12)猫目の女の子②
楓ちゃんが家のなかに逃げ込もうとした時、勢いのある声に呼び止められました。
「コンチニャーッス!宅配便です!」
猫のマークの宅配業者の人でした。
普段であれば、インターフォンが鳴っても絶対に対応しない楓ちゃんですが、直接声をかけられ、目まで合ってしまった今は、逃げようがありませんでした。
楓ちゃんは、小さくコクリと頷くと、荷物を受け取りました。
「あ、それと、ココ。ハンコか、サイン、お願いしにゃーっす!!」
猫のように喋る宅配業者の人は、伝票を楓ちゃんに差し出しました。
楓ちゃんは、ペンを受け取る事を躊躇し、不意に下駄箱の上を見ました。すると、偶然、ハンコがそこに置いたままになっていたのです。
楓ちゃんは、そのハンコを自分では取らず、宅配業者の人に指差しで教えました。
「んにゃ? 自分が押してもいいッスか? 了解ッス!!」
配達業者の人は、首を傾げつつも、楓ちゃんの意図を読み取り、自分でハンコを押すと、満足した様子で、すぐに帰っていきました。
「にゃっ、あざーッス!」
バタン、と扉が閉まると、楓ちゃんは慌てて、鍵をかけます。
そして、足腰の力が抜け、へなへなとあひる座りになりました。そのまま、大きなため息を吐き、緊張と恐怖を吐き出すと、彼女は俯いて、まだ震えている両手を見ました。
人と喋ってしまった……。
実際には、楓ちゃんは一言も発していないので、会話にはなっていませんが、家族以外の人の声を聞くのは、とても久しぶりでした。
仕事のときは、お店の皆やお客さんの声を聞くことはありますが、それはスピーカー越しなので、現実味がありません。
どこか、別世界の住民たちと話をしているような感覚です。
しかし、今ほど来た配達業者の人の声は、とてもリアルでした。
声が空気を振動させ、言葉となって耳に届く。
いいえ、耳だけではありません。男の人の低い声は、お腹にまで響くような感覚がしました。
でも、なぜでしょう。
楓ちゃんは、それほど恐怖を感じませんでした。
全然怖くなかったといえば、嘘になりますが、思っていたような痛みも恐怖も感じなかったのです。
きっと、あの人が猫みたいに喋っていたせいでしょう。
楓ちゃんは、猫のように喋る配達業者の人の言葉を思い出し、クスッと小さく笑いました。
そして、顔を上げます。
楓ちゃんの前には、受け取った荷物がありました。
両手で抱える程の大きさのダンボールで、見た目とは裏腹にとても軽いです。重さだけで言えば、片手で持ち上げられるほどでした。
宛先は、「楓ちゃん」となっていました。
しかし、彼女には、最近ネットで何かを買った記憶はありません。自分が忘れているだけなのだろうか、と思いましたが、どうやらそうでもなさそうでした。
差出人は、「もう一度行きたく喫茶店の仲間」となっていたのです。
楓ちゃんはそのダンボールを大事に抱え、リビングへ向かいました。そして、リビングの隅っこではなく、真ん中にダンボールを下ろします。
それから、カッターナイフで丁寧に開いていくと、そっと蓋を開けて中を覗きました。
ダンボールの中には、1通の手紙と折り紙で作った千羽鶴が入っていました。
楓ちゃんは、まず千羽鶴を慎重にダンボールから取り出します。
様々な色の折り紙で出来た千羽鶴は、20羽程しか連なっておらず、どう見ても千羽ではありませんでした。
折り目もバラバラで、正直言って不細工です。
楓ちゃんは、その千羽鶴もどきを手に持ったまま、次に手紙を取り出しました。そして、真っ白な紙に綴られている言葉たちに目を通します。
——楓ちゃんへ。
君がいるだけで、お店は穏やかな雰囲気になります。 まっさんより
あなたの言葉は、とても綺麗で、とても優しいです。 エルフより
お前がいたから、俺は仕事を続けられた。 レン君より
いろんなことを教えてくれて、ありがとう! 希空より
どうでしょうか。仲間は出来ましたか? ヨネリンより
手紙の上に、一滴の雫が落ちました。
そのせいで、文字が滲みます。
皆からの手紙は、短い文が添えられているだけで、文字も大変歪んでいました。
だけど、胸がじんわりと温かくなります。
お店の皆は、それぞれ違う「生き難さ」を抱えています。それは、「身体的」であったり、「精神的」であったり様々です。
楓ちゃんには、身体的な不都合はありません。そのため、ロボットは、ゲームのコントローラーのようなもので、操作しています。それでも、ロボットで字を書くという事は、とても難しい事です。
皆の中には、身体の動かせる箇所が限られる人もいるでしょう。
もしかしたら、顎でロボットを操作しているかもしれませんし、目線だけでロボットを操作しているかもしれません。きっと、ロボットを動かす事でも精一杯の人だっているでしょう。
それなのに、自分なんかのために、手紙を書いてくれた……。
たった一文、たった一文字書くのに、多くの時間を要したことでしょう。
そして、楓ちゃんは、千羽鶴も改めて見詰めます。
たった20羽しかいない千羽鶴。
酷く歪んだ鶴もいます。
潰れかけの鶴だっています。
