとどうにも怒り続けている自分が大人気ないように感じてならない。
むしろ女の子を逆さ吊りにして弄んでいるようにさえ思えてくる。
「心配したんだぞ」
「ごめんなさい」
「怪我してないか?」
「うん。何かに足を掴まれたっぽい」
「……………………それ先に言えよ」
ノエルの発言に嫌な予感がした。
もしも自分が相手の立場だったら狩り場に餌が自ら歩いてくるなら待ち構えていればいいと考える。
ここは奴等の狩り場。
既に目視では確認できないものの足元を何かが這いずり回る気配がしている。
全力で逃げるか?
いや、良い選択ではなさそうだ。
こうして立っている状態でも足元の砂は踏みしめるには緩すぎて力を込められないし水分を含んだ体毛で体が重くなっている状態で足のほとんどが沈んている深さから地上まで逃げるのは難しいだろう。
「この距離まで気が付かないなんて一生の不覚だ」
「仕方ないよ。犬は地上の行動に特化してるから不利なのは当たり前」
「そうは言っても窮地なのは変わらねえよな。よし! ぶっつけ本番はかなり不安だけど背に腹は代えられないしな」
そう言って腰帯に括り付けていた袋を爪で裂いて中に入っていたものを取り出す。
金属製の防具兼、俺にとっての武器となるガントレット『飽食還現』。
本来は騎士団の人間が使うようなものをレインから教会へ、教会のフィアから主教へ、主教から騎士団へと話を通してもらって製作と装着を許してもらったものである。
考えている余裕もないので実際に使うために装着してみる。
急拵えの割にしっくりとくる。
さすがはレイン考案なだけあるな。
「ノエル聞いてない」
「言ってないからな。とりあえず振り落とされないようにしっかり首に掴まってくれ。絞めるくらいでいい」
「ん」
ノエルがきゅっ、と俺の首にしがみついたのを確認した俺は拳を振り被ると進行方向となる海面に向かって叩き付けた。
すると拳がぶつかった場所から一直線に衝撃が伝わって海中にいた何者かが呻く。
ちゃんと使えたことに安堵しつつ攻撃を受けたばかりで相手が避けているだろう一直線の道を重い水の塊を蹴りながら走っていく。
この武器に関して忘れてはならないのはレインから伝えられた特性のこと。
このレイン考案の『飽食還現』は主に俺の《成長する者》の性質を安定させ、レインが不在でも力の使い過ぎで制御不能にならないようにするのが目的であり、それでいて与えられた優位性を損なわないためのものだ。
故に装着して攻撃する際には必ず拳に力を集中させるイメージが必要になる。
この体は力を使えば使うほどに大きくなっていく。
それは力を使う際に食したエネルギーを生存することではなく成長することに傾けるためであり、その性質があるためか僅かな食料から多くのエネルギーを発する体質だ。
ならばエネルギーを攻撃のために使ってしまえば成長は進行しない。
もちろん無限に体力もエネルギーもあるわけではないのだから使いすぎた場合は確実に補給もしなければ飢餓による力の暴走も可能性としてあるから、と釘を刺されていたりする。
それさえ守れば便利な道具だよ。
同じ要領である程度進んだ辺りで岩場に洞窟のようになっている場所を発見し、そこへ避難するとノエルは興味深そうに俺の武器について尋ねてきた。
「騎士の人が着けてるのと少しちがう?」
「普通のだと砕けちゃうからな。レインに頼んだ特注品だ」
「レインって何者?」
「ああ技術面の話じゃないぞ? ちゃんと鍛冶屋に依頼してレインは俺の情報を踏まえて細かいところに注文つけただけだよ」
とはいえ、レインの知識ありきで作られたものだ。プロトタイプとして得た情報もなければ作れないものにちがいない。
基本的にはレインのことを伏せておこう。
もし研究員に知られてレインが被害を被ることがあれば俺は冷静さを失わずにはいられない。
それがノエルでも同じだ。
大切な人が増えるということは自分の弱点ともなり得る人が増えるということになる。沢山の弱点を抱えた状態で生きる覚悟でもしてなければ、と言われたらそこまでなんだ。
