第11話「大切なぬいぐるみ」
本当に欲しかったものは何だろう。
美味しいご飯?静かに過ごせる家?
優しさや温もりのような人情?
いや、きっと私は求めてはいけないのだろう。
あの狭い部屋で一人大人しくしていれば硬くて美味しくないパンでも一人で過ごす時間もあったのだから。
ただ、人の優しさに触れたかった。
自分にも優しくしてくれる人がいたらな、って。
暴力じゃなくて、言葉で自分と向き合ってくれる人がいたらな、って。
求めても手に入らないのは知っていた。
自分の故郷は遥か遠く。自分の足で巣立ったわけでもなければ何十年も前のことを覚えていられるほど記憶力がいいわけでもない。
そう、長く生きすぎた。
きっと外へ出ても救いはない。優しさに触れ合うこともない。
自分が無条件に優しさを向けてあげられるような、無垢で純粋な存在となんて出会えるわけがない。
――カダレア南東、地区境界門。
「許可のない者の通行は認められていない。持っていないならば引き返せ」
どうして門兵はどこの国でも同じような台詞しか話すことができないのだろうか。
しかも毎回、誰かが通る度に言っているなら悲しい。
こいつらはそれしか話すことを許されない立場の人間なのだと考えてしまうと今の自分がどれだけ自由に生活できているのかと、そんなことを考えてしまうのだ。
なんて冗談はここまでにして、許可は無いわけではない。
「あたしが一緒なら別にいいでしょ」
「レイン様でしたか。レイン様と一緒ならば身元の確認は必要ありませんのでお通りください」
「へぇ、本当に通れるんだな」
感心したように呟くと恥ずかしげにレインは微笑む。
レインは二人を信じた。
しかし、あの時は「影渡り」という移動手段にしている能力について話して二人もそれだけで納得し追及してくることはなかったが、一番重要な部分について伏せられている。
そう、俺が協力を求めたかった理由だ。
常に成長を続けるという力を課せられたがために後退はなく力を使えば使うほど加速するもの。
それを妨げる力があると、二人は忘れているのだ。
「まだ二人と一緒には行動できないか?」
「いい人なのは、分かってる。ただ、子犬ちゃんと違って長く付き合った訳じゃないから慣れてないっていうか……ごめん。子犬ちゃんが一緒にいるんだから心配しなくていいのに」
「対人関係で神経質になるのは当たり前だ。旧知の間柄の奴が紹介した人間でも会ってその日のうちに完全に信頼するのは難しいだろ」
「さすがにね。あたしの能力を知ったら近くに居たがるはずがないもの」
レインは寂しそうに俯く。
その姿を見るのは心苦しいから無理に二人に慣れさせようとは思わないし友人というのは時間をかけて作るもの。焦る必要はないだろう。
別に仲が悪いわけではない。
レインはまだ全てを話すには早いと判断しただけ。
「それで東区には何をしに行くんだ?」
「北区への立ち入り許可を貰いに行くのよ」
「何で北区に」
「あんたのことだから成長を停滞させる他にも何か目的があるんでしょ。ならあたしが動けない日中でも出入りできるように許可証が欲しいんじゃない?」
全てを察しているかのような発言だ。
きっと俺が【試作品】を探しているという話が関係しているのだろう。
この四つに区分された国において差を作らずに均衡を保とうというのなら南区にレインのような【試作品】を置いて他の区には何も配置していないわけがない。
レインは戦うのが嫌いだった。
血を啜り生きる種族なのに血を見るのが嫌いだった。
だからこそ俺はレインを戦場から遠ざけ平和に生きる道を探させたのだが、レインが戦いたい側の人間だった場合は逆に俺のような者は戦力外になる。
だってレインは本気を出したら……。
「もう! あたしの話ちゃんと聞いてる?」
「あっ…………えっと」
「ほら、ぼさっとしない! 今日一日デートに付き合いなさいよね!」
俺の気のせいかな。
