新生RAS
全世界の文明は一人の男、ギルバート・スペンサーによって崩壊へと追いやられた。世界中の空へと飛翔したNEO LILITHは生殖ウイルスを満遍なく放出し、膨大な数の人間が感染した。
ウイルスに感染した人々には強力な選択圧がかかり、その多くがウイルスDNAから発現したタンパク質に起因する強制的な全細胞のアポトーシスによって溶解した。しかし、一部は新人類ホモ・エクセルサスの胚を組織し育成、また、遺伝子的に近い種であるホモ・サピエンスを積極的に排除しようとするN.E.O.Sへと変異した。
世界中の各地に展開した各国の軍とRASの機動隊は協調的に作戦を実行した。軍とRAS機動隊は順調にN.E.O.Sを殲滅できると期待されていた。というのも、当初に出現したN.E.O.Sは特異的な能力などは持っておらず、市民などの一般人には危険な存在ではあったものの、軍やRAS機動隊にはそれほどの脅威ではなかった。
しかし、時間が経つにつれてN.E.O.Sの種類が次第に増大し、恐らくは軍やRAS機動隊に対抗するため急激な変異を起こしたためだと考えられるが、その時点から彼らは苦戦を強いられる。そして、遂には強大な力を持った“上位種”と呼称されるN.E.O.Sが出現し、各国の軍とRAS機動隊は壊滅的な損害を受けた。
軍と政府上層部は大混乱をきたして暴走した結果、大部分はギルバードによって使用不可能になっていたが、いくつかの地に戦術核が落とされることになった。それにより、数体のNEO LILITHは消滅したが、本質的な問題の解決にはならなかった。
地上はN.E.O.Sが跋扈する世界となり、生き延びた人々はRASが保持していた地下施設へと余儀なくされた。突然、日常を奪われた人々はひどく狼狽し、慣れない環境から数か月間は個人間のいざこざや、時には暴動が起きた。しかし、どうしようもない現実を次第に受け入れ、生き残るために何をすべきか考え、行動し始めた。
国際生物科学研究組織であったRASはNeo-RAS(NRAS)として、RAS高官は政府の生き残りと連携して各国に存在する旧RAS地下施設の秩序と平和、そして、敵対変異体(NRASが呼称するN.E.O.Sのこと)から地上の奪還を行うための総合的な組織へと変貌した。
諸悪の根源であるギルバート・スペンサーが元RAS長官なこともあり、RASを残すことやその高官に権力を持たせることにはかなりの反対があり、一時はRASの解体が立案されたが、RASの施設に関する諸々の設備や管理にRAS高官の持つ複数の生体・非生体エクセルサスコード、また、今後起こりうる敵対変異体との激戦の際に必要な研究の先導などクリティカルな部分が数多くあるため、政府関係者から却下された。
臨時RAS長官のエクスシス・クロイツフォードはNRASの長官、レナート・ジルコニスは副長官、シャオロン・リーと朝倉青藍は敵対変異体対策の中枢、ローズ・ホイットニーとキルギス・アモトマは後天的・先天的遺伝子強化兵計画の上層部、リカルド・ホッパーは各国NRASと政府の連絡及び運用に関する主任へと就いた。しかし、高官の人員不足であるため、NRASの高官への適任者の補充が急がれている。
その他、RAS高官であったリリー・ギリーズ、ボーマン・ヴァーロット、ウィッカーマン・キルケは死亡が確認され、浅羽総一郎、ヴァン・オーム、そして、全ての元凶であるギルバード・スペンサーは消息不明である。
あの事件からここまで約2年が経った。
―NRASアメリカ本部
NRAS結成から数か月間、20数回に渡る本部周辺の地上の調査を目的とした小規模の機動隊派遣の結果から得られた情報を基に、NRAS高官たちの会議が開催された。
半円のテーブルの孤側の席に高官たちは座り、長官であるエクスシスが口を開く。
「…皆、集まったな。これより、地上奪還計画への足掛かりとなる会議を始める。ここ数か月かけて小規模の機動隊を地上に送り、その周辺の調査を行わせた。そこで得られた情報を基に今後の我々の行動を決めようと思う。」
レナートがリモコンのボタンを押すと、照明が消え、正面の壁に映像が映し出される。そこには機動隊によって撮影された様々な敵対変異体が映っている。多くは1~2 m前後の小型で翼状の器官があるが鳥のようにはばたかずに宙に浮いているものや、鋭い鉤爪を複数備えた2足歩行の爬虫類様の姿をしている。
「敵対変異体は大きく4種に分けられると考えている。“下位種”、“中位種”、“上位種”、“特殊個体”の4つだ。今見てもらっているのが敵対変異体の中で一番下の“下位種”だ。最初期に現れたのもこの種だと考えられる。」
映像が移り、今度は一回り大きな敵対変異体が映し出される。それは複数の手足が生えており、その見た目は地球上の生物とは思えないものだった。それを見た、シャオロンがあることに気づいた。
