アダムの妻
『ひどい造形だな。体を強化するために、自分を改造したのか。意外と度胸のある。リターンが得られるかどうかもわからぬというのにな。』
「…他に良い選択肢も考える時間もなかったものでしてね。」
『フッ…そうか。』
しばしの沈黙をはさみ、スコールランドのAIは言う。
『…あいつは元気にしているか?』
それはまるで実の息子を案じるかのような声色だった。
「あいつって、長官のこと?ギルバード・スペンサーのことよね?」
『ああ…そうだな。それは私が付けた名前だが。なるほど、ようやく未練は吹っ切れたということか、ジェスター…。』
「ジェスター?ジェスターは貴方の孫では?」
『それは、設定上の話…その名があいつの本名だ。母親に捨てられた彼のな…。』
「捨てられた?」
『まぁ、そんなことはどうでもよいか。…しかし、義父とはいえ嬉しいものだ。ようやく、名付けた名を使ってくれるとはな。』
「…何の目的で自身のAIを作ったのですか?」
『この時のためだよ。ジェスター…いや、ギルバードがヒト…ホモ・サピエンスの世界を滅ぼすと決めたときのためだ。』
3人は目を丸くする。
「世界を滅ぼす?…マジで言ってんの?」
「冗談ですよね?」
『出来るかどうかは分からないが、あいつは必ず実行するだろう。お前たちも、恐らく、あいつを止めるために秘匿されたこの島に来たのだろうよ。確かに、ここにはあいつをRAS長官から引きずり落とすための物証はあるが、果たしてあいつを引きずり下ろすまでの時間があるかどうかは微妙なところだがな。』
「なぜ、そう言い切れる?長年眠っていたAIの貴方が、現状況を理解することはできないはずでは?」
訝しげに浅羽が答える。
『フフフ、理由はあるが。最も分かりやすいのは、君らが無事、とはいえないが…ここまで着いて、私と話をしているからだ。しかし、私の警備を突破するとは、なかなかに手練れだな。まあ、そうでなければ、ここに来る資格もないし、務まらないがね。』
「…私の警備…?じゃあ、マリオネットもゴア・ドールもギルバード長官が最低限に用意していたものではない…?」
『そういうことだ。この研究所はあの事件以降、遺棄され秘匿された。もし、未だにあいつがこの場所を管理しているならば、君らはここに来る前に死んでいるがな。』
エリーは首をかしげる。
「アンタはさっき、長官を引きずり落とせる物証がここにあるといったけど…。そんなものが残っているなら、何でこの場所を放置しちゃったのよ?誰もこの島の存在に気付かないっていう保証なんてどこにもないでしょ?」
『その通りだ。あいつはこの研究所を遺棄する前に、自身に繋がるであろうものは処分していたが…幸いなことに、この私の存在に気付くことはなかった。』
「貴方がその物証を握っていると?」
『そういうことだ。』
浅羽の問いにそう答えるAI。それを耳にしたエリーは、疑問に思いながら聞く。
「…どうして、アンタはギルバードに自分の存在を隠していたの?それに、どうして…私たちにそんなことを教えるの?さっきの発言から、アンタは彼のことを本当の息子のように思ってそうだったけど?」
『…そうだな。』
若干、トーンの落ちた音声で答える。
「冷徹な人だと思っていましたが、案外、人間味があるんですね。…今はAIですけど。」
浅羽はなぜか安心したような表情で冗談交じりに言う。
『そう振舞った方が都合がよかったものでね。ま、いい。それよりもそこの彼女の質問に答えようか。』
溜息交じりの音声でAIは言う。
『それは…後悔からだな。』
「後悔…?」
『はぁ…そうだ。私はあの日、あいつに言ったことを後悔している。あいつが、ヒトの世界を滅ぼす考えに至ったのは私にも少なからず原因がある。私があいつの背中を押してしまったのだ。』
「…なんていったの?」
『それは…後程話そう。まずは、あそこの部屋に入ってくれ。私が知りうる”LILITH”の情報を話そう。』
