第16話「交換条件」
「あなた方、気は確かですか?」
足を組み教会に籍を置くものとしてあるまじき態度を取る女は分かりやすく軽蔑の視線を投げていた。
正気ではなかったかもしれない。
まさか教会に魔物を保護してくれなんて頼む日が来るなんて想像もしなかった。
昨日までは、な。
「教会が魔物に対して過敏になるのは理解してる」
「理解してるのに相談しに来る神経の図太い犬の飼い主はどなたですか?」
「ノエルだけど、まず話くらい聞いてくれても」
「ダメに決まってるじゃありませんか!」
フィアはさすがに慌てている様子だった。
いくら自分達が信仰する神の頼みであろうと教会と王国騎士団が長らく戦ってきた存在を懐に招き入れるなど正気の沙汰ではない。
そう、俺達はフィアにニムルの保護の件で相談しに来たのだ。
より具体的に言うとニムルを教会の管理下に置いてもらい、その面倒をフィアに見てもらうというもの。
まったく他にも頼れる奴がいないわけではない。
ただ安全面を考えるならば教会が一番ということになり、ノエルと話した結果、フィアが適任ということになった。
「あの虎にでも任せればよいでしょう!」
「テイムは忙しいし、そもそも他にも面倒を見てやらなきゃいけない奴が多すぎるだろ」
「私も忙しいですよ! それに魔物の一匹や二匹くらい増えたところで今更なにも変わらないでしょう!」
「いや、さすがにヒトの奴隷と魔物じゃ扱いも違う」
「それは私とて同じことです!」
「比較的に大人しいよ? 悪いこともしないし」
ダメ押しでノエルが安全を主張するがフィアは首を縦に振る様子はない。
いくら安全だ、無害だと言われても魔物に対する偏見は強い。
基本的に理由なく人間を襲う魔物の方が多いせいだ。
この世界において危険だとされるのは戦争賛成派の人間、それらか作ったプロトタイプ、そして快楽的に人間を殺していく魔物が一般的な認識。
それを覆すには情報が少ない。
さすがに本人を連れてきて説得しようにも他の聖職者に見つかれば騎士団に連絡されかねないし、派手に動くのは無理だ。
だからこそノエルと繋がりがあって口の固そうなフィアを選んだわけだが。
「例えばですよ? その魔物の親が魔王や幹部クラスだったとしたら人間の国を滅ぼす理由を与えることになります。我々が善意でやったことだとしても彼らが拐われたと考えれば起こりうることだと理解していますか?」
「フィア、その可能性は無い」
「どうして断言できるのですか。これが理由もなく神という立場を利用して駄々をこねているのであれは私共としても今後はノエルを外で自由にさせず教会に拘束しておくことを進言しなければなりません」
「おいおい、拘束って」
「あくまで理由なき場合です。神だからと子供のようにわがままを言われては信者達にも影響しますし、他の聖職者も黙って見過ごすはずがないのです」
ノエルは地上に降ろされた時点で神様は神様でも人間と同じ扱い、か。
いくら神様でも自由とは言えない。
ここにいるノエルはそこまで信仰する者もいないしノエルの言葉があれば何でもするという信者がいないという理由で自由をある程度は許されているだけ。
教会は秩序を乱すならば神でも許さないという方針か。
俺はふとノエルが地上へ降ろされた時のことを思い出す。
超絶お人好しなノエルさんは哀れな人類の救いを求める声に応じて自分の立場を貶めることを承知の上で降臨し、挙げ句、ここの主教に必要な時に居ないとかなんとか非難されていた。
勝手に信仰して、勝手に呼び出して、その上での文句と……。
これは、あれだ。忘れていい話ではないな。
「こんなお人好しで優しくて愛くるしい神様を地上に降ろしたのってどこの誰だっけな〜?」
「っ!」
「知らない場所に連れてこられて、知らない人に捕まって怖い思いさせたのに反省してる様子が微塵も無かったようですが、それは覚えてないのかな〜」
「それは主教が決めたことで……!」
「神様より主教の方が偉いのか?」
なんかノエルが俺の方をじろじろ見てくる。
自分を話のダシに使われたことを怒っているのだろうが、俺はそれ以上にノエルにひどいことをしたにも関わらず反省してない教会に対して怒っているんだ。
別にフィアが悪いとは言わない。
でも流さられるなら一緒だ。
