レーテーの源
―数十年前、スペンサータワー長官室
「やはり、君に任せて正解だったか…浅羽君。」
「ありがとうございます。」
浅羽は長官のギルバードに頭を下げ、礼を言う。
「さて…君には新しい案件を任せたいのだが。確認したいことがある。」
浅羽の表情が曇る。
「実験体はすべて処分…したということでいいんだよな?」
「…ええ、勿論です。」
彼は悟られないように平静を装い、そう答える。ギルバードは少し間をおいて返答する。
「…そうか。なら、安心した。酷なことだとは思うが、実験体は実験体。処分してやることが情けでもある。」
「そう…ですね。」
そう返す浅羽に彼は書類の入った封筒を渡す。
「次の案件だ。戻ったら目を通しておけ。」
「承知しました。」
彼はその封筒を受け取り、一礼して部屋を後にする。彼が出た後、ギルバードは肩で笑う。
「その選択がどう転ぶのか。フィリア君の二の舞にならないことを祈っているよ、浅羽君。」
―アサバ管轄第1リブリ研究所、F-8区画専用実験室
複数の培養カプセル機が並ぶ実験室に浅羽はいた。カプセル内には乳幼児ほどの大きさのテラトマ体を思わせる肉塊が格納されている。
彼はその内の1基の前に立っていた。そのカプセル内には完全な人の形をした一人の少女が眠っている。
「…。」
浅羽は機器の生命維持装置の停止ボタンに指をかけていた。
「そうだ…所詮は実験体。必要なくなれば処分する…どんな危険性を持っているのか分からない以上、当たり前のこと…。」
彼は何度もそう自分に言い聞かせてはいたのだが、結局、ボタンを押すことはできなかった。
「他とは違い…この子は人として生まれた。…だったら、人として生きる権利は…あるはずだ。」
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―光が見える。熱を…鼓動を感じる。
…あぁ…忌々しい、この感覚。
私はまた、生まれるのか?
いつまで、繰り返す?
私はもう…眠りたい。
「…あなた…いつまでそうしているつもりなの?」
「辛いのは…分かるわ。私だって、そうよ。」
「でも、もう…あの子は…彩萌は帰ってこないのよ。」
テーブルにはリングと手紙が置かれていた。探しに行く気力も起きなかった。
『パパ…。』
眠るといつも夢に彩萌が現れる。あの子の笑顔、膨れ顔、泣き顔…そして…。
あぁ…全てを忘れたい。でも、忘れるわけにはいかない。
あれから、半年ぶりに研究所に戻った。この辛さを紛らわせるため、仕事に明け暮れる私に浅羽さんから1つの仕事を頼まれた。色々と耳を疑う内容だったが、あの人に悪気は全くなく、ただ、私のことを気遣ってのことだとは分かっていた。
私は浅羽さんが研究で作成したという、一人の少女、アンバーアイズの世話役になった。
―アサバ管轄第1リブリ研究所、F-7区画、アンバーアイズの部屋
深山は部屋でアンバーアイズに算数を教えていた。この部屋は元は細菌やウイルスを扱う隔離実験室であったが、彼女を隠す部屋として浅羽が諸々手を加えた。強化樹脂ガラスの窓で隔たれた監視室から2人の女性研究員が彼らの様子を観察している。彼女らも浅羽の協力者であり、アンバーアイズの世話を任されている。
「こういったら悪いけど、親子みたいね。」
「…もう…深山主任の前では禁句だからね?」
「分かってるって。」
深山は半年前に娘の彩萌を交通事故で失った。娘を失った悲しみに溺れすぎた彼は妻から愛想を尽かされ、正式に離婚はしていないが別居状態となっている。それのせいもあって、彼の前で家族話をするのを皆は控えていたのだが。
「でも…よく、浅羽さんは頼めたよね?あの時はマジで、地雷が爆発するのを見そうになったわ。」
「そ、そうだね…。でも、結果的にさ?」
「結果論だけど、普通はね?」
以前は暗い顔だった深山だが、その表情は少し明るくなっていた。
