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時の彼方(修正前)  作者: 水沢樹理
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高校一年四月 4

 奈緒が在籍している一年一組の教室は四階建て校舎の最上階の端にあり、そこから一年二組、隣接する校舎へ続く渡り廊下の入口、階段、それから弘樹のいる一年三組の教室という並びになっている。


 奈緒が二組後方のドアの前を通りかかったところで聞こえてきた賑やかな声は、脳裏に浮かべていた人物がまだ教室に残っていることを教えているも同然だ。

 三組の教室に着きドアから中を覗くと、予想通りその中心にいた弘樹が、奈緒と共通の友人である男子生徒と楽しそうに戯れ合っているところだった。


 相変わらずというか何というか、早速クラスの中心的な存在になっているようだ。

 勿論、盛り上げ役という意味でだが。


 弘樹を中心に盛り上がる三組の生徒達の姿に、何となく声を掛けづらいなあと考えていると、すぐに奈緒がいることに気付いた弘樹がその輪から抜け出し、スクールバッグをひょいっと肩に掛け、足早に近寄って来た。


「奈緒、もう帰るのか?」

「そうだけど弘樹は?サッカー部寄らなくていいの?もしそうならお弁当箱回収していこうかと思ったんだけど」


 奈緒は中等部の頃から、弘樹と自分の分の弁当を手作りしている。

 中等部入学当初は、弘樹の弁当は彼の母親が作っていたが、仕事で朝が早いこともあり、随分と大変そうに見えた。

 それを見兼ねた奈緒が、自分の分を作るついでだからと弘樹の分も引き受けることにしたのだ。


 平日は、試験等の時以外は朝二人分の弁当を作り、夕方は仕事で帰りの遅い母親に代わって夕食の準備をするのが奈緒の日課だ。

 料理好きな彼女にとって、それは一種の気分転換でもあるので大して苦にはならない。


 そして、夕食の準備をする前に軽くお茶をして、空の弁当箱と一緒に洗い物をすることにしているので、中等部時代、弘樹が部活に行く前に弁当箱を回収する習慣が染み付いていた。