フィア一人だけでもノエルを神降ろしすることに反対すれば状況が変わったかもしれないし、反対しないにしても儀式が終わった時点でノエルを探すのが普通だろう。
どちらもしないのは怠慢。主教の言いなりと変わらない。
さすがに教会側としては忘れてほしい一件なのかフィアはだらだらと汗を流しながら上目遣いでノエルを見る。
助け舟をください、と聞こえてきそうな視線だな。
「ちなみにフィアの貞操を守ったのも俺だということを忘れるなよ?」
「…………では、せめて先程の理由を教えていただけますか。主教や教会信者達を黙らせるだけの理由を、まさか私にテキトーなことを言わせて解決しようなんて腹積もりではありませんよね?」
「犬、教えてもいい?」
二人に視線を投げられた俺は天井を見上げて考える。
本来なら許可を出すのはノエルの方だが、今回に関しては話題の方向性がプロトタイプに関することだからこそ俺に委ねたのだろう。
ニムルがプロトタイプだということを伝えた場合のデメリットとしては主教のようにプロトタイプの存在に反対的な立場の人間が教会保護下であることを反故にして暗殺を計画する可能性があること。
彼らの手元にいるのだから簡単なことだろう。
とはいえ信じてもらわないことには預けることすらできない。
それにフィアはノエルの声を聞くための神官なわけだし、俺としてはまったく信用がないとは言わない。二つ返事で頷く奴よりかは信じる価値はある。
俺はノエルの方に頷いて許可を出す。
「その子は魔物であると同時に犬と同じプロトタイプ。もしもフィアが懸念するような立場の魔物なら人間に研究材料として差し出す訳がない。そういう理由で魔物と戦争になった国も聞いたことがない」
「そんな、魔物にまで手を出していたなんて……」
「俄には信じがたい話だろうが本当のことだ。目標を達成させる可能性があればどんな奴だろうと生贄にする。それが奴等の研究だ」
まだニムルは幸せな方だろう。
魔物と言えば子沢山なイメージがあるけどニムルが家族に会いたがらないのを考えると既に研究に使われて失敗作として処分されている可能性の方が高い。
まだ幼い奴なら現場を目撃しても記憶そのものから消すこともある。
生きているだけ幸せだし、それを悔やむことのないように後の人生を生きさせてやりたい。
保護するのには十分な理由だろう。
「人間の孤児にも出自は似たような子がいる。人間と敵対することが多いという理由だけで受け入れないのはノエルとしては思うところがある」
「その子の、プロトタイプとしての能力に危険性はないんですね?」
「一応な。誰かが使用した食器を洗わずに使い回したりしなければ問題ない。まあ、それもこの教会内に他にもプロトタイプがいるならの話だから気にしなくていい」
「みだりに能力を行使しない子」
「二人がそこまで言うなら信じます。教会の者の説得もします」
前向きな回答を得られて俺とノエルは安堵する。
しかし、そんな俺達を他所にフィアは未だに厳しい表情をしたまま一人、机の上に置かれた書類に目を向けていた。
何か嫌な予感がしてきた。
予感というか、限りなく事実に近いものだ。
「ガルムさん」
「嫌です、お断りします」
「まだ内容も話していないのに否定するなんて察しがいいですね。実は」
「断るって言っただろ!」
「…………今のお二人には丁度いい依頼だと思いますけどね」
と、視線が俺の腰の辺りに投げられる。
正確には俺の後ろ側でパタパタと揺れている尻尾、ノエルの背中を撫でるように動いている尻尾を見ている。
本当に不便な体だよな。
言葉を交わさなくても気持ちが伝わるというふうに言えば使い勝手のいいものに思えるかもしれないけどノエルの声を聞きたい俺としては話さなくてもいい理由になるから迷惑でしかない。
それに自分で制御できるものでもない。
こういう場面や静かにしなければならない時もパタパタと音を立ててしまう時がある。
今はニムルのためとはいえ好きでもない教会に足を運ばされたことへの苛立ちと、少しでもノエルと一緒に居たいという気持ちの体現だ。
だからフィアに見られていることに腹が立つ。
むなしい、こんな奴に全部知ったような口で話されなきゃいけないのが。
とはいえ、それを知った上で丁度いいと言うからには何か都合のいい仕事なんだよな?
