8)いろんなお客さんが来ます①
「もう一度行きたくなる喫茶店」には、いろんなお客さんが来ます。
お客さんの多くは観光客で、日本の方や外国の方、男の人、女の人、お年寄り、子供などなど様々です。
また、ニックのような常連客もいます。希空の友達のココちゃんや萌ちゃんたちも、もはや常連客と言っていいでしょう。
皆、優しくていい人ばかりだと、希空は思っています。
「ねえ、希空。あれ、何が植えてあるの?」
午後1時を回った頃、常連客になったココちゃんと萌ちゃんがお店に来ました。
そして、ココちゃんは、少し前から気になっていた、鉢植えについて希空に尋ねました。
「ああ、あれね、チューリップだよ。来春のお母さんの誕生日にあげようと思って。でもさ、全然芽が生えてこないんだよね」
チューリップの鉢植えは、入り口近くの日当たりの良いところに置いてあるのですが、一向に芽が生えてくる気配がありません。
希空はその事が心配で、心配で、掃除のときも、接客中も、閉店作業をしているときも、何度も見てしまいます。
「へぇー。そうなんだ。なんか、素敵だね。お母さん、きっと喜ぶと思うよ」
ココちゃんが、にこやかにそう言うと、萌ちゃんが茶化します。
「ていうか、希空、チョー乙女じゃん!かわいいー!」
それから2人は、いつもの4人掛けの席について、いつもと同じメニューを頼みました。ココちゃんがオレンジジュース、萌ちゃんがリンゴジュースです。
希空が注文を受け、厨房からジュースを運んでくると、ちょうど2人と同じ大学に通っている翔と輪伍が遅れてやって来ました。
「チャーッス!」
「ちわ……」
翔は自分の茶髪をネジネジと触りながら、輪伍は黒ぶち眼鏡を整えながら、入ってくると、真っ直ぐにココちゃんと萌ちゃんの席へと向かいます。
「やっほー!翔、輪伍。もう、ムスクルス先生のレポート終わったのー?」
近寄ってきた2人にココちゃんが、手を振りながら尋ねます。すると、翔は、大袈裟に手を広げて肩をすくめました。
「ある意味、終わってる!もう、マジ、お手上げみたいな感じ?つーことで、諦めたわ。俺ら」
その後ろから輪伍が、ぼそっと付け加えます。
「まだ、期限あるし」
「そうそう。うちもまだ終わってないんよね。今週の金曜まででしょー?」
萌ちゃんは、困った顔をして、ココちゃんを見ました。
「うん——てか、金曜って、もう明日じゃない!こんなことしてる場合じゃないよねー」
ココちゃんは、亜麻色の可愛い頭を抱えてテーブルに伏せました。その嘆きに翔が同調します。
「マジで、筋肉どんだけ種類あるんだよって、話だぜ。ああ、学校爆発しねぇかなー」
翔の不謹慎なジョークに萌ちゃんが、爆笑します。
「あはは!それヤバくない? 爆発は、やりすぎっしょ!」
希空は時々、皆の話についていけないと思う時があります。話の内容もそうですが、ノリというか、流れに乗れないというか、そんな感じがするのです。
それでも、仕事は忘れてはいけないと、気を持ち直し、言葉を発しまた。
「えっと、あの……翔君と輪伍君も何か飲みますか?」
「あー、じゃあ、俺、コーヒー」
「……水」
2人は迷うことなく、いつもと同じメニューを注文しました。
しかし、翔は、いつも水を注文する輪伍が気に食わないのか、少し口調を荒げます。
「あのさー、輪伍。お前、また水? 水以外のものなんか頼めよな」
それでも、輪伍は全く動じません。
「別にいいだろ」
輪伍は、そう呟き、萌ちゃんの横に腰を下ろしました。
横に座られた萌ちゃんは、顔を引き攣らせて、輪伍を見ます。
「てか、輪伍。なんでうちの横なん?」
輪伍はいつもの眠たそうな目のまま、ひょうひょうと答えました。