さっき、呆然としてて怒ったレインが顔を近づけた時にいつもの匂いがしなかったような……。
――カダレア東区。
「…………あのさ、なんで僕まで巻き込まれるの?」
「せっかくなんだから文句言わないでよ」
そうレインに宥められているのは少年のように見える人間だ。
俺はそれなりに人間と【試作品】を見てきたがレインと比較してもこの人間は異常。
具体的に言うと若さを感じない。
見た目も、会話や何気ないやり取りも子供のように見えるが俺の勘が違うと言っている。中身は見た目通りのガキではなく、もっと恐ろしい何かであると。
「甘いものを食べたいだけならその、そこにいる彼氏さんと二人でいいだろうに」
「ちょっと! 子犬ちゃんとあたしはそんな、つつ、付き合ったりとかしてないんだから! 勘違いしないでよね!」
「まあ似たようなもんだろ」
「あんたも否定しなさいよ!」
「否定した方が良かったか?」
「うう…………子犬ちゃんのくせに」
しばらく唸っていたレインは大人しく席に戻る。
たぶん付き合っていると思われると周りからの視線が気になるから否定してほしかったのに否定されたはされたで嫌な気分になって、と複雑な気分だろうな。
そもそもレインが唐突にこの人間を連れ出すから悪いのだ。
経緯としては東区に着くなり行きたい場所があると言い出したレインは何の変哲もないただの一軒家の扉をノックもせず盛大に開くと中で読書に勤しんでいた少年の手を掴み誘拐。
それから無言で付いていくと店内は女の子ばかりの店に入っていったのである。
まあ少年の言葉から想像はできるだろうが甘いものを食べられるような、そんな店だ。
「それで、君は誰なんだい。レインの知り合いだからロクな生き方はしてないんだろうけど」
「おい、こいつの腕の一本くらいやってもいいよな」
「いいんじゃない? 減らず口だし」
「今の会話でよく分かったよ! レインと似て君は短気だな!」
「出会い頭に喧嘩吹っ掛けるクソガキよりはマシだと思うが?」
あまり納得していないようだが少年は咳払いをすると自分の非を認めて冷静に取り繕おうとする。
「とりあえず自己紹介をしよう。名乗りもしないで礼儀だの生き方だの言っても仕方がない」
「ガルム。レインとは昔の馴染みだ。以上」
「はっ、随分と淡白な挨拶だね」
「気持ち悪いんだよ。ガキみたいに振る舞いやがって」
「ガルムは勘が鋭いからあんたのこと分かってるのよ。そりゃネタが分かってたら気持ち悪いって言われても仕方ないわね」
少年は似合わぬ舌打ちをすると「そういうことか」と深い溜め息を吐いた。
しかし、口調は変わらない。
当然だ。この場の人間は知っていてもどこに知らない人間がいるかも分からない状態だ。
ネタばらしをしても全てを表にすることが正しいとは思えない。
「僕は《停滞する者》と呼ばれているよ。スティグとでも呼んでくれ。勘の鋭い君なら名前の意味は言うまでもないだろ?」
「……ずっと時が進まないのは苦痛か?」
「まあね。でもカダレアにいる分にはレインが話し相手になってくれていたし気にならなかったよ。それに僕はこんなだから戦争には使われなかったし」
「ガキすら殺せと命じる悪趣味な連中だったけどな」
それは過去の話だ。
今は俺もレインもスティグも戦場から退いた身だし、そもそも【試作品】を利用した大規模な戦争は頓挫している。
故にこいつも自由に生きているのだ。
たまに無神経なまでに強引に外へ連れ出してくれる吸血姫が良き暇つぶしになっているのなら、それはそれでスティグにとっての人生になっているのだろう。
「はい、お待たせ! レインちゃんが大好きな野苺のケーキだよ」
「っ!」
「ガルム、そんなに目を輝かせてどうしたんだい?」
「な、なんでもな……」
「あんたも甘いもの好きだもんね」
「ば、ばかっ! 初対面の人間がいるのにそういう個人情報をいきなり漏らしてんじゃねえ!」
何のことかさっぱりとケーキを頬張り始めたレインは俺の言葉を無視する。