「内容くらいは聞いてもいいかな」
「現金な毛玉ですね」
「小さな声で言っても聞こえてるからな」
「犬は毛玉じゃない。もっと手触りいい」
ノエルさん、怒ってほしいのはそこじゃないぞ。
そもそも人間だったら聞こえるか怪しい声だったからフィアの言葉を聞いて怒っている俺の気持ちを探ったな?
あまり良いことではない。
人には知られたくない気持ちや思い入れがあるものだ。
話がややこしくなると思ったのかフィアは俺やノエルの言葉に対して一切反論せずに依頼の話へと移る。
「内容はニエブラ海岸に自生している青い花の採集と現地の環境調査です」
「面倒な仕事だな。前者も後者も冒険者にやらせればいいのに」
「ガルムさん、一度こちらへ」
何か特殊な条件でもあるのだろうか。
手招きしたフィアの隣に行って彼女が持っていた書類に視線を向けて内容を確認する。
ただ、そこには何も書かれていなかった。
フィアは白紙を真剣な顔で見ているように見せていただけだったようだ。
さすがに何か理由があることくらいは察しがつくのでノエルに聞こえないように小声で話をする。
「おい、何も書いてないぞ」
「ニエブラ海岸ということは何がありますか?」
「?」
「海ですよ。海があるということは?」
俺に何を察しろと?
まあ、海があるのは当然だが今回の以来と何か関係があるのかと言われると想像することができない。
特別な施設とか?
いや、一般的な人間の立場で考えるなら海と言えば暑い季節になると入りたくなるものだろう。
ということは…………あれか。
「水着か? 水着のノエルが見れるのか?」
「それはあなたの頑張り次第です」
「神官的には着せてもいいのか?」
「着飾るという意味ではノエルも女性ですので構わないかと」
「じゃあ有無を言わさず着せていいな。ノエルの水着姿は拝みたい」
俺は早くもノエルの天使のような姿を想像してしまいフィアからの依頼を断る理由が無くなったので引き受けることにした。
――後日、ニエブラ海岸。
「犬、暑いのに平気なの?」
現地に到着して真っ先に音を上げたのはノエルの方だった。
いくら神様とはいえ体が耐えうる熱量なんて人間と大差がないのだから日照りの良い海岸は地獄そのものだろう。
一応は日焼けもしなければ熱中症で倒れることはないと豪語していた。
自分に与えられる加護の最大限を行使して陽光という誰に対しても分け隔てなく猛威を振るう存在に対抗しているらしい。
逆に問われた俺はといえば……。
「平気ではないが戦場で火の中を走らされた時と比べれば軽い方だな」
「そうなんだ。なんか犬の体ひんやりしてて助かる」
「あんまりノエルにくっつかれると体温が上がると思うから少し離れてほしいんだけど」
何故か俺はひんやりしてるらしい。
自分の体感だと普通に獣人の適正体温だから人間からしたら熱いくらいだと思うが、表面的には冷たいのだろうか。
まあ、手の内側は冷たいという自信がある。
毛皮に包まれた体の中では数少ないの皮膚が露出してる部分だ。他の部位と比べれば間違いなく冷たいと感じるだろうし、触り心地の良さは保証してもいいレベルだと思う。
誰にでも触らせるつもりはないけどな。
「フィアに依頼された青い花の採集はいいが環境調査は海の中にも入るし着替えた方がいい」
「むぅ、面倒な」
「俺はタオルじゃないんだ。濡れたからって拭くのに使ったら殴るぞ」
「犬、怖い」
いやいや、生物として当然の権利だと思いますが?