 その癖で、もしまだ弘樹が帰らないのであればと、一応彼の教室に寄ったのだった。


「いや、俺サッカー部入る気ないし」

「どうして?」


 思いも寄らぬ言葉に奈緒が首を傾げると、弘樹が眉間に皺を寄せながら肩を竦めた。


「あんまり気が乗らないんだよなあ。うちのサッカー部って弱小だし」

「だったら勧誘してくれた高校に行けばよかったのに……」

「だから、そこまでサッカー中心の生活する気はないと、何度言えば……」

「まあ、弘樹がそう決めたのならそれでいいんだろうけど。あたしが口出しすることでもないし……」


 唇を尖らせ拗ねる弘樹に、流石に失敗したなと奈緒は自分の発言を悔やむ。

 弘樹自身が決めたことである以上、いつまでもしつこく蒸し返されるのは、あまり気分の良いものではないだろうから。


「ところで、明日の弁当のおかずなんだけど……」

「お弁当のおかずは既に決めてあるから、希望は受け付けないわよ」

「なんで!?」

「栄養バランスを考慮した上で、一週間分まとめて考えて、それに合わせて食材も買ってあるの。文句があるなら自分で作る?」

「イエ、ナンデモナイデス、スミマセン」

「なんで片言……?」


 気不味い空気に耐えられなくなったのか、それを振り払うようにいつもの調子でおどける弘樹に、奈緒もいつもの調子で言葉を返す。

 そのことにホッとしながら軽口を叩き合う二人は、その様子をそっと窺う周囲の状況に全く気付いていなかった。


「あの野郎、家が隣の幼馴染みってだけで、いつもあんな美人に弁当作ってもらえるんだから、おかずぐらいでガタガタ言ってんじゃねえよ。マジで羨まし過ぎるわ……」

「でもさ、相変わらずあの二人、並んでると絵になるよな」

「弘樹の奴、中身はバカなのに……」


「あれが噂の学園一の美少女か……」

「近くて見ると思った以上に綺麗ね。同じ女とは思えない……」


 ある意味通常運転の内部進学組や、奈緒の美しさに見惚れる外部進学組の様子に、先程弘樹と戯れ合っていた男子生徒が呆れたように苦笑いを浮かべる。

 そして、彼は二人にゆっくりと近付くと、弘樹の肩にポンッと手を置き、その横に並んだ。


「奈緒も相変わらず弘樹の面倒見るのは大変だね」


 中等部の頃からの二人共通の友人である中谷義人(なかたによしと)が大人びた笑みを見せる。

 だが、その表情に嫌な予感しかしない弘樹は、ゆっくりとわかりやすく視線を逸らした。

 それだけで奈緒は、早速弘樹が何かやらかしたことを確信し、一時限目の授業中に怒鳴り声が聞こえたような気がしたのを思い出した。


「義人、もしかして一時限目の時……」

「うん、初っ端からやらかしてる」

「やっぱり……、何故授業と違う教科書出してることに気付かないの……?」


 顔を背け、乾いた笑い声を漏らす弘樹に、半目で呆れた視線を向け、この意味不明な行動が改善される見込みはないらしいと、奈緒は深く溜息を吐いた。


 何故か弘樹は小学生の頃から、授業科目とは違う教科書を机の上に出しておきながらそれに気付かないということを繰り返している。

 普通、授業が始まれば流石に気付きそうなものだが、今まで一度も自分で気付いたことがない。

 それどころか、国語の授業で教科書を読むよう指名されて、数学の教科書を手に数式を読み上げる始末。

 極めつけは、音楽の教科書を広げ、曲名と作曲者名を読み上げ、「これ歌詞ないけど、どこ読むんですか?」と頓珍漢なことを言い放ったことだろう。

 その時、その教師は怒るのを通り越して呆気に取られていたが、その日の放課後職員室に呼び出され、みっちり説教される羽目になったのは言うまでもない。


 それらをわざとではなく素でやっているのだから、尚更(たち)が悪いと言えるだろう。


 おかげで奈緒は、毎回授業が始まる前に、弘樹が次の授業で使用する教科書を間違えていないかチェックするということを、小学校と中等部の九年間続けることになったのだ。

 それでも時折、いつのまにか他の教科のものと入れ替わるという、珍事が発生していたのだが。


 ただ、弘樹の珍妙な行動はこれだけではない。


「でも、ノートは間違えないのよね…」

「ああ、一応確認したけど、ノートはいつも通りちゃんと取ってたよ」


 不思議なことに、教科書は間違えるくせに、ノートはちゃんとその授業の物を用意しているのだ。

 しかも、ボーッとしているように見えて、しっかりとノートは取っている。

 だが、無意識の内に取っているのか、その内容を理解していないことが非常に残念ではあるが。


「なあ、それよりそろそろ帰ろうぜ。てか、奈緒、うちのクラスに来るの遅くなかったか?」