先ほど淡く光った部屋の壁が開き、次の部屋へと通じる。
『さあ…。』
「何かの罠じゃないですか、浅羽さん。」
「その可能性は否定できないが、ここまで来たんだ。退くという選択肢はない。まあ、警戒は怠るな。」
「そういうふうには感じないけどな~…。」
3人は警戒しながら、次の部屋へと移っていく。
入った部屋は黒い壁に挟まれた一本道で、その奥にはうっすらと明かりが照らしている。
最後尾のエリーが足を踏み入れた瞬間、壁に映像が浮かび上がる。それは海の底であり、奇妙な生物がうごめいていた。
「ちょっ…!きゅ、急に何なのよもう!」
「これは…カンブリア紀の生物。」
「奇怪な生物ですね…。俺、こういうのあんまり好きじゃないです。」
海底を進む三葉虫、ハルキゲニアに、海中を泳ぐオパビニア、オドントグリフスといったカンブリア紀を代表する生物が映像に映し出されていた。
「…。」
エリーは壁に手を当て、その映像をじっと見る。
(懐かしい…。どうして?まるで、生まれる前にもこんな光景を見たような…。)
食い入るように映像を見ている彼女を見て、心配そうにブレイドが訊ねる。
「大丈夫か、エリー?…どうしたんだ?」
その声を聞いてはっと我に返る。
「はっ!…え、いや…な、なんでもないわ。」
その時、映像に変化が現れる。巨大な影が海底を覆い、慌ただしく三葉虫などの生物がその場から逃げ出す。そこに現れたのはカンブリア紀最大の捕食者であるアノマロカリスであった。
「これまた変なのが出てきたな。」
「奇妙なエビ…アノマロカリス。三葉虫でも捕食に来たのか。」
しかし、アノマロカリスは三葉虫には目もくれずに、まるで何かから逃げるように遠方へと姿を消した。
「何か…素通りしていきましたね?」
すると、再び巨大な影が海底を覆う。しかし、それは先程のものとは比べ物にならないほど巨大であった。そして、それは直ぐに3人の前に姿を現した。
20 mはあろうかという巨体に4対の紅い眼、3対の巨大な触腕、褐色の外骨格に覆われた黄色の肉質の不気味な生物が、巨大な尾びれを力強く動かし泳いでいく。
それを見た瞬間、エリーは固まる。それはまさしく、悪夢に出てきた巨大な生物であった。
「あ…あ…。」
「浅羽さん…これが…。」
「”LILITH”…!」
映像に現れたLILITHは直ぐに遠方へと消えていった。
『これが君らの待ち望んだLILITHだ。ごく一部のものしか知らない、先カンブリア紀から現代まで生き続ける進化の福音…カンブリアの爆発を起こしたアダムの最初の妻。』
「悪魔呼ばわりとは…確かに、異形な生物たちですけど…。」
映像が切り替わる。それは海中の映像で、深海艇で撮られたもののようだった。ライトで照らす部分に何かがうつる。それは先ほど見たLILITHであった。
「…これが本物のLILITH…!」
浅羽は驚きと興奮を抑えきれず声をあげる。
「嘘だろ…、うん?」
ブレイドは固まっているエリーに気付く。
「お、おい…どうした、エリー?大丈夫か?」
「だ、大丈夫…。」
『実際のところ、この映像が手に入る前よりも幾年か前にこのような生物が存在することは判明していた。』
「何かしらの痕跡でも見つけていたわけですか?」
浅羽がそう訊ねると、床から光が奥の部屋へと続いていく。
「…来いと。」
3人は奥の部屋へと向かう。そこは円形で中央に半径2 mほどの円柱状の台座が見られる。彼らがその前に立つと、その台座が開き下から巨大な化石が出てきた。
「これって…さっき見たLILITHの…腕?足?で、でかい…。」
4、5 mほどあるそれに気圧されるブレイド。
『これはLILITHの触腕の一部だ。数年前にバージェス頁岩からローゼンのチームが発見し、私の元へと送ってきた。正直言って驚いたよ。これほどの巨大な生物がまだあの時代にいたと…無邪気に関心を寄せていたものだ。だが、私はその後にそれを凌ぐ新たな出会いをした。』