誰だって自分の体を拭くために使われたら怒るだろ。それで何も言わないのは完全に目的がそっち方面の変態か懐が広い紳士くらいだ。俺は違う。
それに、今回の依頼を引き受けた理由でもある報酬が得られない。
さすがに自分の生活拠点であるフーヴルの丘から遠いこともあってか教会にニムルを匿うという対価だけでは不足だろうという主教の判断で追加の報酬を提示された。
具体的には金と、依頼に必要になる道具や装備一式を貸出ではなく、そのまま自分達で使っていいというものだ。
当然ながら装備一式の中にはフィアが用意したノエルの水着も入っているわけで、今後も用事があればノエルには水着になってもらうことが可能なわけだ。
ちなみに自分も渡された。
いくら獣人で毛皮に覆われているからってノエルの前で迂闊に裸になることは許されない、とフィアが膝丈ほどの水着を仕立て屋に作らせてくれたらしい。
さすがに裸で過ごすつもりなんか無いけどな。
ちがう、今回は俺じゃなくてノエルに水着を着てもらわないと意味がないんだ。
「ニエブラ海岸は霧が濃い。裸でも誰も見えないから」
「いや、いくら霧が濃くても肌色に過敏な人には分かるからな? そもそも他にも環境調査を依頼された冒険者はいるだろうし、彼らにノエルの一糸まとわぬ姿を見られるのは何というか、複雑な気分になる」
「犬は見たくないの?」
「俺のこと節操ないみたいに言うのやめろ! さすがに海でそんな姿を見ても反応に困る!」
これが夜の寝室だったら、とかタイミングが違えば待てなんかできないくらいには期待するんだけどな〜。
って、さすがに馬鹿な話してる場合じゃない。
このままだと日が暮れて危険な魔物も多くなる。
「ほら、そこの小屋で着替えてこい」
「犬は?」
「俺は見て喜ぶ奴なんざいないし外でさっさと着替えるから気にすんな」
「虎は喜ぶ」
「ゾッとするようなこと言ってないで早く着替えてこい!」
ノエルは俺から女の子用の水着の入った袋を受け取ると海岸手前に建てられた木造の小屋に入っていく。
ニエブラ海岸は元々、観光地として考えられていた。
そのため小屋も女性陣が着替えるために設置されたものであり、当初はそれなりに賑わっていたという話だが、何度も死者が出たという報告が上がるうちに観光客は減っていった。
死者が出た理由?
基本的には溺死だったという。
そんなに深くもないニエブラ海岸で溺死するのには理由がある。環境調査が依頼されたのはこれが理由だ。
と、早くしないとノエルが来てしまうので着替えを済ませよう。
俺が服を脱ぎ水着になってノエルを待っていると小屋へ向かってくる人影があった。
同業者かと思ったが距離が近くなると姿がはっきりと見えるようになり、警戒すべきだと判断する。
「おい、止まれ!」
「小屋を使いたいんだけど……」
「使用中だ。あと基本的に男は使用できないぞ」
そうなのか、と不満げな顔をしたのは冒険者と思しき男だ。
比較的に軽装備であり手持ちに着替えのようなものが見えないので怪しいと判断し呼び止めたが正解だったかもしれない。
こいつは、危険だ。
冒険者で依頼を受けたから来たなら現地についての情報を仕入れているはずだし、前情報も無く現地に赴くようなド素人なら依頼主の方が受理しない。
つまり依頼を受けていない奴か、着替え中の女性を狙う変質者。
「犬、怖い声したけど」
「終わったのか?」
「ん。犬に率直な感想を述べることを許可する」
「ちょっと待て取り込み中なんで後にしろ」
ノエルが小屋から出てこようとしていたが扉ごと押し戻してどうにか事なきを得た。
こんな変質者にノエルを見させてなるものか。
いや、分かんないけど。本当は良い奴かもしれないけど。
とにかく素性が割れるまではノエルに会わせるわけにもいかない。
俺の反応を見た男は興味深そうに小屋の方を見つめている。
少し顔とか見られていたか?