悪い方向の展開なんて期待しない。あってほしくない。
自分のわがままを通すために力を使う。
色々と複雑に考えていたら難しい顔をしてしまっていたらしく心配したノエルが俺の顔を覗き込んでいた。
「犬?」
「ああ、これについて考えてたんだ。割と出力上げすぎたかなって思ったのに体への負荷はそんなに無くて」
さすがにレインの件を伝えて悩みを広げるなんてできなくて素朴な疑問の方をノエルに話した。
すると何故かノエルの視線が俺の腹部に向けられる。
いや、別に見られたからといって恥ずかしいともなんとも思わないが。
逆に女の子はヘソを見られることを気にしたりするらしいけど、ノエルはそういう基準で見てるとは思えない。
しばらく大人しく見ているだけだったが、何を思ったか急に触ってきた。
「犬はノエルと暮らし始めてから太った」
「この鍛えられた体に無駄などありませんが?」
「力入れても無駄。確かに硬いけどお肉あるよ?」
「…………そりゃあ、なるだろ」
俗に言う幸せ太りだと思う。
今までは一人で、実際にはテイムがいたけど友人と話してる程度にしか考えられなかったから、そこまで気にしていなかった。
でもノエルは話が変わってくる。
友人以上の存在で、それ以上の関係が約束されている異性でもあるから一緒にいるだけで幸福感があるというか愛でられることに犬としての欲求を満たされているというか。
結果としてノエルと居る時は食べる量が多くなっていた。
自分がプロトタイプだと知った上で側にいてくれているから認められたような気がして嬉しかったんだと思う。
いつも遠慮していた分、反動があるのは当然だろう。
「犬がたくさん食べてるから枯渇しない。それに体を大きくするよりも効率が良い使い方だから消耗が追いついてない」
「太ったことを非難されるかと」
「なぜ? 犬と食事するのは楽しい。それに見た目はそんなに変わらないから周りからの目も気にしなくていいはず。何よりもちもちした犬も触り心地がいい」
そう言ってノエルは俺の頬を引っ張る。
励ましてくれているのだろうが男としては少し思うところがあるのでもちもちしてていいなんて気分にはならないが、少なくとも一緒の食事を楽しいと言ってもらえただけでも十分だった。
よし、俺は通常運転で生きよう。ノエルがそれを望んでる。
励ましてもらったことだし状況の整理をしようかな。
海中で蠢いてた何かは海面に打ち込んだ拳の衝撃を受けて怯んだように道を開いてどこかへ霧散していった。
その開けた道を進んだら洞窟があって軽く足元に海水が残っている程度の良好な環境であり敵も確認できず、と。
一応は安全を確保できたみたいだな。
ちょっとだけ何者かに都合のいいように導かれているような気がしないでもないが……。
「見えないところから得体の知れない何かに襲われるのだけは勘弁してくれ」
「犬のあれ、海が割れたみたいになってた」
「ん? ああ、海も物質だからな。圧力が掛かれば負荷の少ない方に逃げようとするんだ。今回みたいに瞬間的に圧力が掛かると割れたように見えるらしいな」
「ノエルが当たったら?」
「想像したくない」
「たとえばの話。海中に潜んでたのがまともな生物なら犬の攻撃を直撃してたら無事じゃない」
そこで何故かノエルを比較に出したことに不満を感じつつも俺は言われた事実を素直に受け取ることにした。
瞬間的にだろうとなんだろうと海を割り、道を作るほどの一撃。
一般的な生物の体は人間と同じように皮膚によって体を覆っていると考えるならば耐えられるようには思えず、良くて全身に裂傷を負い、悪ければ破裂して残酷的な描写をノエルに見せつけたことだろう。
仮に甲殻があろうと変わらない。砕けて終いだ。
つまりノエルが何を言いたいかというと……。
「あれが生き物かどうか怪しいって話か?」
「動いてたし意思を持って掴んできた。だから完全には否定できない」
「土人形か?」
主に土や鉱石などを材料に作られる人工的な魔物の総称だが稀に投棄されていた瓦礫に魂が定着して生まれることがある。