「リンゴジュース……飲んでたから」
「は? 何それ」
リンゴと輪伍……。
萌ちゃんは、全然笑っていませんでしたが、希空は少しだけ面白く感じ、小さく笑ってしまいました。
「ふふ」
一方の翔は、輪伍の言い草が気に食わない様子でしたが、それ以上事を荒げるつもりはないらしく、「ふん」と鼻を鳴らして、ココちゃんの横に座りました。
注文を受け取った希空は、厨房へと一旦引き返します。厨房では、店長のヨネリンがコーヒーと水を用意して待っていました。
「また、お友達かい?」
「はい。そうです……」
希空は元気よく答えようとしましたが、ちょっとだけ暗い声になってしまいました。そのことにヨネリンはすぐに気付いて、優しく言葉をかけます。
「希空さん。大丈夫です」
希空には何が大丈夫なのか分かりませんでした。
そもそも、自分でもなぜ暗い声になってしまったのか、分かりませんでした。それでも、ヨネリンの優しい顔を見ると、少し元気が出た感じがしました。
希空は、ヨネリンにコーヒーと水をお盆に載せてもらうと、ホールへ戻るため、向きを変えます。そして、いつも通り左側通行で、飲み物を運んでいきました。
「お待たせしました」
「お、希空ちゃん、サンキュー!」
「……どうも」
希空がコーヒーと水を運んでくると、翔と輪伍がそれぞれお盆から取り上げます。
そして、翔がミルクと砂糖を溶かし、輪伍が水を一口含んだ時でした。
ガランゴロン——!!
お店のドアが開きました。しかし、少々乱暴です。
「イラッシャイマセ~」
手の空いていた楓ちゃんが、真っ先に対応します。すると、遠慮なく発せられる大声が彼女を取り囲みました。
「うっわー!マジでロボットじゃん!ヤッベェー!!」
「ホントだー!チョーウケるんですけどぉー!」
入ってきたお客さんは、ガラの悪そうな若い男の人と派手な女の人でした。
2人はお店に入ってくるなり、馬鹿笑いをして、楓ちゃんの事を勝手にスマホで撮り始めました。
「ねー、これ遠隔操作してるんでしょー? 家に引きこもってさー」
女の人が、長い爪を立てて、楓ちゃんの目を触ります。
「マジかよ!どうやってやってんの?ゲームみたいな感じ?」
男の人も楓ちゃんに触れると、無理やりに腕を上げさせたり、首を動かそうとしたりしました。
2人の耳障りな声が店内に響くと、他のお客さん達は迷惑そうな表情を浮かべました。
でも、誰も彼らと目を合わせようとはしません。むしろ、避けるように顔を背け、なるべく関わり合わないように努めているようでした。
それは、希空の友達のココちゃんと萌ちゃんも同じです。2人は、一瞬だけ彼らに怪訝な顔を向けましたが、すぐに目を反らし、互いに顔を近づけ合うと、ヒソヒソ話を始めました。
「ねぇ、アレ、やばくない?」
萌ちゃんの言葉に、ココちゃんが頷きます。
「うん。やばい。警察に言う?」
「いや、警察まではいいっしょ」
「そうかな……」
萌ちゃんはかぶりを振りましたが、ココちゃんは心配そうでした。
すると、萌ちゃんは何かを思い出したかのように、「あっ」と声を上げ、翔を見ます。
「そういえばさ、翔、ボクシングやってたんでしょ? アイツら、やっつけちゃってよ」
その言葉にココちゃんも食いつきます。
「え、そうなの? なんかアイツら感じ悪いし、やっちゃってよ」
2人はなぜか楽しそうでした。
しかし、2人の視線を集めた翔は、明らかに動揺しています。膝が震え、冷汗をかいていました。
「え、え? ボクシング? ああ、確かにやってたよ。全国行ったヤツは、なんつーか、俺の後輩みたいなモンだし、俺も地区予選ではそこそこの成績だったよ。で、でもさ、それって、もう半年以上前の話じゃん? もう体が鈍っているつーか、忘れちゃってるつーか。思うように体が動かねぇんだよなぁ」
