1)もう一度行きたくなる喫茶店の新人店員
少しだけ未来のお話です。
主人公は、希空という名の普通の女の子。
19歳になったばかりの彼女は、生まれて初めて「仕事」をすることになりました。しかし……。
「お母さん!何で起こしてなかったのよー!!」
希空は朝から大慌て。
それもそのはず、今日が初出社の日でありながら、寝坊をしてしまったのです。
「もう、初日から遅刻とか、ホントあり得ないんだけど!ねえー、お母さん、早く電源入れてよ!」
「はいはい。全く、希空のせっかちなところは、誰に似たのかしら」
部屋に入ってきたお母さんは、そう言って、希空のベッドに歩み寄ると、パソコンの電源を入れました。しかし、希空はまだ怒っています。
「ねえ、お母さん、それ違う!青いボタンの方だってば!昨日、言ったじゃん!」
「あら、ごめんなさい。こっちね。もう、最近の機械はボタンが多くてよく分からないわ」
お母さんは、希空に言われる通り、青色のボタンを押しました。
すると、ウィーンという機械音が鳴り、続いて、ピ、ピピ……という電子音が鳴って、真っ暗だったパソコンの画面が、ぼんやりと明るくなりました。
希空はそれを確認すると、ようやく仕事へ出掛けます。
「それじゃあ、行ってくるから。たぶん、お昼の2時くらいに終わると思うよ」
「はーい。分かったわ。じゃあ、お仕事、頑張ってね」
「うん!行ってきます」
「行ってらっしゃい」
希空の仕事は、喫茶店の店員です。
お客さんを出迎え、注文を取って、厨房へと伝えます。そして、出来上がった料理や飲み物をお客さんへと運びます。これの繰り返しです。
お店は、「もう一度行きたくなる喫茶店」という少し変わった名前をしています。
お店があるのは、北陸の金沢という町で、観光名所である兼六園から少し西南へ行って、犀川という川の近くにあります。
お店の佇まいは、比較的新しい建物という事もあり、モダンな感じで、オシャレです。
おや? なんとか、出社時間ギリギリに希空は間に合ったようですね。
「おはようございまーす!」
希空は、朝礼をしていたスタッフルームに元気な声を響かせました。でも、音量は自動的に調整されるので、それほど大きな声は出ません。
「ああ、おはよう。君が、今日から働く……希空さんだね」
チョビ髭を生やした小太りの優しそうなおじさんが、始めに希空に挨拶を返しました。チョビ髭のおじさんは、この店の店長です。
「私が店長のヨネリンです」
店長のヨネリンは、ペコリと頭を下げました。
「あ、えっと、私は、の、希空です。よろしくお願いします!」
この店では、名字でお互いの事は呼び合いません。下の名前か、愛敬を込めてニックネームで呼び合います。
スタッフは店長の他に、厨房担当のまっさんとエルフの二人に、ホール担当のレン君と楓ちゃんがいます。
まっさんは、この店ができた時からいるベテランです。年齢はよくわかりませんが、たぶん年長者です。
エルフは、落ち着いた感じのお姉さんです。まっさんの次にベテランです。
レン君と楓ちゃんは、今年の春に入ったばかりで、まだ半年程しか経っていませんが、二人とも仕事熱心で、一生懸命働いています。
午前10時になりました。
朝礼を終えたスタッフたちは、それぞれの仕事場へ行き、開店準備を始めます。
でも、新人の希空はスタッフルームに残って、店長のヨネリンから仕事の説明を受けます。
「えっと……、お店は11時にオープンで、閉店は14時です。短いけど、お昼時だし、忙しいですよ。それに、長く仕事をすると疲れちゃうじゃない? 何事もほどほどがちょうどいいのです」
店長ヨネリンがニッコリと笑いました。希空も気持ちは、ニッコリと笑いました。
「それから、希空さんには、ホールを担当してもらいます。先輩にレン君と楓ちゃんがいますから、詳しい内容は二人に聞いてください」
店長ヨネリンは、そういうと、スタッフルームを出て、厨房を抜け、希空をホールへと案内しました。
ホールには、二人掛けのテーブル席が4つ。四人掛けのテーブル席は2つあるだけです。そのため、店内はそれほど広くはありません。ただ、通路の幅は広くとられています。スタッフ同士がぶつからないようにするためです。