「すごいな、アイ!満点だ!」
深山は微笑みながらそう言う。アンバーアイズとは浅羽が彼女の琥珀のような黄色の目から付けた、かなり安直な名前であり、その無機質な名に不満に思った深山はアイと彼女を呼ぶことにした。浅羽が付けた名と違って、愛らしい呼称は皆に受け入れられ、気付けば浅羽自身もそう呼んでいた。
「当然。」
気だるそうな表情で、彼女はそう言う。
「ハハハ…私が同じ年くらいだったら、解けてないだろうな。」
「総悟…頭悪かった?」
「まったく、手厳しいなアイは。それじゃあ、これはどうかな?」
慣れた調子で彼は次の問題を解かせようとする。
(彩萌にもこうやって教えていたっけな…。)
彼女の姿が彩萌に重なる。
『パパ!全問正解だよ!頭なでなでしてくれるよね!』
「解いたよ。」
彼は答え合わせをする。
「おお!またしても全問正解だ!」
彼は無意識にアイの頭を優しく撫でていた。
「総悟…?」
彼女はきょとんとした顔をしていた。自分の行為に気づいた彼はすぐにその手をどける。
「す、すまない…。」
「?」
(アイの姿に、娘が重なる…。)
苦しそうな表情をする彼を彼女はじっと見つめる。
「総悟?どうしたの?」
「いや…何でもない。……何でもないんだ。」
そういう彼の表情は悲しげだった。
「嘘。」
「え?」
アイはまっすぐと深山の目を見ていた。
「総悟、苦しそう。どうしたの?」
そう聞く彼女に彼は苦笑いする。誤魔化そうと思ったが、彼女の瞳を見るに通用しそうにないことは分かっていた。その深山の様子を見ていた監視室の2人は、何かを察して部屋を出ていく。
「……こういう話をするのは何だが…私には娘がいてね。彩萌と言って、生きていればアイと同い年くらいだったな。」
笑顔を取り繕ってはいるが、その表情は悲しげだった。
「死んだの?」
悪意のない、ただの興味本位の彼女の質問は彼の胸に刺さる。
「…ああ。」
「そう。」
しばし、沈黙が続いた後、彼は重たい口を開いた。
「君にあの子の姿を重ねてしまっていた。…今でもふとしたことであの子のことを思い出す。…その度に、胸の内が苦しくなってしまうんだ。」
アイは少し考えて返す。
「なら…忘れてしまえばいい。そうすれば、総悟は苦しまない。」
「…そうだな。でも…忘れることはできない…いや、忘れてはいけないんだ。」
「?どうして?」
不思議そうにそう返す彼女に、彼は微笑む。
「それは…。」
彼が話そうとしたとき、呼び出しがかかる。
『深山主任。第2ユニットのジョンソン主任がお待ちです。』
それを聞いた彼は話を切り上げて、立ち上がる。
「すまない。呼び出しだ。」
「…じゃあね。」
何時ものようにそっけない返事を返す彼女に、笑顔を返して部屋を後にする。
―所長室
『…アンバーアイズの検査の結果をご覧になられましたでしょうか?』
「…ああ。」
浅羽はWeb会議で資料を見ながら、検査員と会話をしていた。
『細胞内のミトコンドリア含有量に異常が見られました。常人の数百倍はあります。』
「…遺伝子発現の方は?」
『例の2つの内1つの遺伝子発現が時間を追うごとに増加していました。』
彼は小さくうなずく。
「…なるほど…。予想通り、ミトコンドリアに影響を与えている遺伝子だったか。もう一方の方はどうだった?加えて、何か気になる変化は見られたか?」
『もう一方の方は全くです。後、検査の限りでは先にお伝えした以外の変化はありませんでした。』
「そうか。」
彼は小さく安堵のため息をついていた。
『このまま、彼女の世話をつづける…ということですか?』
彼はその質問に顔を曇らせる。
「…そのつもりだが、あくまでも危険がない限りだ。引き続き、検査は行っていく。」
『お言葉ですが…これは危険な綱渡りとしか思えません。上にばれたら大目玉どころじゃないですよ?それに…。』