不意打ちでこんな甘そうなものを見せられたら頭では我慢しようと考えていても視線が追ってしまう。
それを見たスティグが愉快そうに笑い始めた。
「なんだ、君も同じ類いか」
「別にそんなんじゃ――」
「はい、あーん」
「くぅん…………こんな、こんな辱しめを……」
「美味しい?」
「美味しいよこのやろう!」
「だってさ。お姉さん、ガルムにも同じの出してあげて」
悔しい。何としても体裁を取り繕おうと必死に堪えていたのにレインに差し出された一口が強すぎる。
ただ甘いだけのケーキなら堪えられたのに上一面を覆っている大量の野苺が口の中に甘酸っぱさという程よい刺激をくれて、それがまたケーキ自体の甘さを求めさせてくるんだ。
堪えられるわけがない。甘党の俺が。
「ウチのケーキであんな蕩けた顔したのあなたが初めてだよ」
「男としてのプライドだけじゃ勝てない。こんな美味しいケーキを出されたら我慢できるわけがないんだよ」
「ふふっ、じゃあレインちゃんに次いで常連客ゲットてことでいいのかな」
「とりあえず見ていられないから口からヨダレを垂らすのを止めてくれるか? あと君の尻尾が台風を起こしていて寒いんだけど」
俺はスティグの言葉など無視して運ばれてきた自分のケーキを口一杯に頬張った。
それだけでなんと幸せなことか。
「まったく、なんてだらしない顔をするんだ」
「あたしの言った通りでしょ? ほんと子犬ちゃんみたいで可愛いんだから、ガルムは」
「目の前でイチャつかないでもらえるかな。まあ、彼が無害な存在であることは認めるよ」
「じゃあ協力してくれるんでしょうね」
協力、って何の話だ?
俺はレインに北区への通行許可証を手に入れるとしか聞いていないし、そもそもこれはデートをさせられていたのではなかったのだろうか。
そもそもスティグの能力が自己完結タイプとは誰も言ってない。
こいつは名前を明かして俺が勝手に能力を察しただけ。本当の能力は別にあるかもしれないし、もしかしたら俺にも影響が及ぶ可能性だってあるだろう。
なぜ勝手に話を進めたんだ、レイン。
「グルルルルッ」
「ちょっと、ガルム?」
「レインは無自覚かもしれないけど彼は君のことを大切に思っているからこそ怒っているんじゃないか」
「え?」
思わず鎌をかけてしまったが敵意は返ってこない。
むしろ俺の気持ちを理解してレインに教えてしまうくらいだ。
スティグに悪意はない。あったら俺に何か仕掛けてきている。
「僕は自分の詳細を説明していないから仮の関係で話を合わせてくれてたんだろ。だからレインが協力という言葉を出した時に信用が明らかになっていないから不安になった。そうだろ、ガルム」
「俺の勘がお前の能力とは相性が悪いと言ってる。もし敵なら先手を取らなければいけない、と」
「ガルム! スティグはそんな人じゃ……」
「いいよレイン。彼には話しておく」
きっと敵対がバレてからでもスティグの方が早い。
どれだけ発見から攻撃が早くともスティグの能力として俺が予想した物が正しければ不意を討たなければ勝ち目はないと考えていたから、正直言うと警戒しても遅かった。
ただ、彼が敵ではなかったから無事でいる。
ある意味では無謀であり、賢明な判断。
力を知っている者がいれば迂闊に裏切れない。本人にその気がなくても人間の心を変える方法なんていくらでも存在する世界だから可能性は捨てられないのだ。
ここで俺が敵対したとしてもレインは真実を見て強力だろうと敵対だろうと関係を結べる。
「僕には妹がいた。この命を犠牲にしてでも守りたいと思えるほど大切な家族だ」
「…………」
「しかし僕が無力なあまり守ることもできず自分だけが生き残ってしまったんだ。自分の時間を止めてね」
「周りの時間を止めることはできなかったのか?」
「できたけど、その時には妹は殺されていたんだ。僕が生きるのを諦めた時点で妹は用済みとして処分され、その断末魔で僕は生きようとしなければいけなかったと自覚した。僕が生きる意思を捨てなければ妹は殺されなかったんだ」