化石が上へと上昇していき、その下から培養カプセルが現れる。中には先ほど化石で見たLILITHの触腕が入っていた。
「な…!?」
「LILITHの触腕…!」
「…。」
『…ウエストハイランド島は米国が管理していた島でね。数十年前から少数の民族が暮らしていた慎ましやかな島だ。当時、私は…副長官、そして、政府の要人から長官として自身が管轄する研究所を建てるようにと、耳がうるさいくらいに言われていてな。』
浅羽はそれを聞き苦笑いする。
「やはり長官もそうなんですね。」
「どういうことですか?」
ブレイドは首をかしげながら聞く。
「所謂、政府とのパイプを維持するためだよ。要人の受け入れ先さ。日本で言うところの天下りってやつだ。君も私の研究所で見たことがあるだろう?使われてもいないのに綺麗に維持されている、所長室のような部屋を。」
「ああ…。そんなのありましたね。俺が聞いた時は浅羽さん、バツが悪そうな顔をしてはぐらかしてましたけど。」
「天下りって何よ?」
エリーが不思議そうに聞く。
「あんまりいいものではないな。ま、知らない方が幸せさ。」
「あっそう。」
『政治事を主に、研究の世界から遠のいていた私だが、先ほどのLILITHの化石に興味を持ち、ある条件で研究所を建てることを了承した。』
「ある条件?」
『私名義の研究所をどこかしらの州に建てる代わりに、このウエストハイランド島の管理を私に譲渡するというものだ。』
「な…!め、めちゃくちゃすぎる。研究所一つ建てるのに島をよこせって…。」
「でも、現にそうなってるじゃない?」
『ああは言ったが、私も色々と彼らに根回しはしておいたのでね。難しいのは承知だが、政府もRAS…私にはあまり大きく出れないのでな。』
「色々と握っているってことね。」
「無茶の一歩ぎりぎりのところの交渉だろう。RASもRASで、政府を敵に回したくないしな。」
『それで、島民の反発を買わぬように病院という名目でここを建てようとしたのだが、その要求はこの島にある風土病のお陰であっさりと通った。そして、研究所ができる前、その原因を探したが成果も得られず、浜辺を散歩しているときにこれを偶然見つけたのだ。』
『そこからの進展は早かった。風土病の原因となるウイルスがこれから見つかり、先ほどの映像も入手できた。そして、研究によってこのウイルスは生物の進化を促すものであるともわかった。』
「じゃあ、風土病にかかったあの人間、シャヘナトラは人類の進化系ってことなんですか?」
ブレイドは鼻で笑いながらそう言う。
『いや、そうではない。』
「…話が合いませんが?」
『最後まで聞け。…地球上のほぼすべての生物はこのウイルスに数回は感染している。このウイルスは生物種の染色体に、それの遺伝子情報が少なければ少ないほど感染する。』
「そういうことか!だから、生きた化石を使って…!」
『ご名答だ、浅羽。現代に生きる生物種のほとんどの遺伝子、まあ、その大部分がイントロン領域だが、そこにこのウイルスの遺伝子情報の痕跡が多く保存されている。ゆえに、現代の生物では感染がほとんど起こらない。まあ、強烈な選択圧をかける故に、感染したところで生き残れやしないが…。』
「じゃ、じゃあなんで人間に感染して…しかも、生き残っているんですか!?」
よく分からないといった顔でブレイドが答える。
『話は最後まで聞けといっただろう…全く、最近の若者は…。』
「全くですね、スコールランド長官。」
スコールランドに共感する浅羽。
「これだから年寄りは…。」
「まだ、40後半だ。」
『続けるぞ。…このLILITHは特殊な生殖方法を行う。彼女が放ったこのウイルスを我々が生殖ウイルスと呼んでいるのはこのためだ。…LILITHの生殖とは己の子孫を形として残すのではなく、自身の情報を全ての生物に乗せ続けるというものだ。』
「は…?意味が分からない。」
「…いや、同じものだ。」
「…え?」
ぽかんとしているブレイドに浅羽は答える。