「危険と分かればすぐに処分する。直接、私がな。話はここまでだ。」
強い口調で彼はそう言う。
『…分かりました。では…。』
彼は席を立ち、背後にある窓から広大な海原を眺め思い耽る。彼は長官の命令を聞かずにアイを処分しなかったことを勿論、後悔はしていたのだが、人の形をして生まれた彼女がこの世界のことを何も知らず、培養カプセルの中で一生を終えるのはあまりに不憫でしかたがなかったのだ。しかしながら、彼の心中には好奇心もあったのが実情だった。
その時、ドアをノックする音が聞こえてくる。
「失礼します。」
深山が部屋へと入ってくる。
「来たか。ちょうどいい時間だ。」
浅羽は席に着く。
「アイの件でしょうか?」
「ああ。最近の彼女の様子はどうだ?」
深山は深いため息をつく。
「いつも通り不愛想ですが、以前に比べて表情は柔らかくなったと思います。」
「それは良い知らせだが、君の表情は良くないな?」
「何というか…アイからは生きる気力というか…そう言った活力が全く感じられないんです。ただ、仕方なく毎日を生きているような…。」
「そうか…。やはり、そこは何も変わらないか。」
「私が世話役になる前も?」
彼は不安そうな表情で浅羽に伺う。
「そうだな…ずっとあの調子だ。そのせいか、他の世話役からは不気味がられている。…いつも、アイを気にかけているのは君だけだよ。」
「そう…ですか…。」
彼は悲しげな表情を隠せなかった。生まれてこの方、アイはこの研究所はおろか自室を出ることも許されていなかった。窮屈で無機質な部屋に幽閉され、自分以外の世話役からは不気味がられ…悲痛な思いが彼の胸をつく。彼女のことが不憫でならなかった。彼は無理を承知で、浅羽に嘆願する。
「浅羽さん…アイを少しだけでも外に出してあげられないでしょうか?」
「それは…。」
難しいとばかりに顔をしかめる。
「研究所近くの砂浜でもいいんです。アイはこれまで一度も研究所の外に出ていません。あの窮屈な環境にずっと押し込めているのは、心身ともに良くないと思います。」
浅羽は顎に手を当て考える。
「そうだな。…今のアイに人間的な生活を与えているとは言えない…か。」
彼はアイを生かした時のことを思い出す。色々な思惑はあったが、第一は人の形として生まれたアイに、人間として生きてほしいという願いからだった。
「分かった。ただし、条件はある。」
深山はアイの自室に戻る。浅羽から許可された吉報を彼女に伝えに来たのだった。
「総悟?」
「良い子にしてたかい?」
彼の目にアイが描いたであろう絵が入り込む。それにはカンブリア紀の奇妙な生物から白亜紀の恐竜等、古代の生物の絵が描かれていた。
(図鑑か何かで見たのかな?)
深山はアイの部屋を見渡す。この部屋にはテーブルとベッド、タンスと必要最低限のものしか配置されてなく、そのようなものは見当たらない。それに彼は彼女にそのような図鑑等を見せた記憶がない。
(誰かが見せたんだろうな。)
「…アイは何を描いているのかな?」
「……昔の記憶。」
「記憶?」
「私が生きてきた記憶…。生まれて死んで、生まれてまた死んで…。いつまで繰り返せばいいのかな?」
アイはうんざりした顔で彼にそう言う。
「アイ…。」
彼はアイの精神状態の悪化を危惧した。このままでは取り返しのつかないことになるのではと。彼はすぐに行動に移すことにした。
―翌日
研究所近くの砂浜に研究所専属部隊を連れた深山とアイが訪れていた。アイは眼前に広がる海をぼんやりと眺めている。
「海…。」
深山はアイの様子を見つつ、背後で待機する専属部隊を一瞥する。
「…。」
(危険を孕んでるか…。浅羽さんの考えは分かるけど…アイはそんな子じゃ…。)
彼はアイの下へと歩み寄る。
「どうだい、アイ。初めての外…海は?」
彼女は彼を尻目に海の彼方を眺めている。
「…私たちが生まれた場所。知っている。」