あれは核が壊されない限り死なないし強力な一撃を与えても砕けるだけ。
ノエルの考えに該当しそうな気がする。
しかし、ノエルは正解だとは思っていないようで洞窟内部の地面や壁に視線を向けて他の可能性を探り続けている。
あるのは土か骨くらいのものだ。
これで血の流れていない新種の魔物が出現したのなら一つでも死体を持ち帰り教会どころか騎士団に連絡して、ニエブラ海岸は危険だから今よりも立ち入りを制限すべきだと報告しなければならないが……。
それ以前の問題かもしれない。
ここに入ってから感じているピリピリした空気。
「犬? 何か感じた?」
「うっすらな。ノエル、万が一の時があった場合は話してる余裕がないかもしれないから約束してほしい」
「万が一?」
そう、万が一。
絶対に無いように努めるが偶然とか神様の気まぐれで起きる可能性があること。
俺や、地上に降りてしまったノエルにはどうにもできない理だ。
「俺が危険だと感じたらノエルにも伝わるだろ?」
「うん。犬の感覚をある程度は共有してるから」
「怖いと感じたら気にせず逃げろ。俺は置いていけ。ノエルが助けを……いや、戻らなくていい」
途中で要求を言い換えるとノエルは不服そうに俺を睨んだ。
ここは想定していたよりも危険なのかもしれない。
先程のノエルとの会話から考えるに相手は意思を持った無機物である可能性が高く、無機物ということはテイムの生物の本能に対する「咆哮」は意味を成さない。
そして俺の予測した土人形だったらという可能性。
無機物であろうとなんだろうと結果的に何かしらの能力で生み出された存在ならばレインの能力で解除し動けなくすることが可能だが、土人形は魔力を流しただけの存在。効果があるとは考えにくい。
つまり俺の身内には相性が悪い相手だ。助けは期待できないだろう。
ただ、戻ってこなくていいという言い方はノエルにとって俺を見捨てろと言われているような気がして怒っているのだろう。
「犬が居なくなったらノエルは何を楽しみに生きればいい」
「おい、負けるとは一言も……」
「勝ち負けはどうでもいい!」
珍しく声を荒らげた。
洞窟は奥にしばらく続いているのかノエルの声がしばらく反響して何度も聞こえてくるように感じる。
そして、その言葉の意味を分からないほどバカでもない。
「犬が帰ってこないなら勝ってても同じ。寂しいだけ」
「帰るって。ちゃんと」
「嘘つき。勝てない相手なの分かってる。勝っても無事じゃ済まないほど危険な相手。それなら調査なんて止めて戻ろ? 危険って分かってるから、それを報告すればいい」
「神様がわがままなんて、らしくないんじゃないか?」
俺はノエルを抱きしめる。
細い体を抱き寄せて震えている背中を撫でて、怖いのを必死に堪えている少女を落ち着かせようとした。
どちらかと言えばノエルはわがままだ。
出会った時から自分の意見を通そうとする節はあったし、教会の人間を振り回しているようにさえ思えた。見た目相応に子供みたいな神様だと、そう思った。
でも、保身のためのわがままじゃなくて誰かのためのわがままだったはずだ。
いつも誰かのためにわがままに見える要求をしてくるだけ。
今回のように自分のために、自分の要求のためにわがままになるのは過去に経験がない。
ノエルは俺の胸に顔を埋めたまま話をする。
「犬は臆病でいいのに。怖いものから逃げたって誰も咎めない」
「本当に? ノエルは本当に俺が臆病者のままでいいと思ってるのか?」
「こんなつもりではなかった。犬が人並みになってくれれば、それでよかった」
臆病だった俺は成長することから目を背けた。
成長することで誰かを傷つける力を持つことが怖くて、それを自分で扱いきれずに研究者達の思惑通りになる可能性が怖くて。
ノエルがそんな俺の背中を後押ししたのはそれが理由らしい。
人並みに成長し誰から見ても普通でいい。
ただ、想定外だったのは俺が臆病者のままでいなかったこと。
臆病なままノエルに守られながら生きることを望まなかったこと、それがノエルも予想していなかったことだ。