「おーい、レン君。楓ちゃん」
店長が二人を呼びます。二人は、作業の手を止め、すぐに床を滑って、近づいてきました。
「何っスか?」
レン君が先に聞き返します。少し遅れて、楓ちゃんも声を出します。
「ナンデショウカ?」
楓ちゃんは、カタコトです。だけど、彼女は生粋の日本人です。
「今日から、希空さんもホールを担当してもらいます。彼女に仕事を教えてあげて下さい。頼みましたよ」
「了解っス」
「ワカリマシタ」
やはりレン君が先に返事をして、遅れて楓ちゃんが返事をします。
「……ということです。私は、厨房へ行きますので、何かあれば、二人に聞いて下さい」
店長ヨネリンは、希空にそう言い残し、厨房へと引っ込んでいきました。
残された希空は、改めて、自己紹介をします。
「えっと、あの……希空です。19歳です。今日からよろしくお願いします!」
希空は気持ち的に、深々とお辞儀をしました。
しかし、レン君は少し不愛想に返事をします。
「ウッス。よろしく。つーか、年齢とか言わなくて、いいから」
「あ、そ、そうですよね。すいません」
この店では、年齢は関係ありません。もちろん、性別も。
働く意思があれば、誰だって採用してくれます。ただし、どんなに熱意があっても、土日と祝日はお休みです。残業も認められません。この店では、休む事も重要なのです。
「ヨロシクネー。ワタシ ハ、カエデチャン」
楓ちゃんが遅れて返事をしてくれました。
「うん、よろしく。楓ちゃん」
希空は楓ちゃんとは、仲良くなれそうな気がしました。
しかし、ほっとしたのも束の間、開店時間は迫ってきています。レン君が希空に仕事を教え始めます。
「まずは、掃除。これ、マジで大事だから、しっかりな」
「は、はい!」
希空は緊張しながら、レン君からモップを受けとしました。
「ホールの全体の床を拭くんだけど、テーブルとイスには気をつけろ。倒すと傷つくから。それに起こすの面倒だし」
レン君の言う、傷がつくとは、テーブルやイスではなく、床……でもなく、希空のカラダの事を言っています。
「は、はい!」
希空は少し湿ったモップをゆっくりと床に滑らせていきます。
生まれて初めてするモップがけは、とても新鮮です。ただ、力加減がやや難しいようで、レン君が注意します。
「希空。力、弱い。もっと押し当てねぇと、綺麗になんねぇぞ」
「は、はい!」
希空はレン君の言う通り、力を調整し、少し強くします。
「良い感じだ。そのままだぞ」
「は、はい!」
モップ掛けが終わると、次はテーブル拭きです。
「スプレー ヲ シテ、フキン デ フク。オッケ?」
「うん。おっけー」
テーブル拭きは楓ちゃんが教えてくれます。
カタコトだけど、楓ちゃんの口調は優しくて、希空はあまり緊張しません。それでも、生まれて初めて行うテーブル拭きはとても新鮮でした。
「ハンタイ ノ テ ハ、テーブル オサエル。ソウスルト、ヤリヤスイ ヨ」
「うん、おっけー」
希空は楓ちゃんの指示通り、左手でテーブルを抑えて、右手で布巾をかけます。二人掛けのテーブルはあっという間に終わり、四人掛けのテーブルも少し時間をかければできました。
「イイネ。ソノ チョウス」
「……チョウス?」
「ウチマチガエ。ゴメン、ゴメン」
時々、楓ちゃんは言い間違えることがあるようです。だけど、そんなおっちょこちょいな所は、好感が持てます。希空は可愛いとすら思っていました。
掃除が終わると、いよいよお店は開店です。
11時になると、店長ヨネリンが、お店の前に看板を立てます。
希空は少しドキドキしてきました。
私に接客なんてできるのかな、失敗しちゃったらどうしよう……。
そんな希空に楓ちゃんが声をかけてくれました。
「ダイジョウブ。ハジメ ハ、ダレデモ キンチョウ スル ヨ」
「うん。ありがとう」
続けて、レン君も声をかけます。
「あのさ、こっちまで緊張するから、もっと楽にしろよ」
「は、はい。すいません」
レン君は少し不器用なようです。本当はもっと優しい言葉をかけたかったみたいですが、ついきつい口調になってしまいました。