ですが、これも1羽折るのに——
いいえ、一折するためだけに、一体どれくらいの時間を要したのでしょうか。
そんな苦労を惜しまず、自分なんかのために折ってくれた……。
楓ちゃんは、皆の優しい想いを抱きしめるように、折り鶴と手紙をそっと抱えました。
とても軽く、無機質な紙のはずなのに、程よい重さと、体温のようなぬくもりを感じます。
それらが、あなたは独りではない、と教えてくれているような気がしました。
そして、楓ちゃんは、「仲間」が待っているあの店に、あの喫茶店に、もう一度行きたいと思いました。
私はいきたい——。
そんな思いで、自室へ上がり、再びパソコンの前に座ります。
電源を入れると、機械音が鳴り、電子音がお店へ送り出してくれます。
楓ちゃんは、人間である事を嬉しく思い、もう一度お店へ行く決意をしました。
12月の初め。
朝礼の時、店長のヨネリンから楓ちゃんが正式に退職したと、お話がありました。ヨネリン宛てにメールが届いたそうです。
——大切な仲間たちへ。手紙と千羽鶴、ありがとう。
希空はその知らせを聞いて、少しだけ落ち込みました。しかし、手紙も千羽鶴もちゃんと彼女のもとに届いたようで、それがせめてもの救いでした。
朝礼後、希空はレン君と共に開店準備のため、掃除をします。
希空がテーブル拭きで、レン君が床掃除。以前は、楓ちゃんもいたので、掃除はあっという間に終わりましたが、2人だけになると、少し時間がかかってきます。
しかし、こんなことでは楓ちゃんが心配してしまう、と希空は思い、なるべく仕事が早く出来るように頑張りました。
そのおかげか、11時の開店に少し余裕をもって終えられるようになってきました。
11時なると、店長のヨネリンが、お店の前に看板を出します。
開店と同時にお店にやってくるのは、たいていゲストハウスを営むアメリカ人のニックです。
「Hey!」
ニックは楓ちゃんのファンでした。しかし、楓ちゃんがお店に来なくなってからも、お店に通ってくれています。
「いらっしゃいませー」
希空が対応すると、ニックは少し困った顔をします。
「OH。今日も、楓ちゃんは、いないのかーい?」
「そうなんです……。楓ちゃんは、お店を辞めてしまったんです」
希空が申し訳なさそうに言うと、ニックは少しの間、口を閉ざしました。
きっと、ショックで、返す言葉もないのだろうと、希空は思いました。
しかし、ニックは予想に反して、明るい表情で口を開きます。
「そうですか。残念ですが、仕方ありません。彼女は、次のステージへ進んだという事なのでしょう。それは、喜ぶ出来事で、応援すべきことでーす!」
希空は、アメリカ人のニックの言葉が、とてもポジティブな感じがして気に入りました。
確かに楓ちゃんは、お店を辞めてしまいました。きっと、あのときの怖い体験のせいでしょう。
しかし、楓ちゃんは、メールの最後に「ありがとう」と残しました。それの意味するところは、想像でしかないですが、「次に進む勇気をくれて、ありがとう」という解釈だってできます。少々、無理やりでしょうか。
それでも、楓ちゃんは、きっと次のやりたい事や行きたい所へ向かっているのだと、希空は思う事にしました。
ニックが席に着き、希空がコーヒーを運んでくると、次のお客さんがやってきました。
カランコロン——。
お店のドアを控えめに開けて、やってきたお客さんは、長い髪を一つまとめにした、猫目の女の子でした。
「いらっしゃいっ!」
レン君が元気よく対応します。
女の子は、恥ずかしそうにペコリと会釈をすると、慣れた手つきでタブレットを操作し始めました。そして、2人掛けの席を選び、レン君に案内される間もなく、自分で選んだ席へと向かいます。
それから、女の子は、これまた慣れた様子で紅茶を注文します。
紅茶を待っている間、女の子はソワソワ、モゾモゾ……時々、顔を上げてチラリ。
どうやら落ち着かないようです。きっと、初めてお店に来たのでしょう。
ですが、タブレットを操作する手つきは、慣れた様子でしたし、席の位置もよく分かっている様子でした。希空は、首を傾げられないけれど、不思議に思いました。
そうしている間に、レン君が紅茶を運んできました。女の子は、ペコペコと頭を下げながら、レン君に「どうぞ、取って下さい」と言われる前に、自分で紅茶を取り上げます。やはり、このお店に詳しいようです。
しかし、女の子は、猫舌らしく、熱い紅茶に苦戦しました。
どうにか紅茶を飲み干した女の子は、いつまでもペラペラと喋っているニックよりも先に席を立ち、素早く会計を済ませます。そして、また控えめにお店のドアを開けました。
『ありがとうございました』
声を合わせたレン君と希空が、彼女の背中を見送ります。すると、女の子はいったん立ち止まり、振り返りました。
そして、俯き加減ですが、小さく唇を動かして、言葉を返します。
「……みんな、ありがとう」
とても小さな声でしたが、まるで子猫が喉を鳴らすような、とても可愛い声でした。
なぜでしょうか。
希空は、不思議と初めて会った気がしませんでした。