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もう一度行きたくなる喫茶店のヒミツ  作者: 翼 くるみ
はじまり
6/16

6)これが、外の世界……②

 店長ヨネリンは、お店のドアを開けると、いつもの柔らかい笑顔を皆に向けます。皆には、表情を作る機構が備わっていないため、無表情ですが、出来るだけ明るい声で出迎えました。


『おはようございます!』


 なかでも希空は、持ち前の元気さを前面に押し出します。


「店長!私、外へ出るの初めてで、すっごーく楽しみです!!」


 大きな目を、目一杯向けてくる希空の白い顔をみたヨネリンは、少し驚いたけれど、すぐにニッコリと微笑みました。


「そうですか。そりゃ、よかった。では、早速行きましょう!」


 そう言って、ヨネリンはドアを支えると、少し身を引いて、通路を開けました。


 入口近くにいた希空の目の前には、いつもガラス越しに見ていたお店の前の道が直接見えます。


 お店の前の道は、車がどうにかすれ違えるだけの幅しかありませんが、道を挟んで向かい側は、建物ではなく、犀川さいがわという川になっています。そのため、視界が開けて開放的です。


 そして、希空は床を踏みしめるように、ゆっくり3つの車輪を転がし、前へ進み始めました。


 少しずつ視界が明るくなってきます。


 お店の間接照明も素敵ですが、自然の陽の光は、明るさが違います。それは画面越しに見ていても希空には感じられました。


 一歩、一歩、着実に歩く速度で、希空は床を滑っていき、お店のドアを越えるとき、自分は異世界から現実世界へと戻ってきたのだと思いました。


 そして、秋晴れの空が希空を優しく照らします。


 彼女のプラスチック製の白いボディは、眩く光を反射し、目の周りの青い光は、外の明るさに溶け込んで、ほとんど見えなくなりました。


 きっと空気は澄んでいるのでしょう。



 さすがに希空には、外の空気感までは感じられませんでしたが、自分の意思で外に出る、という事は、まるで、自分の力で外に出た、という感覚を与えてくれ、自由になれた気になりました。


 普段、感じる「生き難さ」はありません。


 代わりに、生きているという実感があります。


 ほんの数センチ、彼女は外へ出ただけですが、それはこれから始まる時代へ向けた大きな一歩となることでしょう。



 希空に続いて、レン君、楓ちゃん、まっさんも外へと出て来ました。


 皆の顔は、無表情のままですが、自然光を浴びて、明るく輝いています。それは、まるで表情まで明るくなったかのように見えます。


 また、お店の前には、段差はありません。代わりに緩やかなスロープがあり、それは折り返しながら、前の道へと続いていました。


 スロープを下ると、皆はヨネリンが用意したバンへと乗り込んでいきます。バンの後尾ドアには、昇降機が備わっており、それを利用して、順にバンへ乗り込むのです。


 しかし、脚がない彼らは座席には座れません。


 少々、物寂しい感じではありますが、バンの広いラゲッジスペースに皆は立ったまま並びます。皆が、並んだ傍からヨネリンは、一人ひとりをベルトで固定していきました。


 彼らには人の心が宿っていますが、世間的にはロボットです。従って、「荷物」として扱われてしまうのです。


 だけど、希空はそんな事は気にしませんでした。



 外に出られる。


 それだけで人間らしさを感じたからです。






 ヨネリンの運転する ——といっても、ほとんど自動運転ですが—— バンは、予定通り15分程で、太陽が丘にある公園へ着きました。


 途中、窓から見える景色に希空は心を躍らせており、横にいた楓ちゃんにマシンガンのように話しかけ続けました。


 希空の後ろにいたレン君は、いつもならば、そんな希空を「うるさい」だの、「黙れ」だの、きつい言葉で注意しますが、今日は違いました。彼もまた、車窓から見える景色に感動していたのです。