「そうか…アイは物知りだな。」
潮風が二人にそよぐ。
「総悟。」
「ん、どうした?」
「あの時…なんて言おうとしたの?」
「あの時?」
「…忘れたいのに、忘れちゃいけないのはなんで?」
アイが訊ねたの彩萌の話の事だった。彼は苦笑いして、彼女と同じ海の彼方を見つめる。そして、一呼吸おいて話始める。
「…アイ…彩萌は死んでしまったが、まだ、生きているんだ。」
「え?」
彼女は彼に振り向き、きょとんとした顔で首を傾けている。
「どういうこと?」
「人に限らずだが…死んでしまっても生き続けることはできるんだ。」
その言葉に彼女はますます困惑する。
「死んでるのに生き続ける?…意味が分からない。頭がおかしくなったの?」
「フフ…。勿論、現実に生き続けるわけではないよ。…記憶の中に生き続けるんだ。」
「記憶の…中?」
「ああ…彩萌は、私が彩萌のことを忘れてしまうまで、私の記憶の中に生き続けるんだ。だから、忘れちゃいけないんだ。どんなに苦しくても…辛くても…。」
「……。」
「アイ…本当の死というものは、忘れ去られてしまうということだと、私は思っている。この世の全てから、自分の存在が完全に忘れ去られてしまったとき…。」
「その時こそが、“完全な死”なんだ。」
―その言葉を聞いた時、私が生き続けてきた理由が分かった。
―やるべきことが分かった。
今日は彩萌の誕生日。遅れるとまた、どやされてしまうな。美智子に釘を刺されていたし、急いで帰らないとな。
それより、騒がしいな。なんでアラートが鳴っているんだ?
『総悟。』
ん?君は…誰だ?
どうして、私はここに?
『今まで、ありがとう。』
これは…血?誰かが倒れている。……誰だっけ…?
『総悟は私のことを良くしてくれた。だから…。』
…君は誰だ?
私は…私は…
『生かしてあげる。』
ダレダ?
「君も存外、馬鹿な男だ。」
「……。」
「しかし、面白い能力だな。彼女は私が預かろう。」
「…気づいていたんですね。それで私を泳がせて…。」
「止めなかった私が悪いと言いたいのかね?この案件を任せる前に言ったはずだ、処分しろと。それに忠告もしてやった。だが、君は私の命令を聞きいれず、彼女を生かす選択をした、君の意志で。…その結果どうなった?」
「…っ!」
「何人死んだ?…私が手助けしなければ、どうなっていたことか。分かっているのか?君が殺したんだよ。」
「ぐっ…!」
「まあ、それはさておき。君は私に借りができたということだ。とてつもなく大きな借りがね?」
ある病院の一室でベッドに横たわる深山。生命維持装置に繋がれた彼は、ぼんやりと天井を見つめている。そのベッドの横の椅子に、浅羽は膝に腕をついて座っていた。
「…。」
深山はもう、自分が誰なのか分からない。彼の脳組織の大部分は不可逆的に破壊され続けており、機械の助けがなければ呼吸すらもできなくなっていた。もはや、彼は機械に生かされているだけであり、彼を彼たらしめる意識、人格は消滅しており、それは死んでいるのと同義だった。
アイと対峙して生き残ったのは彼だけで、他は殺された。血まみれのアイの部屋で膝をついていた彼が保護されたと聞いた時は安心したが、それは一時のものだった。
「すまない…。」
浅羽は力なくそう呟いて、立ち上がり、彼の生命維持装置の前へと向かい、そして、電源を落とした。彼はそのまま、ふらふらと病室を後にする。大きな罪の意識に苛まれながら。
深山は死んだ。もし、魂があるのであれば、彼の魂は天国に行くのだろうか。
そうであったとして、そこで娘が待っていたとしても…
彼は会うことができないのだろう。
彼は全てを忘れてしまった。
レーテーの源に触れ、その水を飲まされて。
―――
――
深山との記憶がレーテーの脳裏に流れる。彼の向けていた優しい笑顔。彼女の目から一筋の涙がこぼれる。
「総悟…ごめん…ね…。」