ノエルは人間なら万人受けしそうな顔だから他の男にはなるべく見せびらかしたくないんだけどな。
「人間の女の子? 奇妙な組み合わせだね」
「奇妙だと?」
「うん。君はこう、獣人でも体が大きい方だから連れの人も相当な大柄を想像していたんだけど。それこそ、君と同じような獣人か傭兵でもやってるような人間の男とか」
「…………別に普通だろ。体が大きかったら小さい奴を気にしたらダメなのか?」
男は俺との問答を楽しんでいるかのようにくすくすと笑うと首を縦に振る。
言葉にはしていないが否定派か。
一般的に考えて不釣り合いだと言われれば認めざるを得ないが否定される謂れもなければ笑われる筋合いもない。
俺とノエルは真面目だ。冗談の関係ではない。
そもそも男が考えているような関係とは程遠いものだ。
「こう言っては失礼かもしれないけど彼女は幼いから君に守られているつもりかもしれないけど、君自身は別の感情を抱いていないとも限らないだろ? そういうのは世間知らずなことを利用した犯罪に他ならない」
「あー、なんか勘違いしてると思うが向こうは守られてるつもり、って部分に間違いはないけど世間知らずではないぞ? そもそも向こうの方が積極的というか」
「実は自分、こういう者だけど、嘘は吐いてないよね?」
「フォーン自警団?」
ニエブラ海岸は一般人が近づいては危険だとされた禁止区域。
そこへ足を運ぶのは調査を依頼された冒険者か、それとも人を避けて通りたい犯罪者か。
誰かがそれらを取り締まらなければならないのは分かる。そのために実力のある者が集団となり、管轄とすることも正しいと思うし俺も激励してやるつもりだ。
けど、これはなんの冗談だ?
犯罪者でもなければ観光客でもない俺が何で自警団に質問されてる?
「嘘、は言ってないし一般人でもない」
「本当かい?」
「これ、正規の依頼書だ。発行元が教会になってるから信頼度も高いし、それでも疑うようなら教会の方に問い合わせてくれれば俺らの身元を証言してくれるはずだ」
「偽造ではなさそうだ。依頼されたまでは信じるけど、何で水着を? ここが危険な海岸ということは知っていると思うから遊びに来たわけではないと思うけど」
すみません七割くらい私欲を満たすためでしたとは言えない!
ちゃんと依頼を達成するためとはいえノエルに水着を着せたのは濡れたときに困ることと普通に俺が見たかったからという理由があるから完全に私情が絡んでないとは言い切れない……。
さすがに嘘を確認したくらいだから過敏だろう。顔に出したらバレる。
そもそもフォーン自警団の人間が何故ここに?
巡回していたにしてはタイミングが良すぎるというか、明らかに俺のことを怪しいと考えて近づいてきてたよな?
「ああ、そんなに警戒しないで。心配だったから聴いたんだよ」
「心配?」
「昨日も君達みたいに依頼を受けた冒険者が来たんだけど怪我をした状態で運び込まれたから調査をするなら装備をしっかりした方がいいと伝えようとね」
「じゃあ最初の話は……」
「あれは万が一を、ね。禁止区域に入る者は誰であろうと犯罪者か、一般人か、それともまったくの素人で何も知らない冒険者か確認しないとね」
「…………さすがに装備の重さに加えて水を大量に吸い込んだ服じゃ機動力に欠ける。万が一に避難が間に合わないなんて洒落にならない。それなら動きやすい格好をしていた方が逃げやすいだろ?」
自警団の男は納得してくれたのか頷くと懐から許可証を取り出すと手渡してくれた。
そこにはフォーン自警団の紋だと思われる子鹿のエンブレムと禁止区域立ち入り許可の文字が書かれている。
「これがあれば他の者に声を掛けられてもすぐに説明がつく」
「なんか、こっちも勘違いして悪かったな」
「何のことかな。こっちも仕事だ。君に疑ってもらって警戒してもらえた方が得られる情報もあるかなと思っていたし、疑っていたのはお互い様だろ?」
それもそうか。
男はあくまで自警団の人間だからか馴れ合う気はないと背中を向けて去っていく。
あまり嬉しくはないけど結果オーライか?