 実際には、レン君の表情は変化しませんが、まるで口を閉じる事も忘れて、目を輝かせているようでした。



 バンが駐車場に停まり、ヨネリンが皆を下ろす準備を始めました。その様子を見た希空は、思わずヨネリンに尋ねます。


「え、降りられるんですか?」


 ヨネリンは手際良く、皆を固定していたベルトを外していくと、優しく答えます。


「そうですよ。10分程度しか時間はありませんが、近くを散策してくると良いでしょう。ただし、本来は屋内用の体ですから、なるべく平坦な所を通るようにね」

「いいんですか!?やったー!!」


 希空は喜びの声を上げました。しかし、嬉しさのあまり、ヨネリンの話は、ほとんど聞きいてませんでした。


 最後尾にいたまっさんから、順にバンの外へと下ろされ始めます。次は、レン君、その次は楓ちゃん。最後は、待ちきれないとばかりにウズウズしている希空です。


 希空を載せた昇降機がゆっくりと下がっていきます。本来であれば、安全を考慮されて設定された速度ですが、希空にはそれすらも煩わしく感じました。


「もぉ、早くー!」


 希空には脚がありませんが、地団太を踏みたくなる気分でした。そんな希空に、昇降機を操作しているヨネリンが、微笑みながら声をかけます。


「おやおや。希空さんはせっかちですね」



 そうして、ようやく希空がバンの外に下ろされました。


「さあ、外の世界を探検しておいで」


 ヨネリンが優しく希空の背中を押します。


 希空はヨネリンに優しく押し出され、公園の駐車場を進み始めました。


 初めて踏みしめるアスファルトは、どんな仕事よりもワクワクして、とても新鮮でした。空気も、画面越しには伝わってきませんが、なんとなく美味しく感じます。


「これが、外の世界……」



 しかし、希空が外界に感動したのも束の間、異変が起こりました。


「あれ、あれ……?」


 希空は、いつものように真っ直ぐ進んでいるはずなのに、なぜか右へと逸れていきます。それにガタガタと視界が揺れて、気分が悪くなってしまいそうです。


 徐々に右の側溝へと進んで行く希空を見たヨネリンは、すぐに駆け付けました。


「希空さん。そっちは危ないですよ」

「わ、わかっているんですけど……なんか、体が勝手に。それに目が回りそうです」


 抽象的な希空の説明でしたが、ヨネリンには直ぐに異変の理由がわかりました。


「希空さん。一旦止まりましょうか」

「……はい」


 希空はヨネリンの言う通りに、いったん立ち止まりました。すると、すぐに視界の揺れは治まり、気分も落ち着きます。


 そして、ヨネリンは希空の横に立つと、片手を前に伸ばして説明を始めました。


「地面をよーく、見てみて下さい」

「……地面?」


 希空はヨネリンの言う通りに、地面を見ます。濃いグレーのアスファルトは、所々ひび割れはあるものの、それほど荒れてはいません。しかし、ヨネリンには、何かが分かるようです。


「どうでしょうか? お店の床と比べると、少ーしだけ傾斜がついているように見えませんか?」


 希空は目を凝らします。


 すると、確かにヨネリンの言う通り、駐車場の右側にある側溝に向けて、ほんの僅かですが、傾斜が付いています。


「確かに……。右に傾いています」


 ヨネリンは、大きく頷きました。


「そうです。舗装された道路や歩道は、一見平坦に見えますが、良く見ると、傾斜がついているのです。これは、雨水などが溜まらないように排水するためです。少し左に行くつもりで、進めば、真っ直ぐ前に進めるでしょう。それから——」


 ヨネリンは続いて、しゃがみ込むと、地面を触りました。希空は、しゃがめないので、立ったまま見下ろします。


「地面は整地されていますが、それでも微妙に凹凸があるのです。お店の床のようにツルツルではありません。それが、振動となって、視界を揺らしていたのでしょう。それに関しては、屋内用の体なので、カメラの補正機能は搭載されていませんから、申し訳ないですけど、今日は我慢して下さい」


 希空には、所々、ヨネリンの言った言葉が、理解できなかったようですが、それでも「今はどうしようもない」ということだけは分かり、素直に返事をしました。


「わかりました!」


 そして、希空は、ヨネリンのアドバイス通り、少し左へ進むつもりで、前進していきます。すると、きちんと真っ直ぐに進むことができました。視界の揺れは、治まりませんが、次第に慣れていけそうな気がしました。



 屋外で真っ直ぐ進む術を知った希空は、徐々に体を慣らして、駐車場から遊歩道へと向かいます。


 石畳になっている遊歩道は、駐車場のアスファルトよりも少しガタガタしました。正直、進みにくいですが、そんなことは、目の前の光景を目の当たりにした希空は、もう気にならなくなりました。


 イチョウの葉が落ちてできた足元の黄色い絨毯は、黄金に輝いているようで、まるで天界を歩く天女になった気持ちになります。


 また、視線を上げれば、イチョウ並木が数十メートル先まで続いており、鮮やかな枝葉の隙間から覗く、秋晴れの澄んだ空は、宇宙へと誘ってくれる気がしました。


「綺麗……」


 希空は、身近ではありますが、美しい自然を目にして、心が震えました。



 もし、これが本当の自分のカラダだったら……。


 一瞬、そんな思いを抱いてしまいそうになり、希空は慌てて視線を下げました。



 最高の気分になっていたはずなのに、不意に思い浮かんだ言葉のせいで、希空の胸はざわついています。


 本当の、生身の希空は、今、自宅のベッドで横たわっています。


 顔の前には、ロボットから送られてくる映像を、鮮明に映してくれるモニターとリアルな音を響かせてくれるスピーカーがあります。また、口元にはマイクがあり、本当はか細い彼女の声を拾い、ロボットへと伝えてくれます。


 これらは、全てヨネリンが用意してくれました。だから、希空は、ヨネリンに大変感謝しています。


 しかし、綺麗なイチョウも、美味しい空気も、実際には希空の目の前にはありません。


 どれだけモニターの映像が綺麗でも、どれだけ音響が優れていても、結局は、実際に触れる事は出来ないのです。



 希空にだって分かっています。


 そんな事は考えてはいけないことくらい。


 自分の意思のままに動く事ができる。今は、それだけで十分なのです。



 たとえそれが、生身の体ではなく、自分の分身だとしても……。

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