「さっき見た“下位種”があいつを取り囲むように動いてるネ。あいつが引き連れているのか、それとも“下位種”が守っているのか…?」
「恐らく、その両方だろう。」
リカルドがそう返す。
「あの時、軍と機動隊とに連絡を取っていたが、小型を引き連れた変異体が現れて、しかも、小型がその変異体を銃弾から守るように盾になっていたと。」
「マジで?」
「ここでは一部の映像しか流してないが、この敵対変異体が小型を引き連れ、そして、小型がこれを守るように取り囲みながら移動していたのが複数観察されている。これは“中位種”だ。」
エクスシスはさらに続ける。
「そして、さらに上位の存在である”上位種”だが…今回は映像に収めることはできなかったが、その存在は2年前に現れ、軍を壊滅させた存在がそれにあたると考えている。なんでも、超常的な力を持っていたと報告をされている。」
リカルドがエクスシスに言う。
「一旦、過去の話は置いておいてほしい。敵対変異体の分類だが、聞く限り体の大きさで分けているということか?そして、“特殊個体”はその例外か?」
その問いにエクスシスは答える。
「体の大きは複数ある分類上の一部分だ。敵対変異体の分類には“体の大きさ”の他に、“保持する能力”、そして、“ホモ・エクセルサスの胚育成の準備段階”だ。」
「“ホモ・エクセルサスの胚育成の準備段階”?」
「それは一体どういうことですか?」
朝倉が疑問を呈する。エクスシスはレナートに目配せし、ある映像を映させる。そこに映ったのはパラボラアンテナのような姿をした敵対変異体であった。
「先に言ったが、“特殊個体”というものが存在する。“下位種”、“中位種”、“上位種”のどれにも属さない存在だ。確認されている種類はこれと、後に見せるもう1種のみだ。これは“ディテクター”と名付けた敵対変異体だ。」
「固着性の敵対変異体で、我々人類が出す臭いや音などを感知し、周囲の敵対変異体に特殊な音波か何かで知らせるだけの存在だ。生物というよりは設置された機械のようだ。」
「なるほど…確かに、他の種とは例外的な存在だ。だが、これは先ほどの質問の答えになっていない。」
映像が移る。そこには先ほど見た“中位種”に似ているがいくつか異なる部分が見て取れる。機動隊がそれを特殊な捕獲網で包み込んでおり、それは偶然発見し、捉えられた敵対変異体だった。
「これは…“中位種”ですか?」
「いや、“特殊個体”だ。…これは“中位種”から“上位種”への遷移形態だと考えている。」
「遷移形態…ですカ!?」
「“下位種”、“中位種”の解剖で奇妙な器官があることが分かっていた。20 cmにも満たない謎の袋上の器官。そこには未分化、あるいは分化途中だが分化が停止している細胞が局在的にみられた。この謎の器官がこの“特殊個体”の捕獲によって明らかになった。」
溜息交じりにエクスシスは言う。
「…それは子宮だった。」
その言葉にレナートを除く高官はどよめく。エクスシスは手をさっと上げ、辺りを制止させる。
「子宮からは様々に編集された遺伝子を持つ胚が摘出された。そのどれもが正常な卵割を行えないものだったが…。ずっと引っかかっていたことがあった。」
―長きに渡る生存競争。次なる戦い。
「敵対変異体はホモ・エクセルサスの胚を育成…いや、正確には進化を促す存在でありながら、我々ホモ・サピエンスを掃滅するために積極的に行動する生命体だ。そして、その両能力は”上位種”になることによって発現すると考えられる。」
「進化を意図的に促進させていると…?つまり…ホストの遺伝子を意図的に改変し、ホモ・エクセルサスの胚を生み出す。…進化というのは、生物が環境に適応するために何千、何万という年月と多くの犠牲を払い成しえるものですが…それを…」
朝倉が言いかけようとしたことをエクスシスが答える。
「数百年…いや、もしかしたらもっと早い…数十年。我々に残されたタイムリミットはそう長くはないだろう。時間が経てばたつほど、“上位種”の数は増えていく。“上位種”は超常的な力を持つ。」
「“不可視の腕”」
ローズがそう言った。
「約2年前のあの事件で現れた“上位種”。一瞬にして、軍と私たちの機動隊は壊滅させられた。奴から数十メートル離れていた隊員が、まるで見えない腕に引き裂かれたように惨殺されたと報告されているわ。…そんなものが増えれば、私たちの絶滅は現実味を増すわ。」
“不可視の腕”、それは人類が初めて対峙した“上位種”のN.E.O.Sだった。4足の足が交わる中心から聳えるように体が伸び、その頂点の正面に5つの紅く丸い目のような器官が円形に並んでいる。10 mにもなるかと思われる巨体には鉤爪のように見て取れる脅威は見当たらず、それは無防備に見えていた。