「お前が一番知ってるはずだ。俺は、ほんとは怖くて今すぐにでも帰りたいとすら思ってることを」
「だって犬も震えてるから」
「前にも言ったはずだ。俺は成長することを恐れた臆病者なんだって」
俺はノエルを一度胸から離れさせると顔に頬ずりをする。
一番わかりやすくて、一番カッコ付かない俺なりの愛情表現。
「臆病者でもノエルに愛想尽かれたくない。だから、どんなにカッコ悪くても見得を張らせてくれ。この匂いが途切れることないようにちゃんと帰るから」
「…………」
納得できないのかノエルは俺の頭を押し退ける。
別れる前にと匂いを付けようとしたのを拒絶されたみたいで悲しい気分になったが誤解だったとすぐに気付かされる。
突き放されて見えるようになったノエルの表情は明るかったからだ。
そして今度はノエルの方から頭をぐりぐりと押し付けてくる。
「ノエルも犬に負けないくらい好きなの忘れたなんて言わせない。カッコ悪くてもノエルが選んだ。だから犬の側にいる。万が一なんて起きたら犬を連れて帰るのがノエルの役目」
「ノエルさん、その格好でベタベタされると……」
「こうすれば万が一なんて絶対に無い、そう言い切れる」
「まあ、そうと言えば、そうなんだけど。世の中じゃ死亡フラグって言うんだぞ?」
完全なハッピーエンドを許さない神様が幸せの一歩手前で人生を打ち切りにする恐ろしいアレのことな。
いや、よく考えればノエルも神様だ。神様はフラグを建てないのか?
どうでもいい自問自答は置いといて、一つはっきりさせよう。
ノエルの発言も行動も今回が初めてではない。
俺が不安になったり悩んだり臆病を拗らせるといつだってノエルはこうして自信をくれる。ノエルが俺に向ける信頼も愛情も偽物ではないのだと常日頃から伝えてくれている。
だから俺はいつもノエルの愛情に応えるために絶対を貫く。
万が一なんて可能性を引き当ててはならない。
「よし、じゃあ気合い入れて調査続行と行きますか!」
「おー」
この先に何かがいても驚かない。
あの海中にいた存在を動かした何かが俺達をここへ導いたと考えれば追手がないことも説明がつく。
あとは正体と方法が分かればいい。
ベストは相手の正体が判明し、それが俺達にとって有効的な存在であった場合に説得し海中の存在にヒトを襲わせるのを止めさせられること。
最悪は正体も分からず止めることも不可能だった場合。
少しでも最悪を避けるために、と近くに転がっていた骨を拾っては比較していくが得られる情報は多くなかった。
落ちている骨の部位を特定するも頭骨や腕や足と思われるもの。それもヒトのような形をしたものもあれば自分のような獣人や原形が明らかに魔物のようなものまである始末。
つまり海で襲われた誰かの骨と言うには複雑な状況になってしまったのだ。
「ほほひふぁいへもひへふぁほふぁへ」
「犬、とても不謹慎。誰のかも分からない骨噛んだら失礼」
俺は咥えていた骨を噛み砕いて飲み込むと不満げにノエルの背中を見つめる。
ここまでバラバラにされたら個人なんて特定できないのだから少しでも誰かの糧になれた方が幸せだと思うんだが。
しかし、さすがに違和感を感じざるを得ない。
誰のかも分からない。何者かも分からない。そんな骨がここまで集まる理由が不明だ。
「ノエルもいるか?」
「いらない」
「だろ? 誰も欲しがらないし洞窟の中に放置された可哀想な骨をわざわざ教会に持っていっても特定もせずに焼かれて終わり。なら生きてる奴の糧にした方がいいんだよ」
「呪われても知らない」
「呪われるわけねえだろ。これでも俺は感謝して頂いてるんだから」
そう言って粗方の骨を平らげた俺は手を合わせる。
あまり好んで食す獣人はいないらしいが俺のように食事から影響を受けるようなプロトタイプにとって骨は立派な糧となるんだ。
肉体の成長には必要なくても頑丈にするためには必須だからな。
俺が再びノエルに向き直ると何故か立ち止まっていて、前に出て同じ景色を確認してから俺はノエルを振り向く。
特に何もいないはずだが?