「わざとらしく話題を変えたわね……。藍ちゃんと明日のことで話してたの」


 わかりやすく話題を逸らして教室を出た弘樹に苦笑しながら義人もその後に続く。

 そして、奈緒と顔を見合わせ、互いに肩を竦めた。


「弘樹らしいというか…。俺らは奈緒を待ってただけだけど、確かに遅かったな。……藍ちゃんって?」

「うちのクラスの副委員長で小学校の同級生」


 義人に説明する横で、弘樹がポンと手を叩いた。


「ああ、椎名藍子か!明日どうかしたのか?」

「明日、放課後残って手伝ってほしい作業があるからって」

「ふうん。じゃあ、明日……、げっ!?」


 突然奇声を上げた弘樹が全力で走り出した。

 何事かと思うのと同時に、背後から大声が聞こえてくる。


「弘樹!頼むサッカー部に入ってくれ!!」

「だから入りませんって!」

「一度くらい公式戦で勝ちたいんだよーっ!」


 何だか情けないことを叫びながら、奈緒も顔を知っているサッカー部の上級生が、弘樹を追いかけ、奈緒達の横を走り抜けて行った。


 あまりに一瞬の出来事に、残された奈緒と義人は呆気に取られるしかない。


「……帰るか?」

「そうね……」


 二人はポカンとしたまま顔を見合わせ、昇降口に向かって歩き出した。




 昇降口に着くと、見知った顔が並んでいるのが見えた。

 男子生徒二人、女子生徒三人の計五人、義人同様、中等部の頃から仲の良い奈緒と弘樹共通の友人達だ。

 その内の一人が二人に気付くと、ひらひらと手を振った。


「二人共遅かったね」

「ごめん、クラスの子とちょっと話してて」


 中等部の頃同様、駅まで一緒に帰ろうと待っていたらしい。

 五人に慌てて駆け寄り、待たせたことを詫びると、揃って首を横に振られた。


「俺らが勝手に待ってだけだし」

「別に待ち合わせしてたわけでもないしね」


 気にするなと笑って言われるが、それでも、五人が待っている可能性を失念していた奈緒と義人は苦笑いだ。


「そういや、さっき弘樹が凄いスピードで走って行ったけど、何かあった?」

「サッカー部の先輩に追われてた」

「ああ……」


 何となく事情を察した男子二人が乾いた笑いを漏らす。

 二人は既に、弘樹がサッカー部に入る気がないことを知っていたようだ。


 校門を出たところで、高等部と中等部それぞれの校門の中間程にあるバス停のベンチに弘樹が座っているのが見えた。

 流石に、校門を出てまで追いかけられることはなかったらしい。

 奈緒達が近付くと、立ち上がりげんなりとした顔を見せた。


「先輩、マジしつこいわ……」


 疲れ切って肩を落とす弘樹に、全員が苦笑する。

 恐らく先輩の方は、そう簡単に諦めることはないだろう。


「そういえば、明日は奈緒、放課後残るんだよな?」

「うん、いつ終わるかわかんないから、明日は先に帰ってて」


 駅へと歩きながら顔を覗き込んだ弘樹の言葉に、奈緒は全員にそう伝える。

 藍子達は、今日は大丈夫だと言っていたが、奈緒自身はその作業量がどれくらいなのかを知らないので、どれほど時間が掛かるか見当が付かないのだ。


「そういえば、藍ちゃんに三組の高梨小夜子には気を付けてって言われたんだけど、どんな人?」


 ふと思い出し尋ねると、途端に弘樹と義人の顔が引き攣った。

 何事かと驚き眼を見張ると、弘樹がブルブルと震え出した。


「あいつ、人間じゃねえ……。あんな言葉の通じない奴信じらんねえ……」

「えっ……?」

「そのうち奈緒もわかるよ……」


 怯えた様子の弘樹と、疲れ切った様子の義人に奈緒も嫌な予感しかしない。

 そして、そういう予感程当たるものだ。


「ねえ、さっきあたしが三組に行った時、その人いた?」

「いや、呼び出しくらってたからいない」

「呼び出し?」

「授業中に堂々とスマホいじってたんだよ。注意されても計算するのに使ってましたとか悪びれずに言ってたし」

「……バカなの?」


 あまりにも非常識な行動に目眩がしそうになる。

 どうやら想像していた以上に面倒な人物のようだ。

 他の五人も、絶対に関わりたくないという顔をしていた。


 何だか微妙な空気になってしまったので、高梨小夜子の話はさっさと打ち切り、その後はいつものように他愛もない話をしながら駅まで一緒に歩いた。


 きっとこんな日々がこれからも続くことを、誰もが疑っていなかったことだろう。


 だがその日は、高等部に入学して僅か数日であるにもかかわらず、奈緒が普通の高校一年生として過ごせる、最後の日となったのだった――。

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