やはり【試作品】を作った人間の考えることが分からない。
スティグはきっと一人目じゃない。何度か失敗した上でスティグという成功がある。
それまでにも多くの被害者を出して、それでもなお《停滞する者》の能力を欲した人間が実験を続け大切なものを目の前で壊すという最悪の顛末を用意したのだ。
虫酸が走る。
この世界に生きる大抵の人間が知らないだけで、影でそんな悪魔のような所業を平気な顔して行う連中がいるのかと思うと腹が立つ。
「僕は自分と周りの人間の時間を止められる。先手必勝。自分が死ぬより先に発動できれば負けることはない」
「どうりで手を抜かれているような気分になるわけだ」
「こちらに力を使う気など無くてもガルムは勘で僕がいつでも発動できる能力を持っていると気づいていたんだね」
「ああ。でも疑ってたわけじゃなかった。本当にレインが協力を持ちかけた時に信じていいのか不安になっただけだ」
「その警戒心は正解だよ」
「?」
スティグは机の上に一つの手紙を置く。
何も言ってないが読めという意味で置いたのは明白なので開いてレインと一緒に中身を確認する。
大雑把に言うと「スティグの妹を殺した奴は南区の長の仲間であり近々カダレアを訪れる犬の獣人」と書いてある。
南区の長、というのはレインのことであり、俺はその仲間という認識で合っていて、どういう人物かを知らないスティグからすれば仇と勘違いしてもおかしくはない。
つまり、今までの会話で俺が妹を殺した奴と思われていれば躊躇せず時間を止められていたかもしれないということだ。
「これは?」
「数日前に見たこともない鎧をまとった兵士が届けてくれた。差出人は書いていないし信じた訳ではないが万が一もあり得ると思って君の挙動次第ではレインと一緒に停止してもらうつもりだった」
「でも、それって……」
「そうだよ、レイン。僕が君に手を出したら負け中立と言われていた東区が南区に手を出したことになる。それも南区の長に手を出したともなれば内乱が起きてもおかしくはない」
手紙の差出人の目的はカダレア国内での内乱?
しかし、それだとレインの所に情報を持っていった意味がわからない。
なぜ俺と敵対するような情報を与える必要があったのか。
俺とレインが敵対するような情報を流し、レインがもしも噂程度の話を信じてしまって俺と敵対したならばレインが東区に来ることもなければスティグが俺と出会うこともなかった。
つまり起こりうる事象はどちらか一方のみ。
俺とレインの敵対か、カダレア南区と東区の内乱か。
いや、別の考え方もある。
「どちらにしても俺は討たれる側か?」
「どういうこと?」
「レインが聞いた噂だ。あれをレインが信じていたら、仮にだけど俺がお前を殺しに来たやつだと思い込んでいたらどうしていた?」
「そりゃあ死にたくないから止めるわよ。でもあんたのことだから殺さないと止まらないって知ってるし……って、嫌な話しないでよ!」
「仮に、って言ったんだけどな。で、スティグも俺が本当に妹を殺した奴だとしたら」
「ああ、仇を討っただろうね」
「そういうことだよ」
「あたしが信じていたら南区とあんたで話は終わりで、あたしが信じなくてスティグがあんたを仇だと判断していたら南区と東区は遠からず内乱。どっちの結末になっていたとしてもあんたはあたしかスティグに殺されるってこと?」
どうにも回りくどいやり方だ。
やるなら直接的に俺を殺したら何か報酬があるという手配書でも出せばいいものをわざわざ騒動の中で俺を殺したり仲間内で処理させようとしたりと不可解だ。
「この状況だと北区にも何かしら仕掛けてるか?」
「そうなるだろうね」
「だから少しだけスティグに協力してもらおうかな、って思ったんだけど、ガルムはイヤ?」
「内容による」
俺かレインの時間を止めるようなことがあれば協力を頼みたくないというのは分かるはずだ。
その間に何が起きるかも分からない。