「不穏な気配」
「俺は何も感じないぞ?」
「それだけお主が未熟ということだ」
「っ!」
この威圧感、只者ではなさそうだ。
つい先程までは何一つ生物の気配を感じ取れなかったのに相手の声が聞こえたタイミングで心臓を直に掴まれたような感覚があり咄嗟にノエルを抱きかかえて数歩分、後ろへと飛び退いた。
聞こえた声自体は若い男の声だったが芯のある声。
洞窟という場所の影響もあるだろうが耳に届く音は全てが反響していて方向感覚は働かない。
反射的に飛び退いたが何事も無かったことに深い溜め息を吐いたがノエルの背中を支える手は未だに震えている。
「ノエル、怪我はないか?」
「うん。犬も無事?」
「まあ、えっと…………無事だ。ただ、この気配は、まずい」
勝てるとか、そういう次元の話ではない。
戦うという考えそのものが罪だと思えるほど、この場に留まることさえ気を張っていなければ不可能なほどに恐怖が植え付けられる。
こんな経験は初めてだ。
ノエルを守れるのか?
「ノエルの犬に何するの!」
「お、落ち着け。急にどうしたんだ?」
いつになくノエルから怒りが伝わってくる。
俺に向けられたものではないのに自分まで体が強張っているように感じるほどノエルの怒りも本物だった。
「犬に怪我させたら許さない」
「未熟者を守るために力を使うか。愚かな」
ノエルが力を使った?
俺はノエルの方に視線を向けて言葉を失う。
咄嗟に回避行動を取ったからどちらも怪我をしなかったなどという勘違いをしてはならない。
怪我をしていないとノエルは答えたが俺が見ると指先から真っ赤な血が滴っている。血の匂いが鼻腔を通り抜けると自分を震え上がらせていた恐怖が小さくなるように感じた。
それよりもノエルを守りきれていない自分への怒りが大きい。
これ以上、自分のために無理をさせるわけにはいかない。
「ノエル、ごめんな」
「犬?」
「攻撃から庇ってくれたんだよな」
俺の考えを察したのかノエルは首を左右に振る。
責任を感じなくてもいい、と。
そんなことを言われても自分だけが無傷で大切な人が怪我をしている状況で悔やまずにはいられない。
俺はノエルの指先から落ちそうになっていた血を舐め取る。
リーブスと対峙した時にノエルから血を分けてもらった際も数滴ほどで《成長する者》としての能力を発揮できた。
今も攻撃してくるだけで姿を現す様子のない敵を暴くには十分だろう。
「そこにいるんだろ! 姿を現せ!」
「っ! 無理したらだめ……!」
ノエルが俺を止めようとしてくれたが我が身可愛さに反撃を中止した場合のデメリットを考えたら止まるわけにはいかなかった。
自分が持つ力のほとんどを一撃に込める。
一方的に嬲られるくらいならば少しくらいの反動なんて些細な問題だろう。
前方に突き出した拳から放たれた衝撃波は硬い何かにぶつかったように思われた。
しかし、弾けたというよりはかき消されたように見える。
力のほとんどを出し切ってしまったからか疲労に耐えられず膝を突く。
自分の余ったエネルギーを放出するだけの予定だったが、ノエルから血を分けてもらうという滅多にしない方法を使ったからか制御が上手くできなかったようだ。
