5)これが、外の世界……①
チューリップを植えて、しばらく経ち、お店の前のイチョウの木はすっかり黄色が鮮やかになりました。
ここからは見えませんが、石川県には、白山という山があります。今頃は、紅葉が見頃になっている事でしょう。
希空は、赤色や黄色に染まった山々を想像して、楽しみます。
「あーあ。紅葉。見に行きたいなー」
開店準備をしている時、思わず本音が漏れてしまいました。すると、それを聞いたレン君が鋭い声を飛ばします。
「あぁん? 何、寝ぼけた事言ってんだよ!」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
希空は思わず謝りました。
希空にだって、分かっています。自分は紅葉なんか見に行ける状態ではない事くらい。しかし、テーブル拭きを終えた楓ちゃんが意外な事を言いました。
「ライシュウ イケル。バス エンソク デショ」
驚いた希空は思わず聞き返します。
「え? そうなの?」
すると、レン君はなぜか怒りながら、希空に近づいてきました。
「ヨネリンが、月曜日の朝礼の時、言ってただろーが! ちゃんと話聞いてたのかよ!」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
希空はまた謝りました。
そんな希空を楓ちゃんが優しくフォローします。
「ノア。アノトキ チョウド、オカアサン ニ ヨバレテタ。ダカラ、ハナシ キケナカッタンダヨ」
希空は楓ちゃんの言葉を聞いて、月曜日の朝礼の時、お母さんに呼ばれた事を思い出しました。希空は、朝食後の薬を飲み忘れており、一時的にお店との接続を切っていたのです。
「ああ、あのときか……」
すると、さっきまで怒っていたレン君は、希空がお母さんに呼ばれていたことを思い出し、表情は作れませんが、ばつが悪そうな挙動になりました。
「えっ、あ、そうだったっけ? ま、まあ、それなら仕方ねぇなわな」
「レンクン……」
楓ちゃんは、レン君の名前を呼び、それ以上は言いませんでしたが、抑揚がないながらも、彼にお詫びを言う様に促しているようでした。それを察したレン君は、少し考えましたが、すぐに観念して、自分の非を認めます。
「ちぇっ、なんだよ……えーっと、希空。あのさ……その……い、いきなり怒って……悪かったな」
レン君の顔は相変わらず真っ白ですが、希空には少し赤くなっているように見えました。
「ううん。いいの。気にしないで」
「お、おう」
希空は少しほっこりした気分になると、話題をバス遠足へと戻します。
「それで、バス遠足ってどこ行くの? まさか、白山?」
しかし、先程謝ったばかりのレン君でしたが、希空のその言葉に再びきつく当たりました。
「バーカ! んなわけあるかよ。どんだけ遠いと思ってんだよ」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
希空はまたまた謝りました。
レン君の言う通り、お店から紅葉が見れる白山の山道までは、車で1時間以上かかります。健常な心身状態であれば、それほど辛くはないと思いますが、生き難さを抱えている希空達にとっては、少々、過酷です。
「あのな、太陽が丘だよ! あそこもなかなか見応えあるぞ」
太陽が丘とは、金沢市内の小高い山の上にある町です。比較的新しいお宅が建ち並んでいて、結婚式場や自然豊かな公園などがあり、静かでとても綺麗なところです。車なら、お店から15分程度で着くでしょう。
「へぇー、そうなんだ。行った事ないなぁ……」
希空は、同じ金沢でも港に近いところで生まれ育ったため、山側の太陽が丘は行った事がありませんでした。
当時、まだ中学生だった希空にとって、駅を越え、街を抜けたところにある山側は、とても遠いところに感じていました。
もし、事故に遭わず、障害を負わなかったら……
不意にそんな事を考えてしまいます。
しかし、そんな考えを楓ちゃんの言葉が吹き飛ばしてくれました。
「ワタシ モ イッタコトナイ。タノシミ ダネ!」