つまり、翔はボクシングをしたことはあるが、ほとんど素人でした。
その間も、ガラの悪そうな男の人と派手な女の人は、面白がって楓ちゃんを触ったり、スマホで撮ったりし続けてています。
「ねーねー。もの運ぶ以外に何ができんのさー? ねーってばー」
女の人は、勝手に楓ちゃんのお盆を取り上げ、それで彼女の頭をコツコツと叩き始めました。しかし、楓ちゃんは言葉を返すどころか、全く動こうとしません。
きっと、怖いんだ。
希空はそう思いましたが、無いはずの足がすくんで、動けませんでした。そんな自分が情けなくて、無いけれど唇を噛みました。
そのときです。
男の人は、楓ちゃんが無視をしていると思ったのか、急に怒り始めました。
「おい!何ができるのかって、アケミが聞いてんだろーが!!なんか答えろや!」
その怒鳴り声に、希空はビクッと身体が震えて、恐怖で強張ってしまうような感覚がしました。
一方の楓ちゃんは、男の人に怒鳴られても、言葉を発する事も、動こうとする事もありませんでした。
その様子に、男の人は怒りを増大させ、たまたま足元にあった「モノ」に、その怒りをぶつけました。
「何シカトしてんだよ!!ポンコツがっ!!」
お皿が割れるようとても大きな音がしました。
初めは、ガラスが割れてしまったのかと希空は思いましたが、お店の大きなガラス窓は傷ひとつ入っていません。
視線を下げてみると、お店の木目の床には、深い茶色の粒が広がっていました。そして、その中に頭の先が少しだけ緑色になった球根が転がっています。
男の人は、希空が育てていたチューリップの鉢植えを蹴り倒したのです。
男の人は、怒りを鉢植えにぶつけましたが、まだ静まる様子はなく、今度はバレーボールくらいの楓ちゃんの頭を掴みました。
「ぶっ壊すぞ!コラァ!!!」
「……」
楓ちゃんは依然として、返事をしません。抵抗もしません。まるで本当のロボットになってしまったかのようです。
店内のお客さん達も誰も言葉を発することなく、俯いています。皆も恐怖で怯えているのです。自分に被害が加わらないように祈っているのです。
そんな最中、威勢の良い声が、希空の後ろの方から飛んできました。
「いい加減にしろよ!」
レン君です。
レン君は、出来るだけ速い速度——といっても人が普通に歩くより遅いですが——で、男の人へと近づいて行きました。
そして、男の人を睨みつけるように見上げます。
「楓を掴んでいる手を離せ!」
しかし、男の人がこれくらいで、怯むはずがありません。
「あ? 何だ、お前。ナメてんのか?」
「な、ナメてねぇよ」
レン君も必死に食らいつこうとしますが、徐々に勢いは弱くなっていきます。
「お前から、先にぶっ壊すぞ?」
男の人の鋭い眼光に睨まれ、レン君が少し後退りました。更に、女の人が「やっちゃえー!」と合いの手を入れ、囃し立てます。
男の人は、女の人にカッコイイ所を見せようと思っているのでしょうか。指や首の関節をポキポキと鳴らして、レン君を威圧します。
レン君はすっかり怯えていました。
腰が抜けることはありませんが、それに近い状態で、ふらふらと蛇行しながら後退していきました。
しかし、後退の速度は、前進よりも遅いです。当然、男の人の間合いから、逃れることは出来ず、レン君はすぐに男の人に頭を掴まれてしまいました。
「ひぃ!」
レン君から言葉が漏れます。
「覚悟しろよな!」
男の人は、空いている手で拳を作ると、高く振り上げました。
希空は思わず、目を瞑りました。そして、心の中で叫びます。
誰か助けて——!