眠っている間に敵が攻めてくる程度には恐ろしい状況だ。
「あたし達が北区に入るタイミングで兵士を停止してもらおうと思うの」
「少なくとも北区の長にとってレインは目の敵だ。許可があろうと無かろうと入れたくはないだろうね。しかし、見張る者が見ていなければ報告が行くはずもない」
「なるほどな」
そういう意味での協力なら助かる。
常に同行して気にしていなければいけないわけでもなく、入る時に手を貸したら後は勝手にしろと放置された方がこちらとしても動きやすい。
ましてやレインにもスティグにも俺の悪い噂が伝えられていたんだ。北区にはどう伝えられているのかも分からないし入ったのを知られた瞬間に指名手配なんてことも可能性はある。
上手くいけば直接、北区の長に話を聞けるはずだ。
俺はカダレアのレイン達を含む【試作品】の動向は……。
レインはなぜ目の敵にされているのか。
確認したいことは沢山ある。
「ちなみに帰る時はしっかり許可証で戻って来ればいい。それにレインも北区に用事があるだろ?」
「…………」
「レイン?」
「あっ、えっと……」
「今日はこのくらいにして戻るといい。二人のデートに僕がいたら邪魔だろう」
そう言ってスティグは支払いを済ませて帰っていく。
しかも然りげ無く俺とレインの分の支払いもしていく辺り見た目に似合わず歳を重ねているだけある。
それよりレインはどうしたんだ?
さっきの反応が無かったこともそうだし今もあまり意識がはっきりしているようには思えない。
「よし」
「…………えっ? ちょっ!」
俺は食べかけのまま放置されていたレインのケーキを一口で頬張るとレインを抱き上げた。
別に担ぎ上げても良かったけど理由が理由だ。
それに遠くまで行く予定があるのに雑な運び方をするわけにはいかない。
目的地はレインの住処になっている教会だ。
目的の場所に到着するとレインは俺の挙動から何をしようとしているのかを察して自分の寝室の場所を小声で教えてくれた。
そこへレインを寝かせて俺はやっと気になっていたことを尋ねる。
「最近、誰かの血を飲んだか?」
「なに言ってるの? 昨日、あんたたちを襲ったおじさんの血を飲んでるじゃない」
「……噛んだだけで飲んでない。嘘を吐くにしても喉を鳴らすくらいの演技はするべきだ」
あの男の首筋にレインが噛み付いた時、レインの喉は何かが通ったような動きはしておらず、その後の会話を始めるまでの彼女の口元にも血の流れたような様子はなかった。
男の傷も浅かったのだ。
致命傷になるはずもなく、ただ不意を攻撃されて首に噛みつかれたというショック。気絶だ。
そして今日、俺に顔を近づけてきた時。
獣の本能だからか昔から嫌いにはなれなかったレインの口元から漂う血の匂い。
それがあまりにも薄く、俺の嗅覚でさえほとんど嗅ぎ取れないほどに弱かった。
しばらく血を口にしていないのは明白。
ましてや呆然としていたのも理由が別にあるとは思えない。
「一年、くらい」
「お前は馬鹿なのか? ほら、俺の血でも飲め。動けないほど衰弱してるなら口元に垂らして――おい、どうしたんだよ」
指先を噛み切ってレインの口に垂らしてやろうと思ったが手で押しのけられる。
弱々しくて押しのけられたというより自分で退いたというのが正解かもしれないが明らかに拒絶的な行動だった。
「血を飲むのが、怖いの」
「は?」
「あたしって昔から能力を暴走させやすくて、あんたに出会う前は血を飲んだだけで周囲にいる生物を脱力させるくらい自分でも制御できてなかったの。あんたなら『吸血奪命』の効果、知ってるでしょ」
レインのもう一つの力『吸血奪命』は吸血姫にとって食事と同義でもある吸血行為において相手の生命力や魔力などを奪うもの。
噛まれた相手はしばらくの間は全身に倦怠感を覚えて動けなくなるし意識を保つのに必要な力を吸い出されるのだからほとんどの場合は気絶する。
しかし、レインの言葉通りなら吸血を行う現場にいる者も力を失うらしい。