「うん!」
希空は元気よく返事をしました。しかし、もう一つ疑問が浮かんでいました。
「でもさ、どうやってバス遠足に行くの?」
希空だけでなく、ここで働くスタッフたちは、皆、自宅か施設などから自分の分身を操作して、仕事にあたっています。そのため、お互いの顔も知らないし、どこに住んでいるのかも知りません。
もしかしたら、金沢市外かもしれませんし、県外である事も考えられます。それに、人によっては人工呼吸器が必要な方もいるかもしれません。
そんなバラバラなスタッフ達を一人ひとり迎えに行っていては、時間がかかり過ぎてしまいます。それこそ、白山へ行くよりも遠いでしょう。
そんな希空の疑問には、レン君がきつい口調ではありますが、教えてくれました。
「ったく、ホント、なんも知らねぇんだな。このまま行くんだよ」
「このまま?」
希空は首を傾げました。実際には動かないけれど……。
「ああ。そうだよ。ロボットのままバスに乗っていくんだとさ」
「え、そうなの!なんかスゴくない!?」
希空は驚きました。
ロボットのまま、お店の外に出るなんて、初めてでしたし、考えた事もなかったからです。
「ヨネリン ガ ウンテン シテクレル ラシイ ヨ」
希空には、どうやってバスに乗るのか、想像もできませんでしたが、とにかく初めての外出に、楓ちゃんの言葉が聞こえないくらい胸を躍らせていました。
それからバス遠足の日まで、希空は毎日ワクワクしながら過ごしました。
開店前の掃除のときも、注文を取りに行くときも、仕事が終わって、お母さんに食事を食べさせてもらっている時も、ずっとバス遠足のことで頭が一杯でした。
そのせいか、時々、仕事で失敗をしてしまうこともありましたが、彼女は全くめげませんでした。
そして、ついに日曜日。
待ちに待ったバス遠足の日です。
天気は快晴。希空はお店の大きなガラス窓から青く澄み渡る秋の空を見上げていました。少し風があるようで、イチョウの葉が舞っている様子が見えます。きっと肌寒いでしょう。
だけど、希空にはそんな事は関係ありません。
暑かろうが、寒かろうが、飛躍的に通信速度が向上した現代でも「熱」は伝わってきません。だから、希空は寒くはありませんでした。むしろ、胸が高鳴り、暑く感じるくらいでした。
そんな希空に、楓ちゃんが声をかけます。
「タノシミ ダネ」
春に入職したばかりの楓ちゃんも、バス遠足は初めてで、ワクワクしている様子でした。作業所では、時折、このようなレクリエーション活動が開催されるのです。
今度は、楓ちゃんの後ろからレン君も顔を覗かせました。
「なんだよ。子供みたいにはしゃぎやがって」
ツーンとした様子のレン君ですが、彼も初めての外出が楽しみなのでしょう。先程からホールをぐるぐる回ったり、無為に厨房やスタッフルームへ行ってみたりと、落ち着かない様子です。
「僕は、何度か行っているけど、何度行っても楽しいよ」
まっさんはさすがベテランです。落ち着いた様子で、そわそわしている3人を温かい目で見守っています。
すると、希空は店内を見渡して、ある事に気付きました。
「あれ? エルフさんは?」
お店のどこにもエルフの姿は、ありませんでした。すると、まっさんはいつものまあるい声ではなく、少しだけ重々しい声で教えてくれました。
「彼女はレク(レクリエーション活動の略)には、参加しないんだよ」
「え、そうなんですか?」
希空には、なぜエルフがレクリエーション活動に参加しないのか、わかりませんでしたが、皆、バラバラだからこそ、人には言えない事情があるのだろうと、考えました。
午前11時になりました。
いつもならば、店長ヨネリンがお店の前に看板を立て、仕事が始まる時間です。しかし、今日は日曜日。お店は休みです。
そして、お店の前には、看板の代わりに、一台の車が止まりました。それは、バスというよりは、商用バンみたいな四角い形をした車でした。
バンから1人の男性が降りてきます。チョビ髭に丸っこい体形。店長のヨネリンでした。
「皆、お待たせー!」