「生物の本質は自分の遺伝子を残し、増やし続けるというものだ。その一つの方法として子を産み子孫を増やし、次の世代へとつなげていく。ただ、それだけだ。」
「は、はぁ…?分かるか、エリー?」
「どうでもいい。」
理解が追い付いていないブレイドに、彼女は素気なしに答える。
『種を問わずに広範囲にわたり行えるこの行為は一見して、理にかなったような方法に見えるが、先ほどの感染率の低下に加えて、1つ大きな欠陥がある。』
「自身の死か…。」
『その通りだ。LILITHは恐らくこの一体しか存在しない。先カンブリア紀期から現代まで、生き続けてきたのは脅威だが…思うに休眠か、あるいは別の方法で生き延びてきたとして、それも限界に近いであろう。海岸に漂着したこのサンプルの細胞を調べた結果、遺伝子の末端にあるテロメアも相当短くなっていた。それを修復する特殊なテロメアーゼをコードする遺伝子にも変異がかなり入っていて、十分な機能を保管できていない。遺伝子は常に変異の脅威に侵されている。もし、彼女が死すれば、そこで全てが終わりだ。』
「5億年も続いた歴史の終焉ですか…。」
感慨深くそう口にする浅羽。
『あまりに余る驚異的な寿命と特殊な生殖方式の代償といったところだろう。LILITHがどのようにして誕生したのかは謎だが…。だからこそ、彼女はこのウイルスを改良したのだ。この生殖ウイルスは自身の遺伝子情報のあるDNAの他に、5つの独立したDNAを持ち、それらを折りたたむヒストンタンパクを持った巨大ウイルスの一種だ。』
「ミミウイルスを代表とする、最近になって見つかったウイルスか…。通常のウイルスに比べて桁違いの塩基対と遺伝子数を持ち、さらには特殊なタンパクも保持しているという。」
『このウイルスに乗せられているDNAは、自身の遺伝子情報のあるものはほぼほぼ完全なものに対し、残りの5つのDNAは彼女が持つ常染色体の他に存在する特殊な染色体の一部分であり、これが感染した生物種の進化を促すものであると考えられる。』
「なるほど…感染し、自分の遺伝子情報を持った生物種がより生き残りやすくするためということですか。強烈な選択圧は、より強靭な個体を選別するためでもあるのか。非常に、興味深い生物だ。」
「興味深いじゃないですよ…。つまるところ…この生物に良いように利用されてきたということじゃないですか…。」
浅羽とブレイドの会話を聞いてAIは答える。
『おかげで、我々が存在するのだ、良しとしようではないか?…続けるが、見つかったサンプルからはこのようなウイルスが多々見られたが、ごく一部にこれとは違ったものが見つかった。それは6つ目のDNAを持つ一回り大きな変異ウイルスだった。それは初期のウイルスほどではないが、感染率はかなり低い。しかしながら、それは…感染者を新たなウイルス産生体へと変えるものであることが分かった。私はそれを”Queenウイルス”と名付けた。』
「”Queenウイルス”…。」
「浅羽さん…まさか…。」
浅羽の脳内にある言葉が浮かび上がる。
「”Queen”…彼女たちはウイルス産生体の…失敗作ということか?…となると、ギルバード長官はそのウイルス産生体を作成しようと…」
考え込む浅羽をそのままにAIは続ける。
『しかしながら、そのウイルスも不完全なものだった。結局、ウイルス産生体となった彼女たちは不完全で害あるウイルスを意図せずばらまく存在へとなり果てた。その多くは1カ月と経たずに死に絶えたが、君らも知っているシャヘナトラだけは生き残った。…我が親友のウィッカーマンが殺してしまったみたいだが…。』
「自身の寿命が尽きるのを危ぶみ、策を取るも上手くいかなかったということ、か。…進化を促す存在が、上手く進化もできずに終わるとは皮肉ですね。」
浅羽のその答えにスコールランドのAIが嘲笑う。
「ククク…。浅羽よ。残念ながら、話はここで終わらない。」
「…というと?」
奥の壁が開く。
『入れ。私の個人部屋…ここが終着点だ。』