だが、それは違った。それは今まで優位に立っていた軍とRASの機動隊を瞬く間の内に真っ赤な肉塊に変えた。そのたった1体に状況は一変された。軍と機動隊が放つ弾丸はそれには届かず、触れられてもいないのに彼らの肉は、骨は引き裂かれた。
“中位種”から“上位種”への遷移形態である“特殊個体”の発見。これはN.E.O.Sの“上位種”が増えつつあることを示唆している。たった1体で、事態を一変させる超常的な力を持つその存在は絶対的な人類の脅威であった。そして、それは新たな種の命を恐ろしい速さで再編し続けている。そこから生まれるホモ・エクセルサスの力はそれら以上に未知数である。その力を目の当たりにしたのはエリーとブレイドくらいで、エクスシスを含むRAS高官は知りえていない。
しかし、悩みの種はそれだけではなかった。
「それに…。」
レナートが躊躇いがちに口を開く。
「黒い怪物。…あの事件から生還した軍の方々が目撃したという、東洋の妖怪“九尾”…。その姿に酷似した黒く巨大な怪物。これも…。」
レナートの答えをエクスシスが阻む。
「いや…恐らく、そうではないだろう。敵対変異体はNEO LILITHが放出した生殖ウイルスによる激烈な変化を受けた結果、その造形は歪で醜悪なものだ。あれは整い過ぎている。奴は用心深い。…考えるに、秘密裏に作成した生体兵器だろう。」
「そう…ですか。」
そう言い、レナートは口を閉ざす。
「何はともあれ、このまま“上位種”が増え続けるのはマズいわ。」
ローズの発言にエクスシスは答える。
「それは重々承知している。だが、すぐに“上位種”に対抗はできない。あらゆるリソースが不足している。段階が必要だ。」
映像が切り替わり、地図が表示される。本部のある場所が★の印で示されている。
「調査により、ある一つのことが浮かび上がった。今回の調査範囲は本部から半径約30 kmだが、どうやらその範囲には“上位種”はいないと考えられる。」
「…なぜ?」
キルギスが訝しむ。
「先ほど述べた“特殊個体”、ディテクターだが、調査隊が何度かこれらによってその存在を暴露されたのだが。存じている通り、敵対変異体は積極的に我々を排除しようとする。そこに“下位種”も“上位種”も違いはない。」
「ディテクターに感知されれば、その周囲に存在するあらゆる敵対変異体は調査隊を排除しようと集まってくるはずだ。だが、そこに“上位種”の姿はなかった。ディテクターの影響範囲は数kmに及ぶと示唆されているにもかかわらずにだ。」
「なるほど…つまり…そうか、住みわけがあるのか。“上位種”は言わば、妊娠中期当たりの妊婦でもある。ホモ・エクセルサスの胚を、恐らく、ある程度までは編成できているのだろう。奴らは積極的に我々を排除しに来るが、“上位種”の持つ超常的な力はその胚を守護するのが主だ。」
「奴らは本能で分かっている。“上位種”は我々にとって脅威であるとともに、奴らにとってもクリティカルな存在だ。“上位種”の喪失はホモ・エクセルサスにとって不可逆的な破滅を意味する。だから、“上位種”は普段は人目に付かない場所に存在している。」
キルギスの考えにエクスシスが同意する。
「君の考えと概ね同じだ。つまり、私の考えている計画はこうだ。」
映像にエクスシスの計画が映し出される。計画名は“エデンの奪還”。
「まず、我々が行うのは本部、そして、世界中の支部の半径10 kmの地上の奪還だ。次に、各国支部との交流を図るための空港あるいは港の整備。放置された軍事施設の確保。“上位種”への対抗策等、優先度の高いものも多いが、それらは並行して行う。しかし、先に述べた3点に注力する。」
シャオロンが意見を述べる。
「長官の計画はわかったけど、人員が足りないネ。私たちもいっぱいいっぱいなんですケド…。」
それにエクスシスは答える。
「幹部が足りないのは承知している。近々、数人の新しい幹部を迎え入れる準備は既に整えてある。君らの端末に候補を挙げる。相応しい人物に投票してくれ。そして、君らが何をすべきかもね。」
幹部たちの端末に情報が送られる。それを彼らは一目確認した後、すぐにしまった。
「それと…今後、敵対変異体を“リリン”、現在確認されている“上位種”を“インビジブル・ハンズ”、そして、黒い九尾を”ブラック・ナイン”と呼称する。会議は以上だ。各自、行動に移れ。」
幹部たちは立ち上がり、それぞれの持ち場へと向かった。
まず、地上奪還のためにローズとキルギスの権限の下、後天的に遺伝子を人為的に強化するベクターウイルスを用いた後天的遺伝子強化兵を増強するために、生き残った軍、そして、民間人に募集をかけた。無論、適性検査を前提としたものだった。人員の無駄な浪費は決して許されないからだ。
予想以上に人員が集まった。
そして、その中に20にも満たない一人の少女の姿があった。