間違いなく体が小さくなっている気がする。
「くそ……全力でも、これが限界なのか?」
「犬!」
「愚か者、という評価は訂正しよう。我が根城を崩落させる程の力を持つ者よ」
そう言って声の主は姿を現す。
既に不意討ちの意思はないのか、それとも正面だろうと俺では相手にならないと考えているのか、敵は無造作に幻視を解除したらしい。何もない空間から徐々に見えるようになった。
途中まで気配を捉えられなかったことを考えると幻視というより完全な認識阻害だろうか。
見えるようになった姿は俺が今まで歩きながら食してきた骨そのもので頭部は牛のものと近い。
ただ、服装だけは仰々しく貴族、いや王族のようなものだ。
牛頭蓋の王族など知らないが尊大な態度や漂う雰囲気からは容易に魔に属する者で高い地位を持つ者だということくらいは分かる。
「脆弱なる者を守ろうとする神と、その神を支えんとする獣か。珍しい来客だ」
「初手から殺しに来た。客人扱いされてない」
「我が眷属を潰されたのならば報いてもらうが普通だろう」
「それを言うなら初めに襲ってきたのはあなたの方」
「久方ぶりに骨のある奴が現れたと眷属が騒いでいた。遊び心だったのだろう」
眷属とは海の中にいた生物のことか?
最初はノエルの足を掴んだと聞いているし遊び心だったとしても溺れる可能性は存在していた。
遊びなんかでノエルの命を左右されてたまるか。
ノエルも沸々と怒りを煮えたぎらせているのか俺に抱きつく手の力が強くなっていく。
「まず獣には詫びよう。お主は己の無力も連れの女に守られている自覚も持っているようだ」
「簡単に攻撃を防いだ奴に言われても納得できない」
「簡単ではない。相殺するのに一度は我が身を砕き、お主の攻撃を受け流したのだから誇ってもよい」
「砕いた?」
「まだ名乗っていなかったな。我が名はタナトス。不死を冠する魔王だ」
そう言ってタナトスは自らの牛頭蓋を背骨から持ち上げて見せる。
たしかに胴体から頭部を切り離しても生きているから砕かれても死ぬことがないという言葉は本当のようだ。
でも、どちらかといえばデュラハンのような存在だろうか。
彼らは頭部と首より下で別に動かすことができるという鎧の魔物だが、タナトスも見た目が骨である以外はデュラハンの主な特徴に似ているような気がする。
それより不穏な言葉が聞こえたことの方が気になる。
魔王とか言わなかったか?
「魔王って………………え?」
「魔王だ」
「ほんとに?」
「嘘を吐いてメリットがあるのか?」
「犬、現実を見て」
今のところノエル以外の神様の次くらいには会いたくない存在に出くわして現実逃避しようとする俺をノエルが止める。
呼吸を落ち着かせてもう一度タナトスの方に視線を向けた。
よく見ると牛頭蓋の目があるだろう穴から光が見えて自分の方を見ているようにも見えなくないが表情がないので考えを読めないし匂いも分かりにくくて最悪の相手である。
ただ、今は敵意を感じていない。
相手の考えが分からなくても自分や近くにいるノエルへ向けられた殺意なんかはすぐに感じ取れるものだ。酩酊状態でもなければ自分が間違えることはほとんどない。
「歓迎しよう、小さき者達よ」