「犬、まだ取り込み中?」
「終わったところだ。た、ただ心の準備が!」
「そんなに変わるもの?」
「おわっ!」
背中に柔らかい感触がある。抱きつかれたらしい。
せっかくだからとフィアに渡された時にもノエルに渡す時も俺はどのような水着なのかを確認しなかった。
楽しみだったんだ。自分が好意を寄せる女の子が普段と違う装いをしているのを見るのが。
だから緊張してた。振り向けないくらいには。
「振り向いてどうぞ」
「わ、わかったから急かすな」
時間をかけて少しずつ振り向こうものならノエルが強硬手段に出かねないから、と俺は潔く振り向いた。
いつもの少女らしい装いも好きだ。
ただ、振り向いた先にある特定の時期に特定の場所でしか見ることができないだろう限定的な姿は言葉を失わせるのには十分。
フィアがノエルをどのように見ているかは知らない。
しかし、ノエルが身につけている水着は可愛さこそあれど大人らしさは認められないひらひらの多いもので、明らかにフィアはノエルを見た目相応の年齢で判断したと思われる。
とはいえ良い仕事をしたと言えるだろう。
ノエルらしさは子供っぽさと言っても過言ではない。
毅然と大人のように振る舞っていても俺には可愛らしい少女のようにしか見えていないのだから。
「は、反則だろ……」
「惚れた? 惚れ直した?」
「分かってて言うのは卑怯だぞ! 柄にもなくドキドキさせられてんだよ!」
「それは良かった」
ノエルは満足げに胸を張る。
今回みたいに装いを新たにしなくても十分にノエルは魅力的で絶え間なく誘惑してきているという自覚はないのだろうか。
あまり常日頃から誘惑されても身が持たない。
このまま相手をしていたら理性が保たないと考えた俺は着替えた後の服を袋へ戻そうとする。
しかし、ノエルの身に着けていた衣類はどこにも見当たらない。
さすがに燃やしたわけでは無いだろうが隠しているように
も見えず、あまり女の子に対して聞いていいものではないとは思いつつ所在をノエル本人に尋ねる。
「ノエル、さっきまで着てた服は?」
「匂いを嗅ぎたいならノエルからどうぞ」
「じゃあ遠慮なく…………ちがうからな! 断じてお前が身に着けてたものをくんくんしたいわけじゃなくて」
いつもノエルから甘い匂いしてるから嗅いでると幸せな気分になれるんだよな、と思うが行動にまで移すことはできない。
さすがに最低限のモラルはあるからな。
と、巫山戯たことを考えているとノエルは俺の表情から何かを読み取ったらしい。
何もないところに手をかざして目を閉じた。その行為自体に何の意味があるかなんて考えるより先に結果が答えを教えてくれる。
ノエルが手をかざした場所が光ると魔法陣のようなものが浮かび上がり、その円の中心にさっきまでノエルが着ていたものと同じ衣服がキレイに畳まれた状態で出現する。
これは生活魔法という大分類の中にある収納魔法か?