だけど、楓ちゃんの冷ややかな視線を感じたレン君は、少しもじもじとした様子で言葉を続けました。
「えっと……あれだ。そのー……何かあれば、フォローするし、心配すんなよ」
まだ少し言い方はきつかったですが、レン君の優しさは、希空に伝わりました。希空は、安心した声で、お礼を言います。
「はい。ありがとうございます。レン君」
「ま、まあ……俺は先輩だしな。後輩を助けるのは、当たり前つーか、とにかく、そう言う事だ」
レン君はお礼を言われることに、慣れていないようです。恥ずかしそうに、向きを変えると、希空から離れていきました。
それを見て、楓ちゃんが少し笑います。
「フフ。レンクン ハ、ヤサシイコ ナノ」
希空にも彼が優しい人だという事は、なんとなくわかりました。
カランコロン——。
お店のドアが開きました。
さあ、いよいよ希空の初仕事が始まります。
まずは元気よくお客さんを出迎えます。
「いらっしゃいませー」
少し声が裏返ったけど、元気よく言えました。続いて、レン君の声も店内に響きます。
「いらっしゃい!」
遅れて、楓ちゃん。
「イラッシャイマセ~」
二人はやはり先輩という事だけあって、落ち着いています。
お客さんのお出迎えができたら、次は、テーブルへご案内します。まず、レン君が手本を見せてくれました。
「この画面に人数を入力して下さい」
レン君は手に持っていたタブレットをお客さんに渡します。
このお店では、お客さんがタブレットを操作して、席を選んだり、注文したりします。
初めてのお客さんは、女性の二人組。どうやら観光客のようです。
「ここに入力すればいいのね?」
「ていうか、なんかすごいねー」
お客さんはお店を見渡し、感心しています。
店内の白い壁や天井は清潔感があります。柱や梁、床の木目も温かな印象です。また、間接照明は柔らかな気分にさせてくれます。
しかし、お客さんが感心しているのは、お店の雰囲気だけではありません。
レン君を見て感心しているのです。もっと言えば、出迎えてくれた楓ちゃんや希空も見て、少し驚いています。
レン君は、男の子ですが、お客さんよりも背は低いです。140センチくらいです。
彼に脚はありません。代わりに底には小さな3つの車輪がついています。
全身は真っ白で、関節部は、黒く塗装されています。左胸には赤いハートが描かれ、右胸には「レン君」という名札がついています。
彼の顔に口はありません。代わりに大きな目があって、その周囲は淡く青色に光っています。無機質ではありますが、なんとも愛嬌のある表情です。
そう。彼はロボットなのです。
いいえ、ロボットなのは、レン君だけではありません。
厨房担当のまっさんも、エルフも、接客をする楓ちゃんも、新人の希空だって、ロボットなのです。この店のスタッフで唯一の生身の人間なのは、店長のヨネリンだけです。他は皆ロボットです。
だけど、AI(人工知能)では、ありません。
彼らは感情を持った人間です。各々が、自宅や施設でロボットを遠隔操作して仕事をします。
彼らは、それぞれ「生き難さ」を抱えているのです。
それは身体的な要素であったり、精神的な悩みだったりします。それは皆、バラバラです。それが「個性」というものなのか、「障害」というものなのか、彼ら自身にも分かりません。
ただ、バラバラな彼らにもひとつだけ、共通点はあります。
それは働きたい、という意思。
人の役に立てる、という希望。
喜びを感じたい、という人間味。
無機質なロボットですが、どこかぬくもりがあります。それは、彼らに心が宿っているからです。
そんな人たちが集まってできたのが、この「もう一度行きたくなる喫茶店」という店なのです。
もう一度いきたくなる——。
それはお客さんにとっても、働くスタッフにとっても言える事なのです。
新しく連載を始めました。
これは未来の話だけではなく、現代においてもロボットが働いていたり、ロボットで働いていたりすることはあると思います。
これから技術がどんどん進歩し、働きたい人が働ける。
そんな世の中になればいいな、と思います。