「あたしの意思に関係なく沢山の人が動けなくなって苦しんで、動けるようになったら石を投げつけてくる。それが、怖くて」
「俺と一緒に居た時はそんなこと無かっただろ」
「あんたも同じだったからね」
同じというのは力を暴走させやすいということ。
俺を作り出した人間は人間に決められた成長の上限という限界値を壊してしまったから過剰に食事を取ったり、怪我をして死に目に遭って俺が行きたいと生存本能に訴えかけた時に急激に成長を早めてしまうことがあった。
その際、基本的には大きく強くなろうとする骨格に肉体が耐えられず体が裂けていく苦痛から逃れたい一心で明らかに不足している骨格の外見になる肉体を作ろうと周囲にあるものを何でも口にしてしまう。
それこそ、家屋や岩、その辺にいた人間さえも。
故にレインが俺に『吸血奪命』し過剰に成長しないように制御してくれていた。
同じだったというレインの表情はどこか懐かしむようなものを感じる。
きっと、その頃は安心していたのだろう。
「あたしが血を飲むことで苦しまない子がいるって考えたら不安になってる場合じゃないって思えた。あたしが出来損ないなんじゃなくて誰かと補い合わないとダメなのは他の人も同じなんだって、安心してたのよ」
「俺もだ。自分の意志とは無関係に誰かを傷つけてしまったことがある奴が他にいて理解してくれることに安心してた」
「ガルムと離れる時、どうしても不安だって言ったら『俺の代わりに』ってあんたがぬいぐるみをくれたのよね」
「っ! そ、そんなこと忘れろ!」
恥ずかしい思い出だ。
家事とか苦手だったのにレインを不安なまま放り投げてしまわないように人間に作り方を聞いて不器用な手で縫った上手とは言えないなりにも形にはなった犬のぬいぐるみ。
カッコよくはならなかったけど絶妙な歪さがレインには可愛く見えたらしく大切にすると受け取ってくれたのを覚えている。
「そのぬいぐるみね、北区にあるの」
「奪われたのか?」
「あたしが教会を離れてる間に誰かが入ったみたいでぬいぐるみの代わりに手紙が置いてあってね」
手紙?
それはスティグに謎の兵士が渡したという手紙と何か近しいものを感じる気がする。
そいつの目的が分かったかもしれない。
東区には南区を。
南区には北区を。
それぞれが何かしらの恨みを持つように話を繋げてあちこちで争いを起こす気か?
一つ気になることがあるとすればレインのぬいぐるみの喧件が事実ということだが……。
「レイン」
「何よ」
「これからはいつでも俺に会いに来ていいぞ」
「?」
「以前はお前を守ってやれる力も無かったし戦いに巻き込みたくないなんて我がままでお前を遠ざけたけど、今なら守れる。俺の嫌いな奴等から俺を守ってくれたお前のように、今度は俺がお前を守る番だ」
レインの頬が少し赤い。
別に告白したつもりはないんだけどな。
「お前はいつだって誰かのために行動できる優しい奴だ。だから暴走なんて恐れて自ら消えようとするな。俺の大好きだったレインが、そんな死に方をするのはごめんなんだよ」
「離れてる間に子犬ちゃん、随分カッコよくなったのね」
「そんなんでもねぇよ」
レインはわずかに体を起こすと俺の指に舌を這わせる。
柔らかい舌の感触と唾液のぬめりに思わずゾワゾワとしてビクリと肩を震わせたがレインはそんなことを気にしている様子もなく舐めるだけでは足りずにがっつき始める。
「待て! あ、慌てなくてもちゃんと飲ませるから!」
「こんな指先からじゃ足りない。ねえ、ダメ?」
「分かったから魅了しようとするな!」
色気を使われて自分も男なので内心浮足立ったのは言うまでもない。
俺はレインに首筋から血を飲まれながら今後のことを考える。
本当に北区へ行って話し合いをすれば全て丸く収まるのか、とか。
謎の兵士は何が目的で、今はどこにいるのだろうか、とか。
そんなことを考えているうちにレインにがっつり血を奪われた俺は貧血で倒れるのだった。