「犬には見せたことなかったよね」
「収納魔法なんて使えたんだな。容量に応じて魔力を消費するし効率悪いから使ってるのなんて在庫の置き場所に困ってる商人くらいだと思ってた」
「便利だよ? ほんとなら女の子の着替えた後の服を荷物として持ってくれる犬みたいな人の方が珍しいから自分で持たなきゃいけないし持ってると盗られた時に恥ずかしい思いするから隠すのに重宝する」
「割と無意識にデリカシー無いことしようとしてたな。ごめん」
「いいよ。犬になら預けても匂い嗅がれるだけだから」
それは良くない方だと思いますけどね。
とはいえノエルがそんな便利な魔法を使えるなら採集した後の花も収納してもらえば良さそうだな。
魔法によって収納されたものは温度や状態などを完全に保存するらしいから採集してから放置してると枯れてしまったり萎れたりする花などのアイテム保管には重要な技だ。
魔力量に余裕がある冒険者だと薬草採取や討伐後の魔物から剥ぎ取った素材を運ぶことを専門的に担当するサポーターも悪くはない。
自分はあまり魔力量に自信はないけど今さらノエルに預けるのも申し訳ないし海に入るなら武器以外は持たない方がいいだろうから収納魔法を使ってみるか。
この魔法自体は難しくないしな。
「そんじゃ準備も済んだことだし仕事にかかりますか」
「二手に分かれる?」
「何をおっしゃいますか。こんな霧の中でノエルを野放しにしたら俺は匂いで探せるけど、そっちは俺を見つけられないだろ。青い花はそんなに数はいらないし環境調査の範囲も広くはないんだから二手に分かれないで一緒に行動した方がいいぞ」
「なら担いで」
いつもみたいに手を伸ばしてきたノエルをひょいと持ち上げて肩に乗せる。
相変わらずの軽さだ。ちゃんと食事の量が足りているのか不安になった。
とはいえ体の肉付きが悪いわけではないし心配はいらないだろう。落ちないように押さえている足は骨ばってなどないからな。
それより今は眼前の課題について、だ。
霧が濃すぎて青い花なんて見つかるのか分からないし環境調査だって真っ白の一言で報告したいくらいだ。
「これ、大丈夫なのか?」
――その頃のテイム。
「その木箱は倉庫に運ぶっす! ああっ! それは大事な書類だから破いたらダメっすよ!」
小さな足音があちこちで聞こえる中、それぞれが何をしているのか耳を澄ませながら指示を出していく。
話せないことが不便に感じていたから今は忙しくても心地良い。
カンダラに行った際に奪われた声が戻ってきたのだから。
きっと兄貴がどうにかしてくれたんだと理解したら悩むことなんて無いし自分が動けない間に溜まっていた仕事を前にしたら「誰が?」とか「どうして?」とか考えてる暇なんて無かった。
自分は少なからず他人の命を預かる者。
過ぎたことを立ち止まって考えるよりも自分の前を、隣を、後ろを歩いていく誰かの邪魔にだけはなりたくない。
「ミスティは倉庫の方を頼むっす」
「見張っていればいいんですか?」
「そうしてくれると助かるっす。さっき運んだ木箱の中身に気が付かれると面倒なことになるし」
言い切るより先にミスティは倉庫へと向かう。
たしか記憶が正しければ木箱の中身はマタタビだ。猫獣人の子達が機嫌を損ねた時に少しだけ与えるようにしている褒美のようなもので、あまり量があることを知られてはならない。
それこそ感謝の気持ちが無くなると二度と機嫌を直してくれない可能性がある。
要はアメとムチだ。
「ほら玩具じゃないんだから取り上げられたからって怒ったらダメっすよ? 遊びたいなら早く仕事を片付けないと……」
「どうしたら早く終わる?」
「じゃあ倉庫に行ってミスティの手伝いをお願いするっす。わがままを言ってミスティを困らせたら飯を抜かれるっすよ」
指示を出すと書類という玩具を取り上げられた猫獣人は機嫌を直して倉庫へ走っていった。
自分は取り上げた書類に視線を落として黙り込む。
これは兄貴に頼まれているプロトタイプの調査資料だ。
あちこちを走り回って教会やら王都の蔵書庫を読み漁っては可能性がありそうな文面を抜き取って一覧にしたはいいけど情報の精査はできていない。
そんな中、ぱっと見で目についた項目がある。
「不死の魔王?」
単純に目立つ単語が見えたからかもしれない。
しかし、自分と兄貴は「不死」のプロトタイプと遭遇したことがあるから他人事とは思えない何か感じたのだ。
そして不安を煽るのは家に残されていた言伝。
教会からの依頼で遠出する旨が記されていた。
「まさか…………ありえないっすよね」
依頼だとしても魔王に会うなんて、そんな事があるはずない。
自分は兄貴の無事を信じて作業に戻るのだった。




